問題一覧
1
産業革命で近代化した各国 No. 1 ( ) No. 2 ( ) … オーストリア=ハンガリー帝国
イギリス、フランス
2
20世紀 ドイツ ①( )…戦争ではなく外交によって( )を図る
ビスマルク、フランスの孤立化
3
ドイツ ①ビスマルク 1873( )と( )と( )を結ぶ
ロシア、オーストリア、三帝同盟
4
ドイツ ①ビスマルク 1882 ( )と( )と( )をむすぶ
イタリア、オーストリア、三国同盟
5
三帝同盟が解消 ↓ ドイツのビスマルクは ロシアとフランスが結ぶことを恐れ ( )を結ぶ
再保障条約
6
19世紀後半のイギリスの外交政策 →( )
光栄ある孤立
7
1877 ( )戦争 →サン=ステファノ条約→二つの海峡の通行禁止 ↓ ロシアは( )に進出 ↓ ロシアと( )の対立
ロシア=トルコ、バルカン半島、オーストリア
8
1878 ベルリン会議 ビスマルク主宰 →ベルリン条約 →ロシアのバルカン半島進出(南下政策)挫折 ロシア→オーストリアが憎い(アレクサンドル2世) 1879 ロシアが( )から脱退
三帝同盟
9
1882 イタリアが独墺同盟に加入→( )結成 ※イタリアはフランスがイタリアの対岸のチュニジアに進出したことに反発し、同盟に加わった しかし、ビスマルクは不安であった フランスとロシアが手を組んだらやばい!
三国同盟
10
1887 ドイツとロシアが( )締結 この条約はオーストリアに秘密にされた( )
再保障条約、秘密条約
11
1888 ドイツで( )が即位
ヴィルヘルム2世
12
1890 ( )が失脚 ↓ ヴィルヘルム2世がロシアとの再保障条約を( ) ↓ 1894( )結成
ビスマルク、解消、露仏同盟
13
1894年日本では?
日清戦争
14
ヴィルヘルム2世な( )を行う
世界政策
15
3B政策 ( )→( )→( )
ベルリン、ビザンチウム、バグダッド
16
ドイツのヴィルヘルム2世による積極的な膨張政策は、アメリカでは( )との関係悪化、バルカン半島では( )との関係悪化を引き起こした。
フランス、ロシア
17
ドイツのヴィルヘルム2世による3B政策をはかり、イギリスの( )と厳しく対立
3C政策
18
1902 イギリスは日本と( )をむすぶ
日英同盟
19
( )1904…アフリカ分割をめぐるVSドイツのイギリスとフランスの協定
英仏協商
20
イギリス、フランス、ロシア間の条約 1894年 ( ) 190( )年 ( ) 190( )年 ( )
露仏同盟、4、英仏協商、7、英露協商
21
1907 ( )結成 イラン北部をロシア、東部をイギリスの勢力範囲とするなどで合意
英露協商
22
ドイツ、イタリア、オーストリアは? ( )年 ( ) またドイツは( )で中東に進出
1882、三国同盟、3B政策
23
なぜ、イギリスは「光栄ある孤立」を放棄して英仏協商、英露協商を結んだ?
