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こじプリ
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    問題一覧

  • 1

    19 世紀末にヨーロッパで興ったアール・ヌーボーは有機的な曲線を共通の特徴とする芸術運動の総称であり、 ドイツでは[1]、オーストリアでは[2]、スペインでは[3]とも呼ばれる。 バルセロナの建築家[4]によるサグラダ・ファミリア教会などもそこに含まれる。 スコットランドでは[5]派がやや線的な表現でその運動の中心的な役割を果たした。ベルギーの建築家[6]は、自邸に見られる植物的装飾と柔らかい光のコントラストによってそのスタイルを完成させた。 また、[7]においては、鉄とガラスの大空間を現代建築に先駆けて実現している

    ユーゲントシュティール, セセッション, モデルニスモ, アントニ・ガウディ, グラスゴー, ヴィクトール・オルタ, 人民のための家

  • 2

    第一次世界大戦後のヨーロッパの美術界では、古い世界を批判して前衛的[1]な表現を追求 する芸術運動が活発化した。フロイトの精神分析に影響を受けて無意識や偶然を利用した[2]、芸術の普遍性を求めて抽象幾何学を用いたオランダの[3]、社会主義革命と連動した[4]などがある。

    アヴァンギャルド, シュルレアリスム, デ・ステイル, ロシア構成主義

  • 3

    欧州では 19 世紀にかけて、ピンホールカメラの原理を用いたカメラ・オブスキュラや銀板写真技術[1]が発明され、絵画の意味も変化した。ちょうど 100 年前に始まった[2]からの復興を 契機に、芸術界でも新時代への期待が高まり、各地で前衛芸術運動が展開された。社会主義革命と連動しな がら抽象的な芸術表現を極めようとした[3]、同様に抽象的で新造形主義とも呼ばれたオラン ダの[4]、フロイトの精神分析に影響を受けて深層心理を表現しようとした[5] などがある。

    ダゲレオタイプ, 第一次世界大戦, ロシア構成主義, デ・ステイル, シュルレアリスム

  • 4

    第 1 次世界大戦後のヨーロッパでは、古い世界を批判し、芸術に新しい[1]を取り入れる動きが活発化し た。オランダの[2]やロシア[3]は、美術表現を[4]幾何学へと還元し、芸術に普遍 性を持ち込もうとした。この流れは同時期に並行して起こった[ 5]建築の表現に繋がった。

    様式, デ・ステイル, 構成主義, 抽象的, 前衛的(アヴァンギャルド)

  • 5

    19 世紀後半には欧州に日本の[1]が紹介され、その大胆な[2]と色彩に強い影響を受けた[3]の画家たちが現れた。その後前衛運動を意味する[4]と呼ばれる芸術運動が各地で展開 されたが、パブロ・ピカソに代表されるフランスの[5]は遠近法を否定し、抽象化を追究したオラ ンダの[6]では、[7]によるシュレーダー邸という建築作品へと展開した。

    浮世絵, 抽象的表現, 印象波, アヴァンギャルド, キュビズム, デ・ステイル, G・T・リートフェルト

  • 6

    19 世紀には、銀板写真技術[1]の発明によってピンホールカメラの原理を用いたカメラ・[2]の映像を固定化できるようになり、絵画の持つ意味も変化した。また[3]絵の具の発明によっ て、屋外でも手軽に色鮮やかな絵を描けるようになり、フランスを中心に写実的でない大胆な構図と色鮮や かな色彩が特徴的な[4]派の画家たちが活躍を始める。この動きには日本から輸入された[5]が大き な印象を与えたとも言われる。

    ダゲレオタイプ, オブスキュラ, 油絵, 印象, 浮世絵

  • 7

    18 世紀に発明された銀板写真技術[1]は、それまで[2]が中心だった絵画の意味を変えて ゆく。19 世紀末に日本の[3]がヨーロッパに紹介され、その大胆な構成や[4]の影響を強く受 けた画家たちは[5]と呼ばれるようになった。1910 年代になると、単一焦点による[6]を放棄した フランスの[7]、抽象芸術を追求したオランダの[8]やロシア[9]など、前衛と 同義である[10]と呼ばれる芸術運動が同時に起こった。

    ダゲレオタイプ, 自画像, 浮世絵, 抽象的表現, 印象派, 遠近法, キュビズム, デ・ステイル, 構成主義, アヴァンギャルド

  • 8

    1960 年代にアメリカを中心にアンディ・ウオーホルらが展開した[1]の動きは、大量消費社会と 呼応する[2]技術を作品に取り入れ、既成美術の[3]となった。

    ポップアート, 転写, プロトタイプ

  • 9

    かつて工業都市として栄えたスペインの[ビルバオ]ではアメリカ人建築家[1]による彫 刻的建築、グッケンハイム美術館の建設を機に、1990 年代に一気にまちづくりが進んだ。同じように自由に 形態を操る建築家たちは、哲学思想から引用された用語を用いて[2]とも呼ばれた。 昨年東京の新国立競技場の設計者として選ばれた女性建築家[3]もその一人である。

    フランク・O・ゲーリー, デコンストラクティビスト, ザハ・ハディド

  • 10

    フランスの建築家ロージエは 1753 年に記した[1]という建築書の中で[2]の説を示し、誰が 見ても建築らしい建築を目指したが、実際の作品の[3]に見られるように、古典建築の枠組みか らは一歩も出てはいない。それに対し建築の形態を決定する新たな枠組みとして人間の集合体としての[4]を提示した最後の古典様式理解者と言われるドイツの建築家[5]は、芸術的価値を定める[6] を芸術としての建築を規定するものだと主張した。ベルリンの王立劇場や[7]などの一連 の古典主義作品は、人間に共通する価値を追求する[8]主義の色彩を帯びている。フランスの建築家[9]は[10]という一空想上の作品に一種の無限空間をシュミレートし、合理的精神の自律を 訴えた。しかし、こうした抽象的古典主義は中心性を失い、やがてアヴァンギャルドとしての建築家を生み 出すことになる。[11]は、「[12]建築」として、中心を失った民衆にユートピアとしての建築を示し ていく。[13]の製塩工場は理念的なユートピア建築として異彩を放つ。

    建築試書, 始原の小屋, メゾン・カレ, 国家, シンケル, 合理性, アルテス・ムゼウム, 啓蒙, ブーレー, ニュートン記念堂, ルドゥー, 語る, ショー

  • 11

    第一次世界大戦後のヨーロッパでは前衛芸術運動と建築デザインが密接に関わっていた。ヴァイマールでグ ロピウスが開校した芸術・建築学校[1]も、次第に[2]やオランダの[3] といった運動の影響を受け、抽象的な美学が確立してゆく。

    バウハウス, ロシア構成主義, デ・ステイル

  • 12

    20 世紀の初頭のドイツでは、第一次世界大戦後の経済危機を背景に、[1]が中心となり、新しい技 術を工業製品に結び付けようとする運動として[2]を設立した。この運動は、[3]設 計のタービン工場に見られるような[4]とガラスによる工場建築を生み出した。こうした機械化を志向する デザイン運動は夭折した建築家[5]に代表されるイタリアの[6]派運動の影響を受けながら、民 衆へより良い工業製品を近づける試みとして[7]がワイマールに設立し後に[8]へ移転するデザイン学校[バウハウス]へと結実した。[ヴァルター・グロピウス]は後に校長となった[9]と共に第二次世界大戦後はアメリカでも活躍した。

    ムテジウス, ドイツ工作連盟, ベーレンス, 鉄, サンテリア, 未来, ヴァルター・グロピウス, ベルリン, ミース・ファン・デル・ローエ

  • 13

    バウハウスの最後の校長だった[1]はドイツからアメリカに渡った後、[2]造による建物を多く手掛けた。[3]工科大学建築学部棟、湖沿いの[4]アパートメントなどでは、マリオンに用いられた黒い[ 5]鋼が、ファサードに深い陰影を与えている。

    ミース・ファン・デル・ローエ, ラーメン, イリノイ, レイクショア・ドライブ, H型

  • 14

    近代建築の巨匠の一人である[1]は、晩年にはベルリンの美術館[2]を始めとする[3]造建築物を数多く手がけた、ここでは初期の[4]・パビリオンに見られるような、空間の流動性は影をひそめ、[5]で安定感のある建築構成は、歴史的建築へと回帰したようにも見える。

