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日本の流れ
83問 • 1年前
  • ゆうみ
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    問題一覧

  • 1

    18世紀末から19世紀はじめにかけて、まずラクスマンやレザノフら( )船が根室・長崎に米航して通商を求めた。次に、( )船フェートン号が長崎に来航し、その後も上陸が続いた。1840年前後からは漂流民を送還したモリソン号など( )船が相次いで来航した。このほか、琉球にはフランス船が来航していた。

    ロシア、イギリス、アメリカ

  • 2

    対外問題と蝦夷地政策 ・18世紀末から、( )統治下のロシアが蝦夷地周辺に出没 ↓ 1792年に( )が、 1804年にレザノフが 幕府に通商を求める ↓ 拒否

    エカチェリーナ2世、ラクスマン

  • 3

    1808年( )…イギリス軍艦の長崎侵入。 →海防の必要性が意識されるようになり、1825年に( )が出される

    フェートン号事件、異国船打払令

  • 4

    モリソン号事件などにより異国船打払令見直しの機運も生じる →幕府への批判は弾圧される( )

    蛮社の獄

  • 5

    ・ロシアの南下に危機感をもった幕府: 18世紀末から蝦夷地を直轄地に →( )の文化や習慣を否定して日本語や日本風の文化を教える

    アイヌ

  • 6

    ■天保の改革と雄藩の成長 ・19世紀前半、江戸を中心に( )文化が栄える →飢饉や社会不安、外国船の接近に直面 →( )による幕政の刷新   = ( )…娯楽の抑制、三方領知替え、( )の発布(異国船打払令を撤回)

    化政、水野忠邦、天保の改革、薪水給与令

  • 7

    ( )を出して江戸や大坂周辺を直轄地に →諸大名の反発を受けて( )失脚 ・長州藩や薩摩藩など西日本の大名: 経済を立て直し、洋式軍事工業をおこすなどの改革に成功 →( )となって幕末の政局の主導権をにぎるようになる

    上知令、水野忠邦、雄藩

  • 8

    さまざまな学問の広がり ・18世紀なかば以降、社会の成熟にともなって諸学問が発展 ( ):杉田玄白ら ( ):本居宣長ら ・幕府は朱子学を正学に…湯島聖堂を( )として整備 ・各地では藩校や( )がつくられる ・( )のなかには平田篤胤など尊王思想を説く者も →19世紀に入ると攘夷思想と結びついて( )となる

    蘭学、国学、昌平坂学問所、寺子屋、尊王攘夷論

  • 9

    茅ヶ崎の名主であった藤間柳庵は( )隻のアメリカ船を観察しているが、とくに軍艦の( )を記録しており、これが庶民の黒船への印象であった。 また、柳庵が描写した( )の町の様子からは、避難の準備をする町人たちの動揺を読みとることができる。 さらに、( )の肖像と似顔絵を比較すると、日本人が描いた似顔絵は人相が悪く描かれてお人々の動揺と( )が表現されている。

    4、壮大さ、久里浜、ペリー、恐れ

  • 10

    ■ペリー来航と和親条約 ・国土が西海岸に到達したアメリカ合衆国は捕鯨などのために太平洋進出 →燃料補給の寄港地や漂流民保護の必要から日本との国交を求める アメリカの( )は4隻の軍艦で開国をせまる ↓ 翌年に再来航 ↓ 幕府は( )締結、下田と箱館を開港 この人来航時の老中( )はアメリカ大統領の国書を世間に公開 →有力大名や家臣は政治参加の拡大を要求

    ペリー、日米和親条約、阿部正弘

  • 11

    ■通商条約と勅許問題 ・アメリカ総領事 ( )が下田に着任 →通商の是非が争点 下級武士や公家の多くは反対↔︎西洋知識をもつ幕臣は積極的な世界秩序への参入主張 老中( )は( )天皇の勅許求め上京→天皇は反対 大老( )は1858年6月に( )締結 →勅許なしの調印に対して有力大名らの抗議 →大老のその人による厳しい弾圧  =( )

    ハリス、堀田正睦、孝明、井伊直弼、日米修好通商条約、安政の大獄

  • 12

    ■開国の経済的・社会的影響 ( )…オランダ・ロシア・フランス・イギリスとも同様の条約 開港場:神奈川(横浜)・兵庫(神戸)・長崎・箱館・新潟→中心地は横浜 ・ 不平等な内容・・片務的最恵国待遇、( )、( )制度 ・経済的影響…金貨と銀貨の交換比率のちがい→金貨の国外流出 大幅な( )超過と物価の( ) →一揆、打ちこわし、幕政批判、( )運動

    安政の五カ国条約、領事裁判権、協定関税、輸出、上昇、尊王攘夷

  • 13

    輸出品:( )、茶、蚕卵紙、海産物 輸入品: 毛織物、綿織物などの加工品 浮世絵など日本の文化財が海外に紹介→印象派に影響=( )の流行 ・国際的な伝染病の流入…( )の流行

    生糸、ジャポニズム、コレラ

  • 14

    なぜ尊王攘夷運動が盛りあがったのだろう ( )が通商条約を天皇の勅許なしで調印したことが( )論に刺激を与えた。また、開国後の物価上昇による生活苦は、通商条約を西洋に強いられた不当なものと考える ( )論の盛り上がりに拍車をかけた。この両者が結びつけられ、大きな潮流となった。

    井伊直弼、尊王、攘夷

  • 15

    1860年3月( )…水戸と薩摩の浪士による大老井伊直弼暗殺 →幕府は( )をめざし、孝明天皇の妹( )を将軍徳川( )に嫁がせる

    桜田門外の変、公武合体、和宮、家茂

  • 16

    桜田門外の変 ↓ 公武合体 ↓ ( )の盛り上がり

    尊王攘夷運動

  • 17

    ·1862年 薩摩藩島津久光の上京、朝廷優位の公武合体めざした幕政改革要求 →( )…政府によるもの 一橋派の復権、参勤交代緩和 ・同年7月,長州藩は攘夷政策に転換→翌年,将軍徳川家茂上洛→天皇に攘夷実行をせまられる

    文久の改革

  • 18

    攘夷をめぐる動き 1863年8月 ( )…長州藩・攘夷派の公家追放 →翌年7月、( )…長州藩敗北→幕府の征討軍長州へ、外国艦隊の長州藩攻撃

    八月十八日の政変、禁門の変

  • 19

    ・1863年、( )…前年の生麦事件の賠償めぐりイギリス軍は薩摩藩を攻撃 →通商条約を否定する動きに打撃、幕府は西洋技術の導入・整備

    薩英戦争

  • 20

    西洋列強の対抗…軍隊の動員、孝明天皇への圧力=1865年,英仏蘭米4か国艦隊が兵庫沖侵入 →孝明天皇は通商条約を勅許 ・イギリスは薩長両藩に接近(雄藩との貿易目的)⇔フランス公使( )は幕府に援助

    ロッシュ

  • 21

    ·1866年1月( ): 薩長両藩が( )の仲介で密約 →幕府、再び長州征討…多様な身分を組織した ( )に苦戦 →将軍徳川家茂の死により( )は征討中止 ・不安定な国内情勢と社会不安・・・世直し一揆、( ) ( )の高まり→( )が( )をおこなう(←土佐藩山内豊信の意見) →薩長と( )らは御所封鎖→( )で天皇中心の新政府発足

