ログイン

世界史 ヴ体制・戦後処理等
31問 • 8ヶ月前
  • 一吹
  • 通報

    問題一覧

  • 1

    ヴェルサイユ条約について、空所補充。 ヴェルサイユ条約は、ドイツと連合国(28ヵ国)の講和条約であり、他の敗戦諸国はそれぞれ別個に講和条約を締結した。1919年9月、オーストリアに対しては(①)条約、同年11月、ブルガリアに対する(②)条約、1920年6月、ハンガリーに対する(③)条約が締結された。これらの条約により、オーストリア=ハンガリー帝国が解体された。オスマン帝国に対しては1920年に(④)条約が締結されたが、その内容に不満な(⑤)が指導する民族運動は、1923年に改訂して(⑥)条約締結に成功する。

    ①サン=ジェルマン ②ヌイイ ③トリアノン ④セーヴル ⑤ケマル=アタチュルク ⑥ローザンヌ

  • 2

    ヴェルサイユ条約の内容について、空所補充。 その内容は多岐にわたるがまとめると次のようなことになる。 1.国際連盟規約。 2.領土の処分: a:ドイツはすべての海外植民地と権益を放棄する。 (①)半島のドイツ権益は日本に与えられる。 b:領土の割譲 (②)をフランスに返還する。 ポーランドにバルト海に通じる地域(ポーランド回廊)を割譲する。 ほかにベルギー、デンマークにそれぞれ隣接地域を割譲する。 c:領土の国際管理など (③)地方は国際連盟の管理下におき15年後に住民投票で帰属を決定する。ただし炭鉱の採掘権はフランスが有する。 ダンツィヒは自由都市とし国際連盟の管理下におく。港湾管理権はポーランドが有する。 上シュレジェンは21年の住民投票によって帰属を決定する。 (以上によってドイツは国土の7分の1、人口の10分の1を失い、東部プロイセンと分断された) 3:軍備の制限: 徴兵制は廃止され、陸軍は10万、海軍は1万6500の兵員に制限され、航空機・潜水艦の所有は禁止された。 また、(④)は非武装(ライン川西岸は連合国軍により15年間占領、右岸の50㎞は非武装)とされた。 戦争責任はドイツにあるとされ、賠償金の支払い義務を課せられる。(1921年に1320億マルクに決定)

    ①山東 ②アルザス=ロレーヌ ③ザール ④ラインラント

  • 3

    ローザ=ルクセンブルクについて、空所補充。ローザ=ルクセンブルクはポーランド生まれのドイツ人の女性で社会主義者。ドイツとポーランドで社会主義を指導。マルクス主義の正統的な階級闘争理論を軸として、国家支配の死滅をめざす論陣をはり、民族独立派には批判的であった。(①)党の左派の闘士として活動し、党の戦争協力を批判して(②)を結成した。  第一次世界大戦が長期化する中、1918年11月3日に(③)が起き、全国に労兵評議会(レーテ)が結成され、一気にドイツ皇帝の退位が実現してドイツ革命が始まると、12月に(④)党と改称し、レーテの権力移譲によるプロレタリア革命を目指し、1919年1月にベルリンで蜂起した。しかし社会民主党の臨時政府が派遣した軍の一部に捕らえられカール=リープクネヒトらとともに殺害された。

    ①ドイツ社会民主党 ②スパルタクス団 ③キール軍港の水兵反乱 ④ドイツ共産党

  • 4

    ドイツの賠償問題に関する次の事項を年代順に並び替えよ。 ①フーヴァー=モラトリアム ②ドーズ案 ③ローザンヌ会議 ④ヤング案

    ②(1924)➡️④(1929)➡️①(1931)➡️③(1932)

  • 5

    ★第一次世界大戦後のドイツ賠償問題の展開について、以下の語句を用いて 150 字以内で説明しなさい。 指定語句〔ルール占領 、ミュンヘン一揆、 ドーズ案〕

    ヴェルサイユ条約で課された賠償金が支払不能であったため、仏・ベルギーはルール占領を行い、現物賠償を要求した。ドイツがストライキで抵抗するがインフレを招き、賠償破棄を求めるヒトラーはミュンヘン一揆を起こした。戦債の償還を求める米国は、ドーズ案に基づいてドイツに投資を行い、賠償金の返済を促した。(146字)

  • 6

    ★第一次世界大戦後に国際連盟が設立された背景について80字程度で説明しなさい。

    新たな兵器の投入により戦死者の数がそれ以前と比較にならないほど多く、参加国が経済的にも大きく疲弊した。その結果、国際秩序を維持して世界平和を求める動きにつながった。(79字)

  • 7

    ★国際連盟は、集団安全保障の理念に基づき創設されたが、必ずしもその影響力は大きいとは言えなかった。それについて70字程度で簡単に説明せよ。 指定語句〔敗戦国、参加、軍事制裁〕

    国際連盟は、提唱国アメリカの不参加、ドイツなど敗戦国の一時不参加、そして軍事制裁が不可能で経済制裁しか手段がなかったため、影響力が限定的だった。(72字)

  • 8

    国際連盟の常任理事国をすべて答えよ。

    日本、イギリス、フランス、イタリア

  • 9

    ★ワシントン体制について、関連する条約の名前をあげながら、80字程度で説明せよ。 指定語句〔海軍軍備制限条約、九ヶ国条約、門戸開放、四ヶ国条約、日英同盟〕

    ワシントン会議が開かれ、海軍軍備制限条約で各国の主力艦の保有比率を定め、九カ国条約で中国の主権尊重と門戸開放の原則を確認した。また四カ国条約で日英同盟は解消された。(82字)

  • 10

    イギリスでは、1918年6月に選挙法が改正され、12月に総選挙が実施された。その時の有権者は、前回の750万人から一挙に約2000万人に増大した。この選挙法改正の内容や影響について説明せよ。