    ミース・ファン・デル・ローエ, ベルリン美術館・新ギャラリー, 鉄骨, バルセロナ, 幾何学的

  • 15

    第一次世界大戦後に設立されたドイツのデザイン学校[1]の最後の校長となったミース・ファン・デル・ローエは、近代建築運動を推し進める建築家を集め、シュツットガルトで住宅展[2]を開催した。彼はその後 1938 年にアメリカに渡り、シカゴで[3]工科大学クラウンホールや高層集合住宅[4]・アパートメントを手掛けた。これらの建物を覆うガラスのカ ーテンウォールと規則正しい[5]製のマリオンは、彼のデザインを特徴づける表現となっている。

    バウハウス, ヴァイセンホーフ・ジードルンク, イリノイ, レイクショアドライブ, 鋼鉄

  • 16

    [1]時代のドイツを逃れてアメリカに渡った建築家[2]は、イリノイ工科大学などで主に[3]造による建物を多く手がけた。[4]では、細い柱が支える 2 枚の床面が地面から浮き上がり、建築の抽象的表現を極めている。

    ナチス, ミース・ファン・デル・ローエ, 鉄骨, ファンズワース邸

  • 17

    ル・コルビュジエは、1920-21 年の[1]誌の記事をまとめた著書[2]の中で「建築とは[3]の下に集められた[4]の建築であり、正確で、壮麗な演出である。…立方体、円錐、球、円筒、または角錐などは初原的な形で、[3]ははっきりと浮かび上がらせる。」と語り、建築空間における[5]形態の美しさを称えた。こうした動きを受けて、近代建築の特徴をあくまでも美学的側面から捕らえられたのが、アメリカの建築批評家アルフレッド・ヒッチコックと[6]である。 1932 年、彼らはニューヨーク近代美術館にて「近代建築・国際展」を企画し、新しい建築の特徴を次のように語っている。「まず第一に、マッスとしてよりも[7]としての建築という新しい概念。第二に、デザインを秩序付ける主な手段として、軸線に沿った対称性よりも[8]。この二つの原理は、第三の、[9]を気まぐれに付け加えることの禁止と共に、[10]作品を特徴づける。 」

    エスプリ・ヌーヴォー, 建築をめざして, 光, 立体, 幾何学, フィリップ・ジョンソン, ヴォリューム, 規則性, デコレーション, インターナショナル・スタイル

  • 18

    ル・コルビュジエの晩年の作品にも見られる、コンクリート打ちっ放しのような素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を[1]という。これは 1950 年代の日本で貴族文化の[2]的表現より土着の[3]的表現を評価し、伝統論争を展開した建築家[4]で示した木造的建築表現へとつながる。

    ブルータリズム, 弥生, 縄文, 丹下健三

  • 19

    ル・コルビュジエの設計した[1]のように、コンクリート打ちっぱなしに代表される素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を、イギリスの批評家レイナー・バンハムは[2]と名付けた。同時期に伝統論争を展開した丹下健三は、貴族文化に象徴される[3]的表現より、土着の力強い[4]的表現を評価し、四国の[5]では、RC 造の建築に垂木のように薄い梁を用いるなど木造的な建築表現を採用した。

    ラ・トゥーレット修道院, ブルータニズム, 弥生, 縄文, 香川県庁舎

  • 20

    ル・コルビュジエがリヨン郊外に設計した[1]修道院のように、[2]に代表される素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を、イギリスの建築批評家レイナー・バンハムは[3]と呼んだ。同じく[3]を主導した建築家[4]は、ハンスタントンの小学校で、鉄骨と[5]という素材をそのまま表現している。

    ラ・トゥーレット, 打ち放しコンクリート, ブルータリズム, スミッソン夫妻, レンガ

  • 21

    フランスを代表する近代建築家[1]は、自らが描いた新しい都市の理念「[2]都市」を実 現するために、近代建築国際会議[3]を組織し、後に集合住宅のプロトタイプとして 5 つの[4]を設計した。しかし、1950 年代になると、[3]第 10 回会議を機に結成された若手建築家グループ[5]が方針に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[5]の主要メンバーであった[6]は、オランダ[7]主義を代表する建築家であり、その思想は、言語学者[8]や文化人類学者[9]の影響を強く受けている。

    ル・コルビュジエ, 輝く, CIAM, ユニテ・ダビタシオン, チーム X, アルド・ファン・アイク, 構造, フェルディナン・ド・ソシュール, レヴィ・ストロース

  • 22

    フランスの建築家[1]は、新しい都市の理念を実現するために国際組織[2]の設立に尽力し、[3]憲章では居住、仕事、[4]、交通という都市の 4 つの基礎単位を設定した。また後に集合住宅のプロトタイプとして 5 つの[5]を設計した。

    ル・コルビュジエ, CIAM, アテネ, 余暇, ユニテ・ダビタシオン

  • 23

    建築家ル・コルビュジエは、都市計画の分野でもパリ中心部の[1]など数多くの提案を行い、彼が中心となって組織した[CIAM]会議では、1933 年に[2]憲章をとりまとめ、居住、[3]、娯楽、交通の 4 つの単位を規定した。その理念に従って建築されたのが、[4]、ベルリン、ナント、フィルミニ、ブリエの 5 都市で実現した集合住宅[5]である。

    ヴァオザン計画, アテネ, 労働, マルセイユ, ユニテ・ダビタシオン

  • 24

    フランスの建築家[1]は、「輝く都市」で示した近代的都市計画理念を推進するために、高層集合住宅のプロトタイプ[2]を各地に建設し、近代建築国際会議:略称[3]を組織した。しかし、1950 年代になると、イギリスの[4]夫妻やオランダの[5]らを始めとする若手建築家たちは、その理念を批判して[6]を立ち上げた。

    ル・コルビュジエ, ユニテ・ダビタシオン, CIAM, スミッソン, アルト・ファン・アイク, チーム 10

  • 25

    CIAM 第10 回会議を機に結成された若手建築家のグループ[1]は会議の方針に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[1]の主要メンバーであった[2]は、オランダ[3]主義を代表する建築家であり、その思想は文化人類学者[4]らの影響を強く受けている。 一方、同じ[3]主義の建築家とされるルイ・カーンは、構造と設備の関係にも取り組み、建築空間を[5]・スペース(サポートされる機能空間)と[6]・スペース(サポートする機能空間)に整理して設計を進めた。

    チーム X, アルド・ファン・アイク, 構造, レヴィ・ストロース, サーブド, サーバント

  • 26

    1950 年代には、近代建築国際会議[1]の議論にも限界が見え始め、第 10 回会議を機に結成された建築家のグループ[2]は[1]の[3]的側面に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[2]の主要メンバーであった[4]は、オランダ[5]主義を代表する建築家であり、その思想は、言語学者[6]や文化人類学者[7]の影響を強く受けている。

    CIAM, チーム X, 機能主義, アルド・ファン・アイク, 構造, フェルディナン・ド・ソシュール, レヴィ・ストロース

  • 27

    フランスの建築家[1]は、自らが描いた新しい都市理念の実現のために、近代国際会議[2]を組織し、後に集合住宅のプロトタイプとして 5 つの[3]を設計した。しかし 1950 年代になると、[2]第 10 回会議を機に結成された若手建築家グループ[4]がその方針に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[4]の主要メンバー[5]は、オランダ[6]主義を代表する建築家であり、その思想は、言語学者[7]や文化人類学者[8]の影響を強く受けていた。

    ル・コルビュジエ, CIAM, ユニテ・ダビタシオン, チーム X, アルド・ファン・アイク, 構造, ソシュール, クロード・レヴィ=ストロース

  • 28

    1932 年ニューヨーク近代美術館において、[1]と H・R・ヒッチコックは「近代建築・国際展」を開催し、[2]という言葉を用いた。これは当時起こりつつあった近代建築の表面的特徴を表していた。

    フィリップ・ジョンソン, インターナショナル・スタイル

  • 29

    1932 年[1]において「近代建築-国際展」を開いた[2]は、カタログに[3]という言葉を用いて、当時欧米を中心に起こりつつあった近代建築運動を実現した。[4]は 1988 年に、また同じ会場で[5]・アーキテクチャー展を開催 し、主に若手の建築家による新しい潮流を示して見せた。この中には 2012 年に東京[6]の設計者として選ばれたザハ・ハディドも含まれていた。