イギリスにとってドイツが最大の脅威になったから
24
イギリスが光栄ある孤立を放棄した時(1900年代)の鉄鋼生産量トップ3を順番に答えて
アメリカ、ドイツ、イギリス
25
バルカン半島自体が原因というよりも、それがきっかけとなって列強同士の争いが引き起こされたのであって、本当の「火薬庫」は( )にあった。その意味では、バルカン半島は「( )」という表現がより正しい
列強同士の争い、ヨーロッパの導火線
26
ベルリン条約(1878) ・バルカン半島に関する部分 ①( )、( )、( )の独立 ②( )は領土を縮小し、オスマン帝国を宗主国とする自治国とする。1908年に独立。 ③( )はオスマン帝国領とするが、オーストリアが統治する
ルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ
27
1908 ( )で( )が勃発 ↓ ↓革命の混乱に乗じて( )を推進する( )の指示を↓受けて 1908 オーストリアが( )を併合(10月) ↓ ↓ 1912 ( )結成(5月)
オスマン帝国、青年トルコ人革命、パン=ゲルマン主義、ドイツ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、バルカン同盟
28
バルカン同盟 セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシャ、 オーストリアのバルカン半島への進出阻止とオスマン帝国領の獲得を目的とした。( )の立場から、( )が支援 オスマン帝国からの離脱を目的とする
パン=スラブ主義、ロシア
29
1912 ( )勃発(10月) ( )同盟 VS ( ) ↑ ( )が支援 勝ったのは( )
第1次バルカン戦争、バルカン、オスマン帝国、ロシア、バルカン同盟
30
第1次バルカン戦争が始まった時、オスマン帝国はリビアをめぐり( )と戦争をしていた。これに乗じてバルカン半島がオスマン帝国に戦争を仕掛けた
イタリア
31
1912 第一次バルカン戦争 1913 ( )締結(5月) ①オスマン帝国は首都イスタンブル周辺を除く、バルカン半島の領土およびクレタ島を失う。 ※オスマン帝国からえた領土の大部分はセルビアとギリシアが獲得 ↓ ( )が強い不満 ②アルバニアの独立
ロンドン条約、ブルガリア
32
1913 ( )勃発(六月) ( ) VS ( )・( ) ↑ ( )が支援 勝ったのは( )・( )
第2次バルカン戦争、ブルガリア、ギリシア、セルビア、ロシア、ギリシア、セルビア
33
第2次バルカン半島 ↓ ブルガリアが第一次バルカン戦争で得た領土を失う ↓ 失地回復を目指し、ブルガリアとオスマン帝国が( )・オーストリアに接近 2度のバルカン戦争でロシアとセルビアの結束が強化
ドイツ
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連合国(協商国) ( )か国 フランス、イギリス、ロシア、イタリア、( )、 アメリカ、ルーマニア、ベルギー、ギリシア、ポルトガル、モンテネグロ、セルビア、アンドラ、タイ、キューバ、ニカラグア、パナマ、ボリビア、( )、ブラジル、エクアドル、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、リベリア、ペルー 、ノルグアイ 同盟国 ( )カ国 ドイツ帝国 オーストリア=ハンガリー帝国 (オスマン) 帝国 (ブルガリア)
27、日本、中華民国、4
35
同盟国4カ国答えて
ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア
36
第一次世界大戦における戦死者 フランス、ロシア、アメリカ、日本に当てはまるものをそれぞれ①から④から選べ ①415人 ②10万人 ③150万人 ④200万人
③、④、②、①
37
第一次世界大戦でドイツの戦死者は何人?
200万
38
戦争犠牲者が膨大になった原因は? ①戦争の( ) ②新兵器の登場 ④工場が狙われたため、( )も標的
長期化、市民
39
第一次世界大戦で登場した新兵器を答えよ五つ
機関銃、戦車、飛行機、毒ガス、潜水艦
40
以前の戦争は 軍隊×軍隊 出会ったのに対して WW1は 国家の総力×国家の総力 ( ) 軍事力、経済力、科学技術、メディア、( )の人々
総力戦、植民地
41
ロシア:パン=( )主義 ドイツ:パン=( )主義
スラヴ、ゲルマン
42
( )年6月28日 ( )事件勃発 オーストリア=ハンガリー帝国の定位継承者( )太公がセルビア人の( )に殺される
1914、サライェヴォ、フランツ=フェルディナント、ガブリロ=プリンツィプ
43
1914 6/28 サライェヴォ事件 7/28 ( )が( )に宣戦布告 7/29 ( )がセルビア支持を表明 8/1 オーストリアとの同盟に基づき、 ( )がロシアに宣戦布告 ※ドイツはフランスには中立を求めた が、フランスはこれを拒否 8/3 ドイツが( )に宣戦布告 イタリアが中立を宣言 8/4 ドイツがベルギーに侵攻 →( )がドイツに宣戦布告 8/23( )に基づき日本がドイツに宣戦布告
オーストリア、セルビア、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、日英同盟
44
8/26 タンネンベルクの戦い ドイツVSロシア ( ) 9/5 マルヌの戦い ドイツVSフランスイギリス ( )
東部戦線、西部戦線
45
マルヌの戦い *ドイツはここでフランス軍を撃破し、一挙にパリを占領する計画であったが、フランス軍の必死の抵抗にあい、戦争は膠着状態に陥った。この戦いにおける砲弾の消費量は日露戦争の 全消費量に匹敵した。この戦いの後、両軍は一進一退を繰り返し、戦争は長期戦となった。(ドイツの誤算) →( )
塹壕戦
46
2年目 1915 2月 連合国によるドイツに対する 海上封鎖 開始 4/26 ( )締結(英・仏・露・伊) ※オーストリア領の「( )」をイタリア領とすることを密約 ↓ 5/3 ( )が三国同盟を破棄、連合国側につき参戦(8/28)
ロンドン秘密協定、未回収のイタリア、イタリア
47
この写真はどこの国のなんというところで撮られたもの?
