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インド、東南アジア〜次世代を担うものたち〜

インド、東南アジア〜次世代を担うものたち〜
19問 • 2年前
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    問題一覧

  • 1

    イギリスがAを公布したインドでは、大幅な自治が認められていた。 しかし、第二次世界大戦が始まると、自動的にイギリスの協力のため戦争に参加するよう要求され、Bは、反発したCの指導のもと戦争反対を掲げたD運動を開始させる。 それに対して、1906年からイスラーム教徒が組織しているEは戦争協力の姿勢を見せていたため、対立構造へ。 Eのリーダー、Fは「G」を提唱し、新国家形成の道を模索した。 1941年、日本が太平洋戦争を始めると、42年3月、隣国のHが侵攻され、インドに脅威が迫る。対日国にインドを組み込むため、アメリカはイギリスに独立承認を迫り、チャーチルは協議。 戦争の協力を前提とした、戦後独立で意見が固まったが、Cらは拒否し、こうしてIが始まった。なお、左派指導者でBにいたJは日本軍につくことを是と捉え日本軍に協力。敗戦後死亡した。 大戦終結前には、イギリス首相がアトリーに代わる。 労働党はかねてからインド独立承認を掲げており、独立の動きが加速していった。 しかし、その中でもイスラーム教徒とヒンドゥー教徒の対立が増し、カルカッタでBとEとは衝突。死者負傷者含め二万人ほどの大惨事となってしまう。 その後も宗教対立(K)が続き、非暴力を唱えるCでさえ抑止することはできなかった。イギリス政府はBとE、それぞれのリーダーであるFとLとをロンドンに招いたが、それも失敗に終わり、最終的に分離独立しかないという結論に至った。 Cは融和を求め、Bを去ったが、47年、Mが成立し、こうして8月15日にNとパキスタン、二つの国が独立した。しかしこの2カ国は、47年の独立後すぐにOの帰属をどちらが得るのかでもめ、これがのちに3次まで続く、Pの始まりとなった。 なお、OはいわゆるQで、王はヒンドゥー教徒であったのにも関わらず、住民の大部分がイスラーム教徒であったのがいけなかった。 その後もインドがRで実質的敗北を喫した65年、再びOについて争い、第3次はパキスタンの東側であるS地方で独立運動が起こり、それにつけこんだインドのT政権が独立支援。Sは独立し、Uとなった。 第3次が起きた71年以降も睨み合いは続き、インドのV主義の台頭が起こった80年代、ナショナリズムを掲げたWが政権を獲得した98年と対立が深まると、98年には2国ともにXを行った。(先はインド) なお、アメリカでYが起こって以降はアメリカが両国の平和へと尽力した結果対立関係は解消しつつあるが、2008年にはインドのZで同時多発テロが起こるなど、いまだに諍いは絶えない。

    1935年インド統治法, 国民会議派, ガンディー, サティヤーグラハ, 全インド=ムスリム連盟, ジンナー, 二民族論, ビルマ, インドを立ち去れ運動, チャンドラ=ボース, コミュナリズム, ネルー, インド独立法, インド連邦, カシミール, インド=パキスタン戦争, 藩王国, 中印国境紛争, ベンガル, インディラ=ガンディー, バングラデシュ, ヒンドゥー至上, インド人民党, 核実験, 同時多発テロ, ムンバイ

  • 2

    パキスタンは、1947年の8月15日、インドとともに独立したイスラーム国家である。 この国は、その起源をAにもつ。Aはインド国内で、国民会議派と対立しており、1940年Bが「C」と言われる分離独立の方針を決議していた。 独立後当初はDの一員であったが、56年に脱退し、Eとなり大統領制の国家となった。 建国直後からインドとFを巡って争い、しかし1度目では国際連合の調停によって休戦してしまった。 戦争の実質的な敗北は、建国の父Bが急死すると不穏さをうみ、軍の台頭という結果に繋がった。インドのGが第三世界に与する姿勢を見せると、それに対抗する形でアメリカに接近する。その一環で、太ソ包囲軍事同盟網である54年のH(I)、55年のJ(K)に加わった。 59年のLでインドと中国が対立し、62年にMが起こると、今度は中国に接近する。 そういった中で、第2次インド=パキスタン戦争が起こった。が、当時Nの本格化に備えていたアメリカは停戦の必要を感じ、国際連合の手によって停戦が決定していた。 1971年には独立宣言を発表した東パキスタンのOを弾圧しようとしたが、Oがインドの支援を受けていたため、第3次インド=パキスタン戦争が起こる。インドのP政権によってこの戦争はO(Q)の独立に終わり、結果71年12月のRでインド、パキスタンの境界線が決まった。しかし、この境界線にFの行先は含まれていない。 その後は98年、インドの核実験に対抗して同年中に核実験を行い、核戦争の危機が漂っていた。 しかし、2001年のS以降 Tを行いUとの戦いに乗り出したアメリカによって、インド、パキスタン両国は平和への道に乗り出すことになる。あくまで親米の立場を崩さないパキスタンはUの弾圧を行ったが、北部のVとの国境線は、 Wの活動拠点となってしまう。2011年、 Xの指導者Yが潜伏し、殺害されたのはパキスタン北部の山岳地である。なお、2012年にはWによって銃撃された14歳の少女、ZがWの残虐性を主張し世界にその残虐性を理解させたが、彼女が銃撃されたのもパキスタンである。

    全インド=ムスリム連盟, ジンナー, パキスタン決議, イギリス連邦, パキスタン=イスラーム共和国, カシミール, ネルー, 東南アジア条約機構, SEATO, 中東条約機構, MATO, チベット問題, 中印国境紛争, ベトナム戦争, ベンガル地方, インディラ=ガンディー, バングラデシュ, 同時多発テロ, アフガニスタン攻撃, イスラーム原理主義, アフガニスタン, タリバン, アル=カーイダ, ビン=ラディン, マララ=ユスフザイ

  • 3

    (長いので続きます) 1950年、Aで「B憲法」が施行されると、それ以降インドはBと呼ばれた。インド初代首相となったCは、国内での基盤を安定させつつ、冷戦下でDを掲げ、Eの指導者として登場した。 これは中国のF、エジプトのG、インドネシアのHと同様に重要な存在であった。 1954年4月、Fと懸案事項、Iについて会談を行うと、Jで一致し55年に共同声明として発表した。 並行して54年にはKを開催。 Lの首都Mで、インド、L、N、O、Pによる5カ国会談を行った。これをきっかけに開かれたのが、Qだった。世界が53年のR、54年のS停戦で平和共存が可能であると盛り上がる中、開かれたこの会議は、米ソにも影響をもたらし、同年のTに繋がった。

    インド連邦, インド共和国, ネルー, 非同盟主義, 第三世界, 周恩来, ナセル, スカルノ, チベット問題, 平和五原則, コロンボ会議, スリランカ, コロンボ, インドネシア, ビルマ, パキスタン, アジア=アフリカ会議, 朝鮮休戦協定, インドシナ戦争, ジュネーヴ休戦協定

  • 4

    第二次世界大戦後、アジアやアフリカの諸国代表が開いたのがアジア=アフリカ会議だった。AのBにあるCで開かれたこの会議は、C会議とも呼ぶ。議長はAのDで、「この会議は有色人種の代表による、世界最初の国際会議である」と述べられた。共同声明として、54年、EとFによって約束されたGを強化したHが発表された。この会議の成功は、東西冷戦で睨み合う超大国、両国に影響を与えた。しかし、インドと中国の対立と、2度目の開催国に予定されていたIでクーデターが起こりJ政権が倒されたことで、もう開かれることはなかった。

    インドネシア, ジャワ島, バンドン, スカルノ, ネルー, 周恩来, 平和五原則, 平和十原則, アルジェリア, ベン=ベラ

  • 5

    1961年、9月1日にはAのB、CのDとAの首都EでFを行ったネルーは、独自路線を保っていたBとの協調を図った。当時米ソ両国は、アメリカがGとの断交を行い、8月にはHが構築、と危機を迎えていた。この会議にはA、C、インドの他にも22カ国出席し、ガーナのIは植民地主義や帝国主義への反対を強調した。その後も何度か開かれているが、特に79年には120カ国が参加し、たとえばキューバのJ、シリアのK、イラクのL、パレスチナ解放機構(M)のNらが参加している。

    ユーゴスラヴィア, ティトー, エジプト, ナセル, ベオグラード, 非同盟諸国首脳会議, キューバ, ベルリンの壁, エンクルマ, カストロ, アサド, フセイン, PLO, アラファト

