第26回 律令政治と貴族の政治

飛鳥時代~奈良時代~平安時代。大宝律令から平治の乱あたりまで

第26回 律令政治と貴族の政治
52問 • 1年前飛鳥時代~奈良時代~平安時代。大宝律令から平治の乱あたりまで
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  • 1

    唐の都の(①)は(②)と呼ばれる交通路を通じてさまざまな国から使節や商人が訪れる国際都市だった。その進んだ政治や文化を学ぼうと、日本もさかんに(③)を送っていた。

    長安, シルクロード, 遣唐使

  • 2

    (①)年(②だれ)のときに完成した(③)は、天武天皇の子の刑部親王(おさかべしんのう)や中臣鎌足の子の藤原不比等などの役人によって作られた。(③)は大化の改新以来のさまざまな決まりの集大成(まとめ)であり、この後の日本の政治のあり方に影響をあたえることとなった。

    701, 文武天皇, 大宝律令

  • 3

    (①)によって国家のものとなった土地は、(②)として(③)歳以上の(④)にあたえられた。(②)は6年ごとにつくりなおされる戸籍にもとづいて授け、死後は国に返された。この制度を(⑤)という。

    公地公民, 口分田, 6, 男女, 班田収授の法

  • 4

    当時の税は田にかけられ、稲(米)で納める(①)、布または各地の特産物を納める(②)、1年のうち10日間都で働く代わりに布などを納めさせる(③)などがあった。

    租(漢字注意), 調, 庸(よう)

  • 5

    納める税のうち、(①)は国ごとの役所に納められ、(②)や(③)は税を納める者が自分で都(朝廷)まで運ばなければならず、農民にとって思い負担になっていた。

    租, 調, 庸

  • 6

    都まで税を運ぶ時の荷札や、役所間での連絡や品物のやり取りをする伝票などには、細長い木の札の(①)が使われた。

    木簡(もっかん)

  • 7

    九州の警備に(①)年間つく(②)も農民にとって重い負担となっていた。

    3, 防人

  • 8

    文武天皇の死後、その母である(①)が天皇の位についた。(①)は708年に労働者への賃金の支払い使うために(②)をつくり、また、新しい都作りを命じ、(③)年に都を(④)に移した。新しい都は飛鳥地方を離れ、(⑤)の北部に作られた。(④)が(⑤)にあった約80年間を(⑥)という。

    元明天皇, 和同開珎, 710, 平城京, 奈良盆地, 奈良時代

  • 9

    平城京は(①)の都の(②)の造りをまねたもので、北部に皇居や役所をおき、道路は東西・南北に(③)のように作られていた。

    唐, 長安, 碁盤の目

  • 10

    奈良時代になると田植えも始まり、鉄製の農具も広く使われるようになり、稲の収穫高は高まってきた。しかし、農民は(①)に住み、租・調・庸などの税、(②)などの兵役を課せられていたため、農民の中には(③)をすてて他の土地にうつったり逃亡する者もいた。このような農民の苦しい生活の様子は(④)という歌集におさめられた(⑤だれ)の(⑥)にもうたわれている。

    竪穴住居, 防人, 口分田, 万葉集, 山上憶良(やまのうえのおくら), 貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)

  • 11

    奈良時代には人口も増加し、(①)が不足するようになったため、これを補って税収を確保するために(②)年に(③)を定め、新しく開墾した土地は(④)代にわたって私有が認められた。

    口分田, 723, 三世一身の法, 3

  • 12

    三世一身の法により、開墾した土地も国に返す頃(開墾してから3代目の頃)になると、農民は田を耕作する意欲を失い荒れ果てるようになった。(国に返す日が近いのに、大変な思いして耕作したくないよね)そのため、三世一身の法から20年後の(①)年に(②)が定められ、新しく開墾した土地は永久に私有する事が認められた。これにより発生した土地を(③)という。また、新しく開墾した土地にも口分田と同じように(④)がかかった。

