ログイン

れきそう
35問 • 1年前
  • ゆうみ
  • 通報

    問題一覧

  • 1

    オスマン帝国 首都( )…ヨーロッパとアジアをつなぐ街 民族 ( ) 宗教 ( )が主 皇帝 ( )同時に( )    政治と宗教が一緒に

    イスタンブル、多民族国家、イスラーム、スルタン、カリフ

  • 2

    東方問題とは ( )の衰退に関する諸問題

    オスマン帝国

  • 3

    19世紀に入ると、オスマン帝国の衰退が誰の目にも明らかになった。ヨーロッパ列強(英・仏・露など)はオスマン帝国のことを「眠れる獅子 or 瀕死の重病人」と呼び、その領土を虎視眈々と狙った。 オスマン帝国に関係する諸問題(例:エジプトやギリシアの独立、バルカン半島の民族独立運動、ロシアの南下など)はヨーロッパでは( )問題と呼ば れた。

    瀕死の重病人、東方

  • 4

    ・( )は18世紀後半にロシアとのあいつぐ戦争に敗北→弱体化が明らか →( )…西欧列強による( )の分割をめぐる国際紛争 →ナポレオンによる ( )内の( )占領(1798年) 5・19世紀前半、( )で独立戦争はじまる→( )独立(1830年国際承認) →( )は( )から自治権を獲得 ・列強は( )に対し、ムスリムと非ムスリムとの政治的平等を求める

    オスマン帝国、東方問題、オスマン帝国、オスマン帝国、エジプト、ギリシア、ギリシア、セルビア、オスマン帝国、オスマン帝国

  • 5

    エカチェリーナ2世は( )を日本に派遣

    ラクスマン

  • 6

    大国化をめざすロシアは、その領土拡大の目標を、北では( )方面、南は( )方面においていた。そのうち、南方への領土拡張策を( )という。南下政策の最大の目的は、( )沿岸に拠点となる港( )を獲得し、そこから( )に進出することであった。その最大の障害がオスマン帝国の存在であった。オスマン帝国は、ロシアの艦船が2つの海峡を自由に航行することを認めていなかった。

    バルト海、黒海・バルカン半島、南下政策、黒海、不凍港

  • 7

    ロシアが黒海から地中海に行くために通りたかった海峡の名前を、黒海側から答えて

    ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡

  • 8

    クリミア戦争 1853年に始まったこの戦争の死者の数は約77万人と言われる。(レスター・R・ブラウン「地球白書1999-2000」) ちなみに普仏戦争のそれはその約3分の1(約25万人)である。 ( ) →スイス人アンリ=デュナンの国際赤十字の設立(1863)へつながる

    ナイチンゲール

  • 9

    クリミア戦争 ロシアの軍事拠点である( )をめぐり、イギリス・フランス・オスマン帝国とロシアが戦った

    セヴァストーポリ要塞

  • 10

    クリミア戦争の惨状を聞き、ロンドンに赴いたのは誰?

    メアリー=シーコール

  • 11

    クリミア戦争時のロシアは

    ロマノフ朝

  • 12

    ロシア帝国 地中海・中東への進出を目指しクリミア半島の( )に海軍基地(要塞)を建設し、黒海戦隊の基地とした この時の皇帝は( )   両国の対立が( ) オスマン帝国 1829ギリシア独立 バルカン半島のスラヴ系民族(( )、( )など)の独立運動が盛んになる

    セヴァストーポリ、激化、モンテネグロ人、セルビア人

  • 13

    ロシア帝国 1853 聖地管理権の返還とオスマン帝国領内の( )の保護を( )にオスマン帝国に対して宣戦 オスマン帝国 1852 聖地( )管理権をフランス(カトリック)に与えた。元々聖地管理権はロシア(ギリシア正教徒)