フランス、ヴェルダン
48
未回収のイタリアは?
南チロル、トリエステ
49
1916 7/1 ソンムの戦い(フランス領内) ドイツVSイギリスフランス *第一次世界大戦における最大の会戦。最終的に両軍合わせて100万人以上の死傷者を出した が、膠着状態は続いた。この戦いで初めて( )が登場した。
戦車
50
1917 2/1 ドイツが( )を開始 ※警告なしに敵国・( )の船舶を攻撃 →( )がドイツに宣戦布告 3/8 ロシアで( )勃発 史上初の社会主義革命
無制限潜水艦作戦、中立国、アメリカ、二月革命
51
1918 1/8 ウィルソン米大統領が「( )」を発表 3/3 ドイツとロシアが( )を締結し、講和 (ロシアが戦争から離脱)
14か条の平和原則、ブレスト=リトフスク条約
52
1918 1/8 ウィルソン米大統領が「14か条の平和原則」を発表 3/3 ドイツとロシアがブレスト=リトフスク条約を締結し、講和 (ロシアが戦争から離脱) 9/27 ( )が降伏 10/30 ( )が降伏 ↑国土の大半が連合国によって占領 ( )で革命が勃発し、臨時政府が成立。 連合国と休戦条約に署名 ( )「最後のオーストリア皇帝」
ブルガリア、オスマン帝国、オーストリア、カール1世
53
1918 11/3 ( )で革命が勃発 ( )軍港でイギリス艦隊への攻撃を命じられた水兵が命令を拒否して反乱を起こした。 これをきっかけに、戦争終結と帝政打倒をめざす革命運動がドイツ全土に拡大し、首都ベルリンでも労働者がゼネラル・ストライキを実行した。 11月9日に( )が樹立され、( )は( )の樹立を宣言した。その翌日、皇帝( )が( )に亡命し た。 11月( )日、臨時政府が連合国との休戦条約に署名し、第一次 世界大戦が終結した。
ドイツ、キール、臨時政府、臨時政府、共和政、ヴィルヘルム2世、オランダ、11
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戦争後の世界を大きく変えた戦争 1) 政府への不満 → 革命勃発 1917 ( ) 革命⇒ 世界初の社会主義政権 1918 ( )革命 第一次世界大戦終結 →ヴァイマール(ワイマール)共和国 1922 ( )革命⇒ オスマン帝国滅亡 2)( )・( )の政治参加要求の活発化 1918 イギリスで男子の( )選挙と( ) 参政権 ( )が実現 ※男女普通選挙は1928年 1919 ドイツで男女普通選挙実施 1920 アメリル、女性参政権が保障
ロシア、ドイツ、トルコ、労働者、女性、普通、女性
55
戦争後の世界を大きく変えた戦争 ③ ( )の独立運動の活発化 1919 ( )で非暴力・不服従(サティヤーグラハ)運動が開始 1919 ( )でワフド党の独立運動が開始 4( )観の変化と( )体制の成立 「戦争は政治の延長」 (外交で解決しない時は、戦争で解決) ↓ 1920 ( )発足 「戦争による解決をおこなわないこと」 (国際連盟規約) 戦争は悪だ !!
植民地、インド、エジプト、戦争、集団安全保障、国際連盟
56
史料> 一は英国からの依頼に基く同盟の情宜=( )と、一は帝国がこの機会に独逸の根拠地を東洋から一掃して、国際上に一段と地位を高めるの利益=( )との二点から参戦を断交する のが機宜の良策と信ずる。
日英同盟、日本の中国進出
57
日本の参戦を言ったのはだれ?
加藤高明
58
第一次世界大戦時 日本 総理大臣:( ) 外務大臣:( )
大隈重信、加藤高明
59
日本の参戦目的 …東洋のドイツ領への進出 =( )・ドイツ領南洋諸島 ・さらに、中国への進出を目指す 1915年 中国の袁世凱政府に( )を突きつける [内容] ・山東省のドイツ権益を日本が継承する ・旅順、大連の租借と南満州鉄道の権益の 99か年延長 ・中国政府への日本人顧問の採用=撤回
山東省の青島、二十一か条の要求
60
1916 日本の( )内閣が中国政府への巨額の借隷 こうした動きにアメリカは反発 ↓ 1917 ( )締結
寺内正毅、石井・ライジング協定
61
石井・ライジング協定は( )、( )を
門戸開放、機会均等
62
中国において、9月7日は?
