ログイン

弥生時代

弥生時代
27問 • 1年前
  • 通報

    問題一覧

  • 1

    紀元前6500〜5500年頃 中国大陸 東北地方や黄河中流域でアワやキビ などの①がおこり、南の長江中・下流域でも ②が始まり農耕社会が成立した。 農耕文化は周辺地域に強い影響 →③を経て日本列島にも波及。

    農耕, 稲作, 朝鮮半島

  • 2

    縄文時代が週末を迎えた紀元前8世紀頃、 朝鮮半島に近い①で水田による米づくりが開始され、紀元前5〜4世紀頃に②にも広まった。 北海道と③を除く日本列島で、 ④を基礎とする農耕文化が形成されてから 古墳が作られるようになる3世紀半ばまでを ➄時代と呼び、その文化を⑥と呼んでいる。

    九州北部, 東日本, 南西諸島, 水稲耕作, 弥生, 弥生文化

  • 3

    縄文時代の終わり頃、九州北部にはすでに水稲耕作が行われていたとされる遺跡がある。 それぞれ何遺跡か。 福岡県にある遺跡① 佐賀県にある遺跡②

    板付遺跡, 菜畑遺跡

  • 4

    縄文文化は日本列島全域におよんだが、 弥生文化は北海道や南西諸島には及ばなかった 弥生時代に北海道で継続された文化を① 南西諸島で継続された文化を② 北海道では7世紀以降になると、 ③土器をともなう➂文化が 5世紀以降のオホーツク海沿岸に ④土器をともなうオホーツク文化が成立。 これらは漁労・狩猟・採集に基礎を置く文化

    続縄文文化, 貝塚文化, 擦文, オホーツク式

  • 5

    水稲耕作など多くの文化や技術が中国や朝鮮から伝わった。 穂摘み用具である①、木製農具をつくるための 石斧類などは、朝鮮半島と共通する大陸系の磨製石器。 ②の技術も大陸から伝わった。 銅と錫の合金である③は前期に 鉄器は前期末〜中期初頭に出現するが、 これらの④は中国や朝鮮半島からもたらされた 代表的な道具である。 弥生文化=稲作と④を伴う文化。 北海道や南西諸島では伴っていなかった。

    石包丁, 機織り, 青銅器, 金属器

  • 6

    ①は縄文土器に朝鮮半島からの技術が加わって 生み出された。 矢の先につける②などの打製石器、③の製作技術、竪穴住居など縄文文化の伝統もみられる。 ①の名称はこの様式の土器が 東京の④(現在の文京区)の⑤貝塚で発見されたから。

    弥生土器, 石鏃, 漆製品, 本郷弥生町, 向ヶ丘

  • 7

    弥生時代になり食料生産が始まるとともに、 人々の生活も大きく変化。 この時代の水田は、 三角州などに立地する①や、 自然堤防や段丘上に立地する② 灌漑施設を備えた③などがあった。 稲の育て方としては 最初は④であり後に⑤となった。 地域によってはアワやキビといった⑥が栽培。 農耕と並行して狩猟や漁労も盛んで、 ⑦の飼育が行われていた。

    湿田, 半乾田, 乾田, 直播, 田植え, 雑穀, イノシシ

  • 8

    耕作用の農具は木製の鍬や①が用いられ 収穫は石包丁による②が行われた。 脱穀には③と④が用いられ、 収穫物は⑤や貯蔵穴におさめられた。 木製農具の作製にははじめは 磨製石器であったがしだいに、斧・⑥・刀子 などの鉄製工具が使用されるようになった。 後期には石器の多くが姿を消し、代わって 鉄器が普及し、刃先に鉄器をつけた 鍬や鋤、⑦などによって生産力を高めた。 ⑦による⑧という収穫方法が出てきた。