  • 6

    非同盟諸国と連携していたネルーは、一方でパキスタンとAを巡って、中国とBを巡って対立関係にあった。62年10月にはCが起こってしまい、敗色が濃厚になると、アメリカに頼らざるをえず、非同盟主義を放棄せざるを得なかった。この頃、病気にかかっていたネルーはそのまま死去し、その後のインドは一貫して、国際的な核防止の流れに同意することができず、D(NPT)、E(CTBT)には加盟しなかった。 1966年には、ネルーの一人娘、Fが首相に就任する。彼女は民主主義と社会主義の推進を掲げる左派の立場を明確にしたが、彼女の政治は社会主義的な側面が強い、いわゆる強権政治であった。第3次インド=パキスタン戦争ではその勝利によって支持を高めたが、74年4月には諸制度の不備から抗議運動が上がり、国民の支持回復のために地下Gを行ったが、自らの首を絞めることとなった。 なお、彼女は66年、二言語圏だったH州を分割したが、経済力を強めたI教徒から自治権要求をうける。80年代にはJでIが拠点を築き、その武力制圧を行った年の10月、射殺されてしまった。その後国民会議派が後継者に選んだのは、彼女の長男、Jだった。3代続いてネルーファミリーであり、Jは「Mr.クリーン」と言われ汚職を行わない人物として当選した。しかし、87年、賄賂疑惑が浮上し、国民の支配を失いつつあった。その後はシングを中心とする連立内閣が成立するも、この頃、インドではK運動が過激さを増しており、シング内閣も総辞職をくらう。その後の選挙で再選を狙ったJはその運動中にLによって殺された。87年、Mに加わったJへの報復だと加害者は語った。 なお、その後はKを唱えていたNが力を強め、北インドでのO問題(ヒンドゥー教徒によるモスク破壊運動)で勢力を拡大し、98年国民会議派を破る形で政権を握った。98年からは何度もPに踏み切っている。 (OはQの主人公Rの誕生地として知られ、ヒンドゥー教徒の聖地であったが、Sの初代皇帝、Tはその地にモスクを建設しており、そのまま存続していた。)

    カシミール, チベット, 中印国境紛争, 核拡散防止条約, 包括的核実験禁止条約, インディラ=ガンディー, 核実験, パンジャーブ, シク教, アムリットサール, ラジブ=ガンディー, ヒンドゥー至上主義, タミル人, スリランカ内戦, インド人民党, アヨーディヤ, 核実験, ラーマーヤナ, ラーマ, ムガル帝国, バーブル

  • 7

    1940年12月8日、真珠湾攻撃が始まったその10時間後には、フィリピン侵攻は始まっていた。翌年1月2日にはAに入城した日本政府は、B将軍をオーストラリアへと撤退させ、また1935年から10年後の独立へと準備していたCもワシントンへと撤退し亡命政権を築いていた。43年11月には東京でDに出席しており、44年9月には対米参戦を志した。一方、共産党集団は抗日人民軍、Eとしてゲリラ戦を展開していた。 1946年、アメリカとの約束を経て、Fとして正式に独立したフィリピンは、E(G)掃討にその目を向けた。が、のちに和平への道を探った。 51年にはHを締結し、対共産圏包囲網の一員に加わったが、65年、Iが大統領に就任すると、フィリピンは大きく変化した。 Iは典型的なJ体制を維持した人物だった。彼は学生デモに対してKを敷いていたが、国内の貧困状況は解決しておらず、北部で起こっていた共産党系集団、Lや南部の島にいたイスラーム教徒、Mによる分離独立運動は過激化していく一方だった。 長期化したI政権は、83年、Iの政敵Nの暗殺事件を機に崩壊の一途をたどり、86年Nの妻が大統領に就任すると、同年中にIはO(P)によって倒されるのだった。その後、民主化が進んだ。

    マニラ, マッカーサー, フィリピン独立準備政府, 大東亜会議, フクバラハップ, フィリピン共和国, フク団, 米比相互防衛条約, マルコス, 開発独裁, 戒厳令, 新人民軍, モロ民族解放戦線, ベニグノ=アキノ, ピープルパワー革命, フィリピン2月革命

  • 8

    フランス領インドシナ連邦の一つとして支配を受けていたラオスは、1946年、戦争が終わるとAとして自治権を与えられた。ついで、49年にはフランスとの協同国として独立が認められた。 ただし、この国の人々は形式的な独立に不満を抱いており、真の独立を求め50年に自由ラオス戦線、56年、Bと改称する。隣国であり同じくフランス植民地であったCでDが起こっていたこの頃、Eに率いられたF軍は54年にGで勝利を収めた。この勝利の背景にはBがいたのは間違いない。 1954年には、CとともにHに調印。フランスのインドシナ支配は終わりを告げた。 しかし彼らの戦いは終わらなかった。アメリカはインドシナへの軍事介入を行い始めたのである。I(J)を発足させ、共産化抑止に動いたアメリカは、1960年代後半、Kが泥沼化すると、BによるL支援を止めようと、71年にアメリカはMに踏み込む。けれども国民は屈さず、74年、ついに内戦が終わった。 その後はラオス人民民主共和国を樹立し、97年にはNに加盟している。が、C同様国家経済は停滞しており、政治的にもラオス人民革命党の一党支配が続く。

    ラオス王国, ラオス愛国戦線, ベトナム, インドシナ戦争, ホー=チ=ミン, ベトナム民主共和国, ディエンビエンフーの戦い, ジュネーヴ休戦協定, 東南アジア条約機構, SEATO, ベトナム戦争, 南ベトナム解放民族戦線, ラオス侵攻, ASEAN

  • 9

    日中戦争で、蒋介石政権を降伏に追い込むために、日本はAを襲った。1942年、太平洋戦争開始後A侵攻に成功すると5月前には全土制圧を行った日本は、蒋介石へのアメリカ、イギリスの援助ルート、援蒋ルートの遮断とインドへの介入を狙っていた。 しかし、45年3月からはB総裁によってCが結成され、抗日武装闘争が始まった。 日本軍敗退後は、元々植民地支配を受けていたDからの独立闘争を展開し、47年、Bが独立協定調印まで漕ぎ着け、48年にはEに加わらないままFとして独立した。 なお、G党のリーダーだったBは、その功績から独立の父と呼ばれるも、47年7月のうちに暗殺された。 1962年には軍部クーデターが起きていたが、その中でも諸民族がそぞれで分離独立運動を行なっており、内戦は激しい。 軍事政権支配を打破しようと学生を中心にHが起きると、88年にねウィン将軍が退陣、1988年の民主化の動きで、Iがそのリーダーとなった。しかし、再び軍部は武力行使を行い、99年にIは自宅軟禁されてしまった。なお、この頃に国称はJに変わっている。その後97年にはK(L)に加盟するも、軍政は続いており、他方で民主化デモも続いていた。 2010年、ついにIが解放されると、15年には大統領がすぐそこへ。しかし、憲法の規定上、大統領になることは許されず、しかし国家に尽力し16年には実質的な国家元首となった。2017年7月には、第3次インド=パキスタン戦争を経て成立したKに隣接した山間地域、Lの村でジェノサイドとも疑われる大量虐殺がJ軍人によって行われた。 なお、2021年には再度軍部クーデターが起こっており、未だ民主化は果たされていない。 なお、IはM(N)を結成している。

    ビルマ, アウンサン, 反ファシスト人民自由連盟, イギリス, イギリス連邦, ビルマ連邦, タキン, 民主化闘争, アウンサンスーチー, ミャンマー連邦, バングラデシュ, ロヒンギャ, 国民民主連盟, NLD

  • 10

    1941年の真珠湾攻撃のその日に、日本はタイ南部を襲った。両国ともに百人を超える死者が出たが、32年に立憲革命指導後、国家を率いていたAが停戦および日本軍への同盟を打診し、軍政を行なわれない同盟国となった。 42年にはイギリスがバンコクを空爆したため英米に宣戦。 戦後、日本の敗戦があらわになると、アメリカの支援のもと経済復興が行われた。この間に、隣国カンボジアの北西部からタイ領として認められた領土を、フランスのBに引き渡すよう要求され、国際社会への参加を条件にそれを飲んだ。 戦後すぐには民主的な憲法が作られたが、すぐに内閣の政治混乱が続き、代わりに対日協力者として捕らえられていたAが48年に復帰した。 復帰後は親米反共路線をとり、54年9月にはC(D)に加わっている。 しかし57年、総選挙での不正が明らかとなったAは、E率いる軍人のクーデターで辞任に追い込まれる。国民の信頼はなかったEは、再度クーデターを起こし、選挙そのものを無視し首相となった。 彼は「タイ式民主主義」という政策を打ち出し、ヨーロッパの民主主義とは異なる、王権の強い民主主義を目指したが、結果としてこれは絶対王政と何ら変わらなかった。 首相就任後の彼の政策は独裁的で、いわゆるFを行っていた。 その後何度か首相が変わるもどれも軍事クーデターで、同じくFを行っており、国王の調停によって国家は安定している、というタイ独特の支配が続いた。 60年代、Gの終結後には、67年にH(I)を発足させ反共を強めた。このHには、タイの他にJ、K、L、Mの外相が集まっており、集合場所はNだった。 しかし72年、Fが貧富の差を拡大させている観点から、反乱の火が灯され始め、Oをきっかけに抗議運動がおこった。 が、学生40万人が集まったこの抗議運動は、軍・警察の発砲により留まり、血の日曜日と呼ばれてしまう。これは世界的な学生運動の一つで、74年には新憲法が公布される、という成果を得た。その後は小政党乱立と軍事クーデターが目立ちつつも現在まで続いている。 なお、92年のクーデター後に登場した政党はグローバル経済の動向に振り回され、これがPに繋がった。つまりタイはPの震源地といえる。 やむなくタイは Q(R)に緊急支援を要請し、経済再建、危機からの脱却が行われた。しかし、国民はこの頃から、より強力なリーダーを求めるようになった。 2001年第1党となったタイ愛国党のSは、実業家から政治家に天神っした人物で、タイ経済に一定の復興を実現した。 彼は大衆動員型の政治体制、一種のTの政治手段を使い、シンガポールのUやマレーシアのVに習った安定政権を目指すも、結果軍事クーデターをうけそのまま亡命した。その後も軍事クーデターが続いている。

