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鎌倉文化

鎌倉文化
18問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    鎌倉時代は①が文化の担い手となって伝統文化を受け継ぎながらも一方では②や③に支持された新しい文化が生み出され次第に成長していった時代である その文化は①や②などの家や集団に継承されていった。 新しい文化を生み出した背景の一つは②の素朴で質実な気風が文学や美術に影響を与えるようになったことでもう1つは日中間を往来した僧侶・商人らによって④・⑤の文化がもたらされたことである。

    公家, 武士, 庶民, 南宋, 元

  • 2

    仏教ではそれまでの①や学問中心のものから、内面的な深まりをもちつつ、庶民など広い階層を対象と する新しい教えへの変化が始まった。 その最初に登場したのが、浄土教の流れをくむ②である。③の教学を学んだ②は、源平争乱の頃、もっぱら阿弥陀仏の誓いを信じ、④(南無阿弥陀仏)をとなえれば、死後は平等に⑤に往生できるという⑥の教えを説いて、のちに⑦の開祖と仰がれた。 ②教えは摂関家の⑧をはじめとする公家のほか 武士や庶民にまで広まったが、一方で旧仏教側からの非難が高まり②は⑨(実際は⑩)に流され、弟子たちも迫害された。

    祈祷, 法然, 天台, 念仏, 極楽浄土, 専修念仏, 浄土宗, 九条兼実, 土佐, 讃岐

  • 3

    ①もこの時、法然の弟子の1人として②に流されたが、のちに関東の③に移って師の教えを一歩進め、煩悩の深い人間こそが、阿弥陀仏の救いの対象であるという④を説いた。その教えは農民や地方武士のあいだに広まり、やがて⑤(⑥)と呼ばれる教団が形成されていった。

    親鸞, 越後, 常陸, 悪人正機, 浄土真宗, 一向宗

  • 4

    同じ浄土教の流れの中からやや遅れて出たのが①である。①は、善人・悪人や②の有無を問うことなく、すべての人が救われるという念仏の教えを説き、③を配り④によって多くの人々に教えを広めながら各地を布教して歩いた。その教えは⑤と呼ばれ 地方の武士や庶民に受け入れられた。

    一遍, 信心, 念仏札, 踊念仏, 時宗

  • 5

    ①は全国を遊行したため②と呼ばれ、①に従った人々は③といわれた。写真は京都の市屋道場で①が弟子たちと鉦を打ち床を踏みながら踊っているところ。

    一遍, 遊行上人, 時宗

  • 6

    従来の①信仰をもとに新しい救いの道を開いたのが②である。初め天台宗を学び、やがて①経を釈迦の正しい教えとして選んで、③(南無妙法蓮華経)をとなえることで救われると説いた。 鎌倉を中心に他宗を激しく攻撃しながら④の到来を予言するなどして布教を進めたため⑤から迫害を受けたが、②宗(①宗)は関東の武士層や商工業者を中心に広まっていった。

    法華, 日蓮, 題目, 国難, 幕府

  • 7

    関東を中心に武士の間に大きな勢力をもつようになったのは①である。 坐禅によってみずからを鍛錬し釈迦の境地に近づくことを主張する①は12世紀末に南宋に渡った天台の僧②によって日本に伝えられた。②は③の祈祷にもすぐれ公家や幕府有力者の帰依を受けて、のちに④の開祖と仰がれた。幕府は④を重んじ、②の死後、南宋から来日した⑤・⑥ら多くの⑦をまねいて鎌倉に⑧・⑨などの大寺院を次々と建立していった。 それは①のきびしい修行が武士の気風にあっていたためであるが海外の新しい文化を吸収する目的もあった。

    禅宗, 栄西, 密教, 臨済宗, 蘭渓道隆, 無学祖元, 禅僧, 建長寺, 円覚寺

  • 8

    禅宗の中でただひたすら坐禅に徹せよと説き①を 広めたのが②である。栄西の弟子に学んだ②は南宋に渡ってさらに禅を学び、坐禅そのものを重視する教えを説いて、越前に③を開いた。 その弟子たちは旧来の信仰も取り入れて各地で布教を進めたので、 曹洞宗は広く地方に広まっていった

