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中華人民共和国〜社会主義はなんとやら〜

中華人民共和国〜社会主義はなんとやら〜
20問 • 2年前
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    問題一覧

  • 1

    Aに勝利した後の中国では、46年6月から49年12月までBとCによってDが行われていた。27年から第1次は行われていたが、Aを受けて停戦していたものの、再びDが始まった。 なお、45年8月にはBのEとCのFはGで会談を行ってはおり、10月10日のHで内戦の回避とIの開催で合意した。 しかし翌年1月10日、CがJを実施し利息を減額。民主の支持を広げ、力を強めたことで、アメリカのKは危惧。彼の斡旋によりDは避けられるかと思われたが、ついに破綻を迎え46年6月にDに突入した。 当初こそBが圧倒的優位で、Lと改称したCが解放区の防衛にあたっていたが、B軍によるCの拠点Mの攻略は、Cをソ連に近づけることに繋がり、東北地方を基盤としてLは体制を立て直し、49年12月までにBはほぼ降伏した。なお、Fは北京に入城する際、Nの二の舞になるまいぞ、と誓った。

    日中戦争, 中国国民党, 中国共産党, 国共内戦, 蒋介石, 毛沢東, 重慶, 双十協定, 政治協商会議, 減租減息, マーシャル, 人民解放軍, 延安, 李自成

  • 2

    中国共産党の軍組織は、1927年からはA、国共合作時代にはB、Cなどと言われていたが、日中戦争後は国民党のDに対抗したEとして成立した。 なお、これの指揮官から中央政界に進出した人物にFやGがいる。49年10月1日の中華人民共和国建国以降、その直後に始まったHでは毛沢東はIを派遣したが、それにEの軍人は加わり、アメリカの最新軍隊と戦っている。 これを経て、技術革新の必要性が求められ、現代化を推進していった。56年、フルシチョフのスターリン批判でJが表面化すると、一方で問題が起きていたKを巡った解放戦線として、EはLやMに砲撃を本格的に開始。K海峡の危機が深まった。 58年には、毛沢東がNを号令、中国は現状を無視した国家統制を行われた。その後、毛沢東に対しNの誤りを宣言した国防相、彭徳懐は解任され、変わって就任したのがOだった。 彼は彭徳懐が解任されることとなるP以降の後任として、毛沢東に忠実であったが、近代化と真逆をいく、いわゆるゲリラ戦の強化を強めた。が、一方で64年にはQに成功しており、二股路線をとっていたことがわかる。66年、Rでは毛沢東がOを自らの後継者としていた。 67年には初めてSを成功したが、69年にはソ連とTで衝突した。 しかし、71年衝撃の事件が起きる。Oが突如ソ連への亡命を桑田って、その過程でモンゴルで墜落死してしまった。その先月には密かにアメリカからキッシンジャーが派遣されており、国際関係は大きく変化した。 なお、Eが人民のための軍隊ではなく、党のための軍隊だと明らかになったのが、89年6月4日の第2次天安門事件だったのは、いうまでもない。

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  • 3

    1949年9月、46年1月の国民党、共産党による国家統一会議、Aが決裂していたことから、共産党はBを開き、共産党以外の党派も加え、Cの樹立を決議した。 これは毛沢東本人によるDという指針が枢軸にある。Dとは、毛沢東自身が考えた独自の革命形態で、それは共産党一党独裁ではなく、民主主義党派との協力による社会主義国家の形成によるものであるはずだった。これはポーランドのEが掲げていたFに似たものであった。 成立したCは首都を北平からGに改名し、49年10月1日にはHに集まった人々に対し、毛沢東が壇上に登り建国を宣言した。 こうして築かれた人民政府は、政府主席をI、副主席には朱徳、Jなどの共産党以外の人物、そして政務院総理にKが就任した体制だった。なお、現在の国歌でもある義勇軍行進曲は、元々は35年に日本の華北分離工作に反発したLという反日運動の際に歌われていた曲である。 なお、この国共内戦と共産党勝利の時期は、東西冷戦始まりの時期で、49年にはNATOが成立しているなど、明確な二大陣営の形成期だった。そのような中で、台湾に渡っていた国民党政権はアメリカと仲を深めており、毛沢東はソ連との関係を深める必要があった。49年12月、スターリンの70歳を記念にモスクワを訪問した毛沢東は、翌年2月にMを締結。国民党≒アメリカという構図が共産党内に根付いているのは間違いない。 なお、国民政府とソ連が第二次世界大戦の末期(8月14日)に結んでいるNはこの時に破棄された。また、この同盟でソ連は技術支援等を約束し、中国側も譲歩によってソ連に対してはOの経営権とPの駐兵権を対日講和までは認めるとした。 49年の建国直後、Cはソ連や東欧諸国、インドからは承認されていたものの、西側諸国には認められていなかった。しかし、50年にQ領有存続のためにRが認めると、64年に独自外交路線大統領によりSも承認。 アメリカや日本は台湾を巡った問題で長く認めていなかったが、ベトナム戦争の泥沼化が問題となっていた72年、訪中したTによって79年には正式に国交正常化がなされた。

    政治協商会議, 人民政治協商会議, 中華人民共和国, 新民主主義論, ゴムウカ, 人民民主主義, 北京, 天安門広場, 毛沢東, 劉少奇, 周恩来, 十二・九学生運動, 中ソ友好同盟相互援助条約, 中ソ友好同盟条約, 中清鉄道, 旅順, 香港, イギリス, フランス, ニクソン

  • 4

    1945年8月、第二次世界大戦の終結により、日本の植民地支配が終わった朝鮮は、アメリカとソ連の介入を受けてしまう。 43年11月のAで「朝鮮は適当な時期に独立する」こと、45年2月のBではアメリカの信託統治案が出されており、8月24日にはソ連が平壌に入りCで分けた分割占領が提案された。 この不当かつあまりに身勝手な取り決めは朝鮮半島の人々を激怒させた。かつ、このころ、中国でDが起きており、米ソでの会談さえ行えず、その間に北側で足固めをしていたのがEだった。彼は社会主義改革に着手しており、戦時のFで英雄となった人物だった。一方の南部では民衆が武装蜂起を行い、米軍と右派によって殺されてしまうGが起きていた。 統一政府を作ろうとしていた勢力もいたにはいたのだが、右派であったHの手先によって殺され、アメリカとHによって1948年8月15日、南部でIが成立してしまう。なお、Hは1919年、上海で結成されたJで大統領に選ばれており、Iでも大統領だった。 これに北は対抗し、Eが48年9月9日にKを樹立し首相に就任した。こうして、北と南、それぞれに別々の国家が成立。翌49年、中国共産党による中国統一の報を受けEが統一を目指し行動を開始。50年6月25日、ついに朝鮮戦争が始まってしまった。 北軍はCを越え韓国に侵攻。国連のLは緊急で会議を開いたが、M問題で中華民国政府に対して攻撃を行いアメリカと対立を深めていたソ連がボイコットしていたため、トルーマンを中心に会議は進み、アメリカ軍単独派遣が行われることになった。 北朝鮮の軍隊はソウルを占領し、その後Mまで迫るも、Nの派遣と統一司令部のマッカーサーによって状況は反転した。 しかしその後は中国側のOによって中国軍も参戦し、1953年、アメリカ大統領がPに、ソ連でQが亡くなったことを受け、Rを板門店で調印し戦争は終了した。 が、これはあくまで休戦しているに過ぎない。それは、今現在でも変わっておらず、第二次世界大戦の忘れ物は、今もまだ日本の隣国に存在するのである。 Kの終了後、北ではEが独自理念、Sを掲げ、反対派撲滅と個人崇拝を説いた。(先軍政治による軍事優先) 一方、南ではHが大衆からの支持を徐々に失い、独裁政治に反対する国民の手によって、Tで大統領辞任に追い込まれた。

    カイロ宣言, ヤルタ会談, 北緯38度線, 国共内戦, 金日成, 抗日武装闘争, 済州島四・三事件, 李承晩, 大韓民国, 大韓民国臨時政府, 朝鮮民主主義人民共和国, 安全保障理事会, 釜山, 国連軍, 中国人民義勇軍, アイゼンハウアー, スターリン, 朝鮮休戦協定, 主体思想, 四月革命