    条件付きの女性選挙権、男性普通選挙を実現した改正で、労働党が議会に進出するきっかけになった。

  • 11

    空所補充。 1928年、ボールドウィン保守党内閣のもとで、21歳以上のすべての(①)にも選挙権が認められ、イギリスで完全な男女平等選挙権が実現した。一般的には第5回と言わず、1928年の選挙法改正という。 翌1929年に実施された総選挙において、労働党が議席数で第一党となり、1929年6月、第2次(②)内閣が成立、前回は自由党との連立内閣であったが、今回は初めての労働党単独内閣としてイギリスの舵取りをすることになった。これ以降、イギリスは保守党と労働党の二大政党制へと移っていく。

    ①女性 ②マクドナルド

  • 12

    正誤判断。 世界で最初に女性参政権を認めたのは、イギリスの1928年選挙法改正である。

  • 13

    2011 慶応大 商 欧米各国で女性参政権は次々と導入されていったが、アメリカ、イギリス、フランスで、女性参政権が導入された順番を記しなさい。

    イギリス、アメリカ、フランス

  • 14

    マクドナルドについて、空所補充。 James Ramsay MacDonald 1866-1937 イギリスの労働党生え抜きの指導者。スコットランドの農民出身で、ロンドンでジャーナリストとなり、(①)が組織した最初の社会主義政党である独立労働党に、その結党の翌年の1894年に参加した。1900年に労働代表委員会が成立するとその書記になり、1906年に(②)党と改称した年にはじめて下院議員に選出された。その後も②党の指導者として活躍し、1911年には党首に就任した。しかし、第一次世界大戦が勃発し、労働党も他国の社会主義政党と同じく、自国の参戦を支持したのに対し、マクドナルドはあくまで反戦を主張した。そのため党首を辞任し、「売国奴」と罵られることもあったが、反戦の立場を一貫して貫いた。

    ①ケア=ハーディ ②労働

  • 15

    アイルランドについて、空所補充。 アイルランド問題が大きく動いたのは第一次世界大戦をきっかけとしていた。大戦勃発直後の(①)年9月にイギリス議会でようやくアイルランド自治法が成立したが、第一次世界大戦が勃発したという理由で実施が延期されることなった。アイルランドでは延期に反発した急進派が1916年2月の復活祭の日に武装蜂起((②))し、ダブリンで激しい市街戦となったが、イギリス政府は軍隊を派遣して鎮圧した。その際、派遣軍は蜂起首謀者(③)など16人を逮捕して裁判にもかけずに処刑、他にも多数を処刑したことで、非難が高まった。  この蜂起は、アイルランド自由主義同盟(IRB)という急進派が起こしたもので、すでに1905年に結成されていたアイルランドの民族運動組織である(④)党は、組織としてはこの蜂起に加わっていなかったが、この蜂起でのイギリス政府の過剰な弾圧はアイルランド人の憎しみを買い、独立を訴える④党への支持が高まった。  1918年に総選挙の結果、アイルランド独立を主張する④党が民衆の支持を受けて大勝した。②に加わって生き残った(⑤)らはロンドンの本国の議会に出席することを拒否し、1919年にダブリンに独自のアイルランド共和国議会を開設して、独立宣言を発した。大統領は⑤が就任、④党を創立した(⑥)、IRBの軍事部門アイルランド義勇軍(後のIRA)を率いるマイケル=コリンズらも閣僚となった。

    ①1914 ②イースター蜂起 ③パトリック=ピアス ④シン=フェイン ⑤デ=ヴァレラ ⑥アーサー=グリフィス

  • 16

    1937年、アイルランドはその国名を何と称したか。

    エール

  • 17

    空所補充。 イギリス本国の(①)内閣はそれを認めず、シン=フェイン党の解散を命じ、党員を逮捕、弾圧を強めたため、1919年4月以降、シン=フェイン党はゲリラ闘争、テロを開始、(②)戦争が始まった。アイルランド側はマイケル=コリンズが義勇兵を募り、アイルランド共和国軍=IRAを組織した。  ①はその一方、妥協を図るべく、1920年にアイルランド統治法(分断法、分離法とも言われる)を公布したが、それは北アイルランド(アルスター地方)と南アイルランドを分離し、それぞれに程度の違う自治権を与えるというものだった。この提案を北アイルランドは受け入れたものの、シン=フェイン党は拒否、それをうけてイギリス政府は本格的な弾圧に乗り出し、軍隊を派遣した。この世界大戦からの復員兵からなる軍隊はその制服から「ブラック・アンド・タンズ」と言われ、かつての(③)のアイルランド侵略を思い出させる残虐行為を行い、アイルランド民衆の強い憎しみを生むこととなった。

    ①ロイド=ジョージ ②アイルランド独立 ③クロムウェル

  • 18

    空所補充。 戦間期の1926年10月に重要な帝国会議が開催され、そこで自治領側の本国との対等な関係の要求に答えて、イギリス元首相のバルフォアが座長となって検討した結果、バルフォア報告で自治領の要求を認めることとなった。1930年の帝国会議でそれが決議され、翌1931年12月に(①)が発表され、それによって「(②)」が成立することとなった。