    ギリシア正教徒、口実、エルサレム

  • 14

    ギリシア正教徒たとえば

    ルーマニア、セルビア、ブルガリア

  • 15

    戦争はバルカン半島などでもおこなわれたが、この戦争の主戦場は( )半島であった。激戦の末、1855年8月、セヴァストーポリ要塞が陥落しロシアは敗北した。皇帝( )はその5ヶ月前にインフルエンザにかかり死亡していた。

    クリミア、ニコライ1世

  • 16

    1853 クリミア戦争 1856 ( )条約 締結→戦争終結 ①( )の中立化 (軍艦の航行禁止、沿岸での軍港建設禁止、各国の商船への開放) ②( )海峡、( )海峡の軍艦通行禁止

    パリ、黒海、ボスポラス、ダーダネルス

  • 17

    パリ条約によりロシアの南下政策は( )

    挫折

  • 18

    ロシアの兵力200万人   ↑2倍以上 イギリス・フランス・オスマン帝国 ロシア軍の装備:時代遅れ …大砲の射程距離はイギリス・フランスの半 分程度 ロシア軍の一般兵士は、( )が強制的に徴兵されて嫌々来ていたために士気は最低であった。 さらにロシア軍は戦場に武器、弾薬、食糧、兵員を輸送するのに( )を使っていた。舗装された道路など皆無だったの で、雨でも降ればすぐに道はぬかるんで馬車は進めない。そのため物資の補給が追いつかず、迅速な作戦行動が取れなかった。 それに対しイギリス、フランス軍の方は、蒸気船で本国からどんどん物資を輸送し、さらに港から戦場まで鉄道を敷設して前線に武器、弾薬を運び、部隊の駐屯地には水道も設けていた。すでに産業革命を達成していた両国とロシアとの間には、こうした( )の違いがはっきりと出た。本国から遠いイギリス、フランス軍の方が、輸送が円滑で兵士への補給は順調に行われていた。 この敗戦により後進性が露呈したロシアでは抜本的な内政改革を余儀なくされ、この戦争で勝利したイギリスとフランスの国際的な発言力が強まり、その影響は中国や日本にまで波及した。

    農奴、荷馬車、工業化

  • 19

    1853 クリミア戦争勃発 1854 英仏が参戦 1855 ニコライ1世没 ↓ ( )即位 36歳 1856 クリミア戦争敗北、パリ条 約締結 ↓ アレクサンドル2世 「( )」 「ロシアを変えなければ・・・」

    アレクサンドル2世、大改革

  • 20

    国内政策では社会や経済の近代化をすすめる一方、外交政策ではバルカン半島に加えて中央アジアでも南下政策をとった。 また、( )のために清から( )を獲得(1860)してウラジオストクを建設し、日本とは( )をむすんで国境を確定した。図版は、農奴解放令を布告するアレクサンド ル2世を描いたもの。

    極東進出、沿海州、樺太・千島交換条約

  • 21

    ① ( )発布1861…( )が建国 農奴を自由な身分とし、土地の所有や自由な移動を承認。農民が自由になり、ロシア国民としての意識を持てばロシアは再生する(アレクサンドル2世) * 農奴たちの多くは自作農と (なった or ならなかった) どうして? * 土地の取得は( 無償 or 有償 )であったから * この時代のロシアの農民の多くは、( )と呼ばれた村落共同体に縛られたままで、自由な身分になっても生活は大きく変わらなかったが、一部の農民は都市に流入し、資 本主義に必要な労働力になっていった。( → ロシアの産業革命) ② その他 地方議会の設置、司法制度改革、大学の改革、徴兵制など

    農奴解放令、イタリア王国、ならなかった、有償、ミール

  • 22

    皇帝による大改革の限界 ↓ 知識人( )や学生の失望と革命運動 ※都市では徹底的に弾圧 ↓ ( ) 農村からロシアの社会や政治を変えていこうとした知識人( )と呼ばれた人の運動 ※合言葉が「( )」人民の中へ ↓ 挫折 農民は受け入れず 逮捕 ↓ 一部が( )に走る

    インテリゲンツィア、ナロードニキ運動、ヴ=ナロード、テロリズム

  • 23

    これの題名は?

