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ヨーロッパ 2
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    問題一覧

  • 1

    ビザンツ帝国は皇帝は政教一致の最高権力者として君臨する(1)主義となった。 6世紀前半に(2)が即位した。 (2)はトリボニアヌスに命じて(3)の編纂をした。 また、コンスタンティノープルに(4)を建てた。 さらにササン朝の(5)と抗争した ヴァンダル王国や東ゴート王国を征服した。 また、東方から伝来した養蚕を奨励して(6)産業を育成した。

    皇帝教皇, ユスティニアヌス大帝, ローマ法大全, ハギア=ソフィア大聖堂, ホスロー1世, 絹織物

  • 2

    7世紀になると、イタリア半島やバルカン半島の領土を失った。また、シリアやエジプトなどを失った。 ビザンツ帝国では軍管区制(1)が実施され、軍管区の司令官は行政と軍事の権限を与えられ、帝国領土の防衛に当たった。 また、帝国のギリシア化が進んだ。公用語はラテン語からギリシア語になった。 ビザンツ帝国独自に発展したキリスト教を(2)と呼んだ。 11世紀には、軍事奉仕を条件に貴族に領土を与える(3)が実施された。

    テマ制, ギリシア正教, プロノイア制

  • 3

    8世紀前半に皇帝となった(1)は726年に(2)を発布した。これにより、ビザンツ帝国内にあるイエスや聖母マリアなどの全ての聖像の禁止と破壊が命じられた。 しかし、ゲルマン人への布教活動に聖像を使用していたローマ教皇が反発した。 そのためギリシア正教会(東方教会)とラテン=カトリック教会(西方教会)に分裂した。

    レオン3世, 聖像禁止令

  • 4

    ローマ帝国末期に(1)と呼ばれた教会のうち、コンスタンティノープル教会が有力であったが、西ローマ帝国滅亡後、ローマ教会がそこから分離し始めた。 ・ローマ教会・コンスタンティノープル教会・アンティオキア・イェルサレム教会・アレクサンドリア教会

    五本山

  • 5

    6世紀末に即位したローマ教皇(1)はブリテン島のアングロ=サクソン人の布教に成功した。

    グレゴリウス1世

  • 6

    ヨーロッパ中西部には前6世紀頃からインド=ヨーロッパ語系の(1)が広く居住していた。

    ケルト人

  • 7

    ゲルマン人社会は重要な決定を青年男性自由人の全体集会の(1)に委ねていた。

    民会

  • 8

    4世紀後半、アジア系の(1)が西進を開始し、ゲルマン人一派の(2)を征服した。さらに(3)を圧迫すると、375年に南下を開始し、ゲルマン人の大移動が始まった。

    フン人, 東ゴート人, 西ゴート人

  • 9

    フン人はヨーロッパに侵入して、5世紀前半にパンノニア(ハンガリー)に(1)王が帝国を建てたが、451年の(2)で西ローマ・ゲルマン連合国に敗れた。

    アッティラ, カタラウヌムの戦い

  • 10

    アングロ=サクソン人は大ブリテン島に(1)を建てた。 この王国を形成したウェセックス王(2)

    七王国, エグバート

  • 11

    A B C D E F Gの民族・部族名

    アングロ=サクソン, フランク, ブルグンド, 西ゴート, 東ゴート, ランゴバルト, ヴァンダル

  • 12

    ガリア北部では(1)によってフランク人の統合が進み、5世紀後半に(2)が建てられた。 (1)は自然崇拝者であったが、キリスト教のアタナシウス派に改宗した。 732年に宮宰の(3)は侵入したイスラーム勢力を(4)で破った。

    クローヴィス, メロヴィング朝, カール=マルテル, トゥール=ポワティエ間の戦い

  • 13

    カール=マルテルの子供(1)は8世紀半ばに(2)を建国した。 その後、ローマ教会を圧迫していたランゴバルト王国を攻撃して(3)地方を奪い、ローマ教会に献上した。(4) これが教皇領に起源になった。

    ピピン, カロリング朝, ラヴェンナ, ピピンの寄進

  • 14

    ピピンの子(1)は北イタリアのランゴバルト王国を滅ぼし、北ドイツのザクセン人を平定してキリスト教を布教した。 また、(2)の侵入を撃退し、後ウマイヤ朝と抗争した。 800年に教皇(3)はカール大帝に西ローマ皇帝の帝冠を授けた。これを(4)という