    743, 墾田永年私財法, 荘園, 租

  • 13

    (①)年天皇の位についた(②)は、天候不順による不作、伝染病の流行、一部の貴族の武力による反乱などが相次ぐ中、(③)を深く信仰し、国ごとに(④)・(⑤)を建てさせ、都には(⑥)を建てさせた。

    724, 聖武天皇, 仏教, 国分寺, 国分尼寺, 東大寺

  • 14

    聖武天皇は752年に(①)に(②)を建立させた。これには民衆に人気のあった(③)の協力を得た。

    東大寺, 大仏, 行基

  • 15

    奈良時代、華やかな貴族文化を聖武天皇のときの元号をとって(①)という。

    天平文化

  • 16

    唐の政治や文化を学ぼうと遣唐使船によって唐に渡った留学生の中には(①)のように日本に帰国できず、中国の皇帝につかえ、一生を終える者もいた。

    阿倍仲麻呂

  • 17

    754年、唐の高僧(えらい坊さん)である(①)は、渡航に何度か失敗したのちに来日し、日本に初めて(②)(僧が守るべき規律)を伝え、(③)を広めた。また、(③)の総本山として(④)を建てた。

    鑑真, 戒律(かいりつ), 律宗(りっしゅう), 唐招提寺(とうしょうだいじ)

  • 18

    当時の天皇や貴族の生活をしのばせる工芸品として、聖武天皇が愛用していた品々を(①だれ)が(②)に寄進した。これらの品々は(②)の(③)に納められている。(③)は三角形の角材を組み合わせた(④)と呼ばれる建築法がとられている。

    光明(こうみょう)天皇, 東大寺, 正倉院, 校倉造(あぜくらづくり)

  • 19

    朝廷では国のおこりや天皇が国を治めるいわれを書物にまとめようとする考えが起こった。 (①)…天武天皇の命令で、大王や豪族の家に伝わっていた伝承や記録を(②)によみ習わせていた内容を(③)が編さんした歴史書。漢字の音訓をかりて日本語で書き表した。

    古事記, 稗田阿礼(ひえだのあれ), 太安万侶(おおのやすまろ)

  • 20

    (①)…(②だれ)などが中国の歴史書を手本にして、720年に編さんされた日本の正式な歴史書である。

    日本書紀, 舎人(とねり)親王

  • 21

    (①)…元明天皇の命令を受け、地方の国ごとに自然や産物、伝説などを書き記したもの。

    風土記

  • 22

    (①)…約4500首の歌が集められ、大伴家持(おおとものやかもち)を中心に編さんされた(②)の歌集。

    万葉集, 日本最古

  • 23

    奈良時代の仏教は、国の保護も厚かったため僧が政治に口出ししてくることもあった。こうした中で781年に天皇の位についた(①)は政治を立て直そうとした。(②)年に(①)は京都盆地の北部に(③)を作り、都を移した。

    桓武天皇, 794, 平安京

  • 24

    平安京のある(①)には、明治天皇が(②)に移るまでの約1100年間、天皇の住まいが置かれた。また、政治の中心が鎌倉にうつるまでの約400年間を(③)時代という。

    京都, 東京, 平安時代

  • 25

    桓武天皇は政治の立て直しとともに、現在の東北地方に強い勢力を保っていた(①)の征服を3回にわたって計画した。(②だれ)が(③)に任命された第3回の計画は大きな成功をおさめた。

    蝦夷(えみし), 坂上田村麻呂, 征夷大将軍

  • 26

    近江国(今の滋賀県)出身の(①)は、遣唐使にしたがって唐へ行き、帰国後は(②山)の(③寺)で(④宗)を広めた。讃岐国(今の香川県)出身の(⑤)は、(①)とともに唐へ渡り、帰国後は(⑥山)の(⑦寺)で(⑧宗)を広めた。

    最澄, 比叡山, 延暦寺, 天台宗, 空海, 高野山, 金剛峯寺, 真言宗

  • 27

    貴族や寺社の私有地である(①)は、もともと税を納めなければならない輸租田(ゆそでん)であったが、様々な口実を設けて(①)から税を納めなくてもよい権利である(②)や、国司が荘園に立ち入ることを断る権利である(③)を認めさせるようになっていった。