    ①ウェストミンスター憲章 ②イギリス連邦

  • 19

    ルール占領について、空所補充。 第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議でのフランス代表(①)のねらいは、賠償金を課すことによって敗戦国ドイツを徹底的に再起不能にしておくことにあった。その狙い通り(②)条約でドイツに賠償金が課せられ、その後、戦勝国の賠償委員会でフランスは賠償金総額の52%を受けとること、1921年4月に総額が1320億金マルクと決定した。5月5日、もし履行しなければフランスはドイツに再び軍事行動を開始し、ルール地方を占領するという最後通帳をつきつけた。ドイツ国内ではその過剰な請求に不満が噴出したが、政府は履行政策を表明し、分割支払いに応じることとなった。  戦後のフランス首相(③)は、もし賠償金が支払われない場合は、「生産的担保」と称して鉄・石炭の産地であるルール地方(ドイツの鉄・石炭の8割を産出していた)を占領し、フランスが直接管理することを表明していた。ドイツがフランスのルール占領を認めるならば、賠償金の支払い猶予に応じてもよい、というのだった。イギリスはドイツ経済が破壊されることはヨーロッパ全体の利益にならないと考え、賠償金にたいしては比較的寛容であった。しかし両国ともドイツからの賠償金を、アメリカからの戦債の返還に充てなければならない事情は共通していた。

    ①クレマンソー ②ヴェルサイユ ③ポアンカレ

  • 20

    ヴァイマル共和国について、空所補充。  1919年7月13日、ヴァイマルで開催された国民議会で新たなドイツ憲法として制定された憲法は(①)憲法と言われた。この憲法の下で、ほぼ1933年のヒトラー政権の成立までの約14年間のドイツ共和国を、特にヴァイマル共和国という。ワイマール共和国とも表記。①憲法の下で国民の直接選挙で選ばれる(②)制、議会制が実現し、ドイツ帝国の古い体制を克服しながら、第一次世界大戦の敗戦国としてヴェルサイユ条約を遵守し、領土・植民地の減少、軍備の大幅削減、そして過重な賠償金の支払いという重い課題を背負うこととなった。選挙によって選ばれた社会民主党を中心とした連立内閣が続いた。  新憲法にしたがって実施された選挙で社会民主党の(③)が臨時大統領に選出された。社会民主党はドイツ第二帝国が崩壊した後、社会主義革命を目指したスパルタクス団の蜂起を抑え穏健な社会改良政策を進めた。しかし、ヴェルサイユ体制での賠償金など過酷な負担を強いられ、激しい(④)で経済は疲弊し、左からは労働者の不満を吸収したドイツ共産党の進出と、右からは反ヴェルサイユ体制を唱える国家主義運動であるナチズムが台頭し、政治・社会の動揺が続いた。一面では実現された平和の中で、人々はヴァイマル文化と言われる生き生きとした文化を生み出した時代でもある。

    ①ヴァイマル ②大統領 ③エーベルト ④インフレーション

  • 21

    ドイツについて、空所補充。 1923年8月に成立した連立内閣の首相となった(①)は、社会民主党の協力を得て、「消極的抵抗」の中止を宣言し、財政再建と国際協調を表明した。賠償問題では賠償を支払う姿勢をとる「履行政策」に復帰し、問題の解決を模索しはじめた。また国際世論もフランス・ベルギーを非難して平和的な問題の解決が叫ばれるようになった。さらに①は(②)の発行に踏み切り、(③)の解消に努めた。  しかしドイツ国内では履行政策に反対し、フランスに対する報復を主張する強硬派も勢いを増した。当時ミュンヘンは共和国政府に反対する右派が地方権力を握っていたが、その右派勢力の一つであった(④)の率いるナチ党は、1923年11月にミュンヘン一揆を起こし、ベルリンへ行進して政府を打倒しようとしたが、失敗した。  そのような中で、翌1924年、アメリカの銀行家ドーズが提唱した(⑤)が関係各国に受け入れられて成立し、賠償金支払方法の緩和が決まったので、フランス・ベルギーもルールから撤退し、一応問題は解決した。大戦後のいわゆるドイツ賠償金問題の対立の中で起こったことであったが、ドイツ国民のフランスに対する憎しみを強める結果となった。

    ①シュトレーゼマン ②レンテンマルク ③インフレーション ④ヒトラー ⑤ドーズ案

  • 22

    ドイツ共産党について、空所補充。 ドイツの第一次世界大戦参戦をめぐって社会民主党の多数派はシャイデマンやエーベルトが指導し、祖国の世界大戦への参加を支持したが、(①・②)などの少数派が戦争への協力を拒否し、分裂が決定的となった。戦争反対派は(③)団というグループを結成、独自の活動を開始し、1917年新たにゴータで独立社会民主党を結成した。独立社会民主党は反戦を掲げて党勢を伸ばし、社会民主党を脅かすようになった。

    ①ローザ=ルクセンブルク ②ヒープクネヒト(順不同) ③スパルタクス

  • 23

    ★1923年にヴァイマル共和国首相になったシュトレーゼマンは、どのようにして経済を建て直したか。80字以内で説明せよ。

    レンテンマルクを発行してインフレを鎮静し、さらにアメリカの協力を得て賠償金支払いの緩和と、ドーズ案によるアメリカ資本の導入に成功し、経済を再建した。(74字)

  • 24

    ワシントン会議、ロカルノ条約の締結などで活躍し、1926年度のノーベル平和賞をシュトレーゼマンとともに受賞したフランス外相は誰か。

    アリスティード=ブリアン

  • 25

    ★第一次大戦後のヨーロッパでは、講和内容に変更を加えようとする動きや武力紛争も各地であいついだ。具体的にどのような動きがあったのか、指定された国すべてに言及して、140字以内で説明せよ。 指定語句〔イタリア、トルコ、ポーランド〕

    イタリアはフィウメ問題でユーゴスラビアと対立、トルコでは、セーヴル条約で大幅な領土喪失を強いられたが、ムスタファ・ケマルの指導下で革命が起こり、希土戦争を経てローザンヌ条約を締結、領土と主権を回復した。ポーランドはソヴィエト=ポーランド戦争でソ連と衝突し、領土を拡大した。(136字)

