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日本史15章(恐慌と第二次世界大戦)

日本史15章(恐慌と第二次世界大戦)
42問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    第一次世界大戦が終結してヨーロッパ 諸国の復興が進み、その商品がアジア市場に再登場してくると、開戦以来の好景気とは打ってかわり、日本経済は苦境に立たされた。①年から貿易は輸入超過に転じ、とりわけ②の輸入が増加して、国内の生産を圧迫した。③年には、株式市場の暴落を口火に④が発生が発生し、⑤・⑥の相場は半値以下に暴落した。 さらに⑦年には日本経済は⑧で大きな打撃を受けた銀行は手持ちの手形が決済不能となり、⑨の特別融資で一時をしのいだが、大口債務者には投機的経営に失敗した企業が含まれていたため、決済は進まなかった。 その後1927(昭和2)年、震災手形の処理法案が衆議院で可決されたあとの議会で、⑩大蔵大臣の失言により一部の銀行の危機的な経営状況が誤った内容で公表され、ついに取付け騒ぎがおこって銀行の休業が続出した(⑪)。ときの⑫内閣は、経営が破綻した⑬に対する巨額の不良債権を抱えた⑭を勅令によって救済しようとしたが、⑮の了承が得られず、総辞職した。

    1919, 重化学工業製品, 1920, 戦後恐慌, 綿糸, 生糸, 1923, 関東大震災, 日本銀行, 片岡直温, 金融恐慌, 若槻礼次郎, 鈴木商店, 台湾銀行, 枢密院

  • 2

    ついで成立した立憲政友会の①内閣は、3週間の②(支払猶予令)を発して、③から巨額の救済融資をおこない、全国的に広がった金融恐慌をようやくしずめた。 1920年代の日本経済は、都市化や電力利用の普及に関連して④の発展がみられたものの、慢性的な不況の状態にあった。再三の恐慌に対して、政府はそのつど救済措置をとってきたが、それは経済の破綻を一時的に回避しただけであった。工業の国際競争力不足による輸入超過と1917年以来の⑤が続く中で外国為替相場は動揺と下落を繰り返した。 多くの産業分野で、企業集中、 カルテル結成、資本輸出の動きが強まり、財閥はこの時期に主として金融・流通面から産業支配を進め、政党との結びつきも深めていった。 こうして日本経済では独占資本が支配的な地位を占めるようになった。 一方、大企業や農村から流出した過剰労働力を基盤として⑥が増加する傾向も見られた。

    田中義一, モラトリアム, 日本銀行, 重化学工業, 金輸出禁止, 中小企業

  • 3

    巨大紡績会社は大戦の後に中国に紡績工場をつぎつぎに建設したがこれをなんという?

    在華紡

  • 4

    金融恐慌の過程で、中小銀行の整理・合併が進み、預金 は大銀行に集中し、①・②・③・④・⑤の五大銀行が支配的な地位を占めた。 こうした中、三菱と⑥、三井と⑦のような 財閥と政党とのつながりが世間の反感をかうようになっていった。

    三井, 三菱, 住友, 安田, 第一, 憲政会, 立憲政友会

  • 5

    3大財閥は①・②・③ 8大財閥はこれに④・⑤・⑥・⑦・⑧を加えていう

    三井, 三菱, 住友, 安田, 浅野, 大倉, 古川, 川崎

  • 6

    普通選挙法の成立後、 ①・②を基盤とする社会主義勢力は議会を通じて社会改造を目指すようにな り、1926(昭和元)年、合法的な無産政党である③が組織された。しかし、③内で④系の勢力が強まると 議会主義・国民政党路線をとる⑤ ③と⑤との中間的立場に立つ⑥が分離した。 1928(昭和3)年におこなわれた⑦による最初の総選挙では、無産政党勢力が⑧人の当選者を出した。 この時、これまで非合法活動を余儀なくされていた⑨が公然と活動を開始したので、衝撃を受けた⑩内閣は選挙直後の3月15日に共産党員の一斉検挙をおこない、⑪などの関係団体を解散させた(⑫)。そして、同年に治安維持法を改正して最高刑を⑬・⑭ とし、全国の警察に⑮を設置して、翌1929(昭和4) 年にも大規模な検挙をおこなった(⑯)。このため、⑨は大きな打撃を受けた。

    労働組合, 農民組合, 労働農民党, 共産党, 社会民衆党, 日本労働党, 普通選挙, 8, 日本共産党, 田中義一, 日本労働組合評議会, 三・一五事件, 死刑, 無期, 特別高等課, 四・一六事件

  • 7

    当時の時代情勢から「①」政党と称することがはばかられたために、無産政党という言葉が用いられた。全国的な無産政党として1925(大正14)年に結成された②が、共産党と関係があ るとして即日禁止されたため、 共産党系を除外して③が結成された。

    社会主義, 農民労働党, 労働農民党

  • 8

    治安維持法改正について… 議会では改正法案が成立しなかったために①によって改正された。従来の最高刑が10年以下の②・③ であったのに対し、「④」の変革を目的とする結社 の組織者・指導者には⑤・⑥を科すことができるようになった。 また結社のメンバ ーではない協力者も処罰可能となった。

    緊急勅令, 懲役, 禁錮, 国体, 死刑, 無期

  • 9

    また、①内閣の時期には、日本の外交は中国政策をめぐって②姿勢に転じた。(①の前の内閣は③姿勢) 全国統一を目指して北上する④の国民革命軍は、 広州から長江流域を北上し各地方を制圧していった(⑤)。 これに対して①内閣は、1927年に中国関係の外交官・軍人を集めて⑥を開き、満洲における日本権益を実力で守る方針を決定した。 この年から翌年にかけて①内閣は国民革命軍に対抗 するため、満洲軍閥の⑦を支援し、日本人居留民の保護を名目に⑧次に及ぶ⑨を実施した。 第2次⑨の際には日本軍は国民革命軍とのあいだに武力衝突をおこし、一時、⑩城を占領した(⑩事件)

    田中義一, 強硬, 協調, 中国国民党, 北伐, 東方会議, 張作霖, 3, 山東出兵, 済南

  • 10

    ①によって②年に結成された中国国民党は③を中心に中国南方に支配を広げた。 1921年には④が結成されたが、国民党はこれと提携して、第1次⑤を成立させた(1924年)。 翌1925年に死去した孫文のあとを引き継いだ⑥は1926年北方軍閥を打倒して中国全土を統一するため⑦を率いて⑧に乗り出し⑨に⑩を樹立し、さらに⑧を進めた。

    孫文, 1919, 広州, 中国共産党, 国共合作, 蒋介石, 国民革命軍, 北伐, 南京, 国民政府

  • 11

    張作霖軍が国民革命軍に敗北すると①の一部に謀略によって張作霖を排除して②を直接支配するという考え方が台頭してきた。 1928年6月、①は中央にはからず独断で②へ帰還途上の張作霖を③で列車ごと爆破して殺害した(④)。当時、事件の真相は国民に知らされず⑤と呼ばれた。元老の⑥の助言もあり、⑦首相は当初、 真相の公表と⑧を決意し、その旨を天皇に上奏した。 しかし⑨や陸軍から反対されたため、首謀者の⑩大佐を停職にしただけであった。この方針転換をめぐって⑦首相は天皇の不興をかい、 1929年に内閣は総辞職した。 ④の結果、①のもくろみとは逆に、張作霖の子で後継者の⑪は1928年、勢力下にあった②を国民政府支配下の土地と認めた。こうして、国民党の⑫は完了し、中国全土の統一がほぼ達成された。 中国では⑬、⑭を要求する民族運動が高まり、1931年には国民政府も不平等条約の無効を一方的に宣言する外交方針をとるようになった。