    荘園, 不輸の権, 不入の権

  • 28

    平安時代になると、藤原氏は娘を天皇の后にし、その子を次の天皇の位につけ、外祖父として地位を獲得するようになった。858年(①)は幼少の天皇を補佐する臣下(家来)として初めて(②)の地位についた。その後、(①)の子の(③)も(②)となり、さらに天皇により政治の全般をゆだねられる(④)に初めて任命された。

    藤原良房, 摂政, 藤原基経, 関白

  • 29

    天皇が幼いときは(①)として、成人すると(②)として天皇にかわって役職をもとに政治の実権をにぎる政治を(③)という。

    摂政, 関白, 摂関政治

  • 30

    藤原氏がもっとも栄えたのは11世紀前半から半ばにかけての(①)とその子の(②)の頃である。(①)は4人の娘を天皇や天皇の子と結婚させ、(③)年には(④)になった。

    藤原道長, 藤原頼通(漢字注意!), 1016, 摂政

  • 31

    (①)年、唐はおとろえてきており、危険をおかしてまで唐に行っても学ぶことはないとし、(②)が遣唐使の停止を進言し、朝廷は遣唐使を派遣することをやめた。

    894, 菅原道真

  • 32

    国内では唐の文化をもとにして、日本の風土や生活環境にあった独自の文化の形成が進んだ。この文化を(①)という。(①)の特色として(②)の使用・普及がある。平安時代になると、漢字をもとにした(③)や漢字の一部をとった(④)が作りだされた。

    国風文化, かな文字, ひらがな, カタカナ

  • 33

    (①)は(②だれ)が土佐の国司の任を終え、都に帰るまでの旅の様子を記した日記。(③)は光源氏という主人公と、彼をめぐる女性たちの様子を描いた長編恋愛小説で、(④)によって書かれた。(⑤)は自然や四季の様子、宮廷生活の様子などをおもむき深く描いた随筆で、(⑥)によって書かれた。(⑦)は天皇の命令によって編(あ)まれた最初の和歌集で、(②)は編者のひとり。

    土佐日記, 紀貫之, 源氏物語, 紫式部, 枕草子, 清少納言, 古今和歌集

  • 34

    貴族の住宅は(①)という豪華な屋敷に住んでいた。

    寝殿造

  • 35

    平安時代の貴族の衣服は絹を用いることも多かった。男性の正装は(①)、女性の正装は(②)といい、20枚以上もの色の違う衣類を重ねて着ていた。

    束帯, 十二単

  • 36

    11世紀に入り、地方で戦乱が起こり政治が乱れてくると、世の末が来て災難が続くという(①)が広がりを見せた。

    末法思想

  • 37

    藤原道長の子である(①)は、この世に極楽浄土の様子を実現しようとして、現在の(②どこ)に(③)を建てた。

    藤原頼通, 京都府宇治市, 平等院鳳凰堂

  • 38

    平安時代の中頃になると地方の政治は(①)に任せきりになっていた。尾張国(現愛知県)の国司である(②)は身勝手なやり方をしていたため、農民や郡司に訴えられた。

    国司, 藤原元命(もとなが)

  • 39

    朝廷の目が届かなくなっていたことから地方の政治は乱れ、農民の中には武装する者も現れ、次第に(①)が形成された。(①)は互いに争うようになった。関東の豪族のひとりであった(②)は領地をめぐり一族と争いをくり返していた。そして関東のほとんどを支配下に置き、自らを(③)と称するようになった。この出来事を(④)という。

    武士団, 平将門, 新皇, 平将門の乱

  • 40

    当時重要な交通路となっていた(①)は海賊の活躍する場でもあった。伊予国(いよのくに・今の愛媛県)の役人であった(②)は(①)の海賊のリーダーだった。平将門の乱と同じころ、朝廷に対し反乱をおこした。平将門の乱とこの出来事を合わせて(③)という。

