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中二社会1中間テスト ランダム禁止
30問 • 4年前
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    問題一覧

  • 1

    氷河期が終わり海水面が上昇すると日本列島は 大陸から切り離され🟥年前にほぼ現在の姿になりました。

    1万

  • 2

    日本列島では、気候が暖かくなったことで、 森林が広がり食用となるどんぐりぐるみなどの木の実や イノシシ・シカなどの獣が増えました。 また、魚や貝も盛んにとられるようになりました。 狩りや採集で得た食料の保存や煮炊きのために🟥を 使うようになり、食べられるものの種類が増えて 食生活は豊かになりました。

    土器

  • 3

    この頃の土器は表面に🟥の文様がつけられていることが 多いので、🟥と言います。

    縄目, 縄文土器

  • 4

    食生活の充実で人口も増え地面に穴を掘り屋根を付けた 🟥に定住するようになりました。 住居の近くには🟥ができました。 また自然界のあらゆるものに神が宿ると考えられ、 食物が豊かに実ることなどお祈りやまじないに 使うための道具が作られました。

    竪穴住居, 貝塚

  • 5

    青森県の🟥遺跡では当時の人々が優れた技術で 大きな建物を作り、 遠い地域と物の交換を 行っていたことが分かっています。

    三内丸山

  • 6

    こうした生活が続いた 約10000年前から紀元前🟥世紀頃までの時期を🟥時代、 またその文化を🟥文化と言います。

    3, 縄文, 縄文

  • 7

    縄文時代の終わり頃、中国や朝鮮半島などから北九州へ 渡来した人々が稲作を伝え、 稲作は西日本から東日本へと 広まっていきました。 この時渡来した人々と縄文人が 少しずつ混じり合い、後の日本人や文化が形作られて いきました。 土器も縄文土器より薄くて硬く米の保存、 煮炊きに適した🟥土器が作られるようになりました。

    弥生

  • 8

    稲作には多くの人々が協力し作業することが必要でした。 人々は木製のすきや鍬で耕し水田を広げました。 収穫した稲は石包丁や木磨製の鉄製の鎌で穂先を摘み、 稲穂から籾殻を取り去るためには杵と臼を使いました。 また、水田近くの台地に定住して村を作り、 竪穴住居に住みました。 稲を蓄えるための🟥も作られました。

    高床倉庫

  • 9

    稲作とともに🟥や🟥も中国や朝鮮から伝わりました。 (順不同)

    青銅器, 鉄器

  • 10

    銅鐸や銅剣銅矛などの青銅器は豊作を 神に祈る祭りの道具として使われました。 青銅器より硬い鉄器は武器や工具として用いられました。 この時代を弥生時代、その文化を弥生文化といい、 紀元前3世紀頃から紀元🟥世紀頃までの約🟥年間続きました。 ただし、 日本列島全体に一斉に稲作が広まったわけではなく、縄文時代と変わらない狩りや漁の生活を続けていた地域もありました。

    3, 600

  • 11

    中国の歴史書『🟥』によれば、紀元前1世紀ごろ倭は 🟥余りの国に分かれていたとあります。

    漢書, 100

  • 12

    また1世紀半ばの歴史書『🟥』には 奴国の王が🟥に使いを送り、 皇帝から🟥を与えられたと書かれてい ます

    後漢書, 漢, 金印

  • 13

    中国は漢の後魏呉蜀の三国時代となりました。 そのうち『魏』の歴史書によると3世紀には 小さな国に分かれ、長い間争いが続いたが 🟥の🟥を国の女王にしたところ、 争いが治った、とあります。

    邪馬台国, 卑弥呼

  • 14

    卑弥呼はまじないによって🟥ほどの諸国を治めました。 また中国に使者を送り、珍しい贈り物や王の地位を 得ることによって他の国より優位に立とうとしました。 その結果は国全体を統治する🟥の称号と🟥100 枚を得ました。 諸国には大幸・奴隷までの身分があり国を治める仕組みが整えられて いました。

