問題一覧
1
農業技術が発達し、大開墾運動が起こると、人口は増加し西欧は拡大した。また、Aも流行した。三大A地のB、C、Dへの移動は、イスラーム教徒との緊張関係を高めた。 そしてこの頃従来のE制、F制を廃止したGが国防を外国人傭兵に依存したことで弱体化していた。それを圧迫したのが、Hである。 彼らはアナトリアにまで進出し、Iを成立させた。同時に、Jを占領した。Gの皇帝Kが教皇を通じて、西欧に援軍を要請した。(L年) これを受け、L年、M中部でN会議が行われ、教皇Oが聖地回復のための十字軍を提唱した。 翌年のP年に十字軍遠征が始まるのだった。 ※ただし、背景には「東方進出の欲求」がある。 教皇はQを統合し吸収する狙いがあった。また、北イタリア諸都市は、Rを拡大し地中海商業の覇権獲得を狙った。
巡礼, ローマ, イェルサレム, サンチャゴ=デ=コンポステラ, テマ, 屯田兵, ビザンツ帝国, セルジューク朝, ルーム=セルジューク朝, イェルサレム, アレクシオス1世, 1095, フランス, クレルモン教会, ウルバヌス2世, 1096, ギリシア正教会, 東方貿易
2
第1回十字軍は、1096年から99年まで行われた。AとB、2つの国の諸侯が中心だった。(英王、仏王、独帝は破門中) C朝の統治下だった聖地を奪還し、Dを建国した。他に、EやFにも十字軍の国家を建設した。 1113年にはG、1119年にはHと呼ばれるIを結成した。これらは聖地に常駐し、巡礼者の保護や貧者・病人などの救護を行った。が、すぐにイスラーム側の反撃と圧迫を受け、E、Fなどを失った。 なお、これと同時進行で行われていたのが、Jで、彼らは自発的にイェルサレムに向かった農民中心のもので、クレルモン教会会議の直後に、Kの隠者Lに率いられた農民が自発的に遠征した。が、Mに完敗。
フランス, イタリア, ファーティマ, イェルサレム王国, アンティオキア, エデッサ, ヨハネ騎士団, テンプル騎士団, 宗教騎士団, 民衆騎士団, アミアン, ピエール, セルジューク朝
3
第2回十字軍は、ドイツ皇帝Aとフランス王Bが行ったが、不和と非協力で失敗した。(シリアのCなどを攻撃したが失敗)(1147年から2年間)
コンラート3世, ルイ7世, ダマスクス
4
第3回十字軍は、1189年に行われ、最大規模の遠征になった。 きっかけは、A朝のBがCを奪還したところから始まった。BはD人の武将で、A朝の建国者である。E朝を滅ぼしFを支配した後、Cを奪還した。 これを受け、英仏独が協力した。イギリス王はG(H)が、フランス王はI(J)が、神聖ローマ皇帝はK(L・M)が出陣した。 しかし、英仏は対立し、IはNを奪還した後帰国した。Kの不慮の事故死で、ドイツも遠征から脱落。 残ったHは交戦したが、Oを存続させ巡礼可能だが、聖地はあくまでイスラーム勢力のもの、という条件で講和した。
アイユーブ, サラーフ=アッディーン, イェルサレム, クルド, ファーティマ, エジプト, リチャード1世, 獅子心王, フィリップ2世, 尊厳王, フリードリヒ1世, バルバロッサ, 赤ひげ, アッコン, イェルサレム王国
5
第4回十字軍は、1202年から始まった。この頃から、十字軍の形態は大きく変化する。 ローマ教皇権最盛期の教皇、Aが提唱した第4回は、相次いで各国王に破門を行ったため、商業覇権を狙うB(総督C)が主導となった。 これが問題の起こりであった。Bは商業覇権を狙っていたため、十字軍を利用してDに攻撃を行い、Eを占領。Fを建国した。(Dは対岸に逃れGを 建国)(この2年後、アジアではHが即位) FはBの植民国家となったが、61年にDと、そして商業ライバルだったIの共同戦線によって滅亡した。
インノケンティウス3世, ヴェネツィア商人, ダンドロ, ビザンツ帝国, コンスタンティノープル, ラテン帝国, ニカイア帝国, チンギス=ハン, ジェノヴァ
6
少年十字軍がAらによって率いられたが、失敗した。
