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世界史 新体制
17問 • 8ヶ月前
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  • 1

    空所補充。 早くも第二次世界大戦中の1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州、(①)で、連合国44ヵ国の通貨担当者が集まって国際会議が開催された。正式には連合国通貨金融会議という。この会議において①協定が締結され、それに基づいて1945年に(②)(IMF)協定と(③)(IBRD)協定(通称が世界銀行)が制定された。なおソ連も代表団を派遣して会議に参加し、協定にも調印したが、最終的には批准しなかった。

    ①ブレトン=ウッズ ②国際通貨基金 ③国際復興開発会議

  • 2

    戦後処理について、空所補充。 国際連盟に代わる、より有効な国際平和機構の設立については、連合国の戦後処理構想の形成過程で、まずアメリカ大統領(①)が提唱し、イギリス首相チャーチルとの1941年8月9日の大西洋会談で合意され、(②)として打ち出された。ついで1942年1月に連合国共同宣言が出され、ソ連も同調して(③)を解散し、1943年10月19日の(④)宣言で具体化が始まった。同年11月の(⑤)会談(アメリカ・イギリス・中国の三首脳会談)・(⑥)会談(アメリカ・イギリス・(⑦)の三国首脳会談)で首脳間の合意が進み、1943年の(⑧)会議、45年2月の(⑨)会談で国際連合憲章原案が検討され、最終的合意を図るため、連合国のサンフランシスコ会議が召集された。しかし、提唱者①大統領は、1945年4月12日に死去し、会議開催には間に合わなかった。

    ①フランクリン=ローズヴェルト ②大西洋憲章 ③コミンテルン ④モスクワ ⑤カイロ ⑥テヘラン ⑦ソ連 ⑧ダンバートン=オークス ⑨ヤルタ

  • 3

    国際連合について、空所補充。 全加盟国が1国1票で参加する(①)、国際の平和と安全の維持にあたる(②)が最も重要であり、そ他に事務局(その長が事務総長)・経済社会理事会・信託統治理事会・(③)が主要機関であり、通常、国連6機関という。ただし信託統治理事会は1994年に信託統治が消滅したので活動は終了している。その他に専門機関として、ユネスコ・国際労働機関・世界保健機関・ユニセフ・国際電気通信連合・万国郵便連合など多くの関連機関がある。  2001年には国際連合そのものにノーベル平和賞が贈られている。2020年のノーベル平和賞を受賞した(④)計画(WFP)は、国連の補助機関。1961年に国連総会と国際連合世界農業機関(WAO)の決議によって創設され、飢餓の克服と紛争の解決にあたってきた。

    ①総会 ②安全保障理事会 ③国際司法裁判所 ④国際連合世界食糧

  • 4

    国連の重要な決議について、空所補充。 ・1946年1月10日 第1回総会 ロンドンで開催 51カ国参加。12日、安全保障理事会発足。総会決議第1号として(①)の設置と、核兵器および大量破壊が可能なすべての兵器の廃絶を目指す決議を可決。 ・1947年 (②)分割決議 ・1948年 世界人権宣言、(③)条約採択 ・1950年 平和のための結集を採択

    ①国際原子力機関 ②パレスチナ ③ジェノサイド

  • 5

    ★国際連合について、国際連盟との相違点に触れながら130字程度で説明しなさい。 指定語句〔アメリカとソ連、武力行使、多数決、拒否権、ニューヨーク〕

    国際連合は国際連盟と異なり、アメリカとソ連が主要国として参加し、武力行使を伴う制裁が可能となった。安全保障理事会では常任理事国に拒否権が与えられ、多数決のみだった連盟より強力な意思決定ができる。本部はニューヨークに置かれ、より普遍的な国際平和機構を目指している。(131字)