    30, 倭王, 銅鏡

  • 15

    3世紀になると各地に🟥が出現しました。

    古墳

  • 16

    古墳はその見た目から四角いものを🟥、 丸いものを🟥と呼び、 その2 種類を合わせた形の 🟥も出現しました。 古墳作りは多くの材料と労力を 必要とする土木工事であり、富と権力を持った 🟥が各地に現れたことを示しています。

    方墳, 円墳, 前方後円墳, 豪族

  • 17

    以後6世紀までの古墳が盛んに作られた 約300年間を🟥時代と言います。 朝鮮半島では3~4世紀頃、🟥が北部へ領土を広め、 南部では小国がまとまり百済と🟥が成立しました。

    古墳, 高句麗, 新羅

  • 18

    高句麗の王によって建てられた石碑である🟥碑には 倭国の大和地方に成立したヤマト王権が朝鮮半島南端の 🟥地域とのつながりを強めながら百済に協力して 高句麗や新羅と戦ったとあります。

    広開大王, 加羅

  • 19

    日本では弥生時代の終わり頃からスキやクワなどに 鉄の刃先を使うことが広まり生産力が高まりました。 また武器も主に鉄製のものが使われるようになりました。 しかし当時の日本列島には鉄を作り出す技術はまだなく、 鉄は延べ板のような形で朝鮮半島からもたらされました。 国を豊かにするために重要な鉄をめぐって各地の豪族は 朝鮮半島とつながりのあった🟥王権と結び付きを 強めようとしました。

    ヤマト

  • 20

    ヤ マト王権は豪族たちに朝鮮半島からの鉄や技術などを 与える代わりに貢物や兵士の同意などを義務付けました。 大和地方を中心に出現した前方後円墳は4~5世紀には各地に広まっていきましたが、 それは 各地の豪族がヤマト王権に従うようになり大きな墓を作ることを許されたからだと考えられています。 5 世紀後半に大和王権の王、🟥が大王を名乗って 鉄剣や鉄刀を関東や九州の豪族に与えたのも国内での 結びつきを強めたいという考えからでした。

    ワカタケル

  • 21

    しかし、朝鮮半島での争いに破れることもあったため ヤマト王権でさえも安定して鉄を手に入れることは できませんでした。そのため大和王権は南朝と北朝に 分かれ対立していた中国の🟥の皇帝へ度々使いを送り、 舌を確保するためにそこの力を借りて朝鮮半島諸国に 対して優位に立とうとしました。

    あとで, やる

  • 22

    この時期、 戦乱の多い中国や朝鮮半島から倭国に 移住してきた人々を🟥と呼びます。 渡来人は🟥や鉄器の製造や機織り漢字など毎日の生活に役立つ多くの技術を伝えました。

    渡来人, 須恵器

  • 23

    さらにヤマト王権においても外交や政治財政などで 活躍しました。6世紀には🟥や🟥を伝え日本の人々の 信仰や文化に大きな影響を与えました。

    仏教, 儒教

  • 24

    ヤマト王権では豪族の対立や争いが激しくなりました。 その中で渡来人の知識と技術を利用して勢力を 大きく伸ばしたのは🟥氏でした。

    蘇我

  • 25

    6世紀半ばに百済から仏教が伝わると蘇我氏は その導入に努めました。 また、反対する🟥氏を倒して実力者となると、 対立する大王を殺害して🟥を大王にしました。

    物部, 額田部王女

  • 26

    大王の摂政となった🟥は🟥と協力して新しい政治を行いました。

    聖徳太子, 蘇我馬子

  • 27

    太子は🟥中心の政治を目指し、 また中国にも認めてもらうため国の政治を整えました。

    大王

  • 28

    🟥の制度を設けて家柄にとらわれず 有能な人を役人に用いました。

    冠位十二階

  • 29

    さらに仏教や儒教の考え方を取り入れた 🟥を定め大王の命令に従うことなど 役人の心得を示しました。

    十七条の憲法

  • 30

    このように国内の政治が整うと太子は 隋へ🟥らを遣隋使として使わしました。 そして隋の進んだ政治の仕組みや文化を取り入れるため 正式な国交を目指しました。高句麗と対立していた隋は 倭国との関係を重く考え、政治や仏教を学ぶための 留学生や留学生を受け入れました。