エティエンヌ
7
第5回十字軍は、1219年のもの、1228年のものを総括して呼ぶ。 これは、当初アッコンを拠点にAを攻撃したが敗北し、Bの国王だった神聖ローマ帝国の皇帝、CがD朝との外交交渉で一時キリスト教の場所だけ聖地を奪還した。
エジプト, シチリア島, フリードリヒ2世, アイユーブ
8
第6回十字軍は、1248年から始まり、フランス王AがBを攻撃し、また当時急速に台頭したCとの提携を企て、Dをカラコルムに派遣した。 AはE朝と戦い捕虜になったが、E朝はF朝に交替した。
ルイ9世, エジプト, モンゴル, ルブルック, アイユーブ, マムルーク
9
第7回十字軍は、A年に行われ、その年のうちに終わった。フランス王Bが海路Cを攻撃したものの、彼がDしたことで終了した。 その後は大規模な遠征はなく、E朝の反撃にあい、最終拠点Fの陥落で、十字軍遠征は終結した。(G年)
1270, ルイ9世, チュニス, 病死, マムルーク, アッコン, 1291
10
宗教騎士団は、1113年のA(第B回十字軍で結成)、1119年のC(第D回十字軍で結成)、1190年のE(第F回十字軍で結成)が有名である。 Aは、キプロス島やロードス島を拠点としていた。長く戦っていた功績から、GにHを与えられ、Iとなり、のちに教皇の艦隊としてJで活躍した。Cは、ソロモン神殿のあとに建設されたが、のちにフランスに拠点を移し商業や金融業で富裕化した。が、のちにその富裕化を危険視され、Kに弾圧された。 EはLで結成された。13世紀に帰国し、Mに従事し、これがのちのNになった。
ヨハネ騎士団, 1, テンプル騎士団, 1, ドイツ騎士団, 3, カール5世, マルタ島, マルタ騎士団, レパントの海戦, フィリップ4世, アッコン, 東方植民, ドイツ騎士団領
11
十字軍遠征によって、Aの権威は失墜した。(第4回以降)また、教皇が金銭をくれずに出兵させたことで、富裕層のB・Cも没落した。が、商人が経済的に協力したり、B・Cが没落したことで、相対的にDの権威が強化された。 また、社会的影響としては、B・Cの没落により、E制・F制が崩壊し、封建制が壊れ、Gが解放された。 経済的影響としては、Hが発展し、商業覇権をIが握った。 遠隔地商業も発展した。(商業ルネサンス) 貨幣経済は普及し、中世都市が発達した。 文化的には、イスラーム文化、古典文化が流入し、Jが始まり、イタリア=ルネサンス誕生の背景となった。
教皇, 騎士, 諸侯, 国王, 荘園, 領主, 農奴, 東方貿易, ヴェネツィア, 12世紀ルネサンス
12
中世では農業生産物の増大によって、Aが発生した。商業は徐々に活発化し、貨幣経済が普及。十字軍を通してヨーロッパの交通路は発達し、遠隔地商業は発展した。商業拠点が形成され、各地で市が開かれる。当初はBであったが、Cになっていき発展した。また、商人は安全で交通の便利な場所にD(ヴィク)を形成した。 中世になって、農業に基盤を置かない都市が成立した。古代以来のE都市も、Dが周りで発展した。これら都市は、力を強めていきFやGから都市自治権を買収し、その証としてHを獲得した。また、都市の有力者は領主からの自立を目指し、ライン=セーヌ川を中心にIが起きた。 そして、領主などからの介入を避けようと、周囲に城壁を築いたJも成立した。 この中でも、イタリア北部・中部で発生したものをKと呼ぶ。叙任権闘争で皇帝や教皇が任命する伯、司教が弱体化したため、都市貴族が台頭したことで成立した。市民全員がLを運営したことが特徴で、ほぼ完全な独立を獲得した、都市共和国となった。 ドイツでは、M(N)が成立し、有力都市が皇帝などからHを獲得し直属となった。中世末期には、ドイツの諺、Oが使われた。(農奴も1年で自由に)
余剰生産物, 不定期市, 定期市, 商人集落, 司教座, 国王, 諸侯, 特許状, コミューン運動, 自治都市, コムーネ, 市政, 自由都市, 帝国都市, 都市の空気は人を自由にする