    鋤, 穂首刈り, 木臼, 竪杵, 高床倉庫, 鉋, 鉄鎌, 根刈り

  • 9

    弥生土器には煮炊き用の① 穀物などを貯蔵するための② 食物を盛る鉢や③からなる。

    甕, 壺形土器, 高杯

  • 10

    人々の住居は縄文時代と同じく①が一般的であったが、集落には②の高床倉庫や③もしだいに多くなった。

    竪穴住居, 掘立柱, 平地式建物

  • 11

    死者は、集落の近くの共同墓地に葬られた。 埋葬方法では、 土に埋める① 木製の棺に遺体を入れ土に埋める② 石で遺体を入れる空間を作り石で蓋をする③ などに④したものが多い。 九州北部では地上に大石を配した⑤や 特製の大型の土器に死者を葬った⑥が見られる 方形の低い⑦のまわりに溝をめぐらした⑧は、 近畿地方や東海・北陸地方などに多く見られ、 東日本では、方形周溝墓が伝わる中期の 中頃まで死者の骨を土器につめた⑨が見られるなど、弥生時代の墓は地域によって違いが著しい。

    土坑墓, 木棺墓, 箱式石棺墓, 伸展葬, 支石墓, 甕棺墓, 墳丘, 方形周溝墓, 再葬墓

  • 12

    甕棺墓の中には、①や青銅製の武器などを副葬したものが見られる。

    中国鏡

  • 13

    弥生時代後期になると西日本の各地に かなり大規模な墳丘をもつ墓が出現した。 円形の墳丘の両端に突出部をもつ①県の② 山陰地方の③はその代表例である。 多量の副葬品をもつ墓や大型の墳丘墓の出現は 集団の中に身分の差が生じ、 各地に有力な支配者が現れたことを示している

    岡山, 楯築墳丘墓, 四隅突出型墳丘墓

  • 14

    集落では、豊かな収穫を祈願し、 収穫を感謝する祭りがおこなわれた。 土器などに①の絵が描かれ、 ②形の木製品がつくられたが、 弥生人は季節ごとに生えかわる ①の角をイネの象徴とし、 ②を現世と死後の世界を往来し イネをもたらす生き物と考えていたのではないかとされている。

    シカ, 鳥

  • 15

    シカの肩甲骨などに①を当てて、 割れ目の入り方で占いをおこなった ②が各地で出土している。 弥生時代の祭りには 釣鐘型の③ 銅剣・④・銅戈などの青銅製祭器が用いられた

    焼け火箸, 卜骨, 銅鐸, 銅矛

  • 16

    ①が副葬品として個人の墓に埋められることは まったくなく 大型化した武器形の青銅製祭器も 副葬品としてはまれであり それらの青銅製祭器は 山腹などにまとめて埋められる場合があった。 山腹に埋められた理由について様々な説がある

    銅鐸

  • 17

    ①県②遺跡では 銅鐸6点 銅矛16本 銅剣358本が埋められていた。 また①県③遺跡では 39点の銅鐸が一括埋納されていた。

    島根, 荒神谷, 加茂岩倉

  • 18

    世界各地で農耕社会が成立するとともに 戦いのための武器や①を備えた集落が出現し、 土地や②、蓄積された余剰生産物をめぐって 戦いが始まったことが知られている。 日本列島でも弥生時代になると、 縄文時代にはまったくといってよいほど みられなかった居住域を溝で囲む➂や 平地との標高の差が40m以上もある④が現れ、 石製や金属製の武器が出現する。

    防御的施設, 水, 環壕集落, 高地性集落

  • 19

    弥生時代中期の ①県②遺跡は4重の濠が集落を囲む。 同じく弥生時代中期の ③県④遺跡は付近の海面との差がおよそ 350mもあり大型の⑤が多量に出土した。 また、弥生時代後期の ⑥,⑦遺跡は丘陵の上に環濠をめぐらした 高地性集落であり いずれも弥生時代を代表する 防御機能をもった集落である。