    MoMA, フィリップ・ジョンソン, インターナショナルスタイル, フィリップ・ジョンソン, デコンストラクティビズム, 国立競技場

  • 30

    ニューヨーク近代美術館(MoMA)において[1]とヒッチコックが「近代建築・国際展」を開催し、当時欧米を中心に起こりつつあった近代建築の動きをその表面的特徴から[2]と名付けた。[1]は、それから 50 年以上経た 1988 年に、当時若手女流建築家だった[3]らを招き、同じ場所で[4]展を展開している。

    フィリップ・ジョンソン, インターナショナルスタイル, ザハ・ハディド, デコンストラクティビストアーキテクチャー

  • 31

    フィンランドの建築家[1]による[2]のサナトリウムでは、緑と自然光に包まれた開放的空間が、モダニズムの理念を表現している。デンマークの建築家[3]が設計したシドニー・オペラハウスは、PC コンクリートによる球面[4]構造が特徴的である。

    アルヴァ・アアルト, パイミオ, ヨルン・ウッツォン, シェル

  • 32

    北欧ではフィンランドの建築家[1]が近代建築を主導した。彼の建築は機能主義的でありながらも[2]な形態が特徴だが、それは[3]製の花瓶や[4]のサナトリウムのために制作された[5]の椅子のデザインにも見られる。

    アルヴァ・アアルト, 有機的, 硝子, パイミオ, 木製

  • 33

    フィンランドを代表する近代建築家[1]は、地域の伝統文化を建築に取り入れることに力を尽くした。そのデザインの特徴である[2]的形態は、[3]工科大学の講堂まわりからガラス工芸作品の[4]まで、ものの大小を問わずに用いられている。

    アルヴァ・アアルト, 有機, ヘルシンキ, 花瓶

  • 34

    2004 年に開館したSANAA 設計の[1]は、毎年約150 万人という多くの来訪者を迎えている。 展示室自体は多様な芸術の背景になる[2]を主体とした第 2 世代の美術館とも言えるが、館内の随所に常設されたインスタレーションはその場所に固有の[3]であり、カフェやショップも含めての体験を楽しめる仕掛けは、第[4]世代であるとも言える。

    金沢21 世紀美術館, ホワイトキューブ, サイトスペシフィック・アート, 4

  • 35

    近代美術の背景となる近代建築の美学による美術館は、第[1]世代とされ、その空間の特徴は[2]とも呼ばれる。一方現代美術では、インスタレーション・アートなど特定の場所と関連した[3]な芸術が一般化しており、これに対応した美術館は、第[4]世代と呼ばれる。

    2, ホワイトキューブ, サイトスペシフィック, 3

  • 36

    SANAA の設計した[1]美術館は、 2004 年の開館以来地方公立美術館としては異例の多くの入館者を迎えている。展示室自体は[2]を主体とした第 2 世代の美術館ともいえるが、館内の随所に常設された[3]アートはサイトスペシフィックであり、カフェやショップも含めて体験を楽しめる仕掛けは、第[4]世代でもあると言える。

    金沢 21 世紀, ホワイトキューブ, インスタレーション, 3

  • 37

    モダニズムの美学による美術館は、第[1]世代とされ、作品を際立たせるために抽象化された空間の特徴は[2]とも呼ばれる。現代美術では、観覧者が作品を身体で体験するインスタレーションなど特定の場所に結び付いた[3]・アートや観覧者も参加するリレーショナル・アートが一般化しただけでなく、近年は日本発祥の漫画やオタク文化も素材として認知されるようになった。例えば SANAAの設計した[4]美術館は、年間約 150 万人という地方美術館としては異例の入場者数を誇るが、これは美術館が誰でも普通に楽しめる場になったことを意味する。食事やショッピングや学びも含めて、アートな空間と時間を楽しむことができる美術館は第[5]世代と位置づけられる。1950 年代から活躍したデンマークのモダニズム建築家[6]は、建築だけでなく家具やプロダクツのデザインも手掛けた。当初小学校のために作った合板製で三本脚の[7]などが有名である。

    2, ホワイトキューブ, サイトスペシフィック, 金沢 21 世紀, 3, アルネ・ヤコブセン, アントチェア

  • 38

    1950 年代から活躍したデンマークの[1]は機能的で美しいモダンデザインの建築家だが、建築だけでなく多くの家具やプロダクツのデザインも手がけた。中でも当初[2]のためにデザイン した合板製で 3 本脚の[3]チェアや一枚のステンレス板を打ち抜いて作った[4]などが有名である。

    アルネ・ヤコブセン, 小学校, アリンコ, カトラリー

  • 39

    1960 年代にイギリスで起こった建築・デザイン運動[1]と日本での[2]は、可変性及び拡張性を持つ建築・都市を提案する意味で共通項が多い。しかし、前者は[3]が提案したウォーキング・シティのように実現性のないイメージのみを提示したのに対し、後者は[4]設計の中銀カプセルタワーのように実現を前提としていた。

    アーキグラム, メタボリズム, ロン・ヘロン, 黒川紀章

  • 40

    1960 年に東京で行われた[1]会議を契機に若手建築家たちは[2]という建築理念を掲げた。メンバーの中で久留米市出身の[3]は、初期の自邸[4]から晩年の太宰府市にある[5]まで、空間の可変性という理念を踏襲した。一方名古屋出身の[6]は、脱着可能な 住居ユニットを持つ[7]で未来的理念を表現したが、後に歴史的意匠にも関心を示した。

    世界デザイン, メタボリズム, 菊竹清訓, スカイハウス, 九州国立博物館, 黒川紀章, 中銀カプセルタワー

  • 41

    久留米市出身の建築家菊竹清訓は 1960 年に東京で開催された[1]を契機として、後に[2]カプセルタワーを設計する[黒川紀章]らとともに[メタボリズム]グループを立ち上げた。また、[3]が1970 年代初頭に設計した福岡相互銀行本店には、歴史を参照した建築表現が多く見られるが、その方向性は後の建築思潮[4]へとつながる。[4]を理論的に主導したアメリカ人評論家[5]は、商業とカジノの街[6]などを例にとり、建築には[7]と対立性が必要だと唱えた。

    世界デザイン会議, 中銀, 磯崎新, ポストモダニズム, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス, 多様性

  • 42

    久留米出身の建築家[1]は、1960 年に東京で開催された[2]を契機として、後に[3]カプセルタワーを設計する[4]らと共に[5]グループを立ち上げた。また、[6]が 1970 年代に設計した福岡相互銀行本店では、歴史を参照した表現が多く見られ、その方向性は後にポストモダニズムと呼ばれる。その理論的支柱となったアメリカ人評論家[7]は、商業とカジノの街[8]等を例に挙げて、建築には[多様性]と対立性が必要だと唱えた。

    菊竹清訓, 世界デザイン会議, 中銀, 黒川紀章, メタボリスト, 磯崎新, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス

  • 43

    日本で[1]グループを主導した菊竹清訓は、1960 年に東京で開催された世界デザイン会議でアメリカ人建築家[2]と会い、自邸[3]に招いて建築の議論を戦わせた。

    メタボリズム, ルイス・カーン, スカイハウス

  • 44

    久留米出身の建築家[1]は、1960 年に東京で開催された世界デザイン会議をきっかけにして、黒川紀章らとともに[2]グループを立ち上げた。建築や都市を生命体として捉え、グループ名通りに[3]する建築のシステムを考えた。初期の代表作として都城[4]などがあるが、晩年は大宰府にある[5]のように、専ら巨大空間を持つ建築を手掛けるようになった。

    菊竹清訓, メタボリズム, 新陳代謝, 市民会館, 九州国立博物館

  • 45

    1970 年代のアメリカを中心に広まった建築思潮[1]は、建築の表現を言語として捉え、その意味を問題とする[2]論を理論的背景とした。その代表的建築家である[3]は著書の中でカジノの町[4]のように賑やかで活気のある都市の魅力をたたえ、「現代の豊鏡で曖昧な経験的事象に基づいた[多様性]と対立性を備えた建築」を好むと語った。商業の街福岡でも[1]は積極的に受け入れられ、その代表的建築家である[5]はハイヤットリージェンシー福岡などを、[6]はキャナルシティ博多などを設計した。