  • 5

    ソ連が設立した朝鮮労働党を基軸として成立した朝鮮民主主義人民共和国は、1960年代、AによってB(C)思想が掲げられ、個人崇拝と先軍政治が加速した。70年代には日本人拉致事件などが起きている。 80年代には、アメリカのDが米ソのE構造を形成し朝鮮半島の緊張が高まったが、冷戦の終結が行われた80年代末期には南北対話が始まり、91年、南北同時にF加盟が行われた。しかし、94年Aに変わって即位した息子のGは反米姿勢を崩さず、先軍政治を行なったため、世界の流れと逆行していた。 しかし、2000年6月、Hを掲げていたIが大統領として北朝鮮に訪問、Gもそれに応じると、首脳会談が実現した。2002年には日本のJ首相とKを発表し、国公正常化への道が開かれるかと思われたが、やはり先軍政治による内政は世界的に支持を獲得できず、アメリカやLによって核開発を指摘されると、Mを脱退してしまった。 国際的な不安材料である朝鮮民主主義人民共和国に2011年に次男のNが即位する。彼は若い指導者で、外交改善が期待されるも、今まで通りの政治を行い社会からの不満は増すばかりだった。2014年には日朝によるOが行われるも、その後も開発をやめないNの姿勢はいまだ社会の敵として扱われている。なお2018年にはPによって史上初の米朝首脳会談がなされ、翌年にはPがQを訪れている。

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  • 6

    大韓民国では、朝鮮戦争の後も政権を握っていた李承晩の独裁政治が民衆の反感を買うと学生たちのAで李承晩が倒れ、しかし、翌年軍人のBがCを起こすと軍政となった。Bは北との対峙の中、経済開発を軍事独裁の中で推し進めるDを行った。(李承晩も行ってはいた。他に、フィリピンのE、インドネシアのF、イランのG、タイのHなどが行っている。反共産を掲げており、このDに資本を投下し、高度経済成長を成したのが日本である。なお、のちの鄧小平以降の中国も一種のDであると言える。) 63年、大統領に就任したBは、韓国経済復興こそが独裁の必要条件であると理解しており、そのためには外国の経済支援が不可欠だった。支援先として最有力であった日本との国交樹立を考えたBは、交渉を開始するも、64年には学生の中で反対運動が起こる。 65年、ベトナム戦争が激しくなると、アメリカの支援にまわり、韓国軍をベトナムへ派遣。その見返りとしてのアメリカの経済援助を日本が肩代わりする形で、6月にIが結ばれた。 これによって日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であることを認め、しかし1910年のJとその論拠であるKが武力である威嚇だと主張したB側の戦後賠償で揉めたため、この問題はいまだに禍根を残している。 が、日本の支援とベトナム戦争の特需を背景に韓国は、急成長を成し遂げることができた。69年、Lによってアジアから米国が撤退する意向が明らかになると、韓国は防衛力強化のため、産業基盤を確立させた。 67年、71年と民主運動家、Mと選挙で戦いつつも勝利したBは、憲法を改正し、大統領の選出を間接選挙にする、というNを作り上げ、73年にはMを東京で拉致するOを起こし妨害した。 このように、Bが国家を完全に掌握しつつも、韓国が経済急発展を遂げたこの現象は、Pと呼ばれ、77年には建国以来初めて国際収支の黒字に転換。78年には先進工業国諸国の協力機関、Q(R)にその業績を評価され、新興工業生産地域(S)の一つと位置付けられた。(香港、台湾、シンガポール、またブラジルやメキシコのこともさす) 韓国では財閥も生まれ、韓国は完全に先進国の仲間入り、そんな噂も囁かれていた79年、人権外交の観点からカーター(米軍を韓国から撤退)が韓国批判を強めると、政権内部の矛盾から中央情報部部長によって、Tが起こされ韓国は混乱し、ソウルの春と呼ばれる民主化の動きが起きた。

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  • 7

    朴正煕の暗殺後の韓国では、民主化の動きが高まる。(A) しかし、翌1980年5月、軍を掌握したBはCら民主化運動家を逮捕し、国家統制を図る。 彼はクーデターを起こし軍政を開始し、民衆反乱のDを軍事鎮圧した。1987年6月、全国で100万人を超える学生・市民が民主化運動を起こすと大統領選挙が朴正煕時代の間接選挙から直接選挙へと変えられ、大統領には同じく軍人のEが選ばれた。 この頃に経済成長は続き、その象徴として88年にはFを開催した。91年9月には、冷戦終結を祝し、Gとともに国際連合へ加盟している。5年ごとに開催されることとなった選挙で、92年、ついにHが当選する。 彼は民主化政策を進めようとしていた人物で、軍人のBとEを犯罪者であるとして有罪にした。南北対話を模索するも、Iの死去によって関係改善は難しかった。 なお、彼は96年、先進国クラブと言われているJに加盟し、周辺をK的なエコノミストで固めていた。95年、Lが発足すると、農産物の大幅な市場開放措置を取り、国際競争力をつけるために国家介入を行うようになり、これらは農民と労働者から激しい弾圧を受けた。しかし97年、タイのMからアジア全体へ、Nが起きてしまう。 韓国はこれによって、ブレトン=ウッズ会議で設立されていたOへの参加を余儀なくされた。急速な経済成長の唐突なストップ、その処理にあたることになったのが、長らく民主化運動で戦っていた同党の人物でHのライバル、Pだった。 なお、民主化運動に迎合したH、Pの政権を非軍事政権、Qと呼ぶ。

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  • 8

    1998年、大韓民国で金大中が大統領となった。 彼は独裁政治と長らく戦っており、Aの管理体制下で構造改革を模索し、2000年には経済危機から韓国を救ったが、市場原理主義の新党は、格差の拡大と政治の保守化、若年層の無関心をもたらした。 彼は、外交ではBを持ち出し北朝鮮との関係緩和を模索し、2000年6月13日、Cに訪問し、Dと初の南北首脳会談として、Eを発表した。その功績によって彼はノーベル平和賞を受賞している。 2002年には日韓でのサッカーワールドカップ共同開催、日本文化の解禁で、日本でも韓流ブームが起こった。 その後をついだFは、諸政治の引き継ぎを行った、韓国初、戦後生まれの大統領で(WW2の話、46年生まれ)歴史の見直しのために民主化の確立を掲げた。しかし平和的な価値観を持っていると言っていた割にはGでアメリカを支援していたため人気にかげりが出始め、第2回南北首脳会談を行うも、Dがそれによって自信をつけ核実験を強行したことが批判された。 その後は保守派が続き、初の女性大統領Hが2012年に当選するも、Iの娘としての期待の割には対応が悪く、財閥との癒着が明るみになったことで初めて弾劾。Jが当選することとなった。 Jは2018年、Kで開かれたオリンピックを契機に北との会話路線に踏み切り、板門店で会談を行った。金正恩をロケットマンとして批判していたトランプも、Jの会話路線を受け密かに交渉を始め、Lで初めて米朝首脳会談が開かれた。

    IMF, 太陽政策, 平壌, 金正日, 南北共同宣言, 盧武鉉, イラク戦争, 朴槿恵, 朴正煕, 文在寅, 平昌, シンガポール

  • 9

    朝鮮戦争が各国に与えた影響は計り知れない。アメリカはそれまでの封じ込め政策から、アイゼンハウアー大統領によるAへと政策を転換し、Bは終了し、その代わりとして経済援助を行うものの軍事協力の義務を負わせるC(D)になった。アメリカは対中国包囲網として、51年にフィリピンとE、太平洋地域諸国とF(G)、日本とH、韓国とI、東南アジア諸国、および英仏とJ(K)、台湾とL、中東5カ国とM(N)と、このような順番で包囲網を形成。アジアでは、日本ー韓国ー台湾ーフィリピンータイーパキスタンーイランーイラクートルコが共産圏包囲網として敷かれた。なお、インドは米ソいずれにも加担していない。 この包囲網、そして日本の再軍備を受け、毛沢東は方針を転換。それまでのOからPなどによる急進社会主義へと駒を進めた。 そのほか、朝鮮戦争は、日本にQをもたらしたことでも知られる。

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  • 10

    日中関係は、朝鮮戦争を経て、より複雑になっていた。アメリカは共産圏に備えたAを当時のB首相に言い渡した。これは、ポツダム宣言以降平和と民主主義の国家だった日本が、C(GHQ)のマッカーサーによって自衛権を認められたもので、のちに自衛隊となるDが設置された。51年のEでは、ソ連の反対を押し切り対日講和会議が行われ、Fに各国が署名し日本の主権は回復した。(ソ連は署名していない。) これが中国において、日本を敵視するものとなってしまったのは、しょうがないこととも言える。Fと同日に日本はアメリカとGを結び、日中国交正常化は遠のき、国交が正常化するのは1972年のこととなった。これは72年、Hが起こったことで慌てた日本政府が、I首相のもと毛沢東、周恩来と会談し、Jを発表したことでついに結ばれたもので、だがしかし52年、日本がKと結んでいたLはこれによって無効となっている。 78年にはMが締結され、終戦から33年、ついに日中国交正常化がなされた。なお、J当時の中国はNの直後でOが混迷の度を深めており、外交による転換期であり、76年、Pが死去、77年Qが復権し、Oが終了したことで、中国のR政権と日本の福田内閣が妥協し結ばれたものである。なお、Qは副首相として来日している。

