問題一覧
1
藤原の南家の祖はだれ?
藤原武智麻呂
2
藤原北家の祖はだれ?
藤原房前
3
藤原式家の祖はだれ?
藤原宇合
4
藤原京家の祖はだれ?
藤原麻呂
5
県犬養橘三千代 (あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)と 藤原不比等との間に生まれた子どもの名前は?
光明子
6
8世紀の初めは皇族や中央の有力貴族間で 勢力が比較的均衡に保たれていたが、 やがて大伴氏や①などの旧来の有力諸氏の 勢力をおさえて藤原氏が進出。 →②は律令の制定に大きな役割を果たし、 娘の③を文武天皇に嫁がせ、 ③と文武天皇との子(のちの④)にも ⑤を嫁がせて天皇家と密接な関係を築いた。
佐伯氏, 藤原不比等, 宮子, 聖武天皇, 光明子
7
律令制体に大きな役割を果たしたのは藤原氏のだれ?
藤原不比等
8
藤原不比等の娘で文武天皇に嫁いだ女性は?
宮子
9
宮子と文武天皇の間に生まれた皇太子の即位後の名前は?
聖武天皇
10
藤原不比等と県犬養橘三千代との間に生まれ 聖武天皇に嫁いだ女性の名前は?
光明子
11
藤原不比等の死後誰が政権を握った?
長屋王
12
長屋王は皇族である
◯
13
藤原4兄弟が長屋王と吉備内親王を策謀によって自殺に追い込んだ出来事は?
長屋王の変
14
藤原不比等の死後①が政権を握る。 →藤原四子が策謀により①とその妻②を自殺に追い込む(③) →④を皇后に立てることに成功。
長屋王, 吉備内親王, 長屋王の変, 光明子
15
長屋王の変の後、藤原四氏は相次いで亡くなった。その原因は?
天然痘
16
藤原四子が天然痘でなくなる →➀が政権を握る →唐から帰国した②や玄昉が③に信任されて活躍した。
橘諸兄, 吉備真備, 聖武天皇
17
藤原四子の死後政権を握ったのは?
橘諸兄
18
橘諸兄が重用した人物に2人上げろ
玄昉, 吉備真備
19
710年吉備真備や玄昉らの排除を求めて九州で起きた大規模な反乱は?
藤原広嗣の乱
20
藤原広嗣の乱のあと聖武天皇は遷都を繰り返す。 都を移した順番として正しいものを選べ。
(平城京)→恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京
21
度重なる遷都,疫病の蔓延,飢饉など社会的不安 →仏教を信仰する①は仏教のもつ鎮護国家の思想によって国家の安定をはかろうとする。 741年②を 743年近江の③で④を出す。 745年平城京に戻る →大仏造立は奈良で続けられ 752年大仏の⑤の儀式が盛大に行われた。
聖武天皇, 国分寺建立の詔, 紫香楽宮, 大仏造立の詔, 開眼供養
22
聖武天皇の娘の即位後の名前は?
孝謙天皇
23
聖武天皇の娘 〜孝謙天皇の時代〜 光明皇太后と結んで政界での勢力を伸ばした人物は?
藤原仲麻呂
24
橘諸兄の子の名前は?
橘奈良麻呂
25
橘諸兄の子①は②を倒そうとするが逆に滅ぼされた。(①の乱)
橘奈良麻呂, 藤原仲麻呂
26
藤原仲麻呂は何天皇を擁立した?
淳仁天皇
27
1.藤原仲麻呂が淳仁天皇から授かった名前は? 2.藤原仲麻呂がついた役職は?