    ポストモダニズム, 記号, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス, マイケル・グレイブス, ジョン・ジャーディ

  • 46

    福岡を代表する商業施設[1]は、アメリカ人建築家[2]が設計を担当したが、その表現は 1970 年代に始まる建築思潮[3]の流れを汲む。[3]を理論的に主導した[4]は、商業とカジノの街[5]などを例にとり、建築には[6]と対立性が必要だと考えた。

    キャナルシティ博多, ジョン・ジャーディ, ポストモダニズム, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス, 多様性

  • 47

    1970 年代に始まる建築思潮[1]は、建築の色や形態が持つ言語としての芋を問題とする[2]をその理論的背景とし、その代表的理論家である[3]はラスベガスのように賑やかで活気のある都市や建築に学ぶべきと唱えた。ニューヨーク・ファイブのモダニズム建築家としてスタートした[4]は、その後[1]をリードする存在となり、1980 年代始めには[5]ビルのように、機能的な建築の表層に歴史的意匠を施したオフィスを設計する。この手法は、商業主義の国[6]を中心に広まったが、同じく商業の街福岡には、1995 年に開業した[7]基本設計のショッピングセンター[8]など、多くの事例が存在する。

    ポストモダニズム, 記号論, ロバート・ヴェンチューリ, マイケル・グレイブス, ポートランド, アメリカ, ジョン・ジャーディ, キャナルシティ博多

  • 48

    熊本[1]は、1988 年に当時の県知事[2]と建築家[3]によって始められた、地方自治体による建築都市文化事業である。この事業の特徴は、一人の[4]に事業の推進や建築家の選定といったすべての権限を集中させることにあり、一般に自治体で行われる設計金額で設計者を設計する[5]制度とは全く異なる考え方に基づいている。現在の[4]は、[6]代目となる[7]が務めている。

    アートポリス, 細川護煕, 磯崎新, コミッショナー, 競争入札, 3, 伊藤豊雄

  • 49

    2006 年以降熊本[1]主催で 2 度開催された[2]コンペは、実績のない若手建築家に機会を与える試みだが、第 1 回目の[3]によるバンガローでは、35cm 角の木材を積み上げている。

    アートポリス, モクバン, 藤本壮介

  • 50

    福岡にはバブル期に造られた海外建築家の作品が多く残る。香椎浜にはオランダの[1]らによる集合住宅群[2]が、天神には[3]による屋上緑化された[4]がある。また、[5]によるキャナルシティ博多や、[6]によるハイヤット・リージェンシー福岡などは、建築の記号的側面に光を当てた建築思潮[7]の流れを汲む。

    レム・コール・ハース, ネクサス・ワールド, エミリオ・アンバース, アクロス福岡, ジョン・ジャーディ, マイケル・グレイブス, ポストモダニズム

  • 51

    1988 年建築家[1]は、知事の細川護熙とともに熊本県で建築都市文化事業[2]を立ち上げた。この特徴は、一人の[3]に事業の推進や建築家の選定といった権限と責任を集中させることにあり、設計金額で設計者を選定する[4]制度とは全く異なる考え方に基づく。

    磯崎新, 熊本アートポリス, コミッショナー, 競争入札

  • 52

    昨年 25 周年を迎えた地方自治体による建築都市文化事業[1]は当時の細川護熙知事と建築家[2]によって始められた。現在のコミッショナーである[3]は、東北の震災復興支援のために[4]を被災地に建設した。

    熊本アートポリス, 磯崎新, 伊東豊雄, みんなの家

  • 53

    久留米出身の建築家[1]は、1960 年代には新陳代謝を意味する[2]グループの一人として都城[3]などの作品を手掛けたが、その思想は 2000 年代に大宰府に開館した[4]でも踏襲された。大分出身の建築家[磯崎新]は、1960 年代からアートプラザとして再生された旧大分[5]、博多駅前にある赤砂岩で覆われた旧[6]本店などの作品を手掛けた。その後、建築の持つ記号的意味を重視する建築思潮[7]をリードし、80 年代には、自治体の建築都市文化事業である熊本[8]や、福岡市東区の前衛的集合住宅プロジェクト[9]を立ち上げた。

    菊竹清訓, メタボリズム, 市民会館, 九州国立博物館, 県立大分図書館, 福岡シティ銀行, ポストモダニズム, アートポリス, ネクサス・ワールド

  • 54

    バブル期には福岡でも多くの海外建築家が作品を手掛けた。香椎浜にはニューヨークの建築家[1]らが集合住宅を設計し、アルゼンチン出身の建築家[2]は大々的な屋上緑化の建物、アクロス福岡を設計した。また[3]の設計したキャナルシティ博多は 1970 年代に始まる建築の記号的側面に光を当てた建築思潮[4]の流れを汲むが、その理論的主導者の一人であるロバート・ベンチューリは、ラスベガスの例などを挙げて建築には多様性と[5]が必要だと唱えた。

    スティーブンホール, エミリオ・アンバース, ジョン・ジャーディ, ポストモダニズム, 対立性

  • 55

    戦後の日本を代表する建築家である丹下健三は、東大に[1]科お設立するとともに、東京オリンピックのための施設[2]などを設計し、常に国家や権力に近い立場でモダニズム建築の主流を歩んだ。一方唐津市出身で在野の建築家として大阪を拠点に活躍していた[3]は、長い生涯で主に民間建築を数多く手がけ、日生劇場や新高輪プリンスホテルなどに見られる独自の[4]的表現を極めていった。

    都市工学, 代々木体育館, 村野藤吾, モダニズム

  • 56

    日本では戦後復興のために小規模で安価な住宅が大量に供給された。バウハウスや CIAM の流れを汲む[1]主義的理念を基にして計画された公営集合住宅だけでなく、当時の建築家も多くの提案を行った。この中には近年 9 坪ハウスとして再生された[2]自邸や[3]宇宙空間観測所関連施設を設計した[4]の立体最小限住宅-No.シリーズなどがある。

    機能, 増沢洵, 東京大学, 池辺陽

  • 57

    路上観察などを通じて都市を誇る歴史家・建築家である[1]は、日本現代建築の潮流を安藤忠雄のように[2]の流れを汲む[3]と自身のように建築材料や職人仕事にこだわる[4]の 2 つに分けて語っている。

    藤森照信, モダニズム, 白派, 赤派

  • 58

    [1]の設計した九州大学 50 周年記念講堂のように、コンクリート打ちっ放しに代表される素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を、イギリスの建築批評家[2]は[3]と名付けた。 [1]の師匠である丹下健三は、貴族文化の[4]的表現より土着の[5]的表現を評価し、伝統論争を展開した。

    光吉健次, レイナー・バンハム, ブルータリズム, 弥生, 縄文

  • 59

    日系アメリカ人建築家[1]は、近代建築国際会議(CIAM)の理念に則って、セントルイスに大規模な[2]住宅団地を設計した。しかし、この計画自体がスラム地域に計画されたものだったため、建設当初から[3]が悪く、やがて団地もスラム化した。これが結局当局の手で破壊されたことは「近代建築の終焉」として批判の対象となった。きしくも 2001 年の 9.11 事件でテロリストに破壊された[4]ビルも同じ[5]の設計だった。移民を出自とする彼の建築はアメリカンドリームの体現でもあったが、逆にその強い[6]性がこうした結果に結び付いたともいえる。

    ミノル・ヤマサキ, プルーイット・アイゴー, 治安, 世界貿易センター, ミノル・ヤマサキ, 象徴

  • 60

    ル・コルビュジエの下で学んだ日本人建築家[1]は、1937 年にはパリ万博日本館の設計を依頼され、日本の伝統建築とモダニズムの融合を試みた。また同じく弟子である[2]の作品も、当初はコルビュジエの影響が強く見られたが、やがて[3]鋼や打ち込みタイルを用いた独自の表現を生み出し、城跡の石垣が作るランドスケープと一体化した[4]美術館などを手掛けた。

