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問題一覧
1
F.ハイエクは、計画主義的思考は歴史の過程において自生的に形成されてきた秩序を強化し、人間の多様性や自由を抑圧から解放するものであると主張した。そして、J.M、ケインズの経済理論に基づく社会保障制度の充実や所得の再分配を支持した。
ハイエクは、福祉国家を支えるケインズ経済学と社会主義を一種の「計画主義的思考」と規定し、それは一的な価値を押し付け、個人の自由や多様性を抑圧するものであるとして批判した。
2
社会保障を支える仕組みは、その財源に注目すると、大きく公的扶助と社会保険の二つに分けられる。公的扶助は、通常は資力調査を行わずに全ての困窮者に等しく与えられる普遍主義の考え方による仕組みであり、我が国では生活保護、老人福祉、児童手等の制度が該する。この公的扶助制度を世界で初めて政策的に導入したのは、ドイツのビスマルクである。
公的扶助とは、貧困層に対して直接の経済給付を行うことにより、最低限の生活を確保することを目的とするものであり、我が国では生活保護が該当する。公的扶助は通常は資力調査を綿密に行い、一定水準以下の困窮者に対してのみ給付される選別主義を採用している。なお、老人福祉や児童手当は、公的扶助ではなく、社会扶助(社会福祉)に分類される。
3
G.エスピン=アンデルセンは、福祉国家を「脱商品化の指標」と「階層化の指標」を用いて、三つに分類した。すなわち、フランス、ドイツ、イタリア等に代表される自由主義型、米国、カナダ、オーストラリア等に代表される保守主義型、スウェーデン、ノルウェー、オランダ等に代表される社会民主主義型の三類型である。
フランス、ドイツ、イタリア等に代表されるのは「保守主義型」、米国、カナダ、オーストラリア等に代表されるのは「自由主義型」である。
4
第二次世界大戦後に取りまとめられたべヴァリッジ報告では、保険料の負担を伴う社会保険ではなく、国庫負担により所得保障を行う公的扶助と任意保険の二つを組み合わせることによって、国民の窮乏を克服することなどが提言された。同報告は、ナショナル・ミニマムを保障しようというものであり、福祉国家の先進的なモデルとして高い評価を得た。
「ベヴァリッジ報告」は、第二次世界大戦中の1942年に発表されている。報告では、生活困窮の打開は所得保障(公的扶助)のみでは達成できず、社会保険と公的扶助を組み合わせることで、生存のための最低水準の所得を保障すべきとした。
5
我が国においては、戦後、生活保護法が制定され、さらにその後、国民健康保険法の全面改正や国民年金法の制定が行われて、国民皆保険・皆年金が実現した。1973年には老人医療費を無料とする制度が導入されるなど、同年は福祉年ともよばれ、この時期に社会保障制度は大きく拡充された。
妥当である。現在の生活保護法は1950年に制定され、国民皆保険と国民皆年金も、各々1958年と1959年に制度化されている。
6
G. エスピン=アンデルセンによる福祉国家の分類に関して彼は、国民が平等に福祉を受けることができるかどうかという「脱商品化」と、国民が市場の影響から独立して適切な生活水準を維持できるかどうかという「階層化」という二つの福祉指標を作成した。彼は、これらの指標をもとに、福祉国家を六つの類型に分類できることを示した。
「脱商品化」と「階層化」の記述が逆である。また、彼は福祉国家を三つの類型に分類できるとした。
7
G. エスピン=アンデルセンによる福祉国家の分類に関して彼は、日本については、脱商品化指標からみると保守主義モデル、階層化指標からみると自由主義モデルであるため、保守主義モデルと自由主義モデルの混合形態であるとした。また、福祉サービスの担い手として国家の役割が大きいという側面は社会民主主義モデルと同一であると指摘した。
日本については、階層化指標からみると保守主義モデルといえる。しかし、ドイツやオーストリアなどの国と比較すると、公的福祉サービスの政府による供給量が少ない点から、自由主義モデルの側面もあり、したがって両者の混合形態であるといえる。また、福祉サービスの担い手としては、家族の役割が大きいという側面がある。
8
多元的国家論は、主権は一元的、絶対的なものではなく、多元的、相対的なものであり、ドイツのヘーゲルらによって主張された。
前半の記述は正しい。ヘーゲルは一元的国家論の立場に分類される。多元的国家論の立場に立つ学者には、ラスキ、マッキーヴァー、コール、バーカーらがあげられる。
9
多元的国家論は、市民社会における特殊を媒介しながら、人倫的一体性を回復する存在が国家であるとし、イギリスのラスキやアメリカのマッキーヴァーらによって主張された。
「人倫的一体性を回復する存在が国家」としたのは、ヘーゲルである。ヘーゲルは、欲求の体系としての社会を批判し、法律の客観性と道徳の主観性が統一された体系である人倫による国家を提唱した。
10
リンスは、全体主義と民主主義の中間に位置する政治体制を権威主義体制として概念化し、この体制では、高度の政治動員体制がないとした。
妥当である。
11