    ピブン, ド=ゴール, 東南アジア条約機構, SEATO, サリット, 開発独裁, ベトナム戦争, 東南アジア諸国連合, ASEAN, インドネシア, マレーシア, フィリピン, シンガポール, バンコク, 反日運動, アジア通貨危機, 国際通貨基金, IMF, タクシン, ナショナリズム, リー=クアンユー, マハティール

  • 11

    ベトナムでは、1904年、AがBでの日本の勝利を受け、維新会を結成して反仏運動を始めて以降、幾度も挫折しつつも、1911年のCの際に考えを改め、共和政の新たな国家を目指し、Dが組織された。彼らはフランスに強く弾圧を受けたが、その後マルクス主義を学び、民族独立運動を指揮することとなるのが、30年からEを築いたFである。(Eは創設当初はGだった) Hとして、カンボジアやラオスとともにフランスの支配が起こっていたベトナムは、ドイツ軍のパリ征服によって、ついに独立の息吹が訪れたと思ったが、40年9月、日本軍の進駐を受けてしまう。41年7月、南部仏印まで進駐の手を伸ばした日本軍はそこで食糧供給を行い、結果国民は200万人ほど死んだと言われている。 1945年8月、日本が無条件降伏すると、Fを中心としてIが独立を宣言。41年5月、対日、対仏を目的として組織されたJ(K)の一斉蜂起によって起こったこの臨時政府は、首席がF、Lの最後の皇帝、Mは退位を余儀なくされた。首都がNにおかれると、それに対抗したフランスがMを擁立しOを建国。インドシナ戦争が始まった。54年、Pが開催され、朝鮮やインドシナの問題への対応が求められる中、(Pは戦後初の大規模国際会議)開催中の5月にQが起こり、フランス軍は大敗北を喫した。こうして、7月にはPで、Rが成立し、ベトナムはラオスやカンボジアとともに独立を果たした。が、ドミノ理論の観点から共産化を懸念したアメリカによってベトナム統一はならず、Rにアメリカは参加しないまま、南ベトナムにSを樹立した。

    ファン=ボイ=チャウ, 日露戦争, 辛亥革命, ベトナム光復会, インドシナ共産党, ホー=チ=ミン, ベトナム共産党, フランス領インドシナ連邦, ベトナム民主共和国, ベトナム独立同盟, ベトミン, 阮朝, バオ=ダイ, ハノイ, ベトナム国, ジュネーヴ会議, ディエンビエンフーの戦い, ジュネーヴ休戦協定, ベトナム共和国

  • 12

    ジュネーヴ休戦協定が成立した1954年、これを認めないアメリカは最終宣言に参加しないままに南ベトナムを支配し、フランスの傀儡だったAのBを追放し、親米派のCを大統領としたDを建国した。 つまり、北ベトナムはEらF(G)の指導するH、南ベトナムはCの指導するD、という対立構造が生まれてしまった。 なお、1960年には統一戦線、Iが結成されゲリラ戦を展開する。アメリカからは蔑称としてJと呼ばれるようになった。北ベトナムはIを支持し、63年11月、Cはクーデターで倒れた。 しかし、アメリカはこれでも諦めない。64年8月2日、アメリカのジョンソンはKを起こし、北ベトナムへLを行った。 アメリカはLと軍隊派遣で全土の制圧を目指したが、ゲリラ戦と防空壕がアメリカを苦しめた。68年5月にはMが開かれ、Lは停止したが、北、南、そして結局は戦争は続き、進展はなかった。 70年代からはベトナムへのパイプを止めるためN、Oが行われ、犠牲が増大。アメリカ内外での反戦運動は、73年、ついにPとして実を結ぶ。これは、アメリカ大統領がニクソンに代わり、外交官Qとベトナム側とでの秘密交渉ののち、ついに和平が成立したものだった。 3月29日にはアメリカ軍は完全撤退した。75年の4月にはRがなされ、Dは崩壊した。首都は依然としてSに置かれた。 しかし、ベトナムは新たな脅威に直面する。隣国のT政権だった。中国の支援を受けていたTと、ソ連の支援を受けていたH、それぞれの国は対立し、こうして78年末からUが始まった。結果として79年1月には首都Vが陥落し、勝利。変わってW政権が樹立した。 けれども、未だ戦争は終わらない。今度は中国が中越戦争を起こした。が、この頃の中国は文革の後遺症に苦しんでおり、国家主席のXに力はなかった。すぐに撤退したが、それでもこうした幾重にも重なった戦争は、結果としてベトナム国内の経済悪化をもたらしてしまった。なお、これら戦争のうち、ベトナムからタイへ流入した人々をYと呼ぶ。 85年、ゴルバチョフのペレストロイカ以降は、ソ連の影響が弱まり市場経済が導入された。その新路線を、ベトナム語ではZと呼ぶ。さて、その結果ベトナムはカンボジアへの影響力を弱めたので、89年に軍隊を撤退。91年にはaが成立した。95年にはb(c)に加盟、同年にはアメリカのdと国交正常化を行った。 ベトナム共産党→インドシナ共産党→ベトナム労働党→ベトナム共産党

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  • 13

    1937年、盧溝橋事件から日中戦争に突入した日本は、ベトナムを経由したAを抑えようとしていた。39年、WW2が始まり、40年の6月にフランスが降伏すると、4年9月北部仏印に進駐した日本は、翌年7月に南部にも進駐。ベトナムやラオスと同様、カンボジアにとってこれは独立運動加熱の要因となった。 45年3月、日本軍は国王、Bに独立を宣言させ、日本の国家として操ろうとしたが、8月に敗戦すると、変わってフランスが戻ってきた。フランスとベトナムの戦い、 C戦争の最中、53年の11月にはBが独立を宣言したため、C戦争の間のDを経たEで、独立は国際的に承認された。 以降、Bのもとでしばらく安定した時代が続くも、65年にFが始まると、北ベトナムへの支援を行い、こうして北への支援ルート、G(H)の基地としてカンボジアを使うことを容認した。 が、70年3月、親米派の将軍、Iがアメリカの指示でクーデターを起こす。これによってBは退任を強いられ、直ちにアメリカはJを行い拠点を攻撃した。 ベトナムに及んでいたアメリカの魔の手はカンボジアにももたらされ、これはカンボジア内戦に突入した。 70年から75年には親米派のI政権が成立し、75年には民族統一戦線であるK(L)がクーデターを起こし、翌76年、Mが成立した。なお、75年4月30日のNは、I政権が倒された13日後だった。なお、この頃Bを復権させていたが、すぐにポル=ポトが政権を握った。 ポル=ポトは親中派の独裁者だった。カンボジア大虐殺を行った彼は、O人やPを殺している。しかし、のちにこの残虐性が露呈し、79年1月にはベトナムから侵攻を受けた。首都Qが陥落すると、変わって成立したのがR政権で、国名はSになった。なお、国内には未だにBやポル=ポトの支持者がいたため、内戦は続いていた。なお、1989年にはベトナム軍が撤退し、国号がTに変更。社会主義路線から転換。91年10月にはaが成立した。その後は93年にbへと変わり、立憲君主政国家としてBが復位した。 なお、国連のc(d)の一環として、91年からはe(f)がカンボジア復興にあたることになっている。 1999年4月にはg(h)に加盟、2004年にはi(j)に加盟し経済導入に努めた。

    援蒋ルート, シハヌーク, インドシナ戦争, ジュネーヴ会議, ジュネーヴ休戦協定, ベトナム戦争, 南ベトナム解放戦線, ベトコン, ロン=ノル, カンボジア侵攻, クメール=ルージュ, 赤色クメール, 民主カンプチア, サイゴン陥落, チャム, 華僑, プノンペン, ヘン=サムリン, カンボジア人民共和国, カンボジア国, カンボジア王国, 国連平和維持活動, PKO, 国連カンボジア暫定統治機構, UNTAC, 東南アジア諸国連合, ASEAN, 世界貿易機構, WTO

  • 14

    ラオスはフランスからの独立を目指していた。46年にはAとして自治を与えられていたが、50年に成立したB(56年にCに改称)隣国ベトナムが54年9月のディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利したことで、同年中にジュネーヴ休戦協定に調印する形で独立を果たした。しかし、アメリカから攻撃を受け、ベトナム戦争中の71年にはアメリカがDを行った。その後は独立し、97年にはE(F)に加盟した。