    板倉準三, 前川國男, コールテン, 福岡市立

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    問題一覧

  • 1

    19 世紀末にヨーロッパで興ったアール・ヌーボーは有機的な曲線を共通の特徴とする芸術運動の総称であり、 ドイツでは[1]、オーストリアでは[2]、スペインでは[3]とも呼ばれる。 バルセロナの建築家[4]によるサグラダ・ファミリア教会などもそこに含まれる。 スコットランドでは[5]派がやや線的な表現でその運動の中心的な役割を果たした。ベルギーの建築家[6]は、自邸に見られる植物的装飾と柔らかい光のコントラストによってそのスタイルを完成させた。 また、[7]においては、鉄とガラスの大空間を現代建築に先駆けて実現している

    ユーゲントシュティール, セセッション, モデルニスモ, アントニ・ガウディ, グラスゴー, ヴィクトール・オルタ, 人民のための家

  • 2

    第一次世界大戦後のヨーロッパの美術界では、古い世界を批判して前衛的[1]な表現を追求 する芸術運動が活発化した。フロイトの精神分析に影響を受けて無意識や偶然を利用した[2]、芸術の普遍性を求めて抽象幾何学を用いたオランダの[3]、社会主義革命と連動した[4]などがある。

    アヴァンギャルド, シュルレアリスム, デ・ステイル, ロシア構成主義

  • 3

    欧州では 19 世紀にかけて、ピンホールカメラの原理を用いたカメラ・オブスキュラや銀板写真技術[1]が発明され、絵画の意味も変化した。ちょうど 100 年前に始まった[2]からの復興を 契機に、芸術界でも新時代への期待が高まり、各地で前衛芸術運動が展開された。社会主義革命と連動しな がら抽象的な芸術表現を極めようとした[3]、同様に抽象的で新造形主義とも呼ばれたオラン ダの[4]、フロイトの精神分析に影響を受けて深層心理を表現しようとした[5] などがある。

    ダゲレオタイプ, 第一次世界大戦, ロシア構成主義, デ・ステイル, シュルレアリスム

  • 4

    第 1 次世界大戦後のヨーロッパでは、古い世界を批判し、芸術に新しい[1]を取り入れる動きが活発化し た。オランダの[2]やロシア[3]は、美術表現を[4]幾何学へと還元し、芸術に普遍 性を持ち込もうとした。この流れは同時期に並行して起こった[ 5]建築の表現に繋がった。

    様式, デ・ステイル, 構成主義, 抽象的, 前衛的(アヴァンギャルド)

  • 5

    19 世紀後半には欧州に日本の[1]が紹介され、その大胆な[2]と色彩に強い影響を受けた[3]の画家たちが現れた。その後前衛運動を意味する[4]と呼ばれる芸術運動が各地で展開 されたが、パブロ・ピカソに代表されるフランスの[5]は遠近法を否定し、抽象化を追究したオラ ンダの[6]では、[7]によるシュレーダー邸という建築作品へと展開した。

    浮世絵, 抽象的表現, 印象波, アヴァンギャルド, キュビズム, デ・ステイル, G・T・リートフェルト

  • 6

    19 世紀には、銀板写真技術[1]の発明によってピンホールカメラの原理を用いたカメラ・[2]の映像を固定化できるようになり、絵画の持つ意味も変化した。また[3]絵の具の発明によっ て、屋外でも手軽に色鮮やかな絵を描けるようになり、フランスを中心に写実的でない大胆な構図と色鮮や かな色彩が特徴的な[4]派の画家たちが活躍を始める。この動きには日本から輸入された[5]が大き な印象を与えたとも言われる。

    ダゲレオタイプ, オブスキュラ, 油絵, 印象, 浮世絵

  • 7

    18 世紀に発明された銀板写真技術[1]は、それまで[2]が中心だった絵画の意味を変えて ゆく。19 世紀末に日本の[3]がヨーロッパに紹介され、その大胆な構成や[4]の影響を強く受 けた画家たちは[5]と呼ばれるようになった。1910 年代になると、単一焦点による[6]を放棄した フランスの[7]、抽象芸術を追求したオランダの[8]やロシア[9]など、前衛と 同義である[10]と呼ばれる芸術運動が同時に起こった。

    ダゲレオタイプ, 自画像, 浮世絵, 抽象的表現, 印象派, 遠近法, キュビズム, デ・ステイル, 構成主義, アヴァンギャルド

  • 8

    1960 年代にアメリカを中心にアンディ・ウオーホルらが展開した[1]の動きは、大量消費社会と 呼応する[2]技術を作品に取り入れ、既成美術の[3]となった。

    ポップアート, 転写, プロトタイプ

  • 9

    かつて工業都市として栄えたスペインの[ビルバオ]ではアメリカ人建築家[1]による彫 刻的建築、グッケンハイム美術館の建設を機に、1990 年代に一気にまちづくりが進んだ。同じように自由に 形態を操る建築家たちは、哲学思想から引用された用語を用いて[2]とも呼ばれた。 昨年東京の新国立競技場の設計者として選ばれた女性建築家[3]もその一人である。

    フランク・O・ゲーリー, デコンストラクティビスト, ザハ・ハディド

  • 10

    フランスの建築家ロージエは 1753 年に記した[1]という建築書の中で[2]の説を示し、誰が 見ても建築らしい建築を目指したが、実際の作品の[3]に見られるように、古典建築の枠組みか らは一歩も出てはいない。それに対し建築の形態を決定する新たな枠組みとして人間の集合体としての[4]を提示した最後の古典様式理解者と言われるドイツの建築家[5]は、芸術的価値を定める[6] を芸術としての建築を規定するものだと主張した。ベルリンの王立劇場や[7]などの一連 の古典主義作品は、人間に共通する価値を追求する[8]主義の色彩を帯びている。フランスの建築家[9]は[10]という一空想上の作品に一種の無限空間をシュミレートし、合理的精神の自律を 訴えた。しかし、こうした抽象的古典主義は中心性を失い、やがてアヴァンギャルドとしての建築家を生み 出すことになる。[11]は、「[12]建築」として、中心を失った民衆にユートピアとしての建築を示し ていく。[13]の製塩工場は理念的なユートピア建築として異彩を放つ。

    建築試書, 始原の小屋, メゾン・カレ, 国家, シンケル, 合理性, アルテス・ムゼウム, 啓蒙, ブーレー, ニュートン記念堂, ルドゥー, 語る, ショー

  • 11

    第一次世界大戦後のヨーロッパでは前衛芸術運動と建築デザインが密接に関わっていた。ヴァイマールでグ ロピウスが開校した芸術・建築学校[1]も、次第に[2]やオランダの[3] といった運動の影響を受け、抽象的な美学が確立してゆく。

    バウハウス, ロシア構成主義, デ・ステイル

  • 12

    20 世紀の初頭のドイツでは、第一次世界大戦後の経済危機を背景に、[1]が中心となり、新しい技 術を工業製品に結び付けようとする運動として[2]を設立した。この運動は、[3]設 計のタービン工場に見られるような[4]とガラスによる工場建築を生み出した。こうした機械化を志向する デザイン運動は夭折した建築家[5]に代表されるイタリアの[6]派運動の影響を受けながら、民 衆へより良い工業製品を近づける試みとして[7]がワイマールに設立し後に[8]へ移転するデザイン学校[バウハウス]へと結実した。[ヴァルター・グロピウス]は後に校長となった[9]と共に第二次世界大戦後はアメリカでも活躍した。

    ムテジウス, ドイツ工作連盟, ベーレンス, 鉄, サンテリア, 未来, ヴァルター・グロピウス, ベルリン, ミース・ファン・デル・ローエ

  • 13

    バウハウスの最後の校長だった[1]はドイツからアメリカに渡った後、[2]造による建物を多く手掛けた。[3]工科大学建築学部棟、湖沿いの[4]アパートメントなどでは、マリオンに用いられた黒い[ 5]鋼が、ファサードに深い陰影を与えている。

    ミース・ファン・デル・ローエ, ラーメン, イリノイ, レイクショア・ドライブ, H型

  • 14

    近代建築の巨匠の一人である[1]は、晩年にはベルリンの美術館[2]を始めとする[3]造建築物を数多く手がけた、ここでは初期の[4]・パビリオンに見られるような、空間の流動性は影をひそめ、[5]で安定感のある建築構成は、歴史的建築へと回帰したようにも見える。