  • 26

    ロカルノ条約について、空所補充。 1925年10月、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキアの7ヶ国が参加し、スイスのロカルノで開催されたロカルノ会議において合意された地域的集団安全保障条約。10月16日にロカルノにおいて仮調印され、1925年12月1日にロンドンで正式に調印された。  内容は国境に関する条約と仲裁裁判に関する条約など多岐にわたっていたが、総称してロカルノ条約という。その主要部分はヴェルサイユ条約における(①)非武装の規定を強化するために締結された、フランス・ベルギーとドイツ間の国境の現状維持と相互不可侵(つまり非武装を遵守すると言うこと)の約束であった。  ロカルノ会議で合意を形成したのは、イギリスの(②)(ジョゼフ=チェンバレンの長子。ネヴィル=チェンバレンの異母兄)、フランスの(③)、ドイツの(④)の各外相であり、三者による国際協調路線の成果と言うことができる。この合意により1925年から1929年までの「相対的安定期」を現出した。②は1925年度、③と④は1926年度のノーベル平和賞の受賞者となった。

    ①ラインラント ②オースティン=チェンバレン ③ブリアン ④シュトレーゼマン

  • 27

    空所補充。 第一次世界大戦の末期、アメリカ合衆国のウィルソンが提唱した国際連盟は、1919年のヴェルサイユ条約で設立が決まり、発足したが、敗戦国であったドイツ共和国は加盟が認められなかった。1023年のフランス軍、ベルギー軍による賠償問題を口実とした(①)占領が強行され、ドイツは急激なインフレーションに陥った。その危機に首相となったシュトレーゼマンは履行政策を遂行して、(②)を発行してインフレの進行を抑え、経済を立て直した。翌24年にはドーズ案が成立して賠償問題は解消に向かい、ドイツ経済もアメリカ資本の援助で回復の道筋がついた。外相に転じたシュトレーゼマンは、1920年代後半に国際協調外交を展開し、1925年12月、西欧諸国との地域的集団安全保障であるロカルノ条約に調印して(③)の放棄を表明した。このようなドイツはヴァイマル共和国の姿勢が認められ、1926年9月に国際連盟加盟に加盟し、国際社会に復帰した。

    ①ルール ②レンテンマルク ③アルザス=ロレーヌ

  • 28

    パリ不戦条約について、空所補充。 フランスの外相(①)がアメリカに対し戦争放棄を目的とした仏米協定締結を提案、それを受けたアメリカ国務大臣(②)が、多角的な国際条約にする必要があると各国に働きかけ、1928年8月27日、ドイツ、日本も含む15ヶ国が参加してパリで調印し成立した。後に63ヶ国が参加し全世界的な国際条約となった。パリ不戦条約、ブリアン=ケロッグ協定ともいう。

    ①ブリアン ②ケロッグ

  • 29

    ★ファシズムとはどのような国家体制か。50字程度で説明せよ。

    独裁権力のもとで議会制民主主義が否定され、強力な軍事警察力によって国民の権利や自由が抑圧される国家体制。(52字)

  • 30

    ★ヨーロッパの一部では、1920年代末までにファシズムとは異なる政治体制が成立した。具体的にどのような体制だったか、ファシズムとの違いを明確にして90字程度で説明せよ。 指定語句〔ピウスツキ、ホルティ、共産党、議会政治〕

    ポーランドのピウスツキ、ハンガリーのホルティによる権威主義体制が成立した。彼らは独裁権を握り共産党は禁止したが、ファシズムと異なり、他の政党の活動や議会政治、言論の自由は一部維持された。(93字)

  • 31

    第一次世界大戦後の1918年、南スラヴ三民族(セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人)によって作られた国家。1929年にユーゴスラヴィア王国となる。民族間の対立が続いた。この王国名を答えよ。

    セルブ=クロアート=スロヴェーン王国

  • 英作文 重要単語・表現①

    英作文 重要単語・表現①

    一吹 · 40問 · 5ヶ月前

    英作文 重要単語・表現①

    英作文 重要単語・表現①

    40問 • 5ヶ月前
    一吹

    英作文 重要単語・表現②

    英作文 重要単語・表現②

    一吹 · 35問 · 5ヶ月前

    英作文 重要単語・表現②

    英作文 重要単語・表現②

    35問 • 5ヶ月前
    一吹

    英訳せよ。①

    英訳せよ。①

    一吹 · 30問 · 2年前

    英訳せよ。①

    英訳せよ。①

    30問 • 2年前
    一吹

    英訳せよ。②

    英訳せよ。②

    一吹 · 30問 · 2年前

    英訳せよ。②

    英訳せよ。②

    30問 • 2年前
    一吹

    英訳せよ。③

    英訳せよ。③

    一吹 · 30問 · 2年前

    英訳せよ。③

    英訳せよ。③

    30問 • 2年前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(古代)

    世界史共テ対策 正誤問題(古代)

    一吹 · 24問 · 6ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(古代)

    世界史共テ対策 正誤問題(古代)

    24問 • 6ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(~18世紀東南亜)

    世界史共テ対策 正誤問題(~18世紀東南亜)

    一吹 · 18問 · 8ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(~18世紀東南亜)

    世界史共テ対策 正誤問題(~18世紀東南亜)

    18問 • 8ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(イスラーム)

    世界史共テ対策 正誤問題(イスラーム)

    一吹 · 31問 · 8ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(イスラーム)

    世界史共テ対策 正誤問題(イスラーム)

    31問 • 8ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(朝鮮史①)

    世界史共テ対策 正誤問題(朝鮮史①)

    一吹 · 3回閲覧 · 22問 · 6ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(朝鮮史①)

    世界史共テ対策 正誤問題(朝鮮史①)

    3回閲覧 • 22問 • 6ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(中国①)

    世界史共テ対策 正誤問題(中国①)

    一吹 · 3回閲覧 · 36問 · 8ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(中国①)

