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ギリシア・ヘレニズム・ローマ文化史〜文化の興り、その原初〜
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  • 1

    ギリシアは、数多のギリシア人がアテネやスパルタといった、ポリスを形成していた。そのため、ギリシアでは、小規模の人数の人々(それぞれお互いを知っている)が、人間の感情などを重視するA中心主義、ポリス内での自由な議論を目的とする、B中心主義が盛んであった。A主義は、その後CやDに発展した。特にA主義が盛んだったのは、E時代のアテネである。

    人間, ポリス, 詩, 演劇, ペリクレス

  • 2

    ギリシア神話は、来世信仰、現世信仰?

    現世信仰

  • 3

    ギリシアでは、主神Aを中心とした、B12神やそのほかの神が信仰の対象となり、その中でも、太陽神C、知恵の女神でDの守護神Eは有名である。

    ゼウス, オリンポス, アポロン, アテネ, アテナ

  • 4

    ギリシア文学は、AとBの2つに分かれる。Aは歴史について語り、Bは作者の心情などを語った。

    叙事詩, 叙情詩

  • 5

    ギリシア叙事詩の代表者は2人いる。Aは、盲目の詩人で、『B』、『C』とD戦争について語ったものが有名である。Eは、ギリシア北部の抒情詩人で、神(特にゼウス)を称えた『F』、怠け者の弟に、当時は必要のない勤労の尊さを説いた『G』が有名である。

    ホメロス, イリアス, オデュッセイア, トロイア, ヘシオドス, 神統記, 労働と日々

  • 6

    ギリシア叙情詩といえば、レスボス島出身で、唯一のA詩人であり恋愛詩を残したBや、酒や恋愛をテーマとしたイオニアのC、オリンピア競技の優勝者を讃える『D』を歌ったEが有名である。

    女流, サッフォー, アナクレオン, 競技祝勝歌, ピンダロス

  • 7

    ギリシア演劇のうち、AのB詩人と呼ばれたC、D、Eは有名である。Cは、F戦争に参加した経歴を持ち、トロイア戦争後、悲劇にあう英雄を題材とした『G』、人間に火を与えた主人公がゼウスによって罰を受ける『H』を描き、Dは父を殺し母を妻としたテーベの王、Iの悲劇『I』を描いた。彼はJとも親交があり、将軍職を任されていた。Eは、魔女が息子を殺害する、『K』を描いた。 (追加)Dはその他にも、オデュッセウスに負け、自害した英雄について書いた『L』も有名である。

    アテネ, 三大悲劇, アイスキュロス, ソフォクレス, エウリピデス, ペルシア, アガメムノン, 縛られたプロメテウス, オイディプス王, ぺリクレス, メディア, アイアス

  • 8

    ギリシア演劇のうち、喜劇作品を残したのはAで、B戦争に対する反戦感情を描いた『C』、アテネの政治を風刺した『D』を描いた。その他にも、アイスキュロス、エウリピデスを風刺した『E』、ソフィスト、ソクラテスを風刺した『F』がある。

    アリストファネス, ペロポネソス, 女の平和, 女の議会, 蛙, 雲

  • 9

    ギリシア歴史学は、A戦争について物語的に記したB、C戦争について年表風に記したDが有名で、どちらも著書のタイトルは『E』である。

    ペルシア, ヘロドトス, ペロポネソス, トゥキディデス, 歴史

  • 10

    A地方のBを中心としたCは、万物の根源とは、自然とは何かを求め続けた学問である。 以下、代表的な思想家。 D→Eと呼ばれる。万物の根源はFと主張。 G→万物の根源は、ト・アペイロン(無限定なもの)であると主張。 H→万物の根源はIであると主張。(直角三角形…) J→万物の根源は混沌であり、太陽は燃える石であると説く。Kの師匠。 L→万物の根源はMのような変化するものだと主張。『万物はNする』 O→万物の根源はPであると主張。

    イオニア, ミレトス, 自然哲学, タレス, 哲学の父, 水, アナクシマンドロス, ピタゴラス, 数, アナクサゴラス, ペリクレス, ヘラクレイトス, 火, 流転, デモクリトス, 原子

  • 11

    Aは西洋医学の祖、と称され呪術的でない科学的な治療を行った人物である。 Bを唱えた。

    ヒッポクラテス, 四体液説

  • 12

    知恵ある者、という意味を持つギリシア語は、Aである。彼らはアテネのB発展とともに弁論術を駆使し台頭した。近年では詭弁的に捉えられる側面が強い。代表的人物はCで、Dを否定した。彼の名言として有名なのは、「E」である。