    薩長同盟、坂本龍馬、奇兵隊、徳川慶喜、ええじゃないか、物価、大政奉還、岩倉具視、王政復古の大号令

  • 22

    *明治政府による、天皇のもとでの一体感ある国民国家をめざした過程 ・新政府による統一: ( )の大号令・・・徳川慶喜の土地と地位返上が決定 →( )のはじまり:1868年1月,鳥羽・伏見で旧幕府軍と薩摩・長州軍が交戦 →1868年4月,薩長軍優勢で江戸城が無血開城→東北各地・箱館での戦闘 →徳川家は徹底抗戦を避け泥沼化せず →新政府による円滑な体制づくりが可能に

    王政復古、戊辰戦争

  • 23

    新政府の方針 1868年3月( )…公議世論と開国和親の重視      ( )…キリスト教禁止など旧幕府時代        と変わらず →1868年閏4月,( )…太政官制と三権分立を取り入れる

    五箇条の誓文、五榜の掲示、政体書

  • 24

    ・1869年( )に遷都→( )を実施・・大名は版(土地)と籍(人民)を返上、知藩事として藩主の地位にとどまる ・1871年( )の断行・・・261の藩は3府72県に再編 旧知藩事は東京に集住→府知事・県令を政府が任命→政府の意向が全国に行きわたる

    東京、版籍奉還、廃藩置県

  • 25

    1869年身分制の廃止… ( 公家・大名→)華族 (武士→)士族 (その他→)平民に →( )…身分をこえた結婚、職業・居住の自由を承認 →戸籍の編成・・・人々を国民として把握・管理する役割 · 1871年,「( )」・・・えた・非人など差別的呼称廃止、職業も平民同様とする

    四身平等、解放令

  • 26

    1873年( )条例……( )発行=土地所有者の確定 →( )の3%を( )として土地所有者が現金でおさめる ・重い負担・・・豊作・凶作に関係ない一定額の納税、3%の税率 →人々の不満→地租改正反対一揆→税率は2.5%に引き下げ

    地租改正、地券、収穫量、地租

  • 27

    ・明治政府にとって、経済力とともに軍事力の強化が急務 →( )というスローガン ・1872年の( )と翌年の( )…20歳以上の男子に徴兵検査 →合格者のうち一定数が兵役に就く=身分によらない兵役負担 ・( )…徴兵制度に反対する運動→各地でおこる

    富国強兵、徴兵告諭、徴兵令、血税一揆

  • 28

    ( )政策…地組などの租税収入を近代産業の育成にそそぐ 造船所や軍事工場の設立、鉱山も官営に ( )(1872年開設)・・・・生糸生産のモデル工場

    殖産興業、富岡製糸場

  • 29

    ・ 産業の育成に( )をまねき技術指導をあおぐ ・( )(1871年公布)…円・銭・風の単位と相互の換算比率が定まる →( )(1872年公布)…兌換銀行券の発行が認められる ・( )の建議で郵便制度が発足(1871年) →東京-大阪間に電信が開通

    お雇い外国人、新貨条例、国立銀行条例、前島密

  • 30

    ・西洋由来の知識や価値観は( )とみなされ、政府は留学生を派遣し知識や技術の習得を はかる  →( ) (1873年設立)…( )らが参加し、自由・平等の思想や西洋の政治 制度などを紹介

    文明、明六社、福沢諭吉

  • 31

    1872年には新橋-横浜間に鉄道が開通、銀座に( )が設けられる  ・太陰太陽暦が西洋にならった( )になる⇔農民の生活サイクルとはかみあわない ・このような( )は戸惑いや反発をひきおこすことにもなる

    煉瓦街、太陽暦、文明開化

  • 32

    ( )(1872年公布)・・・6歳以上の全男女に初等教育を受けさせるため、各村に小学校を 設けようとする→教育費が新たな負担と考えた人々による( )もおこる

    学制、学制反対一揆

  • 33

    不平等条約の締結 1854年( )条約  下田・箱館の開港          ( )の承認 1858年( )条約 神奈川・長崎・新潟・兵庫の        開港        ( )の承認        協定関税=( )がない

    日米和親、片務的最恵国待遇、日米修好通商条約、領事裁判権、関税自主権

  • 34

    日本における2つの近代の外交の方針 ①欧米外交 …富国強兵の手本・( )をめざす ②東アジア外交 …近代的国交の樹立=領土の画定  権益の拡大をめざして( )

    不平等条約の改正、進出

  • 35

    ( )…全権大使:岩倉具視     副使:木戸孝允・( )・伊藤博文ら →不平等条約改正の( )のために派遣 (1871年)→欧米各国を視察・調査 →予備交渉は不成立 廃藩置県が終わってすぐ。政府要人の半数が参加 ( )政府=残った人々 …西郷隆盛・板垣退助 大隈重信・井上馨ら

    岩倉使節団、大久保利通、予備交渉、留守

  • 36

    1882~87 ( ) 東京で一括交渉を行う。内地雑居・外国人判事の任用を前提に交渉 この前提や極端な欧化政策をとったことに対し国民の反感がおこった。 ( )事件が起こると批判は高まり、交渉は中断した

    井上馨、ノルマントン号

  • 37

    ( ) 条約改正のために行った極端な西欧化政策のこと。 ( )はこのために東京日比谷に つくられた社交場である。 教科書

    欧化政策、鹿鳴館

  • 38

    欧化政策の象徴は( )であったが、( )が描いた絵では、洋装の紳士淑女が鏡では( )に映っている。ここから日本の欧化政策は、外面的なものであり、内面は欧米が求める水準に達していなかったと理解していたことが判断できる。 欧米からは平等な条約を結ぶ相手国との認識は得られなかったため、( )は前進しなかった

    鹿鳴館、ビゴー、猿、条約改正交渉

  • 39

    ビゴーが描いた絵は何をあらわしているのだろうか。

    洋装をした日本人の紳士、淑女が描かれているが、鏡には猿の姿が映っ ており、外面だけを西欧化した日本人をあらわしている

  • 40

    ・日本が幕末に締結した和親条約や修好通商条約は欧米諸国に有利な内容 →対等な外交関係を求め条約改正がめざされる ・19世紀後半の日本の外交の悲願 ( ) (治外法権)の撤廃 ( )の回復

    領事裁判権、関税自主権

  • 41

    ・( )による予備交渉が不調 →政府は日本が文明国だと認識されることが必要だと考える →極端な( ) →1883年に完成した ( ) はその象徴 ・( )外相時代には、裁判所に外国人裁判官をおくことが条約改正の条件に ・( )…イギリス船が沈没し、日本人乗客のみが水死した事件で、イギリ ス人の船長・船員は無罪に→ 領事裁判権の撤廃が切実に

    岩倉使節団、欧化政策、鹿鳴館、井上馨、ノルマントン号事件

  • 42

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 1.士族の反乱 ( )…軍人・警官以外の帯刀を禁じる ( )…家禄の給付を停止する →( )(1877)…西郷隆盛ら鹿児島の士族が挙兵 →これらの( )はいずれも政府軍により鎮圧 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    廃刀令、秩禄処分、西南戦争、士族反乱

  • 43

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 2.自由民権運動 ( )…1874年に( )らが政府に提出 →( )…( )思想をもとに国政の主導権を握るべく主権国家の樹立目指す ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    民撰議院設立建白書、板垣退助、自由民権運動、天賦人権