    曹洞宗, 道元, 永平寺

  • 9

    ①は坐禅の中で師から与えられる問題を1つひとつ解決(②)して悟りに達することを主眼とし ③はひたすら坐禅すること(④)によって悟りの境地を体得しようとしたところに特徴がある。

    臨済宗, 公案問答, 曹洞宗, 只管打坐

  • 10

    このような新仏教に刺激されて、旧仏教側も新たな動きをみせた。 鎌倉時代の初め頃、法相宗の①や華厳宗の②は戒律を尊重して③の復興に力を注いだ。やや遅れて律宗の④と⑤らは、戒律を重んじるとともに貧しい人々や病人の救済・治療、 湊や橋の修理などの社会事業にも力をつくし、鎌倉幕府に受け入れられ、多くの人々に影響を与えた。 なお、旧仏教各宗のもとでは古くからの山岳宗教と結びついた⑥が広くおこなわれた。また⑦の考えが広まるとともに鎌倉時代末期になると鎌倉仏教の影響を受けた独自の神道理論が、伊勢外宮の神官⑧によって形成され⑨と呼ばれた。

    貞慶, 明恵, 南都仏教, 叡尊, 忍性, 修験道, 神仏習合, 度会家行, 伊勢神道

  • 11

    ①は奈良に病人の救済施設②を建て、治療や慈善につくした。 ③は『④』を著し、従来の⑤と反対の立場に立ち、神を主として仏を従とする⑥をとなえた。

    忍性, 北山十八間戸, 度会家行, 類聚神祇本源, 本地垂迹説, 神本仏迹説

  • 12

    文学の世界でも新しい動きが始まった。 武士の家に生まれた①は出家して平安時代末期の変動する諸国を遍歴しつつ、すがすがしい秀歌をよんで歌集『②』を残した。 歌人としても知られた③は『④』を著して人間も社会も転変してすべてはむなしいと説いた。 承久の乱の直前に、『⑤』で歴史を貫く原理を探り道理による歴史の解釈を試みた⑥も含め 彼らの作品には浄土への往生を願う当時の仏教思想が表れている。 後鳥羽上皇の命で『⑦』が編纂された影響は大きく編者の⑧・⑨らが示した歌風は平安時代の伝統に学んで技巧的な表現をこらしながらも、観念的な美の 境地を生み出した。こうした作風は後鳥羽上皇を中心とする貴族たちに広く受け入れられて多くのすぐれた和歌がよまれ、⑧らは⑩を形成した。 上皇の影響を受けて将軍源実朝も歌に励み⑪調の歌をよんで、『⑫』を残した。 このように、作歌に励む武士も少なくなかった。

    西行, 山家集, 鴨長明, 方丈記, 愚管抄, 慈円, 新古今和歌集, 藤原定家, 藤原家隆, 和歌の家, 万葉, 金塊和歌集

  • 13

    ①は鎌倉幕府開創期に源頼朝と親しかった摂政・関白②の弟で天台座主の要職にもあり、承久の乱を前にして後鳥羽上皇を中心とした倒幕計画をいさめるねらいもあって『③』を著した。

    慈円, 九条兼実, 愚管抄

  • 14

    この時代の文学の中で、もっとも特色があるのは、戦いを題材に武士の活躍ぶりをいきいきと描き出した①である。なかでも平氏の興亡を主題とした『②』は、③によって④として語 られたことにより、文字を読めない人々にも広く親しまれた。 説話文学では、承久の乱後に『⑤』など多くの作品が生まれた。その系譜を引く兼好法師の『⑥』は、著者の広い見聞と鋭い観察眼による随筆の名作で、鎌倉文化の特色がよく表されている。 学問では、公家のあいだで過ぎ去ったよき時代への懐古と尊重から朝廷の儀式・先例を研究する⑦の 学や古典の研究が盛んになった。 その一方で、鎌倉の武士たちも執権政治のもとでの合議制や 「御成敗式目」をつくるなど、内外の文化や学問への関心をもつようになり、幕府の歴史を編年体で記した史書『⑧』も編まれた。北条氏一門の⑨とその子孫は、鎌倉の外港として栄えた⑩の金沢に⑪を設け、和漢の書物を集めて学問に励んだ。 この時代の末期には、宋の⑫が打ちたてた儒学の1つである⑬(朱子学)が伝えられた。そのうちの⑭が与えた影響は大きく、⑮を中心とする討幕運動の理論的なよりどころともなった。

