問題一覧
1
1908年、青年トルコ革命によるオスマン帝国の混乱に乗じて、オーストリアはベルリン会議で行政権を得ていた( )を併合した。
ボスニア・ヘルツェゴビナ
2
1912年、ロシアはセルビアやブルガリアなどのバルカン諸国に働きかけ、反オーストリアの( )同盟をつくり、オスマン帝国と戦って勝利した(第1次バルカン戦争)。
バルカン
3
1914年6月、ボスニア・ヘルツェゴビナの中心都市( )で、オーストリアの帝位継承者夫妻がセルビア人により暗殺された。
サライェボ
4
七月末にはドイツの後援を得たオーストリアがセルビアに宣戦を布告し、8月にはドイツがロシアに宣戦を布告した。フランスやイギリスもつぎつぎと参戦し、極東では日英同盟を結んでいた日本がドイツに宣戦を布告した。こうして戦争が地球規模に広がり、( )となった。
第一次世界大戦
5
ドイツは中立国( )に侵入し、フランスに進撃したが、やがて進軍は阻止された。
ベルギー
6
西部戦線では塹壕にこもり、機関銃で相手の突撃を阻止する( )となり、膠着状態が続いた。
塹壕戦
7
状況を打破するために、毒ガス・( )・飛行機といった新兵器の開発・投入がうながされた。
戦車
8
従来の戦争は、通常は短期戦であり、前線付近を除いては日常生活も平時の状態を維持した。それに対して、第一次世界大戦は長期戦となり、かつ日常生活を大きく巻き込む史上初の( )となった。
総力戦
9
各国で労働者政党を含む諸政党が、自国政府の戦争遂行を支持する姿勢を示し、( )がしかれた。
挙国一致体制
10
男性が出征して発生した人手不足を埋めるために、女性が工場労働者・電話交換手・トラック運転手・( )などの職に就いて活躍した。
警官
11
1915年1月、日本政府は中華民国の袁世凱政権に対し、中国における日本の権益の確保と拡大のため、5号計21ヶ条からなる要求( )を突きつけた。
二十一ヶ条の要求
12
第一次世界大戦中、各国は秘密外交を繰り広げ、勢力圏の再分配を取り決めた。同時に、戦争協力を取り付けるために、国内あるいは敵国内の少数民族などに対して、戦後に自治や国家建設を認めるとの空約束を与えた。とくにオスマン帝国旅をめぐっては、イギリス・フランス・ロシアは、( )協定によって、オスマン帝国領のアラブ地域の分割を取り決めた。
サイクス・ピコ
13
イギリスは、( )協定によりオスマン帝国の支配下におかれていたアラブ人に独立国家の建設を約束し、( )宣言によりパレスチナにユダヤ人の「民族的な郷土」を建設することを認めた。
フセイン・マクマホン、バルフォア
14
開戦当初に中立であったアメリカ合衆国は、ドイツが中立国も対象にして( )を開始したことにより、1917年4月に連合国の側で参戦した。
無制限潜水艦作戦
15
アメリカ大統領( )は、公正な講和を追求し、1918年1月に発表した( )の平和原則のなかで、秘密外交の廃止、植民地問題の公正な調整、国際平和機構の創設などを提唱した。
ウィルソン、十四ヶ条
16
1917年11月にロシアで社会主義革命がおこると、同盟国は18年3月にロシアと( )条約を結び、東部戦線での戦闘を終わらせた。
ブレスト=リトフスク
17
11月、ドイツの( )で兵士の蜂起がおこると、反乱は全国に広まり、ベルリンで( )の成立が宣言され、ヴィルヘルム2世は亡命した(独革命)。
キール軍港、ドイツ共和国
18
第一次世界大戦の開戦後、ロシアでは挙国一致体制が成立せず、皇帝政府と諸政党・民衆のあいだには溝があった。1917年3月、食料不足を理由に、首都( )で労働者と兵士が反乱をおこすと、皇帝ニコライ2世は退位に追い込まれ、帝政は崩壊した( )革命。
ペトログラード、二月三月
19
自由主義者を中心として( )が成立したが、イギリスやフランスとの関係に配慮して臨時政府も戦争継続路線をとったため、民衆の支持は得られなかった。
臨時政府