リンスは、全体主義と民主主義の中間に位置する政治体制を権威主義体制として概念化し、この体制では、限られた範囲であっても多元主義が認められないとした
リンスによれば、権威主義体制には「限定された自由」と「限定された多元主義」があり、そのためイデオロギーによる動員が不完全にしか機能しない。権威主義体制は、伝統と結びついた感情的な思考や心情の様式によって支えられているとされる。
12
J.ロールズは、それまで英米圏の政治哲学において支配的であった功利主義に対し、正義を強調することで、「正義の善に対する優位」を説いた。彼は、原初状態における人間は、自由かつ平等で、自らの能力や社会的地位等について把握していることから、合理的な当事者による正義の原理の採用は期待できないとした。
後半の記述が誤り。J.ロールズによると、原初状態における人間は、自由かつ平等であるが、同時に「無知のヴェール」に覆われている。無知のヴェールとは、原初状態においては、「自らの能力や社会的地位等について把握」していないため、自分が競争の勝者か敗者かを予測することもできない。したがって、原初状態において人々は公正な判断を下すことができるようになり、正義の原理が採用されることになる。
13
H.アレントは、「人間の条件』において、人間の営みを「労働(labor)」・「仕事(work)」・「活動(action)」に分けて考え、「労働」と「仕事」は人が物に対して行う行為であるのに対し、「活動」は対等な複数の人々の間で主に言葉を通じたコミュニケーションによってなされる相互行為であるとした。彼女は、「活動」こそが本来の政治にふさわしい行為の在り方であると考えた。
妥当である。H.アレントは、『人間の条件』において、マルクス主義が人間は労働する動物であると規定したことに反発した。「労働」は人間にとって不可欠であるものの、それ以外に「仕事」、さらに何よりも「活動」がより人間的な領域であると述べた。
14
N.マキアヴェリは、国家が独占する物理的強制力が重要な権力の本質であるという権力国家観の立場に立ち、人民のほとんどは善良な存在であるとの認識に立ちつつも、君主は愛されるより恐れられるほうがよいと説いた。他方、他の君主との関係においては、約束した際の根拠が失われようとも信義を守り通すことが君主の務めであるとした。
N.マキアヴェリは、「人民のほとんどが善良な存在であるとの認識」には立っていない。彼の主著「君主論」は、いかにして反抗的な人民を服従させ、強国から自国の安全を守るために必要なことを述べた書である。したがって、君主は国家の維持とその発展に寄与することが使命であるため、目的の実現のためには、倫理的価値判断を捨象し、策謀や暴力を用いるべきであるとした。
15
Rミヘルスは、ドイツの社会民主党の分析を通じて、民主主義を標する政党であっても、それが発展して、肥大化するにつれて、指導する者と指導される者に分化し、次第に少数者の手に組織運営の実質的権限が集中していく傾向があることを指摘した。彼は、どのような組織でも肥大化するにつれて避けられない現象であるという意味で、それは「鉄則」であるとした。
妥当である。ミヘルスの「寡頭制の鉄則」についての記述である。
16
M.フーコーは、近代の権力を、実力や暴力のように目に見える形で行便されるよりは、権力作用を受ける者が自らを規律するように仕向けるという形で、自動的に行使されるものとした上で、各人が、外的な監視や指導がなくても、規律正しく振る舞うようになる点に着目した。彼は、このような「規律権力」による管理は、刑務所のみならず、軍隊、学校、病院など近代社会の様々な領域に見られると主張した。
妥当である。フーコーの「規律権力」についての記述である。
17
S. ルークスは、何らかの争点について決定がなされる場合のアクターの行動に焦点を合わせた権力観を「一次的権力観」、潜在的争点の顕在化を阻止するために決定が回避されるという形の権力行使に焦点を合わせた権力観を「二次的権力観」と整理した。その上で、彼は、自らの権力観を「三次的権力観」とし、対立そのもの、若しくは対立の認識を消滅させるという形で行使される権力に着目した。
妥当である。ルークスの「三次的権力観」についての記述である。
18
権力構造に関するネオ・コーポラティズムの理論では、権力が広く分散しているのではなく、少数の組織された職業団体に集中し、また、エリートは協調的というよりは、むしろ対立と競争を通じて政府の重要政策の決定に参加することが制度的に保証されたとする。 こうしたネオ・コーポラティズムが典型的に見られる国としては、米国、オーストリア、スウェーデン、オランダが挙げられる。
ネオ・コーポラティズムとは、利益集団が頂上団体に集約され、政府機関に頂上団体同士協力しながら政策を決定するような「協調的」な政策形成の型である。北欧諸国やオーストアで見られる。それに対して、利益集団同士の「対立と競争」による多元主義の考え方が支的なのはアメリカである。
19
ミヘルスは、1950年代のアメリカ社会を歴史的に分析し、軍事、経済、政治のトップ・エリートに権力が集中する傾向が進み、しかも3者が相互に結びつきを強めているという結論を得た。