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  • 11

    朝鮮戦争は中国国内に強いインパクトを与えた。50年6月、地主制度の撤廃を掲げた中国では、Aが交布され、BをトップとするCが設けられた。また、反革命の取締と、三反五反運動を展開し、不正手段の廃止と国家の絶対性を確立した。 53年6月、Dが策定される。これは対共産主義包囲網によるもので、今までのEとは異なった急ぐ社会主義化によるものだった。農民は当初は生産手段は私有化されているFでの集団耕作を行なっていた。 こうして、政策を大きく変えた中国は、1954年9月、Gを公布する。建国時のHに代わり最高立法府が全国人民代表大会になり、この憲法で中国の最高権力者がIという地位に立ち、毛沢東がその最初であることが決まった。 なお、56年には識字率向上のため、Jが制定されている。

    土地改革法, 劉少奇, 土地改革委員会, 第1次五カ年計画, 新民主主義論, 合作社, 中華人民共和国憲法, 人民政治協商会議, 国家首席, 簡体字

  • 12

    朝鮮戦争休戦後、中国は平和共存路線を歩むことにした。54年9月にはソ連のフルシチョフと友好関係を強め、首相であるAは54年4月から、戦後最初の国際会議、Bに出席していた。 彼は優れた外交手腕を発揮し、4月29日、清のCとなって中国の支配を受けてはいたものの、その後は中国軍の進駐する形となっていたDをめぐるD問題でインドのEと協議を重ね、遵守すべきFを定めた。 (なお、このD問題は59年のチベットの反乱でGがインドに亡命したことで再熱し、62年のHの原因となった。その後は、モンゴル人のI自治区、ウイグル人のJ自治区に並ぶ自治区としてチベットは中国内に属すこととなった。89年、鄧小平政権の中、Kで暴動が起こるも、結果分離独立はできなかった。) 55年5月には、アジア諸国民会議の場で、Eと共同でGを提示した。 (Gは領土と主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存) さらにAは同年4月にインドネシアのLの招集したMに参加しており、GをNに発展させた。 61年にはユーゴスラヴィアのティトー、およびナセルなどが開いたOにも参加した。 Aの外交によって、中国は第三世界のリーダーとして力を持った。 が、なぜ米ソどちらにも属さなかったか。それはPでフルシチョフが発表したスターリン批判にある。56年、政治報告を行ったQと、当規約改正報告を行ったRは、ともにスターリン批判を受け止め、近代化への道を望んでいたが、元首毛沢東はそうではなく、S・Tを提起し大衆に対して自由な政治批判を呼びかけた。この中で共産党批判が起こると、言わせておいて毛沢東は反右派闘争を行った。 なお、この頃、ハンガリー反ソ暴動が起こっており、一党独裁体制はすでに揺らいでいた。

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  • 13

    1958年5月、毛沢東はAの実施を支持した。これはB・総路線・Cの3テーマによる農村集団化の徹底を掲げたものだった。東欧諸国のポーランド、ハンガリーでの自由化運動を恐れたものだと考えられる。 Bでは、鉄鋼や農作物の大増産が目標とされたが、品質は無視されていた。また、農村に粘土で窯を築くDが用いられたものの、これは実際、粗悪な鉄鋼しか作れず燃料の石炭不足をもたらした。(このような急激な動きは、58年の台湾海峡危機(E・F砲撃)59年のGを契機に起きたインドとのH、ソ連とのI破棄による中ソ対立が原因である。) また、Cは農村に建てられたもので、農民はそこで集団労働と生活をしなくてはいけなかった。食事を家族で摂ることも許されず、労働意欲は低下していた。 この急速な行動の批判は、毛沢東さえも国家主席退任の意向を固めさせた。1959年4月、Jが国家首席になる。しかし、共産党主席の地位は未だ毛沢東のままだった。JはKら共産党の実務官僚とともに経済再建に取り組み、Bの誤りを認め生産力回復に尽力した。 59年7月、毛沢東をLで批判したMは解任させられてしまい、その代わりとしてNが就任する、とのちの文革の布石はすでに貼られていた。 Bの失敗は食糧不足に現れ、大飢饉が訪れた。

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  • 14

    毛沢東に変わり国家主席に就任した劉少奇は、鄧小平と協力し、大躍進の失敗を認めつつ社会主義路線を大幅に修正した。生産意欲の向上のため国家は苦しい思いをするも、調整施策によって生産力の向上を狙い、経済は実際回復に乗った。この頃、鄧小平は「白い猫でも黒い猫でもネズミを獲る猫が良い猫だ」と述べている。この時期、標語としてAが語られ、ソ連との決別が描かれた。 この時、毛沢東は表向きは異を唱えなかったものの、社会主義化から逸れようとしている現状に警戒しており、不満を抱いていた。 57年11月に、毛沢東はモスクワを訪問したが、そこでも両者の対立は激化してしまった。 なお、中国とソ連との対立関係は、この頃、1959年3月のBを契機とするCでソ連がインドを支援したこと、59年6月にDが破棄されたのち、64年に中国がEを成功させたこと、69年のFがある。なお、キューバ危機でも弱腰だったフルシチョフを糾弾した。 アメリカとも58年のG・H砲撃や64年のアメリカ軍によるIへの空爆で対立している。

    自力更生, チベット反乱, 中印国境紛争, 中ソ技術協定, 核実験, 中ソ国境紛争, 金門, 馬祖, 北ベトナム

  • 15

    毛沢東は国内外の社会主義修正を危険視していた。 1965年11月、上海の新聞内で、ある評論家がブルジョワ的中国の台頭を危惧している、という論文を出した。これを受け、毛沢東が始めたのがAだった。この動きは、翌年である66年、学生を中心に大きくなった。そのため、66年からのほぼ10年間をAと呼ぶ。学生は毛沢東を支持し、Bとして運動を開始した。この時、スローガンとなったCは自分たちを正当化するものとして有用だった。全国で激しい破壊運動を行った彼らのCは、68年、フランスで起きたDやアメリカでのE、さらに日本などでの学生運動に付随するものだった。東大闘争でもCが掲げられていた。 毛沢東は、はるか昔、フランスで起きたFの中国における宣言書である、とし彼らを奮起させ、その始まりの場所はGの跡地であったとされる。 1966年8月18日、Hが毛沢東を讃え、彼らBに旧体制破壊を呼びかけると、行動は大規模になり、68年10月には劉少奇国家主席は除名されてしまった。 しかし、68年毛沢東の後継者と呼ばれていたHが国外逃亡を図り失敗するH事件が起こると、代わって権力の中枢を占めたI率いるJと、残る実力者Kとの間で対立が起きた。JはHの謀反を理由にHと、国民党の思想でHやKの思想のもとである、としてLを批判したMを展開する。(LがNの政治を理想としていたことを、Kの名前とかけたと思われる。下品。) 一方のKは、国家回復のために73年、Oを復帰させ、71年にはPを、72年にはQを迎え、国交回復に尽力している。また、日本のR首相とはSを締結し国交を正常化させた。

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  • 16

    周恩来は四人組との対立の中でも鄧小平とともに国家発展を進め、20世紀のうちにA・B・C・Dを成長させ、「E」を目指すことを発表した。これはかねてより彼が目標として掲げていたもので、これに対して江青(裏には毛沢東)は反発していたが、この頃から毛沢東も体力の衰えが目立っていた。 そんな中、1975年の1月13日、Fが死去する。国民は悲しみ追悼の花を添えたが、四人組はその花を撤去してしまい、民衆は憤りのあまりにGを起こした。(Hともいう。) 政府は暴動とみなしこれを鎮圧し、さらにIに事件煽動の罪をなすりつけ、解職した。 7月6日には長年毛沢東を支えてきた朱徳がなくなり、8月28日には大地震が発生、甚大な死者が出る中で、1976年の9月9日、Jが死去した。 彼の死後、果たして誰が政権を握るのか。後継者として即位したのは、生前毛沢東の支持を受けていたというKだった。即刻四人組は逮捕され、1977年の8月、KはEの建設を目指すことを宣言した。これによって正式に、文化大革命は終了した。 中国は、ニクソン訪中以降国際舞台に進出していたものの、一方でソ連との関係を強めたLとは、L戦争終結後関係が悪化し、当時中国がMのNを支援していたのにも関わらずLがNを攻撃したことで、79年にOを起こした。しかし、強い抵抗の結果短期間で失敗してしまう。この責任は全て、Kになすりつけられ、長らく国家に協力し、弾圧され続けていたPが全権をにぎり、中国は新時代に突入した。

