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アフリカの流れ
31問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    ① アフリカ西岸(ギニア湾岸) ・16世紀以来、( )貿易    ポルトガル、スペイン         ↓       オランダ         ↓         ( )

    奴隷、イギリス

  • 2

    ②南アフリカ 1652 ( )東インド会社がケープタウンを建設    =( )植民地・入植オランダ人(( )人) *アフリカ人を制圧し、彼らを奴隷として大農園経営 1806 ( )がケープ植民地を占領→1815正式に承認

    オランダ、ケープ、ブール、イギリス

  • 3

    ③ アルジェリア・チュニジア 1830 ( )がアルジェリアに出兵、占領 1881 ( )がチュニジアを保護国化

    フランス、フランス

  • 4

    ④ エジプト 1877 ( )がスエズ運河会社株式を買収、軍隊駐留 1882 ( )がエジプトを保護国化(事実上)

    イギリス、イギリス

  • 5

    ※19世紀中頃の段階では、アフリカ大陸に関するヨーロッパ人の知識は沿岸部に限られ ており、ヨーロッパ人はアフリカ大陸を「( )大陸」"the Dark Continent"と呼んだ。 ※"dark”には、「暗い」以外に「未開の」という意味がある。 ・アフリカは「暗黒大陸」か? ・「ヨーロッパ諸国が植民地にする前のアフリカ大陸は、全てが原始的 な生活を営む未開の人々が住む世界であった」というのは( )である。

    暗黒、誤解

  • 6

    ・アフリカ大陸には、繁栄した王国がいくつも存在した。その1つが西アフリカの( ) (13~17世紀)である。 15世紀末、この王国の都トン ブクトゥを訪れたアラブ人の旅行者は、「多くの医師、裁判官、聖職者、 学者が王の経費により惜しみない援助を受け維持されている」と書き記し、トンブクトゥを賞賛している。 トンブクトゥは商業と知識の中心となり、 アフリカへのイスラーム布教の拠点となった。当時、( )には100以上の学校、25,000人の学生がいたという。 ( )・・・13~17世紀、西アフリカのニジェール川上流からセネガル川流域を支配した黒人王国でイスラーム国家。 一回でいいよ

    マリ王国

  • 7

    アフリカの分割 ( ) や ( )らの探検で、アフリカの姿が明らかに →資源や農地に富む

    リヴィングストン、スタンリー

  • 8

    リヴィングストン( )←国 ・宣教師、探検家 1841年、アフリカの内陸部を探検。( )を発見。 ナイル川の水源調査中に一時消息 不明

    イギリス、ビクトリア瀑布

  • 9

    スタンリー ・イギリス生まれの( )人探検家 リヴィングストンを捜索し、発見

    アメリカ

  • 10

    ( )国王が今後の領有を宣言

    ベルギー

  • 11

    ( )(1884~85年)・・・列強がアフリカ分割に合意 ↓ ( )確認=早い者勝ち ・( )主催 ・アフリカに領土的野心を持っていた14カ国が参加

    ベルリン会議、土地占有権、ビスマルク

  • 12

    アフリカ西岸とはどこ?

    ギニア湾岸

  • 13

    ケープ植民地が正式にイギリス領になったのは、( )会議の( )

    ウィーン、ウィーン議定書

  • 14

    スタンリー リヴィングストンを発見にしたのち( )国王レオポルド2世の命令で( )を探検した ↓ ( )国王が( )領有宣言

    ベルギー、コンゴ盆地、ベルギー、コンゴ

  • 15

    ベルリン会議によりアフリカの土地占有権が互いに承認されたことで ↓ ヨーロッパ諸国のアフリカ進出を( ) 20世紀初め( )完了 ※( )と( )を除く

    加速、アフリカ分割、エチオピア、リベリア

  • 16

    ・イギリスは、ケーブ植民地から北進 →金とダイヤモンドをめぐる ( )に勝利 →( )を成立

    南アフリカ戦争、南アフリカ連邦

  • 17

    ・フランスは、アルジェリアから東進して東スーダンまですすむ →( )…エジプトから南下していた( )と1898年に衝突 →( )ひきいるドイツが進出→英仏は( )をむすぶ