    軍記物語, 平家物語, 琵琶法師, 平曲, 古今著聞集, 徒然草, 有職故実, 吾妻鏡, 金沢実時, 六浦, 金沢文庫, 朱熹, 宋学, 大義名分論, 後醍醐天皇

  • 15

    美術の諸分野でも新しい傾向がおこっていた。 そのきっかけとなったのは、源平の争乱によって焼失した奈良の諸寺の復興である。 ①は勧進上人となって復興資金 を広く寄付に仰いで各地をまわり、宋人②の協力を得て③の再建に当たった。その時に採用されたのが、大陸的な雄大さ、豪放な力強さを特徴とする④の建築様式で⑤が代表的遺構である。 つづいて、⑥が伝えられた。この様式は細かな部材を 組み合わせて整然とした美しさを表すのが特徴で、⑦などの禅寺の建築に用いられた。 一方、大陸伝来の新様式の構築法を、 平安時代以来の日本的なやわらかな美しさをもつ和様に取り入れた⑧も盛んになった。 彫刻の分野では奈良の諸寺の復興とともに、奈良仏師の⑨・⑩父子や⑪らが、仏像や⑫をつくり出した奈良時代以来の彫刻の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代の精神を生かした力強い⑬や豊かな人間味の表れが彼らの作風の特徴である。鎌倉時代中期になると、大陸から新しい技術が伝えられて鎌倉の大仏がつくられたがこれは幕府の援助を得て勧進上人が人々の寄付を受けてつくられたものである。

    重源, 陳和卿, 東大寺, 大仏様, 東大寺南大門, 禅宗様, 円覚寺舎利殿, 折衷様, 運慶, 湛慶, 快慶, 肖像彫刻, 写実性

  • 16

    絵画では平安時代末期に始まった絵巻物が全盛期を迎えた。 物語絵巻のみならず、この時代には武士の活躍を描いた『①』などの合戦絵巻が制作され、また『②』などの寺社の縁起や『③』などの高僧の伝記などが民衆に教を広めるために制作された。

    蒙古襲来絵詞, 春日権現験記絵, 一遍上人絵伝

  • 17

    個人の肖像を描く写実的な①には②・③の名手が出た。①は肖像彫刻の発達と並んで、この時代に個性に対する関心が高まってきたことをよく示している。禅宗の僧侶が師僧の肖像画(④)を崇拝する風習も鎌倉時代の中頃に中国から伝わった。 書道では⑤の優美な書に加えて宋・元の書風が伝えられると、平安時代以来の和様をもとにして、伏見天皇の皇子⑥が、宋の書風を取り入れて⑦を創始した。工芸では武士の成長とともに武具の制作が盛んになり刀剣では備前の⑧、京都の⑨、鎌倉の⑩らが現れ名作を残した。 また宋・元の強い影響を受けながら、尾張の⑪や⑫ 備前の⑬など、各地で陶器生産が発展をとげた。 それらの陶器は日本列島に広く流通し、京都・鎌倉をはじめとして、備後の尾道など各地の湊や宿といった町の遺跡から発掘されている。

    似絵, 藤原隆信, 藤原信実, 頂相, 法性寺流, 尊円入道親王, 青蓮院流, 長光, 藤四郎吉光, 正宗, 瀬戸焼, 常滑焼, 備前焼

  • 18

    金剛力士像…東大寺南大門の左右に立つ約8.5mにおよぶ木造の①。②と③がある。  ④と⑤らが分担して70日ほどで製作したもので、そのみなぎる力強さは勃興する武士の力を示すかのようである。

