ログイン

日本史

日本史
9問 • 2年前
  • ユーザ名非公開
  • 通報

    問題一覧

  • 1

    我が国の律令制に関する記述として妥当なのはどれか。

    大宝律令による中央行政機構としては、祭祀をつかさどる神官と一般政務をつかさどる太政官の二官が置かれており、太政間は太政大臣や大納言などの公卿によって構成されていた。そして、太政官のもとに大蔵省や兵部省など八省が置かれ、それぞれの政務を分担していた。

  • 2

    次のA~Dのうち、平安時代の出来事に関する記述として妥当なもののみを全て挙げているものはどれか。 A 坂上田村麻呂が東北で蝦夷の征討を行い、蝦夷の族長阿弖流為を降伏させた。 B 道教が孝謙太上天皇の寵愛を受けて権力を握り、政治が混乱した。 C 学問が重んじられ、有力貴族らも子弟教育のために大学別曹を設けた。 D 農地開拓のために健児制度が設けられ、各地で健児による開墾が行われた。

    A,C

  • 3

    室町幕府に関する記述として、妥当なものはどれか。

    足利義満は、京都の室町に花の御所と呼ばれる邸宅を建設して政治を行い、山名氏清など強大な守護を倒して権力の集中を図り、1392年には南北朝合一を果たした。

  • 4

    次のA~Dのうち、安土・桃山時代に関する記述として妥当なもののみを全て挙げているものはどれか。 A 海賊取締令(海賊停止令)が出され、倭寇などの海賊行為が禁止された。 B 遣明船で明に渡った雪舟が、日本的な水墨画様式を想像した。 C 幕府の歴史を編年体で記した史書『吾妻鏡』が編まれた。 D 堺の千利休が茶の湯の儀礼を定め、侘茶を大成した。

    A,D

  • 5

    日本の古代・中世における権力闘争に関する記述として妥当なのはどれか。

    平安時代において、後白河天皇と崇徳上皇とが対立し、源頼朝、平清盛らがついた天皇側が勝利を得た。後白河は上皇となって院政を開始したが、その後、頼朝と清盛が争い、これに勝利した清盛は、後に武士として初めて太政大臣となった。

  • 6

    江戸時代の政治に関する記述として最も妥当なのはどれか。

    老中の松平定信は、七分積金によって、飢饉・災害時に困窮した貧民を救済する体制を整えたり、困窮する旗本や御家人を救済するために棄捐令を出して札差に貸金を放棄させたりしたが、厳しい統制や倹約の強要は民衆の反発を生んだ。

  • 7

    江戸時代の産業に関する記述として最も妥当なのはどれか。

    幕府や諸藩は、年貢米の収入を増やすために村の耕地の拡大に努め、海岸地域や湖沼を干拓し、灌漑用水を整備するなどして新田開発を進めた。農具では、より深く耕させる備中鍬や脱穀用の千歯扱などが発明され、作業の効率化をもたらした。

  • 8

    江戸時代の対外関係に関する次の記述のうち、最も妥当なのはどれか。

    19世紀半ば、アメリカ合衆国のペリーは、強力な艦隊を背景として幕府に開国を強く要求してきた。幕府は、食糧と燃料の供給や下田と箱館の開港などを内容とする日米和親条約をアメリカ合衆国との間に結び、次いでイギリスなどとも同様の条約を結んだ。

  • 9

    我が国の幕府が行った政策に関する記述として、妥当なのはどれか。

    鎌倉幕府は、窮乏する御家人を救うため、永仁の徳政令を発布し、御家人の所領の質入れや売買を禁止して、それまでに質入れ、売却した御家人領を無償で返却させ、御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けない対策をとった。