    ファショダ事件、イギリス、ヴィルヘルム2世、英仏協商

  • 18

    ・1880年代から1910年ころまでに、( )と ( )をのぞき、アフリカ大陸は列強により分割

    エチオピア、リベリア

  • 19

    イギリス ・エジプトから南下 ( )に侵入 ↓ ( )勃発 ・ケープ植民地から北上 1867 ( )鉱脈発見 1886 ( )の鉱脈発見 1890 ( )がケープ植民地の首相になる ケープタウンーカイローカルカッタ (インド) →( ) 1899~1902( ) 1910 ( )成立 →( ) 実施

    スーダン、マフディーの乱、ダイヤモンド、金、セシル=ローズ、3C政策、南アフリカ戦争、南アフリカ連邦、アパルトヘイト

  • 20

    マフディーの乱 イギリスの進出に対して、マフディー( )と称する( )の宗教指導者のもと諸部族が結集し、10年以上も勢力を維持した。こうした抵抗 の経験が、1920年代以降の独立運動の基盤となった。

    救世主、イスラーム

  • 21

    フランス ・アルジェリアからサハラ砂漠を東進 1881( )を保護国化 1890年代 ( )に進出 ・ジブチに港を建設 サハラを結ぼうとする 1898年 ( )事件こののち、モロッコに進出 ↓ ドイツと対立 ↓ 1904年( )

    ナイジェリア、サハラ、ファショダ、英仏協商

  • 22

    南アフリカ戦争はイギリスと金が取れる( )と、ダイヤモンドが取れる( )のたたかい

    トランスバール共和国、オレンジ自由国

  • 23

    この絵の人物はケープ植民地の首相( )で、彼が 電信線でむすぼうとしている都市は、左足をおいている( )と右足をおく( )である。これはアフリカを縦断するイギリスの植民地政策を示している。 また、銃を背にしている姿は( )主義期の武力侵略を暗示している。 彼の退任後、イギリス は金とダイヤモンドの支配をめぐる( )戦争に勝利し、オランダ系移民の子孫( )人のたてた国を併せ、南アフリカ連邦を成立させた。

    セシル=ローズ、カイロ、ケープタウン、帝国、南アフリカ、ブール

  • 24

    ファショダ事件 ( )VS( ) フランスはサハラからジプチをめざししていた。200名の兵士(武装探検隊)がスーダンに入り、ファショダ村(現在南スーダン)にフランス国旗を掲げた。これに対し、イギリスは直ちに軍隊を派遣、ファショダのフランス軍を包囲し、撤退か戦争かを迫った。 [結果]この時期、フランス軍は国民の信頼を失っており、国民の支持を得られないと判断したフランス は撤退を決断した。

    イギリス、フランス

  • 25

    ドイツ外交の転換 ・1890年 ビスマルク辞任=フランスの孤立化やめる ヴィルヘルム2世は積極的に帝国主義政策を推進 ・アフリカにも進出を図る →( )・南西アフリカ(現( ))・東アフリカ(現( )) ・( )にも進出を図る →1904年 英仏協商でイギリスがフランスに対してモロッコにおける優越権を承認 →1905年第1次モロッコ事件 ヴィルヘルム2世がモロッコを訪問し、フランスの進出を止めようをしたが挫折 →1906年 第2次モロッコ事件 モロッコの内乱に乗じてドイツが出兵したが、イギリスがフランスを支持して挫折

    カメルーン、ナミビア、タンザニア、モロッコ

  • 26

    イタリア 1880年代 エリトリア、ソマリランドに進出      ↓    ( )に侵入 1896 アドワの戦い   イタリアVS( ) 失敗 1911 イタリア・トルコ戦争   イタリアVS( ) 1912 イタリアが( )を獲得

    エチオピア、エチオピア、オスマン帝国、リビア

  • 27

    太平洋の分割 19世紀 イギリスが、オーストラリアでは先住民( )(アボリジニ)を圧迫 →ニュージーランドでは( )の抵抗をおさえ開拓 アメリカは( )を併合(1898年) アメリカ=スペイン戦争に勝利→( )を事実上の保護領、フィリピン・グアム・プエルトリコを支配下に