    ミース・ファン・デル・ローエ, ベルリン美術館・新ギャラリー, 鉄骨, バルセロナ, 幾何学的

  • 15

    第一次世界大戦後に設立されたドイツのデザイン学校[1]の最後の校長となったミース・ファン・デル・ローエは、近代建築運動を推し進める建築家を集め、シュツットガルトで住宅展[2]を開催した。彼はその後 1938 年にアメリカに渡り、シカゴで[3]工科大学クラウンホールや高層集合住宅[4]・アパートメントを手掛けた。これらの建物を覆うガラスのカ ーテンウォールと規則正しい[5]製のマリオンは、彼のデザインを特徴づける表現となっている。

    バウハウス, ヴァイセンホーフ・ジードルンク, イリノイ, レイクショアドライブ, 鋼鉄

  • 16

    [1]時代のドイツを逃れてアメリカに渡った建築家[2]は、イリノイ工科大学などで主に[3]造による建物を多く手がけた。[4]では、細い柱が支える 2 枚の床面が地面から浮き上がり、建築の抽象的表現を極めている。

    ナチス, ミース・ファン・デル・ローエ, 鉄骨, ファンズワース邸

  • 17

    ル・コルビュジエは、1920-21 年の[1]誌の記事をまとめた著書[2]の中で「建築とは[3]の下に集められた[4]の建築であり、正確で、壮麗な演出である。…立方体、円錐、球、円筒、または角錐などは初原的な形で、[3]ははっきりと浮かび上がらせる。」と語り、建築空間における[5]形態の美しさを称えた。こうした動きを受けて、近代建築の特徴をあくまでも美学的側面から捕らえられたのが、アメリカの建築批評家アルフレッド・ヒッチコックと[6]である。 1932 年、彼らはニューヨーク近代美術館にて「近代建築・国際展」を企画し、新しい建築の特徴を次のように語っている。「まず第一に、マッスとしてよりも[7]としての建築という新しい概念。第二に、デザインを秩序付ける主な手段として、軸線に沿った対称性よりも[8]。この二つの原理は、第三の、[9]を気まぐれに付け加えることの禁止と共に、[10]作品を特徴づける。 」

    エスプリ・ヌーヴォー, 建築をめざして, 光, 立体, 幾何学, フィリップ・ジョンソン, ヴォリューム, 規則性, デコレーション, インターナショナル・スタイル

  • 18

    ル・コルビュジエの晩年の作品にも見られる、コンクリート打ちっ放しのような素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を[1]という。これは 1950 年代の日本で貴族文化の[2]的表現より土着の[3]的表現を評価し、伝統論争を展開した建築家[4]で示した木造的建築表現へとつながる。

    ブルータリズム, 弥生, 縄文, 丹下健三

  • 19

    ル・コルビュジエの設計した[1]のように、コンクリート打ちっぱなしに代表される素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を、イギリスの批評家レイナー・バンハムは[2]と名付けた。同時期に伝統論争を展開した丹下健三は、貴族文化に象徴される[3]的表現より、土着の力強い[4]的表現を評価し、四国の[5]では、RC 造の建築に垂木のように薄い梁を用いるなど木造的な建築表現を採用した。

    ラ・トゥーレット修道院, ブルータニズム, 弥生, 縄文, 香川県庁舎

  • 20

    ル・コルビュジエがリヨン郊外に設計した[1]修道院のように、[2]に代表される素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を、イギリスの建築批評家レイナー・バンハムは[3]と呼んだ。同じく[3]を主導した建築家[4]は、ハンスタントンの小学校で、鉄骨と[5]という素材をそのまま表現している。

    ラ・トゥーレット, 打ち放しコンクリート, ブルータリズム, スミッソン夫妻, レンガ

  • 21

    フランスを代表する近代建築家[1]は、自らが描いた新しい都市の理念「[2]都市」を実 現するために、近代建築国際会議[3]を組織し、後に集合住宅のプロトタイプとして 5 つの[4]を設計した。しかし、1950 年代になると、[3]第 10 回会議を機に結成された若手建築家グループ[5]が方針に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[5]の主要メンバーであった[6]は、オランダ[7]主義を代表する建築家であり、その思想は、言語学者[8]や文化人類学者[9]の影響を強く受けている。

    ル・コルビュジエ, 輝く, CIAM, ユニテ・ダビタシオン, チーム X, アルド・ファン・アイク, 構造, フェルディナン・ド・ソシュール, レヴィ・ストロース

  • 22

    フランスの建築家[1]は、新しい都市の理念を実現するために国際組織[2]の設立に尽力し、[3]憲章では居住、仕事、[4]、交通という都市の 4 つの基礎単位を設定した。また後に集合住宅のプロトタイプとして 5 つの[5]を設計した。

    ル・コルビュジエ, CIAM, アテネ, 余暇, ユニテ・ダビタシオン

  • 23

    建築家ル・コルビュジエは、都市計画の分野でもパリ中心部の[1]など数多くの提案を行い、彼が中心となって組織した[CIAM]会議では、1933 年に[2]憲章をとりまとめ、居住、[3]、娯楽、交通の 4 つの単位を規定した。その理念に従って建築されたのが、[4]、ベルリン、ナント、フィルミニ、ブリエの 5 都市で実現した集合住宅[5]である。

    ヴァオザン計画, アテネ, 労働, マルセイユ, ユニテ・ダビタシオン

  • 24

    フランスの建築家[1]は、「輝く都市」で示した近代的都市計画理念を推進するために、高層集合住宅のプロトタイプ[2]を各地に建設し、近代建築国際会議:略称[3]を組織した。しかし、1950 年代になると、イギリスの[4]夫妻やオランダの[5]らを始めとする若手建築家たちは、その理念を批判して[6]を立ち上げた。

    ル・コルビュジエ, ユニテ・ダビタシオン, CIAM, スミッソン, アルト・ファン・アイク, チーム 10

  • 25

    CIAM 第10 回会議を機に結成された若手建築家のグループ[1]は会議の方針に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[1]の主要メンバーであった[2]は、オランダ[3]主義を代表する建築家であり、その思想は文化人類学者[4]らの影響を強く受けている。 一方、同じ[3]主義の建築家とされるルイ・カーンは、構造と設備の関係にも取り組み、建築空間を[5]・スペース(サポートされる機能空間)と[6]・スペース(サポートする機能空間)に整理して設計を進めた。

    チーム X, アルド・ファン・アイク, 構造, レヴィ・ストロース, サーブド, サーバント

  • 26

    1950 年代には、近代建築国際会議[1]の議論にも限界が見え始め、第 10 回会議を機に結成された建築家のグループ[2]は[1]の[3]的側面に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[2]の主要メンバーであった[4]は、オランダ[5]主義を代表する建築家であり、その思想は、言語学者[6]や文化人類学者[7]の影響を強く受けている。

    CIAM, チーム X, 機能主義, アルド・ファン・アイク, 構造, フェルディナン・ド・ソシュール, レヴィ・ストロース

  • 27

    フランスの建築家[1]は、自らが描いた新しい都市理念の実現のために、近代国際会議[2]を組織し、後に集合住宅のプロトタイプとして 5 つの[3]を設計した。しかし 1950 年代になると、[2]第 10 回会議を機に結成された若手建築家グループ[4]がその方針に異議を唱え、より人間的な都市と建築を目指した。[4]の主要メンバー[5]は、オランダ[6]主義を代表する建築家であり、その思想は、言語学者[7]や文化人類学者[8]の影響を強く受けていた。

    ル・コルビュジエ, CIAM, ユニテ・ダビタシオン, チーム X, アルド・ファン・アイク, 構造, ソシュール, クロード・レヴィ=ストロース

  • 28

    1932 年ニューヨーク近代美術館において、[1]と H・R・ヒッチコックは「近代建築・国際展」を開催し、[2]という言葉を用いた。これは当時起こりつつあった近代建築の表面的特徴を表していた。

    フィリップ・ジョンソン, インターナショナル・スタイル

  • 29

    1932 年[1]において「近代建築-国際展」を開いた[2]は、カタログに[3]という言葉を用いて、当時欧米を中心に起こりつつあった近代建築運動を実現した。[4]は 1988 年に、また同じ会場で[5]・アーキテクチャー展を開催 し、主に若手の建築家による新しい潮流を示して見せた。この中には 2012 年に東京[6]の設計者として選ばれたザハ・ハディドも含まれていた。