    瀬戸内海, 藤原純友, 承平・天慶の乱(天慶の乱)

  • 41

    東北地方では、勢力を強めていた安倍氏が国司の命令にもしたがわず、朝廷に対して反乱を起こした。この反乱を鎮めたのが(①)である。この乱を(②)という。(②)のあと、安倍氏に代わり東北地方一帯に勢力をのばしていった清原氏一族の間に争いが起こった。藤原清衡(きよひら)を助けてこの争いをおさめたのが(③)であった。この乱を(④)という。

    源頼義(よりよし), 前九年合戦(前九年の役), 源義家, 後三年合戦(後三年の役)

  • 42

    後三年合戦の後、東北地方では(①)が勢力をのばしていった。藤原氏は(①)の子の藤原基衡(もとひら)、孫の藤原秀衡(ひでひら)と3代100年にわたって(②どこ)を中心に栄えた。この藤原氏を(③)とよぶ。

    藤原清衡(きよひら), 平泉(岩手県), 奥州藤原氏

  • 43

    奥州藤原氏が(①どこ)に建てた(②)は、当時の阿弥陀堂(あみだどう)建築の優れた例として知られ、中には奥州藤原氏3代のミイラが安置されている。

    平泉(岩手県), 中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)

  • 44

    藤原頼通には天皇の跡継ぎが生まれず、天皇の位についたのは(①)だった。(①)は藤原氏と直接の外戚関係をもたないため、藤原氏に遠慮することなく政治の改革を行った。特に(②)の整理に意欲を燃やした、国の財政の立て直しを行った。

    後三条天皇, 荘園

  • 45

    後三条天皇は、子の(①)に位をゆずった。(①)も藤原氏に遠慮することなく政治をおこなったが、(②)年に位を幼い皇子(堀河天皇)にゆずった後も、(③)として自らの御所で政治を行った。(③)による政治を(④)という。

    白河天皇, 1086, 上皇, 院政

  • 46

    白河上皇のあと院政を行った鳥羽上皇が亡くなると、鳥羽上皇と対立していた崇徳上皇が武士を集めた。これに対し、鳥羽上皇によってすでに天皇の位につけられた後白河天皇は(①)や(②)などの武士を集めた。こうして(③)年に(④どこ)を舞台に起こった戦いを(⑤)という。

    源義朝(よしとも), 平清盛, 1156, 京都, 保元の乱

  • 47

    (①)では後白河天皇側が勝利し、崇徳上皇は讃岐に流された。(①)で活躍した(②)と(③)は待遇をめぐって対立を深めたいった。1159年、(②)は(③)の留守をねらって兵を挙げた。この戦いを(④)という。

    保元の乱, 源義朝, 平清盛, 平治の乱

  • 48

    (①)では源義朝が上皇や天皇を宮中に閉じ込め皇居を占領した。しかし、京都に戻った(②)によって倒され、源義朝の子である(③)は捕らえられて(④どこ)へ流された。この乱の結果、(⑤)の勢力は急速にのび、全盛期を迎えることになった。

    平治の乱, 平清盛, 源頼朝, 伊豆, 平氏

  • 49

    保元・平治の乱に勝った平清盛は、(①)の信任を得て1167年に武士として初めて朝廷の最高位である(②)についた。

    後白河上皇, 太政大臣

  • 50

    平清盛は中国の(①)との貿易である(②)にも力を入れた。当時、中国との貿易の窓口となっていたのは九州の博多で、現在の兵庫港である(③)を修築するとともに、九州と都をつなぐ(④)の航路の整備もすすめていた。その途中の広島湾にある(⑤)の整備にも力を入れた。

    宋, 日宋貿易, 大輪田泊(おおわだのとまり), 瀬戸内海, 厳島神社(いつくしまじんじゃ)

  • 51

    日宋貿易で輸入された(①)や(②)、香料、書籍などは日本の経済や文化に大きな影響をあたえた。

    宋銭, 高級織物

  • 52

    平氏一族による政治は、貴族がおこなっていた政治とあまり変わらなかったため、各地の武士や朝廷の地位をうばわれた貴族、有力な寺社との対立をうみ、(①)とも対立するようになっていった。