  • 44

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 3.高まる自由民権運動 ( )(1875年)…全国の結社を結ぶ組織→各地で演説会を開く←政府は( )・( )などを発して言論を封じる ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    愛国社、新聞紙条例、集会条例

  • 45

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 4.国会開設をめぐる対立 ( )…1880年に愛国社が改組→政府も憲法と国会は近代国家に欠かせないと認識→速やかに設けるべきとする( )らと、時期尚早とする伊藤博文ら ・開拓使官有物払い下げ事件1881 →( )…政府は批判を交わすため、払い下げ中止とともに大隈重信を追放し、国家開設の勅諭を発する→政府が天皇の名で10年後の国会開設を約束 →1881年に( )、1882年( )が結成 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    国会期成同盟、大隈重信、明治十四年の政変、自由党、立憲改進党

  • 46

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 5.運動の行く末の民衆 ・( )1885年…朝鮮の内政に干渉して国際的な緊張状態を作り、それに乗じて日本の専制政府を打倒しようとした事件→関係者の多くは懲役刑 ・( )…政府の進めるデフレ政策→深刻な不況→( )などの農民蜂起 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    激化事件、松方財政、秩父事件

  • 47

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 1.憲法制定の準備 各地の結社で( )が作成される  「( )」…幅広い人権規約を持つ  「東洋大日本国憲按」…( )が起草し、抵抗権   や革命権を認める   →天皇のもとに国民が統合されるという    国家像が民権派にも広まる ( )は、憲法調査で渡欧し、君主権の強い( )憲法を学ぶ   →帰国後、井上毅・伊東巳代治らととも    に、( )の助言を仰いで憲法案を起草 ( )1884…旧大名や公家のほか、明治以降の功労者にも爵位を与え華族に ( )1885…太政官制を廃止 ③国権論の高まり

    私擬憲法、五日市憲法、植木枝盛、伊藤博文、プロイセン、ロエスレル、華族令、内閣制度

  • 48

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 2.憲法と諸法典の成立 ( )(1889年発布)…天皇の名によって発布→( )憲法 →宣戦・外交権・統師権· ・緊急勅令などの( ) →国民は( )であり, 主権をもたない ( )(1882年下賜)…軍隊や兵士に天皇への忠誠を求める ( ) (1890年発布)…忠孝という道徳を士台に天皇制の強化をはかる 皇室関係の法規である( )も制定 ③国権論の高まり

    大日本帝国憲法、欽定、天皇大権、臣民、軍人勅諭、教育勅語、皇室典範

  • 49

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 3.帝国議会の開設と初期議会 ・1890年11月に( )が開設…二院制  ( ):議員は選挙によって選ばれる  ( ):議員は華族から選出 ・第1回総選挙→非政府系の民党と、 ( )(薩長の出身者が要職を独占した状態)や政府系の吏党が対決 ・第2回総選挙:民党候補の当選を妨げる( )にもかかわらず、民党から多数当選 ③国権論の高まり

    帝国会議、衆議院、貴族院、藩閥政府、選挙干渉

  • 50

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり 欧化主義への批判から、独立国家として諸外国と対等の関係を保ち、 国家の権利を拡張し ようとする考えが広がった。日本の改革が進み、欧米諸国に近づくと、改革が進まないアジアの国との連帯から抜けだし、欧米諸国の使問入りを果たすべきであるという( )が唱えられるようになった。

    脱亜論

  • 51

    ( ) アジアは文化的・政治的に一つだとする思想。この考え方にもとづき、アジアの諸国が団結して欧米列強の圧力に対抗しようとし た。一方で、この思想はあくまで日本が中心になって、それをなしとげることを前提としていた。

    アジア主義

  • 52

    ( )の「( )」 我が日本の領士はアジアの東辺にありといえども、その国民の精神は、すでにアジアの頑固で狭い見識を脱して、西洋の文明に移りたり。しかるにここに不幸なるは、近隣に国あり。一を支那(中国)といい、一を朝鮮という。この二国の者どもは…改新の道を知らず、 …その古風旧慣に恋々するの情は、百千年の古に異ならず。 されば今のはかりごとを為すに、我が国は隣国の開明を待ってともにアジアを興すの猶予あるべからず。むしろその仲間を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接するの法も、隣国なるがゆえにとて特別の会釈におよばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ。 …我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。

    福沢諭吉、脱亜論

  • 53

    福沢諭吉 文明への水先案内人 長崎や大阪で( )を学び、幕府の使節でおとづれた欧米での見聞を「西洋事情」にまとめた。( )を主宰するとともに、「( )」で始まるベストセラー( )を現した。日本が欧米のような文明国になることを理想とし、「文明論之概略」や「脱亜論」でその意味や方法を説いた。

    蘭学、慶應義塾、天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、学問のすすめ

  • 54

    6)条約改正の実現 ④1888~89 大隈重信…テロにより辞任 ⑤1889 青木周蔵…大津事件により辞任 ⑥1894 ( )…日清戦争直前に( )を調                 印、 ( )、対等な最恵国           待遇などの権利を得た ⑦ 1911 ( )…日米通商航海条約が改           正されるタイミングで           ( ) に成功。列国もこれ           に準じて、条約改正は           完了した

    陸奥宗光、日英通商航海条約、領事裁判権の撤廃、小村寿太郎、関税自主権の回復

  • 55

    大隈重信 「( )に外国人判事の任用を認めた」これが批判を呼びテロで負傷→改正交渉中止

    大審院

  • 56

    青木周蔵 ( )と交渉。( )で青木外相が辞任したため、交渉が続かなかった

    イギリス、大津事件

  • 57

    陸奥宗光(左,1844~97) 小村寿太郎(右,1855~1911) 和歌山藩士の家にうまれた陸奥宗光は、幕末に坂本龍馬らと( )に参加した。明治に入ると、政府の役職につく一方で、 反政府的な動きに加わることもあった。外務大臣として( )を撤廃したのちは、日清戦争の開戦や講和条約の締結などに関与した。 陸奥より10歳ほど下の小村寿太郎は、飫肥藩士の家にうまれ、選抜されて東京で学んだの ち、アメリカのハーバード大学に留学して外交官となった。外務大臣として( )をむすび、日露講和の全権として( )に調印し、関税自主権を回復した年に没した。

    尊王攘夷運動、領事裁判権、日英同盟、ポーツマス条約

  • 58

    ■条約改正の実現 ( )(1894年成立) …外国人居留地の廃止、外国人の国内居住の承認、( )の撤廃 →他国とも同様の条約がむすばれ1899年に発効 ( )(1911年改正)…( )の回復 ・条約改正が実現したのは、憲法発布や国会開設などにより立憲国家の体裁がととのったから

    日英通商航海条約、領事裁判権、日米通商航海条約、関税自主権

  • 59

    ⑤から⑩答えて

    民間貿易、対馬、インド洋、薩摩、両属、イスラーム

  • 60

    ■清や朝鮮との関係 西洋のルールによって結ばれた近代的条約 =日本は中国を中心とする伝統的な国際秩序から離脱 ( )(1871年)…冊封体制の外にあった日本が清と対等な関係で国交をもつ →朝鮮の開国・開港をめぐり両国は対立

    日清修好条規

  • 61

    朝鮮と日本 ・冊封体制下の朝鮮は、清を中心とする東アジア秩序のもとで日本との外交を位置づけた →権力の座にあった国王( )の父の( )は、日本からの国交樹立要求を拒む