  • 6

    ブレトン=ウッズ体制について、空所補充。 ブレトン=ウッズ協定によって成立したブレトン=ウッズ体制の特質は「アメリカのドルを基軸とした(①)制」であり、金兌換によって裏うちされたアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって貿易を発展させ、経済を安定させる仕組みであった。この体制はその後1973年まで続き、戦後の世界経済の復興を支えた。  ブレトン=ウッズ体制においては金1オンス=35ドルが公定価格とされ、ドルはいつでも金と交換でき、各国通貨はそれぞれ定められた平価(たとえば日本では1ドル=360円)の上下1%以内で為替相場を維持することが義務づけられた。  この体制を支えるのが、(②)(IMF)と(③)(IBRD)であった。②は通貨の安定に必要な資金を融資し、③は戦後復興と開発を目的とした資金供与を行うとされ、これによって国際連合の経済的協力機構が整備されることとなった。  ブレトン=ウッズ体制の前提は、世界各国が自由貿易の原則に立ち、世界経済全体の共存を図ることであった。そこで、1947年に成立したのが「関税と貿易に関する一般協定」((④))であり、これによってブレトン=ウッズ体制は資本主義経済圏を包括する経済協力体制となった。

    ①金・ドル本位制 ②国際通貨基金 ③国際復興開発会議 ④GATT

  • 7

    空所補充。 チェコスロヴァキアはドイツ支配下で(①)を首班とする亡命政府は、(②)党が協力してゲリラ的な抵抗を継続し、解放後にソ連軍の了解の元に、②党・国民社会党・社会民主党・人民党などの6政党による政府を組織し、1946年の自由選挙で①が大統領に選出され、首相は②党のゴットワルトが就いた。こうしてチェコスロヴァキアは、周辺のポーランド、ハンガリーが社会主義化し、ソ連の圧力が強まる中、②党も含む複数政党制の下での(③)主義を維持していた。東ヨーロッパ圏にありながら、第二次世界大戦後にすぐに社会主義体制となることなく、西欧的な③主義国家となったことは注目すべきことであったが、それ故に東西冷戦が進行してくると、チェコスロヴァキアはその先鋭な対立地域とならざるを得なかった。  戦後復興をめざすチェコスロヴァキア政府①大統領は、アメリカ合衆国が1947年に打ち出した経済支援計画である(④)を歓迎し、その受け入れを決定した。ところが、ソ連は圧力をかけ、チェコスロヴァキア②党も大々的な受け入れ反対のストライキを指導し、政府は立ち往生した。その結果、1948年2月に②党のチェコスロヴァキアのクーデター(二月事件)が成功して②党政権が成立し、チェコスロヴァキア社会主義共和国となった。

    ①ベネシュ ②共産 ③議会制民主 ④マーシャル=プラン

  • 8

    仏第四共和政について、空所補充。 戦後の政治の主導権をめぐってドイツと戦ったレジスタンスの内部に、共和派と(①)党の対立が激しくなる中、(②)は共産党勢力が力を付けることを警戒し、臨時政府の首相となることを承認し、1945年11月に憲法制定国民議会で満場一致で臨時政府首相に指名された。臨時政府は経済再建と憲法制定に取り組んだが、②は最大の勢力となった①党と対立したため、1946年1月、辞任した。  その後に実施された総選挙(フランスで始めて婦人参政権を行使)では、①党、人民共和派(MRP、キリスト教系保守中道政党で反共を掲げる)、社会党が大きく議席を伸ばし、両党を含む連立内閣が成立した。

    ①共和 ②ド=ゴール

  • 9

    ★仏第四共和制憲法について、議会、大統領、内閣の3観点から200字程度で説明せよ。

    立法権は第一院の国民議会のみが持ち、第二院の共和国評議会は諮問機関とされた。大統領は、国民議会と共和国評議会の両院合同会議で選出され、任期7年であるが、その権限は第三共和政よりも小さく、対外的に国を代表するほか、実質的な権限は無かった。また、第三共和制下での政治の不安定を反省し、内閣の権限は強化され、総理大臣は大統領によって指名されるが議会の絶対過半数の信任が必要で、閣僚を任免する権限が認められた。(201字)

  • 10

    ★COMECONについて、その役割の変化にも注意して180字程度で説明せよ。 指定語句〔社会主義国家、マーシャル=プラン、スターリンの死後、多国間、五ヵ年計画〕

    COMECONは、米のマーシャル=プランに対抗し、1949年にソ連を中心とする社会主義国家間で設立された。当初はソ連による東欧諸国の経済統制の色彩が強かったが、スターリンの死後は、加盟国間の経済協力促進、多国間の国際分業、五ヵ年計画に基づく貿易調整へと役割を変化させた。しかし、ソ連経済の停滞や東欧諸国の改革進展により、機能不全に陥り、1991年に解体された。(180字)