  • 憲法

    憲法

    ユーザ名非公開 · 24問 · 2年前

    憲法

    憲法

    24問 • 2年前
    ユーザ名非公開

    民法

    民法

    ユーザ名非公開 · 41問 · 2年前

    民法

    民法

    41問 • 2年前
    ユーザ名非公開

    行政法

    行政法

    ユーザ名非公開 · 27問 · 2年前

    行政法

    行政法

    27問 • 2年前
    ユーザ名非公開

    マクロ経済

    マクロ経済

    ユーザ名非公開 · 8問 · 2年前

    マクロ経済

    マクロ経済

    8問 • 2年前
    ユーザ名非公開

    財政学

    財政学

    ユーザ名非公開 · 9問 · 2年前

    財政学

    財政学

    9問 • 2年前
    ユーザ名非公開

    政治学

    政治学

    ユーザ名非公開 · 13問 · 2年前

    政治学

    政治学

    13問 • 2年前
    ユーザ名非公開

    経営学

    経営学

    ユーザ名非公開 · 20問 · 1年前

    経営学

    経営学

    20問 • 1年前
    ユーザ名非公開

    問題一覧

  • 1

    我が国の律令制に関する記述として妥当なのはどれか。

    大宝律令による中央行政機構としては、祭祀をつかさどる神官と一般政務をつかさどる太政官の二官が置かれており、太政間は太政大臣や大納言などの公卿によって構成されていた。そして、太政官のもとに大蔵省や兵部省など八省が置かれ、それぞれの政務を分担していた。

  • 2

    次のA~Dのうち、平安時代の出来事に関する記述として妥当なもののみを全て挙げているものはどれか。 A 坂上田村麻呂が東北で蝦夷の征討を行い、蝦夷の族長阿弖流為を降伏させた。 B 道教が孝謙太上天皇の寵愛を受けて権力を握り、政治が混乱した。 C 学問が重んじられ、有力貴族らも子弟教育のために大学別曹を設けた。 D 農地開拓のために健児制度が設けられ、各地で健児による開墾が行われた。

    A,C

  • 3

    室町幕府に関する記述として、妥当なものはどれか。

    足利義満は、京都の室町に花の御所と呼ばれる邸宅を建設して政治を行い、山名氏清など強大な守護を倒して権力の集中を図り、1392年には南北朝合一を果たした。

  • 4

    次のA~Dのうち、安土・桃山時代に関する記述として妥当なもののみを全て挙げているものはどれか。 A 海賊取締令(海賊停止令)が出され、倭寇などの海賊行為が禁止された。 B 遣明船で明に渡った雪舟が、日本的な水墨画様式を想像した。 C 幕府の歴史を編年体で記した史書『吾妻鏡』が編まれた。 D 堺の千利休が茶の湯の儀礼を定め、侘茶を大成した。

    A,D

  • 5

    日本の古代・中世における権力闘争に関する記述として妥当なのはどれか。

    平安時代において、後白河天皇と崇徳上皇とが対立し、源頼朝、平清盛らがついた天皇側が勝利を得た。後白河は上皇となって院政を開始したが、その後、頼朝と清盛が争い、これに勝利した清盛は、後に武士として初めて太政大臣となった。

  • 6

    江戸時代の政治に関する記述として最も妥当なのはどれか。

    老中の松平定信は、七分積金によって、飢饉・災害時に困窮した貧民を救済する体制を整えたり、困窮する旗本や御家人を救済するために棄捐令を出して札差に貸金を放棄させたりしたが、厳しい統制や倹約の強要は民衆の反発を生んだ。

  • 7

    江戸時代の産業に関する記述として最も妥当なのはどれか。

    幕府や諸藩は、年貢米の収入を増やすために村の耕地の拡大に努め、海岸地域や湖沼を干拓し、灌漑用水を整備するなどして新田開発を進めた。農具では、より深く耕させる備中鍬や脱穀用の千歯扱などが発明され、作業の効率化をもたらした。

  • 8

    江戸時代の対外関係に関する次の記述のうち、最も妥当なのはどれか。

    19世紀半ば、アメリカ合衆国のペリーは、強力な艦隊を背景として幕府に開国を強く要求してきた。幕府は、食糧と燃料の供給や下田と箱館の開港などを内容とする日米和親条約をアメリカ合衆国との間に結び、次いでイギリスなどとも同様の条約を結んだ。

  • 9

    我が国の幕府が行った政策に関する記述として、妥当なのはどれか。

    鎌倉幕府は、窮乏する御家人を救うため、永仁の徳政令を発布し、御家人の所領の質入れや売買を禁止して、それまでに質入れ、売却した御家人領を無償で返却させ、御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けない対策をとった。