    農業, 工業, 国防, 科学技術, 四つの近代化, 周恩来, 第1次天安門事件, 四五暴動, 鄧小平, 毛沢東, 華国鋒, ベトナム, カンボジア, ポル=ポト, 中越戦争, 華国鋒, 鄧小平

  • 17

    1977年、華国鋒政権は文化大革命という過去の清算が未だできずにいた。そんななか中央に復権したAは、華国鋒の教条主義的姿勢を非難しつつ徐々に力を強め、翌年社会主義下での経済発展、Bを打ち出し、中国という国の形は変容した。 彼の主導した中国共産党は、1978年12月18日、歴史的転換とも呼ばれるこの日に華国鋒を解雇し、Bを打ち出した。 これは政治では一党独裁体制を敷くものの、市場経済を自由化するものだった。今までと異なり外国の技術の導入は認められ、そのような拠点、Cを設けることが約束された。いわばCは、社会主義の中の資本主義地域だったのである。 80年11月、まずAは公開裁判でDを死刑判決し、文化大革命の混乱の責任を負わせ、腹心だったEらとともに討議の結果、歴史決議を採択。文化大革命は「間違っていた」とした。 同時に、中国社会主義の柱であるFの非生産性から、Fの解体を宣言した。 1979年から中国共産党がこのように内政、外交ともに革新を遂げたことは、1979年に起こった各国の状況とも連なる。 世界では、1月にGが起こりイスラーム圏が激動の時代へ。12月にはHが起こり、ソ連解体や同時多発テロのきっかけとなった。 イギリスではIが政権を握り、資本主義はJによる混迷の時代へと突入していた。

    鄧小平, 改革開放路線, 経済特区, 江青, 胡耀邦, 人民公社, イラン革命, アフガニスタン侵攻, サッチャー, 新自由主義

  • 18

    1980年代、中国の最高指導者に君臨したAは、党務をBに、政務をCに任せて改革解放政策を推し進めていた。これは驚異的な経済成長をみせ、82年にBが総書記となった時、行った政治報告では工農業総生産が4倍にまで増加したことが明らかになっている。 中国はこの頃、独立外交と、平和共存五原則を国家の最善の形であるとしており、しかし四つの現代化実現のためには、独裁などDが国家には大切であるとしている。1979年には民主化運動家などブルジョワ自由化を求める動きは率先して弾圧され、そんな中経済の自由化を推し進めるあまり、Bは民衆の動きに迎合してしまう。けれども、Aはそれを許さなかった。Bは総書記の地位を追われてしまい、もう帰ってくることはなかった。 新たに総書記となったCは、改革を行おうとし、「限りなく資本主義に近づいた社会主義」を目指した。(ゴルバチョフ台頭期の87年11月) しかしこの急激な転換は物価の急騰、不安定を招き、そのような流れで、中国の出発点である社会主義運動、Eから70年という節目を迎えてしまったのが、1989年だった。 改革の旗手、Fの訪中が約束されていたこの年、Gが亡くなったことをきっかけに学生たちは運動を起こした。 総書記だったCは学生たちの声を聞こうとしたが幹部の中で孤立し、学生たちの前に姿を現す。けれども学生たちは動かなかった。彼は解任され軟禁。Hは起こってしまったのである。 なぜこの出来事が国際的に大問題になったのか。これはFの訪中が世界的に注目されていたことにある。FとAとの会談がどうなるのか、集まった記者はそこで衝撃な光景を目にし、カメラを通して映像は世界に広まった。89年は東欧革命が進んでおり、Hの同日にはポーランドでIの率いるJが圧勝していたこと、11月にはKが解放され、年末にはLが行われていたことからも、中国の前近代性を露呈させたこの事件の罪は重かった。 けれども、それでもAは屈しなかった。事件を抑え切った後、党官僚Mを抜擢し、自らは従来通り表舞台に立とうとはしなかった。Aは南部の経済特区を訪問し、Nを行うことで大胆な投資と、それに伴う国家回復を図った。 92年には、Mが総書記の座につき、Oの導入を提唱した。これによって、計画経済の要素を残しつつも先進国と同様の経済制度を導入するOは確立し、中国は再び急速な成長を迎えた。 97年2月、Aはその長い生涯を終える。 そんな中、7月にはPの返還が実現した。99年の租借がついに終わったのである。なお、80年代のうちにQがAと交渉を行っており、Pは50年間はRで管理されることが決まっている。 また、12月にはSとの間でTの返還についても合意が成立し、同じく Rが適用されている。

    鄧小平, 胡耀邦, 趙紫陽, 四つの基本原則, 五・四運動, ゴルバチョフ, 胡耀邦, 第2次天安門事件, ワレサ, 連帯, ベルリンの壁, 冷戦終結, 江沢民, 南巡講話, 社会主義市場経済, 香港, サッチャー, 一国二制度, ポルトガル, マカオ

  • 19

    鄧小平の死去により中枢に立った江沢民は社会主義市場経済を進め、2001年共産党創立80年大会でその基本的な性格を国民政党へと返還することを明言した。この時代、鄧小平時代からその片鱗が見え始めていた開発独裁的な側面が表面化したと言える。 2001年にはAに加盟し、2008年にはBでCを開催、2010年にはDでEを開催したりロケット実験を成功させたりと大国としての地位を我が物とした。この間、光沢民からF、Gと国家主席は変化している。が、今でもチベット、ウイグル、モンゴル、台湾、香港では独立の動きがあり、目が離せない。

    WTO, 北京, オリンピック, 上海, 万博, 胡錦涛, 習近平

  • 20

    台湾は、日本軍南進の拠点として、日中戦争、および太平洋戦争で日本の重要な場所として機能していた。しかし、連合軍が43年に結んだAではB、Cとともに中国に返還されるべきとされ、45年のDではそれが確認された。 45年10月、国民党政府は台湾の支配を行う。しかし、国民党の支配は高圧的で抗議運動が各地で起こった。1947年、全島で反乱が起こり多数の死者が出る、Eが起こった。 その後、国共内戦を経て国民党は台湾へ移住。戒厳令を施行し、報道や政党建設が禁止されてしまう、長きにわたる体制が作られてしまった。その後、台湾を支持するアメリカと54年にFを、52年には日本とGを結んではいたものの、冷戦下で中国からHとIに砲撃を受けた。そんな中でも、国民は経済復興への努力を惜しまなかった。 しかし、ニクソン訪中は事態を一気に変えてしまう。79年1月1日、鄧小平と当時の大統領、Jが国交正常化を果たすと、Fは失効。72年にはGも日中の国交正常化で無効になってしまう。 このような危機の中、Kが死去、78年、息子のLが総統となったが、独裁を国民が納得するわけがない。けれども、Mと呼ばれる弾圧によって国民は意見することさえ許されなかった。 Lは開発独裁を進め、いつしか台湾は経済成長を実現。Nに数えられるようになった。 86年には独裁に対抗してOが形成。アメリカは条約こそないものの、支援を行なってくれたため、87年ついに国民党は戒厳令を解除した。 78年には鄧小平の改革開放政策がはじまり市場経済を導入。彼との間ではPによる平和的統合が提唱されていたが、Lはそれを拒絶していた。 事態が急変する中、88年1月13日、Lが亡くなり副総統だったQが総統になる、彼は初の台湾出身者で、90年のRを受け民主化が実現した。一方で江沢民に変化した21世紀、中国との関係は悪化してしまったが、国家自体は直接選挙が認められるようになった。 その後はWTO加盟を実現させたOのS、女性として初めて政権を握ったTなどが台頭した。なお、2014年のひまわり学生運動では大きな混乱が生じた。

    カイロ宣言, 満州, 膨湖諸島, ポツダム宣言, 二・二八事件, 米華相互防衛条約, 日華平和条約, 金門, 馬祖, カーター, 蒋介石, 蒋経国, 白色テロ, NIEs, 民主進歩党, 一国二制度, 李登輝, 野百合学生運動, 陳水扁, 蔡英文

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    中国近現代史・2(秦〜漢)〜統一と外交〜

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    中国前近現代史・3(魏晋南北朝時代)〜戦乱と異民族〜

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    中国前近現代史・4(隋〜唐)〜鮮卑大国〜

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    中国前近現代史・5(五代十国〜宋)〜歪な商業大国〜

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    中国前近現代史・6(モンゴル帝国と元)/中国前近現代史・7(明)

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    中国前近現代史・8(清)

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    中国前近現代史・9(明・清の社会経済史)