国恥記念日
63
産業革命 1780 ( ) 1830 ( ) 1860-70 ( ) 1880 ( )
イギリス、フランス、ドイツ、日本
64
ロシアはヨーロッパの中で経済的に遅れた国であったが 1880年代 ( )による工業化の進行 ↓ 労働運動や社会主義運動の勃興 ※劣悪な労働条件(低賃金・長時間労働) * ※社会主義政党である( )結成(1898)
産業革命、ロシア社会民主労働党
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ロシア社会民主労働党 1898年に結成されたロシア最初の社会主義政党。しかし、結成と同時に非合法とされ、メンバーのほとんどが 逮捕された。 1903年の第2回党大会 (ロンドン)で2つのグループに分裂した ( ) (多数派) ( )が指導者 のちの( ) ( ) (少数派)
ボリシェヴィキ、レーニン、ロシア共産党、メンシェヴィキ
66
1904/02/08 ( )勃発 ↓ ↓ 国民生活悪化 ↓ 1905/01/22 僧侶ガボンの呼びかけでロシアの首都( )で、 労働者保護や戦争中止を皇帝に請願する デモ行進(参加者6万人) ↓ ↓ ( ) ↓ ↓ 死傷者1000人以上 ↓ ( )の勃発 ロシア各地の都市で皇帝専制政治打倒を掲げてストライキが発生(参加者200万人) ・労働運動を指導する( ) ※会議の意味 が各地で組織される ・ロシア各地の農村で、小作料の低減を掲げて反乱が続発 ・戦艦( )で水兵の反乱が勃発
日露戦争、ペテルブルク、血の日曜日事件、ロシア第一革命、ソヴィエト、ポチョムキン
67
ロシア第一革命 ↓ ニコライ2世は戦争を終わらせ(1905/09/05) ( )発布と( )開設を約束(1905/10/30)
憲法、国会
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日露戦争 ↓ 血の日曜日事件 ↓ ロシア第一革命 ↓ 皇帝( )は日本と講和
ニコライ2世
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ロシアの革命の舞台 1703 ペテルブルク建設 (ピョートル1世) 1713 ペテルブルクに遷都「西欧への窓」 1914 7月 ( )に改名 1917 ロシア革命勃発 1918 ( )に遷都 1924 レーニン没、レニングラードに改名 1991 ソ連崩壊 ペテルブルク(サンクトペテルブルク) に改名
ペトログラード、モスクワ
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戦争の長期化(ロシア国内が戦場、農村の荒廃、食料の不足など) ↓ 1917/03/08 (1917/02/23 *ユリウス暦) ( )で大規模な労働者のデモ・ストライキが発生 ——————————————————- ПРИБАВКУ ПАЙКА СЕМЬЯМІ СОЛДАТЬ ЗАЩИТНИКАМ СВОЕВАМ И НАРОДНОГО Mira,ПРИБАВК СЕМЬЯМЬ ЗАЩИТНИКЛИТ 「子どもたちは飢えている。 パンをよこせ! 戦争をやめろ!」 ——————————————————- ↑二月革命初日のストライキ (1917年3月8日) 第一次世界大戦の長期化を背景に、大規模なデモやストライキが首都ベトログラードをおおい、帝政の終焉につながった。
ペトログラード
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首都防衛軍の( )が革命中の労働者に合流 デモ隊の側についた兵士たち ↓ ↓ もうダメだ。兵士や貴族までが革命 の側に↓つきやがった!!! ↓ 1917/03/15 ニコライ2世が( ) ※ニコライは自分が退位し、弟のミハイルに帝位を譲ることによって、事態の鎮静化を図ろうとした。ところがミハイルは皇帝に即位することを拒否した。 ⇒ ( )1613~1917滅亡 国会の多数派(貴族・ブルジョワジー)によって新憲法制 定のための( )が成立
兵士、退位、ロマノフ朝、臨時政府
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これの題名は?何年のもの?
