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歴史総合1 18世紀の世界と日本
22問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    1733〈英〉[   ★₁]、飛び杼(梭)発明([   ★₂]の出発点)

    1:ジョン=ケイ   2:産業革命

  • 2

    1740 〈欧米〉[   ★₁](~48)  神聖ローマ皇帝カール6世に世継ぎがなく、1740年に娘の[   ₂]が即位すると、バイエルン、スペイン、フランスなどが異議を唱えた。  プロイセンの[   ₃]はこれを機に資源豊かな[   ₄]に侵入し、占領。女帝はイギリスの援助の元で開戦、オーストリア継承戦争が勃発したが、1748年[   ₅]を結び、シュレジエン割譲に同意した。

    1:オーストリア継承戦争 2:マリア=テレジア 3:フリードリヒ2世 4:シュレジエン 5:アーヘンの和約

  • 3

    1756 〈欧米〉[   ★₁](~63)  [   ₂]の結果、[   ₃]領であった[   ₄]はプロイセンに帰属することになった。  シュレジエン奪還を目論む[   ₅]の[   ₆]は長年敵対関係にあったフランス・ブルボン家と提携、[   ₇]という。  [   ₈]はイギリスと組んで先制攻撃をかけ[   ₁]が勃発。  プロイセンは苦戦したが、1763年に[   ₉]を結んでシュレジエンを確保した。アメリカ大陸では並行して英仏の[   ₁₀]が戦われ、63年の[   ₁₁]で終結した。

    1:七年戦争 2:オーストリア継承戦争 3:ハプスブルク 4:シュレジエン 5:オーストリア 6:マリア=テレジア 7:外交革命 8:プロイセン 9:フベルトゥスブルクの和約 10:フレンチ=インディアン戦争 11:パリ条約

  • 4

    1757〈印〉[   ★₁]  17世紀後半に[   ₂]が衰えると、英・仏領国は[   ₃]の衰退に乗じて勢力争いを展開。  1744年以降、領国は[   ₄]で争い、インド総督[   ₅]の戦略でフランスが優位に立った。  しかし、ヨーロッパで[   ★₆]が起こると、1757年の[   ₁]では[   ₇]の活躍でイギリスがフランスとベンガル太守の連合軍を破り、フランスの勢力を駆逐して、1765年にはベンガルなど三州の地租収入権を得て事実上の植民地支配を開始した。  その後、イギリスは南インドの[   ₈]を滅ぼし、中部インドのデカン高原の[   ₉]を打ち破り、北インドで根強い反抗を続けた[   ₁₀]を鎮圧し、1815年にはウィーン議定書でオランダからセイロン島を、1816年にはネパールを戦争によって保護下においた。

    プラッシーの戦い

  • 5

    1757〈中〉清がヨーロッパ船の来港を[   ★]に限定

    広州

  • 6

    1769〈英〉 [   ★]が蒸気機関を改良

    ワット

  • 7

    1775〈米〉[   ★](~83)

    アメリカ独立戦争

  • 8

    1783〈仏〉[   ★₁]でアメリカ独立  1777年、[   ₂]で独立軍は優勢に。  フランス・スペイン・オランダも参戦し、1781年の[   ₃]で米仏連合軍が決定的に勝利した。  1783年、イギリスは[   ₁]を締結し、[   ₄]を認め、ミシシッピ川以東のルイジアナをアメリカに割譲。  ミシシッピ川以東のルイジアナはスペイン領だったが、その後フランス領となり、1803年アメリカが買収した。

    1:パリ条約 2:サラトガの戦い 3:ヨークタウンの戦い 4:アメリカの独立

  • 9

    1789〈仏〉[   ★₁](~99)  [   ₂]下、フランスは[   ★₃]への援助によって財政が破綻。  1789年5月に開かれた[   ₄]は議決の方法を巡って意見が衝突し、第三身分は[   ₅]を発足。  パリ民衆は[   ₆]を襲撃して[   ₁]が勃発。  8月、国民議会は人権宣言を採択した。

    1:フランス革命 2:旧制度(アンシャン=レジーム) 3:アメリカ独立戦争 4:三部会 5:国民議会 6:バスティーユ牢獄

  • 10

    1792〈仏〉[   ★₁]  1792年4月、[   ₂]はオーストリアに宣戦。戦局の不利から国民は動揺した。  [   ₃]で王権が停止されると、9月に[   ₄]が実施され、あらたに[   ₅]が成立。  共和派が多数を占め、戦争も[   ₆]で勝利した。9月21日、王政の廃止・共和政の樹立が宣言され、ここに[   ₁]が成立した。