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    イスラーム世界の成立〜暗躍と興亡〜

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    イスラーム世界の分裂〜大規模分裂と大量の王朝〜

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    イスラーム諸国の繁栄〜多民族複合超国家〜

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    イスラーム諸国の繁栄〜多民族複合超国家〜

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    朝鮮半島史〜うまくやらなきゃ生きてけない〜

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    内陸ユーラシア史〜遊牧乗っ取り計画〜

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    アフリカ史〜憎きヨーロッパ諸民族〜

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    中南米史〜神と深く結びついた国〜

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    2学期中間テストー戦後史ー

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    西欧の戦後史〜もう、変わらなきゃいけないんだねっっ〜

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    アフリカ南アメリカ〜長きにわたる帝国との決別〜

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    中東に起こる諸問題〜世界の命運を握る場所〜

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    年号暗記〜実際大事だよねー〜

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    年号暗記(オリエントから中世)

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    年号暗記〜ウィーン体制から〜

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    アジア近現代史徹底整理.1〜清朝の衰退と朝鮮の開国〜

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    アジア近現代史徹底整理.2〜中国分割・韓国併合・辛亥革命〜

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    アジア近現代史・3〜中国国民革命・日中戦争・朝鮮植民地化〜

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    ギリシア史限定

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    ローマ史

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    ヨーロッパ中世文化史

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    イタリア=ルネサンス

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    17〜19世紀の哲学・思想・歴史学

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    17〜19世紀の経済思想・自然科学

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    17〜19世紀の文学

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    17〜19世紀の文学

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    問題一覧

  • 1

    Aに勝利した後の中国では、46年6月から49年12月までBとCによってDが行われていた。27年から第1次は行われていたが、Aを受けて停戦していたものの、再びDが始まった。 なお、45年8月にはBのEとCのFはGで会談を行ってはおり、10月10日のHで内戦の回避とIの開催で合意した。 しかし翌年1月10日、CがJを実施し利息を減額。民主の支持を広げ、力を強めたことで、アメリカのKは危惧。彼の斡旋によりDは避けられるかと思われたが、ついに破綻を迎え46年6月にDに突入した。 当初こそBが圧倒的優位で、Lと改称したCが解放区の防衛にあたっていたが、B軍によるCの拠点Mの攻略は、Cをソ連に近づけることに繋がり、東北地方を基盤としてLは体制を立て直し、49年12月までにBはほぼ降伏した。なお、Fは北京に入城する際、Nの二の舞になるまいぞ、と誓った。

    日中戦争, 中国国民党, 中国共産党, 国共内戦, 蒋介石, 毛沢東, 重慶, 双十協定, 政治協商会議, 減租減息, マーシャル, 人民解放軍, 延安, 李自成

  • 2

    中国共産党の軍組織は、1927年からはA、国共合作時代にはB、Cなどと言われていたが、日中戦争後は国民党のDに対抗したEとして成立した。 なお、これの指揮官から中央政界に進出した人物にFやGがいる。49年10月1日の中華人民共和国建国以降、その直後に始まったHでは毛沢東はIを派遣したが、それにEの軍人は加わり、アメリカの最新軍隊と戦っている。 これを経て、技術革新の必要性が求められ、現代化を推進していった。56年、フルシチョフのスターリン批判でJが表面化すると、一方で問題が起きていたKを巡った解放戦線として、EはLやMに砲撃を本格的に開始。K海峡の危機が深まった。 58年には、毛沢東がNを号令、中国は現状を無視した国家統制を行われた。その後、毛沢東に対しNの誤りを宣言した国防相、彭徳懐は解任され、変わって就任したのがOだった。 彼は彭徳懐が解任されることとなるP以降の後任として、毛沢東に忠実であったが、近代化と真逆をいく、いわゆるゲリラ戦の強化を強めた。が、一方で64年にはQに成功しており、二股路線をとっていたことがわかる。66年、Rでは毛沢東がOを自らの後継者としていた。 67年には初めてSを成功したが、69年にはソ連とTで衝突した。 しかし、71年衝撃の事件が起きる。Oが突如ソ連への亡命を桑田って、その過程でモンゴルで墜落死してしまった。その先月には密かにアメリカからキッシンジャーが派遣されており、国際関係は大きく変化した。 なお、Eが人民のための軍隊ではなく、党のための軍隊だと明らかになったのが、89年6月4日の第2次天安門事件だったのは、いうまでもない。

    紅軍, 八路軍, 新四軍, 国民革命軍, 人民解放軍, 鄧小平, 林彪, 朝鮮戦争, 中国人民義勇軍, 中ソ対立, 台湾, 金門, 馬祖, 大躍進政策, 林彪, 廬山会議, 核実験, プロレタリア文化大革命, 水素爆弾実験, 珍宝島事件

  • 3

    1949年9月、46年1月の国民党、共産党による国家統一会議、Aが決裂していたことから、共産党はBを開き、共産党以外の党派も加え、Cの樹立を決議した。 これは毛沢東本人によるDという指針が枢軸にある。Dとは、毛沢東自身が考えた独自の革命形態で、それは共産党一党独裁ではなく、民主主義党派との協力による社会主義国家の形成によるものであるはずだった。これはポーランドのEが掲げていたFに似たものであった。 成立したCは首都を北平からGに改名し、49年10月1日にはHに集まった人々に対し、毛沢東が壇上に登り建国を宣言した。 こうして築かれた人民政府は、政府主席をI、副主席には朱徳、Jなどの共産党以外の人物、そして政務院総理にKが就任した体制だった。なお、現在の国歌でもある義勇軍行進曲は、元々は35年に日本の華北分離工作に反発したLという反日運動の際に歌われていた曲である。 なお、この国共内戦と共産党勝利の時期は、東西冷戦始まりの時期で、49年にはNATOが成立しているなど、明確な二大陣営の形成期だった。そのような中で、台湾に渡っていた国民党政権はアメリカと仲を深めており、毛沢東はソ連との関係を深める必要があった。49年12月、スターリンの70歳を記念にモスクワを訪問した毛沢東は、翌年2月にMを締結。国民党≒アメリカという構図が共産党内に根付いているのは間違いない。 なお、国民政府とソ連が第二次世界大戦の末期(8月14日)に結んでいるNはこの時に破棄された。また、この同盟でソ連は技術支援等を約束し、中国側も譲歩によってソ連に対してはOの経営権とPの駐兵権を対日講和までは認めるとした。 49年の建国直後、Cはソ連や東欧諸国、インドからは承認されていたものの、西側諸国には認められていなかった。しかし、50年にQ領有存続のためにRが認めると、64年に独自外交路線大統領によりSも承認。 アメリカや日本は台湾を巡った問題で長く認めていなかったが、ベトナム戦争の泥沼化が問題となっていた72年、訪中したTによって79年には正式に国交正常化がなされた。

    政治協商会議, 人民政治協商会議, 中華人民共和国, 新民主主義論, ゴムウカ, 人民民主主義, 北京, 天安門広場, 毛沢東, 劉少奇, 周恩来, 十二・九学生運動, 中ソ友好同盟相互援助条約, 中ソ友好同盟条約, 中清鉄道, 旅順, 香港, イギリス, フランス, ニクソン

  • 4

    1945年8月、第二次世界大戦の終結により、日本の植民地支配が終わった朝鮮は、アメリカとソ連の介入を受けてしまう。 43年11月のAで「朝鮮は適当な時期に独立する」こと、45年2月のBではアメリカの信託統治案が出されており、8月24日にはソ連が平壌に入りCで分けた分割占領が提案された。 この不当かつあまりに身勝手な取り決めは朝鮮半島の人々を激怒させた。かつ、このころ、中国でDが起きており、米ソでの会談さえ行えず、その間に北側で足固めをしていたのがEだった。彼は社会主義改革に着手しており、戦時のFで英雄となった人物だった。一方の南部では民衆が武装蜂起を行い、米軍と右派によって殺されてしまうGが起きていた。 統一政府を作ろうとしていた勢力もいたにはいたのだが、右派であったHの手先によって殺され、アメリカとHによって1948年8月15日、南部でIが成立してしまう。なお、Hは1919年、上海で結成されたJで大統領に選ばれており、Iでも大統領だった。 これに北は対抗し、Eが48年9月9日にKを樹立し首相に就任した。こうして、北と南、それぞれに別々の国家が成立。翌49年、中国共産党による中国統一の報を受けEが統一を目指し行動を開始。50年6月25日、ついに朝鮮戦争が始まってしまった。 北軍はCを越え韓国に侵攻。国連のLは緊急で会議を開いたが、M問題で中華民国政府に対して攻撃を行いアメリカと対立を深めていたソ連がボイコットしていたため、トルーマンを中心に会議は進み、アメリカ軍単独派遣が行われることになった。 北朝鮮の軍隊はソウルを占領し、その後Mまで迫るも、Nの派遣と統一司令部のマッカーサーによって状況は反転した。 しかしその後は中国側のOによって中国軍も参戦し、1953年、アメリカ大統領がPに、ソ連でQが亡くなったことを受け、Rを板門店で調印し戦争は終了した。 が、これはあくまで休戦しているに過ぎない。それは、今現在でも変わっておらず、第二次世界大戦の忘れ物は、今もまだ日本の隣国に存在するのである。 Kの終了後、北ではEが独自理念、Sを掲げ、反対派撲滅と個人崇拝を説いた。(先軍政治による軍事優先) 一方、南ではHが大衆からの支持を徐々に失い、独裁政治に反対する国民の手によって、Tで大統領辞任に追い込まれた。