    ラオス王国, 自由ラオス戦線, ラオス愛国戦線, ラオス侵攻, 東南アジア諸国連合, ASEAN

  • 15

    1957年、イギリス領Aが独立し、Bとなった。これはマレー人、中国系、インド系の3民族で構成された国家で、イギリスは41年のCでは戦後の民族独立を約束したものの手放さないつもりだったが、戦後の反乱をもとに独立を果たした。 63年9月、DとEの二つの州を組み込み、新たにFとして成立する。この国はまず、Gに加盟しイギリスと関係を深め、首都はHに置かれた。 建国と同日、この成立に反対したのがIだった。IのJは、Eの領有権を主張し国交を断絶。さらにKがFを非常任理事国に組み込むと、反発してFを脱退した。(同年Jがクーデターで失脚すると翌年すぐに復帰) この国家は、マレー人の他に中国系のKとインド系のLも多く、特にKとは度々衝突し、65年にはDが独立した。 ベトナム戦争が本格化すると、アメリカ側としてM(N)の初期メンバーに加わり、反共勢力の一部となった。 68年、イギリスのO内閣がPを表明すると、71年、Fは名実共に自立した。(なお、Gには今でも加盟している。) この国は、他国に多かったQとよばれる独裁体制が敷かれることが長らくなかったが、81年に首相に就任したRはそれに近い人物だった。彼は立憲君主政ながらも国王権を制限し、Sという言葉に示された経済政策に成功した。Qと呼ばれる体制は、国家形成を固める一方、どの国にもクーデター時代を招くようになっていたが、DのTとともに、Rは暴力的な政権交代に至らなかった。 97年のUはFにも及んだが、経済の急成長さえストップしたものの、Vによる通貨管理を拒否し、危機を乗り切ることに成功した。 2003年には老化から正解を引退したが、2018年5月には、92歳という世界最高齢で首相に返り咲いた。彼はWを廃止する、という衝撃の政策を行っている。なお、2020年には国王に辞表を提出した。

    マラヤ, マラヤ連邦, 大西洋憲章, シンガポール, ボルネオ, マレーシア, イギリス連邦, クアラルンプール, インドネシア共和国, スカルノ, 国際連合, 華僑, 印僑, 東南アジア諸国連合, ASEAN, ウィルソン, スエズ以東からの撤兵, 開発独裁, マハティール, ルック=イースト, リー=クアンユー, アジア通貨危機, IMF, 消費税

  • 16

    オランダ領インドとして植民地支配が行われていたインドネシアは、AのBが導入されて以降は、反植民地運動が行われていた。 20世紀の初め、女性解放運動と同時に先駆的にインドネシア民族運動を始めた女性がCだった。また、ジャワ島では農民が宗教運動、Dを行っていた。このような動きが組織的に行われるようになるのは、1908年、最高の徳を意味して名付けられたEという団体が始まりだった。しかし、これは知識人運動にとどまり、その後1911年、F(G)が大衆的に成立すると、インドネシア語の定着とともに1914年には37万人もの人物が独立運動へと羽ばたき出した。 しかし、1920年に入ると共産主義者が共産主義の必要性を語り出し、内部分裂。1920年、H最初の共産党、Iが結成される。オランダ人のスネーフリートはインドネシア人民族主義活動家を組織していた人物で、彼はJの戦術によってKに尽力し、インドネシア独立へと向かっていた。なお、Iののちに成立したのが、21年の中国共産党、22年の日本共産党などである。 しかし、23年までに当局から弾圧を受け、その勢力の大半が壊滅する。 困難を極めた独立の意思は、多様性の中の統一を掲げることによって性格を明らかにし、27年のLを指導者として作られたMがその一種の集大成となった。 1920年代から30年代にかけてはオランダからの激しい弾圧を受けていたインドネシアも、太平洋戦争で日本に乗っ取られると変化する。42年には国家全域を日本軍部に支配されたが、翌年、東条英機は帝国議会で、参戦を条件に独立行為を認めることにした。これはNとOに限っては認められたが、インドネシアはそれに含まれず、Lは強い不満を抱いた。このため、独立国扱いでないインドネシアは11月のPに参加できていない。 1945年6月1日、日本の敗戦が濃厚になると、LはQ(R)をその建国理念とすることを掲げ、多様性の中の統一、という側面を明らかにした。 その後8月、Sとして成立したインドネシアだったが、9月にはオランダの支配が復活しそうになってしまい、47年7月21日、Tが始まった。しかしこの侵略行為は世間からの批判を受け、安全保障理事会は調停案を固めた。しかし、それはインドネシアをオランダの連邦国家として独立させるもので、強い不満が残ってしまった。 インドネシアは強く反発し、しかしこれは決して無駄でなかった。 46年からのU、フィリピンでのVの抗米闘争を受け、アメリカは東南アジア問題と共産化を恐れていたため、仲介に動いたのだ。 49年11月2日、Wが成立し、こうしてオランダ領東インドは終結、Xが成立した。首都がYであったこの国は、けれども未だオランダ傀儡国家で、1950年Zとして合流したことで、単一の国民国家がついに成立するのだった。

    ファン=デン=ボス, 強制栽培制度, カルティニ, サミンの民, ブディ=ウトモ, イスラーム同盟, サレカット=イスラーム, アジア, インドネシア共産党, 人民戦線, 国共合作, スカルノ, インドネシア国民党, フィリピン, ビルマ, 大東亜会議, 建国五原則, パンチャシラ, インドネシア共和国, インドネシア独立戦争, インドシナ戦争, フクバラハップ, ハーグ協定, インドネシア連邦共和国, ジャカルタ, インドネシア共和国

  • 17

    1950年、インドネシア共和国が完成した。大統領に就任したAは、まず国際社会で積極的な発言を行うようになった。 55年4月、B(C)をバンドンで開催すると第三世界のリーダーとして国際的な脚光を浴びた。が、政党は乱立していたため、Aは次第に独裁体制を考えるようになる。そうして59年、Aによってナショナリズムと宗教、共産主義が融合したD(E)が成立した。その元ではF、ナフダトゥル=ウラマ党、Gのみが存在を許され他の政党は活動を停止させられ、つまりAはアジアにおいては帝国主義と戦う自由と解放を目指す人物、国内では権威主義的な独裁者、と二面性を持っていた人物だといえる。 彼にとっての目先の問題は、ニューギニア島の西半分にあったHだった。Hはオランダに奪われたままだったため、どうにか奪回しようと思っており、しかし62年8月、H協定が成立し63年には帰属が実現した。 これは国民の支持を増やし、こうしてAはIの称号を入手することになった。 しかし、続いてJが成立した際にその一部である北Kに関してその権利を主張すると、国際連合を脱退することに決めた。 このような政策はのちに、軍部や大資本、アメリカなどから警戒心を強め、Aの体調が悪化した65年、Lを機に権威は失墜。軍を背景としたM将軍がその権限を奪った。なお。これにはアメリカのNが関わっているとされている。 その後Mは全国的にOへの弾圧を行い、ポル=ポトに匹敵するほどの大虐殺が行われている。当時国際連合から脱退していたことが、長く虐殺が行われたその要因と言える。なお、これはA政権と友好な関係にあった毛沢東に影響を与え、Pの背景となった。 なお、このLに対しAの嫁デヴィはこのように記している。 「誰が糸を引き、誰が将軍たちに行動のための資金を与えたのか。ここまでくると、私はNの黒い影を感じずにはいられない。Lが起きた同じ年、アルジェリアのQは足元をさらわれた。遠くはガーナのRが、70年にはカンボジアのSがわずかな隙を狙われていた。そして73年秋には、我が国とそっくりな事件が、サンチャゴで起こり、チリのTは倒れた。大統領の死後わずか5年にして、米上院の委員会は、キューバのU首相らを倒そうとした「いくつかの証拠」があったと発表している。」

    スカルノ, アジア=アフリカ会議, A4会議, ナサコム, NASAKOM, インドネシア国民党, インドネシア共産党, 西イリアン, 終身大統領, マレーシア連邦, ボルネオ, 九・三〇事件, スハルト, CIA, インドネシア共産党, プロレタリア文化大革命, ベン=ベラ, エンクルマ, シハヌーク, アジェンデ, カストロ

  • 18

    1965年、左派クーデターを鎮圧し、インドネシアの実権を握ったスハルトは、国家原理Aを押し出した、「新秩序」を掲げており、徹底的な共産党弾圧のすえ、政策の基盤を作り上げた。その上で、いわゆるBのもと国家形成がなされた。大統領になると、スカルノ時代の親中反米路線を改め、まずはマレーシアとの関係を修復しCに復帰、中国に対して国交断絶を行った。65年からのベトナム戦争ではアメリカの期待に応える形で軍事同盟の形成を画策。67年8月にD、E、F、Gの5カ国でH(I)を結成した。 また、ポルトガル領だったJで独立運動が起こると、国軍を派遣しインドネシアに併合。J紛争が始まった。 また、K後の中国が、 LのもとM路線に転じると、89年には国交回復を行った。が、97年、Nが波及すると、Oからの改革に頼らざるをえず、けれどもこれは主権国家体制の崩壊であった。 なお、インドネシアにとって建国当初から独立運動を起こしていたのがP州だった。これはインドネシア共和国を構成するQ島の最北部だった。(2004年のRによる津波で死者が大勢出たため、2005年大幅な自治を認め講和) 98年、スハルトが大統領選挙で倒れると、99年にはSの独立をきめ、01年にはTの娘、メガワティが即位した。なお、2022年、首都がUからVに変化した。