  • 11

    ★ベルリン封鎖について、アメリカの対応に触れながら80字以内で説明せよ。

    東西冷戦のなか、1948年、西側の通貨改革に反発したソ連がベルリン封鎖を実施した。孤立した西ベルリンに対し、米は大空輸作戦で物資を投下し、危機を救った。(76字)

  • 12

    ブリュッセル条約について、空所補充。 第二次世界大戦後、軍事的なヨーロッパ諸国連合の必要を提唱したのは1946年9月の前イギリス首相チャーチルの演説であった。1948年2月に共産党による(①)が成功したことに衝撃を受けた(②)が主導し、共産圏の武力侵攻に対抗する目的と同時に、ドイツ軍国主義の復活を阻止する目的もあって結成されたものであった。ソ連は自国を仮想敵国とする防衛同盟が結成されたことに反発して、ドイツ統治の連合国管理委員会から代表を引き上げ、ドイツ統一問題の解決は遠のき、東西冷戦下での分裂の事態がはっきりした。  翌年、ソ連の軍事力の脅威が高まったとして、加盟5カ国は大西洋をはさんだアメリカとカナダに参加を呼びかけた。アメリカは戦前からの孤立主義の主張も強かったが、1948年6月にアメリカ議会が(③)によって孤立主義を廃棄し、ヨーロッパでの軍事同盟への加盟を認めたことによって道が開け、1949年4月4日、北大西洋条約が締結され(④)が創設されることになる。

    ①チェコスロバキアのクーデター ②チャーチル ③ヴァンデンバーク決議 ④NATO

  • 13

    NATOの成立について、空所補充。 アメリカの「封じ込め政策」が始まり、東西冷戦が深刻化する中、1948年2月、チェコスロヴァキアでクーデタが発生し、共産党政権が成立すると、それに衝撃を受けたイギリス(アトリー)は同1948年3月、フランスおよびベネルクス三国と(①)条約を結び、共同防衛をとることとした。6月にはアメリカ、イギリス、フランスの西側が占領地域である西ドイツの経済統合をめざして通貨改革を実行すると、ソ連はただちに(②)を強行し、対立は頂点に達した。  1949年1月には東側諸国は(③)を結成、ソ連の核開発が進み、またアジアでは国共内戦で共産党の優位が明らかになっていた。そのような情勢の中で、①条約加盟国は西側の防衛力強化に迫られ、アメリカに働きかけて、北大西洋でソ連圏を包囲する軍事同盟網を結成する構想が生まれた。1949年4月、西欧同盟諸国にアメリカ合衆国、カナダ、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、イタリア、ポルトガルが加わり、12ヵ国によって(④)条約を締結した。  1950年、アジアで朝鮮戦争が始まったことは、④条約加盟国に不安感を与え、より包括的かつ現実的な軍事同盟機構を設立しようという動きとなり、1952年に初代の事務局長が就任して条約に基づく④条約機構(NATO)が発足した。

    ①ブリュッセル(西ヨーロッパ連合) ②ベルリン封鎖 ③コメコン ④北大西洋

  • 14

    空所補充。 アメリカ・イギリス・フランスと西ドイツの西側諸国が締結した(①)に基づき、1955年5月5日に西ドイツが(②)を認められ、翌日、加盟すると、ソ連は強く反発して1955年5月14日、NATOに対抗する軍事機構として(③)を結成した。こうして冷戦期間中、NATO軍はソ連=③軍と対峙する抑止力として機能していく。

    ①パリ協定 ②再軍備 ③ワルシャワ条約機構

  • 15

    ★戦後から1960年代のユーゴスラビアについて、ソ連との関係や国際社会での立場に着目して、300字程度で説明せよ。 指定語句〔ティトー、スターリン、第三世界、フルシチョフ、ブレジネフ=ドクトリン〕

    第二次大戦後、ユーゴスラビアはパルチザンを率いたティトーのもと、社会主義国でありながらソ連とは一線を画した独自路線を進んだ。スターリン体制下のソ連と対立し、1948年にはコミンフォルムを追放された。スターリン死後、フルシチョフによる「平和共存」政策のもとでソ連との関係は一時的に改善されたが、ユーゴスラビアは依然として自立性を維持。1961年にはインドのネルーらと共に非同盟運動を提唱し、米ソいずれの陣営にも属さない第三世界のリーダーとして国際社会で独自の地位を確立した。1968年のチェコ事件に対するソ連のブレジネフ=ドクトリンにも強く反発し、その独立性が改めて示された。(287字)