    カイロ宣言, ヤルタ会談, 北緯38度線, 国共内戦, 金日成, 抗日武装闘争, 済州島四・三事件, 李承晩, 大韓民国, 大韓民国臨時政府, 朝鮮民主主義人民共和国, 安全保障理事会, 釜山, 国連軍, 中国人民義勇軍, アイゼンハウアー, スターリン, 朝鮮休戦協定, 主体思想, 四月革命

  • 5

    ソ連が設立した朝鮮労働党を基軸として成立した朝鮮民主主義人民共和国は、1960年代、AによってB(C)思想が掲げられ、個人崇拝と先軍政治が加速した。70年代には日本人拉致事件などが起きている。 80年代には、アメリカのDが米ソのE構造を形成し朝鮮半島の緊張が高まったが、冷戦の終結が行われた80年代末期には南北対話が始まり、91年、南北同時にF加盟が行われた。しかし、94年Aに変わって即位した息子のGは反米姿勢を崩さず、先軍政治を行なったため、世界の流れと逆行していた。 しかし、2000年6月、Hを掲げていたIが大統領として北朝鮮に訪問、Gもそれに応じると、首脳会談が実現した。2002年には日本のJ首相とKを発表し、国公正常化への道が開かれるかと思われたが、やはり先軍政治による内政は世界的に支持を獲得できず、アメリカやLによって核開発を指摘されると、Mを脱退してしまった。 国際的な不安材料である朝鮮民主主義人民共和国に2011年に次男のNが即位する。彼は若い指導者で、外交改善が期待されるも、今まで通りの政治を行い社会からの不満は増すばかりだった。2014年には日朝によるOが行われるも、その後も開発をやめないNの姿勢はいまだ社会の敵として扱われている。なお2018年にはPによって史上初の米朝首脳会談がなされ、翌年にはPがQを訪れている。

    金日成, 主体, チェチェ, レーガン, 新冷戦, 国際連合, 金正日, 太陽政策, 金大中, 小泉純一郎, 平壌宣言, IAEA, NPT, 金正恩, ストックホルム合意, トランプ, 板門店

  • 6

    大韓民国では、朝鮮戦争の後も政権を握っていた李承晩の独裁政治が民衆の反感を買うと学生たちのAで李承晩が倒れ、しかし、翌年軍人のBがCを起こすと軍政となった。Bは北との対峙の中、経済開発を軍事独裁の中で推し進めるDを行った。(李承晩も行ってはいた。他に、フィリピンのE、インドネシアのF、イランのG、タイのHなどが行っている。反共産を掲げており、このDに資本を投下し、高度経済成長を成したのが日本である。なお、のちの鄧小平以降の中国も一種のDであると言える。) 63年、大統領に就任したBは、韓国経済復興こそが独裁の必要条件であると理解しており、そのためには外国の経済支援が不可欠だった。支援先として最有力であった日本との国交樹立を考えたBは、交渉を開始するも、64年には学生の中で反対運動が起こる。 65年、ベトナム戦争が激しくなると、アメリカの支援にまわり、韓国軍をベトナムへ派遣。その見返りとしてのアメリカの経済援助を日本が肩代わりする形で、6月にIが結ばれた。 これによって日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であることを認め、しかし1910年のJとその論拠であるKが武力である威嚇だと主張したB側の戦後賠償で揉めたため、この問題はいまだに禍根を残している。 が、日本の支援とベトナム戦争の特需を背景に韓国は、急成長を成し遂げることができた。69年、Lによってアジアから米国が撤退する意向が明らかになると、韓国は防衛力強化のため、産業基盤を確立させた。 67年、71年と民主運動家、Mと選挙で戦いつつも勝利したBは、憲法を改正し、大統領の選出を間接選挙にする、というNを作り上げ、73年にはMを東京で拉致するOを起こし妨害した。 このように、Bが国家を完全に掌握しつつも、韓国が経済急発展を遂げたこの現象は、Pと呼ばれ、77年には建国以来初めて国際収支の黒字に転換。78年には先進工業国諸国の協力機関、Q(R)にその業績を評価され、新興工業生産地域(S)の一つと位置付けられた。(香港、台湾、シンガポール、またブラジルやメキシコのこともさす) 韓国では財閥も生まれ、韓国は完全に先進国の仲間入り、そんな噂も囁かれていた79年、人権外交の観点からカーター(米軍を韓国から撤退)が韓国批判を強めると、政権内部の矛盾から中央情報部部長によって、Tが起こされ韓国は混乱し、ソウルの春と呼ばれる民主化の動きが起きた。

    四月革命, 朴正煕, 軍事クーデター, 開発独裁, マルコス, スハルト, パフレヴィー2世, サリット, 日韓基本条約, 韓国併合条約, 第2次日韓条約, ニクソン=ドクトリン, 金大中, 維新体制, 金大中事件, 漢江の奇跡, OECD, 経済協力開発機構, NIEs, 朴正煕大統領暗殺事件

  • 7

    朴正煕の暗殺後の韓国では、民主化の動きが高まる。(A) しかし、翌1980年5月、軍を掌握したBはCら民主化運動家を逮捕し、国家統制を図る。 彼はクーデターを起こし軍政を開始し、民衆反乱のDを軍事鎮圧した。1987年6月、全国で100万人を超える学生・市民が民主化運動を起こすと大統領選挙が朴正煕時代の間接選挙から直接選挙へと変えられ、大統領には同じく軍人のEが選ばれた。 この頃に経済成長は続き、その象徴として88年にはFを開催した。91年9月には、冷戦終結を祝し、Gとともに国際連合へ加盟している。5年ごとに開催されることとなった選挙で、92年、ついにHが当選する。 彼は民主化政策を進めようとしていた人物で、軍人のBとEを犯罪者であるとして有罪にした。南北対話を模索するも、Iの死去によって関係改善は難しかった。 なお、彼は96年、先進国クラブと言われているJに加盟し、周辺をK的なエコノミストで固めていた。95年、Lが発足すると、農産物の大幅な市場開放措置を取り、国際競争力をつけるために国家介入を行うようになり、これらは農民と労働者から激しい弾圧を受けた。しかし97年、タイのMからアジア全体へ、Nが起きてしまう。 韓国はこれによって、ブレトン=ウッズ会議で設立されていたOへの参加を余儀なくされた。急速な経済成長の唐突なストップ、その処理にあたることになったのが、長らく民主化運動で戦っていた同党の人物でHのライバル、Pだった。 なお、民主化運動に迎合したH、Pの政権を非軍事政権、Qと呼ぶ。

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  • 8

    1998年、大韓民国で金大中が大統領となった。 彼は独裁政治と長らく戦っており、Aの管理体制下で構造改革を模索し、2000年には経済危機から韓国を救ったが、市場原理主義の新党は、格差の拡大と政治の保守化、若年層の無関心をもたらした。 彼は、外交ではBを持ち出し北朝鮮との関係緩和を模索し、2000年6月13日、Cに訪問し、Dと初の南北首脳会談として、Eを発表した。その功績によって彼はノーベル平和賞を受賞している。 2002年には日韓でのサッカーワールドカップ共同開催、日本文化の解禁で、日本でも韓流ブームが起こった。 その後をついだFは、諸政治の引き継ぎを行った、韓国初、戦後生まれの大統領で(WW2の話、46年生まれ)歴史の見直しのために民主化の確立を掲げた。しかし平和的な価値観を持っていると言っていた割にはGでアメリカを支援していたため人気にかげりが出始め、第2回南北首脳会談を行うも、Dがそれによって自信をつけ核実験を強行したことが批判された。 その後は保守派が続き、初の女性大統領Hが2012年に当選するも、Iの娘としての期待の割には対応が悪く、財閥との癒着が明るみになったことで初めて弾劾。Jが当選することとなった。 Jは2018年、Kで開かれたオリンピックを契機に北との会話路線に踏み切り、板門店で会談を行った。金正恩をロケットマンとして批判していたトランプも、Jの会話路線を受け密かに交渉を始め、Lで初めて米朝首脳会談が開かれた。