    高宗、大院君

  • 62

    大院君は、1863年に12歳で王位に就いた高宗を補佐して王権強化と鎖国政策を進 めた。しかし、1873年に政変が 起こり、( )一族に政権を奪われた。開国後は朝鮮の改革路線をめぐり対立が続 いた。 *これに対して日本の国内世論は開国を要求 ·領土的野心 ・日、中、朝が連携して欧米に対抗

    閔妃

  • 63

    ( )ら…朝鮮に使節を派遣して圧力をかける( )を主張 ⇔岩倉具視・( )・木戸孝允ら… 内政優先を主張 →( )・・・ ( )ら ( )派が辞職して政府をはなれる

    西郷隆盛、征韓論、大久保利通、明治六年の政変、西郷隆盛、征韓

  • 64

    朝鮮では、( )の妃である( )の一族が台頭し、大院君は権力を失う ( )(1875年)・・・朝鮮の漢城防衛の拠点に日本の軍艦が侵入し交戦 →( )清の宗主権を否定し、日本に対する治外法権、関税自主権の放棄を認める不平等条約

    高宗、閔妃、江華島事件、日朝修好条規

  • 65

    ①の地名と②から④の港の名前答えて

    江華島、仁川、元山、釜山

  • 66

    ( )(1882年)…( )政権に対する兵士の反乱    →清の介入により鎮圧

    壬午軍乱、閔妃

  • 67

    ・旧軍の兵士 ・給料が減らされた ・開国後の物価高騰で生活が悪化した民衆もともに蜂起 ↓ ( )政権復活を要求 閔妃政権は清に鎮圧を要請し、 清軍により軍乱は鎮圧された =清の影響力が増す

    大院君

  • 68

    ( )(1884年)…( )ら急進開化派が日本軍の協力を背景にクーデタを 朝鮮の日本公使館は金を支援して派兵。不利になると撤兵した。 民衆は、日本公使館を焼き討ちにした。 おこすが、清軍の介入で失敗 →( )…日清両軍は撤退、派兵時は事前通告

    甲申政変、金玉均、天津条約

  • 69

    金玉均 急進開化派の中心人物。福沢諭吉らの協力を得て、明治維新をモデルに朝鮮の近代化をめざした。壬午軍乱後の清の宗主権強化と清と協調する穏健開化派勢力への反発から、( )をおこした。この後、日本に亡命し活動したが、朝鮮政府によって命をねらわれ、1894年に上海で暗殺された。

    甲申政変

  • 70

    甲申政変(1884) ・日本が支援するクーデター ・清軍に鎮圧され失敗 ( )親清〉 閔妃一族 穏便開化派 ↑ ↓ ( )親日〉 金玉均ら 急進開化派

    事大党、独立党

  • 71

    甲申事変の日本への影響 ・福沢諭吉がアジア主義から脱亜論に転向 ・大井憲太郎らが朝鮮の内政に干渉しようとした( )をおこした

    大阪事件

  • 72

    1894〜95 日清戦争…朝鮮をめぐる対立 征韓論 ↓ 朝鮮を江華島事件で開国させる ↓ 脱亜論 ↓ ( )戦争 ↓ 日清戦争

    甲午農民

  • 73

    朝鮮 ( ) 全琫準 VS 政府 王様( ):( )政権(新清) ↑ ↑出兵 ↑ 日本は「朝鮮にいる日本人助けないと」←建前

    甲午農民戦争、高宗、閔妃

  • 74

    日本と清は、19世紀末には朝鮮の内政や外交へ干渉 ↓ ( )…東学を信仰する農民が朝鮮政府に反発、武装蜂起 ↓ 朝鮮政府が清に軍隊の派遣を要請 ↓ 日本も朝鮮に派兵 ↓ 日本軍は朝鮮王宮を襲撃して ( )による新政権を樹立 ↓ 日本が朝鮮の内政改革を求める と、清や朝鮮の旧政権関係者は反発を強める

    甲午農民戦争、開化派

  • 75

    甲午農民戦争 政府と和解→全琫準は逮捕! 清 { 帰ろか〜 日本{ こんな絶好のチャンス、このままじゃ征    服できん! ↓ 日本軍は朝鮮の王宮を攻撃・占領し、国王の父大院君の政権を樹立させた 「( )」←絵に書いてある ↓ 8月1日日清双方が宣戦布告し、開戦 ( ) (1894~95年)…当初の主戦場は朝鮮で、朝鮮の人々の生活に多大な被害をもたらす ↓ 東学の農民たちが再蜂起 ↓ 日本軍によって鎮圧 ↓ 戦場はしだいに清の領内に ↓ 日本軍は( )や威海衛などを占領 ↓ 日本優勢のなか、清が講和を申し出る

    大鳥公使大院君護衛ス、日清戦争、旅順

  • 76

    出撃の拠点:( ) ↓ ( )を経由し( )に出兵 ↓ 朝鮮半島を北上し首都である( )・平壌を経て中国領内に進軍 ↓ ( )、続いて( )と二度にわたって海戦 ↓ 旅順を拠点に大連方面と( )の威海衛, ↓ ( )へも進軍している

    広島、下関、朝鮮半島、漢城、豊島沖、黄海、山東半島、台湾

  • 77

    当時の台湾は( )であった。 台湾には広島から佐世保、沖縄を経て

    台湾民主国

  • 78

    ( )(1895年調印)…日清戦争の講和条約 ・朝鮮の独立承認  =清の属国ではない =清の影響力を排除 ・( )・( )・( )の日本への割譲 ・賠償金( )両 ・台湾征服戦争・・・台湾では、清の役人や地元の有力者が台湾民主国を樹立して日本の支配に対抗

    下関条約、遼東半島、台湾、膨湖半島、2億

  • 79

    賠償金は、英ポンド建ての小切手で受 け取り、それを、金塊・金貨・イギリス紙幣にかえて日本に送った。 賠償金の一部で日本は金と紙幣の兌換を可能とする( )を確立した。1円は金0.754gと設定された。

    金本位制

  • 80

    ( )戦争 1895年 ( )設置 1899年 日本によって( )設立 1895~1915年 台湾征服戦争             ↑ 台湾 {やった〜中国負けたから独立できる 日本 {いや支配だぞ ●日清戦争では、死者総数約1万 3500名のうち、約1万2000名が 病死であった。台湾征服戦争で このえしだん は、近衛師団長として指揮をとっ た皇族も、台湾で病没した。

    台湾征服、台湾総督府、台湾銀行

  • 81

    ロシアは、( )の調印に対し、日本の中国東北部進出を警戒 →( )…ロシア・ドイツ・フランスが( )の清への返還を求める →日本は要求に応じ、ひきかえに3000万両を手にする

    下関条約、三国干渉、遼東半島

  • 82

    →日本は要求に応じ、ひきかえに3000万両を手にする ※なぜ、独・仏・露の三国なのか? ・フランスとロシアは( )を結んでいた ・ドイツとロシアは対立関係であったが、ドイツはロシアの意識をアジアに向けさせるこ とでヨーロッパでの対立を回避しようとした。

    露仏同盟

  • 83

    ・清は日本に対する巨額の賠償のため資金調達に苦しむ ↓ 列強から金を借りるのとひきかえに、租 借地や鉄道敷設権などの利権を提供 ↓ 冊封体制は崩壊し、列強による( )が加速