    関東軍, 満州, 奉天郊外, 張作霖爆殺事件, 満州某重大事件, 西園寺公望, 田中義一, 厳重処分, 閣僚, 河本大作, 張学良, 北伐, 不平等条約撤廃, 国権回収

  • 12

    関東軍… 1919年に関東都督府が①に改組された際に、 陸軍部が独立して②となった。③と④の守備を任務としたが、大陸進出の急先鋒となっていった。 満州を国民政府支配下の土地と認めた… ⑤は国民政府に合流し満洲全土で国民党の⑥を掲げた(⑦)。

    関東庁, 関東軍, 遼東半島租借地, 満鉄沿線, 張学良, 青天白日旗, 易幟事件

  • 13

    財界からは、第一次世界大戦後まもなく①に復帰した欧米諸国にならって、②を実施して為替相場を安定させ、貿易の振興をはかることを望む声が高まってきた。 1929年に成立した③の④内閣は、大蔵大臣に⑤前日銀総裁を起用し、財政を緊縮して物価の引下げをはかり、産業の合理化を進めて国際競争力の強化を目指した。そして1930年1月には②を断行し、 外国為替相場の安定と経済界の抜本的整理とをはかった。

    金本位制, 金輸出解禁, 立憲民政党, 浜口雄幸, 井上準之助

  • 14

    浜口内閣成立時の為替相場の実勢は100円=①ドル前後であったが、100円=②ドルの旧平価で解禁したので実質的には円の切上げとなった。 円高をもたらして日本の輸出商品を割高にし、 ひいては日本経済を③と不況に導く見込みの強い旧平価解禁をあえて実施したことには、④の改正をしないですむこと、円の国際的な信用を落とさないようにするという配慮に加えて、生産性の低い不良企業を整理・淘汰して日本経済の体質改善をはかる必要があるとの判断があった。

    46.45, 49.845, デフレーション, 貨幣法

  • 15

    ①を実施したちょうどその頃 1929年10月にニューヨークの②で始まった株価暴落が③に発展していたため、日本経済は①による不況とあわせて二重の打撃を受け、深刻な恐慌状態におちいった(④)。 輸出が大きく減少し、正貨は大量に海外に流出して企業の操業短縮・倒産があいつぎ、産業合理化によって賃金引下げや人員整理がおこなわれて、失業者が増大した。政府は独占資本に対する恐慌対策として、1931年に⑤を制定し、指定産業でのカルテルを助成した。 米価は1920年代から⑥の影響を受けて低迷していたが、昭和恐慌が発生すると、米をはじめ各種農産物の価格が⑦した。恐慌で消費が縮小したアメリカへの生糸輸出は激減し、その影響で⑧の価格も大きく下落した。 1930年には豊作のためにさらに米価がおし下げられて農家は「⑨」となり、翌1931年には一転して⑩・⑪が大凶作に見舞われた。不況のために兼業の機会が減ったうえ、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家の困窮は著しく(⑫) ⑬や子女の身売りが続出した。 このような状態のもとで、⑬・⑭が増加すると同時に、 無策な政党や、⑮を予期して円売り・ドル買いを進めた財閥を批判する声が高まっていった。

    金輸出解禁, ウォール街, 世界恐慌, 昭和恐慌, 重要産業統制法, 植民地米移入, 暴落, 繭, 豊作貧乏, 東北, 北海道, 農業恐慌, 欠食児童, 労働争議, 小作争議, 金輸出再禁止

  • 16

    政府は①以後、朝鮮・ 台湾での米の増産と品種改良をはかり、その移入を促進していた。 一方、この時期には②などの化学肥料の使用が本格化して、国内米の増産も進んだ。

    米騒動, 硫安

  • 17

    ①内閣は②外交の方針を復活させ、再び③を外務大臣に起用した。対中国関係を改善するために1930年に中国と④を結び条件つきではあったが中国に⑤を認めた。 また軍縮の方針に従って、1930年に⑥に参加し、⑥では、主力艦建造禁止をさらに5年延長することと、⑦で除外された補助艦(⑧・⑨・⑩)の保有量が取り決められた。当初の日本の要求のうち、補助艦の総トン数の対イギリス・アメリカ約7割は認められたものの、⑪の対米7割は受け入れられないまま日本政府は条約調印に踏みきった(⑫)。 これに対し、野党の⑬・⑭・右翼などは、海軍軍令部長の反対をおしきって政府が兵力量を決定したのは⑮であると激しく攻撃した。政府は⑯の同意を取りつけて、条約の批准に成功したが、1930年11月には①首相が⑰駅で右翼青年に狙撃されて重傷を負い、翌年⑱月に退陣し、まもなく死亡した。

    浜口雄幸, 協調, 幣原喜重郎, 日中関税協定, 関税自主権, ロンドン会議, ワシントン海軍軍備制限条約, 巡洋艦, 駆逐艦, 潜水艦, 大型巡洋艦, ロンドン海軍軍備制限条約, 立憲政友会, 海軍軍令部, 統帥権の干犯, 枢密院, 東京, 4

  • 18

    統帥権の干犯… 軍の最高指揮権である統帥権は①に属し、②が管掌する一般国務から独立し、その発動には参謀総長・③が直接参与した。憲法解釈上の通説では、兵力量の決定は憲法第④条の編制大権の問題で、②の輔弼事項であり、第⑤条の統帥大権とは別であった。しかし、⑥では、海軍軍令部が国防に要する兵力に責任をもつべきであるとされた。

    天皇, 内閣, 海軍軍令部長, 12, 11, 帝国国防方針

  • 19

    中国で①の民族運動が高まっている頃、日本国内では軍や右翼が②の協調外交を軟弱外交と非難し、「③」を叫んでいた。危機感を深めた関東軍は中国の①運動が満洲におよぶのを武力によって阻止し、満洲を④以南の中国主権と切り離して日本の勢力下におこうと計画した。 関東軍が参謀の⑤を中心として、1931年9月18日、奉天郊外の⑥で南満洲鉄道の線路を爆破し(⑦)、 これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始し、 ⑧が始まった。⑨内閣(⑩党)は⑪を声明したが、世論・マスコミは軍の行動を支持した。関東軍は、全満洲を軍事的制圧下におこうと戦線を拡大したため、事態の収拾に自信を失った⑨は総辞職した。

    国権回収, 幣原喜重郎, 満蒙の危機, 長城, 石原莞爾, 柳条湖, 柳条湖事件, 満州事変, 第二次若槻礼次郎, 立憲民政, 不拡大方針

  • 20

    ①は近い将来、東西両文明それぞれの盟主となった日米両国間で「②」が戦われ、それは③による殲滅戦争となるだろうと予言し、④を占領してこれに備えることを主張していた。

