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ヨーロッパ 3
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    問題一覧

  • 1

    中世の西ヨーロッパでは、ローマ=カトリック教会が政治・社会・文化で大きな権威を及ぼす存在となった。ローマ=カトリックでは階層制組織が作られた。また、上位聖職者は荘園を経営する領主でもあった。 ア・イ・ウ

    教皇, 大司教, 司教

  • 2

    聖職者の選任について、皇帝や国王などの世俗権力が教会に介入するようになった。 そのため、聖職者の地位の売買や聖職者の妻帯など、教会が腐敗した。 その中、フランスの(1)修道院が中心となって教会改革運動を展開した。

    クリュニー

  • 3

    11世紀以降に、教会改革の精神を継承した教皇(1)は、聖職売買や聖職者の妻帯を禁止し、聖職者を任命する権利(2)を世俗権力から教会に移そうとした。 しかし、神聖ローマ皇帝の(3)が反発し、(4)が勃発した。 すると、1077年に(1)は(3)を破門にした。 これを知ったドイツ諸侯が、破門を解除されなければ国王を廃位すると決議したため、(3)はイタリアに訪れ、(1)に謝罪して破門を解かれた。この事件を(5)という。

    グレゴリウス7世, 聖職叙任権, ハインリヒ4世, 叙任権闘争, カノッサの屈辱

  • 4

    1122年に当時の皇帝と教皇の間で(1)が成立し、西ヨーロッパ世界の聖職叙任権は教皇が保持することになった。

    ヴォルムス協約

  • 5

    13世紀初頭の教皇(1)の時代に教皇権は絶頂を迎えた。 (1)は「教皇は太陽、皇帝は月「と表現し、皇帝権力に対する自らの優位性を説いた。

    インノケンティウス3世

  • 6

    西ヨーロッパ世界では修道院が主体となった大開墾運動やオランダの開拓、イベリア半島の国土回復運動(1)、エルベ川以東への(2)など西ヨーロッパ世界は膨張した。

    レコンキスタ, 東方植民

  • 7

    11世紀後半に、セルジューク朝が聖地イェルサレムを占領すると、聖地奪還の情熱が高まった。 ビザンツ皇帝はローマ教皇に救援を求めた。 要請を受けた教皇(1)は、1095年に開かれた(2)宗教会議の際、聖地奪回のための(3)の派遣を呼びかけた。 人口増大による土地不足に悩んでいた諸侯や騎士などは海外領土の拡大を期待した。

    ウルバヌス2世, クレルモン, 十字軍

  • 8

    第1回十字軍遠征はフランスの諸侯が主体となり、聖地の奪回に成功した。そして(1)を建国した。

    イェルサレム王国

  • 9

    第3回十字軍遠征はアイユーブ朝の(1)によって奪われたイェルサレム奪還のため、イギリス王・フランス王・神聖ローマ皇帝が参加したが失敗した。

    サラディン

  • 10

    1202年に教皇(1)の提唱で始まった第4回十字軍は、商業圏回復を目論む(2)商人の要求により、商業上のライバルであるビザンツ帝国の首都(3)を攻撃し、(4)を建国した。

    インノケンティウス3世, ヴェネツィア, コンスタンティノープル, ラテン王国

  • 11

    十字軍運動の間、聖地防衛や巡礼の保護のため、(1)騎士団や(2)騎士団などの宗教騎士団が結成された。

    ヨハネ, ドイツ

  • 12

    フランス王ルイ9世はイスラーム教徒を挟撃するため、モンゴルに(1)を派遣した。

    ルブルック

  • 13

    西ヨーロッパでは封建社会が安定して農業生産が増大すると、余剰生産物の交換が活発化して、都市と商業が発展し、さらに、ノルマン人やムスリム商人の活動によって(1)経済が普及した。 また、十字軍による交通の発達により、(2)貿易で、繁栄する都市も現れた。

    貨幣, 東方

  • 14

    地中海商業圏では、(1)・(2)・ピサなどのイタリアの港市とムスリム商人とのあいだで貿易が行われ、アジアの香辛料や絹織物や陶磁器がもたらされた。

    ジェノヴァ, ヴェネツィア

  • 15

    また、ミラノや(1)など内陸都市においても、(2)工業や金融業などが発展した。

    フィレンツェ, 毛織物

  • 16

    北ヨーロッパ商業圏ではリューベック・ハンブルク・ブレーメンなどの北ドイツ諸都市が海産物や穀物などで取引し、また、ガンやブリュージュなど(1)地方の都市は(2)工業で繁栄した。