    ソフィスト, 民主政, プロタゴラス, 普遍的真理, 人間は万物の尺度である

  • 13

    ペロポネソス戦争やアテネ衰退期にAの絶対性を主張したBは、民衆裁判で死刑判決を受けた人物である。彼は、善悪を判断することこそ善行であるという『C』や知ったかぶりを指摘した『D』で有名である。Bの弟子だったEは、全ての物に存在する基本観念こそが大切であるとするFを立脚した。彼は民主政治を、当時の衆愚政治の有り様から否定している。彼は哲人政治と呼ばれる、スーパー哲学者による政治を求めた。彼の功績としては、彼がアテネ郊外に建てたGがある。(Hの異教弾圧で閉鎖…) Eの弟子、IはGで学んだ人物である。彼はFでなく、現実的に社会を取り扱おうとした。そのために、諸学問を集大成にし体系化するという偉業を成し遂げ、Jと呼ばれた。彼もまた、師匠と同じようにKを建設し(同じくHの異教弾圧で閉鎖…)、Eと異なり、1番平均的な人こそ政治をすべきであるとのべた。彼の著書、『L』『M』は政治を体系的に捉え、国制を研究している。彼の名言として、ポリスを理想とした『N』がある。

    普遍的真理, ソクラテス, 知徳合一, 無知の知, プラトン, イデア論, アカデメイア, ユスティニアヌス, アリストテレス, 万学の祖, リュケイオン, 政治学, アテナイ人の国制, 人間はポリス的動物である

  • 14

    ギリシア彫刻は均整と調和を追求したとされる。Aはペリクレスと親交があったアテネの彫刻家で、Bの建設工事を監督した。他にも、現存しないBの本尊C、オリンピアにあるD神殿に複製があるD像も作っている。他には、『円盤投げ』という彫刻を作ったE、『ヘルメス像』『クニドスのアフロディテ』を作ったFがいる。

    フェイディアス, パルテノン神殿, アテナ女神像, ゼウス, ミュロン, プラクシテレス

  • 15

    神殿の建築様式は3つある。列柱の柱頭が台形である無装飾なA(アテネのBが有名)、列柱の柱頭が渦巻き型で優美なC(Bの隣に立つDが有名)、列柱の柱頭が植物の葉である繊細、華麗なEがある。

    ドーリア式, パルテノン神殿, イオニア式, エレクテイオン神殿, コリント式

  • 16

    アレクサンドロスの東方遠征の終結とともに始まったA文化。ドイツの歴史家Bによって作られたAという言葉は造語である。A文化になり、今までのポリス的な生き方は崩壊し、世界帝国による世界市民主義(通称、C)や一人一人の感情を優先するDが成立した。それぞれは異なるものでなく、心の平静によって発生したつながりのあるものだと捉えるべきである。Cは共通ギリシア語、Eの発生ともつながる。

    ヘレニズム, ドロイゼン, コスモポリタニズム, 個人主義, コイネー

  • 17

    心の平静が追求されたヘレニズム社会では、世界市民主義から発生したA派(Aはアテネの列柱のことである)、個人主義から発生したB派、そして既存の世俗、道徳を完全に否定したC派が存在した。A派はDによって作られ、対立を悪とするEを主張した。一方、 B派はFによって作られ、ストレスを悪とし、心のままに生きるGを主張した。(C派はHが創始者)が、B派、C派は政治との関係性が悪く、A派が残っていった。

    ストア, エピクロス, キュニコス学, ゼノン, 禁欲主義, エピクロス, 快楽, ディオゲネス

  • 18

    ヘレニズムでは、Aの都Bに開かれた大研究機関、Cによって多くの科学者が研究を行った。平面幾何学を大成し、1607年には徐光啓、アダム=シャールによって中国語訳される幾何原本を出したD(ユークリッド)、地球の自転と公転の関係、そしてEを主張したF、浮体の原理、テコの原理、円周率の計算などの研究で有名なG(Hの際にローマ兵に殺害される)、地球を球体と捉え、地球の周囲の長さを計測したI(Cの館長)がいる。

    プトレマイオス朝エジプト, アレクサンドリア, ムセイオン, エウクレイデス, 地動説, アリスタルコス, アルキメデス, ポエニ戦争, エラトステネス

  • 19

    ヘレニズム芸術の代表作といえば、アテネの女神に殺されるトロイアの神官を描いたA、アフロディテの像であるB、アナトリアのペルガモンで発見されたC、エーゲ海北部で発見された顔無しの像、Dがある。

    ラオコーン像, ミロのヴィーナス, 瀕死のガリア人, サモトラケのニケ

  • 20

    ローマになると、ギリシアの模倣的な側面が強くなる。政治と建築はギリシアより上等だが、他は基本模倣である。 ローマになって描かれた文学は、 古代ローマ最大の詩人と呼ばれたAが書いた「B」(トロイア戦争の敗者を主人公に)←(ホメロスへの憧れ) や、 Cの書いた『D』(著者は、「征服されたギリシアが、野蛮な征服者を虜にした」と述べている。)、 Eに追放され黒海西岸で死んでしまったFの書いた「愛の歌」「転身譜」、 そして五賢帝時代の風刺作家でGなどの言葉で世相を批判したHがいる。