    ナロードニキの逮捕

  • 24

    農民は( )により地主への( )負担から解放され、まさしく、自由な土地所有農民の身分となる

    土地買戻し、義務

  • 25

    ナロードニキ運動運動・・・ ミールを基盤とする社会主義をめざす →農民に対する啓蒙運動が失敗→失望した彼らの一部は( )(無政府主義)の影響のもと、秘密結社を組織→ ( )や要人を暗殺

    アナーキズム、アレクサンドル2世

  • 26

    これは何の写真?

    アレクサンドル2世の暗殺

  • 27

    ( )( )「クリミア戦争のリベンジ」11回目 これが始まったのは( )と同じ( )年

    ロシア=トルコ戦争、露土戦争、西南戦争、1877

  • 28

    露土戦争 背景 1870頃~ バルカン半島の諸民族(多くはスラヴ系民族)のオスマン帝国に対する独立運動が激化 1877 オスマン帝国内のスラヴ系民族(ギリシア正教徒)の保護を( )に、オスマン帝国に宣戦(4月) ロシア側の連戦戦勝でオスマン帝国首都( )にせまる

    口実、イスタンブル

  • 29

    露土戦争の講和 1878.3 ( )締結 → 戦争終結 ロシアは戦争終結を急いだ。なぜ?

    サン=ステファノ条約、英仏の介入を恐れたから

  • 30

    サン・ステファノ条約 ① ( )、( )、( )の独立の承認。 ② ( )の自治の承認と領土の拡大=( )の保護下。 ③( )への自治の承認。

    ルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ

  • 31

    サン・ステファノ条約によりロシアの地中海進出が見えたが…? ( )と( )が猛反発 1 ロシアの地中海進出は絶対に阻止する 2ロシアがバルカン半島を支配下に置くことは絶対に承認できない     対立 ( ) ロシア 南下政策!

    イギリス、オーストリア、ドイツの仲介

  • 32

    1878.6 ( )が主催して、( )が開催 *ロシア、オーストリア、イギリス、オスマン帝国、ドイツ、フランス、イタリアの7か国が参加。  ロシアに対して  VS、VS、VS、🎵、VS、← *この会議と、( )会議(1814~15)、( )会議(1856)を 合わせて19世紀の( )という。 *サン=ステファノ条約が破棄され、( )が

    ビスマルク、ベルリン会議、ウィーン、パリ、三大国際会議、ベルリン条約

  • 33

    ① ルーマニア、セルビア、モンテネグロ の独立の承認 ② [ ]の領土を大きく縮小。 ③ [ ]は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権を獲得。 ④ イギリスは、オスマン帝国から[ ]の統治権を獲得。 ⑤ フランスのチュニジア領有の承認。

    ブルガリア、オーストリア、キプロス島

  • 34

    ◎ ベルリン条約によってロシアは南下政策を中断し、東アジア(極東)への進出に力を注ぐことになった。これが[ ]戦争につながっていくのである。 この戦争での挫折後、ロシアは再びバルカン半島に目を向けた。バルカン半島のスラヴ系国家(セルビア、モンテネグロなど)への影響力拡大を通じてバルカン半島への進出をめざした。(( )主義) 一方、オーストリア(オーストリア=ハ ンガリー帝国)はドイツと結びつき、バルカン半島への進出を企てた。(( )主義) ベルリン会議の36年後、この対立が[ ]を 引き起こすことになった。

    日露、パン=スラヴ、パン=ゲルマン、第一次世界大戦

  • 35

    *19世紀における人口増加は、自然増だけではなく、大量の[ ]の流入によってもたらされた。 植民地時代 イギリス人が中心 独立後 ドイツ人、アイルランド人など 19世紀後半~ イタリア人、東欧諸国 中国人、インド人など 20世紀~ ラテンアメリカ諸国 アジア諸 国など