13
中世の都市国家の繁栄と同時に、ギルドが形成された。これはA的な同業組合で、同業者を制限するために行われた(ユダヤ人、女性は参加できず) 大商人たちが築いたBは、11世紀ごろから各都市で成立した。 都市の自治権獲得運動の中心となり、13世紀ごろに、Cを独占した。(大商人が権力を握る) Bに対抗して作られた手工業者同業組合が、D(E)である。Dは自由競争を禁じ、価格等も規制した。ギルドに参加できたF、そして有給でFに仕えるG、そして無給の見習いH、と定めるI制度などの厳格な規律を持っていた。 13世紀中頃には、BとDとでJが起きる。これによって、徐々にDも市政に参加することができるようになった。
排他, 商人ギルド, 市政運営, 同職ギルド, ツンフト, 親方, 職人, 徒弟, 徒弟, ツンフト闘争
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中世に入り、都市国家が形成されていくようになると、大商人が出現する。 イタリア、AのB家は最も有名で、Cで繁栄し、市政を掌握しイタリア=ルネサンスを支えた。(教皇Dはこの家の人) また、南ドイツのE経営で富を成したのがFのG家である。特に、H銀山などにより巨万の富を得た。 ミラノの名家、Iも有名だが、14世紀末に公国を称したものの、15世紀以降はJ家に実権を奪われた。
フィレンツェ, メディチ, 金融業, レオ10世, 銀山, アウクスブルク, フッガー, ティロル, ヴィスコンティ, スフォルツァ
15
11世紀から、農業生産力の向上、大開墾時代の到来、そしてA人の移動と国家形成(特にB)により、Cが起こり、遠隔地商業が再び活発化した。
ノルマン, デンマーク, 商業ルネサンス
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東方貿易(地中海商業圏)は、Aの諸都市と地中海東岸(レヴァント)とで行われた。これにより、アジアさんの絹織物や香辛料などが輸入された。(モンゴル・ネットワーク) 海港都市として栄えたBはC海に面し、第4回十字軍以来の繁栄で、D商人と取引していく中で覇権都市となった。(Eと呼ばれた) また、D商人はFでイタリア商人に香辛料などを売却して巨利を得た。 他には、B最大のライバルだったがのちに負け、G海経由でモンゴル・ネットワークと結びついたH、大聖堂で有名な都市で、Hに敗北し15世紀のはじめにIに併合されたJがある。 内陸都市としては、AのK地方の中心都市であるLがある。これは、アルプス以北との中継貿易などで繁栄。Mの中心として牽引した。 Mは神聖ローマ皇帝Nのイタリア政策に対抗して結成したもので、皇帝軍を破ったことで知られる。(Oに対する二次同盟も有名) 中部イタリアのP地方にあったQも有名で、R生産、および貿易、金融業で繁栄し、15世紀S家に支配された。
北イタリア, ヴェネツィア, アドリア, カーリミー, アドリア海の女王, アレクサンドリア, 黒, ジェノヴァ, フィレンツェ, ピサ, ロンバルディア, ミラノ, ロンバルディア同盟, フリードリヒ1世, フリードリヒ2世, トスカナ, フィレンツェ, 毛織物, メディチ
17
地中海商業圏がイタリアで栄えたとき、北ドイツやA地方では北ヨーロッパ商業圏が栄えた。B海、C海で行われたこの商業では、海産物(特にD)や木材・毛織物などが取引された(取引ではEが中心) 北ドイツの都市はFを結んだ。商人仲間、という意味を指す言葉を用いてつけられた。共通の貨幣や度量衡を決めたことで知られる。 また、共同のGを保有し、商圏確保のための戦争を行った。 →H海軍を1370年に撃破すると、中世のI海制海権を握った。 加盟都市だったのが、盟主のJ、K川河口の都市、 L、ウェーゼル川河口にあるM、大司教座が置かれたN、そしてポーランドの港市、Oである。 貿易の要地には在外商館が置かれ、イングランドのP(羊毛)、AのQ(毛織物)、ノルウェーのR(穀物)、ロシアのS(毛皮)に置かれた。