    アボリジナル、マオリ、ハワイ、キューバ

  • 28

    マオリはイギリスの植民者によって( )生産の( )経済に陥った

    羊毛、モノカルチャー

  • 29

    ハワイ ・1810年 ( )ハワイ王国樹立 ・アメリカから( )のプラン テーションが進出 ・1893年 ハワイのアメリカ人 がアメリカ海兵隊の支援を受け て、王国をたおし、( )樹立。 ・1897年 アメリカに併合

    カメハメハ1世、サトウキビ、ハワイ共和国

  • 30

    ハワイ王国最後の女王 ( ) 列強の進出 に対抗してきたハワイ王たちの後を継ぎ、 1891年に即位した。アメリカの製糖業者らのクーデタ (1893年)を契機に退位させられた後も、このひととその支持者たちは、 女王の復権を求めて活動を続けた。日本でも愛唱される「( )」のほかにハワイ王国国歌 などもつくったこの人は、ハワイの文化的・社会的象徴として記憶されている。

    リリウオカラニ、ハワイ=オエ

  • 31

    19世紀末~20世紀の アメリカ ・フロンティアの消滅=海外進出の本格化 ・イギリスを抜いて世界最大の工業国となる ・1889年 パン=アメリカ会議…中南米へ影響拡大 ・1895年 スペイン領( )で独立戦争勃発 1898年 ( )戦争 主戦場: キューバ・フィリピン ① キューバ独立 ②( ) ( )をアメリカへ割譲 ③ ( )のアメリカへの譲渡 アメリカが初めて海外領土を獲得。 太平洋地域に影響力を拡大 ・1898年 ( )併合 ・1899年 中国に関して、門戸開放宣言(ジョン=ヘイ) ・20C初め セオドア=ローズヴェルト大統領の棍棒外交 =1903年 パナマ領有  1914年 ( )運河開通

    キューバ、アメリカ=スペイン、プエルトリコ、グアム、フィリピン、ハワイ、パナマ

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    ① アフリカ西岸(ギニア湾岸) ・16世紀以来、( )貿易    ポルトガル、スペイン         ↓       オランダ         ↓         ( )

    奴隷、イギリス

  • 2

    ②南アフリカ 1652 ( )東インド会社がケープタウンを建設    =( )植民地・入植オランダ人(( )人) *アフリカ人を制圧し、彼らを奴隷として大農園経営 1806 ( )がケープ植民地を占領→1815正式に承認

    オランダ、ケープ、ブール、イギリス

  • 3

    ③ アルジェリア・チュニジア 1830 ( )がアルジェリアに出兵、占領 1881 ( )がチュニジアを保護国化

    フランス、フランス

  • 4

    ④ エジプト 1877 ( )がスエズ運河会社株式を買収、軍隊駐留 1882 ( )がエジプトを保護国化(事実上)

    イギリス、イギリス

  • 5

    ※19世紀中頃の段階では、アフリカ大陸に関するヨーロッパ人の知識は沿岸部に限られ ており、ヨーロッパ人はアフリカ大陸を「( )大陸」"the Dark Continent"と呼んだ。 ※"dark”には、「暗い」以外に「未開の」という意味がある。 ・アフリカは「暗黒大陸」か? ・「ヨーロッパ諸国が植民地にする前のアフリカ大陸は、全てが原始的 な生活を営む未開の人々が住む世界であった」というのは( )である。

    暗黒、誤解

  • 6

    ・アフリカ大陸には、繁栄した王国がいくつも存在した。その1つが西アフリカの( ) (13~17世紀)である。 15世紀末、この王国の都トン ブクトゥを訪れたアラブ人の旅行者は、「多くの医師、裁判官、聖職者、 学者が王の経費により惜しみない援助を受け維持されている」と書き記し、トンブクトゥを賞賛している。 トンブクトゥは商業と知識の中心となり、 アフリカへのイスラーム布教の拠点となった。当時、( )には100以上の学校、25,000人の学生がいたという。 ( )・・・13~17世紀、西アフリカのニジェール川上流からセネガル川流域を支配した黒人王国でイスラーム国家。 一回でいいよ