    移民

  • 社会 3年 二学期中間

    社会 3年 二学期中間

    ゆうみ · 100問 · 2年前

    社会 3年 二学期中間

    社会 3年 二学期中間

    100問 • 2年前
    ゆうみ

    入試対策 歴史2 戦国〜

    入試対策 歴史2 戦国〜

    ゆうみ · 46問 · 2年前

    入試対策 歴史2 戦国〜

    入試対策 歴史2 戦国〜

    46問 • 2年前
    ゆうみ

    入試対策 化学

    入試対策 化学

    ゆうみ · 42問 · 2年前

    入試対策 化学

    入試対策 化学

    42問 • 2年前
    ゆうみ

    入試対策 地学

    入試対策 地学

    ゆうみ · 48問 · 2年前

    入試対策 地学

    入試対策 地学

    48問 • 2年前
    ゆうみ

    入試対策 生物

    入試対策 生物

    ゆうみ · 28問 · 2年前

    入試対策 生物

    入試対策 生物

    28問 • 2年前
    ゆうみ

    入試対策 歴史

    入試対策 歴史

    ゆうみ · 100問 · 2年前

    入試対策 歴史

    入試対策 歴史

    100問 • 2年前
    ゆうみ

    れきし

    れきし

    ゆうみ · 27問 · 2年前

    れきし

    れきし

    27問 • 2年前
    ゆうみ

    社会 3年 2学期中間

    社会 3年 2学期中間

    ゆうみ · 8問 · 2年前

    社会 3年 2学期中間

    社会 3年 2学期中間

    8問 • 2年前
    ゆうみ

    音楽 3年 1学期期末

    音楽 3年 1学期期末

    ゆうみ · 92問 · 2年前

    音楽 3年 1学期期末

    音楽 3年 1学期期末

    92問 • 2年前
    ゆうみ

    保体 3年 1学期期末

    保体 3年 1学期期末

    ゆうみ · 77問 · 2年前

    保体 3年 1学期期末

    保体 3年 1学期期末

    77問 • 2年前
    ゆうみ

    理科 3年 1学期期末

    理科 3年 1学期期末

    ゆうみ · 50問 · 2年前

    理科 3年 1学期期末

    理科 3年 1学期期末

    50問 • 2年前
    ゆうみ

    社会 3年 一学期期末

    社会 3年 一学期期末

    ゆうみ · 110問 · 2年前

    社会 3年 一学期期末

    社会 3年 一学期期末

    110問 • 2年前
    ゆうみ

    国語 3年 1学期期末

    国語 3年 1学期期末

    ゆうみ · 31問 · 2年前

    国語 3年 1学期期末

    国語 3年 1学期期末

    31問 • 2年前
    ゆうみ

    技術 3年 一学期期末

    技術 3年 一学期期末

    ゆうみ · 30問 · 2年前

    技術 3年 一学期期末

    技術 3年 一学期期末

    30問 • 2年前
    ゆうみ

    家庭科 3年 一学期期末

    家庭科 3年 一学期期末

    ゆうみ · 86問 · 2年前

    家庭科 3年 一学期期末

    家庭科 3年 一学期期末

    86問 • 2年前
    ゆうみ

    美術 3年 一学期期末

    美術 3年 一学期期末

    ゆうみ · 38問 · 2年前

    美術 3年 一学期期末

    美術 3年 一学期期末

    38問 • 2年前
    ゆうみ

    国語 3年 一学期中間

    国語 3年 一学期中間

    ゆうみ · 44問 · 2年前

    国語 3年 一学期中間

    国語 3年 一学期中間

    44問 • 2年前
    ゆうみ

    社会 3年 二学期中間 つづき

    社会 3年 二学期中間 つづき

    ゆうみ · 81問 · 2年前

    社会 3年 二学期中間 つづき