    フランドル, 毛織物

  • 17

    地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏を結ぶ内陸の通商路沿いの都市も発展し、とくにフランスの(1)地方は定期市で繁栄した。 その他、銀の産出で南ドイツの(2)などが発展した。

    シャンパーニュ, アウクスブルク

  • 18

    中世都市は、はじめ封建領主の保護と支配を受けていたが、しだいに自由と自治を求めるようになり、自治権を獲得して自治都市になった。 また、ドイツの諸都市は皇帝から特許状を得て、皇帝直属の(1)(帝国都市)となり、諸侯と同等の地位を獲得した。

    自由都市

  • 19

    中世都市のなかには、共同で商業的利益や特権を守るために都市同盟を結成するものもあった。 リューベックを盟主とする(1)同盟はドイツを中心に広範囲の都市が加盟して、ヨーロッパの大きな経済的勢力となった。 また、神聖ローマ皇帝の(2)政策による干渉に抵抗するため、北イタリアの自治都市が(3)同盟を結成した。

    ハンザ, イタリア, ロンバルディア

  • 20

    自治都市の運営にあたったのは(1)と呼ばれる同業組合だった。 はじめは大商人を中心とした(2)が市政を独占していた。 これに不満を持った手工業者は(3)を組織して、大商人と対立しながら市政に参加していった。この手工業者の市政参加への道を開いた争いを(4)という。

    ギルド, 商人ギルド, 同職ギルド, ツンフト闘争

  • 21

    都市の上層市民の中にはアウクスブルクの(1)家のように皇帝に融資したり、フィレンツェの(2)家のように一族から教皇を出すような大富豪が現れた。

    フッガー, メディチ

  • 22

    A・B・C・D・Eの都市名 ア・イの地方名

    リューベック, ハンブルク, ジェノヴァ, ヴェネツィア, フィレンツェ, フランドル, シャンパーニュ

  • 23

    13世紀には、(1)が率いるモンゴル軍が侵入して1241年、(2)に勝利し、南ロシアは(3)の支配下に入った。これを「タタールのくびき」という。

    バトゥ, ワールシュタットの戦い, キプチャク=ハン国

  • 24

    15世紀には、ロシアで(1)が急速に勢力を広げた。大公の(2)は1480年にキプチャク=ハン国から独立して強大な権力を握った。 (2)はビザンツ帝国最後の皇帝の姪と結婚してローマ皇帝の後継者を自認し、(3)の称号を用いた。(2)の孫の(4)の時代にはさらに中央集権化が進展した。

    モスクワ大公国, イヴァン3世, ツァーリ, イヴァン4世

  • 25

    西スラヴ人の(1)人は10世紀に(1)王国を建国した。カシミール大王のもとで繁栄した。 その北部にいたリトアニア人は東方植民に悩まされて1386年に(1)と同君連合を結んで(2)朝リトアニア=(1)王国が成立した。 チェック人は10世紀に(3)王国を建国した。しかし、11世紀以降に神聖ローマ帝国に編入された。

    ポーランド, ヤゲウォ, ベーメン

  • 26

    南スラヴ人のクロアティア人はカール大帝の影響を受けて(1)を受容した。 また、セルビア人はビザンツ帝国の支配下にあり、(2)を受容した。12世紀には自立した。 しかし、オスマン帝国がバルカン半島の制圧に乗り出したことで南スラヴ人の多くはオスマン帝国の支配下に置かれた。

    カトリック, ギリシア正教

  • 27

    東ヨーロッパでは7世紀にバルカン半島北部に(1)人がブルガリア帝国を建国し、ギリシア正教に改宗した。

    ブルガール

  • 28

    ウラル語系のマジャール人は東フランク王国の(1)に撃退されたが、その後10世紀末にパンノニア平原にハンガリー王国を建国し、カトリックを受容した。

    オットー1世

  • 29

    西ヨーロッパでは貨幣経済が浸透するにつれて、荘園の領主は領主直営地での賦役をやめて、農民に生産物や貨幣で地代を収めさせるようになった。 14世紀になると、気候が寒冷化して凶作や飢饉ら戦乱が頻発し、さらにペスト(1)という疫病が流行して人口が減ると、封建社会の仕組みが解体に向かった。

