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問題一覧
1
桓武天皇は、794年【】に遷都した。
平安京
2
【】の監視を強化するため、【】の交代時に前任者の不正をチェックする外の官を勘解由使という
国司
3
桓武天皇は、農民の負担軽減と兵士の質の向上のため、今までの【】制を廃して【】の制を実施した。
軍団 健児
4
【】天皇は機密防止のため、藤原冬嗣を【】に 任じ,京都の警察や裁判業務を行う検非違使を設けた
嵯峨 蔵人頭
5
藤原良房は、臣下として初めて【】となった。
摂政
6
摂関政治は、藤原道長・【】時代に全盛期を迎えた。
頼通
7
桓武天皇により派遣された征夷大将軍の坂上田村麻呂は、胆沢城を築き、やがて鎮守府を多賀城からこの地に移した。
〇 797 年武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ,802年に鎮守府を多賀城から胆沢城に移した。
8
兵士の質が低下したことから、健児に代わって新たに郡司や有力農民の志願による軍団が採用された。
✕ 桓武天皇は軍団制から健児の制に切り替えた。
9
嵯峨天皇は蔵人所を設け、藤原冬嗣を蔵人頭に任じた。さらに京内の警察や裁判業務を行うため に検非違使を設けた。
〇 蔵人所は機密漏洩防止のため嵯峨天皇が設置(810年)したもので藤原冬嗣を蔵人頭に任じた。検非使の仕事内容は正しい。
10
藤原良房は、清和天皇が幼少で即位すると、臣下で初めて摂政の任を務めたのち,初めての関白となって政治を主導した。
✕藤原良房は関白にはなっていない。ただ,清和天皇が即位したのに伴い臣下で初めて摂政になった。
11
藤原氏の北家は承和の変や応天門の変を通じて 他氏を排斥するとともに,摂政・関白を独占してその勢力を拡大した。
〇北家出身の良房は、承和の変において伴健・橘逸勢を、応天門の変において伴善男を失させた。
12
菅原道真は、清和天皇により藤原氏の勢力を押さえるために太政大臣に登用されたが、藤原道長 の策謀による安和の変で失脚した。
✕菅原道真は宇多天皇により蔵人頭に登用されたが、藤原時平の策謀による昌泰の変で失脚,大宰府に左遷させられた
13
摂政は天皇が幼少の期間その政務を代行し、関白は天皇が成人後にその後見役を務めるもので、このような摂政・関白を出す家柄を摂関家といい, 摂関家の勢力は、藤原冬嗣とその子の頼通の時に全盛期を迎えた。
✕ 摂政・関白の説明は正しいが、摂関政治の全盛期は藤原道長と頼道の時である。藤原道長をその権勢から「御堂関白」、頼通を「宇治関白」という
14
894 年,菅原道真の建議により遣隋使が停止された。
✕菅原道真の建議により停止されたのは遣唐使である。
15
藤原頼通は、3代の天皇の摂政・関白を務めるとともに、字治の平等院鳳凰堂を建てた。
〇藤原頼道は道長の子で,「宇治殿」ともいう
16
承平・天慶の乱とは、藤原純友が下総国の豪族を率いて起こした反乱と,平将門が瀬戸内海の海賊を率いて起こした反乱である
✖️下総国で反乱を起こしたのは平将門、瀬戸内海で海賊を率いて反乱を起こしたのは藤原純友である
17
藤原氏と外戚関係のない【】天皇が即位すると、天皇は1069年に延久の荘園整理令を出して【】を設置した。
1. 後三条 2.記録荘園券契所
18
1086年白河天皇は幼少の堀河天皇に譲位し、自ら上皇(院)として院庁をひらき、【】を始めた。
院政
19
保元の乱において【】と源義朝が勝利したが、その源義朝も1159年の平治の乱で【】に滅ぼされた。
平清盛
20
鳥羽天皇は幼い白河天皇が皇位につくと、国政の重要問題を自ら決裁するようになり、天皇に代わって上皇が政治の実権を握る院政が始まった。
✕ 院政を開始したのは白河上皇である。1086 年白河天皇は8歳の堀河天皇に譲位して白河上皇として院政を開始した。鳥羽上皇は堀河天皇の第一皇子である。
21
平清盛は、平治の乱の後、保元の乱において後白河天皇の近臣である藤原信頼を破り、その後、平氏は武士の世界で主導権を握ることとなった。
✕平治の乱は1159年、保元の乱は1156年で問題文は逆である。本問題の内容は平治の乱である。
22
平清盛は官位を高め,武士として初めて太政大 臣となり、娘の徳子(健礼門院)が生んだ子が即位し安徳天皇となると,外祖父として政治の実権を握るようになった。
〇平氏政権は武家でありながら、藤原政権と似た貴族的な政治を行った。清盛は外威として権力を振るい、一族は朝廷の高位を独占した。