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  • 9

    朝鮮戦争が各国に与えた影響は計り知れない。アメリカはそれまでの封じ込め政策から、アイゼンハウアー大統領によるAへと政策を転換し、Bは終了し、その代わりとして経済援助を行うものの軍事協力の義務を負わせるC(D)になった。アメリカは対中国包囲網として、51年にフィリピンとE、太平洋地域諸国とF(G)、日本とH、韓国とI、東南アジア諸国、および英仏とJ(K)、台湾とL、中東5カ国とM(N)と、このような順番で包囲網を形成。アジアでは、日本ー韓国ー台湾ーフィリピンータイーパキスタンーイランーイラクートルコが共産圏包囲網として敷かれた。なお、インドは米ソいずれにも加担していない。 この包囲網、そして日本の再軍備を受け、毛沢東は方針を転換。それまでのOからPなどによる急進社会主義へと駒を進めた。 そのほか、朝鮮戦争は、日本にQをもたらしたことでも知られる。

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  • 10

    日中関係は、朝鮮戦争を経て、より複雑になっていた。アメリカは共産圏に備えたAを当時のB首相に言い渡した。これは、ポツダム宣言以降平和と民主主義の国家だった日本が、C(GHQ)のマッカーサーによって自衛権を認められたもので、のちに自衛隊となるDが設置された。51年のEでは、ソ連の反対を押し切り対日講和会議が行われ、Fに各国が署名し日本の主権は回復した。(ソ連は署名していない。) これが中国において、日本を敵視するものとなってしまったのは、しょうがないこととも言える。Fと同日に日本はアメリカとGを結び、日中国交正常化は遠のき、国交が正常化するのは1972年のこととなった。これは72年、Hが起こったことで慌てた日本政府が、I首相のもと毛沢東、周恩来と会談し、Jを発表したことでついに結ばれたもので、だがしかし52年、日本がKと結んでいたLはこれによって無効となっている。 78年にはMが締結され、終戦から33年、ついに日中国交正常化がなされた。なお、J当時の中国はNの直後でOが混迷の度を深めており、外交による転換期であり、76年、Pが死去、77年Qが復権し、Oが終了したことで、中国のR政権と日本の福田内閣が妥協し結ばれたものである。なお、Qは副首相として来日している。

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  • 11

    朝鮮戦争は中国国内に強いインパクトを与えた。50年6月、地主制度の撤廃を掲げた中国では、Aが交布され、BをトップとするCが設けられた。また、反革命の取締と、三反五反運動を展開し、不正手段の廃止と国家の絶対性を確立した。 53年6月、Dが策定される。これは対共産主義包囲網によるもので、今までのEとは異なった急ぐ社会主義化によるものだった。農民は当初は生産手段は私有化されているFでの集団耕作を行なっていた。 こうして、政策を大きく変えた中国は、1954年9月、Gを公布する。建国時のHに代わり最高立法府が全国人民代表大会になり、この憲法で中国の最高権力者がIという地位に立ち、毛沢東がその最初であることが決まった。 なお、56年には識字率向上のため、Jが制定されている。

    土地改革法, 劉少奇, 土地改革委員会, 第1次五カ年計画, 新民主主義論, 合作社, 中華人民共和国憲法, 人民政治協商会議, 国家首席, 簡体字

  • 12

    朝鮮戦争休戦後、中国は平和共存路線を歩むことにした。54年9月にはソ連のフルシチョフと友好関係を強め、首相であるAは54年4月から、戦後最初の国際会議、Bに出席していた。 彼は優れた外交手腕を発揮し、4月29日、清のCとなって中国の支配を受けてはいたものの、その後は中国軍の進駐する形となっていたDをめぐるD問題でインドのEと協議を重ね、遵守すべきFを定めた。 (なお、このD問題は59年のチベットの反乱でGがインドに亡命したことで再熱し、62年のHの原因となった。その後は、モンゴル人のI自治区、ウイグル人のJ自治区に並ぶ自治区としてチベットは中国内に属すこととなった。89年、鄧小平政権の中、Kで暴動が起こるも、結果分離独立はできなかった。) 55年5月には、アジア諸国民会議の場で、Eと共同でGを提示した。 (Gは領土と主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存) さらにAは同年4月にインドネシアのLの招集したMに参加しており、GをNに発展させた。 61年にはユーゴスラヴィアのティトー、およびナセルなどが開いたOにも参加した。 Aの外交によって、中国は第三世界のリーダーとして力を持った。 が、なぜ米ソどちらにも属さなかったか。それはPでフルシチョフが発表したスターリン批判にある。56年、政治報告を行ったQと、当規約改正報告を行ったRは、ともにスターリン批判を受け止め、近代化への道を望んでいたが、元首毛沢東はそうではなく、S・Tを提起し大衆に対して自由な政治批判を呼びかけた。この中で共産党批判が起こると、言わせておいて毛沢東は反右派闘争を行った。 なお、この頃、ハンガリー反ソ暴動が起こっており、一党独裁体制はすでに揺らいでいた。

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  • 13

    1958年5月、毛沢東はAの実施を支持した。これはB・総路線・Cの3テーマによる農村集団化の徹底を掲げたものだった。東欧諸国のポーランド、ハンガリーでの自由化運動を恐れたものだと考えられる。 Bでは、鉄鋼や農作物の大増産が目標とされたが、品質は無視されていた。また、農村に粘土で窯を築くDが用いられたものの、これは実際、粗悪な鉄鋼しか作れず燃料の石炭不足をもたらした。(このような急激な動きは、58年の台湾海峡危機(E・F砲撃)59年のGを契機に起きたインドとのH、ソ連とのI破棄による中ソ対立が原因である。) また、Cは農村に建てられたもので、農民はそこで集団労働と生活をしなくてはいけなかった。食事を家族で摂ることも許されず、労働意欲は低下していた。 この急速な行動の批判は、毛沢東さえも国家主席退任の意向を固めさせた。1959年4月、Jが国家首席になる。しかし、共産党主席の地位は未だ毛沢東のままだった。JはKら共産党の実務官僚とともに経済再建に取り組み、Bの誤りを認め生産力回復に尽力した。 59年7月、毛沢東をLで批判したMは解任させられてしまい、その代わりとしてNが就任する、とのちの文革の布石はすでに貼られていた。 Bの失敗は食糧不足に現れ、大飢饉が訪れた。

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  • 14

    毛沢東に変わり国家主席に就任した劉少奇は、鄧小平と協力し、大躍進の失敗を認めつつ社会主義路線を大幅に修正した。生産意欲の向上のため国家は苦しい思いをするも、調整施策によって生産力の向上を狙い、経済は実際回復に乗った。この頃、鄧小平は「白い猫でも黒い猫でもネズミを獲る猫が良い猫だ」と述べている。この時期、標語としてAが語られ、ソ連との決別が描かれた。 この時、毛沢東は表向きは異を唱えなかったものの、社会主義化から逸れようとしている現状に警戒しており、不満を抱いていた。 57年11月に、毛沢東はモスクワを訪問したが、そこでも両者の対立は激化してしまった。 なお、中国とソ連との対立関係は、この頃、1959年3月のBを契機とするCでソ連がインドを支援したこと、59年6月にDが破棄されたのち、64年に中国がEを成功させたこと、69年のFがある。なお、キューバ危機でも弱腰だったフルシチョフを糾弾した。 アメリカとも58年のG・H砲撃や64年のアメリカ軍によるIへの空爆で対立している。

    自力更生, チベット反乱, 中印国境紛争, 中ソ技術協定, 核実験, 中ソ国境紛争, 金門, 馬祖, 北ベトナム

  • 15

    毛沢東は国内外の社会主義修正を危険視していた。 1965年11月、上海の新聞内で、ある評論家がブルジョワ的中国の台頭を危惧している、という論文を出した。これを受け、毛沢東が始めたのがAだった。この動きは、翌年である66年、学生を中心に大きくなった。そのため、66年からのほぼ10年間をAと呼ぶ。学生は毛沢東を支持し、Bとして運動を開始した。この時、スローガンとなったCは自分たちを正当化するものとして有用だった。全国で激しい破壊運動を行った彼らのCは、68年、フランスで起きたDやアメリカでのE、さらに日本などでの学生運動に付随するものだった。東大闘争でもCが掲げられていた。 毛沢東は、はるか昔、フランスで起きたFの中国における宣言書である、とし彼らを奮起させ、その始まりの場所はGの跡地であったとされる。 1966年8月18日、Hが毛沢東を讃え、彼らBに旧体制破壊を呼びかけると、行動は大規模になり、68年10月には劉少奇国家主席は除名されてしまった。 しかし、68年毛沢東の後継者と呼ばれていたHが国外逃亡を図り失敗するH事件が起こると、代わって権力の中枢を占めたI率いるJと、残る実力者Kとの間で対立が起きた。JはHの謀反を理由にHと、国民党の思想でHやKの思想のもとである、としてLを批判したMを展開する。(LがNの政治を理想としていたことを、Kの名前とかけたと思われる。下品。) 一方のKは、国家回復のために73年、Oを復帰させ、71年にはPを、72年にはQを迎え、国交回復に尽力している。また、日本のR首相とはSを締結し国交を正常化させた。