本肢はC.W.ミルズのパワー・エリートに関する記述である。R.ミヘルスは、ドイツ社会民主党の観察を通じて、組織の運営を担う少数者がさらなる情報や技能を獲得することで支配的立場を強固にし、いったん権力を掌握した支配者は自己の権力維持に専念するため、必然的に寡頭制が生じるとした。
20
ウェーバーは、権力関係の前提をなすものは、社会における種々の価値の存在であるとし、期待に反した行動をとった場合には価値剥奪の制裁が予期され、期待に応える行動をとった場合には価値付与が期待されるような仕方で、影響を及ぼすときに権力関係が成立するとした。
本肢はH、ラズウェルに関する記述である。M.ウェーバーは、権力とはある社会関係の内部で他者の抵抗を排してまでも自己の意思を貫徹する可能性であり、支配とは権威に支えられた権力関係であると指摘した。
21
フリードリヒは、権力の概念を、権力の本質を強制という要素に求め、権力を所有する少数の人が権力を行使して、他人の服従を獲得するという実体概念と、権力者と服従者の間には何らかの程度で相互作用があるとする関係概念とに分類した。
妥当である。
22
パーソンズは、服従者の利益を奪うことによって政治権力が成り立っており、権力者が収奪したものと、服従者が収奪されたものを差し引きすればゼロになるとする零和概念を提示し、権力行使を必要最小限にしようとした。
T.パーソンズの権力概念は、非零和概念に分類されている。パーソンズによれば、権力とは、国家や集団といった社会において、その社会の掲げる目標を達成するために行使されるものである。権力が集団の共同利益に資する機能を果たしていることに着目したのである。
23
メリアムは、理性に働きかけ政治権力の正当化を図るミランダと、記念碑、旗、儀式などの象徴を用い、権力の非合理的側面から権力の正当化を図るクレデンダがあり、現代の大衆社会ではクレデンダが効果的に利用されやすいとした。
ミランダとクレデンダに関する内容が逆である。知性に訴えて権力の合理化を図るのがクレデンダであり、象徴を用いて感情に訴えることで権力を心理的に補強するのがミランダである。現代の大衆社会では、ミランダが効果的に利用されやすいとされる。
24
メリアムは、権力を、それを行使する者と行使される者との間の関係においてとらえ、「さもなければBがしなかったような事柄をBに行わせる場合、その度合いに応じてAはBに対して権力をもつ」と定義した。
本肢は、ダールの権力概念に関する記述である。メリアムは、権力は集団の統合現象であるものと捉え、権力を心理的に補強する手段として、ミランダとクレデンダを提示した。ミランダとは象徴を用いて感情に訴える手段であり、クレデンダは知性に訴えて合理化を図る手段として用いられる。
25
ダールは、権力は自由を可能ならしめる公的空間を支え、自由を抑圧する暴力とは対極に立つものであり、「銃口から生まれるのは暴力であり、決して権力ではない」と主張した。
本肢は、アレントの権力概念に関する記述である。アレントは、権力とは人間が他者と協力して活動する能力に基礎をもつ、複数の人間からなる集団の能力であるとした。
26
ミルズは、人間は社会における種々の価値を所有もしくは追求しており、ある人間が他の人間のもつ価値に対して、これを剥奪する能力を有するとき、そこに権力関係が成立するとした。
本肢は、ラズウェルの権力概念に関する記述である。ラズウェルは権力が行使される場合、権力を行使する者は権力行使の基盤となるものを保有していることが前提となるとした。この基盤のことを基底価値として、「権力、尊敬、道徳、愛情、健康、富、技能、知識」の八つに分類した。
27
パーソンズは、権力が他者を支配し、権力者の自己利益の実現にだけ使われるものではなく、権力には社会的利益に奉仕する側面もあることを強調し、政治権力を「目標達成のために社会的資源を動員する能力」と定義した。
妥当である。権力の概念は、利益の対立があり、一方の利益が実現されると、他方の利益が損なわれる、権力の零和概念を前提としていた。パーソンズは、アレントとともに、権力は国家や集団にとっての共通目標を達成するために行使されると考える、権力の非零和概念の立場に立つ。
28
共産党宣言」を著したフリードリヒは、唯物史観を展開し、資本主義社会では、資本家階級が政治的にも支配階級であり、政治権力はその手中に握られているとした。
本肢はフリードリヒではなく、マルクスとエンゲルスに関する記述である。
29
バクラックとバラッツは、権力には2つの顔があり、1つは多主義論者のいう顔、もう1つは非決定の顔であるとし、また、非決定権力とは決定作成の範囲を安全な争点に制限する権力であるとした。
妥当である。非決定権力とは、意見や利害が対立する争点を顕在化させず、解決策を決定させない権力のことである。これは、何らかの決定を下す範囲を、権力者にとって安全な争点に制限する権力ということができる。
30
「政治学入門」を著したフーコーは、権力は2人ないしそれ以上の人々の関係の上に成り立つやりとりであり、所有物というよりも関係として記述されるのが適当であるとした。
本肢はフーコーではなく、フリードリヒに関する記述である。
31