    奈良, 唐古・鍵, 香川, 紫雲出山, 石鏃, 大阪府, 古曽部・芝谷

  • 20

    弥生時代からは戦いの時代となり、 強力な集落は周辺のいくつかの集落を統合し、 各地に①と呼ばれる 政治的なまとまりが分立していった。 多量の副葬品をもつ甕棺や 大きな墳丘墓の被葬者はこうした小国の ②(首長)であると考えられる。 この小国の分立状況は 中国の歴史書にも記載されている。 1世紀につくられ漢の歴史を述べた➂によると 「倭人」の社会は④余国にわかれ、 ⑤に定期的に朝貢していた。

    クニ, 王, 『漢書』地理志, 100, 楽浪郡

  • 21

    楽浪郡は前漢(漢)の①が 紀元前②年に朝鮮半島においた4郡の1つ。 現在の③付近を中心とした地域と想定され、 中国風の高い文化を誇った。

    武帝, 108, 平壌

  • 22

    内外2重の環濠をめぐらし、 外濠で囲まれた範囲は40haにおよぶ。 また内濠の張り出し部には、①かと思われる 掘立柱の建物跡などがみつかっている。 これは②県③遺跡である。

    望楼, 佐賀, 吉野ケ里

  • 23

    ①によると、57年に倭の②の王の使者が 後漢の都③におもむいて④から印綬を受けた。 江戸時代に⑤県⑥島から発見された⑦が それ(印綬)と考えられている。 107年には倭国王⑧等が ⑨160人を⑩に献じたことが記されている。 これら小国は、銅鏡や⑪など中国や朝鮮半島の 先進的な文物を手に入れるうえで 有利な位置にあり 他の小国より倭国内での立場を高めようとして 中国にまで使いを送ったと考えられる。

    『後漢書』東夷伝, 奴国, 洛陽, 光武帝, 福岡, 志賀, 金印, 帥升, 生口, 安帝, 鉄器

  • 24

    中国大陸では①年に後漢が滅び、 かわって②・呉・蜀が並び立つ③を迎えた。 その三国時代の歴史書『三国志』の④によると 倭国では2世紀の終わり頃大きな争乱がおこり なかなかおさまらなかった。 そこで諸国は共同して⑤国の⑥を女王として 立てたところ、ようやく争乱はおさまり ここに⑤国を中心とする⑦国ばかりの 小国の連合が生まれた。

    220, 魏, 三国時代, 魏志倭人伝, 邪馬台, 卑弥呼, 29

  • 25

    卑弥呼は①年、魏の皇帝に使いを送り、 「②」の称号と金印、多数の③を贈られた。 卑弥呼は④として神の意志を聞くことに たけていたらしく、その呪術的権威を背景に 政治をおこなったという。 邪馬台国では大人と⑤などの身分差があり、 ある程度の統治組織や租税・刑罰の制度も整い ⑥も開かれていた。 卑弥呼は晩年、⑦国と争ったが 247年かその直後に亡くなった。 そののち男の王が立ったが国内がおさまらず、 卑弥呼の宗女(同族の女性)である⑧が王となって ようやくおさまったという。 しかし266年、魏にかわった⑨の都⑩に 倭の女王が使いを送ったのを最後に 以後約150年間、倭国に関する記載は 中国の歴史書から姿を消している。

    239, 親魏倭王, 銅鏡, 巫女, 下戸, 市, 狗奴, 壱与, 晋, 洛陽

  • 26

    邪馬台国の所在地については 近畿地方の大和に求める①と 九州北部に求める②がある。

    近畿説, 九州説

  • 27

    ①県②遺跡は1970年代から発掘調査され、 3〜4世紀の100haにおよぶ 大集落であることがわかった。 2009年に整然と配置された3世紀前半の 大型建物跡が発見され、のちの③の王宮に つながるものとして注目されている。