    パンチャシラ, 開発独裁, 国際連合, フィリピン, タイ, シンガポール, マレーシア, ASEAN, 東南アジア諸国連合, 東ティモール, プロレタリア文化大革命, 鄧小平, 改革開放, アジア通貨危機, IMF, アチェ, スマトラ, スマトラ沖地震, 東ティモール, スカルノ, ジャカルタ, ヌサンタラ

  • 19

    Aが人口の多数を占めるシンガポールでは、抗日意識が強かった。が、42年、太平洋戦争の最中占領されると、反日主義者や共産主義者は攻撃され、この中でのちにシンガポールの首相となるBは機転を効かし逃れている。 157年、戦争終了後にはイギリスによってCが独立を認められるも、シンガポールは除外されていた。62年までにBの手によって政権が発足し、正式にC、DとともにEを作成。それまで自治政府に過ぎなかったものが、Eに加わる形で独立した。しかし、そのまま65年にはAでもめ、分離独立。 その後、BはFを指導。一党支配による、国内マレー人、インド人の統率をはかった。 外政では、安定した国際関係を狙う。シンガポールを敵視していたGがHで退陣したことや反共主義国家が67年にI(J)を結成したことは、シンガポールにとってありがたかった。 しかし、イギリスのK首相によるLの表明は、68年、シンガポールに工業化を急がせることとなる。イギリス軍がいなくなることは、必ずしも良いことではなかった。 BによるFは、世界的にも珍しいFの成功例となった。なぜなら、彼の即位期、国家は安定しており、その後もクーデターが起きなかったからだ。1960年代から90年代にかけては、M、N、 OとともにPと呼ばれ、世界市場に大きく影響していた。 なお、M、N、Oはどれも隣国問題を抱えていたが、シンガポールのみは特にそういった問題もなかったことがよかった。なお、彼のこの成功例は、中国のQによるRに影響している。

    華僑, リー=クアンユー, マレーシア連邦, ボルネイ, インドシナ連邦, 開発独裁, スカルノ, 九・三〇事件, ASEAN, 東南アジア諸国連合, ウィルソン, スエズ以東の撤兵, 台湾, 香港, 韓国, アジア四小龍, 鄧小平, 改革開放政策

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    アメリカ独立革命〜縛るものはもう何もない〜

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    イタリア=ルネサンス

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    17〜19世紀の文学

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    17〜19世紀の文学

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    問題一覧

  • 1

    イギリスがAを公布したインドでは、大幅な自治が認められていた。 しかし、第二次世界大戦が始まると、自動的にイギリスの協力のため戦争に参加するよう要求され、Bは、反発したCの指導のもと戦争反対を掲げたD運動を開始させる。 それに対して、1906年からイスラーム教徒が組織しているEは戦争協力の姿勢を見せていたため、対立構造へ。 Eのリーダー、Fは「G」を提唱し、新国家形成の道を模索した。 1941年、日本が太平洋戦争を始めると、42年3月、隣国のHが侵攻され、インドに脅威が迫る。対日国にインドを組み込むため、アメリカはイギリスに独立承認を迫り、チャーチルは協議。 戦争の協力を前提とした、戦後独立で意見が固まったが、Cらは拒否し、こうしてIが始まった。なお、左派指導者でBにいたJは日本軍につくことを是と捉え日本軍に協力。敗戦後死亡した。 大戦終結前には、イギリス首相がアトリーに代わる。 労働党はかねてからインド独立承認を掲げており、独立の動きが加速していった。 しかし、その中でもイスラーム教徒とヒンドゥー教徒の対立が増し、カルカッタでBとEとは衝突。死者負傷者含め二万人ほどの大惨事となってしまう。 その後も宗教対立(K)が続き、非暴力を唱えるCでさえ抑止することはできなかった。イギリス政府はBとE、それぞれのリーダーであるFとLとをロンドンに招いたが、それも失敗に終わり、最終的に分離独立しかないという結論に至った。 Cは融和を求め、Bを去ったが、47年、Mが成立し、こうして8月15日にNとパキスタン、二つの国が独立した。しかしこの2カ国は、47年の独立後すぐにOの帰属をどちらが得るのかでもめ、これがのちに3次まで続く、Pの始まりとなった。 なお、OはいわゆるQで、王はヒンドゥー教徒であったのにも関わらず、住民の大部分がイスラーム教徒であったのがいけなかった。 その後もインドがRで実質的敗北を喫した65年、再びOについて争い、第3次はパキスタンの東側であるS地方で独立運動が起こり、それにつけこんだインドのT政権が独立支援。Sは独立し、Uとなった。 第3次が起きた71年以降も睨み合いは続き、インドのV主義の台頭が起こった80年代、ナショナリズムを掲げたWが政権を獲得した98年と対立が深まると、98年には2国ともにXを行った。(先はインド) なお、アメリカでYが起こって以降はアメリカが両国の平和へと尽力した結果対立関係は解消しつつあるが、2008年にはインドのZで同時多発テロが起こるなど、いまだに諍いは絶えない。

    1935年インド統治法, 国民会議派, ガンディー, サティヤーグラハ, 全インド=ムスリム連盟, ジンナー, 二民族論, ビルマ, インドを立ち去れ運動, チャンドラ=ボース, コミュナリズム, ネルー, インド独立法, インド連邦, カシミール, インド=パキスタン戦争, 藩王国, 中印国境紛争, ベンガル, インディラ=ガンディー, バングラデシュ, ヒンドゥー至上, インド人民党, 核実験, 同時多発テロ, ムンバイ

  • 2

    パキスタンは、1947年の8月15日、インドとともに独立したイスラーム国家である。 この国は、その起源をAにもつ。Aはインド国内で、国民会議派と対立しており、1940年Bが「C」と言われる分離独立の方針を決議していた。 独立後当初はDの一員であったが、56年に脱退し、Eとなり大統領制の国家となった。 建国直後からインドとFを巡って争い、しかし1度目では国際連合の調停によって休戦してしまった。 戦争の実質的な敗北は、建国の父Bが急死すると不穏さをうみ、軍の台頭という結果に繋がった。インドのGが第三世界に与する姿勢を見せると、それに対抗する形でアメリカに接近する。その一環で、太ソ包囲軍事同盟網である54年のH(I)、55年のJ(K)に加わった。 59年のLでインドと中国が対立し、62年にMが起こると、今度は中国に接近する。 そういった中で、第2次インド=パキスタン戦争が起こった。が、当時Nの本格化に備えていたアメリカは停戦の必要を感じ、国際連合の手によって停戦が決定していた。 1971年には独立宣言を発表した東パキスタンのOを弾圧しようとしたが、Oがインドの支援を受けていたため、第3次インド=パキスタン戦争が起こる。インドのP政権によってこの戦争はO(Q)の独立に終わり、結果71年12月のRでインド、パキスタンの境界線が決まった。しかし、この境界線にFの行先は含まれていない。 その後は98年、インドの核実験に対抗して同年中に核実験を行い、核戦争の危機が漂っていた。 しかし、2001年のS以降 Tを行いUとの戦いに乗り出したアメリカによって、インド、パキスタン両国は平和への道に乗り出すことになる。あくまで親米の立場を崩さないパキスタンはUの弾圧を行ったが、北部のVとの国境線は、 Wの活動拠点となってしまう。2011年、 Xの指導者Yが潜伏し、殺害されたのはパキスタン北部の山岳地である。なお、2012年にはWによって銃撃された14歳の少女、ZがWの残虐性を主張し世界にその残虐性を理解させたが、彼女が銃撃されたのもパキスタンである。

    全インド=ムスリム連盟, ジンナー, パキスタン決議, イギリス連邦, パキスタン=イスラーム共和国, カシミール, ネルー, 東南アジア条約機構, SEATO, 中東条約機構, MATO, チベット問題, 中印国境紛争, ベトナム戦争, ベンガル地方, インディラ=ガンディー, バングラデシュ, 同時多発テロ, アフガニスタン攻撃, イスラーム原理主義, アフガニスタン, タリバン, アル=カーイダ, ビン=ラディン, マララ=ユスフザイ

  • 3

    (長いので続きます) 1950年、Aで「B憲法」が施行されると、それ以降インドはBと呼ばれた。インド初代首相となったCは、国内での基盤を安定させつつ、冷戦下でDを掲げ、Eの指導者として登場した。 これは中国のF、エジプトのG、インドネシアのHと同様に重要な存在であった。 1954年4月、Fと懸案事項、Iについて会談を行うと、Jで一致し55年に共同声明として発表した。 並行して54年にはKを開催。 Lの首都Mで、インド、L、N、O、Pによる5カ国会談を行った。これをきっかけに開かれたのが、Qだった。世界が53年のR、54年のS停戦で平和共存が可能であると盛り上がる中、開かれたこの会議は、米ソにも影響をもたらし、同年のTに繋がった。

    インド連邦, インド共和国, ネルー, 非同盟主義, 第三世界, 周恩来, ナセル, スカルノ, チベット問題, 平和五原則, コロンボ会議, スリランカ, コロンボ, インドネシア, ビルマ, パキスタン, アジア=アフリカ会議, 朝鮮休戦協定, インドシナ戦争, ジュネーヴ休戦協定