J.J. ルソーは、国家は私的な意志の総和を超えた一般意志によって運営される必要があるとして代表制を批判し、人民全員が政府の立法及び行政活動に直接関与しなければならないとする急進的な民主主義論を展開した。
ルソーは、人民の行政活動への直接関与までは主張していない。ルソーは、国家が一般意志によって運営される必要性があるとして、代表制を批判し、人民全員が直接参加して立法を行う政治の形態を模索した。
32
J.S.ミルは、個人の権利と利益の擁護という自由主義の理念を貫徹するためには、全ての市民が政治的意思決定に参加する権利を持つ必要があるとし、民主的な政治参加とは、自らの選出した代表が同意した法律によって統治される自由であると論じた。
妥当である。
33
J.シュンペーターは、市民は公共の利益に関する判断を行う合理的で理性的な能力を持つとして、そのような市民によって選ばれたエリートによる統治が現実的に最善の結果をもたらすとする、エリート民主主義論を説いた。
シュンペーターは、市民が公共の利益に関する判断を行う合理的で理性的な能力を有していることに懐疑的であった。ただし、シュンペーターは、市民には政策決定の能力はないが、指導者となりうる人材を選挙において選ぶ能力は備えており、選挙において選ばれたエリートが統治を行うべきというエリート民主主義論を説いた。
34
R.ダールは、米国では権力を独占した一枚岩的なエリート層による統治が行われていると批判し、そのようなエリート支配から脱するための多元的な集団間の競争に基づくポリアーキーを、民主主義の理想として掲げた。
ダールは、1950年代のアメリカ社会では、一枚岩的なエリート層による政治権力の独占は実際には存在せず、権力は様々な利益を代表する複数の社会集団により共有されていると指摘し、多的民主主義論を展開した。そして、理想としての完全な民主政とは区別するために、多元的な集団間の競争に基づくポリアーキの理論を提示した。
35
マクファーソンは、「アメリカにおけるデモクラシー」を著し、対立関係にあった自由主義と民主主義を結びつけ、自由民主主義への道を拓いた。
本肢はトクヴィルに関する記述である。マクファーソンは、自由民主主義を防御的民主主義、発展的民主主義、均衡的民主主義および参加型民主主義の4モデルに分類した上で、参加型民主主義を最も高く評価した。
36
J.J.ルソーは、私的・個別的利益を追求する「特殊意志」の総和である「一般意志」という概念を提示した。そして、この「一般意志」を前提とした場合、国家を運営するためには、その構成員の高い道徳的資質は要求されず、個々の利益の総和である多数決によって運営されれば足りるとした。
「特殊意志」の総和は、「全体意志」である。J.J.ルソーは、「全体意志」の説明を通じて、「個々の利益の総和である多数決」によって運営されるイギリスの議会制民主主義を批判し、古代ローマの直接民主主義を理想とした。つまり、社会の全員一致によって成立した国家の公的な意志である「一般意志」の形成を目指すべきであると主張した。
37
A.トクヴイルは、「多数の暴政」という概念を提示し、民主主義という制度には、民主的正当性のない少数者が多数者の権利を蹂躙する危険が内在することを告した。そしてこの危険を減少させるためには、少数者が多数者を脅かす可能性の高い、小さな共同体で運営される分権的な政体よりも、中央集権のほうが優れていることを主張した。
「多数の暴政」とは、社会における画一的で受動的存在である多数者が、数の力で少数者の権利を蹂躙する危険を指摘したものである。A.トクヴィルは、国家と個人の間に存在する中間集団の重要性を主張し、分権的な社会の方が、さまざまな少数意見が公的な場で表現される多元主義が実現され、「多数の暴政」を防ぐことができるとした。
38
J.S.ミルは、政府に国民の集団的利益の管理を全て任せてしまうような状態を「優れた専制政治」と規定し、理想の政体とした。一方、代表制民主主義は、全ての国民が議会という場を通じて自らの利益を追求し、意思決定の集約ができなくなるという点で、無意味で危険な政体であり、その観点から普通参政権、特に女性参政権には反対した。
J.S.ミルは、トクヴィルの「多数の暴政」の影響を受け、個人の自由を確保するためには、少数派の個性を擁護することが重要であると指摘した。したがって、政府は他人に危害が及ぶ場合に限って個人の行為を制限してよいとする、危害原則を主張した。また、個性を擁護するためには、比例代表制などを採用した普通選挙制の実現を訴え、女性の参政権も主張した。
39
Rダールは、政治体制を構成する原理として「抱摂性」と「自由化」をあげ、この両者が十分に満たされた体制を「ポリアーキー」とよんだ。ポリアーキーにおいては、自由かつ公正な選挙によって公職者が定期的に選ばれ、市民には表現の自由や結社の自由、情報へのアクセス権などが十分に保障されている。
妥当である。R.ダールは、民主主義という論争的であいまいな概念に代えて、より分析的なポリアーキーの理論を提示し、政治体制の国際比較を可能とした。「包摂性」とは、政治参加や選挙権の拡大の度合いであり、「自由化」とは、公的異議申立ての許容度である。自由化の変数には、市民的自由、立法府の地位、複数政党制などがある。
40