    世界史共テ対策 正誤問題(中国①)

    3回閲覧 • 36問 • 8ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(19c欧米)

    世界史共テ対策 正誤問題(19c欧米)

    一吹 · 47問 · 7ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(19c欧米)

    世界史共テ対策 正誤問題(19c欧米)

    47問 • 7ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(近代英仏)

    世界史共テ対策 正誤問題(近代英仏)

    一吹 · 41問 · 7ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(近代英仏)

    世界史共テ対策 正誤問題(近代英仏)

    41問 • 7ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 正誤問題(主要な戦争)

    世界史共テ対策 正誤問題(主要な戦争)

    一吹 · 10問 · 8ヶ月前

    世界史共テ対策 正誤問題(主要な戦争)

    世界史共テ対策 正誤問題(主要な戦争)

    10問 • 8ヶ月前
    一吹

    世界史 文化史特化(古代~中世)

    世界史 文化史特化(古代~中世)

    一吹 · 9問 · 9ヶ月前

    世界史 文化史特化(古代~中世)

    世界史 文化史特化(古代~中世)

    9問 • 9ヶ月前
    一吹

    世界史 文化史特化(近現代)

    世界史 文化史特化(近現代)

    一吹 · 9問 · 9ヶ月前

    世界史 文化史特化(近現代)

    世界史 文化史特化(近現代)

    9問 • 9ヶ月前
    一吹

    世界史共テ対策 名言問題

    世界史共テ対策 名言問題

    一吹 · 21問 · 6ヶ月前

    世界史共テ対策 名言問題

    世界史共テ対策 名言問題

    21問 • 6ヶ月前
    一吹

    世界史 頻出小論述①(古代)

    世界史 頻出小論述①(古代)

    一吹 · 8問 · 6ヶ月前

    世界史 頻出小論述①(古代)

    世界史 頻出小論述①(古代)

    8問 • 6ヶ月前
    一吹

    世界史 頻出小論述②(中国朝鮮①)

    世界史 頻出小論述②(中国朝鮮①)

    一吹 · 32問 · 6ヶ月前

    世界史 頻出小論述②(中国朝鮮①)

    世界史 頻出小論述②(中国朝鮮①)

    32問 • 6ヶ月前
    一吹

    問題一覧

  • 1

    ヴェルサイユ条約について、空所補充。 ヴェルサイユ条約は、ドイツと連合国(28ヵ国)の講和条約であり、他の敗戦諸国はそれぞれ別個に講和条約を締結した。1919年9月、オーストリアに対しては(①)条約、同年11月、ブルガリアに対する(②)条約、1920年6月、ハンガリーに対する(③)条約が締結された。これらの条約により、オーストリア=ハンガリー帝国が解体された。オスマン帝国に対しては1920年に(④)条約が締結されたが、その内容に不満な(⑤)が指導する民族運動は、1923年に改訂して(⑥)条約締結に成功する。

    ①サン=ジェルマン ②ヌイイ ③トリアノン ④セーヴル ⑤ケマル=アタチュルク ⑥ローザンヌ

  • 2

    ヴェルサイユ条約の内容について、空所補充。 その内容は多岐にわたるがまとめると次のようなことになる。 1.国際連盟規約。 2.領土の処分: a:ドイツはすべての海外植民地と権益を放棄する。 (①)半島のドイツ権益は日本に与えられる。 b:領土の割譲 (②)をフランスに返還する。 ポーランドにバルト海に通じる地域(ポーランド回廊)を割譲する。 ほかにベルギー、デンマークにそれぞれ隣接地域を割譲する。 c:領土の国際管理など (③)地方は国際連盟の管理下におき15年後に住民投票で帰属を決定する。ただし炭鉱の採掘権はフランスが有する。 ダンツィヒは自由都市とし国際連盟の管理下におく。港湾管理権はポーランドが有する。 上シュレジェンは21年の住民投票によって帰属を決定する。 (以上によってドイツは国土の7分の1、人口の10分の1を失い、東部プロイセンと分断された) 3:軍備の制限: 徴兵制は廃止され、陸軍は10万、海軍は1万6500の兵員に制限され、航空機・潜水艦の所有は禁止された。 また、(④)は非武装(ライン川西岸は連合国軍により15年間占領、右岸の50㎞は非武装)とされた。 戦争責任はドイツにあるとされ、賠償金の支払い義務を課せられる。(1921年に1320億マルクに決定)

    ①山東 ②アルザス=ロレーヌ ③ザール ④ラインラント

  • 3

    ローザ=ルクセンブルクについて、空所補充。ローザ=ルクセンブルクはポーランド生まれのドイツ人の女性で社会主義者。ドイツとポーランドで社会主義を指導。マルクス主義の正統的な階級闘争理論を軸として、国家支配の死滅をめざす論陣をはり、民族独立派には批判的であった。(①)党の左派の闘士として活動し、党の戦争協力を批判して(②)を結成した。  第一次世界大戦が長期化する中、1918年11月3日に(③)が起き、全国に労兵評議会(レーテ)が結成され、一気にドイツ皇帝の退位が実現してドイツ革命が始まると、12月に(④)党と改称し、レーテの権力移譲によるプロレタリア革命を目指し、1919年1月にベルリンで蜂起した。しかし社会民主党の臨時政府が派遣した軍の一部に捕らえられカール=リープクネヒトらとともに殺害された。

    ①ドイツ社会民主党 ②スパルタクス団 ③キール軍港の水兵反乱 ④ドイツ共産党

  • 4

    ドイツの賠償問題に関する次の事項を年代順に並び替えよ。 ①フーヴァー=モラトリアム ②ドーズ案 ③ローザンヌ会議 ④ヤング案

    ②(1924)➡️④(1929)➡️①(1931)➡️③(1932)