  • 16

    ★マーシャル=プランは対象の欧諸国だけではなく、世界情勢や米経済に大きな影響をもたらした。その経過や結果について、220字程度で説明せよ。ただし、国名や地域名は漢字1文字で表記して良い。(アメリカ➡️米、ヨーロッパ➡️欧、等) 指定語句〔孤立主義外交、OEEC、「奇跡の復興」、東西陣営の対立、還流〕

    第二次大戦で疲弊した欧の復興のため、米は孤立主義外交を転換し、1947年にマーシャル=プランを発表。ソ側諸国は拒否したが、西側諸国はOEECを設立し受入。これにより西独などの「奇跡の復興」が実現した。援助は米製品購入に限定され、資金が米経済に還流する仕組みでもあった。この計画は、米の対ソ封じ込め政策の一環であり、結果として東西陣営の対立を決定的にし、冷戦構造を固定化した。欧州復興支援は米の経済安定にも寄与したが、世界を分断する結果となった。(222字)

  • 17

    ★2017年筑波大学改 第二次世界大戦後,世界はアメリカとソ連という二つの超大国を軸に,西側の資本主義陣営と東側の社会主義陣営に分断され,相互に激しく対立した。このいわゆる冷戦構造の成立期におけるヨーロッパの動向について,以下の語句を用いて350字以上400字以内で説明しなさい。 指定語句〔NATO、コメコン、ドイツ民主共和国、トルーマン=ドクトリン、マーシャル=プラン〕

    ヤルタ会談にしたがい戦後独とベルリンは東西に分断された。ソ連に解放された東南欧諸国と東独はソ連の衛星国となり社会主義政権が成立した。このような中、米は47年トルーマン=ドクトリンで封じ込め政策を展開し、土・ギリシアの共産化を防いだ。また47年マーシャル・プランの受け入れを表明したチェコでクーデタが発生し社会主義化した。その波及を嫌い48年米主導で西独が単独で通貨改革を実施した。反発したソ連は西ベルリンを封鎖した。このベルリン封鎖は49年に終了したが、49年東独はドイツ民主共和国、西独はドイツ連邦共和国として独立し、ドイツの分断が確定した。49年西側諸国は米の核の傘の下NATOを結成したのに対し、東南欧諸国はソ連とコメコンを結成し、55年にはワルシャワ条約機構によりソ連への依存を強めた。そして55年西独がNATOに加盟した結果、ヨーロッパはWTOとNATOの軍事同盟による分断がした。(396字)

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  • 1

    空所補充。 早くも第二次世界大戦中の1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州、(①)で、連合国44ヵ国の通貨担当者が集まって国際会議が開催された。正式には連合国通貨金融会議という。この会議において①協定が締結され、それに基づいて1945年に(②)(IMF)協定と(③)(IBRD)協定(通称が世界銀行)が制定された。なおソ連も代表団を派遣して会議に参加し、協定にも調印したが、最終的には批准しなかった。

    ①ブレトン=ウッズ ②国際通貨基金 ③国際復興開発会議

  • 2

    戦後処理について、空所補充。 国際連盟に代わる、より有効な国際平和機構の設立については、連合国の戦後処理構想の形成過程で、まずアメリカ大統領(①)が提唱し、イギリス首相チャーチルとの1941年8月9日の大西洋会談で合意され、(②)として打ち出された。ついで1942年1月に連合国共同宣言が出され、ソ連も同調して(③)を解散し、1943年10月19日の(④)宣言で具体化が始まった。同年11月の(⑤)会談(アメリカ・イギリス・中国の三首脳会談)・(⑥)会談(アメリカ・イギリス・(⑦)の三国首脳会談)で首脳間の合意が進み、1943年の(⑧)会議、45年2月の(⑨)会談で国際連合憲章原案が検討され、最終的合意を図るため、連合国のサンフランシスコ会議が召集された。しかし、提唱者①大統領は、1945年4月12日に死去し、会議開催には間に合わなかった。

