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西欧の戦後史〜もう、変わらなきゃいけないんだねっっ〜

西欧の戦後史〜もう、変わらなきゃいけないんだねっっ〜
18問 • 2年前
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    問題一覧

  • 1

    1940年、第二次世界大戦で副首相になっていたAは、B党の人物だった。彼はCに変わってイギリス首相として、45年7月にはDに途中から参加している。彼はCの率いたE党を破り、疲弊した国民を守るため、Fの国有化(46年)をはじめとした重要産業国有化と、「G」と呼ばれるH制度で、国民生活の充実を目指した。 彼は経済理論としては、財政支出によって完全雇用を目指す経済学者、Iの思想が背景にあった。 A内閣は福祉国家を建設するとともに、植民地問題でも大きな転換期となった。47年8月15日には、7月にJを可決していたKで、KとLとの分離独立を認め、大戦中、問題をひた隠しにしたままだったMからの完全撤退、49年4月にはNの離脱を受けるなど、過去と争った。戦後、冷戦構造が深刻化すると、アメリカに服属する形で、49年4月Oを創設し西側世界のリーダーとなる。同月にはPが成立したが、翌年にはQの返還回避のためにPを認めた。

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  • 2

    1946年、「バルト海のシュテッティンからアドリア海のAまで、Bが降ろされた」と冷戦の幕開けを告げるB演説を行なっていたCは、その高い人気から51年の総選挙で政権に返り咲いた。外交面では、冷戦の深刻化とともに、Dの維持を行おうとするも債務が膨らんでいた。52年10月にはEを行い、米ソにつぐ3番目だった。 この時期のヨーロッパ統合の流れには消極的で、F(G)とH(I)には不参加だった。その後長くJ党として続き、64年Kがつくまで変わらなかった。あくまでアトリー政権の政策のまま変えなかったJ党は、ケインズ主義的復興をほぼ達成することに成功したが、その分対外債務は増大し、60年Lが起きている。D退任後もヨーロッパ統合の動きには反対的で、対抗したM(N)を発足させている。 なお、このJ党長期内閣では、Oの際にP、Qと結んでRと戦うも敗れ、世界に権威の失墜をあらわにした。

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  • 3

    1964年、イギリス首相となったAは、保守党長期政権によるイギリス失墜、経済停滞の流れを変えようと尽力した。彼はイギリス経済の苦境克服のためにBを施策し、国家は財政を回復した。この時代、外貨獲得に尽力したCは財政回復に貢献し、エリザベス2世から勲章をもらっている。また、同年Dへの参加を望むも、フランスからの反対で失敗。外交では68年1月、インド洋交易の拠点として長く栄えていたEから撤退、71年にはF連邦、Gからの撤退を行なった。これら一連をHと呼ぶ。71年のI、73年のJの影響を受け、73年の1月1日には、Kに踏み切った。(Lと呼ぶ) 70年代にはMが深刻化し、武装闘争となった。 このように、国家回復はしたものの、イギリスは大帝国としての権威の失墜を止めることはもうできなかった。

    ウィルソン, ポンド引き下げ, ビートルズ, ECC, アデン, マレーシア, シンガポール, スエズ以東からの撤兵, ドル=ショック, オイル=ショック, EC加盟, 拡大EC, 北アイルランド紛争

  • 4

    1970年代、経済停滞を深めたイギリスは、「A」と呼ばれる状況にあった。また、73年にはBの開始に際するCに見舞われ、一方の東西冷戦においても、デタントの影響から当時のD首相はEに署名していた。 こうしたイギリスの動きを鋭く批判し、ヴィクトリア女王の頃の大英帝国を目指したのがFだった。FはDと同じくG党の人物で、中流階級の身で女性だったため、ハンディキャップ克服のために強気な政策を貫いた。 Hという経済政策で、「小さな政府」と「民営化」をキーワードとしたIを導入し、社会保障費の削減を強行。アトリーから引き継がれた「ゆりかごから墓場まで」の政策を一転させた。 これによってイギリス経済は回復するかと思われたが、労働者をはじめとする中下層は生活が不満になり、国民からは不安に思われるように。 そんな中で勃発したのが、82年のJだった。JはKとの抗争地で、イギリス2度目の世界周航者、キャベンディッシュ艦隊の副将が偶然手に入れていたものだった。Kは当時、独裁体制の中、強力な軍隊を率いていたが、強硬路線のFはなんとか辛勝。国民からの支持を回復した。 その後はイギリスが抱えていた深刻な問題、アイルランド問題にも強気に戦い、Lにあったカトリック武装勢力、M(N)から激しいテロを受け、自身の宿泊先のホテルを爆破されるも、対決姿勢を崩さなかった。 また、ヨーロッパ統合には否定的で、西ドイツやフランスの主導だったOとは一線を画し、その考えはF引退後も引き継がれ、2002年にはPの導入に参加していない。 一方、現実的な政策も見られ、84年にはQと交渉し、97年、イギリスはRを実現した。 しかし、89年冷戦が終結すると、イギリスの国際的役割は弱まり、それに伴って次第に、Fの強気な姿勢は国際的に、人のいうことを聞かない人物としての側面が取り上げられるようになった。こうして90年11月、党首としての役割を終え、79年から11年にわたる、20世紀最長の在任を降りた。 なお、彼女のニックネーム、Sは元々、首相就任前に強気な姿勢を揶揄されて呼ばれたものである。

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  • 5

    1980年代を率いたサッチャー、続くメージャーと、イギリス保守党政権は「小さな政府」化を徹底した。その結果、イギリス病克服には成功するも、貧富の差の拡大、社会の荒廃は免れぬものとなっていた。 そんな中、A党のBは、保守党長期政権からの変革をのぞむ国民の声に応え、内閣を組織。彼はイギリス史上最も若い首相となった。 1979年、サッチャーに政権を奪われて以来、A党が力を弱めていたのは、「大きな政府」をもう国民が望んでいないことに気づいたBは、「小さな政府」とも違う、機械平等を目指した第3の道を目指した。 また、長年の頭痛の種、Cの解決に尽力し、98年にはD(E)との和平協定を締結、2003年には武装解除まで漕ぎ着けた。 また、97年の要請を受け99年にはF、Gにも自治権を与えた。 外交では、ヨーロッパ統合に積極的に参加するも、サッチャーの意志にそったのか、Hの導入は行わなかった。 2003年には、I政権を支持し、Jに参戦し、その後も長期政権を築くも、2007年、大統領型政治への批判から退陣した。なお、Jに参戦しない立場をとった、K、Lとは対照的であると言える。

    労働, ブレア, アイルランド問題, アイルランド共和国軍, IRA, スコットランド, ウェールズ, ユーロ, ブッシュ(子), イラク戦争, フランス, ドイツ