    後白河法皇

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    語句B 和語②

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    問題一覧

  • 1

    唐の都の(①)は(②)と呼ばれる交通路を通じてさまざまな国から使節や商人が訪れる国際都市だった。その進んだ政治や文化を学ぼうと、日本もさかんに(③)を送っていた。

    長安, シルクロード, 遣唐使

  • 2

    (①)年(②だれ)のときに完成した(③)は、天武天皇の子の刑部親王(おさかべしんのう)や中臣鎌足の子の藤原不比等などの役人によって作られた。(③)は大化の改新以来のさまざまな決まりの集大成(まとめ)であり、この後の日本の政治のあり方に影響をあたえることとなった。

    701, 文武天皇, 大宝律令

  • 3

    (①)によって国家のものとなった土地は、(②)として(③)歳以上の(④)にあたえられた。(②)は6年ごとにつくりなおされる戸籍にもとづいて授け、死後は国に返された。この制度を(⑤)という。

    公地公民, 口分田, 6, 男女, 班田収授の法

  • 4

    当時の税は田にかけられ、稲(米)で納める(①)、布または各地の特産物を納める(②)、1年のうち10日間都で働く代わりに布などを納めさせる(③)などがあった。

    租(漢字注意), 調, 庸(よう)

  • 5

    納める税のうち、(①)は国ごとの役所に納められ、(②)や(③)は税を納める者が自分で都(朝廷)まで運ばなければならず、農民にとって思い負担になっていた。

    租, 調, 庸

  • 6

    都まで税を運ぶ時の荷札や、役所間での連絡や品物のやり取りをする伝票などには、細長い木の札の(①)が使われた。

    木簡(もっかん)

  • 7

    九州の警備に(①)年間つく(②)も農民にとって重い負担となっていた。

    3, 防人

  • 8

    文武天皇の死後、その母である(①)が天皇の位についた。(①)は708年に労働者への賃金の支払い使うために(②)をつくり、また、新しい都作りを命じ、(③)年に都を(④)に移した。新しい都は飛鳥地方を離れ、(⑤)の北部に作られた。(④)が(⑤)にあった約80年間を(⑥)という。

    元明天皇, 和同開珎, 710, 平城京, 奈良盆地, 奈良時代

  • 9

    平城京は(①)の都の(②)の造りをまねたもので、北部に皇居や役所をおき、道路は東西・南北に(③)のように作られていた。

    唐, 長安, 碁盤の目

  • 10

    奈良時代になると田植えも始まり、鉄製の農具も広く使われるようになり、稲の収穫高は高まってきた。しかし、農民は(①)に住み、租・調・庸などの税、(②)などの兵役を課せられていたため、農民の中には(③)をすてて他の土地にうつったり逃亡する者もいた。このような農民の苦しい生活の様子は(④)という歌集におさめられた(⑤だれ)の(⑥)にもうたわれている。

    竪穴住居, 防人, 口分田, 万葉集, 山上憶良(やまのうえのおくら), 貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)

  • 11

    奈良時代には人口も増加し、(①)が不足するようになったため、これを補って税収を確保するために(②)年に(③)を定め、新しく開墾した土地は(④)代にわたって私有が認められた。

    口分田, 723, 三世一身の法, 3

  • 12

    三世一身の法により、開墾した土地も国に返す頃(開墾してから3代目の頃)になると、農民は田を耕作する意欲を失い荒れ果てるようになった。(国に返す日が近いのに、大変な思いして耕作したくないよね)そのため、三世一身の法から20年後の(①)年に(②)が定められ、新しく開墾した土地は永久に私有する事が認められた。これにより発生した土地を(③)という。また、新しく開墾した土地にも口分田と同じように(④)がかかった。

    743, 墾田永年私財法, 荘園, 租

  • 13

    (①)年天皇の位についた(②)は、天候不順による不作、伝染病の流行、一部の貴族の武力による反乱などが相次ぐ中、(③)を深く信仰し、国ごとに(④)・(⑤)を建てさせ、都には(⑥)を建てさせた。