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  • 16

    周恩来は四人組との対立の中でも鄧小平とともに国家発展を進め、20世紀のうちにA・B・C・Dを成長させ、「E」を目指すことを発表した。これはかねてより彼が目標として掲げていたもので、これに対して江青(裏には毛沢東)は反発していたが、この頃から毛沢東も体力の衰えが目立っていた。 そんな中、1975年の1月13日、Fが死去する。国民は悲しみ追悼の花を添えたが、四人組はその花を撤去してしまい、民衆は憤りのあまりにGを起こした。(Hともいう。) 政府は暴動とみなしこれを鎮圧し、さらにIに事件煽動の罪をなすりつけ、解職した。 7月6日には長年毛沢東を支えてきた朱徳がなくなり、8月28日には大地震が発生、甚大な死者が出る中で、1976年の9月9日、Jが死去した。 彼の死後、果たして誰が政権を握るのか。後継者として即位したのは、生前毛沢東の支持を受けていたというKだった。即刻四人組は逮捕され、1977年の8月、KはEの建設を目指すことを宣言した。これによって正式に、文化大革命は終了した。 中国は、ニクソン訪中以降国際舞台に進出していたものの、一方でソ連との関係を強めたLとは、L戦争終結後関係が悪化し、当時中国がMのNを支援していたのにも関わらずLがNを攻撃したことで、79年にOを起こした。しかし、強い抵抗の結果短期間で失敗してしまう。この責任は全て、Kになすりつけられ、長らく国家に協力し、弾圧され続けていたPが全権をにぎり、中国は新時代に突入した。

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  • 17

    1977年、華国鋒政権は文化大革命という過去の清算が未だできずにいた。そんななか中央に復権したAは、華国鋒の教条主義的姿勢を非難しつつ徐々に力を強め、翌年社会主義下での経済発展、Bを打ち出し、中国という国の形は変容した。 彼の主導した中国共産党は、1978年12月18日、歴史的転換とも呼ばれるこの日に華国鋒を解雇し、Bを打ち出した。 これは政治では一党独裁体制を敷くものの、市場経済を自由化するものだった。今までと異なり外国の技術の導入は認められ、そのような拠点、Cを設けることが約束された。いわばCは、社会主義の中の資本主義地域だったのである。 80年11月、まずAは公開裁判でDを死刑判決し、文化大革命の混乱の責任を負わせ、腹心だったEらとともに討議の結果、歴史決議を採択。文化大革命は「間違っていた」とした。 同時に、中国社会主義の柱であるFの非生産性から、Fの解体を宣言した。 1979年から中国共産党がこのように内政、外交ともに革新を遂げたことは、1979年に起こった各国の状況とも連なる。 世界では、1月にGが起こりイスラーム圏が激動の時代へ。12月にはHが起こり、ソ連解体や同時多発テロのきっかけとなった。 イギリスではIが政権を握り、資本主義はJによる混迷の時代へと突入していた。

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  • 18

    1980年代、中国の最高指導者に君臨したAは、党務をBに、政務をCに任せて改革解放政策を推し進めていた。これは驚異的な経済成長をみせ、82年にBが総書記となった時、行った政治報告では工農業総生産が4倍にまで増加したことが明らかになっている。 中国はこの頃、独立外交と、平和共存五原則を国家の最善の形であるとしており、しかし四つの現代化実現のためには、独裁などDが国家には大切であるとしている。1979年には民主化運動家などブルジョワ自由化を求める動きは率先して弾圧され、そんな中経済の自由化を推し進めるあまり、Bは民衆の動きに迎合してしまう。けれども、Aはそれを許さなかった。Bは総書記の地位を追われてしまい、もう帰ってくることはなかった。 新たに総書記となったCは、改革を行おうとし、「限りなく資本主義に近づいた社会主義」を目指した。(ゴルバチョフ台頭期の87年11月) しかしこの急激な転換は物価の急騰、不安定を招き、そのような流れで、中国の出発点である社会主義運動、Eから70年という節目を迎えてしまったのが、1989年だった。 改革の旗手、Fの訪中が約束されていたこの年、Gが亡くなったことをきっかけに学生たちは運動を起こした。 総書記だったCは学生たちの声を聞こうとしたが幹部の中で孤立し、学生たちの前に姿を現す。けれども学生たちは動かなかった。彼は解任され軟禁。Hは起こってしまったのである。 なぜこの出来事が国際的に大問題になったのか。これはFの訪中が世界的に注目されていたことにある。FとAとの会談がどうなるのか、集まった記者はそこで衝撃な光景を目にし、カメラを通して映像は世界に広まった。89年は東欧革命が進んでおり、Hの同日にはポーランドでIの率いるJが圧勝していたこと、11月にはKが解放され、年末にはLが行われていたことからも、中国の前近代性を露呈させたこの事件の罪は重かった。 けれども、それでもAは屈しなかった。事件を抑え切った後、党官僚Mを抜擢し、自らは従来通り表舞台に立とうとはしなかった。Aは南部の経済特区を訪問し、Nを行うことで大胆な投資と、それに伴う国家回復を図った。 92年には、Mが総書記の座につき、Oの導入を提唱した。これによって、計画経済の要素を残しつつも先進国と同様の経済制度を導入するOは確立し、中国は再び急速な成長を迎えた。 97年2月、Aはその長い生涯を終える。 そんな中、7月にはPの返還が実現した。99年の租借がついに終わったのである。なお、80年代のうちにQがAと交渉を行っており、Pは50年間はRで管理されることが決まっている。 また、12月にはSとの間でTの返還についても合意が成立し、同じく Rが適用されている。

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  • 19

    鄧小平の死去により中枢に立った江沢民は社会主義市場経済を進め、2001年共産党創立80年大会でその基本的な性格を国民政党へと返還することを明言した。この時代、鄧小平時代からその片鱗が見え始めていた開発独裁的な側面が表面化したと言える。 2001年にはAに加盟し、2008年にはBでCを開催、2010年にはDでEを開催したりロケット実験を成功させたりと大国としての地位を我が物とした。この間、光沢民からF、Gと国家主席は変化している。が、今でもチベット、ウイグル、モンゴル、台湾、香港では独立の動きがあり、目が離せない。

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  • 20

    台湾は、日本軍南進の拠点として、日中戦争、および太平洋戦争で日本の重要な場所として機能していた。しかし、連合軍が43年に結んだAではB、Cとともに中国に返還されるべきとされ、45年のDではそれが確認された。 45年10月、国民党政府は台湾の支配を行う。しかし、国民党の支配は高圧的で抗議運動が各地で起こった。1947年、全島で反乱が起こり多数の死者が出る、Eが起こった。 その後、国共内戦を経て国民党は台湾へ移住。戒厳令を施行し、報道や政党建設が禁止されてしまう、長きにわたる体制が作られてしまった。その後、台湾を支持するアメリカと54年にFを、52年には日本とGを結んではいたものの、冷戦下で中国からHとIに砲撃を受けた。そんな中でも、国民は経済復興への努力を惜しまなかった。 しかし、ニクソン訪中は事態を一気に変えてしまう。79年1月1日、鄧小平と当時の大統領、Jが国交正常化を果たすと、Fは失効。72年にはGも日中の国交正常化で無効になってしまう。 このような危機の中、Kが死去、78年、息子のLが総統となったが、独裁を国民が納得するわけがない。けれども、Mと呼ばれる弾圧によって国民は意見することさえ許されなかった。 Lは開発独裁を進め、いつしか台湾は経済成長を実現。Nに数えられるようになった。 86年には独裁に対抗してOが形成。アメリカは条約こそないものの、支援を行なってくれたため、87年ついに国民党は戒厳令を解除した。 78年には鄧小平の改革開放政策がはじまり市場経済を導入。彼との間ではPによる平和的統合が提唱されていたが、Lはそれを拒絶していた。 事態が急変する中、88年1月13日、Lが亡くなり副総統だったQが総統になる、彼は初の台湾出身者で、90年のRを受け民主化が実現した。一方で江沢民に変化した21世紀、中国との関係は悪化してしまったが、国家自体は直接選挙が認められるようになった。 その後はWTO加盟を実現させたOのS、女性として初めて政権を握ったTなどが台頭した。なお、2014年のひまわり学生運動では大きな混乱が生じた。

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