    石原莞爾, 世界最終戦争, 飛行機, 満州

  • 21

    満州事変のあと →満洲での日本の軍事行動は、 中国の①をますます激しくさせ、1932年には上海でも日中両軍が衝突した(②)。

    排日運動, 第一次上海事変

  • 22

    かわって1931年12月に①総裁②が組閣し、中国との直接交渉を目指したが、翌1932年になると、関東軍は満洲の主要地域を占領した。③は日本の一連の行動に対して不承認の宣言を発し、中国からの訴えと日本の提案で、④は事実調査のためにイギリスのリットンを団長とする調査団(⑤)を現地と日中両国に派遣した。関東軍は⑤の満洲到着前の3月に清朝最後の皇帝であった⑥を執政として、満洲国の建国を宣言させた。

    立憲政友会, 犬養毅, アメリカ, 国際連盟理事会, リットン調査団, 溥儀

  • 23

    満洲とは①・②・③の3省をいう。 成立した「満洲国」は④・⑤を加えた5省で、 新京(⑥)を首都とした。 中国国民政府はこの地域を「⑦」と呼んだ。

    奉天省, 吉林省, 黒竜江省, 熱河省, 興安省, 長春, 東北

  • 24

    ロンドン会議(統帥権干犯問題)・昭和恐慌、満洲事変などをきっかけに、軍人や右翼による急進的な①が急速に活発になっていった。陸海軍の青年将校および右翼運動家は、 日本の行き詰まりの原因が財閥・政党などの支配層の無能と腐敗にあると考え、これらを打倒して②の強力な内閣をつくり、内外政策の大転換をはかろうとした。 1931年には陸軍青年将校のクーデタ未遂事件(③・④)があり、翌1932年の2~3月には⑤率いる右翼の血盟団員が前大蔵大臣⑥・⑦理事長⑧を暗殺した(⑨)。さらに同年5月15日には⑩軍青年将校の一団が首相官邸におし入り、⑪首相を射殺するという 事件(⑫)もおこった。 一連のテロ活動は支配層をおびやかし、⑫のあと、元老⑬は穏健派の海軍大将⑭を後継首相に推薦した。ここに大正末以来8年で⑮は崩壊し、太平洋戦争後まで復活しなかった。

    国家改造運動, 軍中心, 三月事件, 十月事件, 井上日召, 井上準之助, 三井合名会社, 団琢磨, 血盟団事件, 海, 犬養毅, 五・一五事件, 西園寺公望, 斎藤実, 政党内閣

  • 25

    三月事件 ①率いる②軍青年将校の秘密結社③が、右翼指導者④の協力と一部陸軍首脳の賛同を得て、軍部政権樹立のクーデタを計画したが、未遂に終わった。 十月事件 ③が、④らの右翼と提携して政党内閣を倒し、満洲事変に呼応して国内改造を断行するクーデタを企てたが、未然に発覚して再び失敗に終わった。

    橋本欣五郎, 陸, 桜会, 大川周明

  • 26

    1932年9月①内閣は②を取りかわして③を承認した。 日本政府は既成事実の積み重ねで国際連盟に対抗しょうとしたが、連盟側は1933年2月の臨時総会で、④の報告にもとづき、③は日本の⑤であると認定し、日本が③の承認を撤回することを求める勧告案を採択した。⑥ら日本全権団は、勧告案を可決した総会の場から退場し、3月に日本政府は正式に⑦を通告した(1935年発効)。 1933年5月、日中軍事停戦協定(⑧)が結ばれ、 ⑨自体は終息した。しかし、日本は③の経営・開発に乗り出し、1934年には③を⑩を皇帝とする帝政に移行させた。 1936年には、日本が⑪を脱退して⑫が失効し、1934年に廃棄を通告していた⑬も続いて失効し、日本は国際的に孤立するに至った。

    斎藤実, 日満議定書, 満洲国, リットン調査団, 傀儡国家, 松岡洋右, 国際連盟脱退, 塘沽停戦協定, 満州事変, 溥儀, 第二次ロンドン海軍軍縮会議, ロンドン海軍軍備制限条約, ワシントン海軍軍備制限条約

  • 27

    満洲国… 日本の権益を確認し、日本軍の①を認めた。 このほか、付属の秘密文書では、 満洲の②の管理を日本に委託すること、関東軍司令官の推薦・同意にもとづいて 満洲国政府の要職に③を採用することなどが規定され た。 リットン報告書… 日本の軍事行動は合法的な自衛措置ではなく、満洲国は自発的な④によってつくられたものではないとしながら も、一方で日本の⑤に中国側が配慮すべきであるとする妥協的なものであった。

    無条件駐屯, 交通機関, 日本人, 民族独立運動, 経済的権益

  • 28

    塘沽停戦協定… 河北省東北部の①から中国軍と日本軍の双方が撤退し、そこに②を設定して治安維持には③が当たることになった。

    冀東地区, 非武装地帯, 中国警察

  • 29

    1931年12月に成立した犬養毅内閣の大蔵大臣①は、ただちに②を断行し、ついで円の金兌換を停止し、日本は事実上の③に移行した。恐慌下で合理化を進めていた諸産業は、円相場の大幅な下落(④)を利用して、輸出を飛躍的にのばしていった。とくに⑤の輸出拡大はめざましく、イギリスにかわって世界第⑥位の規模に達した。 この頃、世界の情勢は大きくゆれ動き、列強は世界恐慌からの脱出をはかろうとして苦しんでいた。イギリスは、本国と植民地で排他的な⑦をつくり、輸入の割当てや高率の関税による保護貿易政策をとった。イギリスをはじめ列強は、自国の植民地に日本が円安を利用して輸出を拡大したことを⑧と非難して対抗した。一方、輸入面では綿花・⑨・⑩・機械などにおいて、日本はアメリカへの依存度を高めていった。

    高橋是清, 金輸出再禁止, 管理通貨制度, 円安, 綿織物, 1, ブロック経済圏, ソーシャル・ダンピング, 石油, 屑鉄

  • 30

    管理通貨制度… 1942年の①制定によって恒久的に制度化された。 円安… 1932年には円の外国為替相場が金解禁時代の半分以下になり、100円につき20ドルを割ることさえあった。

    日本銀行法

  • 31

    世界各国の恐慌への対応… アメリカでは1933年に就任した①大統領が、財政支出による一連の景気刺激策(②)をとってこの危機を切り抜けようとした。 イタリア・ドイツなどでは、 ファシスト党を率いた③やナチ党を率いた④による一党独裁の⑤体制が確立していった。 ソ連は一国社会主義をとなえる独裁者⑥のもとで、⑦を通じて、独自の中央集権的経済体制を築いていった。

    フランクリン・ローズヴェルト, ニューディール政策, ムッソリーニ, ヒトラー, 全体主義, スターリン, 計画経済

  • 32

    輸出の躍進に加え、①の発行による軍事費・農村救済費を中心とする財政の膨張で産業界は活気 づき、日本はほかの資本主義諸国に先がけ②年頃には③以前の生産水準を回復した。 とくに、軍需と保護政策とに支えられて④がめざましく発達し、金属・機械・化学工業をあわせた生産額は、③年に⑤を上まわり、さらに1938年には工業生産額全体の過半を占め、産業構造が⑥中心から④中心へと変化した。 鉄鋼業では、八幡製鉄所と財閥系製鉄会社の大合同がおこなわれて国策会社⑦が生まれ、鋼材の自給が達成された。自動車工業や化学工業では、⑧・⑨などの⑩が台頭し、軍と結びついて満洲・朝鮮へも進出していった。また既成財閥も、重化学工業部門の増強を積極的に進めた。 農業恐慌の中で⑪が高まると、政府は1932年度から⑫と称して公共土木事業をおこない、農民を日雇い労働に雇用して現金収入の途を与えた。さらに政府は⑬を始め、産業組合の拡充などを通じて農民を結束させ、「⑭」をはからせた。