    724, 聖武天皇, 仏教, 国分寺, 国分尼寺, 東大寺

  • 14

    聖武天皇は752年に(①)に(②)を建立させた。これには民衆に人気のあった(③)の協力を得た。

    東大寺, 大仏, 行基

  • 15

    奈良時代、華やかな貴族文化を聖武天皇のときの元号をとって(①)という。

    天平文化

  • 16

    唐の政治や文化を学ぼうと遣唐使船によって唐に渡った留学生の中には(①)のように日本に帰国できず、中国の皇帝につかえ、一生を終える者もいた。

    阿倍仲麻呂

  • 17

    754年、唐の高僧(えらい坊さん)である(①)は、渡航に何度か失敗したのちに来日し、日本に初めて(②)(僧が守るべき規律)を伝え、(③)を広めた。また、(③)の総本山として(④)を建てた。

    鑑真, 戒律(かいりつ), 律宗(りっしゅう), 唐招提寺(とうしょうだいじ)

  • 18

    当時の天皇や貴族の生活をしのばせる工芸品として、聖武天皇が愛用していた品々を(①だれ)が(②)に寄進した。これらの品々は(②)の(③)に納められている。(③)は三角形の角材を組み合わせた(④)と呼ばれる建築法がとられている。

    光明(こうみょう)天皇, 東大寺, 正倉院, 校倉造(あぜくらづくり)

  • 19

    朝廷では国のおこりや天皇が国を治めるいわれを書物にまとめようとする考えが起こった。 (①)…天武天皇の命令で、大王や豪族の家に伝わっていた伝承や記録を(②)によみ習わせていた内容を(③)が編さんした歴史書。漢字の音訓をかりて日本語で書き表した。

    古事記, 稗田阿礼(ひえだのあれ), 太安万侶(おおのやすまろ)

  • 20

    (①)…(②だれ)などが中国の歴史書を手本にして、720年に編さんされた日本の正式な歴史書である。

    日本書紀, 舎人(とねり)親王

  • 21

    (①)…元明天皇の命令を受け、地方の国ごとに自然や産物、伝説などを書き記したもの。

    風土記

  • 22

    (①)…約4500首の歌が集められ、大伴家持(おおとものやかもち)を中心に編さんされた(②)の歌集。

    万葉集, 日本最古

  • 23

    奈良時代の仏教は、国の保護も厚かったため僧が政治に口出ししてくることもあった。こうした中で781年に天皇の位についた(①)は政治を立て直そうとした。(②)年に(①)は京都盆地の北部に(③)を作り、都を移した。

    桓武天皇, 794, 平安京

  • 24

    平安京のある(①)には、明治天皇が(②)に移るまでの約1100年間、天皇の住まいが置かれた。また、政治の中心が鎌倉にうつるまでの約400年間を(③)時代という。

    京都, 東京, 平安時代

  • 25

    桓武天皇は政治の立て直しとともに、現在の東北地方に強い勢力を保っていた(①)の征服を3回にわたって計画した。(②だれ)が(③)に任命された第3回の計画は大きな成功をおさめた。

    蝦夷(えみし), 坂上田村麻呂, 征夷大将軍

  • 26

    近江国(今の滋賀県)出身の(①)は、遣唐使にしたがって唐へ行き、帰国後は(②山)の(③寺)で(④宗)を広めた。讃岐国(今の香川県)出身の(⑤)は、(①)とともに唐へ渡り、帰国後は(⑥山)の(⑦寺)で(⑧宗)を広めた。

    最澄, 比叡山, 延暦寺, 天台宗, 空海, 高野山, 金剛峯寺, 真言宗

  • 27

    貴族や寺社の私有地である(①)は、もともと税を納めなければならない輸租田(ゆそでん)であったが、様々な口実を設けて(①)から税を納めなくてもよい権利である(②)や、国司が荘園に立ち入ることを断る権利である(③)を認めさせるようになっていった。

