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歴史総合1
12問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    清が、周辺諸国の朝貢を受け入れるなど国際関係を築くうえで意識していた伝統的な思想を(①)という。

    華夷秩序

  • 2

    江戸時代の日本では、17世紀以来,海外との交流・交通は厳しく制限され、中国・オランダとの貿易は長崎に限定されていた。この体制を、一般に(②)とよぶ。

    鎖国

  • 3

    西アジアのオスマン帝国内で通商活動を行う両欧諸国に与えた領事裁判権等の特権を(③)という。

    カピチュレーション

  • 4

    ヨーロッパ諸国はアジア域内での貿易にも参加し,特にオランダは1602年に(①)を設立し、アジア域内の貿易で重要な役割を果たした。また,ヨーロッパ諸国はヨーロッパ向け産品の生産をみずから行うため、アジアでも植民地経営に乗り出し、オランダは18世紀までに確保したジャワ島でコーヒーやサトウキビなどの(②)の開発を始めた。

    東インド会社, プランテーション

  • 5

    産業革命の軸となったのは、機械化を中心とする技術革新であった。 18世紀,ジョン・ケイが発明した (①)によって織物の生産が急増し,ワットの改良によって(②)が動力源として利用されるようになると機械制工業が本格的に発展した。産業革命によって資本主義の経済体制が確立し、資本家が富を蓄積する一方,労働者の貧困や(③)への人口集中による公害問題などが深刻化した。これらは社会問題としてとらえられ(④)などが制定された。

    飛び梭, 蒸気機関, 都市, 工場法

  • 6

    産業革命を経て、圧倒的な工業生産力をもったイギリスは(①)として世界各地を原料供給地や商品輸出市場としていった。19世紀前半には(②)政策をとるようになり、自国工業製品の販売拡大をめざした。

    世界の工場, 自由貿易主義

  • 7

    イギリス・インド・清によって行われたアジア三角貿易をしめしたものである。 空欄A.Bに当てはまるものを選べ

    綿織物, アヘン

  • 8

    1840年、イギリスと清の間で(①)が勃発し、軍事力で優位に立つイギリスが清軍を破り、1842年に南京条約が結ばれ、清は広州・上海など 5港を開港し、また香港島を割譲した。ついで、1856年には英・仏国と清との間にふたたび戦争がおき清は 1858年の(②),1860年の北京条約で、開港場の増加と公使の北京常駐などを認めた。 ペリーを日本に派遣したアメリカ政府は、1854年に日米和親条約を締結し、続いてアメリカ総領事ハリスは、1858年(③)の締結にこぎつけた。

    アヘン戦争, 天津条約, 日米修好通商条約

  • 9

    関税自主権は認められず領事裁判権や最恵国待遇を一方的に欧米諸国に与える不平等条約であった。

    ⭕️

  • 10

    外国人の国内旅行やアヘン貿易を認め、貿易地も限定されていなかった。

  • 11

    1869年に開通したスエズ運河によって、どの地域間の距離が短縮されたか。正しいものを二つ選べ。

    ヨーロッパ, アジア

  • 12

    明治期の日本の産業発展を主導したのは紡績業と(①)である。

    製糸業

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  • 1

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    華夷秩序

  • 2

    江戸時代の日本では、17世紀以来,海外との交流・交通は厳しく制限され、中国・オランダとの貿易は長崎に限定されていた。この体制を、一般に(②)とよぶ。

    鎖国

  • 3

    西アジアのオスマン帝国内で通商活動を行う両欧諸国に与えた領事裁判権等の特権を(③)という。

    カピチュレーション

  • 4

    ヨーロッパ諸国はアジア域内での貿易にも参加し,特にオランダは1602年に(①)を設立し、アジア域内の貿易で重要な役割を果たした。また,ヨーロッパ諸国はヨーロッパ向け産品の生産をみずから行うため、アジアでも植民地経営に乗り出し、オランダは18世紀までに確保したジャワ島でコーヒーやサトウキビなどの(②)の開発を始めた。

    東インド会社, プランテーション

  • 5

    産業革命の軸となったのは、機械化を中心とする技術革新であった。 18世紀,ジョン・ケイが発明した (①)によって織物の生産が急増し,ワットの改良によって(②)が動力源として利用されるようになると機械制工業が本格的に発展した。産業革命によって資本主義の経済体制が確立し、資本家が富を蓄積する一方,労働者の貧困や(③)への人口集中による公害問題などが深刻化した。これらは社会問題としてとらえられ(④)などが制定された。

    飛び梭, 蒸気機関, 都市, 工場法

  • 6

    産業革命を経て、圧倒的な工業生産力をもったイギリスは(①)として世界各地を原料供給地や商品輸出市場としていった。19世紀前半には(②)政策をとるようになり、自国工業製品の販売拡大をめざした。

    世界の工場, 自由貿易主義

  • 7

    イギリス・インド・清によって行われたアジア三角貿易をしめしたものである。 空欄A.Bに当てはまるものを選べ

    綿織物, アヘン

  • 8

    1840年、イギリスと清の間で(①)が勃発し、軍事力で優位に立つイギリスが清軍を破り、1842年に南京条約が結ばれ、清は広州・上海など 5港を開港し、また香港島を割譲した。ついで、1856年には英・仏国と清との間にふたたび戦争がおき清は 1858年の(②),1860年の北京条約で、開港場の増加と公使の北京常駐などを認めた。 ペリーを日本に派遣したアメリカ政府は、1854年に日米和親条約を締結し、続いてアメリカ総領事ハリスは、1858年(③)の締結にこぎつけた。

    アヘン戦争, 天津条約, 日米修好通商条約

  • 9

    関税自主権は認められず領事裁判権や最恵国待遇を一方的に欧米諸国に与える不平等条約であった。

    ⭕️

  • 10

    外国人の国内旅行やアヘン貿易を認め、貿易地も限定されていなかった。

  • 11

    1869年に開通したスエズ運河によって、どの地域間の距離が短縮されたか。正しいものを二つ選べ。

    ヨーロッパ, アジア

  • 12

    明治期の日本の産業発展を主導したのは紡績業と(①)である。

    製糸業