    奈良, 纏向, ヤマト政権

  • 鎌倉幕府執権・室町幕府将軍・江戸幕府将軍の順番

    鎌倉幕府執権・室町幕府将軍・江戸幕府将軍の順番

    ん · 9問 · 1年前

    鎌倉幕府執権・室町幕府将軍・江戸幕府将軍の順番

    鎌倉幕府執権・室町幕府将軍・江戸幕府将軍の順番

    9問 • 1年前

    英単語

    英単語

    ん · 51問 · 1年前

    英単語

    英単語

    51問 • 1年前

    熟語

    熟語

    ん · 42問 · 1年前

    熟語

    熟語

    42問 • 1年前

    石器時代

    石器時代

    ん · 52問 · 1年前

    石器時代

    石器時代

    52問 • 1年前

    縄文時代

    縄文時代

    ん · 65問 · 1年前

    縄文時代

    縄文時代

    65問 • 1年前

    古墳時代

    古墳時代

    ん · 40問 · 1年前

    古墳時代

    古墳時代

    40問 • 1年前

    飛鳥時代

    飛鳥時代

    ん · 32問 · 1年前

    飛鳥時代

    飛鳥時代

    32問 • 1年前

    大化の改新

    大化の改新

    ん · 48問 · 1年前

    大化の改新

    大化の改新

    48問 • 1年前

    白鳳・天平文化

    白鳳・天平文化

    ん · 59問 · 1年前

    白鳳・天平文化

    白鳳・天平文化

    59問 • 1年前

    律令制

    律令制

    ん · 37問 · 1年前

    律令制

    律令制

    37問 • 1年前

    律令制(税について)

    律令制(税について)

    ん · 25問 · 1年前

    律令制(税について)

    律令制(税について)

    25問 • 1年前

    平城京

    平城京

    ん · 36問 · 1年前

    平城京

    平城京

    36問 • 1年前

    藤原氏の政界進出

    藤原氏の政界進出

    ん · 47問 · 1年前

    藤原氏の政界進出

    藤原氏の政界進出

    47問 • 1年前

    平安時代

    平安時代

    ん · 44問 · 1年前

    平安時代

    平安時代

    44問 • 1年前

    弘仁・貞観文化

    弘仁・貞観文化

    ん · 36問 · 1年前

    弘仁・貞観文化

    弘仁・貞観文化

    36問 • 1年前

    摂関政治

    摂関政治

    ん · 55問 · 1年前

    摂関政治

    摂関政治

    55問 • 1年前

    武士の台頭

    武士の台頭

    ん · 48問 · 1年前

    武士の台頭

    武士の台頭

    48問 • 1年前

    院政の始まり

    院政の始まり

    ん · 43問 · 1年前

    院政の始まり

    院政の始まり

    43問 • 1年前

    院政と平氏政権

    院政と平氏政権

    ん · 56問 · 1年前

    院政と平氏政権

    院政と平氏政権

    56問 • 1年前

    院政期の文化

    院政期の文化

    ん · 23問 · 1年前

    院政期の文化

    院政期の文化

    23問 • 1年前

    鎌倉時代

    鎌倉時代

    ん · 49問 · 1年前

    鎌倉時代

    鎌倉時代

    49問 • 1年前

    鎌倉文化

    鎌倉文化

    ん · 18問 · 1年前

    鎌倉文化

    鎌倉文化

    18問 • 1年前

    日本史15章(恐慌と第二次世界大戦)

    日本史15章(恐慌と第二次世界大戦)

    ん · 42問 · 1年前

    日本史15章(恐慌と第二次世界大戦)

    日本史15章(恐慌と第二次世界大戦)

    42問 • 1年前

    古文(読み重要語)

    古文(読み重要語)

    ん · 70問 · 1年前

    古文(読み重要語)

    古文(読み重要語)

    70問 • 1年前

    古文(読み重要語 意味)

    古文(読み重要語 意味)

    ん · 70問 · 1年前

    古文(読み重要語 意味)

    古文(読み重要語 意味)

    70問 • 1年前

    古文常識

    古文常識

    ん · 24問 · 1年前

    古文常識

    古文常識

    24問 • 1年前

    古典文法(助動詞)