    マリ王国

  • 7

    アフリカの分割 ( ) や ( )らの探検で、アフリカの姿が明らかに →資源や農地に富む

    リヴィングストン、スタンリー

  • 8

    リヴィングストン( )←国 ・宣教師、探検家 1841年、アフリカの内陸部を探検。( )を発見。 ナイル川の水源調査中に一時消息 不明

    イギリス、ビクトリア瀑布

  • 9

    スタンリー ・イギリス生まれの( )人探検家 リヴィングストンを捜索し、発見

    アメリカ

  • 10

    ( )国王が今後の領有を宣言

    ベルギー

  • 11

    ( )(1884~85年)・・・列強がアフリカ分割に合意 ↓ ( )確認=早い者勝ち ・( )主催 ・アフリカに領土的野心を持っていた14カ国が参加

    ベルリン会議、土地占有権、ビスマルク

  • 12

    アフリカ西岸とはどこ?

    ギニア湾岸

  • 13

    ケープ植民地が正式にイギリス領になったのは、( )会議の( )

    ウィーン、ウィーン議定書

  • 14

    スタンリー リヴィングストンを発見にしたのち( )国王レオポルド2世の命令で( )を探検した ↓ ( )国王が( )領有宣言

    ベルギー、コンゴ盆地、ベルギー、コンゴ

  • 15

    ベルリン会議によりアフリカの土地占有権が互いに承認されたことで ↓ ヨーロッパ諸国のアフリカ進出を( ) 20世紀初め( )完了 ※( )と( )を除く

    加速、アフリカ分割、エチオピア、リベリア

  • 16

    ・イギリスは、ケーブ植民地から北進 →金とダイヤモンドをめぐる ( )に勝利 →( )を成立

    南アフリカ戦争、南アフリカ連邦

  • 17

    ・フランスは、アルジェリアから東進して東スーダンまですすむ →( )…エジプトから南下していた( )と1898年に衝突 →( )ひきいるドイツが進出→英仏は( )をむすぶ

    ファショダ事件、イギリス、ヴィルヘルム2世、英仏協商

  • 18

    ・1880年代から1910年ころまでに、( )と ( )をのぞき、アフリカ大陸は列強により分割

    エチオピア、リベリア

  • 19

    イギリス ・エジプトから南下 ( )に侵入 ↓ ( )勃発 ・ケープ植民地から北上 1867 ( )鉱脈発見 1886 ( )の鉱脈発見 1890 ( )がケープ植民地の首相になる ケープタウンーカイローカルカッタ (インド) →( ) 1899~1902( ) 1910 ( )成立 →( ) 実施

    スーダン、マフディーの乱、ダイヤモンド、金、セシル=ローズ、3C政策、南アフリカ戦争、南アフリカ連邦、アパルトヘイト

  • 20

    マフディーの乱 イギリスの進出に対して、マフディー( )と称する( )の宗教指導者のもと諸部族が結集し、10年以上も勢力を維持した。こうした抵抗 の経験が、1920年代以降の独立運動の基盤となった。

    救世主、イスラーム

  • 21

    フランス ・アルジェリアからサハラ砂漠を東進 1881( )を保護国化 1890年代 ( )に進出 ・ジブチに港を建設 サハラを結ぼうとする 1898年 ( )事件こののち、モロッコに進出 ↓ ドイツと対立 ↓ 1904年( )

    ナイジェリア、サハラ、ファショダ、英仏協商

  • 22

    南アフリカ戦争はイギリスと金が取れる( )と、ダイヤモンドが取れる( )のたたかい

    トランスバール共和国、オレンジ自由国

  • 23

    この絵の人物はケープ植民地の首相( )で、彼が 電信線でむすぼうとしている都市は、左足をおいている( )と右足をおく( )である。これはアフリカを縦断するイギリスの植民地政策を示している。 また、銃を背にしている姿は( )主義期の武力侵略を暗示している。 彼の退任後、イギリス は金とダイヤモンドの支配をめぐる( )戦争に勝利し、オランダ系移民の子孫( )人のたてた国を併せ、南アフリカ連邦を成立させた。