  • 6

    2004年、A(B)が成立すると、2009年にはCを調印することでDの一部に統合の構えを組み込み、ヨーロッパ統合はまさになされようとしていたしかし、このような流れに否定的な国は依然としてあり、特にイギリスは大英帝国時代のプライドを持っていた。 1958年のEに不参加だったイギリスも、73年、Fの加入に踏み切っており、Aにも組み込まれることとなった。 しかし、冷戦が終結してから20年もすると、次第にAは東欧にも拡大していった。イギリス国内では、この動きに対し自国成長の妨げになるという気持ちが芽生えていたが、2011年Gが起き、国内に移民が押し寄せると、文化摩擦の観点から次第にイギリス人のイギリス、的側面が囁かれだし、H年、国民投票の結果、A離脱が決まり、I年には正式に離脱した。 しかし、こうなると問題になってくるのが、JとKとの国境ラインであるが、I年には一定の合意が成立したため、混乱が生じることはなかった。

    EU, ヨーロッパ連合, リスボン条約, マーストリヒト条約, EEC, EC, アラブの春, 2016, 2020, 北アイルランド, アイルランド共和国

  • 7

    1944年6月6日、連合軍がAを敢行すると、8月25日にBが解放され、9月9日、ロンドンでCをたてていたDが、臨時政府の首相に就任した。しかし、46年1月には最大勢力となっていたE党と対立し、辞任。E党と、保守中道をとるキリスト教系のF、フランス人民戦線のブルムなどが有名なGの3党は、それぞれ支持を得るも特段強いわけではなく、連立政権を樹立しながらフランス経済復興を図った。 こうして46年10月には、第4共和政が成立し、Hの過程で成立した第1、Iによって成立した第2、JのKに代わる政治体系として成立した第3につぐ、4度目の共和政国家が成立した。 3度の共和政を踏まえ、内閣の権限強化を目指すも、大統領権限は弱く、閣僚間の対立も深まったことで政体が不安定なまま、国家は続いていた。 この間、50年には外相のLが、Mを発表し、N構想の提唱によるヨーロッパ統合の道を模索していた。これはフランス側としては、ドイツとの抗争地であるO地方、P地方を国連管理下に置く目的があった。なお、Qの勃発によって、西ドイツのRは再軍備を目指しながらも提携を決めた。イギリスはフランスが強くなると困るのでもちろん反対。 しかし、内政不安に加え、この頃フランス植民地の遺産であるSとTで民族意識が高まっており、独立運動が開始していた。 Sでは54年5月7日、Uに敗れ、Vを締結しWの独立を承認、フランス領Xが解体する屈辱を味わい、一方のTでも民族解放戦線(Y)が54年11月に武装蜂起すると、もういっそ独立させようかと政府は考えていたものの、国民が許すわけもなく戦争が始まった。56年にはイギリスと共同で、エジプトのナセルがTを支援しているとして、Zに出兵するも失敗。国際的に非難を受けた。

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  • 8

    1830年、フランス復古王政のAがBを強行させ、民衆の不満を逸らしたこの時から、アルジェリアはフランスのものとなった。 しかし、第二次世界大戦後の48年、指導者Cを旗頭に、D(E)が武装蜂起を開始。長きにわたるFが始まった。 その後次第にフランス政府は苦慮の結果か独立承認に傾くも、現地反乱軍は強く抵抗し、G政府も国民からの信頼をなくす形で倒れる。 救国の英雄、Hはこの問題をフランス有利に導き解決するかと思われたが、大統領当選後、突如彼は態度を変え、「アルジェリア人のアルジェリア」実現を許した。国民もFに耐えかねていたため、投票の結果独立は承認され、62年7月のIで独立は承認された。 なお、60年のHによる和平交渉の開始は、1960年がIと呼ばれる始まりとなった。 アルジェリアは独立後、63年に英雄Cを大統領とし、社会主義国家が建設されることとなった。次第に独裁的な権力の集中が起こり、外交面では第三世界に与する、Jの立場をとった。 また、65年には第2回であるKがアルジェリアで開催される予定だったが、クーデターにより中止となった。このクーデターでCは国防相ブーメディエンによって倒されるも、同様に社会主義国家建設が行われ、アルジェリアは近代化をなす。しかし、D体制の硬直化は次第に腐敗を招き、80年代末にはイスラーム救国戦線などのL運動が起こった。現在もD体制は変わらず、自由化は抑圧されている。

    シャルル10世, アルジェリア出兵, ベン=ベラ, FLN, 民族解放戦線, アルジェリア戦争, 第4共和政, ド=ゴール, エヴィアン協定, アフリカの年, 非同盟主義, アジア=アフリカ会議, イスラーム原理主義

  • 9

    内外の困難に対処できない第4共和政は次第にその支持を失い、アルジェリア問題の混迷もあり、1958年6月1日、ド=ゴールが首相に返り咲いた。10月、彼の手によって、現在にまで至るAが始まる。これはド=ゴールが自ら起草したBによるもので、大統領権が強まった。 ド=ゴールの外交は、ド=ゴール外交(C)と呼ばれ、「フランスの栄光」を取り戻そうとするものだった。 フランスはアメリカのDによって復興していたものの、ド=ゴールはアメリカへの依存の脱却を狙った。 60年にはEを強行、これは52年のFのEに続いたもので、63年には米英ソのG(H)への参加を拒否している。 彼は別にロマンを求めるタイプではなく、現実的であったので、従来のドイツとの対立構造の解消に動き、Iを西ドイツのJと締結した。 66年にはアメリカのヨーロッパ介入に反対し、軍事的にはアメリカに与する気はない、姿勢を見せるためにKを脱退した。 また、イギリスがL(M)に入ることにも反対し、イギリスはアメリカの「トロイの木馬」であるとした。 他に、アメリカのベトナム政策への批判やNの承認を行っている。 しかし、80歳近い老人に国家を任せることに次第に不信感を感じ、反体制運動を開始した学生、労働者によってO(P)が起こる。鎮圧はしたものの、国民の支持をなくし、ド=ゴールは辞任。その18ヶ月後に死去してしまった。Oは68年5月のもので、アメリカのQ運動の盛り上がりと結びついていた。 Q運動を中心として、68年、学生運動は広がりをみせ、西ドイツではRの大連立内閣が倒れ、これが社会民主党のS政権樹立へとつながり、 アメリカではQ運動やT運動が盛んとなり、またこの年はUやロバート=ケネディの暗殺、それに繋がるVの当選と、アメリカでも変革が起きた年だった。日本でも大学での抗議運動が全国で起き、中国ではWが進行したことで、学生であるXたちが、「Y」を唱えていた。 なお、アメリカの若者に広がり、ヒッピーと呼ばれる若者の既成文化への対抗を、Zと呼ぶ場合がある。