ボリシェヴィク、1920
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ロシア 二月革命(ニコライ2世が退位し臨時政府が憲法、議会開くよーたぶん)の後 臨時政府 自由主義者が中心 資本家・地主が支持 戦争の( )が方針 ↑ ↑反対 ↑ ( ) 労働者・兵士が支持 戦争の( )を主張
継続、ボリシェヴィキ、停止
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1917 4/16 ( )に亡命していたボリシェヴィキの指導者 ( ) が( )と交渉してロシアに帰国 戦争の( )を呼びかける
スイス、レーニン、ドイツ政府、即時停止
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1917/7/1~19 東部戦線でロシア軍とドイツ軍の激戦 ロシア側に4万人の犠牲者 ↓ ↓ 臨時政府は戦争継続の方針を変えず ↓ 臨時政府に対する支持⤵︎ ボリシェヴィキに対する支持⤴︎ ↓ 臨時政府を倒さなければ、犠牲は増えるばかりだ…レーニン ↓ 1917/11/07 (10/25 *ロシア暦) ( )勃発 レーニンの呼びかけでボリシェヴィキ派の兵士・労働者3万人が武装蜂起 臨時政府が置かれた冬宮(冬の宮殿)を襲撃し、閣僚を逮捕し、臨時政府を打倒 ↓ 史上初の( )政権( )が樹立
十月革命、社会主義、ソヴィエト政府
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史上初の社会主義政権(ソヴィエト政府) ① ( )に関する布告・・・ 地主の所有地の即時没 収を宣言 ※人口の大部分を占める( )の支持を得るために ② ( )に関する布告・・・ 全世界に向けて戦争の即時停止を呼びかけた ※諸外国はこれを( )
土地、農民、平和、無視
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【補足】レーニンの誤算 革命政府樹立後、レーニンらボリシェヴィキの指導者たちは、 ロシアに続いてドイツなどの西ヨーロッパ諸国でも社会主義 革命が起きることを確信していた。 産業の発達した西ヨーロッパ諸国で社会主義体制が樹立され、それらの国と協力しあってロシアの( )も可能になると考えていた。(最も遅れたロシアー国で社会主義社会を建設するのは無理だ。レーニン自身、自分が生きている間にロシアで社会主義革命が起 こるとは1917年以前は考えていなかったという。) しかし、ドイツなどの他の国で社会主義革命は起きなかった。 その結果、ロシアー国だけで社会主義建設をおこなわざるを得なくなった。(『なぜがわかる世界史』より、一部改変)
社会主義建設
78
1917/11/25 もう1つの誤算 ロシア初の普通選挙実施 (憲法制定議会議員選挙) ※ボリシェヴィキが第( )党、社会革命党(エスエル)が第( )党 ↑( )の党 ↓ 1918/01/18憲法制定議会が開会 ↓ 1918/01/191ボリシェヴィキが兵士を動員し、憲法制定議会を( ) ↓ ↓ 革命を守るためには独裁が必要だ! ↓ ボリシェヴィキの( )体制
2、1、メンシェヴィキ、解散、独裁
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【ボリシェヴィキ(ソヴィエト政府)にとっての3つの敵】 ① ドイツ 1918/03/03( )条約締結 戦争終結を最優先したレー ニンは、不利な条件でドイツを単独講和した。
ブレスト=リトフスク
80
②国内の( )勢力 「土地に関する布告」で土地が奪われた地主などの革命に反対する国内の勢力が反革命軍( )軍を組織。←革命派の赤に対抗
反革命、白
81
③諸外国( )、( )、( )、( ) 革命に反感を抱き、自国に革命運動が波及することを恐れた諸国は、ロシアに派兵し、反革命軍を支援した。 ( )( )
イギリス、フランス、アメリカ、日本、対ソ干渉戦争、シベリア出兵
82
②国内の反革命勢力 と ③諸外国 が協力し、 VS ソビエト政府側( )軍 ソヴィエト政府は、( )(穀物の強制徴発、企業の国有化など)を採用し反革命勢力や外国と戦った。人口の大部分を占める( )の多くは、地主制の復活を恐れて政府を支持したので、ソヴィエト政府は 1920 年末までに内戦や干渉戦争に勝利できた。
赤、戦時共産主義、農民
83