    MoMA, フィリップ・ジョンソン, インターナショナルスタイル, フィリップ・ジョンソン, デコンストラクティビズム, 国立競技場

  • 30

    ニューヨーク近代美術館(MoMA)において[1]とヒッチコックが「近代建築・国際展」を開催し、当時欧米を中心に起こりつつあった近代建築の動きをその表面的特徴から[2]と名付けた。[1]は、それから 50 年以上経た 1988 年に、当時若手女流建築家だった[3]らを招き、同じ場所で[4]展を展開している。

    フィリップ・ジョンソン, インターナショナルスタイル, ザハ・ハディド, デコンストラクティビストアーキテクチャー

  • 31

    フィンランドの建築家[1]による[2]のサナトリウムでは、緑と自然光に包まれた開放的空間が、モダニズムの理念を表現している。デンマークの建築家[3]が設計したシドニー・オペラハウスは、PC コンクリートによる球面[4]構造が特徴的である。

    アルヴァ・アアルト, パイミオ, ヨルン・ウッツォン, シェル

  • 32

    北欧ではフィンランドの建築家[1]が近代建築を主導した。彼の建築は機能主義的でありながらも[2]な形態が特徴だが、それは[3]製の花瓶や[4]のサナトリウムのために制作された[5]の椅子のデザインにも見られる。

    アルヴァ・アアルト, 有機的, 硝子, パイミオ, 木製

  • 33

    フィンランドを代表する近代建築家[1]は、地域の伝統文化を建築に取り入れることに力を尽くした。そのデザインの特徴である[2]的形態は、[3]工科大学の講堂まわりからガラス工芸作品の[4]まで、ものの大小を問わずに用いられている。

    アルヴァ・アアルト, 有機, ヘルシンキ, 花瓶

  • 34

    2004 年に開館したSANAA 設計の[1]は、毎年約150 万人という多くの来訪者を迎えている。 展示室自体は多様な芸術の背景になる[2]を主体とした第 2 世代の美術館とも言えるが、館内の随所に常設されたインスタレーションはその場所に固有の[3]であり、カフェやショップも含めての体験を楽しめる仕掛けは、第[4]世代であるとも言える。

    金沢21 世紀美術館, ホワイトキューブ, サイトスペシフィック・アート, 4

  • 35

    近代美術の背景となる近代建築の美学による美術館は、第[1]世代とされ、その空間の特徴は[2]とも呼ばれる。一方現代美術では、インスタレーション・アートなど特定の場所と関連した[3]な芸術が一般化しており、これに対応した美術館は、第[4]世代と呼ばれる。

    2, ホワイトキューブ, サイトスペシフィック, 3

  • 36

    SANAA の設計した[1]美術館は、 2004 年の開館以来地方公立美術館としては異例の多くの入館者を迎えている。展示室自体は[2]を主体とした第 2 世代の美術館ともいえるが、館内の随所に常設された[3]アートはサイトスペシフィックであり、カフェやショップも含めて体験を楽しめる仕掛けは、第[4]世代でもあると言える。

    金沢 21 世紀, ホワイトキューブ, インスタレーション, 3

  • 37

    モダニズムの美学による美術館は、第[1]世代とされ、作品を際立たせるために抽象化された空間の特徴は[2]とも呼ばれる。現代美術では、観覧者が作品を身体で体験するインスタレーションなど特定の場所に結び付いた[3]・アートや観覧者も参加するリレーショナル・アートが一般化しただけでなく、近年は日本発祥の漫画やオタク文化も素材として認知されるようになった。例えば SANAAの設計した[4]美術館は、年間約 150 万人という地方美術館としては異例の入場者数を誇るが、これは美術館が誰でも普通に楽しめる場になったことを意味する。食事やショッピングや学びも含めて、アートな空間と時間を楽しむことができる美術館は第[5]世代と位置づけられる。1950 年代から活躍したデンマークのモダニズム建築家[6]は、建築だけでなく家具やプロダクツのデザインも手掛けた。当初小学校のために作った合板製で三本脚の[7]などが有名である。

    2, ホワイトキューブ, サイトスペシフィック, 金沢 21 世紀, 3, アルネ・ヤコブセン, アントチェア

  • 38

    1950 年代から活躍したデンマークの[1]は機能的で美しいモダンデザインの建築家だが、建築だけでなく多くの家具やプロダクツのデザインも手がけた。中でも当初[2]のためにデザイン した合板製で 3 本脚の[3]チェアや一枚のステンレス板を打ち抜いて作った[4]などが有名である。

    アルネ・ヤコブセン, 小学校, アリンコ, カトラリー

  • 39

    1960 年代にイギリスで起こった建築・デザイン運動[1]と日本での[2]は、可変性及び拡張性を持つ建築・都市を提案する意味で共通項が多い。しかし、前者は[3]が提案したウォーキング・シティのように実現性のないイメージのみを提示したのに対し、後者は[4]設計の中銀カプセルタワーのように実現を前提としていた。

    アーキグラム, メタボリズム, ロン・ヘロン, 黒川紀章

  • 40

    1960 年に東京で行われた[1]会議を契機に若手建築家たちは[2]という建築理念を掲げた。メンバーの中で久留米市出身の[3]は、初期の自邸[4]から晩年の太宰府市にある[5]まで、空間の可変性という理念を踏襲した。一方名古屋出身の[6]は、脱着可能な 住居ユニットを持つ[7]で未来的理念を表現したが、後に歴史的意匠にも関心を示した。

    世界デザイン, メタボリズム, 菊竹清訓, スカイハウス, 九州国立博物館, 黒川紀章, 中銀カプセルタワー

  • 41

    久留米市出身の建築家菊竹清訓は 1960 年に東京で開催された[1]を契機として、後に[2]カプセルタワーを設計する[黒川紀章]らとともに[メタボリズム]グループを立ち上げた。また、[3]が1970 年代初頭に設計した福岡相互銀行本店には、歴史を参照した建築表現が多く見られるが、その方向性は後の建築思潮[4]へとつながる。[4]を理論的に主導したアメリカ人評論家[5]は、商業とカジノの街[6]などを例にとり、建築には[7]と対立性が必要だと唱えた。

    世界デザイン会議, 中銀, 磯崎新, ポストモダニズム, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス, 多様性

  • 42

    久留米出身の建築家[1]は、1960 年に東京で開催された[2]を契機として、後に[3]カプセルタワーを設計する[4]らと共に[5]グループを立ち上げた。また、[6]が 1970 年代に設計した福岡相互銀行本店では、歴史を参照した表現が多く見られ、その方向性は後にポストモダニズムと呼ばれる。その理論的支柱となったアメリカ人評論家[7]は、商業とカジノの街[8]等を例に挙げて、建築には[多様性]と対立性が必要だと唱えた。

    菊竹清訓, 世界デザイン会議, 中銀, 黒川紀章, メタボリスト, 磯崎新, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス

  • 43

    日本で[1]グループを主導した菊竹清訓は、1960 年に東京で開催された世界デザイン会議でアメリカ人建築家[2]と会い、自邸[3]に招いて建築の議論を戦わせた。

    メタボリズム, ルイス・カーン, スカイハウス

  • 44

    久留米出身の建築家[1]は、1960 年に東京で開催された世界デザイン会議をきっかけにして、黒川紀章らとともに[2]グループを立ち上げた。建築や都市を生命体として捉え、グループ名通りに[3]する建築のシステムを考えた。初期の代表作として都城[4]などがあるが、晩年は大宰府にある[5]のように、専ら巨大空間を持つ建築を手掛けるようになった。

    菊竹清訓, メタボリズム, 新陳代謝, 市民会館, 九州国立博物館

  • 45

    1970 年代のアメリカを中心に広まった建築思潮[1]は、建築の表現を言語として捉え、その意味を問題とする[2]論を理論的背景とした。その代表的建築家である[3]は著書の中でカジノの町[4]のように賑やかで活気のある都市の魅力をたたえ、「現代の豊鏡で曖昧な経験的事象に基づいた[多様性]と対立性を備えた建築」を好むと語った。商業の街福岡でも[1]は積極的に受け入れられ、その代表的建築家である[5]はハイヤットリージェンシー福岡などを、[6]はキャナルシティ博多などを設計した。