    荘園, 不輸の権, 不入の権

  • 28

    平安時代になると、藤原氏は娘を天皇の后にし、その子を次の天皇の位につけ、外祖父として地位を獲得するようになった。858年(①)は幼少の天皇を補佐する臣下(家来)として初めて(②)の地位についた。その後、(①)の子の(③)も(②)となり、さらに天皇により政治の全般をゆだねられる(④)に初めて任命された。

    藤原良房, 摂政, 藤原基経, 関白

  • 29

    天皇が幼いときは(①)として、成人すると(②)として天皇にかわって役職をもとに政治の実権をにぎる政治を(③)という。

    摂政, 関白, 摂関政治

  • 30

    藤原氏がもっとも栄えたのは11世紀前半から半ばにかけての(①)とその子の(②)の頃である。(①)は4人の娘を天皇や天皇の子と結婚させ、(③)年には(④)になった。

    藤原道長, 藤原頼通(漢字注意!), 1016, 摂政

  • 31

    (①)年、唐はおとろえてきており、危険をおかしてまで唐に行っても学ぶことはないとし、(②)が遣唐使の停止を進言し、朝廷は遣唐使を派遣することをやめた。

    894, 菅原道真

  • 32

    国内では唐の文化をもとにして、日本の風土や生活環境にあった独自の文化の形成が進んだ。この文化を(①)という。(①)の特色として(②)の使用・普及がある。平安時代になると、漢字をもとにした(③)や漢字の一部をとった(④)が作りだされた。

    国風文化, かな文字, ひらがな, カタカナ

  • 33

    (①)は(②だれ)が土佐の国司の任を終え、都に帰るまでの旅の様子を記した日記。(③)は光源氏という主人公と、彼をめぐる女性たちの様子を描いた長編恋愛小説で、(④)によって書かれた。(⑤)は自然や四季の様子、宮廷生活の様子などをおもむき深く描いた随筆で、(⑥)によって書かれた。(⑦)は天皇の命令によって編(あ)まれた最初の和歌集で、(②)は編者のひとり。

    土佐日記, 紀貫之, 源氏物語, 紫式部, 枕草子, 清少納言, 古今和歌集

  • 34

    貴族の住宅は(①)という豪華な屋敷に住んでいた。

    寝殿造

  • 35

    平安時代の貴族の衣服は絹を用いることも多かった。男性の正装は(①)、女性の正装は(②)といい、20枚以上もの色の違う衣類を重ねて着ていた。

    束帯, 十二単

  • 36

    11世紀に入り、地方で戦乱が起こり政治が乱れてくると、世の末が来て災難が続くという(①)が広がりを見せた。

    末法思想

  • 37

    藤原道長の子である(①)は、この世に極楽浄土の様子を実現しようとして、現在の(②どこ)に(③)を建てた。

    藤原頼通, 京都府宇治市, 平等院鳳凰堂

  • 38

    平安時代の中頃になると地方の政治は(①)に任せきりになっていた。尾張国(現愛知県)の国司である(②)は身勝手なやり方をしていたため、農民や郡司に訴えられた。

    国司, 藤原元命(もとなが)

  • 39

    朝廷の目が届かなくなっていたことから地方の政治は乱れ、農民の中には武装する者も現れ、次第に(①)が形成された。(①)は互いに争うようになった。関東の豪族のひとりであった(②)は領地をめぐり一族と争いをくり返していた。そして関東のほとんどを支配下に置き、自らを(③)と称するようになった。この出来事を(④)という。

    武士団, 平将門, 新皇, 平将門の乱

  • 40

    当時重要な交通路となっていた(①)は海賊の活躍する場でもあった。伊予国(いよのくに・今の愛媛県)の役人であった(②)は(①)の海賊のリーダーだった。平将門の乱と同じころ、朝廷に対し反乱をおこした。平将門の乱とこの出来事を合わせて(③)という。

    瀬戸内海, 藤原純友, 承平・天慶の乱(天慶の乱)