    黒死病

  • 30

    イギリス・フランス・西南ドイツでは農奴から解放された農民が自営農民に成長した。 特に貨幣地代が普及したイギリスでは(1)と呼ばれる独立自営農民が成長した。

    ヨーマン

  • 31

    こうしてヨーマンの増加や火砲・火器による戦術の変化などによって、領主層が経済的に困窮するようになり、再び農民への束縛を強化しようとすると、農民たちは各地で大規模な農民一揆を起こした。 1358年にフランスで(1)がおきた。 1381年にイギリスで(2)がおきた。 (2)は(3)が思想的指導者であった。

    ジャックリーの乱, ワット=タイラーの乱, ジョン=ボール

  • 32

    西ヨーロッパ各国は国王を中心とする中央集権国家へと歩み始めた。 王権が伸張する一方で、教皇権は十字軍の失敗後、衰退し始めた。 13世紀末の教皇(1)は教皇権の優位を主張して、フランス王による聖職者への課税に反対した。しかし、教皇は1303年に国王(2)に捕えられ、釈放されたのち屈辱のうち急死した。この事件を(3)という。 その後、(2)の影響力のもとに、教皇庁がローマから南フランスの(4)へと移り、以後約70年間この地にとどまった。これを(5)という。 後に、教皇がローマに戻ると、(4)にも教皇が立ち、ともに正当性を主張して対立した。これを教会大分裂(教会(6))という。

    ボニファティウス8世, フィリップ4世, アナーニ事件, アヴィニョン, 教皇のバビロン捕囚, 大シスマ

  • 33

    14世紀後半になると、イギリスの(1)は聖書を信仰の根本であると教皇の権威を否定し、聖書を英訳して自説の普及につとめた。 また、ベーメンの(2)も(1)の説に共鳴して教会を批判すると、神聖ローマ皇帝が1414年に提唱した(3)公会議は、彼らを異端として(2)を火刑にするとともに教会大分裂(教皇大シスマ)を解消した。 しかし、ベーメンではチェコ民族運動と結んだ(2)派による(2)戦争が長く続き、教皇権の衰退は明らかになった。

    ウィクリフ, フス, コンスタンツ

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  • 1

    中世の西ヨーロッパでは、ローマ=カトリック教会が政治・社会・文化で大きな権威を及ぼす存在となった。ローマ=カトリックでは階層制組織が作られた。また、上位聖職者は荘園を経営する領主でもあった。 ア・イ・ウ

    教皇, 大司教, 司教

  • 2

    聖職者の選任について、皇帝や国王などの世俗権力が教会に介入するようになった。 そのため、聖職者の地位の売買や聖職者の妻帯など、教会が腐敗した。 その中、フランスの(1)修道院が中心となって教会改革運動を展開した。

    クリュニー

  • 3

    11世紀以降に、教会改革の精神を継承した教皇(1)は、聖職売買や聖職者の妻帯を禁止し、聖職者を任命する権利(2)を世俗権力から教会に移そうとした。 しかし、神聖ローマ皇帝の(3)が反発し、(4)が勃発した。 すると、1077年に(1)は(3)を破門にした。 これを知ったドイツ諸侯が、破門を解除されなければ国王を廃位すると決議したため、(3)はイタリアに訪れ、(1)に謝罪して破門を解かれた。この事件を(5)という。

    グレゴリウス7世, 聖職叙任権, ハインリヒ4世, 叙任権闘争, カノッサの屈辱

  • 4

    1122年に当時の皇帝と教皇の間で(1)が成立し、西ヨーロッパ世界の聖職叙任権は教皇が保持することになった。

    ヴォルムス協約

  • 5

    13世紀初頭の教皇(1)の時代に教皇権は絶頂を迎えた。 (1)は「教皇は太陽、皇帝は月「と表現し、皇帝権力に対する自らの優位性を説いた。

    インノケンティウス3世

  • 6

    西ヨーロッパ世界では修道院が主体となった大開墾運動やオランダの開拓、イベリア半島の国土回復運動(1)、エルベ川以東への(2)など西ヨーロッパ世界は膨張した。

    レコンキスタ, 東方植民

  • 7

    11世紀後半に、セルジューク朝が聖地イェルサレムを占領すると、聖地奪還の情熱が高まった。 ビザンツ皇帝はローマ教皇に救援を求めた。 要請を受けた教皇(1)は、1095年に開かれた(2)宗教会議の際、聖地奪回のための(3)の派遣を呼びかけた。 人口増大による土地不足に悩んでいた諸侯や騎士などは海外領土の拡大を期待した。