    赤字国債, 1933, 世界恐慌, 重化学工業, 繊維工業, 軽工業, 日本製鉄会社, 日産, 日窒, 新興財閥, 農村救済請願運動, 時局匡救事業, 農山漁村経済更生運動, 自力更生

  • 33

    満洲事変をきっかけに日本国内で生まれたナショナリズムの高揚は、国家による弾圧とあいまって、社会主義運動に大きな衝撃を与え、社会主義からの大量の①という現象を発生させた。四分五裂を続けてきた無産政党も②に転じ、1932年には、③を中心に④党が結成された。残った人々は合同して当時最大の無産政党である⑤党を結成したが、しだいに②化した。さらに1933年、獄中にあった日本共産党の最高指導者たちが⑥を発表したことは、大量転向のきっかけとなった。わずかに社会主義を守り続けた⑦らの日本無産党なども、1937年には弾圧されて活動を停止した。 思想・言論の取締りも強化され、共産主義ばかりでなく、自由主義・ 民主主義的な学問への弾圧事件もつぎつぎにおこった。また、ジャ ーナリズムのうえでも、軍部の②的な国内改革への期待がしだいに支配的な論調になっていった。

    転向, 国家社会主義, 赤松克麿, 日本国家社会, 社会大衆, 転向声明書, 鈴木茂三郎

  • 34

    国家社会主義… イタリアの①党やドイツの②党と同じ考え方。 日本国家社会党は「③」の平等社会の実現をとなえ 民族的利益の擁護という立場から戦争を④した。

    ファシスト党, ナチ党, 一君万民, 支持

  • 35

    大量転向… ①・②の両幹部は連名で転向を声明し、③が日本共産党に指示した④・侵略戦争反対の方針を批判し、天皇制と民族主義のもとでの⑤の実現を提唱した。 この声明をきっかけに獄中の大半の党員は転向した

    佐野学, 鍋山貞親, コミンテルン, 天皇制打倒, 一国社会主義

  • 36

    1933年、自由主義的刑法学説をとなえていた①(京都帝国大学教授)が②(文部大臣)の圧力で休職処分を受けたのに対し、京都帝国大学法学部教授会は全員 辞表を提出して抵抗したが、 結局敗北した(③)。

    滝川幸辰, 鳩山一郎, 滝川事件

  • 37

    国内政治に対する政党の影響力は①後、 しだいに小さくなり、逆に、軍部(とくに陸軍)や②党・革新・現状打破を掲げる勢力が政治的発言力を増大させ、これに一部の官僚(革新官僚)や政党人が同調した。彼らは、斎藤実・③と、2代の④軍穏健派内閣が続いたことに不満をつのらせた。1934年に陸軍省が発行したパンフレット「⑤」は、陸軍が政治・経済の運営に関与する意欲を示したものとして、論議を巻きおこした。 かねてから⑥の憲法学説は右翼の攻撃を受けていたが、1935年、⑦院で軍出身議員の⑧がこれを反国体的と非難したのをきっかけに、にわかに政治問題化した(⑨事件)。 ⑥の⑨はそれまで大日本帝国憲法体制を支えてきた いわば正統学説であったが、現状打破を望む陸軍、立憲政友会の一部、 右翼、在郷軍人会などが全国的に激しい排撃運動を展開したので、③内閣はこれに屈して⑩を出し、⑨を否認した。こうして、政党政治や政党内閣制は、民本主義と並ぶ理論的支柱を失った。

    五・一五事件, 反既成政, 岡本啓介, 海, 国防の本義と其強化の提唱, 美濃部達吉, 天皇機関説, 国体明徴声明

  • 38

    政治的発言力を増した陸軍の内部では、隊付の青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒、①の実現を目指す②と、陸軍省や参謀本部の③を中心に、革新官僚や財閥と結んだ軍部の強力な統制のもとで④樹立を目指す⑤が対立していた。 1936年2月26日早朝、⑥の思想的影響を受けていた②の一部青年将校たちが、約1400人の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲い、⑦内大臣・⑧大蔵大臣・⑨教育総監らを殺害し、国会を含む国政の中枢を⑩日間にわたって占拠した(⑪)。 首都には⑫が出された。 このクーデターは、国家改造・⑬を目指したが、天皇が厳罰を指示したこともあり、⑭として鎮圧された。事件後、統制派が皇道派を排除して陸軍内での主導権を確立し、⑮の政治的発言力はいっそう強まった。岡田内閣にかわった⑯内閣は、閣僚の人選や⑰・財政改革などについて軍の要求を入れてかろうじて成立したが以後の諸内閣に対する軍の介入の端緒となった。

    天皇親政, 皇道派, 中堅幕僚将校, 総力戦体制, 統制派, 北一輝, 斎藤実, 高橋是清, 渡辺錠太郎, 4, 二・二六事件, 戒厳令, 軍部政権樹立, 反乱軍, 陸軍, 広田弘毅, 軍備拡張

  • 39

    天皇機関説… 統治権の主体を法人としての国家に帰属させ、天皇は国家の①として憲法に従って統治権を行使すると説明するもの。 統治権は神聖不可侵の天皇に属し、それは無制限であるとする②らの学説と対立していた。 北一輝… 右翼の理論的指導者で、天皇と軍隊を中核とする国家改造方針について論じた『③』(④年刊)は、 右翼運動家のバイブルとなっ ていた。

    最高機関, 上杉慎吉, 日本改造法案大綱, 1923

  • 40

    1936年にはワシントン・ロンドン両海軍軍備制限条約が失効するため、陸海軍による①にもとづいて、②内閣は「国策の基準」で、大陸における日本の地歩を確保する一方で、 南方へ漸進的に進出する方針を決定し、外交では③と提携を強めてソ連に対抗し、国内では大規模な軍備拡張計画が推進された。 しかし、国内改革の不徹底を不満とする軍と、大軍拡に反対する政党の双方からの反発で、②内閣は④年1月総辞職し、組閣の大命は⑤軍の穏健派⑥にくだった。これに反発する陸軍が陸軍大臣を推挙しなかったので、⑥は組閣を断念せざるをえなかった。結局、陸軍大将の⑦が組閣し、軍部と財界との調整をはかったが(⑧)、これも短命に終わった。同年6月、この時、貴族院議長をつとめていた⑨が、元老・軍部から一般民衆まで国民各層の期待を集め、第1次⑨内閣を組織した。

    帝国国防方針の改定, 広田弘毅, ドイツ, 1937, 陸, 宇垣一成, 林銑十郎, 軍財抱合, 近衛文麿

  • 41

    広田弘毅内閣… 1936年に①,②が失効→③に基づき軍備拡張など。 陸軍の要求に従って④を復活させた。

    ワシントン海軍軍備制限条約, ロンドン海軍軍備制限条約, 帝国国防方針の改定, 軍部大臣現役武官制

  • 42

    帝国国防方針の改定… 国防方針の改定に際して、陸軍は① 海軍は②をとったため、「国策の基準」ではこれらを併記し、折衷した。 軍備拡張計画… 海軍は、③・④を含む大建艦計画を進めた。 軍財抱合… 陸軍⑤は、大軍拡を進めるために、まず⑥の育成が必要と考えた。