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  • 10

    ド=ゴールが5月危機後の選挙で敗れると、ド=ゴール主義の継承と脱却、どちらを選ばれるか、大統領は問われることとなった。 ド=ゴールの次のポンピドゥーはド=ゴール主義を継承したが、その後のジスカールデスタンは脱ド=ゴールを掲げた。しかし、どちらも保守派だったこともあって、ドイツや日本に遅れをとった経済政策が続いた。 国民が変化を求めていた81年、Aを率いたのがBだった。彼はそれまで対立構造にあったCと協力関係を築き、三党内閣として成立した。彼は対独レジスタンスにも加わっていた人物で、ド=ゴール臨時政府以降久しい三党内閣を指揮したため、革新政権として現在のフランスの大きな転換点を担った。 第4代大統領としてBは社会民主主義政策による、国有化の推進によった雇用の拡大を行い、その政策は、同年代のDやEとは全く異なるものだったため世間から注目されたが、景気回復には結び付かず、86年大敗。 しかし大統領は議院内閣制ではないのでとどまることに成功し、首相には保守派のFがつく、というド=ゴールのGの歪みにおける左派大統領と右派首相の連立構造ができた。これを、Hと呼んだ。 Fはド=ゴールに近い心情を持つ政治家で、ジスカールデスタン大統領下でも首相を務めていたが、結局Bとは対立し引退。その後もHを続けたBも、結局国民の支持を失い、95年、Iが大統領となった。 彼は就任直後、Jを南太平洋で再開したが国際的非難を呼び、97年には再びHがBの頃とは首相、大統領の立場が逆で行われた。 2002年には国民の支持から再任され、独自外交の観点から2003年のKには参加せず、ドイツのLとともに開戦を反対した。 その頃、ドイツとの和解を進める立場から、M(N)の単一硬貨ユーロ導入や、東欧のM加盟に動いたが、国民はMをドイツ主体であると判断し、2004年に作られたOに、フランスはPとともに批准しなかった。なお、Oは2007年、Qとして内容が一部変わり、Mの基本条約となった。 さて、彼は1995年に、第二次世界大戦におけるフランスの責任に触れている。実は、対独協力政権としてフランスに残留していたR率いるSは、パリ地域のユダヤ人を逮捕し殺害しており、しかし依然としてフランスはこの贖罪を行なっていなかった。大統領就任直後のIはこれを謝罪し、その演説は、歴史に残るものとなった。 彼は親日の人物で知られたが、2019年10月26日、亡くなった。

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  • 11

    シラクに変わって2007年に大統領に就任したAは、シラクの後継者とされていたものの、2005年若者を社会のクズと呼んだことで選挙では辛勝だった。ただ、彼は苦労人だったことから人気が高かったため、その強硬路線も国民から支持されていった。 彼は依然として高い失業率と経済格差を抱えたフランスには、もはや独自路線ではない新米路線が必要なことに気づいていた。内政ではフランスの伝統を捨てた新自由主義的な競争原理を導入し、2009年には43年ぶりにBへの完全復帰を表明した。 2012年には、社会党のCと決選投票まで持ち込むも敗北し、フランスはミッテラン時代以来の革新政権へと戻った。彼は女性の参画や雇用の回復が期待されたものの、大した政策は上げられず、2014年にAを収賄の罪で逮捕したことは、自身の人気挽回のものと思われる。 2015年1月7日には、イスラーム過激派によってDが起きる。これはムハンマドを諷刺した絵を掲載したことに対し、イスラーム教徒が編集部を襲撃したものだったが、背景には第3共和政のもとで起こったEの結果のF(G)が、移民として流れてきたイスラーム教徒によって疑問視されたものがあった。 2015年11月13日にはHがおき、犯行声明を出したI(J)は、フランス軍のK空爆とアッラー冒涜に対する聖戦(L)である立場をとった。 これらの事件は、一般市民に犠牲者130人を出し、フランスに大きな衝撃を与えることとなった。そんな中、経済・産業・デジタル大臣を務めていた39歳のM大統領が2017年就任。中道改革路線で国を引っ張ったが、既存の労働組合や貧困層からは強く批判を受けている。

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  • 12

    ムッソリーニの独裁を終え、43年のシチリア上陸以降成立していたA内閣は、ムッソリーニを幽閉し連合軍に無条件降伏。ドイツに宣戦布告を行った。44年2月には、Bに立てこもったドイツ軍と激戦を繰り広げ、44年6月、連合国軍がようやくローマを解放すると、徐々にドイツ軍を追い出した。 なお、ドイツ軍に対するレジスタンスの中心となっていたCは、ファシズム崩壊後獄中の党員三千人が釈放され、亡命先のモスクワから戻ったDが連立内閣に参加した。 46年6月、Eは廃止され、イタリアはFになった。また、同年のパリ講和会議ではGで海外領土を全て放棄した。Hとの間の抗争地、Iについては自由地域とされ、54年は協定の結果、ほぼイタリア領となった。 なお、保守勢力としてJが成立しており、Cは連立政権から排除。その後73年にはCとの歴史的妥協を実現されるも、テロの結果Jの党首、Kは殺されている。

    バドリオ, モンテカシノ, 共産党, トリアッティ, 王政, イタリア共和国, イタリア講和条約, ユーゴスラヴィア, トリエステ, キリスト教民主党, モーロ

  • 13

    1944年、連合国軍がAを開始すると、オランダはドイツの支配から解放された。オランダはドイツの強い支配で国土が荒廃していたが、アメリカのBによる10億ドルに下る資金援助が大きな支えになっていた。 1945年8月15日、日本が降伏すると、2日後に独立を図っていたCらがDの独立宣言を行った。しかし、植民地支配を復活させようとしたオランダは支配を続けようとし、47年7月、Eが激しく展開される。しかし、次第に国際連合からの非難を受け、和平交渉に応じ、49年11月2日のFで、いったんGという形で独立を承認し、これにより17世紀以来のHは終わりを右げた。しかし、GではDを除く国家の一部はオランダの傀儡政権であった。オランダがなおも影響力を残そう、というためのものだったが、1950年には全てが一体化された。 ただし、ニューギニア島の西半分であるHは信託統治を続けており、これに反対したDとの協議の末62年、HはDに帰属された。 こうして、オランダは植民地を喪失したが、それはオランダに共存型社会の毛一斉を促した。オランダは今までの中立から一点し、48年にIを、54年のJの結成と明確に協力関係を結んだ。49年にはKに加盟し軍事同盟の一員となっている。 並行して、ヨーロッパ統合への役割を果たし、48年のベネルクス関税同盟結成からは、51年にL(M)への加盟、57年にはN(O)、P(Q)の結成を勧めている。その流れは67年のR(S)を経て、92年のTによるU(V)の発足につながっていった。 が、2005年には国民投票から肥大化したUへの不信によってWへの批准がXとともに否決されている。

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  • 14

    第二次世界大戦後、ベルギーは国王レオポルド3世をどうするかで揉めていた。しかしついに退位を決意し、そんな中で生体はAの連邦制へと向かった。なお、国王としては神聖ローマ皇帝の血統を引くレオポルド1世がついだ。 ベネルクス3国の一員として、ベルギーはB(C)に加盟し、首都Dはヨーロッパ統合の中心地となった。93年にはE(F)の行政機構である欧州委員会が置かれ、また66年には軍事同盟、G(H)本部が置かれた。しかし、国内では多言語国家ゆえの言語戦争が起こっており、I問題としてIはその中心地域になった。なお、IはJで有名。 なお、オランダの植民地だったKはフランスが武力統治していたLの独立が行われたM年、武力統治は不可能だと確信したオランダによって、独立を認めた。 しかし、この早すぎた独立承認は、Kの独立を導いたNと国民との間でOを招いてしまった。 なお、その後は国名をP、 Qとして変更している。 M年に独立したRとは名前が間違えられやすいが、あちらはS領だったため全く異なる。