    1:第一共和政 2:ジロンド派内閣 3:8月10日事件 4:男子普通選挙 5:国民公会 6:ヴァルミーの戦い

  • 11

    1793〈英〉[   ★₁]、中国に至る  1757年、清の[   ₂]は、貿易港を[   ★₃]1港に制限し、特許商人の組合である[   ★₄]が貿易を独占。  このため、1793年、英使[   ₁]は北京に赴き、乾隆帝に謁見したが、[   ₅]を拒否したため、通商条約締結の目的は達せられなかった。  1816年には[   ₆]が、1834年には[   ₇]が派遣されて制限貿易の撤廃を要請したが、中華思想の立場に立つ清朝はこの要請を拒否した。

    1:マカートニー 2:乾隆帝 3:広州 4:公行 5:三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい) 6:アマースト 7:ネーピア

  • 12

    1796〈中〉[   ★₁](~1804)  清朝の全盛期も、[   ₂]の治世の後半には、相次ぐ外征による出費、官僚の腐敗や農民の貧困化などによってゆらぎ始めた。  乾隆帝の退位後、[   ₃]初期の1796年、四川を中心とする新開地で弥勒下生信仰(みろくげしょうしんこう)の[   ★₄]を中心に農民反乱が発生。  乱は江南・湖北・四川・陝西(せんせい)・甘粛に広がったが、正規軍の八旗・緑営は腐敗して役に立たず、義勇軍である[   ₅]の活躍で鎮圧された。  1813年からは宗教結社の大規模な反乱である[   ₆]も起こった。

    1:白蓮教徒の乱 2:乾隆帝 3:嘉慶帝 4:白蓮教徒 5:郷勇 6:天理教徒の乱

  • 13

    1796〈イラン〉[   ★₁]成立  1736年に[   ₂]が滅亡すると、[   ★₃]にはアフシャール朝、ゼンド朝など短命な王朝が続いた。  1796年、トルコ系カージャール族のアーガー=ムハンマドが[   ₄]を都に[   ₅]のトルコ系王朝[   ₁]を創始した。  カージャール朝は19世紀以降、イギリス・ロシアの侵略を受け、1925年[   ₆]に代わる。

    1:カージャール朝 2:サファヴィー朝 3:イラン 4:テヘラン 5:シーア派 6:パフレヴィー朝

  • 14

    ⦅欧米⦆  [   ₁]の開幕以降、ヨーロッパ主導の[   ₂]が進んだ。大航海時代の初期の主役は[   ₃]と[   ₄]だったが、その後オランダ、イギリス、フランスが海外進出を進めた。イギリスとフランスは北米とインドで植民地戦争を展開し、イギリスはこれに勝利して広大な植民地を得た。しかし、イギリスは植民地戦争以降、[   ₅]に陥った。財政難を解消するため、北米13植民地に対して[   ₆]をとったことが[   ₇]を招き、1783年の[   ₈]でアメリカ合衆国の独立が承認された。また、植民地戦争に敗れたフランスも財政難に陥り、それを一因とする[   ₉]を招き、国王[   ₁₀]が処刑され第一共和政が成立した。  東欧では、オーストリアとプロイセンが[   ₁₁]と[   ₁₂]で戦い、プロイセンがオーストリアから[   ₁₃]を獲得した。また、18世紀のイギリスでは[   ₁₄]の飛び杼の発明以降、産業革命が展開し、資本家が労働者を雇って利潤を追求する[   ₁₅]体制が確立した。  

    1:大航海時代 2:世界の一体化 3:ポルトガル 4:スペイン 5:財政難 6:重商主義政策 7:アメリカ独立戦争 8:パリ条約 9:フランス革命 10:ルイ16世 11:オーストリア継承戦争 12:七年戦争 13:シュレジエン 14:ジョン=ケイ 15:資本主義

