問題一覧
1
古代ギリシア期、ミケーネ王国時代の遺跡としては、ドイツ人貿易商のシュリーマンが発掘したA遺跡、B遺跡、C遺跡、1900年にエヴァンズが発見したD遺跡、1939年、アメリカのカール=ブレーゲンが発掘に着手し、クレタ島で発見されたE遺跡がある。
トロイア, ミケーネ, ティリンス, クノッソス, ピュロス
2
ミケーネ文明期、古代ギリシアの国家形態はA王政であったとされる。共同体によるAはミケーネ王国の巨大権力を支えたとされる。 しかし、ドーリア人の南下、ポリス形成の中で暗黒時代に突入する。 古代ギリシアのポリスたちは地中海各地に植民市を建設。 地中海交易の中継地として繁栄し、ブリテン島生まれの鈴をローマにもたらすことにもなるB、 のちにシチリア島と共にノルマン系領土となるC、シチリア島のD、イタリア半島南端のE(C、D、Eなどの南イタリアの都市たちは、大ギリシア(F)と呼ばれた)、 エーゲ海に面した経済都市で、タレスやアナクシマンドロスなど、自然の根源にあるアルケーを探求した学者を輩出したG(H地方)、 のちにローマ帝国、オスマン帝国の主要都市となるIがあった。 Eはローマ半島統一においても最終都市となったが、ギリシア西部のJ王の援助を受け一時ローマ軍を追い返し勝利をもたらすも、前272年にはローマに服属した。
貢納, マッサリア, ネアポリス, シラクサ, タレントゥム, マグナ・グラエキア, ミレトス, イオニア, ビザンティオン, ピュロス
3
古代ギリシア人たちは、自らを英雄Aの子孫と考えていた。 そのため、彼らは自らをBと称し、ギリシア人の土地をCと呼んだ。(「ギリシア」とはローマ人による呼称) ギリシア中部、D神殿では、巫女が聖域Eで神のお告げをもらい、人々に告げる。古来、ギリシアで七賢人と呼ばれていた、FやGたち7人も、「Hより知恵のあるものはいない」と呼ばれたHも神のお告げを授かったという。なお、帝政ローマでギリシア・ローマについて比較したIは、Eの神官であったギリシア人である。また、古代ギリシアで隣接するポリス同士の同盟は、J同盟と言われた。
ヘレン, ヘレネス, ヘラス, アポロン, デルフォイ, タレス, ソロン, ソクラテス, プリタルコス, 隣保
4
オリンピアの神域でスポーツの祭典、オリンピックが行われたギリシアでは、デルフォイの神託と並んでギリシア人の思想統制に使われた。全ギリシアはこの際のみ、「神聖な休戦」と言われ内戦をやめ、彼らはオリンピア(オリンポス山とは異なる。)でスポーツを行い、例外として女性、ペレニケが観覧を許されたとされるものの、基本は女子禁制であった。 このオリンピックはローマ時代末期まで行われ、皇帝Aも好んだとされるが、B帝期、ギリシアが否定されたことで終了した。(C年) のち、D世紀末期、都Eで国際オリンピック大会が開催された。 ウィーン体制下でナショナリズムの影響もあって高まったギリシア愛護主義(G)がヨーロッパに起こり、イギリスのH主義詩人Iや、フランス人で、同じくH主義詩人で先駆者となったJ、キオス島の虐殺を描いたドラクロワ、ドイツのK、ロシアのLなどが各国に訴えたことが原因となった。
ネロ, テオドシウス, 393, 19, アテネ, フィルヘレニズム, ロマン, バイロン, シャトーブリアン, ミュラー, プーシキン
5
・古代ギリシアの執政官のことをAという。これは指導者、または第一人者という意味である。王政から貴族政に移行すると行われるようになり、定員9人、任期1年の最高機関として活躍し、任期が終わると元老院(B会議)の終身会員となった。民主政期のソロンはAに就任していた。 ・古代ギリシアでは他のポリスから移住したCが自由人として在留していたが、彼らは市民権はなかった。有名な哲学者Dも、アテネにおいてはCであった。 ・ポリス市民には、割り当て地のEがあり、奴隷を使って耕作した。 ・古代ギリシアの公共広場をFという。市民が議論し合う場所であったとされるが、アテネではアクロポリスの北方に造られ、このFの周辺には、列柱(G)のもとで人々が議論を交わしていた。 ・古代ギリシアのポリス制を支えた奴隷制度は、鉱山などで集団労働に必要とされた。特に、銀鉱山Hはアテネ経済を支えた。