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  • 15

    ギリシアは1924年の王政復古の後軍人Aによって独裁が行われていた。第二次世界大戦ではドイツ軍の侵攻を受け、44年撤退後にはチャーチルとスターリンによるBで勢力分割が行われ、イギリスにその90%が分割支配された。 ギリシアは内戦を開始し、内戦に手を焼いたイギリスはギリシアから撤退、変わってCを掲げたアメリカが共産党勢力を徹底的に弾圧しDを復活させた。その後はソ連に対抗する国家としてEに加盟した。 1974年、軍事政権がF軍のG侵攻を受け国民の信望を失うと、軍事政権が倒れ、75年に国民投票の末H国家となった。(すぐに民主化達成) 1981年にはI(J)に加盟する。そもそもはギリシア人のギリシア思想だったが、国力低下から参加せ得ざるを得なかった。その後K(L)に移行してからは、統合の中心として、2001年にMを導入している。 2004年にはNでOを開催し、国際的に先進国の地位を自慢したが、実は財政は悪化しており、国民はそれを知らなかった。なお、ユーゴスラヴィア解体に伴うPの独立には強く反対した。 さて、2009年10月、ギリシアは財政危機が露呈した。これは2010年から11年におけるQをもたらし、2008年のRに続き世界経済の混乱をもたらした。

    メタクサス, パーセンテージ協定, トルーマン=ドクトリン, 王政, NATO, トルコ共和国, キプロス, 共和政, EC, ヨーロッパ共同体, EU, ヨーロッパ連合, ユーロ, アテネ, オリンピック, マケドニア, ユーロ危機, リーマン=ショック

  • 16

    スペインでは、戦前の1936年のA以来、Bによる独裁体制が続いていた。彼はCを基盤にファシズム体制を敷いていた。 彼はヒトラーを一時支援するも、その後は連合国側を支援したことで大戦を乗り越え、戦後はDにその政権としての正統性が否定されていた。 東西冷戦の時代になると、アメリカが反共勢力に組み込もうとしたため公認され、EのF政権とともに独裁政権を長期的につなげた要因となった。 しかし、自由と人権の擁護を掲げたG(H)への加盟は認められず、あくまでアメリカと経済的、軍事的な繋がりを固めただけであった。 ところが、EでIが起きると、スペインで民主化運動を始めた。 1975年、大戦から30年後、Bが死去すると、11月にJ朝が復活する。 85年には民主化が定着し政治的にも安定したことで、Gに加入、翌年にはEとともにK(L)に加盟した。が、国内のMではいまだ独立運動が起きている。NはM出身の人物である。

    スペイン内戦, フランコ, ファランヘ党, 国際連合, ポルトガル, サラザール, NATO, 北大西洋条約機構, ポルトガル革命, ブルボン, EC, ヨーロッパ共同体, バスク地方, ザビエル

  • 17

    ポルトガルでは、アフリカ植民地の維持に苦しみつつ、国民的意識形成と産業の近代化は遅れており、国民の不満は高まっていた。 1910年、国王が暗殺されると、王政が崩壊、第一共和政が成立する。 しかしその後、たったの16年で45の内閣が交替したこの国では、強力な勢力を欲していた。 そんな中、大戦の英雄ゴメス=ダ=コスタは革命を宣言し政権を奪い、その政府の財政担当に決まったのがAだった。Aは厳しくも優秀で、財政黒字を実現。世界恐慌も大規模公共事業で乗り越え、32年に首相の座まで上り詰めた。 33年には新国家形成を行おうとしたが、その思想はスペインのB、イタリアのCに代表されるファシズムの影響があった。 36年にはスペイン内戦でDを支持し、第2時世界大戦では中立を宣言。 連合国側に勝利が傾いた43年にはイギリスのEの基地使用を認め、アメリカ合衆国に対しても日本によるF支配奪回の支援を条件に基地の使用を認めた。その後もAは巧みな外交戦術でアメリカ側として冷戦にも参加したが、国家の実態は植民地政策と自由の抑圧、と遅れた国家だった。なお、戦後中にG(H)に組み込まれている。これはDを領有していたことによる。 なお、ポルトガルは1960年のIと呼ばれる独立運動の際も、植民地を絶対に手放さなかったが、61年にはJによってKを接収されてしまった。 I以降、さまざまな国が独立していく中でも、ポルトガルが植民地を手放すことはなかった。例えば、西アフリカ海岸の奴隷貿易拠点、Lや西岸の赤道の南だったM、東岸のNなどがあった。 しかし、68年、Aが引退すると、後継者カエターノの独裁は反対を受け、74年、ついにOが起きた。なお、カーネーション革命とも呼ばれる。ここからポルトガルは民主化の動きを見せる。 その後は86年にスペインとともにP(Q)に加盟し、そのままR(S)の一員となった。99年にはTも導入するも、財政の不安定さがドイツなどから警戒され、RおよびU(V)に金融支援を要請した。

    サラザール, プリモ=デ=リベラ, ムッソリーニ, フランコ, アゾレス諸島, 東ティモール, NATO, 北大西洋条約機構, アフリカの年, インド, ゴア, ギニアビサウ, アンゴラ, モザンビーク, ポルトガル革命, EC, ヨーロッパ共同体, EU, ヨーロッパ連合, ユーロ, IMF, 国際通貨基金

  • 18

    1974年、ポルトガルで革命が起こると、政権を握った将軍スピノラは9月にAの独立を承認、その翌年にはB、Cの順番で独立した。しかし、BはDの白人政権によってアパルトヘイトを続けるための攻撃を受け、それが倒されると今度はEから介入を受けた。94年には経済成長の遅れから、世界一の貧困国と呼ばれた。 一方のCでは内戦が起き、Fの白人政権は介入を行うも、Gとソ連など東欧諸国の支援を受け、91年に和平成立、94年FにH政権が誕生すると平和になった。 75年7月にはギニア湾の島IをJと組み合わせKとして独立させ、1445年にはエンリケの支配を受けたL諸島はMとして独立させた。 東南アジアに残ったNは、独立派が75年、OのP政権の介入を受け、その後2002年に独立を達成するも政情不安が続いた。 また、Qに関しては99年にRに返還している。

    ギニアビサウ, モザンビーク, アンゴラ, ローデシア, 南アフリカ共和国, 南アフリカ共和国, キューバ, マンデラ, サン=トメ島, プリンシペ島, サン・トメ=プリンシペ, ヴェルデ岬, カーボ=ヴェルデ, 東ティモール, インドネシア, スハルト, マカオ, 中華人民共和国