23
平氏は、摂津の大輪田泊を修築し、瀬戸内海航路の安全を図ることにより、唐との貿易を推進し、その利潤を政権の重要な経済的基礎とした。
✕平氏は摂津(兵庫)の大輪田泊を修築し、日貿易に力を入れた。唐ではない。
24
平将門は、常陸・上野・下野の国府を襲い、関東一円を占領して新皇と称し、一時は関東の大半 を征服したが、一族の平貞盛と下野の豪族藤原秀郷の軍によって討伐された。
〇平将門の乱は939年一族の土地紛争から叔父の国香を殺害し、自らを新皇と称して関東の大半を勢力下に置いたが、両氏に討された。
25
鳥羽院政下において、天皇家では兄の崇徳上皇が皇位継承をめぐり弟の後白河天皇と対立し、摂関家では兄の関白藤原忠通と弟の左大臣頼長の対立が生じていたが、鳥羽法皇が没した後、後白河天皇方が平清盛や源義朝らと結び,崇徳上皇を破った。
〇 これが 1156 年の保元の乱である。結果、崇徳上皇側が敗れ、上皇は流罪、上皇側の藤原頼長と源為義も殺された。平清盛と源義朝が勝利するが、その源義朝も1159年の平治の乱で平清盛に滅ぼされた。
26
平氏は、平清盛の死後、源義仲によって京都から西国に追い落とされ、一の谷の戦い,壇ノ浦の戦いのあと、源義経に屋島の戦いで滅ぼされた。
✖️確かに平氏は源義仲に京から追放されたが、その後は源義経によって一の谷,屋島、壇ノ浦の戦いと連敗して滅ぼされた。
27
平氏が都落ちしたのを受けて、源義経は諸国に守護・地頭を任命する権利を得た。
✕平氏滅亡を受けて、源頼朝が後白河法皇から義経追討を理由に守護地頭を任命する権利を得た。
28
源頼朝は、1180年鎌倉に御家人統率のため【】を設置し、次いで【】(後の政所)・【】(裁判所)を設けた。
侍所 公文所 問注所
29
1221年後鳥羽上皇が討幕のため挙兵したのが【】。
承久の乱
30
北条【】は最初の武家法である【】式目を制定した。
泰時 御成敗
31
鎌倉幕府は、問注所を置き、有力御家人をその長官である別当に任命し、御家人の統率や軍事警察の職務にあたらせた。
✕御家人の統率や軍事、警察を担当したのは侍所である。
32
鎌倉幕府は、守護を置き、東国の御家人を任命 し、大番催促と謀反人や殺害人の逮捕を行う大犯三カ条などの職務にあたらせた。
〇 大番催促とは、京都警備を行う京都大番役の順序を決め御家人に割り当て催促すること。その最も重要な職務を大犯三条という
33
鎌倉幕府成立当初、鎌倉殿は征夷大将軍に任ぜられたものの平家没官領を事実上支配していたのみであり、鎌倉に攻め入った法皇方の軍勢を幕府軍がうち破った承久の乱の後、朝廷から関東分国の領有と守護・地頭の任命権を正式に認められた。
鎌倉殿とは源頼朝のことで、朝延から関東御分国を与えられたのは1184年。承久の乱は1221年である。また鎌倉幕府成立当時には法皇方は鎌倉に攻め入ってはいない。この関東御分国と平氏没官領は鎌倉幕府の経済的基盤である。
34
鎌倉幕府は、侍所を置き、有力な御家人や政務にすぐれた人々の合議により裁判を行わせた。
✕裁判を行うのは問注所である。 侍所の職務は御家人の統率。
35
後鳥羽上皇は、新たに北面の武士を置き、軍事力を強化し,幕府と対決姿勢をみせ、北条泰時の兵を挙げたが逆に鎮圧された。
✕後鳥羽上皇は西面の武士を設置して、泰時ではなく北条義時追討の院を下したが敗れた。これが承久の乱(1221年)である。
36
北条泰時は、新たに公文所を設置し、合議制により政治を行うとともに,武家最初の体系的法典である建武式目を制定した。
✕公文所は源頼朝が設置した政務機関で、北条泰時は評定所を設置。また建武式目ではなく、御成敗(貞永)式目である。
37
北条時頼は、有力御家人である三浦泰村一族を滅ぼし、北条氏の地位を一層確実なものとする一 方、評定衆のもとに引付象を設置した。
〇北条時頼は、宝治合戦で三浦泰村一族を滅ぼし、引付衆を設置して所領の裁判事務を担当させた
38
北条時宗は、再度の元の襲来に備えて九州地方の御家人による九州探題を整備し、博多湾沿岸に石築地を築いて防備に就かせた。
✕北条時宗が整備したのは異国固番役で,石築地を築いて防備を固めた。
39
幕府は、承久の乱に際しての御家人救済策として永仁の徳政令を出し、救済に成功した。
✕承久の乱後ではなく、元寇である。御家人数済策として永仁の徳政令を出したが成功しなかった。
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