    中国分割

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    問題一覧

  • 1

    18世紀末から19世紀はじめにかけて、まずラクスマンやレザノフら( )船が根室・長崎に米航して通商を求めた。次に、( )船フェートン号が長崎に来航し、その後も上陸が続いた。1840年前後からは漂流民を送還したモリソン号など( )船が相次いで来航した。このほか、琉球にはフランス船が来航していた。

    ロシア、イギリス、アメリカ

  • 2

    対外問題と蝦夷地政策 ・18世紀末から、( )統治下のロシアが蝦夷地周辺に出没 ↓ 1792年に( )が、 1804年にレザノフが 幕府に通商を求める ↓ 拒否

    エカチェリーナ2世、ラクスマン

  • 3

    1808年( )…イギリス軍艦の長崎侵入。 →海防の必要性が意識されるようになり、1825年に( )が出される

    フェートン号事件、異国船打払令

  • 4

    モリソン号事件などにより異国船打払令見直しの機運も生じる →幕府への批判は弾圧される( )

    蛮社の獄

  • 5

    ・ロシアの南下に危機感をもった幕府: 18世紀末から蝦夷地を直轄地に →( )の文化や習慣を否定して日本語や日本風の文化を教える

    アイヌ

  • 6

    ■天保の改革と雄藩の成長 ・19世紀前半、江戸を中心に( )文化が栄える →飢饉や社会不安、外国船の接近に直面 →( )による幕政の刷新   = ( )…娯楽の抑制、三方領知替え、( )の発布(異国船打払令を撤回)

    化政、水野忠邦、天保の改革、薪水給与令

  • 7

    ( )を出して江戸や大坂周辺を直轄地に →諸大名の反発を受けて( )失脚 ・長州藩や薩摩藩など西日本の大名: 経済を立て直し、洋式軍事工業をおこすなどの改革に成功 →( )となって幕末の政局の主導権をにぎるようになる

    上知令、水野忠邦、雄藩

  • 8

    さまざまな学問の広がり ・18世紀なかば以降、社会の成熟にともなって諸学問が発展 ( ):杉田玄白ら ( ):本居宣長ら ・幕府は朱子学を正学に…湯島聖堂を( )として整備 ・各地では藩校や( )がつくられる ・( )のなかには平田篤胤など尊王思想を説く者も →19世紀に入ると攘夷思想と結びついて( )となる

    蘭学、国学、昌平坂学問所、寺子屋、尊王攘夷論

  • 9

    茅ヶ崎の名主であった藤間柳庵は( )隻のアメリカ船を観察しているが、とくに軍艦の( )を記録しており、これが庶民の黒船への印象であった。 また、柳庵が描写した( )の町の様子からは、避難の準備をする町人たちの動揺を読みとることができる。 さらに、( )の肖像と似顔絵を比較すると、日本人が描いた似顔絵は人相が悪く描かれてお人々の動揺と( )が表現されている。

    4、壮大さ、久里浜、ペリー、恐れ

  • 10

    ■ペリー来航と和親条約 ・国土が西海岸に到達したアメリカ合衆国は捕鯨などのために太平洋進出 →燃料補給の寄港地や漂流民保護の必要から日本との国交を求める アメリカの( )は4隻の軍艦で開国をせまる ↓ 翌年に再来航 ↓ 幕府は( )締結、下田と箱館を開港 この人来航時の老中( )はアメリカ大統領の国書を世間に公開 →有力大名や家臣は政治参加の拡大を要求

    ペリー、日米和親条約、阿部正弘

  • 11

    ■通商条約と勅許問題 ・アメリカ総領事 ( )が下田に着任 →通商の是非が争点 下級武士や公家の多くは反対↔︎西洋知識をもつ幕臣は積極的な世界秩序への参入主張 老中( )は( )天皇の勅許求め上京→天皇は反対 大老( )は1858年6月に( )締結 →勅許なしの調印に対して有力大名らの抗議 →大老のその人による厳しい弾圧  =( )

    ハリス、堀田正睦、孝明、井伊直弼、日米修好通商条約、安政の大獄

  • 12

    ■開国の経済的・社会的影響 ( )…オランダ・ロシア・フランス・イギリスとも同様の条約 開港場:神奈川(横浜)・兵庫(神戸)・長崎・箱館・新潟→中心地は横浜 ・ 不平等な内容・・片務的最恵国待遇、( )、( )制度 ・経済的影響…金貨と銀貨の交換比率のちがい→金貨の国外流出 大幅な( )超過と物価の( ) →一揆、打ちこわし、幕政批判、( )運動

    安政の五カ国条約、領事裁判権、協定関税、輸出、上昇、尊王攘夷

  • 13

    輸出品:( )、茶、蚕卵紙、海産物 輸入品: 毛織物、綿織物などの加工品 浮世絵など日本の文化財が海外に紹介→印象派に影響=( )の流行 ・国際的な伝染病の流入…( )の流行

    生糸、ジャポニズム、コレラ

  • 14

    なぜ尊王攘夷運動が盛りあがったのだろう ( )が通商条約を天皇の勅許なしで調印したことが( )論に刺激を与えた。また、開国後の物価上昇による生活苦は、通商条約を西洋に強いられた不当なものと考える ( )論の盛り上がりに拍車をかけた。この両者が結びつけられ、大きな潮流となった。

    井伊直弼、尊王、攘夷

  • 15

    1860年3月( )…水戸と薩摩の浪士による大老井伊直弼暗殺 →幕府は( )をめざし、孝明天皇の妹( )を将軍徳川( )に嫁がせる

    桜田門外の変、公武合体、和宮、家茂

  • 16

    桜田門外の変 ↓ 公武合体 ↓ ( )の盛り上がり

    尊王攘夷運動

  • 17

    ·1862年 薩摩藩島津久光の上京、朝廷優位の公武合体めざした幕政改革要求 →( )…政府によるもの 一橋派の復権、参勤交代緩和 ・同年7月,長州藩は攘夷政策に転換→翌年,将軍徳川家茂上洛→天皇に攘夷実行をせまられる

    文久の改革

  • 18

    攘夷をめぐる動き 1863年8月 ( )…長州藩・攘夷派の公家追放 →翌年7月、( )…長州藩敗北→幕府の征討軍長州へ、外国艦隊の長州藩攻撃

    八月十八日の政変、禁門の変

  • 19

    ・1863年、( )…前年の生麦事件の賠償めぐりイギリス軍は薩摩藩を攻撃 →通商条約を否定する動きに打撃、幕府は西洋技術の導入・整備

    薩英戦争

  • 20

    西洋列強の対抗…軍隊の動員、孝明天皇への圧力=1865年,英仏蘭米4か国艦隊が兵庫沖侵入 →孝明天皇は通商条約を勅許 ・イギリスは薩長両藩に接近(雄藩との貿易目的)⇔フランス公使( )は幕府に援助

    ロッシュ

  • 21

    ·1866年1月( ): 薩長両藩が( )の仲介で密約 →幕府、再び長州征討…多様な身分を組織した ( )に苦戦 →将軍徳川家茂の死により( )は征討中止 ・不安定な国内情勢と社会不安・・・世直し一揆、( ) ( )の高まり→( )が( )をおこなう(←土佐藩山内豊信の意見) →薩長と( )らは御所封鎖→( )で天皇中心の新政府発足