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    問題一覧

  • 1

    1940年、第二次世界大戦で副首相になっていたAは、B党の人物だった。彼はCに変わってイギリス首相として、45年7月にはDに途中から参加している。彼はCの率いたE党を破り、疲弊した国民を守るため、Fの国有化(46年)をはじめとした重要産業国有化と、「G」と呼ばれるH制度で、国民生活の充実を目指した。 彼は経済理論としては、財政支出によって完全雇用を目指す経済学者、Iの思想が背景にあった。 A内閣は福祉国家を建設するとともに、植民地問題でも大きな転換期となった。47年8月15日には、7月にJを可決していたKで、KとLとの分離独立を認め、大戦中、問題をひた隠しにしたままだったMからの完全撤退、49年4月にはNの離脱を受けるなど、過去と争った。戦後、冷戦構造が深刻化すると、アメリカに服属する形で、49年4月Oを創設し西側世界のリーダーとなる。同月にはPが成立したが、翌年にはQの返還回避のためにPを認めた。

    アトリー, 労働, チャーチル, ポツダム会談, 保守, イングランド銀行, ゆりかごから墓場まで, 社会保障, ケインズ, インド独立法, インド, パキスタン, パレスチナ, アイルランド共和国, NATO, 中華人民共和国, 香港

  • 2

    1946年、「バルト海のシュテッティンからアドリア海のAまで、Bが降ろされた」と冷戦の幕開けを告げるB演説を行なっていたCは、その高い人気から51年の総選挙で政権に返り咲いた。外交面では、冷戦の深刻化とともに、Dの維持を行おうとするも債務が膨らんでいた。52年10月にはEを行い、米ソにつぐ3番目だった。 この時期のヨーロッパ統合の流れには消極的で、F(G)とH(I)には不参加だった。その後長くJ党として続き、64年Kがつくまで変わらなかった。あくまでアトリー政権の政策のまま変えなかったJ党は、ケインズ主義的復興をほぼ達成することに成功したが、その分対外債務は増大し、60年Lが起きている。D退任後もヨーロッパ統合の動きには反対的で、対抗したM(N)を発足させている。 なお、このJ党長期内閣では、Oの際にP、Qと結んでRと戦うも敗れ、世界に権威の失墜をあらわにした。

    トリエステ, 鉄のカーテン, チャーチル, イギリス連邦, 核実験, ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体, ECSC, ヨーロッパ経済共同体, ECC, 保守, ウィルソン, ポンド危機, ヨーロッパ自由貿易連合, EFTA, スエズ戦争, フランス, イスラエル, エジプト

  • 3

    1964年、イギリス首相となったAは、保守党長期政権によるイギリス失墜、経済停滞の流れを変えようと尽力した。彼はイギリス経済の苦境克服のためにBを施策し、国家は財政を回復した。この時代、外貨獲得に尽力したCは財政回復に貢献し、エリザベス2世から勲章をもらっている。また、同年Dへの参加を望むも、フランスからの反対で失敗。外交では68年1月、インド洋交易の拠点として長く栄えていたEから撤退、71年にはF連邦、Gからの撤退を行なった。これら一連をHと呼ぶ。71年のI、73年のJの影響を受け、73年の1月1日には、Kに踏み切った。(Lと呼ぶ) 70年代にはMが深刻化し、武装闘争となった。 このように、国家回復はしたものの、イギリスは大帝国としての権威の失墜を止めることはもうできなかった。

    ウィルソン, ポンド引き下げ, ビートルズ, ECC, アデン, マレーシア, シンガポール, スエズ以東からの撤兵, ドル=ショック, オイル=ショック, EC加盟, 拡大EC, 北アイルランド紛争

  • 4

    1970年代、経済停滞を深めたイギリスは、「A」と呼ばれる状況にあった。また、73年にはBの開始に際するCに見舞われ、一方の東西冷戦においても、デタントの影響から当時のD首相はEに署名していた。 こうしたイギリスの動きを鋭く批判し、ヴィクトリア女王の頃の大英帝国を目指したのがFだった。FはDと同じくG党の人物で、中流階級の身で女性だったため、ハンディキャップ克服のために強気な政策を貫いた。 Hという経済政策で、「小さな政府」と「民営化」をキーワードとしたIを導入し、社会保障費の削減を強行。アトリーから引き継がれた「ゆりかごから墓場まで」の政策を一転させた。 これによってイギリス経済は回復するかと思われたが、労働者をはじめとする中下層は生活が不満になり、国民からは不安に思われるように。 そんな中で勃発したのが、82年のJだった。JはKとの抗争地で、イギリス2度目の世界周航者、キャベンディッシュ艦隊の副将が偶然手に入れていたものだった。Kは当時、独裁体制の中、強力な軍隊を率いていたが、強硬路線のFはなんとか辛勝。国民からの支持を回復した。 その後はイギリスが抱えていた深刻な問題、アイルランド問題にも強気に戦い、Lにあったカトリック武装勢力、M(N)から激しいテロを受け、自身の宿泊先のホテルを爆破されるも、対決姿勢を崩さなかった。 また、ヨーロッパ統合には否定的で、西ドイツやフランスの主導だったOとは一線を画し、その考えはF引退後も引き継がれ、2002年にはPの導入に参加していない。 一方、現実的な政策も見られ、84年にはQと交渉し、97年、イギリスはRを実現した。 しかし、89年冷戦が終結すると、イギリスの国際的役割は弱まり、それに伴って次第に、Fの強気な姿勢は国際的に、人のいうことを聞かない人物としての側面が取り上げられるようになった。こうして90年11月、党首としての役割を終え、79年から11年にわたる、20世紀最長の在任を降りた。 なお、彼女のニックネーム、Sは元々、首相就任前に強気な姿勢を揶揄されて呼ばれたものである。

    イギリス病, 第4次中東戦争, オイル=ショック, ヒース, ヘルシンキ宣言, サッチャー, 保守, 新自由主義, サッチャリズム, フォークランド戦争, アフガニスタン, 北アイルランド, アイルランド共和国軍, IRA, EU, ユーロ, 鄧小平, 香港返還, 鉄の女

  • 5

    1980年代を率いたサッチャー、続くメージャーと、イギリス保守党政権は「小さな政府」化を徹底した。その結果、イギリス病克服には成功するも、貧富の差の拡大、社会の荒廃は免れぬものとなっていた。 そんな中、A党のBは、保守党長期政権からの変革をのぞむ国民の声に応え、内閣を組織。彼はイギリス史上最も若い首相となった。 1979年、サッチャーに政権を奪われて以来、A党が力を弱めていたのは、「大きな政府」をもう国民が望んでいないことに気づいたBは、「小さな政府」とも違う、機械平等を目指した第3の道を目指した。 また、長年の頭痛の種、Cの解決に尽力し、98年にはD(E)との和平協定を締結、2003年には武装解除まで漕ぎ着けた。 また、97年の要請を受け99年にはF、Gにも自治権を与えた。 外交では、ヨーロッパ統合に積極的に参加するも、サッチャーの意志にそったのか、Hの導入は行わなかった。 2003年には、I政権を支持し、Jに参戦し、その後も長期政権を築くも、2007年、大統領型政治への批判から退陣した。なお、Jに参戦しない立場をとった、K、Lとは対照的であると言える。

    労働, ブレア, アイルランド問題, アイルランド共和国軍, IRA, スコットランド, ウェールズ, ユーロ, ブッシュ(子), イラク戦争, フランス, ドイツ