    ①フランクリン=ローズヴェルト ②大西洋憲章 ③コミンテルン ④モスクワ ⑤カイロ ⑥テヘラン ⑦ソ連 ⑧ダンバートン=オークス ⑨ヤルタ

  • 3

    国際連合について、空所補充。 全加盟国が1国1票で参加する(①)、国際の平和と安全の維持にあたる(②)が最も重要であり、そ他に事務局(その長が事務総長)・経済社会理事会・信託統治理事会・(③)が主要機関であり、通常、国連6機関という。ただし信託統治理事会は1994年に信託統治が消滅したので活動は終了している。その他に専門機関として、ユネスコ・国際労働機関・世界保健機関・ユニセフ・国際電気通信連合・万国郵便連合など多くの関連機関がある。  2001年には国際連合そのものにノーベル平和賞が贈られている。2020年のノーベル平和賞を受賞した(④)計画(WFP)は、国連の補助機関。1961年に国連総会と国際連合世界農業機関(WAO)の決議によって創設され、飢餓の克服と紛争の解決にあたってきた。

    ①総会 ②安全保障理事会 ③国際司法裁判所 ④国際連合世界食糧

  • 4

    国連の重要な決議について、空所補充。 ・1946年1月10日 第1回総会 ロンドンで開催 51カ国参加。12日、安全保障理事会発足。総会決議第1号として(①)の設置と、核兵器および大量破壊が可能なすべての兵器の廃絶を目指す決議を可決。 ・1947年 (②)分割決議 ・1948年 世界人権宣言、(③)条約採択 ・1950年 平和のための結集を採択

    ①国際原子力機関 ②パレスチナ ③ジェノサイド

  • 5

    ★国際連合について、国際連盟との相違点に触れながら130字程度で説明しなさい。 指定語句〔アメリカとソ連、武力行使、多数決、拒否権、ニューヨーク〕

    国際連合は国際連盟と異なり、アメリカとソ連が主要国として参加し、武力行使を伴う制裁が可能となった。安全保障理事会では常任理事国に拒否権が与えられ、多数決のみだった連盟より強力な意思決定ができる。本部はニューヨークに置かれ、より普遍的な国際平和機構を目指している。(131字)

  • 6

    ブレトン=ウッズ体制について、空所補充。 ブレトン=ウッズ協定によって成立したブレトン=ウッズ体制の特質は「アメリカのドルを基軸とした(①)制」であり、金兌換によって裏うちされたアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって貿易を発展させ、経済を安定させる仕組みであった。この体制はその後1973年まで続き、戦後の世界経済の復興を支えた。  ブレトン=ウッズ体制においては金1オンス=35ドルが公定価格とされ、ドルはいつでも金と交換でき、各国通貨はそれぞれ定められた平価(たとえば日本では1ドル=360円)の上下1%以内で為替相場を維持することが義務づけられた。  この体制を支えるのが、(②)(IMF)と(③)(IBRD)であった。②は通貨の安定に必要な資金を融資し、③は戦後復興と開発を目的とした資金供与を行うとされ、これによって国際連合の経済的協力機構が整備されることとなった。  ブレトン=ウッズ体制の前提は、世界各国が自由貿易の原則に立ち、世界経済全体の共存を図ることであった。そこで、1947年に成立したのが「関税と貿易に関する一般協定」((④))であり、これによってブレトン=ウッズ体制は資本主義経済圏を包括する経済協力体制となった。

    ①金・ドル本位制 ②国際通貨基金 ③国際復興開発会議 ④GATT

  • 7

    空所補充。 チェコスロヴァキアはドイツ支配下で(①)を首班とする亡命政府は、(②)党が協力してゲリラ的な抵抗を継続し、解放後にソ連軍の了解の元に、②党・国民社会党・社会民主党・人民党などの6政党による政府を組織し、1946年の自由選挙で①が大統領に選出され、首相は②党のゴットワルトが就いた。こうしてチェコスロヴァキアは、周辺のポーランド、ハンガリーが社会主義化し、ソ連の圧力が強まる中、②党も含む複数政党制の下での(③)主義を維持していた。東ヨーロッパ圏にありながら、第二次世界大戦後にすぐに社会主義体制となることなく、西欧的な③主義国家となったことは注目すべきことであったが、それ故に東西冷戦が進行してくると、チェコスロヴァキアはその先鋭な対立地域とならざるを得なかった。  戦後復興をめざすチェコスロヴァキア政府①大統領は、アメリカ合衆国が1947年に打ち出した経済支援計画である(④)を歓迎し、その受け入れを決定した。ところが、ソ連は圧力をかけ、チェコスロヴァキア②党も大々的な受け入れ反対のストライキを指導し、政府は立ち往生した。その結果、1948年2月に②党のチェコスロヴァキアのクーデター(二月事件)が成功して②党政権が成立し、チェコスロヴァキア社会主義共和国となった。