    薩長同盟、坂本龍馬、奇兵隊、徳川慶喜、ええじゃないか、物価、大政奉還、岩倉具視、王政復古の大号令

  • 22

    *明治政府による、天皇のもとでの一体感ある国民国家をめざした過程 ・新政府による統一: ( )の大号令・・・徳川慶喜の土地と地位返上が決定 →( )のはじまり:1868年1月,鳥羽・伏見で旧幕府軍と薩摩・長州軍が交戦 →1868年4月,薩長軍優勢で江戸城が無血開城→東北各地・箱館での戦闘 →徳川家は徹底抗戦を避け泥沼化せず →新政府による円滑な体制づくりが可能に

    王政復古、戊辰戦争

  • 23

    新政府の方針 1868年3月( )…公議世論と開国和親の重視      ( )…キリスト教禁止など旧幕府時代        と変わらず →1868年閏4月,( )…太政官制と三権分立を取り入れる

    五箇条の誓文、五榜の掲示、政体書

  • 24

    ・1869年( )に遷都→( )を実施・・大名は版(土地)と籍(人民)を返上、知藩事として藩主の地位にとどまる ・1871年( )の断行・・・261の藩は3府72県に再編 旧知藩事は東京に集住→府知事・県令を政府が任命→政府の意向が全国に行きわたる

    東京、版籍奉還、廃藩置県

  • 25

    1869年身分制の廃止… ( 公家・大名→)華族 (武士→)士族 (その他→)平民に →( )…身分をこえた結婚、職業・居住の自由を承認 →戸籍の編成・・・人々を国民として把握・管理する役割 · 1871年,「( )」・・・えた・非人など差別的呼称廃止、職業も平民同様とする

    四身平等、解放令

  • 26

    1873年( )条例……( )発行=土地所有者の確定 →( )の3%を( )として土地所有者が現金でおさめる ・重い負担・・・豊作・凶作に関係ない一定額の納税、3%の税率 →人々の不満→地租改正反対一揆→税率は2.5%に引き下げ

    地租改正、地券、収穫量、地租

  • 27

    ・明治政府にとって、経済力とともに軍事力の強化が急務 →( )というスローガン ・1872年の( )と翌年の( )…20歳以上の男子に徴兵検査 →合格者のうち一定数が兵役に就く=身分によらない兵役負担 ・( )…徴兵制度に反対する運動→各地でおこる

    富国強兵、徴兵告諭、徴兵令、血税一揆

  • 28

    ( )政策…地組などの租税収入を近代産業の育成にそそぐ 造船所や軍事工場の設立、鉱山も官営に ( )(1872年開設)・・・・生糸生産のモデル工場

    殖産興業、富岡製糸場

  • 29

    ・ 産業の育成に( )をまねき技術指導をあおぐ ・( )(1871年公布)…円・銭・風の単位と相互の換算比率が定まる →( )(1872年公布)…兌換銀行券の発行が認められる ・( )の建議で郵便制度が発足(1871年) →東京-大阪間に電信が開通

    お雇い外国人、新貨条例、国立銀行条例、前島密

  • 30

    ・西洋由来の知識や価値観は( )とみなされ、政府は留学生を派遣し知識や技術の習得を はかる  →( ) (1873年設立)…( )らが参加し、自由・平等の思想や西洋の政治 制度などを紹介

    文明、明六社、福沢諭吉

  • 31

    1872年には新橋-横浜間に鉄道が開通、銀座に( )が設けられる  ・太陰太陽暦が西洋にならった( )になる⇔農民の生活サイクルとはかみあわない ・このような( )は戸惑いや反発をひきおこすことにもなる

    煉瓦街、太陽暦、文明開化

  • 32

    ( )(1872年公布)・・・6歳以上の全男女に初等教育を受けさせるため、各村に小学校を 設けようとする→教育費が新たな負担と考えた人々による( )もおこる

    学制、学制反対一揆

  • 33

    不平等条約の締結 1854年( )条約  下田・箱館の開港          ( )の承認 1858年( )条約 神奈川・長崎・新潟・兵庫の        開港        ( )の承認        協定関税=( )がない

    日米和親、片務的最恵国待遇、日米修好通商条約、領事裁判権、関税自主権

  • 34

    日本における2つの近代の外交の方針 ①欧米外交 …富国強兵の手本・( )をめざす ②東アジア外交 …近代的国交の樹立=領土の画定  権益の拡大をめざして( )

    不平等条約の改正、進出

  • 35

    ( )…全権大使:岩倉具視     副使:木戸孝允・( )・伊藤博文ら →不平等条約改正の( )のために派遣 (1871年)→欧米各国を視察・調査 →予備交渉は不成立 廃藩置県が終わってすぐ。政府要人の半数が参加 ( )政府=残った人々 …西郷隆盛・板垣退助 大隈重信・井上馨ら

    岩倉使節団、大久保利通、予備交渉、留守

  • 36

    1882~87 ( ) 東京で一括交渉を行う。内地雑居・外国人判事の任用を前提に交渉 この前提や極端な欧化政策をとったことに対し国民の反感がおこった。 ( )事件が起こると批判は高まり、交渉は中断した

    井上馨、ノルマントン号

  • 37

    ( ) 条約改正のために行った極端な西欧化政策のこと。 ( )はこのために東京日比谷に つくられた社交場である。 教科書

    欧化政策、鹿鳴館

  • 38

    欧化政策の象徴は( )であったが、( )が描いた絵では、洋装の紳士淑女が鏡では( )に映っている。ここから日本の欧化政策は、外面的なものであり、内面は欧米が求める水準に達していなかったと理解していたことが判断できる。 欧米からは平等な条約を結ぶ相手国との認識は得られなかったため、( )は前進しなかった

    鹿鳴館、ビゴー、猿、条約改正交渉

  • 39

    ビゴーが描いた絵は何をあらわしているのだろうか。

    洋装をした日本人の紳士、淑女が描かれているが、鏡には猿の姿が映っ ており、外面だけを西欧化した日本人をあらわしている

  • 40

    ・日本が幕末に締結した和親条約や修好通商条約は欧米諸国に有利な内容 →対等な外交関係を求め条約改正がめざされる ・19世紀後半の日本の外交の悲願 ( ) (治外法権)の撤廃 ( )の回復

    領事裁判権、関税自主権

  • 41

    ・( )による予備交渉が不調 →政府は日本が文明国だと認識されることが必要だと考える →極端な( ) →1883年に完成した ( ) はその象徴 ・( )外相時代には、裁判所に外国人裁判官をおくことが条約改正の条件に ・( )…イギリス船が沈没し、日本人乗客のみが水死した事件で、イギリ ス人の船長・船員は無罪に→ 領事裁判権の撤廃が切実に

    岩倉使節団、欧化政策、鹿鳴館、井上馨、ノルマントン号事件

  • 42

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 1.士族の反乱 ( )…軍人・警官以外の帯刀を禁じる ( )…家禄の給付を停止する →( )(1877)…西郷隆盛ら鹿児島の士族が挙兵 →これらの( )はいずれも政府軍により鎮圧 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    廃刀令、秩禄処分、西南戦争、士族反乱

  • 43

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 2.自由民権運動 ( )…1874年に( )らが政府に提出 →( )…( )思想をもとに国政の主導権を握るべく主権国家の樹立目指す ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    民撰議院設立建白書、板垣退助、自由民権運動、天賦人権