  • 5

    ★第一次世界大戦後のドイツ賠償問題の展開について、以下の語句を用いて 150 字以内で説明しなさい。 指定語句〔ルール占領 、ミュンヘン一揆、 ドーズ案〕

    ヴェルサイユ条約で課された賠償金が支払不能であったため、仏・ベルギーはルール占領を行い、現物賠償を要求した。ドイツがストライキで抵抗するがインフレを招き、賠償破棄を求めるヒトラーはミュンヘン一揆を起こした。戦債の償還を求める米国は、ドーズ案に基づいてドイツに投資を行い、賠償金の返済を促した。(146字)

  • 6

    ★第一次世界大戦後に国際連盟が設立された背景について80字程度で説明しなさい。

    新たな兵器の投入により戦死者の数がそれ以前と比較にならないほど多く、参加国が経済的にも大きく疲弊した。その結果、国際秩序を維持して世界平和を求める動きにつながった。(79字)

  • 7

    ★国際連盟は、集団安全保障の理念に基づき創設されたが、必ずしもその影響力は大きいとは言えなかった。それについて70字程度で簡単に説明せよ。 指定語句〔敗戦国、参加、軍事制裁〕

    国際連盟は、提唱国アメリカの不参加、ドイツなど敗戦国の一時不参加、そして軍事制裁が不可能で経済制裁しか手段がなかったため、影響力が限定的だった。(72字)

  • 8

    国際連盟の常任理事国をすべて答えよ。

    日本、イギリス、フランス、イタリア

  • 9

    ★ワシントン体制について、関連する条約の名前をあげながら、80字程度で説明せよ。 指定語句〔海軍軍備制限条約、九ヶ国条約、門戸開放、四ヶ国条約、日英同盟〕

    ワシントン会議が開かれ、海軍軍備制限条約で各国の主力艦の保有比率を定め、九カ国条約で中国の主権尊重と門戸開放の原則を確認した。また四カ国条約で日英同盟は解消された。(82字)

  • 10

    イギリスでは、1918年6月に選挙法が改正され、12月に総選挙が実施された。その時の有権者は、前回の750万人から一挙に約2000万人に増大した。この選挙法改正の内容や影響について説明せよ。

    条件付きの女性選挙権、男性普通選挙を実現した改正で、労働党が議会に進出するきっかけになった。

  • 11

    空所補充。 1928年、ボールドウィン保守党内閣のもとで、21歳以上のすべての(①)にも選挙権が認められ、イギリスで完全な男女平等選挙権が実現した。一般的には第5回と言わず、1928年の選挙法改正という。 翌1929年に実施された総選挙において、労働党が議席数で第一党となり、1929年6月、第2次(②)内閣が成立、前回は自由党との連立内閣であったが、今回は初めての労働党単独内閣としてイギリスの舵取りをすることになった。これ以降、イギリスは保守党と労働党の二大政党制へと移っていく。

    ①女性 ②マクドナルド

  • 12

    正誤判断。 世界で最初に女性参政権を認めたのは、イギリスの1928年選挙法改正である。

  • 13

    2011 慶応大 商 欧米各国で女性参政権は次々と導入されていったが、アメリカ、イギリス、フランスで、女性参政権が導入された順番を記しなさい。

    イギリス、アメリカ、フランス

  • 14

    マクドナルドについて、空所補充。 James Ramsay MacDonald 1866-1937 イギリスの労働党生え抜きの指導者。スコットランドの農民出身で、ロンドンでジャーナリストとなり、(①)が組織した最初の社会主義政党である独立労働党に、その結党の翌年の1894年に参加した。1900年に労働代表委員会が成立するとその書記になり、1906年に(②)党と改称した年にはじめて下院議員に選出された。その後も②党の指導者として活躍し、1911年には党首に就任した。しかし、第一次世界大戦が勃発し、労働党も他国の社会主義政党と同じく、自国の参戦を支持したのに対し、マクドナルドはあくまで反戦を主張した。そのため党首を辞任し、「売国奴」と罵られることもあったが、反戦の立場を一貫して貫いた。

    ①ケア=ハーディ ②労働

  • 15

    アイルランドについて、空所補充。 アイルランド問題が大きく動いたのは第一次世界大戦をきっかけとしていた。大戦勃発直後の(①)年9月にイギリス議会でようやくアイルランド自治法が成立したが、第一次世界大戦が勃発したという理由で実施が延期されることなった。アイルランドでは延期に反発した急進派が1916年2月の復活祭の日に武装蜂起((②))し、ダブリンで激しい市街戦となったが、イギリス政府は軍隊を派遣して鎮圧した。その際、派遣軍は蜂起首謀者(③)など16人を逮捕して裁判にもかけずに処刑、他にも多数を処刑したことで、非難が高まった。  この蜂起は、アイルランド自由主義同盟(IRB)という急進派が起こしたもので、すでに1905年に結成されていたアイルランドの民族運動組織である(④)党は、組織としてはこの蜂起に加わっていなかったが、この蜂起でのイギリス政府の過剰な弾圧はアイルランド人の憎しみを買い、独立を訴える④党への支持が高まった。  1918年に総選挙の結果、アイルランド独立を主張する④党が民衆の支持を受けて大勝した。②に加わって生き残った(⑤)らはロンドンの本国の議会に出席することを拒否し、1919年にダブリンに独自のアイルランド共和国議会を開設して、独立宣言を発した。大統領は⑤が就任、④党を創立した(⑥)、IRBの軍事部門アイルランド義勇軍(後のIRA)を率いるマイケル=コリンズらも閣僚となった。