    ウルバヌス2世, クレルモン, 十字軍

  • 8

    第1回十字軍遠征はフランスの諸侯が主体となり、聖地の奪回に成功した。そして(1)を建国した。

    イェルサレム王国

  • 9

    第3回十字軍遠征はアイユーブ朝の(1)によって奪われたイェルサレム奪還のため、イギリス王・フランス王・神聖ローマ皇帝が参加したが失敗した。

    サラディン

  • 10

    1202年に教皇(1)の提唱で始まった第4回十字軍は、商業圏回復を目論む(2)商人の要求により、商業上のライバルであるビザンツ帝国の首都(3)を攻撃し、(4)を建国した。

    インノケンティウス3世, ヴェネツィア, コンスタンティノープル, ラテン王国

  • 11

    十字軍運動の間、聖地防衛や巡礼の保護のため、(1)騎士団や(2)騎士団などの宗教騎士団が結成された。

    ヨハネ, ドイツ

  • 12

    フランス王ルイ9世はイスラーム教徒を挟撃するため、モンゴルに(1)を派遣した。

    ルブルック

  • 13

    西ヨーロッパでは封建社会が安定して農業生産が増大すると、余剰生産物の交換が活発化して、都市と商業が発展し、さらに、ノルマン人やムスリム商人の活動によって(1)経済が普及した。 また、十字軍による交通の発達により、(2)貿易で、繁栄する都市も現れた。

    貨幣, 東方

  • 14

    地中海商業圏では、(1)・(2)・ピサなどのイタリアの港市とムスリム商人とのあいだで貿易が行われ、アジアの香辛料や絹織物や陶磁器がもたらされた。

    ジェノヴァ, ヴェネツィア

  • 15

    また、ミラノや(1)など内陸都市においても、(2)工業や金融業などが発展した。

    フィレンツェ, 毛織物

  • 16

    北ヨーロッパ商業圏ではリューベック・ハンブルク・ブレーメンなどの北ドイツ諸都市が海産物や穀物などで取引し、また、ガンやブリュージュなど(1)地方の都市は(2)工業で繁栄した。

    フランドル, 毛織物

  • 17

    地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏を結ぶ内陸の通商路沿いの都市も発展し、とくにフランスの(1)地方は定期市で繁栄した。 その他、銀の産出で南ドイツの(2)などが発展した。

    シャンパーニュ, アウクスブルク

  • 18

    中世都市は、はじめ封建領主の保護と支配を受けていたが、しだいに自由と自治を求めるようになり、自治権を獲得して自治都市になった。 また、ドイツの諸都市は皇帝から特許状を得て、皇帝直属の(1)(帝国都市)となり、諸侯と同等の地位を獲得した。

    自由都市

  • 19

    中世都市のなかには、共同で商業的利益や特権を守るために都市同盟を結成するものもあった。 リューベックを盟主とする(1)同盟はドイツを中心に広範囲の都市が加盟して、ヨーロッパの大きな経済的勢力となった。 また、神聖ローマ皇帝の(2)政策による干渉に抵抗するため、北イタリアの自治都市が(3)同盟を結成した。

    ハンザ, イタリア, ロンバルディア

  • 20

    自治都市の運営にあたったのは(1)と呼ばれる同業組合だった。 はじめは大商人を中心とした(2)が市政を独占していた。 これに不満を持った手工業者は(3)を組織して、大商人と対立しながら市政に参加していった。この手工業者の市政参加への道を開いた争いを(4)という。

    ギルド, 商人ギルド, 同職ギルド, ツンフト闘争

  • 21

    都市の上層市民の中にはアウクスブルクの(1)家のように皇帝に融資したり、フィレンツェの(2)家のように一族から教皇を出すような大富豪が現れた。

    フッガー, メディチ

  • 22

    A・B・C・D・Eの都市名 ア・イの地方名

    リューベック, ハンブルク, ジェノヴァ, ヴェネツィア, フィレンツェ, フランドル, シャンパーニュ

  • 23

    13世紀には、(1)が率いるモンゴル軍が侵入して1241年、(2)に勝利し、南ロシアは(3)の支配下に入った。これを「タタールのくびき」という。

    バトゥ, ワールシュタットの戦い, キプチャク=ハン国

  • 24

    15世紀には、ロシアで(1)が急速に勢力を広げた。大公の(2)は1480年にキプチャク=ハン国から独立して強大な権力を握った。 (2)はビザンツ帝国最後の皇帝の姪と結婚してローマ皇帝の後継者を自認し、(3)の称号を用いた。(2)の孫の(4)の時代にはさらに中央集権化が進展した。