    北進論, 南進論, 戦艦大和, 戦艦武蔵, 統制派, 重要産業

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    問題一覧

  • 1

    第一次世界大戦が終結してヨーロッパ 諸国の復興が進み、その商品がアジア市場に再登場してくると、開戦以来の好景気とは打ってかわり、日本経済は苦境に立たされた。①年から貿易は輸入超過に転じ、とりわけ②の輸入が増加して、国内の生産を圧迫した。③年には、株式市場の暴落を口火に④が発生が発生し、⑤・⑥の相場は半値以下に暴落した。 さらに⑦年には日本経済は⑧で大きな打撃を受けた銀行は手持ちの手形が決済不能となり、⑨の特別融資で一時をしのいだが、大口債務者には投機的経営に失敗した企業が含まれていたため、決済は進まなかった。 その後1927(昭和2)年、震災手形の処理法案が衆議院で可決されたあとの議会で、⑩大蔵大臣の失言により一部の銀行の危機的な経営状況が誤った内容で公表され、ついに取付け騒ぎがおこって銀行の休業が続出した(⑪)。ときの⑫内閣は、経営が破綻した⑬に対する巨額の不良債権を抱えた⑭を勅令によって救済しようとしたが、⑮の了承が得られず、総辞職した。

    1919, 重化学工業製品, 1920, 戦後恐慌, 綿糸, 生糸, 1923, 関東大震災, 日本銀行, 片岡直温, 金融恐慌, 若槻礼次郎, 鈴木商店, 台湾銀行, 枢密院

  • 2

    ついで成立した立憲政友会の①内閣は、3週間の②(支払猶予令)を発して、③から巨額の救済融資をおこない、全国的に広がった金融恐慌をようやくしずめた。 1920年代の日本経済は、都市化や電力利用の普及に関連して④の発展がみられたものの、慢性的な不況の状態にあった。再三の恐慌に対して、政府はそのつど救済措置をとってきたが、それは経済の破綻を一時的に回避しただけであった。工業の国際競争力不足による輸入超過と1917年以来の⑤が続く中で外国為替相場は動揺と下落を繰り返した。 多くの産業分野で、企業集中、 カルテル結成、資本輸出の動きが強まり、財閥はこの時期に主として金融・流通面から産業支配を進め、政党との結びつきも深めていった。 こうして日本経済では独占資本が支配的な地位を占めるようになった。 一方、大企業や農村から流出した過剰労働力を基盤として⑥が増加する傾向も見られた。

    田中義一, モラトリアム, 日本銀行, 重化学工業, 金輸出禁止, 中小企業

  • 3

    巨大紡績会社は大戦の後に中国に紡績工場をつぎつぎに建設したがこれをなんという?

    在華紡

  • 4

    金融恐慌の過程で、中小銀行の整理・合併が進み、預金 は大銀行に集中し、①・②・③・④・⑤の五大銀行が支配的な地位を占めた。 こうした中、三菱と⑥、三井と⑦のような 財閥と政党とのつながりが世間の反感をかうようになっていった。

    三井, 三菱, 住友, 安田, 第一, 憲政会, 立憲政友会

  • 5

    3大財閥は①・②・③ 8大財閥はこれに④・⑤・⑥・⑦・⑧を加えていう

    三井, 三菱, 住友, 安田, 浅野, 大倉, 古川, 川崎

  • 6

    普通選挙法の成立後、 ①・②を基盤とする社会主義勢力は議会を通じて社会改造を目指すようにな り、1926(昭和元)年、合法的な無産政党である③が組織された。しかし、③内で④系の勢力が強まると 議会主義・国民政党路線をとる⑤ ③と⑤との中間的立場に立つ⑥が分離した。 1928(昭和3)年におこなわれた⑦による最初の総選挙では、無産政党勢力が⑧人の当選者を出した。 この時、これまで非合法活動を余儀なくされていた⑨が公然と活動を開始したので、衝撃を受けた⑩内閣は選挙直後の3月15日に共産党員の一斉検挙をおこない、⑪などの関係団体を解散させた(⑫)。そして、同年に治安維持法を改正して最高刑を⑬・⑭ とし、全国の警察に⑮を設置して、翌1929(昭和4) 年にも大規模な検挙をおこなった(⑯)。このため、⑨は大きな打撃を受けた。

    労働組合, 農民組合, 労働農民党, 共産党, 社会民衆党, 日本労働党, 普通選挙, 8, 日本共産党, 田中義一, 日本労働組合評議会, 三・一五事件, 死刑, 無期, 特別高等課, 四・一六事件

  • 7

    当時の時代情勢から「①」政党と称することがはばかられたために、無産政党という言葉が用いられた。全国的な無産政党として1925(大正14)年に結成された②が、共産党と関係があ るとして即日禁止されたため、 共産党系を除外して③が結成された。

    社会主義, 農民労働党, 労働農民党

  • 8

    治安維持法改正について… 議会では改正法案が成立しなかったために①によって改正された。従来の最高刑が10年以下の②・③ であったのに対し、「④」の変革を目的とする結社 の組織者・指導者には⑤・⑥を科すことができるようになった。 また結社のメンバ ーではない協力者も処罰可能となった。

    緊急勅令, 懲役, 禁錮, 国体, 死刑, 無期

  • 9

    また、①内閣の時期には、日本の外交は中国政策をめぐって②姿勢に転じた。(①の前の内閣は③姿勢) 全国統一を目指して北上する④の国民革命軍は、 広州から長江流域を北上し各地方を制圧していった(⑤)。 これに対して①内閣は、1927年に中国関係の外交官・軍人を集めて⑥を開き、満洲における日本権益を実力で守る方針を決定した。 この年から翌年にかけて①内閣は国民革命軍に対抗 するため、満洲軍閥の⑦を支援し、日本人居留民の保護を名目に⑧次に及ぶ⑨を実施した。 第2次⑨の際には日本軍は国民革命軍とのあいだに武力衝突をおこし、一時、⑩城を占領した(⑩事件)

    田中義一, 強硬, 協調, 中国国民党, 北伐, 東方会議, 張作霖, 3, 山東出兵, 済南

  • 10

    ①によって②年に結成された中国国民党は③を中心に中国南方に支配を広げた。 1921年には④が結成されたが、国民党はこれと提携して、第1次⑤を成立させた(1924年)。 翌1925年に死去した孫文のあとを引き継いだ⑥は1926年北方軍閥を打倒して中国全土を統一するため⑦を率いて⑧に乗り出し⑨に⑩を樹立し、さらに⑧を進めた。

    孫文, 1919, 広州, 中国共産党, 国共合作, 蒋介石, 国民革命軍, 北伐, 南京, 国民政府

  • 11

    張作霖軍が国民革命軍に敗北すると①の一部に謀略によって張作霖を排除して②を直接支配するという考え方が台頭してきた。 1928年6月、①は中央にはからず独断で②へ帰還途上の張作霖を③で列車ごと爆破して殺害した(④)。当時、事件の真相は国民に知らされず⑤と呼ばれた。元老の⑥の助言もあり、⑦首相は当初、 真相の公表と⑧を決意し、その旨を天皇に上奏した。 しかし⑨や陸軍から反対されたため、首謀者の⑩大佐を停職にしただけであった。この方針転換をめぐって⑦首相は天皇の不興をかい、 1929年に内閣は総辞職した。 ④の結果、①のもくろみとは逆に、張作霖の子で後継者の⑪は1928年、勢力下にあった②を国民政府支配下の土地と認めた。こうして、国民党の⑫は完了し、中国全土の統一がほぼ達成された。 中国では⑬、⑭を要求する民族運動が高まり、1931年には国民政府も不平等条約の無効を一方的に宣言する外交方針をとるようになった。