  • 15

    ⦅アジア・アフリカ⦆  中国では、漢民族が建てた[   ₁]が[   ₂]に滅び、その後、中国東北部から起こった満州人の[   ₃]が中国に進出し、中国支配を開始した。そして、18世紀半ばの[   ₄]の時代に、清は最大の領域を誇るに至った。乾隆帝はヨーロッパ船の来港を[   ₅]に限定し、[   ₆]に貿易を独占させたため、イギリスは[   ₇]と[   ₈]を求めて[   ₉]を清に派遣したが、交渉は不調に終わった。

    1:明  2:17世紀半ば 3:清 4:乾隆帝(けんりゅうてい) 5:広州 6:行商(公行) 7:貿易港の増加 8:行商廃止 9:マカートニー

  • 16

    1720〈日〉[   ★]の緩和

    漢訳洋書輸入制限

  • 17

    1772〈日〉[   ★₁]  18世紀に入ると[   ★₂]が広まり、貨幣収入のない百姓の生活は困窮。さらには飢饉の発生などから[   ★₃]は増加した。このような中で幕政を指導した[   ★₄]は貨幣制度の一本化を試み、老中となった1772年に[   ₅]の発行を命じた。また、商工業者の[   ★₆]を公認して特権を与え、かわりに運上・冥加(みょうが)を納めさせて幕府財政の不足を補った。

    1:田沼時代 2:貨幣経済 3:百姓一揆 4:田沼意次 5:南鐐二朱銀 6:株仲間

  • 18

    1787〈日〉[   ★₁](~93)  [   ★₂]は[   ₃]を出して農民の出稼ぎを禁じ、社倉・義倉を設け、[   ₄]を命じた。  江戸では町費節約の[   ₅]を実施。また債務に苦しむ旗本・御家人の救済のため、[   ₆]を出した。さらに寛政異学の禁で[   ★₇]の振興をはかった。

    1:寛政の改革 2:松平定信 3:旧里帰農令 4:囲米 5:七分金積立 6:棄捐令 7:朱子学

  • 19

    1792〈日〉[   ★₁]、根室来港  日本が鎖国政策を採っている間、ヨーロッパは[   ★₂]社会へと進展。  近代化の遅れたロシアも[   ★₃]を続けた。1792年、ロシア使節の[   ₁]が根室に来航し、[   ₄]ら漂流民を送り届けるとともに通商を要求。  老中[   ★₅]はこれを拒否したが、外交交渉のための長崎入港許可証を与えた。

    1:ラクスマン 2:資本主義 3:シベリア進出 4:大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう) 5:松平定信

  • 20

    1798〈日〉[   ★₁]・最上徳内、[   ★₂]  ラクスマンの来港を機にロシアの[   ★₃]を警戒した江戸幕府は、蝦夷地とその周辺に対する調査に着手、[   ★₁]・最上徳内らに調査を命じた。  本格的な調査は1798年から始められ、このとき近藤重蔵は択捉島に渡り[   ₄]の標柱を建てた。そして1799年、東蝦夷地は幕府の直轄地となった。

    1:近藤重蔵 2:択捉島探検 3:南下政策 4:大日本恵登呂府

  • 21

    ⦅世界における日本⦆  大航海時代の波を受け、日本では[   ₁]伝来を経て全国統一が促進された。16世紀末に全国を統一した[   ₂]は[   ₃]を行い、朝鮮に派遣された明の援軍に苦しめられた。続く[   ₄]が朝鮮との関係を修復した結果、朝鮮から日本に定期的に[   ₅]が派遣されるようになった。また、鉄砲と同時期に日本に流入した[   ₆]は、[   ₇]の確立の過程で禁圧され、江戸幕府による貿易の独占とともに、幕府が[   ₈]体制を敷く要因となった。その鎖国体制も[   ₉]が根室に来航するなど、列強の日本接近によって18世紀頃から動揺し始めた。

    1:鉄砲 2:豊臣秀吉 3:朝鮮出兵 4:江戸幕府 5:朝鮮通信使 6:キリスト教 7:幕藩体制 8:鎖国 9:ラクスマン

  • 22

    ⦅日本の動向⦆  豊臣秀吉死後、[   ₁]が[   ₂]で勝利し、江戸幕府を開いた。18世紀に幕府の財政が悪化すると、徳川吉宗が[   ₃]、松平定信が[   ₄]を行い、幕府の財政再建を目指した。また幕府は、[   ₅]・[   ₆]に命じて択捉島を探検させた。