フランドル, バルト, 北, ニシン, 生活必需品, ハンザ同盟, 海軍, デンマーク, バルト, リューベック, エルベ, ハンブルク, ブレーメン, ケルン, ダンツィヒ, ロンドン, ブリュージュ, ベルゲン, ノヴゴロド
18
フランドル地方は、ネーデルラント南部で、毛織物生産の中心として繁栄した。 中世最大の毛織物生産地、Aは有名だが、15世紀以降はBに繁栄の中心が移った。 なお、Bもハンザ同盟に加入している。 他に栄えたのは、ベルギー西北部のCである。
ブリュージュ, アントウェルペン, ガン
19
内陸通商で栄えたのが、A地方と南ドイツだった。A地方はパリの東南にあり、Bで知られた。 南ドイツのC、Dは銀産地として有名で、CはE家に支配された。 フランスでは、A地方の他に首都F、ノルマンディー公国の首都G、ローマ時代の都市を起源にもつH(16世紀にイタリアからIが導入。繁栄)、ぶどう酒のJ、そして古代ギリシアの都市Kが有名である。
シャンパーニュ, 定期市, アウクスブルク, ニュルンベルク, フッガー, パリ, ルーアン, リヨン, 絹織物, ボルドー, マルセイユ
20
中世において、ユダヤ人問題は発生した。教皇Aが招集したB公会議でユダヤ人差別を決定した。また、Cへの強制移住はこの頃から始まっていた。ペストの流行の原因はユダヤ人のせいとされ虐殺が起きた。 西欧では、ユダヤ人が追放され、イギリスでD、フランスではE、スペインではFの時代に追放された。(Gは商業の発展のために非迫害)
インノケンティウス3世, ラテラノ, ゲットー, エドワード1世, シャルル6世, イサベル女王, ポーランド
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十字軍遠征の失敗は教皇の権威の失墜に繋がった。相対的に国王の力が強まり、1303年、Aが起きてしまう。これは、フランス王Bが教会への課税を狙ったことで、教皇Cと対立し、BがDで国内の支持を確認した後、教皇をEのアナーニに幽閉した事件である。これによって、教皇の地位の下落が公的になってしまった。 1309年からはFが行われた。これは教皇Gが、ローマからHのIに逃げたものだった。(バビロンのやつとは違う) 1378年に教皇はローマに帰還した。(Jでフランスが弱体化)しかし、ローマ、アヴィニョンどちらにも教皇が擁立されてしまい、K(L)が起きた。 1409年以降には、三教皇分立時代になってしまう。(Mで) この事態を苦慮し、神聖ローマ皇帝NはO公会議を行った。これによりKは終了し、マルティヌス5世が統一教皇に君臨した。また、教皇権回復のため、Pを異端に、Qを火刑にする、と取締りを強化した。 なお、PはR大学の神学教授で、F以降教皇からの独立を主張し、聖書中心主義をとり聖書をSした。 Qも有名で、T大学の神学教授で、チェコ語訳に勤めた。(のちのQ戦争)←Nへの反発
アナーニ事件, フィリップ4世, ボニファティウス8世, 三部会, ローマ近郊, 教皇のバビロン捕囚, クレメンス5世, 南フランス, アヴィニョン, 百年戦争, 大シスマ, 教会大分裂, ピサ, ジギスムント, コンスタンツ, ウィクリフ, フス, オックスフォード, 英訳, プラハ
22
中世では、荘園内部で商業、都市が発達したことで、地代荘園が定額のAへと変化した。また、荘園外部でもBやCなどの戦争が起き、Dの流行で3分の1が死に、農村人口は激減。これによって、中世農奴解放と呼ばれる出来事が起き、荘園は解体した。また、領主の支配から自立した中小土地所有農民、Eが出現し、特にイングランドでFが大量に現れた。(社会層として総称する場合はG)
貨幣地代, 薔薇戦争, 百年戦争, ペスト, 独立自営農民, ヨーマン, ヨーマンリー