    社会 3年 二学期中間 つづき

    81問 • 2年前
    ゆうみ

    公民 3年 二学期中間

    公民 3年 二学期中間

    ゆうみ · 28問 · 2年前

    公民 3年 二学期中間

    公民 3年 二学期中間

    28問 • 2年前
    ゆうみ

    理科I 三年 二学期中間

    理科I 三年 二学期中間

    ゆうみ · 38問 · 2年前

    理科I 三年 二学期中間

    理科I 三年 二学期中間

    38問 • 2年前
    ゆうみ

    問題一覧

  • 1

    オスマン帝国 首都( )…ヨーロッパとアジアをつなぐ街 民族 ( ) 宗教 ( )が主 皇帝 ( )同時に( )    政治と宗教が一緒に

    イスタンブル、多民族国家、イスラーム、スルタン、カリフ

  • 2

    東方問題とは ( )の衰退に関する諸問題

    オスマン帝国

  • 3

    19世紀に入ると、オスマン帝国の衰退が誰の目にも明らかになった。ヨーロッパ列強(英・仏・露など)はオスマン帝国のことを「眠れる獅子 or 瀕死の重病人」と呼び、その領土を虎視眈々と狙った。 オスマン帝国に関係する諸問題(例:エジプトやギリシアの独立、バルカン半島の民族独立運動、ロシアの南下など)はヨーロッパでは( )問題と呼ば れた。

    瀕死の重病人、東方

  • 4

    ・( )は18世紀後半にロシアとのあいつぐ戦争に敗北→弱体化が明らか →( )…西欧列強による( )の分割をめぐる国際紛争 →ナポレオンによる ( )内の( )占領(1798年) 5・19世紀前半、( )で独立戦争はじまる→( )独立(1830年国際承認) →( )は( )から自治権を獲得 ・列強は( )に対し、ムスリムと非ムスリムとの政治的平等を求める

    オスマン帝国、東方問題、オスマン帝国、オスマン帝国、エジプト、ギリシア、ギリシア、セルビア、オスマン帝国、オスマン帝国

  • 5

    エカチェリーナ2世は( )を日本に派遣

    ラクスマン

  • 6

    大国化をめざすロシアは、その領土拡大の目標を、北では( )方面、南は( )方面においていた。そのうち、南方への領土拡張策を( )という。南下政策の最大の目的は、( )沿岸に拠点となる港( )を獲得し、そこから( )に進出することであった。その最大の障害がオスマン帝国の存在であった。オスマン帝国は、ロシアの艦船が2つの海峡を自由に航行することを認めていなかった。

    バルト海、黒海・バルカン半島、南下政策、黒海、不凍港

  • 7

    ロシアが黒海から地中海に行くために通りたかった海峡の名前を、黒海側から答えて

    ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡

  • 8

    クリミア戦争 1853年に始まったこの戦争の死者の数は約77万人と言われる。(レスター・R・ブラウン「地球白書1999-2000」) ちなみに普仏戦争のそれはその約3分の1(約25万人)である。 ( ) →スイス人アンリ=デュナンの国際赤十字の設立(1863)へつながる

    ナイチンゲール

  • 9

    クリミア戦争 ロシアの軍事拠点である( )をめぐり、イギリス・フランス・オスマン帝国とロシアが戦った

    セヴァストーポリ要塞

  • 10

    クリミア戦争の惨状を聞き、ロンドンに赴いたのは誰?

    メアリー=シーコール

  • 11

    クリミア戦争時のロシアは

    ロマノフ朝

  • 12

    ロシア帝国 地中海・中東への進出を目指しクリミア半島の( )に海軍基地(要塞)を建設し、黒海戦隊の基地とした この時の皇帝は( )   両国の対立が( ) オスマン帝国 1829ギリシア独立 バルカン半島のスラヴ系民族(( )、( )など)の独立運動が盛んになる

    セヴァストーポリ、激化、モンテネグロ人、セルビア人

  • 13

    ロシア帝国 1853 聖地管理権の返還とオスマン帝国領内の( )の保護を( )にオスマン帝国に対して宣戦 オスマン帝国 1852 聖地( )管理権をフランス(カトリック)に与えた。元々聖地管理権はロシア(ギリシア正教徒)