アルコン, アレオパゴス, メトイコイ, アリストテレス, クレーロス, アゴラ, ストア, ラウレイオン銀山
6
前8世紀から前6世紀までのギリシア文化をA期と呼ぶ。のち前5世紀からはB期という最盛期となった。 A期の代表的人物としては、叙事詩CやDを著したEや、農民の立場で日々の人生を歌い上げたF、ギリシア神々を体型づけたGで有名なHがいる。
アルカイック, 古典, イリアス, オデュッセイア, ホメロス, 労働と日々, 神統記, ヘシオドス
7
ギリシアで活躍した叙情詩人は、唯一の女流詩人、A、明るく軽快な酒と愛の歌を得意とし風刺も読んだB、 ペルシア戦争のCの戦いでの戦死者を悼んだD、Eの祭りなどを讃える讃歌、戦勝歌を詠んだFがいる。
サッフォー, アナクレオン, テルモピレー, シモニデス, オリンピア, ピンダロス
8
古代ギリシアでは前5世紀、アテネ演劇が流行した。特に、ペルシア戦争期を経た民主政治の繁栄がその原因となった。 ギリシア演劇はAの祭典(B祭)での競演のために創作され、三大悲劇詩人として有名なC、D、E、喜劇詩人として活躍したFが披露した。 Cは代表作、G、Hなどのオレスティア3部作で世間を魅了し、ギリシア神話を題材に親族殺しを描き、Dは3部作方式から独立作品へと作品形式を変革させ、テーベを舞台にデルフォイの神託に悩まされる王をIで、アキレウスに次ぐ強さを持つ英雄をJで著し、Cは大衆的な人気を得られなかったものの、K、Lなどで古い伝統にとらわれない悲劇を描いた。アテネではMが導いていた時代だった。 Fは喜劇作者として風刺作品を描いた。ペロポネソス戦争にうつつを抜かす男を止めようとしたN、男装の麗人が参政権獲得に動いたO、ソフィストの詭弁を皮肉ったPが有名である。
ディオニュソス, 大ディオニュシア, アイスキュロス, ソフォクレス, エウリピデス, アリストファネス, アガメムノン, 縛られたプロメテウス, オイディプス王, アイアス, メディア, バッカスの女たち, ペリクレス, 女の平和, 女の議会, 雲
9
イオニアでアルケーを追求した人々は、それぞれが異なる主張を行い、自然哲学を行った。 Aを根源としたタレス、Bを根源としたピタゴラス、「万物は流転する」といったC、無限定なものこそが物質の根源であるとしたD、空気を根源としたE、ペリクレスの親友で太陽は灼熱した岩石にすぎないと考えたF、宇宙を4元素であると考えたG、原子論に到達したHが代表的人物である。 このイオニア自然哲学は前6世紀に行われ、この動きが哲学の広がりを見せ、ソフィストの登場が起きた。
水, 数, ヘラクレイトス, アナクシマンドロス, アナクシメネス, アナクサゴラス, エンペドクレス, デモクリトス
10
前5世紀、ギリシアの医学者として活躍したAは、病気を自然現象ではなく生理学的に捉えた。彼の医学はローマ時代、Bによって引き継がれ(Cの侍医)、ギリシアが歴史の影に葬られてしまったのちにも、アラビア期、Dを通してヨーロッパに伝えられることになった。
ヒポクラテス, ガレノス, マルクス=アウレリウス=アントニヌス, イブン=シーナー
11
「A」の意味を持つソフィストは、アテネなどのポリス市民に弁論術や自然科学を教え報酬を受けた。代表者BはCという言葉でよく知られていたが、のちにソクラテスが、金銭を受け取っている点を批判した。
知恵ある者, プロタゴラス, 人間は万物の尺度である
12