    古典文法(助動詞)

    ん · 55問 · 1年前

    古典文法(助動詞)

    古典文法(助動詞)

    55問 • 1年前

    問題一覧

  • 1

    紀元前6500〜5500年頃 中国大陸 東北地方や黄河中流域でアワやキビ などの①がおこり、南の長江中・下流域でも ②が始まり農耕社会が成立した。 農耕文化は周辺地域に強い影響 →③を経て日本列島にも波及。

    農耕, 稲作, 朝鮮半島

  • 2

    縄文時代が週末を迎えた紀元前8世紀頃、 朝鮮半島に近い①で水田による米づくりが開始され、紀元前5〜4世紀頃に②にも広まった。 北海道と③を除く日本列島で、 ④を基礎とする農耕文化が形成されてから 古墳が作られるようになる3世紀半ばまでを ➄時代と呼び、その文化を⑥と呼んでいる。

    九州北部, 東日本, 南西諸島, 水稲耕作, 弥生, 弥生文化

  • 3

    縄文時代の終わり頃、九州北部にはすでに水稲耕作が行われていたとされる遺跡がある。 それぞれ何遺跡か。 福岡県にある遺跡① 佐賀県にある遺跡②

    板付遺跡, 菜畑遺跡

  • 4

    縄文文化は日本列島全域におよんだが、 弥生文化は北海道や南西諸島には及ばなかった 弥生時代に北海道で継続された文化を① 南西諸島で継続された文化を② 北海道では7世紀以降になると、 ③土器をともなう➂文化が 5世紀以降のオホーツク海沿岸に ④土器をともなうオホーツク文化が成立。 これらは漁労・狩猟・採集に基礎を置く文化

    続縄文文化, 貝塚文化, 擦文, オホーツク式

  • 5

    水稲耕作など多くの文化や技術が中国や朝鮮から伝わった。 穂摘み用具である①、木製農具をつくるための 石斧類などは、朝鮮半島と共通する大陸系の磨製石器。 ②の技術も大陸から伝わった。 銅と錫の合金である③は前期に 鉄器は前期末〜中期初頭に出現するが、 これらの④は中国や朝鮮半島からもたらされた 代表的な道具である。 弥生文化=稲作と④を伴う文化。 北海道や南西諸島では伴っていなかった。

    石包丁, 機織り, 青銅器, 金属器

  • 6

    ①は縄文土器に朝鮮半島からの技術が加わって 生み出された。 矢の先につける②などの打製石器、③の製作技術、竪穴住居など縄文文化の伝統もみられる。 ①の名称はこの様式の土器が 東京の④(現在の文京区)の⑤貝塚で発見されたから。

    弥生土器, 石鏃, 漆製品, 本郷弥生町, 向ヶ丘

  • 7

    弥生時代になり食料生産が始まるとともに、 人々の生活も大きく変化。 この時代の水田は、 三角州などに立地する①や、 自然堤防や段丘上に立地する② 灌漑施設を備えた③などがあった。 稲の育て方としては 最初は④であり後に⑤となった。 地域によってはアワやキビといった⑥が栽培。 農耕と並行して狩猟や漁労も盛んで、 ⑦の飼育が行われていた。

    湿田, 半乾田, 乾田, 直播, 田植え, 雑穀, イノシシ

  • 8

    耕作用の農具は木製の鍬や①が用いられ 収穫は石包丁による②が行われた。 脱穀には③と④が用いられ、 収穫物は⑤や貯蔵穴におさめられた。 木製農具の作製にははじめは 磨製石器であったがしだいに、斧・⑥・刀子 などの鉄製工具が使用されるようになった。 後期には石器の多くが姿を消し、代わって 鉄器が普及し、刃先に鉄器をつけた 鍬や鋤、⑦などによって生産力を高めた。 ⑦による⑧という収穫方法が出てきた。