    ①1914 ②イースター蜂起 ③パトリック=ピアス ④シン=フェイン ⑤デ=ヴァレラ ⑥アーサー=グリフィス

  • 16

    1937年、アイルランドはその国名を何と称したか。

    エール

  • 17

    空所補充。 イギリス本国の(①)内閣はそれを認めず、シン=フェイン党の解散を命じ、党員を逮捕、弾圧を強めたため、1919年4月以降、シン=フェイン党はゲリラ闘争、テロを開始、(②)戦争が始まった。アイルランド側はマイケル=コリンズが義勇兵を募り、アイルランド共和国軍=IRAを組織した。  ①はその一方、妥協を図るべく、1920年にアイルランド統治法(分断法、分離法とも言われる)を公布したが、それは北アイルランド(アルスター地方)と南アイルランドを分離し、それぞれに程度の違う自治権を与えるというものだった。この提案を北アイルランドは受け入れたものの、シン=フェイン党は拒否、それをうけてイギリス政府は本格的な弾圧に乗り出し、軍隊を派遣した。この世界大戦からの復員兵からなる軍隊はその制服から「ブラック・アンド・タンズ」と言われ、かつての(③)のアイルランド侵略を思い出させる残虐行為を行い、アイルランド民衆の強い憎しみを生むこととなった。

    ①ロイド=ジョージ ②アイルランド独立 ③クロムウェル

  • 18

    空所補充。 戦間期の1926年10月に重要な帝国会議が開催され、そこで自治領側の本国との対等な関係の要求に答えて、イギリス元首相のバルフォアが座長となって検討した結果、バルフォア報告で自治領の要求を認めることとなった。1930年の帝国会議でそれが決議され、翌1931年12月に(①)が発表され、それによって「(②)」が成立することとなった。

    ①ウェストミンスター憲章 ②イギリス連邦

  • 19

    ルール占領について、空所補充。 第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議でのフランス代表(①)のねらいは、賠償金を課すことによって敗戦国ドイツを徹底的に再起不能にしておくことにあった。その狙い通り(②)条約でドイツに賠償金が課せられ、その後、戦勝国の賠償委員会でフランスは賠償金総額の52%を受けとること、1921年4月に総額が1320億金マルクと決定した。5月5日、もし履行しなければフランスはドイツに再び軍事行動を開始し、ルール地方を占領するという最後通帳をつきつけた。ドイツ国内ではその過剰な請求に不満が噴出したが、政府は履行政策を表明し、分割支払いに応じることとなった。  戦後のフランス首相(③)は、もし賠償金が支払われない場合は、「生産的担保」と称して鉄・石炭の産地であるルール地方(ドイツの鉄・石炭の8割を産出していた)を占領し、フランスが直接管理することを表明していた。ドイツがフランスのルール占領を認めるならば、賠償金の支払い猶予に応じてもよい、というのだった。イギリスはドイツ経済が破壊されることはヨーロッパ全体の利益にならないと考え、賠償金にたいしては比較的寛容であった。しかし両国ともドイツからの賠償金を、アメリカからの戦債の返還に充てなければならない事情は共通していた。

    ①クレマンソー ②ヴェルサイユ ③ポアンカレ

  • 20

    ヴァイマル共和国について、空所補充。  1919年7月13日、ヴァイマルで開催された国民議会で新たなドイツ憲法として制定された憲法は(①)憲法と言われた。この憲法の下で、ほぼ1933年のヒトラー政権の成立までの約14年間のドイツ共和国を、特にヴァイマル共和国という。ワイマール共和国とも表記。①憲法の下で国民の直接選挙で選ばれる(②)制、議会制が実現し、ドイツ帝国の古い体制を克服しながら、第一次世界大戦の敗戦国としてヴェルサイユ条約を遵守し、領土・植民地の減少、軍備の大幅削減、そして過重な賠償金の支払いという重い課題を背負うこととなった。選挙によって選ばれた社会民主党を中心とした連立内閣が続いた。  新憲法にしたがって実施された選挙で社会民主党の(③)が臨時大統領に選出された。社会民主党はドイツ第二帝国が崩壊した後、社会主義革命を目指したスパルタクス団の蜂起を抑え穏健な社会改良政策を進めた。しかし、ヴェルサイユ体制での賠償金など過酷な負担を強いられ、激しい(④)で経済は疲弊し、左からは労働者の不満を吸収したドイツ共産党の進出と、右からは反ヴェルサイユ体制を唱える国家主義運動であるナチズムが台頭し、政治・社会の動揺が続いた。一面では実現された平和の中で、人々はヴァイマル文化と言われる生き生きとした文化を生み出した時代でもある。

    ①ヴァイマル ②大統領 ③エーベルト ④インフレーション

  • 21

    ドイツについて、空所補充。 1923年8月に成立した連立内閣の首相となった(①)は、社会民主党の協力を得て、「消極的抵抗」の中止を宣言し、財政再建と国際協調を表明した。賠償問題では賠償を支払う姿勢をとる「履行政策」に復帰し、問題の解決を模索しはじめた。また国際世論もフランス・ベルギーを非難して平和的な問題の解決が叫ばれるようになった。さらに①は(②)の発行に踏み切り、(③)の解消に努めた。  しかしドイツ国内では履行政策に反対し、フランスに対する報復を主張する強硬派も勢いを増した。当時ミュンヘンは共和国政府に反対する右派が地方権力を握っていたが、その右派勢力の一つであった(④)の率いるナチ党は、1923年11月にミュンヘン一揆を起こし、ベルリンへ行進して政府を打倒しようとしたが、失敗した。  そのような中で、翌1924年、アメリカの銀行家ドーズが提唱した(⑤)が関係各国に受け入れられて成立し、賠償金支払方法の緩和が決まったので、フランス・ベルギーもルールから撤退し、一応問題は解決した。大戦後のいわゆるドイツ賠償金問題の対立の中で起こったことであったが、ドイツ国民のフランスに対する憎しみを強める結果となった。