  • 44

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 3.高まる自由民権運動 ( )(1875年)…全国の結社を結ぶ組織→各地で演説会を開く←政府は( )・( )などを発して言論を封じる ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    愛国社、新聞紙条例、集会条例

  • 45

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 4.国会開設をめぐる対立 ( )…1880年に愛国社が改組→政府も憲法と国会は近代国家に欠かせないと認識→速やかに設けるべきとする( )らと、時期尚早とする伊藤博文ら ・開拓使官有物払い下げ事件1881 →( )…政府は批判を交わすため、払い下げ中止とともに大隈重信を追放し、国家開設の勅諭を発する→政府が天皇の名で10年後の国会開設を約束 →1881年に( )、1882年( )が結成 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    国会期成同盟、大隈重信、明治十四年の政変、自由党、立憲改進党

  • 46

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 5.運動の行く末の民衆 ・( )1885年…朝鮮の内政に干渉して国際的な緊張状態を作り、それに乗じて日本の専制政府を打倒しようとした事件→関係者の多くは懲役刑 ・( )…政府の進めるデフレ政策→深刻な不況→( )などの農民蜂起 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり

    激化事件、松方財政、秩父事件

  • 47

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 1.憲法制定の準備 各地の結社で( )が作成される  「( )」…幅広い人権規約を持つ  「東洋大日本国憲按」…( )が起草し、抵抗権   や革命権を認める   →天皇のもとに国民が統合されるという    国家像が民権派にも広まる ( )は、憲法調査で渡欧し、君主権の強い( )憲法を学ぶ   →帰国後、井上毅・伊東巳代治らととも    に、( )の助言を仰いで憲法案を起草 ( )1884…旧大名や公家のほか、明治以降の功労者にも爵位を与え華族に ( )1885…太政官制を廃止 ③国権論の高まり

    私擬憲法、五日市憲法、植木枝盛、伊藤博文、プロイセン、ロエスレル、華族令、内閣制度

  • 48

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 2.憲法と諸法典の成立 ( )(1889年発布)…天皇の名によって発布→( )憲法 →宣戦・外交権・統師権· ・緊急勅令などの( ) →国民は( )であり, 主権をもたない ( )(1882年下賜)…軍隊や兵士に天皇への忠誠を求める ( ) (1890年発布)…忠孝という道徳を士台に天皇制の強化をはかる 皇室関係の法規である( )も制定 ③国権論の高まり

    大日本帝国憲法、欽定、天皇大権、臣民、軍人勅諭、教育勅語、皇室典範

  • 49

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 3.帝国議会の開設と初期議会 ・1890年11月に( )が開設…二院制  ( ):議員は選挙によって選ばれる  ( ):議員は華族から選出 ・第1回総選挙→非政府系の民党と、 ( )(薩長の出身者が要職を独占した状態)や政府系の吏党が対決 ・第2回総選挙:民党候補の当選を妨げる( )にもかかわらず、民党から多数当選 ③国権論の高まり

    帝国会議、衆議院、貴族院、藩閥政府、選挙干渉

  • 50

    1880年代の日本の様子 ①自由民権運動 ②立憲体制の確立 ③国権論の高まり 欧化主義への批判から、独立国家として諸外国と対等の関係を保ち、 国家の権利を拡張し ようとする考えが広がった。日本の改革が進み、欧米諸国に近づくと、改革が進まないアジアの国との連帯から抜けだし、欧米諸国の使問入りを果たすべきであるという( )が唱えられるようになった。

    脱亜論

  • 51

    ( ) アジアは文化的・政治的に一つだとする思想。この考え方にもとづき、アジアの諸国が団結して欧米列強の圧力に対抗しようとし た。一方で、この思想はあくまで日本が中心になって、それをなしとげることを前提としていた。

    アジア主義

  • 52

    ( )の「( )」 我が日本の領士はアジアの東辺にありといえども、その国民の精神は、すでにアジアの頑固で狭い見識を脱して、西洋の文明に移りたり。しかるにここに不幸なるは、近隣に国あり。一を支那(中国)といい、一を朝鮮という。この二国の者どもは…改新の道を知らず、 …その古風旧慣に恋々するの情は、百千年の古に異ならず。 されば今のはかりごとを為すに、我が国は隣国の開明を待ってともにアジアを興すの猶予あるべからず。むしろその仲間を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接するの法も、隣国なるがゆえにとて特別の会釈におよばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ。 …我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。

    福沢諭吉、脱亜論

  • 53

    福沢諭吉 文明への水先案内人 長崎や大阪で( )を学び、幕府の使節でおとづれた欧米での見聞を「西洋事情」にまとめた。( )を主宰するとともに、「( )」で始まるベストセラー( )を現した。日本が欧米のような文明国になることを理想とし、「文明論之概略」や「脱亜論」でその意味や方法を説いた。

    蘭学、慶應義塾、天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、学問のすすめ

  • 54

    6)条約改正の実現 ④1888~89 大隈重信…テロにより辞任 ⑤1889 青木周蔵…大津事件により辞任 ⑥1894 ( )…日清戦争直前に( )を調                 印、 ( )、対等な最恵国           待遇などの権利を得た ⑦ 1911 ( )…日米通商航海条約が改           正されるタイミングで           ( ) に成功。列国もこれ           に準じて、条約改正は           完了した

    陸奥宗光、日英通商航海条約、領事裁判権の撤廃、小村寿太郎、関税自主権の回復

  • 55

    大隈重信 「( )に外国人判事の任用を認めた」これが批判を呼びテロで負傷→改正交渉中止

    大審院

  • 56

    青木周蔵 ( )と交渉。( )で青木外相が辞任したため、交渉が続かなかった

    イギリス、大津事件

  • 57

    陸奥宗光(左,1844~97) 小村寿太郎(右,1855~1911) 和歌山藩士の家にうまれた陸奥宗光は、幕末に坂本龍馬らと( )に参加した。明治に入ると、政府の役職につく一方で、 反政府的な動きに加わることもあった。外務大臣として( )を撤廃したのちは、日清戦争の開戦や講和条約の締結などに関与した。 陸奥より10歳ほど下の小村寿太郎は、飫肥藩士の家にうまれ、選抜されて東京で学んだの ち、アメリカのハーバード大学に留学して外交官となった。外務大臣として( )をむすび、日露講和の全権として( )に調印し、関税自主権を回復した年に没した。

    尊王攘夷運動、領事裁判権、日英同盟、ポーツマス条約

  • 58

    ■条約改正の実現 ( )(1894年成立) …外国人居留地の廃止、外国人の国内居住の承認、( )の撤廃 →他国とも同様の条約がむすばれ1899年に発効 ( )(1911年改正)…( )の回復 ・条約改正が実現したのは、憲法発布や国会開設などにより立憲国家の体裁がととのったから

    日英通商航海条約、領事裁判権、日米通商航海条約、関税自主権

  • 59

    ⑤から⑩答えて

    民間貿易、対馬、インド洋、薩摩、両属、イスラーム

  • 60

    ■清や朝鮮との関係 西洋のルールによって結ばれた近代的条約 =日本は中国を中心とする伝統的な国際秩序から離脱 ( )(1871年)…冊封体制の外にあった日本が清と対等な関係で国交をもつ →朝鮮の開国・開港をめぐり両国は対立

    日清修好条規

  • 61

    朝鮮と日本 ・冊封体制下の朝鮮は、清を中心とする東アジア秩序のもとで日本との外交を位置づけた →権力の座にあった国王( )の父の( )は、日本からの国交樹立要求を拒む