    カール大帝, アヴァール人, レオ3世, カールの戴冠

  • 15

    カール大帝は全国を州に分け、地方の豪族を(1)に任命して、各州の長官とし、巡察使を派遣して(1)を監視した。

  • 16

    文化面では(1)が展開され、イギリスの神学者(2)を招いて、古代ローマ文化の復興につとめた。

    カロリング=ルネサンス, アルクイン

  • 17

    名前

    フランク王国, ランゴバルト王国, 東ゴート王国, 西ゴート王国

  • 18

    カール大帝の死後、843年に(1)条約が結ばれ、フランク王国は東、中部、西に分裂した。 また、870年に(2)条約が結ばれ、中部フランクの北部が東西フランクに割譲された。

    ヴェルダン, メルセン

  • 19

    西フランク王国では10世紀末にカロリング朝が途絶すると、新たな王にパリ伯の(1)が選出され、(2)が成立した。

    ユーグ=カペー, カペー朝

  • 20

    東フランク王国では10世紀初めにカロリング家が断絶した後、国王となった(1)はスラヴ人を制圧して、さらにマジャール人を撃退した。 教皇は962年に(1)をローマ帝国として戴冠した。これが(2)の成立の起源となった。

    オットー1世, 神聖ローマ帝国

  • 21

    北方のスカンディナヴィア半島などに居住していたゲルマン人の一派のノルマン人は8世紀後半からヨーロッパ各地で商業活動を行う一方で海賊行為で沿岸地帯を荒し回るようになった。 ノルマン人は(1)と呼ばれた。

    ヴァイキング

  • 22

    18世紀初めに(1)に率いられた一派は北フランスに上陸して、(2)を成立した。 さらに、この国から分かれた一派は1130年にシチリアと南イタリアに進出して(3)を建てた。

    ロロ, ノルマンディー公国, 両シチリア王国

  • 23

    ノルマン人はイングランドのアングロサクソン王国に侵入した。 9世紀末に(1)が一時的に撃退したものの、1016年にデーン人の王(2)に征服された。 その後、1066年に(3)がイングランド王位を主張して攻め込み、(4)として即位し、ノルマン朝が成立した。

    アルフレッド大王, クヌート, ノルマンディー公ウィリアム, ウィリアム1世

  • 24

    スラヴ人はカルパティア山脈北方を現住地としていたが、6世紀以降東ヨーロッパに拡大して、ビザンツ帝国北方にも広がった。 そのうち、東スラヴ人と南スラヴ人はビザンツ文化と(1)教の影響を強く受けた。 また、西スラヴ人は西欧文化と(2)教の影響を強く受けた。

    ギリシア正, カトリック

  • 25

    9世紀中頃からリューリクに率いられたルーシと呼ばれる一派がロシアに入り、862年に(1)、882年に(2)を建国した。

    ノヴゴロド国, キエフ公国

  • 26

    キエフ公国は(1)の時代に最盛期を迎え、(1)は(2)に改宗して、国教とした。

    ウラディミル1世, ギリシア正教

  • 27

    武勇と忠誠、弱者や教会の保護、女性への礼節など、騎士が持つべきとされた徳目

    騎士道

  • 28

    主君として家臣に対し、封土を与えて保護する代わりに、家臣は主君に対して忠誠を誓い、軍事的な奉仕の義務を負った。こうした結び付きを封建的主従関係という。 主君と家臣の双方に契約を守る双務的契約があり、主君が契約に反すれば家臣は服従を拒否する権利が認められた。 こうした主従関係は古代ローマの(1)とゲルマン社会の(2)に起源がある

    恩貸地制度, 従士制

  • 29

    農奴は領主直営地での労働(1)と農民の保有地での生産物を収める義務(貢納)のほか、結婚税、死亡税、教会へ収める(2)が課せられた。 また、農奴には移動の自由がなかった。 領主は、国王の役人による荘園への立ち入りや課税を拒否する権利(3)をもち、農民を(4)によって裁くことが出来た。

    賦役, 十分の一税, 不輸不入権, 領主裁判権

  • 30

    中世ヨーロッパの荘園において、10~11世紀頃から広く行われており、耕地と休耕地を3年サイクルで回す農法(1)が用いられた。 また、鉄製農具を牛や馬にひかせる(2)が普及した。