前5世紀、ソクラテスがソフィストを批判すると、弟子のプラトンが彼の考えを大成し、イデア論などの認識に達した。ポリス衰退期に向かおうとしていたこの時期、プラトンは学園AをBの郊外に建設し、没後長く続くもローマのC帝の名によって異教の学校として閉鎖された。その後1453年、ビザンツ帝国崩壊後イタリアにギリシア人が流れ込んだのち、フィレンツェのDによって、Aの再興を目指したEが造られ、ここにはFら当代の優れた学者、思想家が集まり、ヒューマニズムの拠点となった。 なお、Aを題材にラファエロが描いたのがGである。 また、プラトンの著書で哲人政治による理想国家を構想したのがHである。
アカデメイア, アテネ, ユスティニアヌス, コジモ=デ=メディチ, プラトン=アカデミー, ピコ=デラ=ミランドラ, アテネの学堂, 国家論
13
前4世紀、アリストテレスが活躍した。 彼はメトイコイであり、アテネに対する帰属意識は薄かったと考えられるが、アレクサンドロスの家庭教師として活躍し、学塾Aを設立したが、彼の学派は廊下を歩きながら議論したためB(C)派と言われた。(AはD帝の時代に閉鎖) Eが「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ」と言ったように、アリストテレスの死後ギリシア世界は衰退した。 しかし、アッバース朝の知恵の館でイブン=シーナーなどが研究し、のちイタリアのFの翻訳学校でラテン語に翻訳されると中世に復活していく。
リュケイオン, 逍遥, ペリパトス, ユスティニアヌス, ヘーゲル, トレド
14
アリストテレスの著書として、 普遍は個物の中に内在するとして、プラトンのAを批判したB、理想的国家には奴隷制が必要で、民主政治には否定的だったC、アテネの歴史を紐解くために重要史料となったDが有名である。
イデア論, 形而上学, 政治学, アテナイ人の国制
15
前4世紀、ギリシアのポリス時代末期、ソクラテスの流れを汲み、人為的なポリス文化を否定したA派の代表者Bはプラトンを批判し、その不屈の精神はストア派の創始者Cに影響を与えた。 また、この彼の思想はヘレニズム時代の世界観、D(E)に影響を与え、普遍的な人間こそ理想とされた。
犬儒, ディオゲネス, ゼノン, コスモポリタニズム, 世界市民主義
16
ヘロドトスがA戦争について「歴史」に記すと、トゥキディデスがB戦争について「戦史」を書いた。前5世紀から前4世紀初めの軍人、CはDを著し、戦史で補えなかった部分を書いた。
ペルシア, ペロポネソス, クセノフォン, アナバシス
17
アテネで活躍した彫刻家に、A神殿を作ったBがいる。彼はその主神であるC女神像を作ったとされるが実物は現存せず、模倣品が残されているのみである。 なお、アテネの彫刻家には他にヘルメス像などの作品が知られるD、円盤投げなどの作品で知られるE、代表作槍を担ぐ人で有名なFがいるが、その作品たちもまた現存していない。
パルテノン, フェイディアス, アテナ, プラクシテレス, ミュロン, ポリクレイトス
18
ギリシアのミケーネ期は偶像崇拝がなかったため、神殿建築は作られなかったが、アルカイック期になると神殿を建てて祀ることが始まった。 ほとんど装飾を用いないA式(代表的な作品はB。また、ローマ時代のCの第1層も同じように作られている。)、 中期の様式とされ、列柱の頭部にD状の装飾があるE式(代表的な作品はF。また、ローマ時代のGの第2層も同じように作られている。) 後期の様式とされ、植物やつるを図案した装飾が施されているH式(代表的な作品はI。本格的使用はローマ期から。ローマ時代のJの第3層も同じようにつくられている。)がある。
ドーリア, パルテノン神殿, コロッセウム, 渦巻き, イオニア, エレクテイオン神殿, コロッセウム, コリント, ゼウス神殿, コロッセウム
19