    鋤, 穂首刈り, 木臼, 竪杵, 高床倉庫, 鉋, 鉄鎌, 根刈り

  • 9

    弥生土器には煮炊き用の① 穀物などを貯蔵するための② 食物を盛る鉢や③からなる。

    甕, 壺形土器, 高杯

  • 10

    人々の住居は縄文時代と同じく①が一般的であったが、集落には②の高床倉庫や③もしだいに多くなった。

    竪穴住居, 掘立柱, 平地式建物

  • 11

    死者は、集落の近くの共同墓地に葬られた。 埋葬方法では、 土に埋める① 木製の棺に遺体を入れ土に埋める② 石で遺体を入れる空間を作り石で蓋をする③ などに④したものが多い。 九州北部では地上に大石を配した⑤や 特製の大型の土器に死者を葬った⑥が見られる 方形の低い⑦のまわりに溝をめぐらした⑧は、 近畿地方や東海・北陸地方などに多く見られ、 東日本では、方形周溝墓が伝わる中期の 中頃まで死者の骨を土器につめた⑨が見られるなど、弥生時代の墓は地域によって違いが著しい。

    土坑墓, 木棺墓, 箱式石棺墓, 伸展葬, 支石墓, 甕棺墓, 墳丘, 方形周溝墓, 再葬墓

  • 12

    甕棺墓の中には、①や青銅製の武器などを副葬したものが見られる。

    中国鏡

  • 13

    弥生時代後期になると西日本の各地に かなり大規模な墳丘をもつ墓が出現した。 円形の墳丘の両端に突出部をもつ①県の② 山陰地方の③はその代表例である。 多量の副葬品をもつ墓や大型の墳丘墓の出現は 集団の中に身分の差が生じ、 各地に有力な支配者が現れたことを示している

    岡山, 楯築墳丘墓, 四隅突出型墳丘墓

  • 14

    集落では、豊かな収穫を祈願し、 収穫を感謝する祭りがおこなわれた。 土器などに①の絵が描かれ、 ②形の木製品がつくられたが、 弥生人は季節ごとに生えかわる ①の角をイネの象徴とし、 ②を現世と死後の世界を往来し イネをもたらす生き物と考えていたのではないかとされている。

    シカ, 鳥

  • 15

    シカの肩甲骨などに①を当てて、 割れ目の入り方で占いをおこなった ②が各地で出土している。 弥生時代の祭りには 釣鐘型の③ 銅剣・④・銅戈などの青銅製祭器が用いられた

    焼け火箸, 卜骨, 銅鐸, 銅矛

  • 16

    ①が副葬品として個人の墓に埋められることは まったくなく 大型化した武器形の青銅製祭器も 副葬品としてはまれであり それらの青銅製祭器は 山腹などにまとめて埋められる場合があった。 山腹に埋められた理由について様々な説がある

    銅鐸

  • 17

    ①県②遺跡では 銅鐸6点 銅矛16本 銅剣358本が埋められていた。 また①県③遺跡では 39点の銅鐸が一括埋納されていた。

    島根, 荒神谷, 加茂岩倉

  • 18

    世界各地で農耕社会が成立するとともに 戦いのための武器や①を備えた集落が出現し、 土地や②、蓄積された余剰生産物をめぐって 戦いが始まったことが知られている。 日本列島でも弥生時代になると、 縄文時代にはまったくといってよいほど みられなかった居住域を溝で囲む➂や 平地との標高の差が40m以上もある④が現れ、 石製や金属製の武器が出現する。

    防御的施設, 水, 環壕集落, 高地性集落

  • 19

    弥生時代中期の ①県②遺跡は4重の濠が集落を囲む。 同じく弥生時代中期の ③県④遺跡は付近の海面との差がおよそ 350mもあり大型の⑤が多量に出土した。 また、弥生時代後期の ⑥,⑦遺跡は丘陵の上に環濠をめぐらした 高地性集落であり いずれも弥生時代を代表する 防御機能をもった集落である。