    1:徳川家康 2:関ヶ原の戦い 3:享保の改革 4:寛政の改革 5:近藤重蔵 6:最上徳内

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  • 1

    1733〈英〉[   ★₁]、飛び杼(梭)発明([   ★₂]の出発点)

    1:ジョン=ケイ   2:産業革命

  • 2

    1740 〈欧米〉[   ★₁](~48)  神聖ローマ皇帝カール6世に世継ぎがなく、1740年に娘の[   ₂]が即位すると、バイエルン、スペイン、フランスなどが異議を唱えた。  プロイセンの[   ₃]はこれを機に資源豊かな[   ₄]に侵入し、占領。女帝はイギリスの援助の元で開戦、オーストリア継承戦争が勃発したが、1748年[   ₅]を結び、シュレジエン割譲に同意した。

    1:オーストリア継承戦争 2:マリア=テレジア 3:フリードリヒ2世 4:シュレジエン 5:アーヘンの和約

  • 3

    1756 〈欧米〉[   ★₁](~63)  [   ₂]の結果、[   ₃]領であった[   ₄]はプロイセンに帰属することになった。  シュレジエン奪還を目論む[   ₅]の[   ₆]は長年敵対関係にあったフランス・ブルボン家と提携、[   ₇]という。  [   ₈]はイギリスと組んで先制攻撃をかけ[   ₁]が勃発。  プロイセンは苦戦したが、1763年に[   ₉]を結んでシュレジエンを確保した。アメリカ大陸では並行して英仏の[   ₁₀]が戦われ、63年の[   ₁₁]で終結した。

    1:七年戦争 2:オーストリア継承戦争 3:ハプスブルク 4:シュレジエン 5:オーストリア 6:マリア=テレジア 7:外交革命 8:プロイセン 9:フベルトゥスブルクの和約 10:フレンチ=インディアン戦争 11:パリ条約

  • 4

    1757〈印〉[   ★₁]  17世紀後半に[   ₂]が衰えると、英・仏領国は[   ₃]の衰退に乗じて勢力争いを展開。  1744年以降、領国は[   ₄]で争い、インド総督[   ₅]の戦略でフランスが優位に立った。  しかし、ヨーロッパで[   ★₆]が起こると、1757年の[   ₁]では[   ₇]の活躍でイギリスがフランスとベンガル太守の連合軍を破り、フランスの勢力を駆逐して、1765年にはベンガルなど三州の地租収入権を得て事実上の植民地支配を開始した。  その後、イギリスは南インドの[   ₈]を滅ぼし、中部インドのデカン高原の[   ₉]を打ち破り、北インドで根強い反抗を続けた[   ₁₀]を鎮圧し、1815年にはウィーン議定書でオランダからセイロン島を、1816年にはネパールを戦争によって保護下においた。

    プラッシーの戦い

  • 5

    1757〈中〉清がヨーロッパ船の来港を[   ★]に限定

    広州

  • 6

    1769〈英〉 [   ★]が蒸気機関を改良

    ワット

  • 7

    1775〈米〉[   ★](~83)

    アメリカ独立戦争

  • 8

    1783〈仏〉[   ★₁]でアメリカ独立  1777年、[   ₂]で独立軍は優勢に。  フランス・スペイン・オランダも参戦し、1781年の[   ₃]で米仏連合軍が決定的に勝利した。  1783年、イギリスは[   ₁]を締結し、[   ₄]を認め、ミシシッピ川以東のルイジアナをアメリカに割譲。  ミシシッピ川以東のルイジアナはスペイン領だったが、その後フランス領となり、1803年アメリカが買収した。

    1:パリ条約 2:サラトガの戦い 3:ヨークタウンの戦い 4:アメリカの独立

  • 9

    1789〈仏〉[   ★₁](~99)  [   ₂]下、フランスは[   ★₃]への援助によって財政が破綻。  1789年5月に開かれた[   ₄]は議決の方法を巡って意見が衝突し、第三身分は[   ₅]を発足。  パリ民衆は[   ₆]を襲撃して[   ₁]が勃発。  8月、国民議会は人権宣言を採択した。

    1:フランス革命 2:旧制度(アンシャン=レジーム) 3:アメリカ独立戦争 4:三部会 5:国民議会 6:バスティーユ牢獄

  • 10

    1792〈仏〉[   ★₁]  1792年4月、[   ₂]はオーストリアに宣戦。戦局の不利から国民は動揺した。  [   ₃]で王権が停止されると、9月に[   ₄]が実施され、あらたに[   ₅]が成立。  共和派が多数を占め、戦争も[   ₆]で勝利した。9月21日、王政の廃止・共和政の樹立が宣言され、ここに[   ₁]が成立した。