    関東軍, 満州, 奉天郊外, 張作霖爆殺事件, 満州某重大事件, 西園寺公望, 田中義一, 厳重処分, 閣僚, 河本大作, 張学良, 北伐, 不平等条約撤廃, 国権回収

  • 12

    関東軍… 1919年に関東都督府が①に改組された際に、 陸軍部が独立して②となった。③と④の守備を任務としたが、大陸進出の急先鋒となっていった。 満州を国民政府支配下の土地と認めた… ⑤は国民政府に合流し満洲全土で国民党の⑥を掲げた(⑦)。

    関東庁, 関東軍, 遼東半島租借地, 満鉄沿線, 張学良, 青天白日旗, 易幟事件

  • 13

    財界からは、第一次世界大戦後まもなく①に復帰した欧米諸国にならって、②を実施して為替相場を安定させ、貿易の振興をはかることを望む声が高まってきた。 1929年に成立した③の④内閣は、大蔵大臣に⑤前日銀総裁を起用し、財政を緊縮して物価の引下げをはかり、産業の合理化を進めて国際競争力の強化を目指した。そして1930年1月には②を断行し、 外国為替相場の安定と経済界の抜本的整理とをはかった。

    金本位制, 金輸出解禁, 立憲民政党, 浜口雄幸, 井上準之助

  • 14

    浜口内閣成立時の為替相場の実勢は100円=①ドル前後であったが、100円=②ドルの旧平価で解禁したので実質的には円の切上げとなった。 円高をもたらして日本の輸出商品を割高にし、 ひいては日本経済を③と不況に導く見込みの強い旧平価解禁をあえて実施したことには、④の改正をしないですむこと、円の国際的な信用を落とさないようにするという配慮に加えて、生産性の低い不良企業を整理・淘汰して日本経済の体質改善をはかる必要があるとの判断があった。

    46.45, 49.845, デフレーション, 貨幣法

  • 15

    ①を実施したちょうどその頃 1929年10月にニューヨークの②で始まった株価暴落が③に発展していたため、日本経済は①による不況とあわせて二重の打撃を受け、深刻な恐慌状態におちいった(④)。 輸出が大きく減少し、正貨は大量に海外に流出して企業の操業短縮・倒産があいつぎ、産業合理化によって賃金引下げや人員整理がおこなわれて、失業者が増大した。政府は独占資本に対する恐慌対策として、1931年に⑤を制定し、指定産業でのカルテルを助成した。 米価は1920年代から⑥の影響を受けて低迷していたが、昭和恐慌が発生すると、米をはじめ各種農産物の価格が⑦した。恐慌で消費が縮小したアメリカへの生糸輸出は激減し、その影響で⑧の価格も大きく下落した。 1930年には豊作のためにさらに米価がおし下げられて農家は「⑨」となり、翌1931年には一転して⑩・⑪が大凶作に見舞われた。不況のために兼業の機会が減ったうえ、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家の困窮は著しく(⑫) ⑬や子女の身売りが続出した。 このような状態のもとで、⑬・⑭が増加すると同時に、 無策な政党や、⑮を予期して円売り・ドル買いを進めた財閥を批判する声が高まっていった。

    金輸出解禁, ウォール街, 世界恐慌, 昭和恐慌, 重要産業統制法, 植民地米移入, 暴落, 繭, 豊作貧乏, 東北, 北海道, 農業恐慌, 欠食児童, 労働争議, 小作争議, 金輸出再禁止

  • 16

    政府は①以後、朝鮮・ 台湾での米の増産と品種改良をはかり、その移入を促進していた。 一方、この時期には②などの化学肥料の使用が本格化して、国内米の増産も進んだ。

    米騒動, 硫安

  • 17

    ①内閣は②外交の方針を復活させ、再び③を外務大臣に起用した。対中国関係を改善するために1930年に中国と④を結び条件つきではあったが中国に⑤を認めた。 また軍縮の方針に従って、1930年に⑥に参加し、⑥では、主力艦建造禁止をさらに5年延長することと、⑦で除外された補助艦(⑧・⑨・⑩)の保有量が取り決められた。当初の日本の要求のうち、補助艦の総トン数の対イギリス・アメリカ約7割は認められたものの、⑪の対米7割は受け入れられないまま日本政府は条約調印に踏みきった(⑫)。 これに対し、野党の⑬・⑭・右翼などは、海軍軍令部長の反対をおしきって政府が兵力量を決定したのは⑮であると激しく攻撃した。政府は⑯の同意を取りつけて、条約の批准に成功したが、1930年11月には①首相が⑰駅で右翼青年に狙撃されて重傷を負い、翌年⑱月に退陣し、まもなく死亡した。

    浜口雄幸, 協調, 幣原喜重郎, 日中関税協定, 関税自主権, ロンドン会議, ワシントン海軍軍備制限条約, 巡洋艦, 駆逐艦, 潜水艦, 大型巡洋艦, ロンドン海軍軍備制限条約, 立憲政友会, 海軍軍令部, 統帥権の干犯, 枢密院, 東京, 4

  • 18

    統帥権の干犯… 軍の最高指揮権である統帥権は①に属し、②が管掌する一般国務から独立し、その発動には参謀総長・③が直接参与した。憲法解釈上の通説では、兵力量の決定は憲法第④条の編制大権の問題で、②の輔弼事項であり、第⑤条の統帥大権とは別であった。しかし、⑥では、海軍軍令部が国防に要する兵力に責任をもつべきであるとされた。

    天皇, 内閣, 海軍軍令部長, 12, 11, 帝国国防方針

  • 19

    中国で①の民族運動が高まっている頃、日本国内では軍や右翼が②の協調外交を軟弱外交と非難し、「③」を叫んでいた。危機感を深めた関東軍は中国の①運動が満洲におよぶのを武力によって阻止し、満洲を④以南の中国主権と切り離して日本の勢力下におこうと計画した。 関東軍が参謀の⑤を中心として、1931年9月18日、奉天郊外の⑥で南満洲鉄道の線路を爆破し(⑦)、 これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始し、 ⑧が始まった。⑨内閣(⑩党)は⑪を声明したが、世論・マスコミは軍の行動を支持した。関東軍は、全満洲を軍事的制圧下におこうと戦線を拡大したため、事態の収拾に自信を失った⑨は総辞職した。

    国権回収, 幣原喜重郎, 満蒙の危機, 長城, 石原莞爾, 柳条湖, 柳条湖事件, 満州事変, 第二次若槻礼次郎, 立憲民政, 不拡大方針

  • 20

    ①は近い将来、東西両文明それぞれの盟主となった日米両国間で「②」が戦われ、それは③による殲滅戦争となるだろうと予言し、④を占領してこれに備えることを主張していた。

    石原莞爾, 世界最終戦争, 飛行機, 満州

  • 21

    満州事変のあと →満洲での日本の軍事行動は、 中国の①をますます激しくさせ、1932年には上海でも日中両軍が衝突した(②)。

    排日運動, 第一次上海事変

  • 22

    かわって1931年12月に①総裁②が組閣し、中国との直接交渉を目指したが、翌1932年になると、関東軍は満洲の主要地域を占領した。③は日本の一連の行動に対して不承認の宣言を発し、中国からの訴えと日本の提案で、④は事実調査のためにイギリスのリットンを団長とする調査団(⑤)を現地と日中両国に派遣した。関東軍は⑤の満洲到着前の3月に清朝最後の皇帝であった⑥を執政として、満洲国の建国を宣言させた。