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    日本列島では、気候が暖かくなったことで、 森林が広がり食用となるどんぐりぐるみなどの木の実や イノシシ・シカなどの獣が増えました。 また、魚や貝も盛んにとられるようになりました。 狩りや採集で得た食料の保存や煮炊きのために🟥を 使うようになり、食べられるものの種類が増えて 食生活は豊かになりました。

    土器

  • 3

    この頃の土器は表面に🟥の文様がつけられていることが 多いので、🟥と言います。

    縄目, 縄文土器

  • 4

    食生活の充実で人口も増え地面に穴を掘り屋根を付けた 🟥に定住するようになりました。 住居の近くには🟥ができました。 また自然界のあらゆるものに神が宿ると考えられ、 食物が豊かに実ることなどお祈りやまじないに 使うための道具が作られました。

    竪穴住居, 貝塚

  • 5

    青森県の🟥遺跡では当時の人々が優れた技術で 大きな建物を作り、 遠い地域と物の交換を 行っていたことが分かっています。

    三内丸山

  • 6

    こうした生活が続いた 約10000年前から紀元前🟥世紀頃までの時期を🟥時代、 またその文化を🟥文化と言います。

    3, 縄文, 縄文

  • 7

    縄文時代の終わり頃、中国や朝鮮半島などから北九州へ 渡来した人々が稲作を伝え、 稲作は西日本から東日本へと 広まっていきました。 この時渡来した人々と縄文人が 少しずつ混じり合い、後の日本人や文化が形作られて いきました。 土器も縄文土器より薄くて硬く米の保存、 煮炊きに適した🟥土器が作られるようになりました。

    弥生

  • 8

    稲作には多くの人々が協力し作業することが必要でした。 人々は木製のすきや鍬で耕し水田を広げました。 収穫した稲は石包丁や木磨製の鉄製の鎌で穂先を摘み、 稲穂から籾殻を取り去るためには杵と臼を使いました。 また、水田近くの台地に定住して村を作り、 竪穴住居に住みました。 稲を蓄えるための🟥も作られました。

    高床倉庫

  • 9

    稲作とともに🟥や🟥も中国や朝鮮から伝わりました。 (順不同)

    青銅器, 鉄器

  • 10

    銅鐸や銅剣銅矛などの青銅器は豊作を 神に祈る祭りの道具として使われました。 青銅器より硬い鉄器は武器や工具として用いられました。 この時代を弥生時代、その文化を弥生文化といい、 紀元前3世紀頃から紀元🟥世紀頃までの約🟥年間続きました。 ただし、 日本列島全体に一斉に稲作が広まったわけではなく、縄文時代と変わらない狩りや漁の生活を続けていた地域もありました。

    3, 600

  • 11

    中国の歴史書『🟥』によれば、紀元前1世紀ごろ倭は 🟥余りの国に分かれていたとあります。

    漢書, 100

  • 12

    また1世紀半ばの歴史書『🟥』には 奴国の王が🟥に使いを送り、 皇帝から🟥を与えられたと書かれてい ます

    後漢書, 漢, 金印

  • 13

    中国は漢の後魏呉蜀の三国時代となりました。 そのうち『魏』の歴史書によると3世紀には 小さな国に分かれ、長い間争いが続いたが 🟥の🟥を国の女王にしたところ、 争いが治った、とあります。

    邪馬台国, 卑弥呼

  • 14

    卑弥呼はまじないによって🟥ほどの諸国を治めました。 また中国に使者を送り、珍しい贈り物や王の地位を 得ることによって他の国より優位に立とうとしました。 その結果は国全体を統治する🟥の称号と🟥100 枚を得ました。 諸国には大幸・奴隷までの身分があり国を治める仕組みが整えられて いました。

    30, 倭王, 銅鏡

  • 15

    3世紀になると各地に🟥が出現しました。

    古墳

  • 16

    古墳はその見た目から四角いものを🟥、 丸いものを🟥と呼び、 その2 種類を合わせた形の 🟥も出現しました。 古墳作りは多くの材料と労力を 必要とする土木工事であり、富と権力を持った 🟥が各地に現れたことを示しています。