  • 6

    2004年、A(B)が成立すると、2009年にはCを調印することでDの一部に統合の構えを組み込み、ヨーロッパ統合はまさになされようとしていたしかし、このような流れに否定的な国は依然としてあり、特にイギリスは大英帝国時代のプライドを持っていた。 1958年のEに不参加だったイギリスも、73年、Fの加入に踏み切っており、Aにも組み込まれることとなった。 しかし、冷戦が終結してから20年もすると、次第にAは東欧にも拡大していった。イギリス国内では、この動きに対し自国成長の妨げになるという気持ちが芽生えていたが、2011年Gが起き、国内に移民が押し寄せると、文化摩擦の観点から次第にイギリス人のイギリス、的側面が囁かれだし、H年、国民投票の結果、A離脱が決まり、I年には正式に離脱した。 しかし、こうなると問題になってくるのが、JとKとの国境ラインであるが、I年には一定の合意が成立したため、混乱が生じることはなかった。

    EU, ヨーロッパ連合, リスボン条約, マーストリヒト条約, EEC, EC, アラブの春, 2016, 2020, 北アイルランド, アイルランド共和国

  • 7

    1944年6月6日、連合軍がAを敢行すると、8月25日にBが解放され、9月9日、ロンドンでCをたてていたDが、臨時政府の首相に就任した。しかし、46年1月には最大勢力となっていたE党と対立し、辞任。E党と、保守中道をとるキリスト教系のF、フランス人民戦線のブルムなどが有名なGの3党は、それぞれ支持を得るも特段強いわけではなく、連立政権を樹立しながらフランス経済復興を図った。 こうして46年10月には、第4共和政が成立し、Hの過程で成立した第1、Iによって成立した第2、JのKに代わる政治体系として成立した第3につぐ、4度目の共和政国家が成立した。 3度の共和政を踏まえ、内閣の権限強化を目指すも、大統領権限は弱く、閣僚間の対立も深まったことで政体が不安定なまま、国家は続いていた。 この間、50年には外相のLが、Mを発表し、N構想の提唱によるヨーロッパ統合の道を模索していた。これはフランス側としては、ドイツとの抗争地であるO地方、P地方を国連管理下に置く目的があった。なお、Qの勃発によって、西ドイツのRは再軍備を目指しながらも提携を決めた。イギリスはフランスが強くなると困るのでもちろん反対。 しかし、内政不安に加え、この頃フランス植民地の遺産であるSとTで民族意識が高まっており、独立運動が開始していた。 Sでは54年5月7日、Uに敗れ、Vを締結しWの独立を承認、フランス領Xが解体する屈辱を味わい、一方のTでも民族解放戦線(Y)が54年11月に武装蜂起すると、もういっそ独立させようかと政府は考えていたものの、国民が許すわけもなく戦争が始まった。56年にはイギリスと共同で、エジプトのナセルがTを支援しているとして、Zに出兵するも失敗。国際的に非難を受けた。

    ノルマンディー上陸作戦, パリ, 自由フランス政府, ド=ゴール, 共産, 人民共和派, 社会党, フランス革命, 2月革命, ナポレオン3世, 第2帝政, シューマン, シューマン=プラン, ECSC, ザール, ルール, 朝鮮戦争, アデナウアー, ベトナム, アルジェリア, ディエンビエンフーの戦い, ジュネーヴ休戦協定, ベトナム共和国, インドシナ連邦, FLN, スエズ戦争

  • 8

    1830年、フランス復古王政のAがBを強行させ、民衆の不満を逸らしたこの時から、アルジェリアはフランスのものとなった。 しかし、第二次世界大戦後の48年、指導者Cを旗頭に、D(E)が武装蜂起を開始。長きにわたるFが始まった。 その後次第にフランス政府は苦慮の結果か独立承認に傾くも、現地反乱軍は強く抵抗し、G政府も国民からの信頼をなくす形で倒れる。 救国の英雄、Hはこの問題をフランス有利に導き解決するかと思われたが、大統領当選後、突如彼は態度を変え、「アルジェリア人のアルジェリア」実現を許した。国民もFに耐えかねていたため、投票の結果独立は承認され、62年7月のIで独立は承認された。 なお、60年のHによる和平交渉の開始は、1960年がIと呼ばれる始まりとなった。 アルジェリアは独立後、63年に英雄Cを大統領とし、社会主義国家が建設されることとなった。次第に独裁的な権力の集中が起こり、外交面では第三世界に与する、Jの立場をとった。 また、65年には第2回であるKがアルジェリアで開催される予定だったが、クーデターにより中止となった。このクーデターでCは国防相ブーメディエンによって倒されるも、同様に社会主義国家建設が行われ、アルジェリアは近代化をなす。しかし、D体制の硬直化は次第に腐敗を招き、80年代末にはイスラーム救国戦線などのL運動が起こった。現在もD体制は変わらず、自由化は抑圧されている。

    シャルル10世, アルジェリア出兵, ベン=ベラ, FLN, 民族解放戦線, アルジェリア戦争, 第4共和政, ド=ゴール, エヴィアン協定, アフリカの年, 非同盟主義, アジア=アフリカ会議, イスラーム原理主義

  • 9

    内外の困難に対処できない第4共和政は次第にその支持を失い、アルジェリア問題の混迷もあり、1958年6月1日、ド=ゴールが首相に返り咲いた。10月、彼の手によって、現在にまで至るAが始まる。これはド=ゴールが自ら起草したBによるもので、大統領権が強まった。 ド=ゴールの外交は、ド=ゴール外交(C)と呼ばれ、「フランスの栄光」を取り戻そうとするものだった。 フランスはアメリカのDによって復興していたものの、ド=ゴールはアメリカへの依存の脱却を狙った。 60年にはEを強行、これは52年のFのEに続いたもので、63年には米英ソのG(H)への参加を拒否している。 彼は別にロマンを求めるタイプではなく、現実的であったので、従来のドイツとの対立構造の解消に動き、Iを西ドイツのJと締結した。 66年にはアメリカのヨーロッパ介入に反対し、軍事的にはアメリカに与する気はない、姿勢を見せるためにKを脱退した。 また、イギリスがL(M)に入ることにも反対し、イギリスはアメリカの「トロイの木馬」であるとした。 他に、アメリカのベトナム政策への批判やNの承認を行っている。 しかし、80歳近い老人に国家を任せることに次第に不信感を感じ、反体制運動を開始した学生、労働者によってO(P)が起こる。鎮圧はしたものの、国民の支持をなくし、ド=ゴールは辞任。その18ヶ月後に死去してしまった。Oは68年5月のもので、アメリカのQ運動の盛り上がりと結びついていた。 Q運動を中心として、68年、学生運動は広がりをみせ、西ドイツではRの大連立内閣が倒れ、これが社会民主党のS政権樹立へとつながり、 アメリカではQ運動やT運動が盛んとなり、またこの年はUやロバート=ケネディの暗殺、それに繋がるVの当選と、アメリカでも変革が起きた年だった。日本でも大学での抗議運動が全国で起き、中国ではWが進行したことで、学生であるXたちが、「Y」を唱えていた。 なお、アメリカの若者に広がり、ヒッピーと呼ばれる若者の既成文化への対抗を、Zと呼ぶ場合がある。