    ウェルギリウス, アエネイス, ホラティウス, 叙情詩集, アウグストゥス, オウィディウス, パンとサーカス, ユウェナリス

  • 21

    ローマ共和政末期の政治家、AはBをCに翻訳したことで知られる。彼は共和政を支持し、まずDと対立し、次にEと対立した。Eに暗殺される。 なお、彼の著書はFである。Fにも書かれている通り、彼は共和政を支持し、民主政を批判した。これは全て、Gの影響を受けていることが原因である。

    キケロ, ギリシア哲学, ラテン語, カエサル, アントニウス, 国家論, プラトン

  • 22

    ローマに移り、ストア派が主流となった。 ストア派哲学者としては、Aの家庭教師であり、代表作がBであるC、D出身のE、F皇帝と呼ばれGを著したHがいる。 一方、エピクロス派哲学者としては、著作、「物体の本性」を描き、のちに原子論としてルネサンス期に発展したIがいる。 その他にも、ギリシア哲学と神学を融合させ、のちの中世キリスト教ともつながる、Jが創始したKがある。

    ネロ, 幸福論, セネカ, ギリシア人奴隷, エピクテトス, 哲人, 自省録, マルクス=アウレリウス=アントニヌス, ルクレティウス, プロティノス, 新プラトン主義

  • 23

    ローマの歴史学者AはB人の歴史家で軍人でもあり、Cに従軍しDに厚遇された。彼は著作「E」でFによりローマの発展を説明。 ローマはG政治(コンスル)、H政治(元老院)、I政治(平民会)が融合していて優れていると評した。

    ポリビオス, ギリシア, 第3次ポエニ戦争, 小スキピオ, 歴史, 政体循環史観, 君主, 貴族, 民主

  • 24

    ローマの歴史家としてポリビオス以外に挙げられるのは、Aの保護のもとローマ建国史を書いたB、C遠征を描き、当時のD世界がどのようであったのか知ることのできる重大資料となった、Eのかいた『F』、共和政を支持し、D世界について描きD世界の優位性をローマと比べて表した『G』 アウグストゥスの死亡時からHの死亡時までを描いた『I』など多くの作品を残したJ、そしてギリシア人で地中海各地の史実や伝説を集めた『K』で有名なL、同じくギリシア人で、カエサル⇆アレクサンドロスなどローマとギリシアの偉人を比べた『M』(N組分比べた)で有名なO。最後にギリシア人旅行家でギリシア史を著したPがいる。

    アウグストゥス, リウィウス, ガリア, ゲルマン, カエサル, ガリア戦記, ゲルマニア, ネロ, 年代記, タキトゥス, 地理誌, ストラボン, 対比列伝, 23, プルタルコス, パルサニアス

  • 25

    ローマの科学者で有名なのは3人。A火山の噴火で人名救助を行い、その途中に死亡したB(著作『C』は全2万項に及ぶ百科全書)、2世紀にDで活躍し世界地図の作成、著作『E』を残したF(著書内でGを提唱)、Hの侍医を務めた功績を持つ医学者Iである。

    ウェスウィウス, プリニウス, 博物誌, アレクサンドリア, 天文学大全, プトレマイオス, 天動説, マルクス=アウレリウス=アントニヌス, ガレノス

  • 26

    ローマでは、ローマ市民のみに法が適用される「A」から、全ての民族に法が適用される「B」へと考え方が移った。 ローマ市民権拡大運動がその要因とされる。 当初、貴族のみが持っていた参政権だったが、 まず、前287年のCでローマ市民全体が参政権を入手した。 次に、Dののち、E全域の全自由民に参政権が与えられた。 212年のFで、Gが全帝国に市民権を与え、こうして、市民権拡大は幕を閉じた。 ローマ領内の全員に適応されたBは、534年Hの命令で編纂したIらによって作られた『J』で大成した。

    市民法, 万民法, ホルテンシウス法, 同盟市戦争, イタリア半島, アントニヌス勅令, カラカラ, ユスティニアヌス, トリボニアヌス, ローマ法大全

  • 27

    ローマでは建築技術が発展。特にA技法が発達した。ローマの広場はBと呼ばれ、首都ローマには最古のBが作られた。また、ローマの神々は神殿Cに祀られ、今でも現存している。Dが改築したローマのCは特に有名である。また、コロッセウムと呼ばれる円形闘技場もあり、ネロの後に皇帝となったEが建築に着手し、その次のFの時代に完成したとされる。 ナポレオン時代にフランスがパクったGは、元々はローマで戦勝記念で作られたものであり、今でもローマにH個現存している。特に、I帝、J帝のものが有名である。 南フランスには3層アーチの水道橋、K水道橋がかけられていたりもする。 L帝が大浴場を建築していたりもする。 その他には、ローマ最古の軍用道路として有名なMがある。

    アーチ, フォルム, パンテオン, ハドリアヌス, ウェスパシアヌス, ティトゥス, 凱旋門, 7, トラヤヌス, コンスタンティヌス, ガール, カラカラ, アッピア街道

  • 28

    カエサルはユリウス暦を制定した。これは一年をA日で換算するものであった。1582年には、グレゴリウス13世が一年をB日にし、改良した。

    365.25, 365.2425