アテネの中心部、Aの上に建設されたパルテノン神殿は、アテネがパルテノス(処女)であったことからパルテノンと言われた。 ドーリア式のパルテノンはアテネがペロポネソス戦争に敗れて以降、徐々にキリスト教に飲み込まれ、コンスタンティノープル陥落後はBとなった。 しかし、Cの失敗を受けオスマン帝国がヨーロッパからの攻撃を受けたことで1687年、D軍によって破壊され、現在、パルテノンにあった彫刻や遺品の大部分はEとして、大英博物館に展示されている。
アクロポリス, モスク, 第2次ウィーン包囲, ヴェネツィア共和国, エルギン=マーブル
20
エジプトのアレクサンドリアは、アレクサンドリアの中で最も繁栄した都市である。 「世界のA」と言われたこの都市はヘレニズム文化の中心として活躍し、港の入り口にあるBや、Cがアテネなどから学者を招いて建設したD、パピルス紙を多く貯蔵したEが有名である。 ここでは自然科学者を多く輩出し、Eの第3代館長、Fは地球の外周を測定した人物で、素数を探すGを発明した。 また、地動説を説いたH、代表的数学者でIを大成したJ(K)も有名である。著書はL。そのほか、Mで生まれ、Nの原理などを発見しポエニ戦争で殺されたNも有名。 このアレクサンドリアは、カエサルの攻撃を受けて以降はローマ領となり、O(属州長官)をおいて支配され、それでも学術の中心として、天動説を体形づけたP(科学的な最初の世界地図を作ったことでも有名で、シチリア島のQを経てトスカネリに影響した。)や代表的医学者、Rが学んだ。 また、プロティノスがギリシアを研究したことで、S主義が生まれた。その後はキリスト教のTの一角として、キリスト教U教会として活躍し、1798年にはVの侵攻を受けた。1875年には、Wの革命の中でイギリスが鎮圧に走った。
結び目, 灯台, プトレマイオス1世, ムセイオン, 図書館, エラトステネス, エラトステネスのふるい, アリスタルコス, 幾何学, エウクレイデス, ユークリッド, ユークリッド原論, シラクサ, アルキメデス, 総督, プトレマイオス, イドリーシー, ガレノス, 新プラトン, 五本山, コプト, ナポレオン, ウラービー
21
ヘレニズムとは、ギリシア風の文化を意味する言葉で、ヘレネスに由来する言葉である。世界の文化史上は、アレクサンドリアの東方遠征からギリシアとオリエントが融合して形成された文化を指す。 ここでは公用語、Aが使用され、哲学としてはストア派、エピクロス派の二大潮流が起こり、美術品B(現在はルーヴル美術館所蔵。Cの時代に献上された。)D(ルーヴル所蔵。ナイキの語源に)、E(ローマのF所蔵。ルネサンス彫刻にも強い影響を与えた。)が有名で、 アレクサンドリアのムセイオンで研究した人々も多い。
コイネー, ミロのヴィーナス, ルイ18世, サモトラケのニケ, ラオコーン像, ヴァチカン宮殿
22
ヘレニズム文化が流行したのは、エジプトのAや小アジア西岸のBだった。Bで出土したのが、Cと呼ばれる作品である。 また、このBで発明されたのがDである。これは長らく使われた。
アレクサンドリア, ペルガモン, 瀕死のガリア人, 羊皮紙
23
アレクサンドロス大王の東方遠征に従軍した武将、Aは遠征の帰路にインダスからティグリスまで航海し、その経緯を周航記に著した。 前3世紀まで活躍したBは、C朝の使節としてインドのD朝の首都Eを訪問し、帰国後インド誌を記した。
ネアルコス, メガステネス, セレウコス, マウリヤ, パータリプトラ
24
ギリシア、ヘレニズム文化研究を行なったAは、ドイツ人の人物で、ヘレニズムを命名した張本人である。主著がB史、C史である。 また、近代においてのギリシア、ヘレニズム、ルネサンス文化として知られるスイス人がDである。彼の主著が、E、Fである。
ドロイゼン, アレクサンドロス大王, ヘレニズム, ブルクハルト, ギリシア文化史, イタリア=ルネサンスの文化
25
解剖学者の祖と称された小アジア出身の医学者は?
ヘロフィロス