    方墳, 円墳, 前方後円墳, 豪族

  • 17

    以後6世紀までの古墳が盛んに作られた 約300年間を🟥時代と言います。 朝鮮半島では3~4世紀頃、🟥が北部へ領土を広め、 南部では小国がまとまり百済と🟥が成立しました。

    古墳, 高句麗, 新羅

  • 18

    高句麗の王によって建てられた石碑である🟥碑には 倭国の大和地方に成立したヤマト王権が朝鮮半島南端の 🟥地域とのつながりを強めながら百済に協力して 高句麗や新羅と戦ったとあります。

    広開大王, 加羅

  • 19

    日本では弥生時代の終わり頃からスキやクワなどに 鉄の刃先を使うことが広まり生産力が高まりました。 また武器も主に鉄製のものが使われるようになりました。 しかし当時の日本列島には鉄を作り出す技術はまだなく、 鉄は延べ板のような形で朝鮮半島からもたらされました。 国を豊かにするために重要な鉄をめぐって各地の豪族は 朝鮮半島とつながりのあった🟥王権と結び付きを 強めようとしました。

    ヤマト

  • 20

    ヤ マト王権は豪族たちに朝鮮半島からの鉄や技術などを 与える代わりに貢物や兵士の同意などを義務付けました。 大和地方を中心に出現した前方後円墳は4~5世紀には各地に広まっていきましたが、 それは 各地の豪族がヤマト王権に従うようになり大きな墓を作ることを許されたからだと考えられています。 5 世紀後半に大和王権の王、🟥が大王を名乗って 鉄剣や鉄刀を関東や九州の豪族に与えたのも国内での 結びつきを強めたいという考えからでした。

    ワカタケル

  • 21

    しかし、朝鮮半島での争いに破れることもあったため ヤマト王権でさえも安定して鉄を手に入れることは できませんでした。そのため大和王権は南朝と北朝に 分かれ対立していた中国の🟥の皇帝へ度々使いを送り、 舌を確保するためにそこの力を借りて朝鮮半島諸国に 対して優位に立とうとしました。

    あとで, やる

  • 22

    この時期、 戦乱の多い中国や朝鮮半島から倭国に 移住してきた人々を🟥と呼びます。 渡来人は🟥や鉄器の製造や機織り漢字など毎日の生活に役立つ多くの技術を伝えました。

    渡来人, 須恵器

  • 23

    さらにヤマト王権においても外交や政治財政などで 活躍しました。6世紀には🟥や🟥を伝え日本の人々の 信仰や文化に大きな影響を与えました。

    仏教, 儒教

  • 24

    ヤマト王権では豪族の対立や争いが激しくなりました。 その中で渡来人の知識と技術を利用して勢力を 大きく伸ばしたのは🟥氏でした。

    蘇我

  • 25

    6世紀半ばに百済から仏教が伝わると蘇我氏は その導入に努めました。 また、反対する🟥氏を倒して実力者となると、 対立する大王を殺害して🟥を大王にしました。

    物部, 額田部王女

  • 26

    大王の摂政となった🟥は🟥と協力して新しい政治を行いました。

    聖徳太子, 蘇我馬子

  • 27

    太子は🟥中心の政治を目指し、 また中国にも認めてもらうため国の政治を整えました。

    大王

  • 28

    🟥の制度を設けて家柄にとらわれず 有能な人を役人に用いました。

    冠位十二階

  • 29

    さらに仏教や儒教の考え方を取り入れた 🟥を定め大王の命令に従うことなど 役人の心得を示しました。

    十七条の憲法

  • 30

    このように国内の政治が整うと太子は 隋へ🟥らを遣隋使として使わしました。 そして隋の進んだ政治の仕組みや文化を取り入れるため 正式な国交を目指しました。高句麗と対立していた隋は 倭国との関係を重く考え、政治や仏教を学ぶための 留学生や留学生を受け入れました。

    小野妹子