ベンサムは、「自由論」を著し、人の幸福とは苦痛を避けながら快楽を増大させるものであり、社会の幸福とは、社会を構成する個人の幸福を総計したものであるとし、政治は社会全体の幸福を最大化すること、すなわち、最大多数の最大幸福を実現することを目的とすると主張した。
ベンサムの著作は「道徳および立法の諸原理序説』である。その他の記述は正しい。
41
グリーンは、「アナーキー・国家・ユートピア』を著し、福祉国家的な再配分は、自由な個人の権利を侵害することになると批判して、国家の役割は暴力、盗み、詐欺からの保護と契約履行の強制に限定されるべきであるとし、このような国家のことを最小国家と呼んだ。
本肢はリバタリアニズムを主張し、福祉国家を批判したノージックの著作に関する記述である。グリーンは「政治義務の原理」の中で自由放任主義を批判し、国家によって個人の所有権に一定の制限を課すことが有効な場合があると主張し、福祉国家観を基礎づけた。
42
ロールズは、『正義論』において、正義の2原理を提示し、第1原理は平等な自由原理と呼ばれ、各人は他の人々にとっての同様な自由と両立しうる最大限の基本的自由への平等な権利を持つべきであるとし、この第1原理は格差原理と公正な機会均等原理からなる第2原理に対して優先されるとした。
妥当である。ロールズは平等な自由原理を第1原理として最も優先したが、現実には社会的経済的不平等の存在を条件付きで認め、完全な平等を保障するよりも「公正な機会均等」を実現する社会をめざすべきだと主張した。
43
I.カントは、「何をすべきか」という道徳的判断は、それ自体が固有の普遍的原理であるだけでなく、「何をされたか」という経験的な事実からも導くことが可能であると主張した。 彼は、全ての人間は、何らかの目的を達成するための手段として扱われるだけでなく、目的そのものとして尊重されなければならないと指摘した。
カントは、道徳的判断は、経験的な事実からは導くことはできず、全ての人間は、何らかの目的を達成するための手段として扱われてはならないと主張した。
44
F.ハイエクは、社会主義や全体主義といった社会を何らかの計画に基づいてコントロールしようとする思考は、本来歴史過程において自生的に形成されてきた秩序をいたずらに破壊してしまうと主張した。彼は、市場もまたこの自生的秩序であるとした上で、市場の失敗を人間の意図的なコントロールによって克服しようとする一切の試みが、本質的に危険であると指摘した。
妥当である。ハイエクは、「隷属への道』を著わし、福祉国家を支えるケインズ経済学と社会主義を一種の「計画主義的思考」と規定し、個人の自由や多様性を抑圧するものであると批判した。
45
R.ノージックは、個人の権利は絶対的に尊重すべきであり、課税を通じた所得の再分配は、権利の侵害であると主張した。彼は、国家は、生命や所有権等に対する個人の権利を防衛するという限定的な役割を果たせばよく、福祉国家が提供してきた一連の公共サービスは、もしそれに類するものが必要ならば、各人が任意に加入する民間の組織で十分代替可能であると指摘した。
妥当である。ノージックは、国家は警察、防衛、契約履行の保障に限定される最小国家に留まるべきであり、国家による再配分を否定する「小さな政府」を擁護した。
46
M.サンデルは、人間が自らの持つ属性や自らの置かれた環境とは関係なく、独立した自我として思考していくことが、平等で正義にかなった意思決定を行うための条件であるとした。そして、政治権力の過大な行使を伴う積極的是正措置は、個人の自由や権利を不当に侵害するものであると批判した。
前半の記述が誤り。サンデルは、現実の人間は特定のコミュニティに属し、その歴史や伝統を共有している「負荷ある自我」であり、コミュニティに対する責任を果たしていく政治的存在でもあると主張した。
47
V.パレートは、大きな政治変動は支配的なエリート集団の交代によって生じるとする「エリートの周流」理論を提唱し、権力の座に就いたエリートが社会のどのような階級を代表しているかによって、政治が平等主義的なものとなるか独裁的なものとなるかが決まるとした。
パレートは「エリートの周流」理論において、大きな政治変動が支配的なエリート集団の交代によって生じると主張したが、エリートが交代したとしても自由で平等な社会は実現されず、少数のエリートが国民を支配する社会が存続すると指摘した
48
G.ウォーラスは、個々の人間は、国旗や国歌、政党の名前や政治家の顔に基づいて、刺激に対する条件反射のように政治判断を下しているが、人々が集合的に行う意思決定においては誤謬が相殺されるため一定の妥当性が生まれるとして、大衆民主主義を肯定的に評価した。
ウォーラスは、人は自他の利害に関して常に合理的判断に基づいて行動するとする民主主義を批判し、政治における人間の非合理的な要素を指摘した。大衆民主主義に否定的であり、真の意味での合理的な思考を政治の世界で実現するために、政治教育の重要性を主張した。
49
A.レイプハルトは、宗教、言語、文化的な分裂が存在し、各グループが自分たちの政党、利益集団、マスメディアを有するような多元社会においては、多数決型デモクラシーよりも合意型デモクラシーがふさわしいとし、その典型としてスイスやベルギーを挙げた。