    ポストモダニズム, 記号, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス, マイケル・グレイブス, ジョン・ジャーディ

  • 46

    福岡を代表する商業施設[1]は、アメリカ人建築家[2]が設計を担当したが、その表現は 1970 年代に始まる建築思潮[3]の流れを汲む。[3]を理論的に主導した[4]は、商業とカジノの街[5]などを例にとり、建築には[6]と対立性が必要だと考えた。

    キャナルシティ博多, ジョン・ジャーディ, ポストモダニズム, ロバート・ヴェンチューリ, ラスベガス, 多様性

  • 47

    1970 年代に始まる建築思潮[1]は、建築の色や形態が持つ言語としての芋を問題とする[2]をその理論的背景とし、その代表的理論家である[3]はラスベガスのように賑やかで活気のある都市や建築に学ぶべきと唱えた。ニューヨーク・ファイブのモダニズム建築家としてスタートした[4]は、その後[1]をリードする存在となり、1980 年代始めには[5]ビルのように、機能的な建築の表層に歴史的意匠を施したオフィスを設計する。この手法は、商業主義の国[6]を中心に広まったが、同じく商業の街福岡には、1995 年に開業した[7]基本設計のショッピングセンター[8]など、多くの事例が存在する。

    ポストモダニズム, 記号論, ロバート・ヴェンチューリ, マイケル・グレイブス, ポートランド, アメリカ, ジョン・ジャーディ, キャナルシティ博多

  • 48

    熊本[1]は、1988 年に当時の県知事[2]と建築家[3]によって始められた、地方自治体による建築都市文化事業である。この事業の特徴は、一人の[4]に事業の推進や建築家の選定といったすべての権限を集中させることにあり、一般に自治体で行われる設計金額で設計者を設計する[5]制度とは全く異なる考え方に基づいている。現在の[4]は、[6]代目となる[7]が務めている。

    アートポリス, 細川護煕, 磯崎新, コミッショナー, 競争入札, 3, 伊藤豊雄

  • 49

    2006 年以降熊本[1]主催で 2 度開催された[2]コンペは、実績のない若手建築家に機会を与える試みだが、第 1 回目の[3]によるバンガローでは、35cm 角の木材を積み上げている。

    アートポリス, モクバン, 藤本壮介

  • 50

    福岡にはバブル期に造られた海外建築家の作品が多く残る。香椎浜にはオランダの[1]らによる集合住宅群[2]が、天神には[3]による屋上緑化された[4]がある。また、[5]によるキャナルシティ博多や、[6]によるハイヤット・リージェンシー福岡などは、建築の記号的側面に光を当てた建築思潮[7]の流れを汲む。

    レム・コール・ハース, ネクサス・ワールド, エミリオ・アンバース, アクロス福岡, ジョン・ジャーディ, マイケル・グレイブス, ポストモダニズム

  • 51

    1988 年建築家[1]は、知事の細川護熙とともに熊本県で建築都市文化事業[2]を立ち上げた。この特徴は、一人の[3]に事業の推進や建築家の選定といった権限と責任を集中させることにあり、設計金額で設計者を選定する[4]制度とは全く異なる考え方に基づく。

    磯崎新, 熊本アートポリス, コミッショナー, 競争入札

  • 52

    昨年 25 周年を迎えた地方自治体による建築都市文化事業[1]は当時の細川護熙知事と建築家[2]によって始められた。現在のコミッショナーである[3]は、東北の震災復興支援のために[4]を被災地に建設した。

    熊本アートポリス, 磯崎新, 伊東豊雄, みんなの家

  • 53

    久留米出身の建築家[1]は、1960 年代には新陳代謝を意味する[2]グループの一人として都城[3]などの作品を手掛けたが、その思想は 2000 年代に大宰府に開館した[4]でも踏襲された。大分出身の建築家[磯崎新]は、1960 年代からアートプラザとして再生された旧大分[5]、博多駅前にある赤砂岩で覆われた旧[6]本店などの作品を手掛けた。その後、建築の持つ記号的意味を重視する建築思潮[7]をリードし、80 年代には、自治体の建築都市文化事業である熊本[8]や、福岡市東区の前衛的集合住宅プロジェクト[9]を立ち上げた。

    菊竹清訓, メタボリズム, 市民会館, 九州国立博物館, 県立大分図書館, 福岡シティ銀行, ポストモダニズム, アートポリス, ネクサス・ワールド

  • 54

    バブル期には福岡でも多くの海外建築家が作品を手掛けた。香椎浜にはニューヨークの建築家[1]らが集合住宅を設計し、アルゼンチン出身の建築家[2]は大々的な屋上緑化の建物、アクロス福岡を設計した。また[3]の設計したキャナルシティ博多は 1970 年代に始まる建築の記号的側面に光を当てた建築思潮[4]の流れを汲むが、その理論的主導者の一人であるロバート・ベンチューリは、ラスベガスの例などを挙げて建築には多様性と[5]が必要だと唱えた。

    スティーブンホール, エミリオ・アンバース, ジョン・ジャーディ, ポストモダニズム, 対立性

  • 55

    戦後の日本を代表する建築家である丹下健三は、東大に[1]科お設立するとともに、東京オリンピックのための施設[2]などを設計し、常に国家や権力に近い立場でモダニズム建築の主流を歩んだ。一方唐津市出身で在野の建築家として大阪を拠点に活躍していた[3]は、長い生涯で主に民間建築を数多く手がけ、日生劇場や新高輪プリンスホテルなどに見られる独自の[4]的表現を極めていった。

    都市工学, 代々木体育館, 村野藤吾, モダニズム

  • 56

    日本では戦後復興のために小規模で安価な住宅が大量に供給された。バウハウスや CIAM の流れを汲む[1]主義的理念を基にして計画された公営集合住宅だけでなく、当時の建築家も多くの提案を行った。この中には近年 9 坪ハウスとして再生された[2]自邸や[3]宇宙空間観測所関連施設を設計した[4]の立体最小限住宅-No.シリーズなどがある。

    機能, 増沢洵, 東京大学, 池辺陽

  • 57

    路上観察などを通じて都市を誇る歴史家・建築家である[1]は、日本現代建築の潮流を安藤忠雄のように[2]の流れを汲む[3]と自身のように建築材料や職人仕事にこだわる[4]の 2 つに分けて語っている。

    藤森照信, モダニズム, 白派, 赤派

  • 58

    [1]の設計した九州大学 50 周年記念講堂のように、コンクリート打ちっ放しに代表される素材をそのまま用いた力強く荒々しい建築表現を、イギリスの建築批評家[2]は[3]と名付けた。 [1]の師匠である丹下健三は、貴族文化の[4]的表現より土着の[5]的表現を評価し、伝統論争を展開した。

    光吉健次, レイナー・バンハム, ブルータリズム, 弥生, 縄文

  • 59

    日系アメリカ人建築家[1]は、近代建築国際会議(CIAM)の理念に則って、セントルイスに大規模な[2]住宅団地を設計した。しかし、この計画自体がスラム地域に計画されたものだったため、建設当初から[3]が悪く、やがて団地もスラム化した。これが結局当局の手で破壊されたことは「近代建築の終焉」として批判の対象となった。きしくも 2001 年の 9.11 事件でテロリストに破壊された[4]ビルも同じ[5]の設計だった。移民を出自とする彼の建築はアメリカンドリームの体現でもあったが、逆にその強い[6]性がこうした結果に結び付いたともいえる。

    ミノル・ヤマサキ, プルーイット・アイゴー, 治安, 世界貿易センター, ミノル・ヤマサキ, 象徴

  • 60

    ル・コルビュジエの下で学んだ日本人建築家[1]は、1937 年にはパリ万博日本館の設計を依頼され、日本の伝統建築とモダニズムの融合を試みた。また同じく弟子である[2]の作品も、当初はコルビュジエの影響が強く見られたが、やがて[3]鋼や打ち込みタイルを用いた独自の表現を生み出し、城跡の石垣が作るランドスケープと一体化した[4]美術館などを手掛けた。

    板倉準三, 前川國男, コールテン, 福岡市立