    仁王像, 吽形, 阿行, 運慶, 快慶

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  • 1

    鎌倉時代は①が文化の担い手となって伝統文化を受け継ぎながらも一方では②や③に支持された新しい文化が生み出され次第に成長していった時代である その文化は①や②などの家や集団に継承されていった。 新しい文化を生み出した背景の一つは②の素朴で質実な気風が文学や美術に影響を与えるようになったことでもう1つは日中間を往来した僧侶・商人らによって④・⑤の文化がもたらされたことである。

    公家, 武士, 庶民, 南宋, 元

  • 2

    仏教ではそれまでの①や学問中心のものから、内面的な深まりをもちつつ、庶民など広い階層を対象と する新しい教えへの変化が始まった。 その最初に登場したのが、浄土教の流れをくむ②である。③の教学を学んだ②は、源平争乱の頃、もっぱら阿弥陀仏の誓いを信じ、④(南無阿弥陀仏)をとなえれば、死後は平等に⑤に往生できるという⑥の教えを説いて、のちに⑦の開祖と仰がれた。 ②教えは摂関家の⑧をはじめとする公家のほか 武士や庶民にまで広まったが、一方で旧仏教側からの非難が高まり②は⑨(実際は⑩)に流され、弟子たちも迫害された。

    祈祷, 法然, 天台, 念仏, 極楽浄土, 専修念仏, 浄土宗, 九条兼実, 土佐, 讃岐

  • 3

    ①もこの時、法然の弟子の1人として②に流されたが、のちに関東の③に移って師の教えを一歩進め、煩悩の深い人間こそが、阿弥陀仏の救いの対象であるという④を説いた。その教えは農民や地方武士のあいだに広まり、やがて⑤(⑥)と呼ばれる教団が形成されていった。

    親鸞, 越後, 常陸, 悪人正機, 浄土真宗, 一向宗

  • 4

    同じ浄土教の流れの中からやや遅れて出たのが①である。①は、善人・悪人や②の有無を問うことなく、すべての人が救われるという念仏の教えを説き、③を配り④によって多くの人々に教えを広めながら各地を布教して歩いた。その教えは⑤と呼ばれ 地方の武士や庶民に受け入れられた。

    一遍, 信心, 念仏札, 踊念仏, 時宗

  • 5

    ①は全国を遊行したため②と呼ばれ、①に従った人々は③といわれた。写真は京都の市屋道場で①が弟子たちと鉦を打ち床を踏みながら踊っているところ。

    一遍, 遊行上人, 時宗

  • 6

    従来の①信仰をもとに新しい救いの道を開いたのが②である。初め天台宗を学び、やがて①経を釈迦の正しい教えとして選んで、③(南無妙法蓮華経)をとなえることで救われると説いた。 鎌倉を中心に他宗を激しく攻撃しながら④の到来を予言するなどして布教を進めたため⑤から迫害を受けたが、②宗(①宗)は関東の武士層や商工業者を中心に広まっていった。

    法華, 日蓮, 題目, 国難, 幕府

  • 7

    関東を中心に武士の間に大きな勢力をもつようになったのは①である。 坐禅によってみずからを鍛錬し釈迦の境地に近づくことを主張する①は12世紀末に南宋に渡った天台の僧②によって日本に伝えられた。②は③の祈祷にもすぐれ公家や幕府有力者の帰依を受けて、のちに④の開祖と仰がれた。幕府は④を重んじ、②の死後、南宋から来日した⑤・⑥ら多くの⑦をまねいて鎌倉に⑧・⑨などの大寺院を次々と建立していった。 それは①のきびしい修行が武士の気風にあっていたためであるが海外の新しい文化を吸収する目的もあった。

    禅宗, 栄西, 密教, 臨済宗, 蘭渓道隆, 無学祖元, 禅僧, 建長寺, 円覚寺

  • 8

    禅宗の中でただひたすら坐禅に徹せよと説き①を 広めたのが②である。栄西の弟子に学んだ②は南宋に渡ってさらに禅を学び、坐禅そのものを重視する教えを説いて、越前に③を開いた。 その弟子たちは旧来の信仰も取り入れて各地で布教を進めたので、 曹洞宗は広く地方に広まっていった