妥当である。
50
C.シュミットは、民主主義の本質は同一性ではなく多様性にあるとした上で、「友と敵」の区別を基本とする政治においては統治者と被治者の民主主義的同一性は不可能であると論じ、英国を中心に影響力のあった多元的国家論に基づく民主主義理論を擁護した。
C.シュミットによれば、本来の民主主義は治者と被治者の同一性を意味する。したがって、治者と被治者の同一性という条件を満たせば、絶対主義的であろうと軍国主義的であろうと民主主義とは矛盾しないこととなる。またシュミットは、多元的国家理論について、統一的中心がなく、あらゆる国家論の中心概念を無視しているとして批判した。
51
Aは、その著書「大衆社会の政治』において、大衆社会を、大衆がエリートに入り込んだり、エリートに影響を及ぼしやすいという「エリートへの接近可能性」が高く、しかも大来がエリートによって容易に操作されやすいという「非エリートの操縦可能性」も高い社会として特徴づけた。 彼は、大衆社会のほかに、「非エリートの操縦可能性」は高いが、「エリートへの接近可能性」 が低い社会をBと、「エリートへの接近可能性」は高いが、「非エリートの操縦可能性」が低い社会をCとした。
コーンハウザーは『大衆社会の政治』を著わし、大衆の操縦されやすさを強調する理論と、う衆の政治参加を重視する理論を続合した大衆社会論を提示した。彼は、エリートへの接近可能性と非エリートの操縦可能性を媒介として、社会を以下の4つに分類した。 ・大衆社会 エリートへの接近可能性が高く、非エリートの操縦可能性が高い ・多元的社会 エリートへの接近可能性が高く、非エリートの操縦可能性が低い ・全体主義社会 エリートへの接近可能性が低く、非エリートの操縦可能性が高い ・共同体的社会 エリートへの接近可能性が低く、非エリートの操縦可能性が低い A:「コーンハウザー」が該当する。 B:「全体主義社会」が該当する。 C:「多的社会」が該当する
52
B.フロムは、「変革期における人間と社会」において、フランス第二共和制が打倒された理由を人々の心理状態に求めた。彼は、近代に入って共同体からの自由を得た大衆は同時に孤独となり、やがてその自由の重さに耐えかねてそこから逃走しようとしたと分析した。
「変革期における人間と社会』はK.マンハイムの著書である。フロムは「自由からの逃走」において、ドイツ国民がファシズムに屈した原因を権威主義的性格の概念を用いて説明し、人々が自らの行動を選択する自由の重圧に耐え切れず、進んでその自由を放棄して絶対的権力者に盲目的に服従することによって、精神的安定を得ようとしたためであると論じた。
53
W.リップマンは、少数支配は共産主義社会を除くあらゆる社会に共通に見られる現象であり、それらの社会におけるいかなる政治体制においても消滅することはないと考えた。彼は、支配エリートは固定的ではなく、時代とともに交代すると指摘し、これを「エリートの周流」と呼んだ。
W.リップマンは、マスコミが構成した疑似環境を、大衆はステレオタイプ化した理解しかできず、合理的な判断ができないため、政治により直接的に接している「インサイダー」である職業的政治家の意見に無条件に従ったほうが良いとした。
54
R.ミヘルスは、19世紀後半に、民主主義とエリート主義は両立するとした上で、民主主義を有能な指導者選出のための手段であると論じた。彼は、実質的・能動的に政治を担うのは政治エリートであるが、人々は、競争する政治エリートのうちの誰に政治を委ねるかを選ぶ能力があり、自らの指導者となり得る人材を選挙によって選出することができると考えた。
R.ミヘルスは、ドイツ社会民主党に焦点をあてて、民主的な理念を実現しようとした組織でも、少数者支配になることは不可避であるとする「寡頭制の鉄則」を提唱した。なお、本肢は、J.A.シュンペーターに関する記述である。
55
エリート主義においては、公共政策は少数のエリートによって独占的に決定されていると考えるのに対し、多元主義においては、政治社会は多種多様な利益団体から構成されており、様々な団体が競争して、互いに牽制したり調整したりしながら政治過程に参入して、政策決定に影響を及ぼすと考える。多元主義の論者の一人として、R・ダールが挙げられる
妥当である。R.ダールは、ニュー・ヘヴン市の地域政治研究によって、政治、経済、教育、福祉など政策争点ごとに異なるエリートが存在し、エリート間の競争によって公共政策の均衡が保たれるとする多元主義を提唱した。
56
代表的リーダーシップは、指導者が大衆の利益の代表者として自らの立場を確立するが、価値体系の安定している政治社会には成立しない。
代表的リーダーシップは、価値体系が安定した政治社会において成立するリーダーシップであるため、大衆は生活様式や価値体系の全面的な変革を求めることはない。
57
制度的リーダーシップでは、指導者は大衆利益の充足という利益感覚の延長線上に課題を設定し、課題解決の方向は価値体系の全面的転換を企図する。
制度的リーダーシップは代表的リーダーシップと同義である。したがって、「価値体系の全面的転換を企図する」とする記述が誤りである。
58