    ギリシア正教徒、口実、エルサレム

  • 14

    ギリシア正教徒たとえば

    ルーマニア、セルビア、ブルガリア

  • 15

    戦争はバルカン半島などでもおこなわれたが、この戦争の主戦場は( )半島であった。激戦の末、1855年8月、セヴァストーポリ要塞が陥落しロシアは敗北した。皇帝( )はその5ヶ月前にインフルエンザにかかり死亡していた。

    クリミア、ニコライ1世

  • 16

    1853 クリミア戦争 1856 ( )条約 締結→戦争終結 ①( )の中立化 (軍艦の航行禁止、沿岸での軍港建設禁止、各国の商船への開放) ②( )海峡、( )海峡の軍艦通行禁止

    パリ、黒海、ボスポラス、ダーダネルス

  • 17

    パリ条約によりロシアの南下政策は( )

    挫折

  • 18

    ロシアの兵力200万人   ↑2倍以上 イギリス・フランス・オスマン帝国 ロシア軍の装備:時代遅れ …大砲の射程距離はイギリス・フランスの半 分程度 ロシア軍の一般兵士は、( )が強制的に徴兵されて嫌々来ていたために士気は最低であった。 さらにロシア軍は戦場に武器、弾薬、食糧、兵員を輸送するのに( )を使っていた。舗装された道路など皆無だったの で、雨でも降ればすぐに道はぬかるんで馬車は進めない。そのため物資の補給が追いつかず、迅速な作戦行動が取れなかった。 それに対しイギリス、フランス軍の方は、蒸気船で本国からどんどん物資を輸送し、さらに港から戦場まで鉄道を敷設して前線に武器、弾薬を運び、部隊の駐屯地には水道も設けていた。すでに産業革命を達成していた両国とロシアとの間には、こうした( )の違いがはっきりと出た。本国から遠いイギリス、フランス軍の方が、輸送が円滑で兵士への補給は順調に行われていた。 この敗戦により後進性が露呈したロシアでは抜本的な内政改革を余儀なくされ、この戦争で勝利したイギリスとフランスの国際的な発言力が強まり、その影響は中国や日本にまで波及した。

    農奴、荷馬車、工業化

  • 19

    1853 クリミア戦争勃発 1854 英仏が参戦 1855 ニコライ1世没 ↓ ( )即位 36歳 1856 クリミア戦争敗北、パリ条 約締結 ↓ アレクサンドル2世 「( )」 「ロシアを変えなければ・・・」

    アレクサンドル2世、大改革

  • 20

    国内政策では社会や経済の近代化をすすめる一方、外交政策ではバルカン半島に加えて中央アジアでも南下政策をとった。 また、( )のために清から( )を獲得(1860)してウラジオストクを建設し、日本とは( )をむすんで国境を確定した。図版は、農奴解放令を布告するアレクサンド ル2世を描いたもの。

    極東進出、沿海州、樺太・千島交換条約

  • 21

    ① ( )発布1861…( )が建国 農奴を自由な身分とし、土地の所有や自由な移動を承認。農民が自由になり、ロシア国民としての意識を持てばロシアは再生する(アレクサンドル2世) * 農奴たちの多くは自作農と (なった or ならなかった) どうして? * 土地の取得は( 無償 or 有償 )であったから * この時代のロシアの農民の多くは、( )と呼ばれた村落共同体に縛られたままで、自由な身分になっても生活は大きく変わらなかったが、一部の農民は都市に流入し、資 本主義に必要な労働力になっていった。( → ロシアの産業革命) ② その他 地方議会の設置、司法制度改革、大学の改革、徴兵制など

    農奴解放令、イタリア王国、ならなかった、有償、ミール

  • 22

    皇帝による大改革の限界 ↓ 知識人( )や学生の失望と革命運動 ※都市では徹底的に弾圧 ↓ ( ) 農村からロシアの社会や政治を変えていこうとした知識人( )と呼ばれた人の運動 ※合言葉が「( )」人民の中へ ↓ 挫折 農民は受け入れず 逮捕 ↓ 一部が( )に走る

    インテリゲンツィア、ナロードニキ運動、ヴ=ナロード、テロリズム

  • 23

    これの題名は?