    モスクワ大公国, イヴァン3世, ツァーリ, イヴァン4世

  • 25

    西スラヴ人の(1)人は10世紀に(1)王国を建国した。カシミール大王のもとで繁栄した。 その北部にいたリトアニア人は東方植民に悩まされて1386年に(1)と同君連合を結んで(2)朝リトアニア=(1)王国が成立した。 チェック人は10世紀に(3)王国を建国した。しかし、11世紀以降に神聖ローマ帝国に編入された。

    ポーランド, ヤゲウォ, ベーメン

  • 26

    南スラヴ人のクロアティア人はカール大帝の影響を受けて(1)を受容した。 また、セルビア人はビザンツ帝国の支配下にあり、(2)を受容した。12世紀には自立した。 しかし、オスマン帝国がバルカン半島の制圧に乗り出したことで南スラヴ人の多くはオスマン帝国の支配下に置かれた。

    カトリック, ギリシア正教

  • 27

    東ヨーロッパでは7世紀にバルカン半島北部に(1)人がブルガリア帝国を建国し、ギリシア正教に改宗した。

    ブルガール

  • 28

    ウラル語系のマジャール人は東フランク王国の(1)に撃退されたが、その後10世紀末にパンノニア平原にハンガリー王国を建国し、カトリックを受容した。

    オットー1世

  • 29

    西ヨーロッパでは貨幣経済が浸透するにつれて、荘園の領主は領主直営地での賦役をやめて、農民に生産物や貨幣で地代を収めさせるようになった。 14世紀になると、気候が寒冷化して凶作や飢饉ら戦乱が頻発し、さらにペスト(1)という疫病が流行して人口が減ると、封建社会の仕組みが解体に向かった。

    黒死病

  • 30

    イギリス・フランス・西南ドイツでは農奴から解放された農民が自営農民に成長した。 特に貨幣地代が普及したイギリスでは(1)と呼ばれる独立自営農民が成長した。

    ヨーマン

  • 31

    こうしてヨーマンの増加や火砲・火器による戦術の変化などによって、領主層が経済的に困窮するようになり、再び農民への束縛を強化しようとすると、農民たちは各地で大規模な農民一揆を起こした。 1358年にフランスで(1)がおきた。 1381年にイギリスで(2)がおきた。 (2)は(3)が思想的指導者であった。

    ジャックリーの乱, ワット=タイラーの乱, ジョン=ボール

  • 32

    西ヨーロッパ各国は国王を中心とする中央集権国家へと歩み始めた。 王権が伸張する一方で、教皇権は十字軍の失敗後、衰退し始めた。 13世紀末の教皇(1)は教皇権の優位を主張して、フランス王による聖職者への課税に反対した。しかし、教皇は1303年に国王(2)に捕えられ、釈放されたのち屈辱のうち急死した。この事件を(3)という。 その後、(2)の影響力のもとに、教皇庁がローマから南フランスの(4)へと移り、以後約70年間この地にとどまった。これを(5)という。 後に、教皇がローマに戻ると、(4)にも教皇が立ち、ともに正当性を主張して対立した。これを教会大分裂(教会(6))という。

    ボニファティウス8世, フィリップ4世, アナーニ事件, アヴィニョン, 教皇のバビロン捕囚, 大シスマ

  • 33

    14世紀後半になると、イギリスの(1)は聖書を信仰の根本であると教皇の権威を否定し、聖書を英訳して自説の普及につとめた。 また、ベーメンの(2)も(1)の説に共鳴して教会を批判すると、神聖ローマ皇帝が1414年に提唱した(3)公会議は、彼らを異端として(2)を火刑にするとともに教会大分裂(教皇大シスマ)を解消した。 しかし、ベーメンではチェコ民族運動と結んだ(2)派による(2)戦争が長く続き、教皇権の衰退は明らかになった。

    ウィクリフ, フス, コンスタンツ