    1:第一共和政 2:ジロンド派内閣 3:8月10日事件 4:男子普通選挙 5:国民公会 6:ヴァルミーの戦い

  • 11

    1793〈英〉[   ★₁]、中国に至る  1757年、清の[   ₂]は、貿易港を[   ★₃]1港に制限し、特許商人の組合である[   ★₄]が貿易を独占。  このため、1793年、英使[   ₁]は北京に赴き、乾隆帝に謁見したが、[   ₅]を拒否したため、通商条約締結の目的は達せられなかった。  1816年には[   ₆]が、1834年には[   ₇]が派遣されて制限貿易の撤廃を要請したが、中華思想の立場に立つ清朝はこの要請を拒否した。

    1:マカートニー 2:乾隆帝 3:広州 4:公行 5:三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい) 6:アマースト 7:ネーピア

  • 12

    1796〈中〉[   ★₁](~1804)  清朝の全盛期も、[   ₂]の治世の後半には、相次ぐ外征による出費、官僚の腐敗や農民の貧困化などによってゆらぎ始めた。  乾隆帝の退位後、[   ₃]初期の1796年、四川を中心とする新開地で弥勒下生信仰(みろくげしょうしんこう)の[   ★₄]を中心に農民反乱が発生。  乱は江南・湖北・四川・陝西(せんせい)・甘粛に広がったが、正規軍の八旗・緑営は腐敗して役に立たず、義勇軍である[   ₅]の活躍で鎮圧された。  1813年からは宗教結社の大規模な反乱である[   ₆]も起こった。

    1:白蓮教徒の乱 2:乾隆帝 3:嘉慶帝 4:白蓮教徒 5:郷勇 6:天理教徒の乱

  • 13

    1796〈イラン〉[   ★₁]成立  1736年に[   ₂]が滅亡すると、[   ★₃]にはアフシャール朝、ゼンド朝など短命な王朝が続いた。  1796年、トルコ系カージャール族のアーガー=ムハンマドが[   ₄]を都に[   ₅]のトルコ系王朝[   ₁]を創始した。  カージャール朝は19世紀以降、イギリス・ロシアの侵略を受け、1925年[   ₆]に代わる。

    1:カージャール朝 2:サファヴィー朝 3:イラン 4:テヘラン 5:シーア派 6:パフレヴィー朝

  • 14

    ⦅欧米⦆  [   ₁]の開幕以降、ヨーロッパ主導の[   ₂]が進んだ。大航海時代の初期の主役は[   ₃]と[   ₄]だったが、その後オランダ、イギリス、フランスが海外進出を進めた。イギリスとフランスは北米とインドで植民地戦争を展開し、イギリスはこれに勝利して広大な植民地を得た。しかし、イギリスは植民地戦争以降、[   ₅]に陥った。財政難を解消するため、北米13植民地に対して[   ₆]をとったことが[   ₇]を招き、1783年の[   ₈]でアメリカ合衆国の独立が承認された。また、植民地戦争に敗れたフランスも財政難に陥り、それを一因とする[   ₉]を招き、国王[   ₁₀]が処刑され第一共和政が成立した。  東欧では、オーストリアとプロイセンが[   ₁₁]と[   ₁₂]で戦い、プロイセンがオーストリアから[   ₁₃]を獲得した。また、18世紀のイギリスでは[   ₁₄]の飛び杼の発明以降、産業革命が展開し、資本家が労働者を雇って利潤を追求する[   ₁₅]体制が確立した。  

    1:大航海時代 2:世界の一体化 3:ポルトガル 4:スペイン 5:財政難 6:重商主義政策 7:アメリカ独立戦争 8:パリ条約 9:フランス革命 10:ルイ16世 11:オーストリア継承戦争 12:七年戦争 13:シュレジエン 14:ジョン=ケイ 15:資本主義

  • 15

    ⦅アジア・アフリカ⦆  中国では、漢民族が建てた[   ₁]が[   ₂]に滅び、その後、中国東北部から起こった満州人の[   ₃]が中国に進出し、中国支配を開始した。そして、18世紀半ばの[   ₄]の時代に、清は最大の領域を誇るに至った。乾隆帝はヨーロッパ船の来港を[   ₅]に限定し、[   ₆]に貿易を独占させたため、イギリスは[   ₇]と[   ₈]を求めて[   ₉]を清に派遣したが、交渉は不調に終わった。