    三圃制, 重量有輪犂

  • 31

    ビザンツ文化の美術面ではドームと(1)壁画を特色とするビザンツ様式の教会建築が有名で、イエスや聖母などの聖画像を描いた(2)美術も特徴的である。

    モザイク, イコン

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  • 1

    ビザンツ帝国は皇帝は政教一致の最高権力者として君臨する(1)主義となった。 6世紀前半に(2)が即位した。 (2)はトリボニアヌスに命じて(3)の編纂をした。 また、コンスタンティノープルに(4)を建てた。 さらにササン朝の(5)と抗争した ヴァンダル王国や東ゴート王国を征服した。 また、東方から伝来した養蚕を奨励して(6)産業を育成した。

    皇帝教皇, ユスティニアヌス大帝, ローマ法大全, ハギア=ソフィア大聖堂, ホスロー1世, 絹織物

  • 2

    7世紀になると、イタリア半島やバルカン半島の領土を失った。また、シリアやエジプトなどを失った。 ビザンツ帝国では軍管区制(1)が実施され、軍管区の司令官は行政と軍事の権限を与えられ、帝国領土の防衛に当たった。 また、帝国のギリシア化が進んだ。公用語はラテン語からギリシア語になった。 ビザンツ帝国独自に発展したキリスト教を(2)と呼んだ。 11世紀には、軍事奉仕を条件に貴族に領土を与える(3)が実施された。

    テマ制, ギリシア正教, プロノイア制

  • 3

    8世紀前半に皇帝となった(1)は726年に(2)を発布した。これにより、ビザンツ帝国内にあるイエスや聖母マリアなどの全ての聖像の禁止と破壊が命じられた。 しかし、ゲルマン人への布教活動に聖像を使用していたローマ教皇が反発した。 そのためギリシア正教会(東方教会)とラテン=カトリック教会(西方教会)に分裂した。

    レオン3世, 聖像禁止令

  • 4

    ローマ帝国末期に(1)と呼ばれた教会のうち、コンスタンティノープル教会が有力であったが、西ローマ帝国滅亡後、ローマ教会がそこから分離し始めた。 ・ローマ教会・コンスタンティノープル教会・アンティオキア・イェルサレム教会・アレクサンドリア教会

    五本山

  • 5

    6世紀末に即位したローマ教皇(1)はブリテン島のアングロ=サクソン人の布教に成功した。

    グレゴリウス1世

  • 6

    ヨーロッパ中西部には前6世紀頃からインド=ヨーロッパ語系の(1)が広く居住していた。

    ケルト人

  • 7

    ゲルマン人社会は重要な決定を青年男性自由人の全体集会の(1)に委ねていた。

    民会

  • 8

    4世紀後半、アジア系の(1)が西進を開始し、ゲルマン人一派の(2)を征服した。さらに(3)を圧迫すると、375年に南下を開始し、ゲルマン人の大移動が始まった。

    フン人, 東ゴート人, 西ゴート人

  • 9

    フン人はヨーロッパに侵入して、5世紀前半にパンノニア(ハンガリー)に(1)王が帝国を建てたが、451年の(2)で西ローマ・ゲルマン連合国に敗れた。

    アッティラ, カタラウヌムの戦い

  • 10

    アングロ=サクソン人は大ブリテン島に(1)を建てた。 この王国を形成したウェセックス王(2)

    七王国, エグバート

  • 11

    A B C D E F Gの民族・部族名

    アングロ=サクソン, フランク, ブルグンド, 西ゴート, 東ゴート, ランゴバルト, ヴァンダル

  • 12

    ガリア北部では(1)によってフランク人の統合が進み、5世紀後半に(2)が建てられた。 (1)は自然崇拝者であったが、キリスト教のアタナシウス派に改宗した。 732年に宮宰の(3)は侵入したイスラーム勢力を(4)で破った。

    クローヴィス, メロヴィング朝, カール=マルテル, トゥール=ポワティエ間の戦い

  • 13

    カール=マルテルの子供(1)は8世紀半ばに(2)を建国した。 その後、ローマ教会を圧迫していたランゴバルト王国を攻撃して(3)地方を奪い、ローマ教会に献上した。(4) これが教皇領に起源になった。

    ピピン, カロリング朝, ラヴェンナ, ピピンの寄進

  • 14

    ピピンの子(1)は北イタリアのランゴバルト王国を滅ぼし、北ドイツのザクセン人を平定してキリスト教を布教した。 また、(2)の侵入を撃退し、後ウマイヤ朝と抗争した。 800年に教皇(3)はカール大帝に西ローマ皇帝の帝冠を授けた。これを(4)という