  • 4

    第二次世界大戦後、アジアやアフリカの諸国代表が開いたのがアジア=アフリカ会議だった。AのBにあるCで開かれたこの会議は、C会議とも呼ぶ。議長はAのDで、「この会議は有色人種の代表による、世界最初の国際会議である」と述べられた。共同声明として、54年、EとFによって約束されたGを強化したHが発表された。この会議の成功は、東西冷戦で睨み合う超大国、両国に影響を与えた。しかし、インドと中国の対立と、2度目の開催国に予定されていたIでクーデターが起こりJ政権が倒されたことで、もう開かれることはなかった。

    インドネシア, ジャワ島, バンドン, スカルノ, ネルー, 周恩来, 平和五原則, 平和十原則, アルジェリア, ベン=ベラ

  • 5

    1961年、9月1日にはAのB、CのDとAの首都EでFを行ったネルーは、独自路線を保っていたBとの協調を図った。当時米ソ両国は、アメリカがGとの断交を行い、8月にはHが構築、と危機を迎えていた。この会議にはA、C、インドの他にも22カ国出席し、ガーナのIは植民地主義や帝国主義への反対を強調した。その後も何度か開かれているが、特に79年には120カ国が参加し、たとえばキューバのJ、シリアのK、イラクのL、パレスチナ解放機構(M)のNらが参加している。

    ユーゴスラヴィア, ティトー, エジプト, ナセル, ベオグラード, 非同盟諸国首脳会議, キューバ, ベルリンの壁, エンクルマ, カストロ, アサド, フセイン, PLO, アラファト

  • 6

    非同盟諸国と連携していたネルーは、一方でパキスタンとAを巡って、中国とBを巡って対立関係にあった。62年10月にはCが起こってしまい、敗色が濃厚になると、アメリカに頼らざるをえず、非同盟主義を放棄せざるを得なかった。この頃、病気にかかっていたネルーはそのまま死去し、その後のインドは一貫して、国際的な核防止の流れに同意することができず、D(NPT)、E(CTBT)には加盟しなかった。 1966年には、ネルーの一人娘、Fが首相に就任する。彼女は民主主義と社会主義の推進を掲げる左派の立場を明確にしたが、彼女の政治は社会主義的な側面が強い、いわゆる強権政治であった。第3次インド=パキスタン戦争ではその勝利によって支持を高めたが、74年4月には諸制度の不備から抗議運動が上がり、国民の支持回復のために地下Gを行ったが、自らの首を絞めることとなった。 なお、彼女は66年、二言語圏だったH州を分割したが、経済力を強めたI教徒から自治権要求をうける。80年代にはJでIが拠点を築き、その武力制圧を行った年の10月、射殺されてしまった。その後国民会議派が後継者に選んだのは、彼女の長男、Jだった。3代続いてネルーファミリーであり、Jは「Mr.クリーン」と言われ汚職を行わない人物として当選した。しかし、87年、賄賂疑惑が浮上し、国民の支配を失いつつあった。その後はシングを中心とする連立内閣が成立するも、この頃、インドではK運動が過激さを増しており、シング内閣も総辞職をくらう。その後の選挙で再選を狙ったJはその運動中にLによって殺された。87年、Mに加わったJへの報復だと加害者は語った。 なお、その後はKを唱えていたNが力を強め、北インドでのO問題(ヒンドゥー教徒によるモスク破壊運動)で勢力を拡大し、98年国民会議派を破る形で政権を握った。98年からは何度もPに踏み切っている。 (OはQの主人公Rの誕生地として知られ、ヒンドゥー教徒の聖地であったが、Sの初代皇帝、Tはその地にモスクを建設しており、そのまま存続していた。)

    カシミール, チベット, 中印国境紛争, 核拡散防止条約, 包括的核実験禁止条約, インディラ=ガンディー, 核実験, パンジャーブ, シク教, アムリットサール, ラジブ=ガンディー, ヒンドゥー至上主義, タミル人, スリランカ内戦, インド人民党, アヨーディヤ, 核実験, ラーマーヤナ, ラーマ, ムガル帝国, バーブル

  • 7

    1940年12月8日、真珠湾攻撃が始まったその10時間後には、フィリピン侵攻は始まっていた。翌年1月2日にはAに入城した日本政府は、B将軍をオーストラリアへと撤退させ、また1935年から10年後の独立へと準備していたCもワシントンへと撤退し亡命政権を築いていた。43年11月には東京でDに出席しており、44年9月には対米参戦を志した。一方、共産党集団は抗日人民軍、Eとしてゲリラ戦を展開していた。 1946年、アメリカとの約束を経て、Fとして正式に独立したフィリピンは、E(G)掃討にその目を向けた。が、のちに和平への道を探った。 51年にはHを締結し、対共産圏包囲網の一員に加わったが、65年、Iが大統領に就任すると、フィリピンは大きく変化した。 Iは典型的なJ体制を維持した人物だった。彼は学生デモに対してKを敷いていたが、国内の貧困状況は解決しておらず、北部で起こっていた共産党系集団、Lや南部の島にいたイスラーム教徒、Mによる分離独立運動は過激化していく一方だった。 長期化したI政権は、83年、Iの政敵Nの暗殺事件を機に崩壊の一途をたどり、86年Nの妻が大統領に就任すると、同年中にIはO(P)によって倒されるのだった。その後、民主化が進んだ。

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  • 8

    フランス領インドシナ連邦の一つとして支配を受けていたラオスは、1946年、戦争が終わるとAとして自治権を与えられた。ついで、49年にはフランスとの協同国として独立が認められた。 ただし、この国の人々は形式的な独立に不満を抱いており、真の独立を求め50年に自由ラオス戦線、56年、Bと改称する。隣国であり同じくフランス植民地であったCでDが起こっていたこの頃、Eに率いられたF軍は54年にGで勝利を収めた。この勝利の背景にはBがいたのは間違いない。 1954年には、CとともにHに調印。フランスのインドシナ支配は終わりを告げた。 しかし彼らの戦いは終わらなかった。アメリカはインドシナへの軍事介入を行い始めたのである。I(J)を発足させ、共産化抑止に動いたアメリカは、1960年代後半、Kが泥沼化すると、BによるL支援を止めようと、71年にアメリカはMに踏み込む。けれども国民は屈さず、74年、ついに内戦が終わった。 その後はラオス人民民主共和国を樹立し、97年にはNに加盟している。が、C同様国家経済は停滞しており、政治的にもラオス人民革命党の一党支配が続く。

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  • 9

    日中戦争で、蒋介石政権を降伏に追い込むために、日本はAを襲った。1942年、太平洋戦争開始後A侵攻に成功すると5月前には全土制圧を行った日本は、蒋介石へのアメリカ、イギリスの援助ルート、援蒋ルートの遮断とインドへの介入を狙っていた。 しかし、45年3月からはB総裁によってCが結成され、抗日武装闘争が始まった。 日本軍敗退後は、元々植民地支配を受けていたDからの独立闘争を展開し、47年、Bが独立協定調印まで漕ぎ着け、48年にはEに加わらないままFとして独立した。 なお、G党のリーダーだったBは、その功績から独立の父と呼ばれるも、47年7月のうちに暗殺された。 1962年には軍部クーデターが起きていたが、その中でも諸民族がそぞれで分離独立運動を行なっており、内戦は激しい。 軍事政権支配を打破しようと学生を中心にHが起きると、88年にねウィン将軍が退陣、1988年の民主化の動きで、Iがそのリーダーとなった。しかし、再び軍部は武力行使を行い、99年にIは自宅軟禁されてしまった。なお、この頃に国称はJに変わっている。その後97年にはK(L)に加盟するも、軍政は続いており、他方で民主化デモも続いていた。 2010年、ついにIが解放されると、15年には大統領がすぐそこへ。しかし、憲法の規定上、大統領になることは許されず、しかし国家に尽力し16年には実質的な国家元首となった。2017年7月には、第3次インド=パキスタン戦争を経て成立したKに隣接した山間地域、Lの村でジェノサイドとも疑われる大量虐殺がJ軍人によって行われた。 なお、2021年には再度軍部クーデターが起こっており、未だ民主化は果たされていない。 なお、IはM(N)を結成している。