恵美押勝, 大師
28
藤原仲麻呂は日本独自の政策を進めた。
✕
29
藤原仲麻呂(恵美押勝)は後ろ盾であった①が死去すると孤立を深め、 孝謙太上天皇は看病をしてくれた僧②を寵愛し ③と対立。 危機感をつのらせた藤原仲麻呂は 764年に挙兵したが上皇側に滅ぼされた(④) これにより③は⑤に流され、 孝謙上皇が重祚して➅になった。
光明皇太后, 道鏡, 淳仁天皇, 恵美押勝の乱, 淡路, 称徳天皇
30
称徳天皇の支持を得て道鏡が獲得した地位を2つ上げろ
法王, 太政大臣禅師
31
769(神護景雲3)年 称徳天皇が宇佐神宮の神託によって①に 皇位をゆずろうとする事件(②)が起こったが この動きは③らの行動で挫折した。
道鏡, 宇佐八幡神託事件, 和気清麻呂
32
宇佐八幡神託事件を防いだ人物は?
和気清麻呂
33
宇佐八幡神宅事件が起きたのは何年?
769年
34
称徳天皇の死後後ろ盾を失った①は退けられる →②に追放。 次の皇位には藤原北家の③や式家の④が はかって長く続いた⑤系の皇統にかわって⑥の 孫である⑦を立てて、律令政治と国家財政の再建を目指した。
道鏡, 下野薬師寺, 藤原永手, 藤原百川, 天武天皇, 天智天皇, 光仁天皇
35
称徳天皇の死後次の天皇を決めたのは誰? 2人あげろ。
藤原永手, 藤原百川
36
天智天皇の孫の即位後の名前は?
光仁天皇
37
8世紀、人々の住居は竪穴住居から何に変化した?
掘立柱住居
38
男性が女性の家に通う結婚のあり方をなんという?
妻問婚
39
結婚のあり方は男性が女性の家へ通う① 夫婦としていずれかの父母のもとで生活し やがて自らの家をもつ。 夫婦は結婚しても②のままで、 各々自分の③をもっていた。 生業の分担や子どもの教育などの面で、 ④の発言力が強かったとみられる。
妻問婚, 別姓, 財産, 女性
40
1. 西日本から竪穴住居にかわって掘立柱住居が普及した。 2. 当時は妻問婚であり、夫婦別姓であった。 3. 家族内での発言力は男性のほうが高かった。
1.正 2.正 3.誤
41
農民は口分田以外の公の田(①)や寺社・貴族の土地を借り、収穫の1/5を②として政府や寺社・貴族におさめた(③)。
乗田, 地子, 賃租
42
人口増加による口分田の不足をおぎない、 税の増収をはかるため、722年に出されたものは?
百万町歩開墾計画
43
人口増加による口分田の不足を補い、税の増収をはかるため、723年に施行されたものは?
三世一身法
44
人口増加による口分田の不足をおぎない、 税の増収をはかるため743年に施行されたものは?
墾田永年私財法
45
人口増加により口分田が不足 →政府は口分田の不足と税の増収を目的に 722年①を(成果は上がらず…) 翌年723年には②を施行。 ②は新たに③を設けて 未開地を開墾した場合には3世にわたり、 旧来の③を利用して開墾した場合は 本人1代のあいだ田地の保有を認める。 というものであった。 743年には④を発し、 開墾した田地の保有を永年にわたって保証した →政府の力を墾田まで拡大し、 土地支配を強化する政策であった。 →結果として貴族・寺院や豪族らの私有地拡大を進めることになった。
百万町歩開墾計画, 三世一身法, 灌漑施設, 墾田永年私財法
46
墾田永年私財法により貴族や豪族,寺院は 私有地拡大を進める。 →①などの大寺院は②などの広大な原野を独占 →国司や郡司の協力のもとに付近の一般農民や ③らを使用して灌漑施設をつくり、 大規模な原野の開墾を行った。これを④という
東大寺, 北陸, 浮浪人, 初期荘園
47
政府は律令ではとらえられなかった浮浪人に対して、浮浪先で①をつくって把握することを目指した。 また各郡の正倉に蓄えられる稲穀が②として 国司により一元的に管理・運用されるように。 この結果③の権力が下がり ④による支配が強まるなど、氏族的な社会の中に律令制が本格的に浸透。 しかし…③の伝統的な支配力を背景に徴収されていた調・庸の品質悪化や滞納が増加。
浮浪人帳, 正税, 郡司, 国司