    カール大帝, アヴァール人, レオ3世, カールの戴冠

  • 15

    カール大帝は全国を州に分け、地方の豪族を(1)に任命して、各州の長官とし、巡察使を派遣して(1)を監視した。

  • 16

    文化面では(1)が展開され、イギリスの神学者(2)を招いて、古代ローマ文化の復興につとめた。

    カロリング=ルネサンス, アルクイン

  • 17

    名前

    フランク王国, ランゴバルト王国, 東ゴート王国, 西ゴート王国

  • 18

    カール大帝の死後、843年に(1)条約が結ばれ、フランク王国は東、中部、西に分裂した。 また、870年に(2)条約が結ばれ、中部フランクの北部が東西フランクに割譲された。

    ヴェルダン, メルセン

  • 19

    西フランク王国では10世紀末にカロリング朝が途絶すると、新たな王にパリ伯の(1)が選出され、(2)が成立した。

    ユーグ=カペー, カペー朝

  • 20

    東フランク王国では10世紀初めにカロリング家が断絶した後、国王となった(1)はスラヴ人を制圧して、さらにマジャール人を撃退した。 教皇は962年に(1)をローマ帝国として戴冠した。これが(2)の成立の起源となった。

    オットー1世, 神聖ローマ帝国

  • 21

    北方のスカンディナヴィア半島などに居住していたゲルマン人の一派のノルマン人は8世紀後半からヨーロッパ各地で商業活動を行う一方で海賊行為で沿岸地帯を荒し回るようになった。 ノルマン人は(1)と呼ばれた。

    ヴァイキング

  • 22

    18世紀初めに(1)に率いられた一派は北フランスに上陸して、(2)を成立した。 さらに、この国から分かれた一派は1130年にシチリアと南イタリアに進出して(3)を建てた。

    ロロ, ノルマンディー公国, 両シチリア王国

  • 23

    ノルマン人はイングランドのアングロサクソン王国に侵入した。 9世紀末に(1)が一時的に撃退したものの、1016年にデーン人の王(2)に征服された。 その後、1066年に(3)がイングランド王位を主張して攻め込み、(4)として即位し、ノルマン朝が成立した。

    アルフレッド大王, クヌート, ノルマンディー公ウィリアム, ウィリアム1世

  • 24

    スラヴ人はカルパティア山脈北方を現住地としていたが、6世紀以降東ヨーロッパに拡大して、ビザンツ帝国北方にも広がった。 そのうち、東スラヴ人と南スラヴ人はビザンツ文化と(1)教の影響を強く受けた。 また、西スラヴ人は西欧文化と(2)教の影響を強く受けた。

    ギリシア正, カトリック

  • 25

    9世紀中頃からリューリクに率いられたルーシと呼ばれる一派がロシアに入り、862年に(1)、882年に(2)を建国した。

    ノヴゴロド国, キエフ公国

  • 26

    キエフ公国は(1)の時代に最盛期を迎え、(1)は(2)に改宗して、国教とした。

    ウラディミル1世, ギリシア正教

  • 27

    武勇と忠誠、弱者や教会の保護、女性への礼節など、騎士が持つべきとされた徳目

    騎士道

  • 28

    主君として家臣に対し、封土を与えて保護する代わりに、家臣は主君に対して忠誠を誓い、軍事的な奉仕の義務を負った。こうした結び付きを封建的主従関係という。 主君と家臣の双方に契約を守る双務的契約があり、主君が契約に反すれば家臣は服従を拒否する権利が認められた。 こうした主従関係は古代ローマの(1)とゲルマン社会の(2)に起源がある

    恩貸地制度, 従士制

  • 29

    農奴は領主直営地での労働(1)と農民の保有地での生産物を収める義務(貢納)のほか、結婚税、死亡税、教会へ収める(2)が課せられた。 また、農奴には移動の自由がなかった。 領主は、国王の役人による荘園への立ち入りや課税を拒否する権利(3)をもち、農民を(4)によって裁くことが出来た。

    賦役, 十分の一税, 不輸不入権, 領主裁判権

  • 30

    中世ヨーロッパの荘園において、10~11世紀頃から広く行われており、耕地と休耕地を3年サイクルで回す農法(1)が用いられた。 また、鉄製農具を牛や馬にひかせる(2)が普及した。

    三圃制, 重量有輪犂

  • 31

    ビザンツ文化の美術面ではドームと(1)壁画を特色とするビザンツ様式の教会建築が有名で、イエスや聖母などの聖画像を描いた(2)美術も特徴的である。

    モザイク, イコン