投機的リーダーシップでは、指導者は大衆の不満を充足させるため矛盾した公約を濫発するが、既存の価値体系そのものを変えようとはしない。
妥当である。投機的リーダーシップは、大衆の不満を対外戦争やスケープゴートにはけ口を求めるため、価値体系そのものを変えようとしない。
59
創造的リーダーシップでは、指導者は強力な理論体系やイデオロギーによって武装するが、価値体系の変革をめざさない。
これまでの生活様式とは別のヴィジョンを提示することで「価値体系の変革」をめざし、大衆の支持を集める類型が、創造的リーダーシップである。
60
N.マキアヴェリによると、権力を獲得し、維持するために君主は誠実であることが求められることから、反道徳的な政策を常に慎まなければならない。また彼は、権力の発揮に必要な軍隊について、当時のフィレンツェにおける自国民からなる軍隊の士気が低かったことを懸念し、外国人を主体とする傭兵制度を導入すべきだと主張した。
「反道徳的な政策を常に慎まなければならない」とする記述が誤り。N.マキアヴェリは、君主は国家の維持とその発展に寄与することが使命であるため、目的の実現のためには、倫理的価値判断を捨象し、策謀や暴力を用いるべきであるとした。また、金で備う傭兵制度ではなく、「自国民からなる軍隊」の必要性を主張した。
61
M.ウェーバーは、支配者による物理的暴力行使を正統であると、被支配者がみなさなければ支配は安定しないと考えた。また、政治にとって決定的な手段は暴力であることから、政治に携わる者は権力行使がもたらした最終的な結果に責任をとる覚悟(責任倫理)を持たなければならないと説いた。
妥当である。M.ウェーバーによると、権力とは、ある社会関係の内部で他者の抵抗を排してまでも自己の意思を貫徹する可能性であり、支配とは権威に支えられた権力関係である。 そして、支配と服従関係が成立するためには、服従者が支配者の権力を正当なものと認めて自発的に服従しなければならないとされる。
62
K.マルクスは、早くに市民革命が起こった国家においては資本家階級が強大な権力を持ち、その資本家階級を支える資本主義経済が内部矛盾から必然的に恐慌という形で破綻することはないと考えた。そのため、労働者階級が共産党の下に団結し、選挙という手段を用いて資本家階級から権力を奪うべきだと主張した。
K.マルクスは、私有財産制度に基づく資本主義経済が、資本家階級による労働者階級の自由と権利の搾取を行い、一方的な支配服従関係を続けていくものとしている。この状況を改善するためには、労働者階級が団結し、共産主義革命という手段を用いて、私有財産制度をなくし、一切の支配服従関係のない社会の実現が訪れるとした。
63
辻清明によると、戦前の日本の官僚制の特徴は、第二次世界大戦の敗戦を境に、戦後には継続されなかった。その上で彼は、戦後、特権的官僚制を改革し民主化することが日本の民主化の最大の課題であり、そのためには、後見性の原理に基づく家産官僚制を新たに構築する必要があると主張した。
辻清明によると、戦前日本の官僚制には、後見性の原理に基づく家産的官僚制の性格が残っており、戦後においても継続されていた。したがって、戦後において官僚制を民主化するためには、首の特権意識を民主化することが最大の課題であるとした
64
C.シュミットは、議会とデモクラシーの結び付きを強調した上で、同質性を体現する議会制民主主義を擁護した。また、デモクラシーを守るための時限的な独裁は認められないとして、政治における本質は自由主義であると主張した。
C. シュミットは「現代議会主義の精神史的地位」のなかで、民主主義と自由主義は本来相容れないものであり、民主主義にとって本質的な要素は治者と被治者の同一性であると定義し、民主主義は絶対主義や軍国主義、独裁制と対立しないと論じた。
65
K.マンハイムは、あらゆる社会集団や社会的条件によって制約された思想をイデオロギーとよんだ。また、イデオロギーを現実を隠蔽する意識とするのに対し、実際の行為に結び付き支配的な事物の秩序を破壊する傾向がある意識をユートピアとよんで、イデオロギーとユートピアを区別した。
妥当である。K.マンハイムは、人間の知識や意識は、その人の置かれているさまざまな社会的諸条件によって制約され拘束されることを、存在被拘束性とよんだ。その意識が現実の安定化につながる場合を「イデオロギー的」、逆に現実を超越し変革を求める場合を「ユートピア的」と区別した。
66
D.ベルは、「イデオロギーの終焉」論において、冷戦の終結によって資本主義対社会主義といったイデオロギーの対立が決着したのみならず、世界にはリベラリズムに対抗する有力なイデオロギーはもはやなくなったと唱えた。これに対した。フクヤマは、『文明の衝突』において、宗教原理主義を始めとした新たなイデオロギーがリベラリズムを脅かしていると主張した。
「文明の衝突』を著わしたのは、S.ハンテイントンである。ハンティントンは、ポスト冷戦の世界では、イデオロギー対立に代わり異なる文明間の衝突が主たる紛争要因になると主張し、西欧対非西欧、とりわけ西欧文明とイスラム文明の対立が激化すると述べた。
67