問題一覧
1
1908年、青年トルコ革命によるオスマン帝国の混乱に乗じて、オーストリアはベルリン会議で行政権を得ていた( )を併合した。
ボスニア・ヘルツェゴビナ
2
1912年、ロシアはセルビアやブルガリアなどのバルカン諸国に働きかけ、反オーストリアの( )同盟をつくり、オスマン帝国と戦って勝利した(第1次バルカン戦争)。
バルカン
3
1914年6月、ボスニア・ヘルツェゴビナの中心都市( )で、オーストリアの帝位継承者夫妻がセルビア人により暗殺された。
サライェボ
4
七月末にはドイツの後援を得たオーストリアがセルビアに宣戦を布告し、8月にはドイツがロシアに宣戦を布告した。フランスやイギリスもつぎつぎと参戦し、極東では日英同盟を結んでいた日本がドイツに宣戦を布告した。こうして戦争が地球規模に広がり、( )となった。
第一次世界大戦
5
ドイツは中立国( )に侵入し、フランスに進撃したが、やがて進軍は阻止された。
ベルギー
6
西部戦線では塹壕にこもり、機関銃で相手の突撃を阻止する( )となり、膠着状態が続いた。
塹壕戦
7
状況を打破するために、毒ガス・( )・飛行機といった新兵器の開発・投入がうながされた。
戦車
8
従来の戦争は、通常は短期戦であり、前線付近を除いては日常生活も平時の状態を維持した。それに対して、第一次世界大戦は長期戦となり、かつ日常生活を大きく巻き込む史上初の( )となった。
総力戦
9
各国で労働者政党を含む諸政党が、自国政府の戦争遂行を支持する姿勢を示し、( )がしかれた。
挙国一致体制
10
男性が出征して発生した人手不足を埋めるために、女性が工場労働者・電話交換手・トラック運転手・( )などの職に就いて活躍した。
警官
11
1915年1月、日本政府は中華民国の袁世凱政権に対し、中国における日本の権益の確保と拡大のため、5号計21ヶ条からなる要求( )を突きつけた。
二十一ヶ条の要求
12
第一次世界大戦中、各国は秘密外交を繰り広げ、勢力圏の再分配を取り決めた。同時に、戦争協力を取り付けるために、国内あるいは敵国内の少数民族などに対して、戦後に自治や国家建設を認めるとの空約束を与えた。とくにオスマン帝国旅をめぐっては、イギリス・フランス・ロシアは、( )協定によって、オスマン帝国領のアラブ地域の分割を取り決めた。
サイクス・ピコ
13
イギリスは、( )協定によりオスマン帝国の支配下におかれていたアラブ人に独立国家の建設を約束し、( )宣言によりパレスチナにユダヤ人の「民族的な郷土」を建設することを認めた。
フセイン・マクマホン、バルフォア
14
開戦当初に中立であったアメリカ合衆国は、ドイツが中立国も対象にして( )を開始したことにより、1917年4月に連合国の側で参戦した。
無制限潜水艦作戦
15
アメリカ大統領( )は、公正な講和を追求し、1918年1月に発表した( )の平和原則のなかで、秘密外交の廃止、植民地問題の公正な調整、国際平和機構の創設などを提唱した。
ウィルソン、十四ヶ条
16
1917年11月にロシアで社会主義革命がおこると、同盟国は18年3月にロシアと( )条約を結び、東部戦線での戦闘を終わらせた。
ブレスト=リトフスク
17
11月、ドイツの( )で兵士の蜂起がおこると、反乱は全国に広まり、ベルリンで( )の成立が宣言され、ヴィルヘルム2世は亡命した(独革命)。
キール軍港、ドイツ共和国
18
第一次世界大戦の開戦後、ロシアでは挙国一致体制が成立せず、皇帝政府と諸政党・民衆のあいだには溝があった。1917年3月、食料不足を理由に、首都( )で労働者と兵士が反乱をおこすと、皇帝ニコライ2世は退位に追い込まれ、帝政は崩壊した( )革命。
ペトログラード、二月三月
19
自由主義者を中心として( )が成立したが、イギリスやフランスとの関係に配慮して臨時政府も戦争継続路線をとったため、民衆の支持は得られなかった。
臨時政府