    高宗、大院君

  • 62

    大院君は、1863年に12歳で王位に就いた高宗を補佐して王権強化と鎖国政策を進 めた。しかし、1873年に政変が 起こり、( )一族に政権を奪われた。開国後は朝鮮の改革路線をめぐり対立が続 いた。 *これに対して日本の国内世論は開国を要求 ·領土的野心 ・日、中、朝が連携して欧米に対抗

    閔妃

  • 63

    ( )ら…朝鮮に使節を派遣して圧力をかける( )を主張 ⇔岩倉具視・( )・木戸孝允ら… 内政優先を主張 →( )・・・ ( )ら ( )派が辞職して政府をはなれる

    西郷隆盛、征韓論、大久保利通、明治六年の政変、西郷隆盛、征韓

  • 64

    朝鮮では、( )の妃である( )の一族が台頭し、大院君は権力を失う ( )(1875年)・・・朝鮮の漢城防衛の拠点に日本の軍艦が侵入し交戦 →( )清の宗主権を否定し、日本に対する治外法権、関税自主権の放棄を認める不平等条約

    高宗、閔妃、江華島事件、日朝修好条規

  • 65

    ①の地名と②から④の港の名前答えて

    江華島、仁川、元山、釜山

  • 66

    ( )(1882年)…( )政権に対する兵士の反乱    →清の介入により鎮圧

    壬午軍乱、閔妃

  • 67

    ・旧軍の兵士 ・給料が減らされた ・開国後の物価高騰で生活が悪化した民衆もともに蜂起 ↓ ( )政権復活を要求 閔妃政権は清に鎮圧を要請し、 清軍により軍乱は鎮圧された =清の影響力が増す

    大院君

  • 68

    ( )(1884年)…( )ら急進開化派が日本軍の協力を背景にクーデタを 朝鮮の日本公使館は金を支援して派兵。不利になると撤兵した。 民衆は、日本公使館を焼き討ちにした。 おこすが、清軍の介入で失敗 →( )…日清両軍は撤退、派兵時は事前通告

    甲申政変、金玉均、天津条約

  • 69

    金玉均 急進開化派の中心人物。福沢諭吉らの協力を得て、明治維新をモデルに朝鮮の近代化をめざした。壬午軍乱後の清の宗主権強化と清と協調する穏健開化派勢力への反発から、( )をおこした。この後、日本に亡命し活動したが、朝鮮政府によって命をねらわれ、1894年に上海で暗殺された。

    甲申政変

  • 70

    甲申政変(1884) ・日本が支援するクーデター ・清軍に鎮圧され失敗 ( )親清〉 閔妃一族 穏便開化派 ↑ ↓ ( )親日〉 金玉均ら 急進開化派

    事大党、独立党

  • 71

    甲申事変の日本への影響 ・福沢諭吉がアジア主義から脱亜論に転向 ・大井憲太郎らが朝鮮の内政に干渉しようとした( )をおこした

    大阪事件

  • 72

    1894〜95 日清戦争…朝鮮をめぐる対立 征韓論 ↓ 朝鮮を江華島事件で開国させる ↓ 脱亜論 ↓ ( )戦争 ↓ 日清戦争

    甲午農民

  • 73

    朝鮮 ( ) 全琫準 VS 政府 王様( ):( )政権(新清) ↑ ↑出兵 ↑ 日本は「朝鮮にいる日本人助けないと」←建前

    甲午農民戦争、高宗、閔妃

  • 74

    日本と清は、19世紀末には朝鮮の内政や外交へ干渉 ↓ ( )…東学を信仰する農民が朝鮮政府に反発、武装蜂起 ↓ 朝鮮政府が清に軍隊の派遣を要請 ↓ 日本も朝鮮に派兵 ↓ 日本軍は朝鮮王宮を襲撃して ( )による新政権を樹立 ↓ 日本が朝鮮の内政改革を求める と、清や朝鮮の旧政権関係者は反発を強める

    甲午農民戦争、開化派

  • 75

    甲午農民戦争 政府と和解→全琫準は逮捕! 清 { 帰ろか〜 日本{ こんな絶好のチャンス、このままじゃ征    服できん! ↓ 日本軍は朝鮮の王宮を攻撃・占領し、国王の父大院君の政権を樹立させた 「( )」←絵に書いてある ↓ 8月1日日清双方が宣戦布告し、開戦 ( ) (1894~95年)…当初の主戦場は朝鮮で、朝鮮の人々の生活に多大な被害をもたらす ↓ 東学の農民たちが再蜂起 ↓ 日本軍によって鎮圧 ↓ 戦場はしだいに清の領内に ↓ 日本軍は( )や威海衛などを占領 ↓ 日本優勢のなか、清が講和を申し出る

    大鳥公使大院君護衛ス、日清戦争、旅順

  • 76

    出撃の拠点:( ) ↓ ( )を経由し( )に出兵 ↓ 朝鮮半島を北上し首都である( )・平壌を経て中国領内に進軍 ↓ ( )、続いて( )と二度にわたって海戦 ↓ 旅順を拠点に大連方面と( )の威海衛, ↓ ( )へも進軍している

    広島、下関、朝鮮半島、漢城、豊島沖、黄海、山東半島、台湾

  • 77

    当時の台湾は( )であった。 台湾には広島から佐世保、沖縄を経て

    台湾民主国

  • 78

    ( )(1895年調印)…日清戦争の講和条約 ・朝鮮の独立承認  =清の属国ではない =清の影響力を排除 ・( )・( )・( )の日本への割譲 ・賠償金( )両 ・台湾征服戦争・・・台湾では、清の役人や地元の有力者が台湾民主国を樹立して日本の支配に対抗

    下関条約、遼東半島、台湾、膨湖半島、2億

  • 79

    賠償金は、英ポンド建ての小切手で受 け取り、それを、金塊・金貨・イギリス紙幣にかえて日本に送った。 賠償金の一部で日本は金と紙幣の兌換を可能とする( )を確立した。1円は金0.754gと設定された。

    金本位制

  • 80

    ( )戦争 1895年 ( )設置 1899年 日本によって( )設立 1895~1915年 台湾征服戦争             ↑ 台湾 {やった〜中国負けたから独立できる 日本 {いや支配だぞ ●日清戦争では、死者総数約1万 3500名のうち、約1万2000名が 病死であった。台湾征服戦争で このえしだん は、近衛師団長として指揮をとっ た皇族も、台湾で病没した。

    台湾征服、台湾総督府、台湾銀行

  • 81

    ロシアは、( )の調印に対し、日本の中国東北部進出を警戒 →( )…ロシア・ドイツ・フランスが( )の清への返還を求める →日本は要求に応じ、ひきかえに3000万両を手にする

    下関条約、三国干渉、遼東半島

  • 82

    →日本は要求に応じ、ひきかえに3000万両を手にする ※なぜ、独・仏・露の三国なのか? ・フランスとロシアは( )を結んでいた ・ドイツとロシアは対立関係であったが、ドイツはロシアの意識をアジアに向けさせるこ とでヨーロッパでの対立を回避しようとした。

    露仏同盟

  • 83

    ・清は日本に対する巨額の賠償のため資金調達に苦しむ ↓ 列強から金を借りるのとひきかえに、租 借地や鉄道敷設権などの利権を提供 ↓ 冊封体制は崩壊し、列強による( )が加速

    中国分割