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  • 10

    1941年の真珠湾攻撃のその日に、日本はタイ南部を襲った。両国ともに百人を超える死者が出たが、32年に立憲革命指導後、国家を率いていたAが停戦および日本軍への同盟を打診し、軍政を行なわれない同盟国となった。 42年にはイギリスがバンコクを空爆したため英米に宣戦。 戦後、日本の敗戦があらわになると、アメリカの支援のもと経済復興が行われた。この間に、隣国カンボジアの北西部からタイ領として認められた領土を、フランスのBに引き渡すよう要求され、国際社会への参加を条件にそれを飲んだ。 戦後すぐには民主的な憲法が作られたが、すぐに内閣の政治混乱が続き、代わりに対日協力者として捕らえられていたAが48年に復帰した。 復帰後は親米反共路線をとり、54年9月にはC(D)に加わっている。 しかし57年、総選挙での不正が明らかとなったAは、E率いる軍人のクーデターで辞任に追い込まれる。国民の信頼はなかったEは、再度クーデターを起こし、選挙そのものを無視し首相となった。 彼は「タイ式民主主義」という政策を打ち出し、ヨーロッパの民主主義とは異なる、王権の強い民主主義を目指したが、結果としてこれは絶対王政と何ら変わらなかった。 首相就任後の彼の政策は独裁的で、いわゆるFを行っていた。 その後何度か首相が変わるもどれも軍事クーデターで、同じくFを行っており、国王の調停によって国家は安定している、というタイ独特の支配が続いた。 60年代、Gの終結後には、67年にH(I)を発足させ反共を強めた。このHには、タイの他にJ、K、L、Mの外相が集まっており、集合場所はNだった。 しかし72年、Fが貧富の差を拡大させている観点から、反乱の火が灯され始め、Oをきっかけに抗議運動がおこった。 が、学生40万人が集まったこの抗議運動は、軍・警察の発砲により留まり、血の日曜日と呼ばれてしまう。これは世界的な学生運動の一つで、74年には新憲法が公布される、という成果を得た。その後は小政党乱立と軍事クーデターが目立ちつつも現在まで続いている。 なお、92年のクーデター後に登場した政党はグローバル経済の動向に振り回され、これがPに繋がった。つまりタイはPの震源地といえる。 やむなくタイは Q(R)に緊急支援を要請し、経済再建、危機からの脱却が行われた。しかし、国民はこの頃から、より強力なリーダーを求めるようになった。 2001年第1党となったタイ愛国党のSは、実業家から政治家に天神っした人物で、タイ経済に一定の復興を実現した。 彼は大衆動員型の政治体制、一種のTの政治手段を使い、シンガポールのUやマレーシアのVに習った安定政権を目指すも、結果軍事クーデターをうけそのまま亡命した。その後も軍事クーデターが続いている。

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  • 11

    ベトナムでは、1904年、AがBでの日本の勝利を受け、維新会を結成して反仏運動を始めて以降、幾度も挫折しつつも、1911年のCの際に考えを改め、共和政の新たな国家を目指し、Dが組織された。彼らはフランスに強く弾圧を受けたが、その後マルクス主義を学び、民族独立運動を指揮することとなるのが、30年からEを築いたFである。(Eは創設当初はGだった) Hとして、カンボジアやラオスとともにフランスの支配が起こっていたベトナムは、ドイツ軍のパリ征服によって、ついに独立の息吹が訪れたと思ったが、40年9月、日本軍の進駐を受けてしまう。41年7月、南部仏印まで進駐の手を伸ばした日本軍はそこで食糧供給を行い、結果国民は200万人ほど死んだと言われている。 1945年8月、日本が無条件降伏すると、Fを中心としてIが独立を宣言。41年5月、対日、対仏を目的として組織されたJ(K)の一斉蜂起によって起こったこの臨時政府は、首席がF、Lの最後の皇帝、Mは退位を余儀なくされた。首都がNにおかれると、それに対抗したフランスがMを擁立しOを建国。インドシナ戦争が始まった。54年、Pが開催され、朝鮮やインドシナの問題への対応が求められる中、(Pは戦後初の大規模国際会議)開催中の5月にQが起こり、フランス軍は大敗北を喫した。こうして、7月にはPで、Rが成立し、ベトナムはラオスやカンボジアとともに独立を果たした。が、ドミノ理論の観点から共産化を懸念したアメリカによってベトナム統一はならず、Rにアメリカは参加しないまま、南ベトナムにSを樹立した。

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  • 12

    ジュネーヴ休戦協定が成立した1954年、これを認めないアメリカは最終宣言に参加しないままに南ベトナムを支配し、フランスの傀儡だったAのBを追放し、親米派のCを大統領としたDを建国した。 つまり、北ベトナムはEらF(G)の指導するH、南ベトナムはCの指導するD、という対立構造が生まれてしまった。 なお、1960年には統一戦線、Iが結成されゲリラ戦を展開する。アメリカからは蔑称としてJと呼ばれるようになった。北ベトナムはIを支持し、63年11月、Cはクーデターで倒れた。 しかし、アメリカはこれでも諦めない。64年8月2日、アメリカのジョンソンはKを起こし、北ベトナムへLを行った。 アメリカはLと軍隊派遣で全土の制圧を目指したが、ゲリラ戦と防空壕がアメリカを苦しめた。68年5月にはMが開かれ、Lは停止したが、北、南、そして結局は戦争は続き、進展はなかった。 70年代からはベトナムへのパイプを止めるためN、Oが行われ、犠牲が増大。アメリカ内外での反戦運動は、73年、ついにPとして実を結ぶ。これは、アメリカ大統領がニクソンに代わり、外交官Qとベトナム側とでの秘密交渉ののち、ついに和平が成立したものだった。 3月29日にはアメリカ軍は完全撤退した。75年の4月にはRがなされ、Dは崩壊した。首都は依然としてSに置かれた。 しかし、ベトナムは新たな脅威に直面する。隣国のT政権だった。中国の支援を受けていたTと、ソ連の支援を受けていたH、それぞれの国は対立し、こうして78年末からUが始まった。結果として79年1月には首都Vが陥落し、勝利。変わってW政権が樹立した。 けれども、未だ戦争は終わらない。今度は中国が中越戦争を起こした。が、この頃の中国は文革の後遺症に苦しんでおり、国家主席のXに力はなかった。すぐに撤退したが、それでもこうした幾重にも重なった戦争は、結果としてベトナム国内の経済悪化をもたらしてしまった。なお、これら戦争のうち、ベトナムからタイへ流入した人々をYと呼ぶ。 85年、ゴルバチョフのペレストロイカ以降は、ソ連の影響が弱まり市場経済が導入された。その新路線を、ベトナム語ではZと呼ぶ。さて、その結果ベトナムはカンボジアへの影響力を弱めたので、89年に軍隊を撤退。91年にはaが成立した。95年にはb(c)に加盟、同年にはアメリカのdと国交正常化を行った。 ベトナム共産党→インドシナ共産党→ベトナム労働党→ベトナム共産党

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  • 13

    1937年、盧溝橋事件から日中戦争に突入した日本は、ベトナムを経由したAを抑えようとしていた。39年、WW2が始まり、40年の6月にフランスが降伏すると、4年9月北部仏印に進駐した日本は、翌年7月に南部にも進駐。ベトナムやラオスと同様、カンボジアにとってこれは独立運動加熱の要因となった。 45年3月、日本軍は国王、Bに独立を宣言させ、日本の国家として操ろうとしたが、8月に敗戦すると、変わってフランスが戻ってきた。フランスとベトナムの戦い、 C戦争の最中、53年の11月にはBが独立を宣言したため、C戦争の間のDを経たEで、独立は国際的に承認された。 以降、Bのもとでしばらく安定した時代が続くも、65年にFが始まると、北ベトナムへの支援を行い、こうして北への支援ルート、G(H)の基地としてカンボジアを使うことを容認した。 が、70年3月、親米派の将軍、Iがアメリカの指示でクーデターを起こす。これによってBは退任を強いられ、直ちにアメリカはJを行い拠点を攻撃した。 ベトナムに及んでいたアメリカの魔の手はカンボジアにももたらされ、これはカンボジア内戦に突入した。 70年から75年には親米派のI政権が成立し、75年には民族統一戦線であるK(L)がクーデターを起こし、翌76年、Mが成立した。なお、75年4月30日のNは、I政権が倒された13日後だった。なお、この頃Bを復権させていたが、すぐにポル=ポトが政権を握った。 ポル=ポトは親中派の独裁者だった。カンボジア大虐殺を行った彼は、O人やPを殺している。しかし、のちにこの残虐性が露呈し、79年1月にはベトナムから侵攻を受けた。首都Qが陥落すると、変わって成立したのがR政権で、国名はSになった。なお、国内には未だにBやポル=ポトの支持者がいたため、内戦は続いていた。なお、1989年にはベトナム軍が撤退し、国号がTに変更。社会主義路線から転換。91年10月にはaが成立した。その後は93年にbへと変わり、立憲君主政国家としてBが復位した。 なお、国連のc(d)の一環として、91年からはe(f)がカンボジア復興にあたることになっている。 1999年4月にはg(h)に加盟、2004年にはi(j)に加盟し経済導入に努めた。

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  • 14

    ラオスはフランスからの独立を目指していた。46年にはAとして自治を与えられていたが、50年に成立したB(56年にCに改称)隣国ベトナムが54年9月のディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利したことで、同年中にジュネーヴ休戦協定に調印する形で独立を果たした。しかし、アメリカから攻撃を受け、ベトナム戦争中の71年にはアメリカがDを行った。その後は独立し、97年にはE(F)に加盟した。