  • 41

    東北地方では、勢力を強めていた安倍氏が国司の命令にもしたがわず、朝廷に対して反乱を起こした。この反乱を鎮めたのが(①)である。この乱を(②)という。(②)のあと、安倍氏に代わり東北地方一帯に勢力をのばしていった清原氏一族の間に争いが起こった。藤原清衡(きよひら)を助けてこの争いをおさめたのが(③)であった。この乱を(④)という。

    源頼義(よりよし), 前九年合戦(前九年の役), 源義家, 後三年合戦(後三年の役)

  • 42

    後三年合戦の後、東北地方では(①)が勢力をのばしていった。藤原氏は(①)の子の藤原基衡(もとひら)、孫の藤原秀衡(ひでひら)と3代100年にわたって(②どこ)を中心に栄えた。この藤原氏を(③)とよぶ。

    藤原清衡(きよひら), 平泉(岩手県), 奥州藤原氏

  • 43

    奥州藤原氏が(①どこ)に建てた(②)は、当時の阿弥陀堂(あみだどう)建築の優れた例として知られ、中には奥州藤原氏3代のミイラが安置されている。

    平泉(岩手県), 中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)

  • 44

    藤原頼通には天皇の跡継ぎが生まれず、天皇の位についたのは(①)だった。(①)は藤原氏と直接の外戚関係をもたないため、藤原氏に遠慮することなく政治の改革を行った。特に(②)の整理に意欲を燃やした、国の財政の立て直しを行った。

    後三条天皇, 荘園

  • 45

    後三条天皇は、子の(①)に位をゆずった。(①)も藤原氏に遠慮することなく政治をおこなったが、(②)年に位を幼い皇子(堀河天皇)にゆずった後も、(③)として自らの御所で政治を行った。(③)による政治を(④)という。

    白河天皇, 1086, 上皇, 院政

  • 46

    白河上皇のあと院政を行った鳥羽上皇が亡くなると、鳥羽上皇と対立していた崇徳上皇が武士を集めた。これに対し、鳥羽上皇によってすでに天皇の位につけられた後白河天皇は(①)や(②)などの武士を集めた。こうして(③)年に(④どこ)を舞台に起こった戦いを(⑤)という。

    源義朝(よしとも), 平清盛, 1156, 京都, 保元の乱

  • 47

    (①)では後白河天皇側が勝利し、崇徳上皇は讃岐に流された。(①)で活躍した(②)と(③)は待遇をめぐって対立を深めたいった。1159年、(②)は(③)の留守をねらって兵を挙げた。この戦いを(④)という。

    保元の乱, 源義朝, 平清盛, 平治の乱

  • 48

    (①)では源義朝が上皇や天皇を宮中に閉じ込め皇居を占領した。しかし、京都に戻った(②)によって倒され、源義朝の子である(③)は捕らえられて(④どこ)へ流された。この乱の結果、(⑤)の勢力は急速にのび、全盛期を迎えることになった。

    平治の乱, 平清盛, 源頼朝, 伊豆, 平氏

  • 49

    保元・平治の乱に勝った平清盛は、(①)の信任を得て1167年に武士として初めて朝廷の最高位である(②)についた。

    後白河上皇, 太政大臣

  • 50

    平清盛は中国の(①)との貿易である(②)にも力を入れた。当時、中国との貿易の窓口となっていたのは九州の博多で、現在の兵庫港である(③)を修築するとともに、九州と都をつなぐ(④)の航路の整備もすすめていた。その途中の広島湾にある(⑤)の整備にも力を入れた。

    宋, 日宋貿易, 大輪田泊(おおわだのとまり), 瀬戸内海, 厳島神社(いつくしまじんじゃ)

  • 51

    日宋貿易で輸入された(①)や(②)、香料、書籍などは日本の経済や文化に大きな影響をあたえた。

    宋銭, 高級織物

  • 52

    平氏一族による政治は、貴族がおこなっていた政治とあまり変わらなかったため、各地の武士や朝廷の地位をうばわれた貴族、有力な寺社との対立をうみ、(①)とも対立するようになっていった。

    後白河法皇