    ナロードニキの逮捕

  • 24

    農民は( )により地主への( )負担から解放され、まさしく、自由な土地所有農民の身分となる

    土地買戻し、義務

  • 25

    ナロードニキ運動運動・・・ ミールを基盤とする社会主義をめざす →農民に対する啓蒙運動が失敗→失望した彼らの一部は( )(無政府主義)の影響のもと、秘密結社を組織→ ( )や要人を暗殺

    アナーキズム、アレクサンドル2世

  • 26

    これは何の写真?

    アレクサンドル2世の暗殺

  • 27

    ( )( )「クリミア戦争のリベンジ」11回目 これが始まったのは( )と同じ( )年

    ロシア=トルコ戦争、露土戦争、西南戦争、1877

  • 28

    露土戦争 背景 1870頃~ バルカン半島の諸民族(多くはスラヴ系民族)のオスマン帝国に対する独立運動が激化 1877 オスマン帝国内のスラヴ系民族(ギリシア正教徒)の保護を( )に、オスマン帝国に宣戦(4月) ロシア側の連戦戦勝でオスマン帝国首都( )にせまる

    口実、イスタンブル

  • 29

    露土戦争の講和 1878.3 ( )締結 → 戦争終結 ロシアは戦争終結を急いだ。なぜ?

    サン=ステファノ条約、英仏の介入を恐れたから

  • 30

    サン・ステファノ条約 ① ( )、( )、( )の独立の承認。 ② ( )の自治の承認と領土の拡大=( )の保護下。 ③( )への自治の承認。

    ルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ

  • 31

    サン・ステファノ条約によりロシアの地中海進出が見えたが…? ( )と( )が猛反発 1 ロシアの地中海進出は絶対に阻止する 2ロシアがバルカン半島を支配下に置くことは絶対に承認できない     対立 ( ) ロシア 南下政策!

    イギリス、オーストリア、ドイツの仲介

  • 32

    1878.6 ( )が主催して、( )が開催 *ロシア、オーストリア、イギリス、オスマン帝国、ドイツ、フランス、イタリアの7か国が参加。  ロシアに対して  VS、VS、VS、🎵、VS、← *この会議と、( )会議(1814~15)、( )会議(1856)を 合わせて19世紀の( )という。 *サン=ステファノ条約が破棄され、( )が

    ビスマルク、ベルリン会議、ウィーン、パリ、三大国際会議、ベルリン条約

  • 33

    ① ルーマニア、セルビア、モンテネグロ の独立の承認 ② [ ]の領土を大きく縮小。 ③ [ ]は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権を獲得。 ④ イギリスは、オスマン帝国から[ ]の統治権を獲得。 ⑤ フランスのチュニジア領有の承認。

    ブルガリア、オーストリア、キプロス島

  • 34

    ◎ ベルリン条約によってロシアは南下政策を中断し、東アジア(極東)への進出に力を注ぐことになった。これが[ ]戦争につながっていくのである。 この戦争での挫折後、ロシアは再びバルカン半島に目を向けた。バルカン半島のスラヴ系国家(セルビア、モンテネグロなど)への影響力拡大を通じてバルカン半島への進出をめざした。(( )主義) 一方、オーストリア(オーストリア=ハ ンガリー帝国)はドイツと結びつき、バルカン半島への進出を企てた。(( )主義) ベルリン会議の36年後、この対立が[ ]を 引き起こすことになった。

    日露、パン=スラヴ、パン=ゲルマン、第一次世界大戦

  • 35

    *19世紀における人口増加は、自然増だけではなく、大量の[ ]の流入によってもたらされた。 植民地時代 イギリス人が中心 独立後 ドイツ人、アイルランド人など 19世紀後半~ イタリア人、東欧諸国 中国人、インド人など 20世紀~ ラテンアメリカ諸国 アジア諸 国など

    移民