    ①シュトレーゼマン ②レンテンマルク ③インフレーション ④ヒトラー ⑤ドーズ案

  • 22

    ドイツ共産党について、空所補充。 ドイツの第一次世界大戦参戦をめぐって社会民主党の多数派はシャイデマンやエーベルトが指導し、祖国の世界大戦への参加を支持したが、(①・②)などの少数派が戦争への協力を拒否し、分裂が決定的となった。戦争反対派は(③)団というグループを結成、独自の活動を開始し、1917年新たにゴータで独立社会民主党を結成した。独立社会民主党は反戦を掲げて党勢を伸ばし、社会民主党を脅かすようになった。

    ①ローザ=ルクセンブルク ②ヒープクネヒト(順不同) ③スパルタクス

  • 23

    ★1923年にヴァイマル共和国首相になったシュトレーゼマンは、どのようにして経済を建て直したか。80字以内で説明せよ。

    レンテンマルクを発行してインフレを鎮静し、さらにアメリカの協力を得て賠償金支払いの緩和と、ドーズ案によるアメリカ資本の導入に成功し、経済を再建した。(74字)

  • 24

    ワシントン会議、ロカルノ条約の締結などで活躍し、1926年度のノーベル平和賞をシュトレーゼマンとともに受賞したフランス外相は誰か。

    アリスティード=ブリアン

  • 25

    ★第一次大戦後のヨーロッパでは、講和内容に変更を加えようとする動きや武力紛争も各地であいついだ。具体的にどのような動きがあったのか、指定された国すべてに言及して、140字以内で説明せよ。 指定語句〔イタリア、トルコ、ポーランド〕

    イタリアはフィウメ問題でユーゴスラビアと対立、トルコでは、セーヴル条約で大幅な領土喪失を強いられたが、ムスタファ・ケマルの指導下で革命が起こり、希土戦争を経てローザンヌ条約を締結、領土と主権を回復した。ポーランドはソヴィエト=ポーランド戦争でソ連と衝突し、領土を拡大した。(136字)

  • 26

    ロカルノ条約について、空所補充。 1925年10月、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキアの7ヶ国が参加し、スイスのロカルノで開催されたロカルノ会議において合意された地域的集団安全保障条約。10月16日にロカルノにおいて仮調印され、1925年12月1日にロンドンで正式に調印された。  内容は国境に関する条約と仲裁裁判に関する条約など多岐にわたっていたが、総称してロカルノ条約という。その主要部分はヴェルサイユ条約における(①)非武装の規定を強化するために締結された、フランス・ベルギーとドイツ間の国境の現状維持と相互不可侵(つまり非武装を遵守すると言うこと)の約束であった。  ロカルノ会議で合意を形成したのは、イギリスの(②)(ジョゼフ=チェンバレンの長子。ネヴィル=チェンバレンの異母兄)、フランスの(③)、ドイツの(④)の各外相であり、三者による国際協調路線の成果と言うことができる。この合意により1925年から1929年までの「相対的安定期」を現出した。②は1925年度、③と④は1926年度のノーベル平和賞の受賞者となった。

    ①ラインラント ②オースティン=チェンバレン ③ブリアン ④シュトレーゼマン

  • 27

    空所補充。 第一次世界大戦の末期、アメリカ合衆国のウィルソンが提唱した国際連盟は、1919年のヴェルサイユ条約で設立が決まり、発足したが、敗戦国であったドイツ共和国は加盟が認められなかった。1023年のフランス軍、ベルギー軍による賠償問題を口実とした(①)占領が強行され、ドイツは急激なインフレーションに陥った。その危機に首相となったシュトレーゼマンは履行政策を遂行して、(②)を発行してインフレの進行を抑え、経済を立て直した。翌24年にはドーズ案が成立して賠償問題は解消に向かい、ドイツ経済もアメリカ資本の援助で回復の道筋がついた。外相に転じたシュトレーゼマンは、1920年代後半に国際協調外交を展開し、1925年12月、西欧諸国との地域的集団安全保障であるロカルノ条約に調印して(③)の放棄を表明した。このようなドイツはヴァイマル共和国の姿勢が認められ、1926年9月に国際連盟加盟に加盟し、国際社会に復帰した。

    ①ルール ②レンテンマルク ③アルザス=ロレーヌ

  • 28

    パリ不戦条約について、空所補充。 フランスの外相(①)がアメリカに対し戦争放棄を目的とした仏米協定締結を提案、それを受けたアメリカ国務大臣(②)が、多角的な国際条約にする必要があると各国に働きかけ、1928年8月27日、ドイツ、日本も含む15ヶ国が参加してパリで調印し成立した。後に63ヶ国が参加し全世界的な国際条約となった。パリ不戦条約、ブリアン=ケロッグ協定ともいう。

    ①ブリアン ②ケロッグ

  • 29

    ★ファシズムとはどのような国家体制か。50字程度で説明せよ。

    独裁権力のもとで議会制民主主義が否定され、強力な軍事警察力によって国民の権利や自由が抑圧される国家体制。(52字)

  • 30

    ★ヨーロッパの一部では、1920年代末までにファシズムとは異なる政治体制が成立した。具体的にどのような体制だったか、ファシズムとの違いを明確にして90字程度で説明せよ。 指定語句〔ピウスツキ、ホルティ、共産党、議会政治〕

    ポーランドのピウスツキ、ハンガリーのホルティによる権威主義体制が成立した。彼らは独裁権を握り共産党は禁止したが、ファシズムと異なり、他の政党の活動や議会政治、言論の自由は一部維持された。(93字)

  • 31

    第一次世界大戦後の1918年、南スラヴ三民族(セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人)によって作られた国家。1929年にユーゴスラヴィア王国となる。民族間の対立が続いた。この王国名を答えよ。

    セルブ=クロアート=スロヴェーン王国