ベントリーは、「政治における人間性』を著し、主知主義的人間観を批判し、人間の非合理的要素を含めて政治を分析すべきだとして、政治研究に心理学的アプローチを導入した。
本肢はウォーラスの大衆社会論に関する記述である。ベントリーは「統治過程論」を著し、政治現象を集団の相互作用に通じて社会の均衡化をめざす過程と捉え、グループ・アプローチを提唱した。
68
アドルノは、「自由からの逃走」を著し、精神分析的手法を応用してドイツ社会を観察し、ナチズムの心理的基盤として、ドイツ人の社会的性格が権威主義的性格とみなせるとした。
本肢はフロムの社会的性格に関する記述である。アドルノは『権威主義的パーソナリティ』を著し、その特徴として、伝統的因習に対する無批判的同調、権威的存在への非合理的服従弱い人々に対する攻撃性などをあげている。
69
ペイトマンは、先進諸国では経済的、身体的安全を求める物質主義的価値観から、帰属、評価、自己実現への欲求を重視する脱物質主義的価値観への意識の変化が認められるとした。
本肢はイングルハートの『静かなる革命』に関する記述である。ペイトマンは「参加と民主主義理論」を著し、政治参加のみならず、職場や地域などの直接的参加を拡大することで、政治的有効感が高まると主張した。
70
ラスウェルは、政治的無関心を無政治的態度、脱政治的態度、反政治的態度に3分類し、このうち脱政治的態度とは、経済、芸術など政治以外のものに関心を集中する結果、政治に対する関心が低下するものであるとした。
前半の記述は正しい。後半の記述は、無政治的態度の説明である。脱政治的態度は、かつては政治に関与したものの、自己の期待を充足することができず、政治に幻滅を抱き政治に対して関心を示さなくなった場合を指す。
71
R.イングルハートは、物質主義的価値観と脱物質主義的価値観を表す指標を用いて、国際比較世論調査を行った結果、脱工業化が早くから進んだ国ほど、また若い世代ほど、脱物質主義的価値観を持ち、古い世代ほど物質主義的価値観を持つ者の比率が高くなることを発見した。彼は、1960年代後半から1970年代に先進国で多くの中上流階層の若者が学生運動に走ったことについて、脱物質主義的価値観の影響によるものであったことを提示した。
妥当である。イングルハートは、先進国では脱物質主義的価値観(言論の自由や環境保護など)を持っている者の比率が上昇していることを指摘した。
72
R. パットナムは、イタリアの各地方での実証研究を通じて、その地方におけるメンバーが共有する人間関係の凝集性や社会参加の度合いに着目し、そういった社会関係資本(socialcapital)が政治システムの業績に影響を与えることを示した。また、彼は、米国における自発的結社が1990年代に入って次々と生成している事実を示し、社会関係資本の強化と市民の政治への参加意欲の高揚が米国社会で広く見られることを指摘した。
前半の記述は正しい。パットナムは、「孤独なボウリング』で現在のアメリカで「ひとりぼっちでボウリングをする」ことが増えていることに見られるように、共同体が衰退し、市民参加の機会が減少していると論じた。
73
アーモンドとS、ヴァーバは、1960年代に米国、英国、西ドイツ、イタリア、メキシコの5か国で参与観察を行い、政治文化の比較を行った。彼らは、政治文化を未分化型、臣民型、参加型の3タイプに分類したうえで、これら三つが混在した状態は民主政治の不安定化につながると説いた。
後半の記述が誤り。G.アーモンドとS.ヴァーバによると、メキシコは未分化型、西ドイツとイタリアは臣民型、米国と英国は参加型に分類される。さらに、民主主義的な政治システムを安定させる政治文化を、臣民型と参加型の程よい混合に求め、これを市民文化とよび、アメリカとイギリスが該当するとした。
74
E.フロムは、「自由からの逃走』において、世論調査データの分析結果から、ドイツ人が自由主義的性格を強く持った民族であると主張した。この研究を批判したT.アドルノは、精神分析的手法を用いてドイツ社会を考察し、ナチズムの心理的基盤となった、ドイツ人の権威主義的性格について指摘した。
前半の記述が誤り。E.フロムは、精神分析的手法を用いて、ドイツの中下層階級の人々はドイツ帝政時代に、権威主義的性格が形成されたと指摘した。ドイツ帝政の崩壊により権威から解放された人々は、かえって心のよりどころを失い、何か他の権威にすがることを求めた。フロムは、このようなドイツ人の社会的性格がナチズムの原因であると述べた。
75
三宅一郎は、「政党支持の幅」という概念を用いて、日本人の政党支持態度の特徴を説明した。彼によると、日本の有権者は、特定の政党を安定的に支持し続ける傾向があるという点で、支持の幅が狭い。三宅はまた、日本では、絶対に支持したくないという「拒否政党」を持つ有権者が存在していないと主張した。
日本の有権者の多くは、「特定の政党を安定的に支持し続ける傾向」よりも、無党派層の割合が高く、そうした無党派層も選挙によって、支持政党を持ったり持たなかったり、ある政党から別の政党へ支持が移ったりすることもある。また、「拒否政党」を持つ有権者も存在す る。
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