    第5共和政, 第5共和政憲法, ゴーリズム, マーシャル=プラン, 核実験, イギリス, 部分的核実験禁止条約, PTBT, 西ドイツ=フランス友好条約, アデナウアー, ECC, ヨーロッパ経済共同体, 中華人民共和国, 5月危機, 5月革命, ベトナム反戦, キージンガー, ブラント, 公民権, ニクソン, プロレタリア文化大革命, 紅衛兵, 造反有理, カウンター=カルチャー

  • 10

    ド=ゴールが5月危機後の選挙で敗れると、ド=ゴール主義の継承と脱却、どちらを選ばれるか、大統領は問われることとなった。 ド=ゴールの次のポンピドゥーはド=ゴール主義を継承したが、その後のジスカールデスタンは脱ド=ゴールを掲げた。しかし、どちらも保守派だったこともあって、ドイツや日本に遅れをとった経済政策が続いた。 国民が変化を求めていた81年、Aを率いたのがBだった。彼はそれまで対立構造にあったCと協力関係を築き、三党内閣として成立した。彼は対独レジスタンスにも加わっていた人物で、ド=ゴール臨時政府以降久しい三党内閣を指揮したため、革新政権として現在のフランスの大きな転換点を担った。 第4代大統領としてBは社会民主主義政策による、国有化の推進によった雇用の拡大を行い、その政策は、同年代のDやEとは全く異なるものだったため世間から注目されたが、景気回復には結び付かず、86年大敗。 しかし大統領は議院内閣制ではないのでとどまることに成功し、首相には保守派のFがつく、というド=ゴールのGの歪みにおける左派大統領と右派首相の連立構造ができた。これを、Hと呼んだ。 Fはド=ゴールに近い心情を持つ政治家で、ジスカールデスタン大統領下でも首相を務めていたが、結局Bとは対立し引退。その後もHを続けたBも、結局国民の支持を失い、95年、Iが大統領となった。 彼は就任直後、Jを南太平洋で再開したが国際的非難を呼び、97年には再びHがBの頃とは首相、大統領の立場が逆で行われた。 2002年には国民の支持から再任され、独自外交の観点から2003年のKには参加せず、ドイツのLとともに開戦を反対した。 その頃、ドイツとの和解を進める立場から、M(N)の単一硬貨ユーロ導入や、東欧のM加盟に動いたが、国民はMをドイツ主体であると判断し、2004年に作られたOに、フランスはPとともに批准しなかった。なお、Oは2007年、Qとして内容が一部変わり、Mの基本条約となった。 さて、彼は1995年に、第二次世界大戦におけるフランスの責任に触れている。実は、対独協力政権としてフランスに残留していたR率いるSは、パリ地域のユダヤ人を逮捕し殺害しており、しかし依然としてフランスはこの贖罪を行なっていなかった。大統領就任直後のIはこれを謝罪し、その演説は、歴史に残るものとなった。 彼は親日の人物で知られたが、2019年10月26日、亡くなった。

    フランス社会党, ミッテラン, フランス共産党, サッチャー, レーガン, シラク, 第5共和政憲法, コアビタシオン, シラク, 核実験, イラク戦争, シュレーダー, EU, ヨーロッパ連合, EU憲法, リスボン条約, ペタン, ヴィシー政府

  • 11

    シラクに変わって2007年に大統領に就任したAは、シラクの後継者とされていたものの、2005年若者を社会のクズと呼んだことで選挙では辛勝だった。ただ、彼は苦労人だったことから人気が高かったため、その強硬路線も国民から支持されていった。 彼は依然として高い失業率と経済格差を抱えたフランスには、もはや独自路線ではない新米路線が必要なことに気づいていた。内政ではフランスの伝統を捨てた新自由主義的な競争原理を導入し、2009年には43年ぶりにBへの完全復帰を表明した。 2012年には、社会党のCと決選投票まで持ち込むも敗北し、フランスはミッテラン時代以来の革新政権へと戻った。彼は女性の参画や雇用の回復が期待されたものの、大した政策は上げられず、2014年にAを収賄の罪で逮捕したことは、自身の人気挽回のものと思われる。 2015年1月7日には、イスラーム過激派によってDが起きる。これはムハンマドを諷刺した絵を掲載したことに対し、イスラーム教徒が編集部を襲撃したものだったが、背景には第3共和政のもとで起こったEの結果のF(G)が、移民として流れてきたイスラーム教徒によって疑問視されたものがあった。 2015年11月13日にはHがおき、犯行声明を出したI(J)は、フランス軍のK空爆とアッラー冒涜に対する聖戦(L)である立場をとった。 これらの事件は、一般市民に犠牲者130人を出し、フランスに大きな衝撃を与えることとなった。そんな中、経済・産業・デジタル大臣を務めていた39歳のM大統領が2017年就任。中道改革路線で国を引っ張ったが、既存の労働組合や貧困層からは強く批判を受けている。

    サルコジ, NATO, オランド, シャルリー=エブド社襲撃事件, ドレフュス事件, 政教分離, ライシテ, パリ同時多発テロ, イスラム国, IS, シリア, ジハード, マクロン

  • 12

    ムッソリーニの独裁を終え、43年のシチリア上陸以降成立していたA内閣は、ムッソリーニを幽閉し連合軍に無条件降伏。ドイツに宣戦布告を行った。44年2月には、Bに立てこもったドイツ軍と激戦を繰り広げ、44年6月、連合国軍がようやくローマを解放すると、徐々にドイツ軍を追い出した。 なお、ドイツ軍に対するレジスタンスの中心となっていたCは、ファシズム崩壊後獄中の党員三千人が釈放され、亡命先のモスクワから戻ったDが連立内閣に参加した。 46年6月、Eは廃止され、イタリアはFになった。また、同年のパリ講和会議ではGで海外領土を全て放棄した。Hとの間の抗争地、Iについては自由地域とされ、54年は協定の結果、ほぼイタリア領となった。 なお、保守勢力としてJが成立しており、Cは連立政権から排除。その後73年にはCとの歴史的妥協を実現されるも、テロの結果Jの党首、Kは殺されている。