    立憲政友会, 犬養毅, アメリカ, 国際連盟理事会, リットン調査団, 溥儀

  • 23

    満洲とは①・②・③の3省をいう。 成立した「満洲国」は④・⑤を加えた5省で、 新京(⑥)を首都とした。 中国国民政府はこの地域を「⑦」と呼んだ。

    奉天省, 吉林省, 黒竜江省, 熱河省, 興安省, 長春, 東北

  • 24

    ロンドン会議(統帥権干犯問題)・昭和恐慌、満洲事変などをきっかけに、軍人や右翼による急進的な①が急速に活発になっていった。陸海軍の青年将校および右翼運動家は、 日本の行き詰まりの原因が財閥・政党などの支配層の無能と腐敗にあると考え、これらを打倒して②の強力な内閣をつくり、内外政策の大転換をはかろうとした。 1931年には陸軍青年将校のクーデタ未遂事件(③・④)があり、翌1932年の2~3月には⑤率いる右翼の血盟団員が前大蔵大臣⑥・⑦理事長⑧を暗殺した(⑨)。さらに同年5月15日には⑩軍青年将校の一団が首相官邸におし入り、⑪首相を射殺するという 事件(⑫)もおこった。 一連のテロ活動は支配層をおびやかし、⑫のあと、元老⑬は穏健派の海軍大将⑭を後継首相に推薦した。ここに大正末以来8年で⑮は崩壊し、太平洋戦争後まで復活しなかった。

    国家改造運動, 軍中心, 三月事件, 十月事件, 井上日召, 井上準之助, 三井合名会社, 団琢磨, 血盟団事件, 海, 犬養毅, 五・一五事件, 西園寺公望, 斎藤実, 政党内閣

  • 25

    三月事件 ①率いる②軍青年将校の秘密結社③が、右翼指導者④の協力と一部陸軍首脳の賛同を得て、軍部政権樹立のクーデタを計画したが、未遂に終わった。 十月事件 ③が、④らの右翼と提携して政党内閣を倒し、満洲事変に呼応して国内改造を断行するクーデタを企てたが、未然に発覚して再び失敗に終わった。

    橋本欣五郎, 陸, 桜会, 大川周明

  • 26

    1932年9月①内閣は②を取りかわして③を承認した。 日本政府は既成事実の積み重ねで国際連盟に対抗しょうとしたが、連盟側は1933年2月の臨時総会で、④の報告にもとづき、③は日本の⑤であると認定し、日本が③の承認を撤回することを求める勧告案を採択した。⑥ら日本全権団は、勧告案を可決した総会の場から退場し、3月に日本政府は正式に⑦を通告した(1935年発効)。 1933年5月、日中軍事停戦協定(⑧)が結ばれ、 ⑨自体は終息した。しかし、日本は③の経営・開発に乗り出し、1934年には③を⑩を皇帝とする帝政に移行させた。 1936年には、日本が⑪を脱退して⑫が失効し、1934年に廃棄を通告していた⑬も続いて失効し、日本は国際的に孤立するに至った。

    斎藤実, 日満議定書, 満洲国, リットン調査団, 傀儡国家, 松岡洋右, 国際連盟脱退, 塘沽停戦協定, 満州事変, 溥儀, 第二次ロンドン海軍軍縮会議, ロンドン海軍軍備制限条約, ワシントン海軍軍備制限条約

  • 27

    満洲国… 日本の権益を確認し、日本軍の①を認めた。 このほか、付属の秘密文書では、 満洲の②の管理を日本に委託すること、関東軍司令官の推薦・同意にもとづいて 満洲国政府の要職に③を採用することなどが規定され た。 リットン報告書… 日本の軍事行動は合法的な自衛措置ではなく、満洲国は自発的な④によってつくられたものではないとしながら も、一方で日本の⑤に中国側が配慮すべきであるとする妥協的なものであった。

    無条件駐屯, 交通機関, 日本人, 民族独立運動, 経済的権益

  • 28

    塘沽停戦協定… 河北省東北部の①から中国軍と日本軍の双方が撤退し、そこに②を設定して治安維持には③が当たることになった。

    冀東地区, 非武装地帯, 中国警察

  • 29

    1931年12月に成立した犬養毅内閣の大蔵大臣①は、ただちに②を断行し、ついで円の金兌換を停止し、日本は事実上の③に移行した。恐慌下で合理化を進めていた諸産業は、円相場の大幅な下落(④)を利用して、輸出を飛躍的にのばしていった。とくに⑤の輸出拡大はめざましく、イギリスにかわって世界第⑥位の規模に達した。 この頃、世界の情勢は大きくゆれ動き、列強は世界恐慌からの脱出をはかろうとして苦しんでいた。イギリスは、本国と植民地で排他的な⑦をつくり、輸入の割当てや高率の関税による保護貿易政策をとった。イギリスをはじめ列強は、自国の植民地に日本が円安を利用して輸出を拡大したことを⑧と非難して対抗した。一方、輸入面では綿花・⑨・⑩・機械などにおいて、日本はアメリカへの依存度を高めていった。

    高橋是清, 金輸出再禁止, 管理通貨制度, 円安, 綿織物, 1, ブロック経済圏, ソーシャル・ダンピング, 石油, 屑鉄

  • 30

    管理通貨制度… 1942年の①制定によって恒久的に制度化された。 円安… 1932年には円の外国為替相場が金解禁時代の半分以下になり、100円につき20ドルを割ることさえあった。

    日本銀行法

  • 31

    世界各国の恐慌への対応… アメリカでは1933年に就任した①大統領が、財政支出による一連の景気刺激策(②)をとってこの危機を切り抜けようとした。 イタリア・ドイツなどでは、 ファシスト党を率いた③やナチ党を率いた④による一党独裁の⑤体制が確立していった。 ソ連は一国社会主義をとなえる独裁者⑥のもとで、⑦を通じて、独自の中央集権的経済体制を築いていった。

    フランクリン・ローズヴェルト, ニューディール政策, ムッソリーニ, ヒトラー, 全体主義, スターリン, 計画経済

  • 32

    輸出の躍進に加え、①の発行による軍事費・農村救済費を中心とする財政の膨張で産業界は活気 づき、日本はほかの資本主義諸国に先がけ②年頃には③以前の生産水準を回復した。 とくに、軍需と保護政策とに支えられて④がめざましく発達し、金属・機械・化学工業をあわせた生産額は、③年に⑤を上まわり、さらに1938年には工業生産額全体の過半を占め、産業構造が⑥中心から④中心へと変化した。 鉄鋼業では、八幡製鉄所と財閥系製鉄会社の大合同がおこなわれて国策会社⑦が生まれ、鋼材の自給が達成された。自動車工業や化学工業では、⑧・⑨などの⑩が台頭し、軍と結びついて満洲・朝鮮へも進出していった。また既成財閥も、重化学工業部門の増強を積極的に進めた。 農業恐慌の中で⑪が高まると、政府は1932年度から⑫と称して公共土木事業をおこない、農民を日雇い労働に雇用して現金収入の途を与えた。さらに政府は⑬を始め、産業組合の拡充などを通じて農民を結束させ、「⑭」をはからせた。