    曹洞宗, 道元, 永平寺

  • 9

    ①は坐禅の中で師から与えられる問題を1つひとつ解決(②)して悟りに達することを主眼とし ③はひたすら坐禅すること(④)によって悟りの境地を体得しようとしたところに特徴がある。

    臨済宗, 公案問答, 曹洞宗, 只管打坐

  • 10

    このような新仏教に刺激されて、旧仏教側も新たな動きをみせた。 鎌倉時代の初め頃、法相宗の①や華厳宗の②は戒律を尊重して③の復興に力を注いだ。やや遅れて律宗の④と⑤らは、戒律を重んじるとともに貧しい人々や病人の救済・治療、 湊や橋の修理などの社会事業にも力をつくし、鎌倉幕府に受け入れられ、多くの人々に影響を与えた。 なお、旧仏教各宗のもとでは古くからの山岳宗教と結びついた⑥が広くおこなわれた。また⑦の考えが広まるとともに鎌倉時代末期になると鎌倉仏教の影響を受けた独自の神道理論が、伊勢外宮の神官⑧によって形成され⑨と呼ばれた。

    貞慶, 明恵, 南都仏教, 叡尊, 忍性, 修験道, 神仏習合, 度会家行, 伊勢神道

  • 11

    ①は奈良に病人の救済施設②を建て、治療や慈善につくした。 ③は『④』を著し、従来の⑤と反対の立場に立ち、神を主として仏を従とする⑥をとなえた。

    忍性, 北山十八間戸, 度会家行, 類聚神祇本源, 本地垂迹説, 神本仏迹説

  • 12

    文学の世界でも新しい動きが始まった。 武士の家に生まれた①は出家して平安時代末期の変動する諸国を遍歴しつつ、すがすがしい秀歌をよんで歌集『②』を残した。 歌人としても知られた③は『④』を著して人間も社会も転変してすべてはむなしいと説いた。 承久の乱の直前に、『⑤』で歴史を貫く原理を探り道理による歴史の解釈を試みた⑥も含め 彼らの作品には浄土への往生を願う当時の仏教思想が表れている。 後鳥羽上皇の命で『⑦』が編纂された影響は大きく編者の⑧・⑨らが示した歌風は平安時代の伝統に学んで技巧的な表現をこらしながらも、観念的な美の 境地を生み出した。こうした作風は後鳥羽上皇を中心とする貴族たちに広く受け入れられて多くのすぐれた和歌がよまれ、⑧らは⑩を形成した。 上皇の影響を受けて将軍源実朝も歌に励み⑪調の歌をよんで、『⑫』を残した。 このように、作歌に励む武士も少なくなかった。

    西行, 山家集, 鴨長明, 方丈記, 愚管抄, 慈円, 新古今和歌集, 藤原定家, 藤原家隆, 和歌の家, 万葉, 金塊和歌集

  • 13

    ①は鎌倉幕府開創期に源頼朝と親しかった摂政・関白②の弟で天台座主の要職にもあり、承久の乱を前にして後鳥羽上皇を中心とした倒幕計画をいさめるねらいもあって『③』を著した。

    慈円, 九条兼実, 愚管抄

  • 14

    この時代の文学の中で、もっとも特色があるのは、戦いを題材に武士の活躍ぶりをいきいきと描き出した①である。なかでも平氏の興亡を主題とした『②』は、③によって④として語 られたことにより、文字を読めない人々にも広く親しまれた。 説話文学では、承久の乱後に『⑤』など多くの作品が生まれた。その系譜を引く兼好法師の『⑥』は、著者の広い見聞と鋭い観察眼による随筆の名作で、鎌倉文化の特色がよく表されている。 学問では、公家のあいだで過ぎ去ったよき時代への懐古と尊重から朝廷の儀式・先例を研究する⑦の 学や古典の研究が盛んになった。 その一方で、鎌倉の武士たちも執権政治のもとでの合議制や 「御成敗式目」をつくるなど、内外の文化や学問への関心をもつようになり、幕府の歴史を編年体で記した史書『⑧』も編まれた。北条氏一門の⑨とその子孫は、鎌倉の外港として栄えた⑩の金沢に⑪を設け、和漢の書物を集めて学問に励んだ。 この時代の末期には、宋の⑫が打ちたてた儒学の1つである⑬(朱子学)が伝えられた。そのうちの⑭が与えた影響は大きく、⑮を中心とする討幕運動の理論的なよりどころともなった。