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  • 15

    1957年、イギリス領Aが独立し、Bとなった。これはマレー人、中国系、インド系の3民族で構成された国家で、イギリスは41年のCでは戦後の民族独立を約束したものの手放さないつもりだったが、戦後の反乱をもとに独立を果たした。 63年9月、DとEの二つの州を組み込み、新たにFとして成立する。この国はまず、Gに加盟しイギリスと関係を深め、首都はHに置かれた。 建国と同日、この成立に反対したのがIだった。IのJは、Eの領有権を主張し国交を断絶。さらにKがFを非常任理事国に組み込むと、反発してFを脱退した。(同年Jがクーデターで失脚すると翌年すぐに復帰) この国家は、マレー人の他に中国系のKとインド系のLも多く、特にKとは度々衝突し、65年にはDが独立した。 ベトナム戦争が本格化すると、アメリカ側としてM(N)の初期メンバーに加わり、反共勢力の一部となった。 68年、イギリスのO内閣がPを表明すると、71年、Fは名実共に自立した。(なお、Gには今でも加盟している。) この国は、他国に多かったQとよばれる独裁体制が敷かれることが長らくなかったが、81年に首相に就任したRはそれに近い人物だった。彼は立憲君主政ながらも国王権を制限し、Sという言葉に示された経済政策に成功した。Qと呼ばれる体制は、国家形成を固める一方、どの国にもクーデター時代を招くようになっていたが、DのTとともに、Rは暴力的な政権交代に至らなかった。 97年のUはFにも及んだが、経済の急成長さえストップしたものの、Vによる通貨管理を拒否し、危機を乗り切ることに成功した。 2003年には老化から正解を引退したが、2018年5月には、92歳という世界最高齢で首相に返り咲いた。彼はWを廃止する、という衝撃の政策を行っている。なお、2020年には国王に辞表を提出した。

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  • 16

    オランダ領インドとして植民地支配が行われていたインドネシアは、AのBが導入されて以降は、反植民地運動が行われていた。 20世紀の初め、女性解放運動と同時に先駆的にインドネシア民族運動を始めた女性がCだった。また、ジャワ島では農民が宗教運動、Dを行っていた。このような動きが組織的に行われるようになるのは、1908年、最高の徳を意味して名付けられたEという団体が始まりだった。しかし、これは知識人運動にとどまり、その後1911年、F(G)が大衆的に成立すると、インドネシア語の定着とともに1914年には37万人もの人物が独立運動へと羽ばたき出した。 しかし、1920年に入ると共産主義者が共産主義の必要性を語り出し、内部分裂。1920年、H最初の共産党、Iが結成される。オランダ人のスネーフリートはインドネシア人民族主義活動家を組織していた人物で、彼はJの戦術によってKに尽力し、インドネシア独立へと向かっていた。なお、Iののちに成立したのが、21年の中国共産党、22年の日本共産党などである。 しかし、23年までに当局から弾圧を受け、その勢力の大半が壊滅する。 困難を極めた独立の意思は、多様性の中の統一を掲げることによって性格を明らかにし、27年のLを指導者として作られたMがその一種の集大成となった。 1920年代から30年代にかけてはオランダからの激しい弾圧を受けていたインドネシアも、太平洋戦争で日本に乗っ取られると変化する。42年には国家全域を日本軍部に支配されたが、翌年、東条英機は帝国議会で、参戦を条件に独立行為を認めることにした。これはNとOに限っては認められたが、インドネシアはそれに含まれず、Lは強い不満を抱いた。このため、独立国扱いでないインドネシアは11月のPに参加できていない。 1945年6月1日、日本の敗戦が濃厚になると、LはQ(R)をその建国理念とすることを掲げ、多様性の中の統一、という側面を明らかにした。 その後8月、Sとして成立したインドネシアだったが、9月にはオランダの支配が復活しそうになってしまい、47年7月21日、Tが始まった。しかしこの侵略行為は世間からの批判を受け、安全保障理事会は調停案を固めた。しかし、それはインドネシアをオランダの連邦国家として独立させるもので、強い不満が残ってしまった。 インドネシアは強く反発し、しかしこれは決して無駄でなかった。 46年からのU、フィリピンでのVの抗米闘争を受け、アメリカは東南アジア問題と共産化を恐れていたため、仲介に動いたのだ。 49年11月2日、Wが成立し、こうしてオランダ領東インドは終結、Xが成立した。首都がYであったこの国は、けれども未だオランダ傀儡国家で、1950年Zとして合流したことで、単一の国民国家がついに成立するのだった。

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  • 17

    1950年、インドネシア共和国が完成した。大統領に就任したAは、まず国際社会で積極的な発言を行うようになった。 55年4月、B(C)をバンドンで開催すると第三世界のリーダーとして国際的な脚光を浴びた。が、政党は乱立していたため、Aは次第に独裁体制を考えるようになる。そうして59年、Aによってナショナリズムと宗教、共産主義が融合したD(E)が成立した。その元ではF、ナフダトゥル=ウラマ党、Gのみが存在を許され他の政党は活動を停止させられ、つまりAはアジアにおいては帝国主義と戦う自由と解放を目指す人物、国内では権威主義的な独裁者、と二面性を持っていた人物だといえる。 彼にとっての目先の問題は、ニューギニア島の西半分にあったHだった。Hはオランダに奪われたままだったため、どうにか奪回しようと思っており、しかし62年8月、H協定が成立し63年には帰属が実現した。 これは国民の支持を増やし、こうしてAはIの称号を入手することになった。 しかし、続いてJが成立した際にその一部である北Kに関してその権利を主張すると、国際連合を脱退することに決めた。 このような政策はのちに、軍部や大資本、アメリカなどから警戒心を強め、Aの体調が悪化した65年、Lを機に権威は失墜。軍を背景としたM将軍がその権限を奪った。なお。これにはアメリカのNが関わっているとされている。 その後Mは全国的にOへの弾圧を行い、ポル=ポトに匹敵するほどの大虐殺が行われている。当時国際連合から脱退していたことが、長く虐殺が行われたその要因と言える。なお、これはA政権と友好な関係にあった毛沢東に影響を与え、Pの背景となった。 なお、このLに対しAの嫁デヴィはこのように記している。 「誰が糸を引き、誰が将軍たちに行動のための資金を与えたのか。ここまでくると、私はNの黒い影を感じずにはいられない。Lが起きた同じ年、アルジェリアのQは足元をさらわれた。遠くはガーナのRが、70年にはカンボジアのSがわずかな隙を狙われていた。そして73年秋には、我が国とそっくりな事件が、サンチャゴで起こり、チリのTは倒れた。大統領の死後わずか5年にして、米上院の委員会は、キューバのU首相らを倒そうとした「いくつかの証拠」があったと発表している。」

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  • 18

    1965年、左派クーデターを鎮圧し、インドネシアの実権を握ったスハルトは、国家原理Aを押し出した、「新秩序」を掲げており、徹底的な共産党弾圧のすえ、政策の基盤を作り上げた。その上で、いわゆるBのもと国家形成がなされた。大統領になると、スカルノ時代の親中反米路線を改め、まずはマレーシアとの関係を修復しCに復帰、中国に対して国交断絶を行った。65年からのベトナム戦争ではアメリカの期待に応える形で軍事同盟の形成を画策。67年8月にD、E、F、Gの5カ国でH(I)を結成した。 また、ポルトガル領だったJで独立運動が起こると、国軍を派遣しインドネシアに併合。J紛争が始まった。 また、K後の中国が、 LのもとM路線に転じると、89年には国交回復を行った。が、97年、Nが波及すると、Oからの改革に頼らざるをえず、けれどもこれは主権国家体制の崩壊であった。 なお、インドネシアにとって建国当初から独立運動を起こしていたのがP州だった。これはインドネシア共和国を構成するQ島の最北部だった。(2004年のRによる津波で死者が大勢出たため、2005年大幅な自治を認め講和) 98年、スハルトが大統領選挙で倒れると、99年にはSの独立をきめ、01年にはTの娘、メガワティが即位した。なお、2022年、首都がUからVに変化した。

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    Aが人口の多数を占めるシンガポールでは、抗日意識が強かった。が、42年、太平洋戦争の最中占領されると、反日主義者や共産主義者は攻撃され、この中でのちにシンガポールの首相となるBは機転を効かし逃れている。 157年、戦争終了後にはイギリスによってCが独立を認められるも、シンガポールは除外されていた。62年までにBの手によって政権が発足し、正式にC、DとともにEを作成。それまで自治政府に過ぎなかったものが、Eに加わる形で独立した。しかし、そのまま65年にはAでもめ、分離独立。 その後、BはFを指導。一党支配による、国内マレー人、インド人の統率をはかった。 外政では、安定した国際関係を狙う。シンガポールを敵視していたGがHで退陣したことや反共主義国家が67年にI(J)を結成したことは、シンガポールにとってありがたかった。 しかし、イギリスのK首相によるLの表明は、68年、シンガポールに工業化を急がせることとなる。イギリス軍がいなくなることは、必ずしも良いことではなかった。 BによるFは、世界的にも珍しいFの成功例となった。なぜなら、彼の即位期、国家は安定しており、その後もクーデターが起きなかったからだ。1960年代から90年代にかけては、M、N、 OとともにPと呼ばれ、世界市場に大きく影響していた。 なお、M、N、Oはどれも隣国問題を抱えていたが、シンガポールのみは特にそういった問題もなかったことがよかった。なお、彼のこの成功例は、中国のQによるRに影響している。

    華僑, リー=クアンユー, マレーシア連邦, ボルネイ, インドシナ連邦, 開発独裁, スカルノ, 九・三〇事件, ASEAN, 東南アジア諸国連合, ウィルソン, スエズ以東の撤兵, 台湾, 香港, 韓国, アジア四小龍, 鄧小平, 改革開放政策