( ) 「共産主義インターナショナル」 (Communist International) の略称 1919年3月、ロシア共産党(ボリシェヴィキ)の呼びかけに応じてモスクワに30か国の組織の代表が集まり、創設された 世界各地の革命運動や民族独立運動に対して指導・ 援助をおこなった国際組織である。 ↓ ↓指導・援助 ↓ 1920 ( )共産党結成 1921 ( )共産党結成 1922 ( )共産党結成
コミンテルン、インドネシア、中国、日本
84
1924/1/21レーニン没 ( )と( )の権力闘争 ↑1929 国外追放 1940 メキシコで暗殺
スターリン、トロツキー
85
1922年12月には、ロシア・ウクライナ・白ロシア(現ベラルーシ 共和国)・ザカフカースの4つのソヴィエト社会主義共和国が、( )を結成した。
ソヴィエト社会主義共和国連邦
86
第一次世界大戦後 三つの帝国の消滅 ( )、( )、( )
ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリー
87
ABCの国答えて
フィンランド、エストニア、ラトビア
88
DEFの国答えて
リトアニア、ポーランド、チェコスロヴァキア
89
G Hの国答えて
ハンガリー、ユーゴスラヴィア
90
1922年( )帝国滅の
オスマン
91
1918/11/11第一次世界大戦終結 1919/1/18( )講和会議 開会 ※( )・( )の代表は参加せず 6/28( )条約調印 (連合国-( )) ※ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」で調印式。 9/10 サン=ジェルマン条約調印(連合国ーオーストリア) 11/27 ヌイイ条約調印(連合国ーブルガリア) 1920/1/10 国際連盟発足 ↑ ヴェルサイユ条約第1編 6/04トリアノン条約調印 (連合国-ハンガリー)調印 8/10セーヴル条約調印 (連合国-( ))調月
パリ、敗戦国、ロシア、ヴェルサイユ、ドイツ、オスマン帝国
92
パリ講和会議における三人の主役 ・( )アメリカ 「( )」1918年1月 に基づく理想主義的な主張 ( ) 無賠償(敗戦国に賠償金を課さない) 無併合(敗戦国の領土を削らない)
ウィルソン、十四か条の平和原則、民族自決
93
三人の主役 ・( )イギリス ・( )フランス 「ドイツ人に何もかも払わせてみせる」 「レモンのタネが泣くまでドイツを縛れ」 ドイツが再び自国の脅威にならないように
ロイド=ジョージ、クレマンソー
94
パリ講和会議の結論:「世界大戦の責任は全て( )を中心とする同盟国側にある」
ドイツ
95
ドイツに対する厳しい処分 →( )の強制
ヴェルサイユ条約
96
十四か条の平和原則 ウィルソンの十四か条 (1918年1月) 世界平和の実現のための われわれの考える唯一可能な計画とは、以下のようなものです。 ①( )の廃止 ②( )の自由 ③関税障壁の廃止 ④( )縮小 ⑤植民地問題の公正な調整 ⑥ロシアからの( )とロシア( ) ⑦ベルギーの主権回復 ⑧( )のフランスへの返還 ⑨イタリア国境の再調整 ⑩ オーストリア=ハンガリー諸民族の自治的発展 ①バルカン諸国の独立保障 ②オスマン帝国下の諸民族の自治的発展 ⑬ ポーランドの独立 ④( )の設立
秘密外交、公海、軍備、撤兵、完全独立、アルザス・ロレーヌ、国際連盟
97
ドイツに対する処分1 領土の割譲 ①( )をフランスに割譲 1940/8/7 ドイツが併合 ドイツが取り戻した ②( )をポーランドに割譲 1939/9/1 ドイツがポーランドに侵攻 ③( )(ライン川流域)は非武装地帯(軍備禁止区域)とし、ライン川西岸は連合国が15年間占領する 1936/3/7 ドイツが軍隊を進駐させ、ヴェルサイユ条 約を破棄
アルザス・ロレーヌ、西プロイセン、ラインラント
98
④ ( )は国際連盟の管理下におき15年後に住民投票で帰属を決定
ザール
99
じっくりみたらあかんよ
アルザス・ロレーヌ、西プロイセン、ラインラント
100
ドイツに対する処分 ②すべての( )と海外にもつ権益(権利と利益)を放棄 ドイツが中国の( )に有していた権益(租借権など) は( )に与えられた。 → 中国でヴェルサイユ条約に反発する大規模な民衆運動 (( )運動) → 中華民国は条約の調印を( ) ※ドイツ領南洋諸島(ミクロネシア)は、国際連盟の( )となり、日本が国連の委任を受けて統治した。(事実上の植民地)
植民地、山東半島、日本、五・四、拒否、委任統治領