    1:明  2:17世紀半ば 3:清 4:乾隆帝(けんりゅうてい) 5:広州 6:行商(公行) 7:貿易港の増加 8:行商廃止 9:マカートニー

  • 16

    1720〈日〉[   ★]の緩和

    漢訳洋書輸入制限

  • 17

    1772〈日〉[   ★₁]  18世紀に入ると[   ★₂]が広まり、貨幣収入のない百姓の生活は困窮。さらには飢饉の発生などから[   ★₃]は増加した。このような中で幕政を指導した[   ★₄]は貨幣制度の一本化を試み、老中となった1772年に[   ₅]の発行を命じた。また、商工業者の[   ★₆]を公認して特権を与え、かわりに運上・冥加(みょうが)を納めさせて幕府財政の不足を補った。

    1:田沼時代 2:貨幣経済 3:百姓一揆 4:田沼意次 5:南鐐二朱銀 6:株仲間

  • 18

    1787〈日〉[   ★₁](~93)  [   ★₂]は[   ₃]を出して農民の出稼ぎを禁じ、社倉・義倉を設け、[   ₄]を命じた。  江戸では町費節約の[   ₅]を実施。また債務に苦しむ旗本・御家人の救済のため、[   ₆]を出した。さらに寛政異学の禁で[   ★₇]の振興をはかった。

    1:寛政の改革 2:松平定信 3:旧里帰農令 4:囲米 5:七分金積立 6:棄捐令 7:朱子学

  • 19

    1792〈日〉[   ★₁]、根室来港  日本が鎖国政策を採っている間、ヨーロッパは[   ★₂]社会へと進展。  近代化の遅れたロシアも[   ★₃]を続けた。1792年、ロシア使節の[   ₁]が根室に来航し、[   ₄]ら漂流民を送り届けるとともに通商を要求。  老中[   ★₅]はこれを拒否したが、外交交渉のための長崎入港許可証を与えた。

    1:ラクスマン 2:資本主義 3:シベリア進出 4:大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう) 5:松平定信

  • 20

    1798〈日〉[   ★₁]・最上徳内、[   ★₂]  ラクスマンの来港を機にロシアの[   ★₃]を警戒した江戸幕府は、蝦夷地とその周辺に対する調査に着手、[   ★₁]・最上徳内らに調査を命じた。  本格的な調査は1798年から始められ、このとき近藤重蔵は択捉島に渡り[   ₄]の標柱を建てた。そして1799年、東蝦夷地は幕府の直轄地となった。

    1:近藤重蔵 2:択捉島探検 3:南下政策 4:大日本恵登呂府

  • 21

    ⦅世界における日本⦆  大航海時代の波を受け、日本では[   ₁]伝来を経て全国統一が促進された。16世紀末に全国を統一した[   ₂]は[   ₃]を行い、朝鮮に派遣された明の援軍に苦しめられた。続く[   ₄]が朝鮮との関係を修復した結果、朝鮮から日本に定期的に[   ₅]が派遣されるようになった。また、鉄砲と同時期に日本に流入した[   ₆]は、[   ₇]の確立の過程で禁圧され、江戸幕府による貿易の独占とともに、幕府が[   ₈]体制を敷く要因となった。その鎖国体制も[   ₉]が根室に来航するなど、列強の日本接近によって18世紀頃から動揺し始めた。

    1:鉄砲 2:豊臣秀吉 3:朝鮮出兵 4:江戸幕府 5:朝鮮通信使 6:キリスト教 7:幕藩体制 8:鎖国 9:ラクスマン

  • 22

    ⦅日本の動向⦆  豊臣秀吉死後、[   ₁]が[   ₂]で勝利し、江戸幕府を開いた。18世紀に幕府の財政が悪化すると、徳川吉宗が[   ₃]、松平定信が[   ₄]を行い、幕府の財政再建を目指した。また幕府は、[   ₅]・[   ₆]に命じて択捉島を探検させた。

    1:徳川家康 2:関ヶ原の戦い 3:享保の改革 4:寛政の改革 5:近藤重蔵 6:最上徳内