    奈良, 唐古・鍵, 香川, 紫雲出山, 石鏃, 大阪府, 古曽部・芝谷

  • 20

    弥生時代からは戦いの時代となり、 強力な集落は周辺のいくつかの集落を統合し、 各地に①と呼ばれる 政治的なまとまりが分立していった。 多量の副葬品をもつ甕棺や 大きな墳丘墓の被葬者はこうした小国の ②(首長)であると考えられる。 この小国の分立状況は 中国の歴史書にも記載されている。 1世紀につくられ漢の歴史を述べた➂によると 「倭人」の社会は④余国にわかれ、 ⑤に定期的に朝貢していた。

    クニ, 王, 『漢書』地理志, 100, 楽浪郡

  • 21

    楽浪郡は前漢(漢)の①が 紀元前②年に朝鮮半島においた4郡の1つ。 現在の③付近を中心とした地域と想定され、 中国風の高い文化を誇った。

    武帝, 108, 平壌

  • 22

    内外2重の環濠をめぐらし、 外濠で囲まれた範囲は40haにおよぶ。 また内濠の張り出し部には、①かと思われる 掘立柱の建物跡などがみつかっている。 これは②県③遺跡である。

    望楼, 佐賀, 吉野ケ里

  • 23

    ①によると、57年に倭の②の王の使者が 後漢の都③におもむいて④から印綬を受けた。 江戸時代に⑤県⑥島から発見された⑦が それ(印綬)と考えられている。 107年には倭国王⑧等が ⑨160人を⑩に献じたことが記されている。 これら小国は、銅鏡や⑪など中国や朝鮮半島の 先進的な文物を手に入れるうえで 有利な位置にあり 他の小国より倭国内での立場を高めようとして 中国にまで使いを送ったと考えられる。

    『後漢書』東夷伝, 奴国, 洛陽, 光武帝, 福岡, 志賀, 金印, 帥升, 生口, 安帝, 鉄器

  • 24

    中国大陸では①年に後漢が滅び、 かわって②・呉・蜀が並び立つ③を迎えた。 その三国時代の歴史書『三国志』の④によると 倭国では2世紀の終わり頃大きな争乱がおこり なかなかおさまらなかった。 そこで諸国は共同して⑤国の⑥を女王として 立てたところ、ようやく争乱はおさまり ここに⑤国を中心とする⑦国ばかりの 小国の連合が生まれた。

    220, 魏, 三国時代, 魏志倭人伝, 邪馬台, 卑弥呼, 29

  • 25

    卑弥呼は①年、魏の皇帝に使いを送り、 「②」の称号と金印、多数の③を贈られた。 卑弥呼は④として神の意志を聞くことに たけていたらしく、その呪術的権威を背景に 政治をおこなったという。 邪馬台国では大人と⑤などの身分差があり、 ある程度の統治組織や租税・刑罰の制度も整い ⑥も開かれていた。 卑弥呼は晩年、⑦国と争ったが 247年かその直後に亡くなった。 そののち男の王が立ったが国内がおさまらず、 卑弥呼の宗女(同族の女性)である⑧が王となって ようやくおさまったという。 しかし266年、魏にかわった⑨の都⑩に 倭の女王が使いを送ったのを最後に 以後約150年間、倭国に関する記載は 中国の歴史書から姿を消している。

    239, 親魏倭王, 銅鏡, 巫女, 下戸, 市, 狗奴, 壱与, 晋, 洛陽

  • 26

    邪馬台国の所在地については 近畿地方の大和に求める①と 九州北部に求める②がある。

    近畿説, 九州説

  • 27

    ①県②遺跡は1970年代から発掘調査され、 3〜4世紀の100haにおよぶ 大集落であることがわかった。 2009年に整然と配置された3世紀前半の 大型建物跡が発見され、のちの③の王宮に つながるものとして注目されている。

    奈良, 纏向, ヤマト政権