    赤字国債, 1933, 世界恐慌, 重化学工業, 繊維工業, 軽工業, 日本製鉄会社, 日産, 日窒, 新興財閥, 農村救済請願運動, 時局匡救事業, 農山漁村経済更生運動, 自力更生

  • 33

    満洲事変をきっかけに日本国内で生まれたナショナリズムの高揚は、国家による弾圧とあいまって、社会主義運動に大きな衝撃を与え、社会主義からの大量の①という現象を発生させた。四分五裂を続けてきた無産政党も②に転じ、1932年には、③を中心に④党が結成された。残った人々は合同して当時最大の無産政党である⑤党を結成したが、しだいに②化した。さらに1933年、獄中にあった日本共産党の最高指導者たちが⑥を発表したことは、大量転向のきっかけとなった。わずかに社会主義を守り続けた⑦らの日本無産党なども、1937年には弾圧されて活動を停止した。 思想・言論の取締りも強化され、共産主義ばかりでなく、自由主義・ 民主主義的な学問への弾圧事件もつぎつぎにおこった。また、ジャ ーナリズムのうえでも、軍部の②的な国内改革への期待がしだいに支配的な論調になっていった。

    転向, 国家社会主義, 赤松克麿, 日本国家社会, 社会大衆, 転向声明書, 鈴木茂三郎

  • 34

    国家社会主義… イタリアの①党やドイツの②党と同じ考え方。 日本国家社会党は「③」の平等社会の実現をとなえ 民族的利益の擁護という立場から戦争を④した。

    ファシスト党, ナチ党, 一君万民, 支持

  • 35

    大量転向… ①・②の両幹部は連名で転向を声明し、③が日本共産党に指示した④・侵略戦争反対の方針を批判し、天皇制と民族主義のもとでの⑤の実現を提唱した。 この声明をきっかけに獄中の大半の党員は転向した

    佐野学, 鍋山貞親, コミンテルン, 天皇制打倒, 一国社会主義

  • 36

    1933年、自由主義的刑法学説をとなえていた①(京都帝国大学教授)が②(文部大臣)の圧力で休職処分を受けたのに対し、京都帝国大学法学部教授会は全員 辞表を提出して抵抗したが、 結局敗北した(③)。

    滝川幸辰, 鳩山一郎, 滝川事件

  • 37

    国内政治に対する政党の影響力は①後、 しだいに小さくなり、逆に、軍部(とくに陸軍)や②党・革新・現状打破を掲げる勢力が政治的発言力を増大させ、これに一部の官僚(革新官僚)や政党人が同調した。彼らは、斎藤実・③と、2代の④軍穏健派内閣が続いたことに不満をつのらせた。1934年に陸軍省が発行したパンフレット「⑤」は、陸軍が政治・経済の運営に関与する意欲を示したものとして、論議を巻きおこした。 かねてから⑥の憲法学説は右翼の攻撃を受けていたが、1935年、⑦院で軍出身議員の⑧がこれを反国体的と非難したのをきっかけに、にわかに政治問題化した(⑨事件)。 ⑥の⑨はそれまで大日本帝国憲法体制を支えてきた いわば正統学説であったが、現状打破を望む陸軍、立憲政友会の一部、 右翼、在郷軍人会などが全国的に激しい排撃運動を展開したので、③内閣はこれに屈して⑩を出し、⑨を否認した。こうして、政党政治や政党内閣制は、民本主義と並ぶ理論的支柱を失った。

    五・一五事件, 反既成政, 岡本啓介, 海, 国防の本義と其強化の提唱, 美濃部達吉, 天皇機関説, 国体明徴声明

  • 38

    政治的発言力を増した陸軍の内部では、隊付の青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒、①の実現を目指す②と、陸軍省や参謀本部の③を中心に、革新官僚や財閥と結んだ軍部の強力な統制のもとで④樹立を目指す⑤が対立していた。 1936年2月26日早朝、⑥の思想的影響を受けていた②の一部青年将校たちが、約1400人の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲い、⑦内大臣・⑧大蔵大臣・⑨教育総監らを殺害し、国会を含む国政の中枢を⑩日間にわたって占拠した(⑪)。 首都には⑫が出された。 このクーデターは、国家改造・⑬を目指したが、天皇が厳罰を指示したこともあり、⑭として鎮圧された。事件後、統制派が皇道派を排除して陸軍内での主導権を確立し、⑮の政治的発言力はいっそう強まった。岡田内閣にかわった⑯内閣は、閣僚の人選や⑰・財政改革などについて軍の要求を入れてかろうじて成立したが以後の諸内閣に対する軍の介入の端緒となった。

    天皇親政, 皇道派, 中堅幕僚将校, 総力戦体制, 統制派, 北一輝, 斎藤実, 高橋是清, 渡辺錠太郎, 4, 二・二六事件, 戒厳令, 軍部政権樹立, 反乱軍, 陸軍, 広田弘毅, 軍備拡張

  • 39

    天皇機関説… 統治権の主体を法人としての国家に帰属させ、天皇は国家の①として憲法に従って統治権を行使すると説明するもの。 統治権は神聖不可侵の天皇に属し、それは無制限であるとする②らの学説と対立していた。 北一輝… 右翼の理論的指導者で、天皇と軍隊を中核とする国家改造方針について論じた『③』(④年刊)は、 右翼運動家のバイブルとなっ ていた。

    最高機関, 上杉慎吉, 日本改造法案大綱, 1923

  • 40

    1936年にはワシントン・ロンドン両海軍軍備制限条約が失効するため、陸海軍による①にもとづいて、②内閣は「国策の基準」で、大陸における日本の地歩を確保する一方で、 南方へ漸進的に進出する方針を決定し、外交では③と提携を強めてソ連に対抗し、国内では大規模な軍備拡張計画が推進された。 しかし、国内改革の不徹底を不満とする軍と、大軍拡に反対する政党の双方からの反発で、②内閣は④年1月総辞職し、組閣の大命は⑤軍の穏健派⑥にくだった。これに反発する陸軍が陸軍大臣を推挙しなかったので、⑥は組閣を断念せざるをえなかった。結局、陸軍大将の⑦が組閣し、軍部と財界との調整をはかったが(⑧)、これも短命に終わった。同年6月、この時、貴族院議長をつとめていた⑨が、元老・軍部から一般民衆まで国民各層の期待を集め、第1次⑨内閣を組織した。

    帝国国防方針の改定, 広田弘毅, ドイツ, 1937, 陸, 宇垣一成, 林銑十郎, 軍財抱合, 近衛文麿

  • 41

    広田弘毅内閣… 1936年に①,②が失効→③に基づき軍備拡張など。 陸軍の要求に従って④を復活させた。

    ワシントン海軍軍備制限条約, ロンドン海軍軍備制限条約, 帝国国防方針の改定, 軍部大臣現役武官制

  • 42

    帝国国防方針の改定… 国防方針の改定に際して、陸軍は① 海軍は②をとったため、「国策の基準」ではこれらを併記し、折衷した。 軍備拡張計画… 海軍は、③・④を含む大建艦計画を進めた。 軍財抱合… 陸軍⑤は、大軍拡を進めるために、まず⑥の育成が必要と考えた。

    北進論, 南進論, 戦艦大和, 戦艦武蔵, 統制派, 重要産業