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  • 13

    1944年、連合国軍がAを開始すると、オランダはドイツの支配から解放された。オランダはドイツの強い支配で国土が荒廃していたが、アメリカのBによる10億ドルに下る資金援助が大きな支えになっていた。 1945年8月15日、日本が降伏すると、2日後に独立を図っていたCらがDの独立宣言を行った。しかし、植民地支配を復活させようとしたオランダは支配を続けようとし、47年7月、Eが激しく展開される。しかし、次第に国際連合からの非難を受け、和平交渉に応じ、49年11月2日のFで、いったんGという形で独立を承認し、これにより17世紀以来のHは終わりを右げた。しかし、GではDを除く国家の一部はオランダの傀儡政権であった。オランダがなおも影響力を残そう、というためのものだったが、1950年には全てが一体化された。 ただし、ニューギニア島の西半分であるHは信託統治を続けており、これに反対したDとの協議の末62年、HはDに帰属された。 こうして、オランダは植民地を喪失したが、それはオランダに共存型社会の毛一斉を促した。オランダは今までの中立から一点し、48年にIを、54年のJの結成と明確に協力関係を結んだ。49年にはKに加盟し軍事同盟の一員となっている。 並行して、ヨーロッパ統合への役割を果たし、48年のベネルクス関税同盟結成からは、51年にL(M)への加盟、57年にはN(O)、P(Q)の結成を勧めている。その流れは67年のR(S)を経て、92年のTによるU(V)の発足につながっていった。 が、2005年には国民投票から肥大化したUへの不信によってWへの批准がXとともに否決されている。

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  • 14

    第二次世界大戦後、ベルギーは国王レオポルド3世をどうするかで揉めていた。しかしついに退位を決意し、そんな中で生体はAの連邦制へと向かった。なお、国王としては神聖ローマ皇帝の血統を引くレオポルド1世がついだ。 ベネルクス3国の一員として、ベルギーはB(C)に加盟し、首都Dはヨーロッパ統合の中心地となった。93年にはE(F)の行政機構である欧州委員会が置かれ、また66年には軍事同盟、G(H)本部が置かれた。しかし、国内では多言語国家ゆえの言語戦争が起こっており、I問題としてIはその中心地域になった。なお、IはJで有名。 なお、オランダの植民地だったKはフランスが武力統治していたLの独立が行われたM年、武力統治は不可能だと確信したオランダによって、独立を認めた。 しかし、この早すぎた独立承認は、Kの独立を導いたNと国民との間でOを招いてしまった。 なお、その後は国名をP、 Qとして変更している。 M年に独立したRとは名前が間違えられやすいが、あちらはS領だったため全く異なる。

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  • 15

    ギリシアは1924年の王政復古の後軍人Aによって独裁が行われていた。第二次世界大戦ではドイツ軍の侵攻を受け、44年撤退後にはチャーチルとスターリンによるBで勢力分割が行われ、イギリスにその90%が分割支配された。 ギリシアは内戦を開始し、内戦に手を焼いたイギリスはギリシアから撤退、変わってCを掲げたアメリカが共産党勢力を徹底的に弾圧しDを復活させた。その後はソ連に対抗する国家としてEに加盟した。 1974年、軍事政権がF軍のG侵攻を受け国民の信望を失うと、軍事政権が倒れ、75年に国民投票の末H国家となった。(すぐに民主化達成) 1981年にはI(J)に加盟する。そもそもはギリシア人のギリシア思想だったが、国力低下から参加せ得ざるを得なかった。その後K(L)に移行してからは、統合の中心として、2001年にMを導入している。 2004年にはNでOを開催し、国際的に先進国の地位を自慢したが、実は財政は悪化しており、国民はそれを知らなかった。なお、ユーゴスラヴィア解体に伴うPの独立には強く反対した。 さて、2009年10月、ギリシアは財政危機が露呈した。これは2010年から11年におけるQをもたらし、2008年のRに続き世界経済の混乱をもたらした。

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  • 16

    スペインでは、戦前の1936年のA以来、Bによる独裁体制が続いていた。彼はCを基盤にファシズム体制を敷いていた。 彼はヒトラーを一時支援するも、その後は連合国側を支援したことで大戦を乗り越え、戦後はDにその政権としての正統性が否定されていた。 東西冷戦の時代になると、アメリカが反共勢力に組み込もうとしたため公認され、EのF政権とともに独裁政権を長期的につなげた要因となった。 しかし、自由と人権の擁護を掲げたG(H)への加盟は認められず、あくまでアメリカと経済的、軍事的な繋がりを固めただけであった。 ところが、EでIが起きると、スペインで民主化運動を始めた。 1975年、大戦から30年後、Bが死去すると、11月にJ朝が復活する。 85年には民主化が定着し政治的にも安定したことで、Gに加入、翌年にはEとともにK(L)に加盟した。が、国内のMではいまだ独立運動が起きている。NはM出身の人物である。

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  • 17

    ポルトガルでは、アフリカ植民地の維持に苦しみつつ、国民的意識形成と産業の近代化は遅れており、国民の不満は高まっていた。 1910年、国王が暗殺されると、王政が崩壊、第一共和政が成立する。 しかしその後、たったの16年で45の内閣が交替したこの国では、強力な勢力を欲していた。 そんな中、大戦の英雄ゴメス=ダ=コスタは革命を宣言し政権を奪い、その政府の財政担当に決まったのがAだった。Aは厳しくも優秀で、財政黒字を実現。世界恐慌も大規模公共事業で乗り越え、32年に首相の座まで上り詰めた。 33年には新国家形成を行おうとしたが、その思想はスペインのB、イタリアのCに代表されるファシズムの影響があった。 36年にはスペイン内戦でDを支持し、第2時世界大戦では中立を宣言。 連合国側に勝利が傾いた43年にはイギリスのEの基地使用を認め、アメリカ合衆国に対しても日本によるF支配奪回の支援を条件に基地の使用を認めた。その後もAは巧みな外交戦術でアメリカ側として冷戦にも参加したが、国家の実態は植民地政策と自由の抑圧、と遅れた国家だった。なお、戦後中にG(H)に組み込まれている。これはDを領有していたことによる。 なお、ポルトガルは1960年のIと呼ばれる独立運動の際も、植民地を絶対に手放さなかったが、61年にはJによってKを接収されてしまった。 I以降、さまざまな国が独立していく中でも、ポルトガルが植民地を手放すことはなかった。例えば、西アフリカ海岸の奴隷貿易拠点、Lや西岸の赤道の南だったM、東岸のNなどがあった。 しかし、68年、Aが引退すると、後継者カエターノの独裁は反対を受け、74年、ついにOが起きた。なお、カーネーション革命とも呼ばれる。ここからポルトガルは民主化の動きを見せる。 その後は86年にスペインとともにP(Q)に加盟し、そのままR(S)の一員となった。99年にはTも導入するも、財政の不安定さがドイツなどから警戒され、RおよびU(V)に金融支援を要請した。

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  • 18

    1974年、ポルトガルで革命が起こると、政権を握った将軍スピノラは9月にAの独立を承認、その翌年にはB、Cの順番で独立した。しかし、BはDの白人政権によってアパルトヘイトを続けるための攻撃を受け、それが倒されると今度はEから介入を受けた。94年には経済成長の遅れから、世界一の貧困国と呼ばれた。 一方のCでは内戦が起き、Fの白人政権は介入を行うも、Gとソ連など東欧諸国の支援を受け、91年に和平成立、94年FにH政権が誕生すると平和になった。 75年7月にはギニア湾の島IをJと組み合わせKとして独立させ、1445年にはエンリケの支配を受けたL諸島はMとして独立させた。 東南アジアに残ったNは、独立派が75年、OのP政権の介入を受け、その後2002年に独立を達成するも政情不安が続いた。 また、Qに関しては99年にRに返還している。

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