    セシル=ローズ、カイロ、ケープタウン、帝国、南アフリカ、ブール

  • 24

    ファショダ事件 ( )VS( ) フランスはサハラからジプチをめざししていた。200名の兵士(武装探検隊)がスーダンに入り、ファショダ村(現在南スーダン)にフランス国旗を掲げた。これに対し、イギリスは直ちに軍隊を派遣、ファショダのフランス軍を包囲し、撤退か戦争かを迫った。 [結果]この時期、フランス軍は国民の信頼を失っており、国民の支持を得られないと判断したフランス は撤退を決断した。

    イギリス、フランス

  • 25

    ドイツ外交の転換 ・1890年 ビスマルク辞任=フランスの孤立化やめる ヴィルヘルム2世は積極的に帝国主義政策を推進 ・アフリカにも進出を図る →( )・南西アフリカ(現( ))・東アフリカ(現( )) ・( )にも進出を図る →1904年 英仏協商でイギリスがフランスに対してモロッコにおける優越権を承認 →1905年第1次モロッコ事件 ヴィルヘルム2世がモロッコを訪問し、フランスの進出を止めようをしたが挫折 →1906年 第2次モロッコ事件 モロッコの内乱に乗じてドイツが出兵したが、イギリスがフランスを支持して挫折

    カメルーン、ナミビア、タンザニア、モロッコ

  • 26

    イタリア 1880年代 エリトリア、ソマリランドに進出      ↓    ( )に侵入 1896 アドワの戦い   イタリアVS( ) 失敗 1911 イタリア・トルコ戦争   イタリアVS( ) 1912 イタリアが( )を獲得

    エチオピア、エチオピア、オスマン帝国、リビア

  • 27

    太平洋の分割 19世紀 イギリスが、オーストラリアでは先住民( )(アボリジニ)を圧迫 →ニュージーランドでは( )の抵抗をおさえ開拓 アメリカは( )を併合(1898年) アメリカ=スペイン戦争に勝利→( )を事実上の保護領、フィリピン・グアム・プエルトリコを支配下に

    アボリジナル、マオリ、ハワイ、キューバ

  • 28

    マオリはイギリスの植民者によって( )生産の( )経済に陥った

    羊毛、モノカルチャー

  • 29

    ハワイ ・1810年 ( )ハワイ王国樹立 ・アメリカから( )のプラン テーションが進出 ・1893年 ハワイのアメリカ人 がアメリカ海兵隊の支援を受け て、王国をたおし、( )樹立。 ・1897年 アメリカに併合

    カメハメハ1世、サトウキビ、ハワイ共和国

  • 30

    ハワイ王国最後の女王 ( ) 列強の進出 に対抗してきたハワイ王たちの後を継ぎ、 1891年に即位した。アメリカの製糖業者らのクーデタ (1893年)を契機に退位させられた後も、このひととその支持者たちは、 女王の復権を求めて活動を続けた。日本でも愛唱される「( )」のほかにハワイ王国国歌 などもつくったこの人は、ハワイの文化的・社会的象徴として記憶されている。

    リリウオカラニ、ハワイ=オエ

  • 31

    19世紀末~20世紀の アメリカ ・フロンティアの消滅=海外進出の本格化 ・イギリスを抜いて世界最大の工業国となる ・1889年 パン=アメリカ会議…中南米へ影響拡大 ・1895年 スペイン領( )で独立戦争勃発 1898年 ( )戦争 主戦場: キューバ・フィリピン ① キューバ独立 ②( ) ( )をアメリカへ割譲 ③ ( )のアメリカへの譲渡 アメリカが初めて海外領土を獲得。 太平洋地域に影響力を拡大 ・1898年 ( )併合 ・1899年 中国に関して、門戸開放宣言(ジョン=ヘイ) ・20C初め セオドア=ローズヴェルト大統領の棍棒外交 =1903年 パナマ領有  1914年 ( )運河開通

    キューバ、アメリカ=スペイン、プエルトリコ、グアム、フィリピン、ハワイ、パナマ