    軍記物語, 平家物語, 琵琶法師, 平曲, 古今著聞集, 徒然草, 有職故実, 吾妻鏡, 金沢実時, 六浦, 金沢文庫, 朱熹, 宋学, 大義名分論, 後醍醐天皇

  • 15

    美術の諸分野でも新しい傾向がおこっていた。 そのきっかけとなったのは、源平の争乱によって焼失した奈良の諸寺の復興である。 ①は勧進上人となって復興資金 を広く寄付に仰いで各地をまわり、宋人②の協力を得て③の再建に当たった。その時に採用されたのが、大陸的な雄大さ、豪放な力強さを特徴とする④の建築様式で⑤が代表的遺構である。 つづいて、⑥が伝えられた。この様式は細かな部材を 組み合わせて整然とした美しさを表すのが特徴で、⑦などの禅寺の建築に用いられた。 一方、大陸伝来の新様式の構築法を、 平安時代以来の日本的なやわらかな美しさをもつ和様に取り入れた⑧も盛んになった。 彫刻の分野では奈良の諸寺の復興とともに、奈良仏師の⑨・⑩父子や⑪らが、仏像や⑫をつくり出した奈良時代以来の彫刻の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代の精神を生かした力強い⑬や豊かな人間味の表れが彼らの作風の特徴である。鎌倉時代中期になると、大陸から新しい技術が伝えられて鎌倉の大仏がつくられたがこれは幕府の援助を得て勧進上人が人々の寄付を受けてつくられたものである。

    重源, 陳和卿, 東大寺, 大仏様, 東大寺南大門, 禅宗様, 円覚寺舎利殿, 折衷様, 運慶, 湛慶, 快慶, 肖像彫刻, 写実性

  • 16

    絵画では平安時代末期に始まった絵巻物が全盛期を迎えた。 物語絵巻のみならず、この時代には武士の活躍を描いた『①』などの合戦絵巻が制作され、また『②』などの寺社の縁起や『③』などの高僧の伝記などが民衆に教を広めるために制作された。

    蒙古襲来絵詞, 春日権現験記絵, 一遍上人絵伝

  • 17

    個人の肖像を描く写実的な①には②・③の名手が出た。①は肖像彫刻の発達と並んで、この時代に個性に対する関心が高まってきたことをよく示している。禅宗の僧侶が師僧の肖像画(④)を崇拝する風習も鎌倉時代の中頃に中国から伝わった。 書道では⑤の優美な書に加えて宋・元の書風が伝えられると、平安時代以来の和様をもとにして、伏見天皇の皇子⑥が、宋の書風を取り入れて⑦を創始した。工芸では武士の成長とともに武具の制作が盛んになり刀剣では備前の⑧、京都の⑨、鎌倉の⑩らが現れ名作を残した。 また宋・元の強い影響を受けながら、尾張の⑪や⑫ 備前の⑬など、各地で陶器生産が発展をとげた。 それらの陶器は日本列島に広く流通し、京都・鎌倉をはじめとして、備後の尾道など各地の湊や宿といった町の遺跡から発掘されている。

    似絵, 藤原隆信, 藤原信実, 頂相, 法性寺流, 尊円入道親王, 青蓮院流, 長光, 藤四郎吉光, 正宗, 瀬戸焼, 常滑焼, 備前焼

  • 18

    金剛力士像…東大寺南大門の左右に立つ約8.5mにおよぶ木造の①。②と③がある。  ④と⑤らが分担して70日ほどで製作したもので、そのみなぎる力強さは勃興する武士の力を示すかのようである。

    仁王像, 吽形, 阿行, 運慶, 快慶