    ①ベネシュ ②共産 ③議会制民主 ④マーシャル=プラン

  • 8

    仏第四共和政について、空所補充。 戦後の政治の主導権をめぐってドイツと戦ったレジスタンスの内部に、共和派と(①)党の対立が激しくなる中、(②)は共産党勢力が力を付けることを警戒し、臨時政府の首相となることを承認し、1945年11月に憲法制定国民議会で満場一致で臨時政府首相に指名された。臨時政府は経済再建と憲法制定に取り組んだが、②は最大の勢力となった①党と対立したため、1946年1月、辞任した。  その後に実施された総選挙(フランスで始めて婦人参政権を行使)では、①党、人民共和派(MRP、キリスト教系保守中道政党で反共を掲げる)、社会党が大きく議席を伸ばし、両党を含む連立内閣が成立した。

    ①共和 ②ド=ゴール

  • 9

    ★仏第四共和制憲法について、議会、大統領、内閣の3観点から200字程度で説明せよ。

    立法権は第一院の国民議会のみが持ち、第二院の共和国評議会は諮問機関とされた。大統領は、国民議会と共和国評議会の両院合同会議で選出され、任期7年であるが、その権限は第三共和政よりも小さく、対外的に国を代表するほか、実質的な権限は無かった。また、第三共和制下での政治の不安定を反省し、内閣の権限は強化され、総理大臣は大統領によって指名されるが議会の絶対過半数の信任が必要で、閣僚を任免する権限が認められた。(201字)

  • 10

    ★COMECONについて、その役割の変化にも注意して180字程度で説明せよ。 指定語句〔社会主義国家、マーシャル=プラン、スターリンの死後、多国間、五ヵ年計画〕

    COMECONは、米のマーシャル=プランに対抗し、1949年にソ連を中心とする社会主義国家間で設立された。当初はソ連による東欧諸国の経済統制の色彩が強かったが、スターリンの死後は、加盟国間の経済協力促進、多国間の国際分業、五ヵ年計画に基づく貿易調整へと役割を変化させた。しかし、ソ連経済の停滞や東欧諸国の改革進展により、機能不全に陥り、1991年に解体された。(180字)

  • 11

    ★ベルリン封鎖について、アメリカの対応に触れながら80字以内で説明せよ。

    東西冷戦のなか、1948年、西側の通貨改革に反発したソ連がベルリン封鎖を実施した。孤立した西ベルリンに対し、米は大空輸作戦で物資を投下し、危機を救った。(76字)

  • 12

    ブリュッセル条約について、空所補充。 第二次世界大戦後、軍事的なヨーロッパ諸国連合の必要を提唱したのは1946年9月の前イギリス首相チャーチルの演説であった。1948年2月に共産党による(①)が成功したことに衝撃を受けた(②)が主導し、共産圏の武力侵攻に対抗する目的と同時に、ドイツ軍国主義の復活を阻止する目的もあって結成されたものであった。ソ連は自国を仮想敵国とする防衛同盟が結成されたことに反発して、ドイツ統治の連合国管理委員会から代表を引き上げ、ドイツ統一問題の解決は遠のき、東西冷戦下での分裂の事態がはっきりした。  翌年、ソ連の軍事力の脅威が高まったとして、加盟5カ国は大西洋をはさんだアメリカとカナダに参加を呼びかけた。アメリカは戦前からの孤立主義の主張も強かったが、1948年6月にアメリカ議会が(③)によって孤立主義を廃棄し、ヨーロッパでの軍事同盟への加盟を認めたことによって道が開け、1949年4月4日、北大西洋条約が締結され(④)が創設されることになる。

    ①チェコスロバキアのクーデター ②チャーチル ③ヴァンデンバーク決議 ④NATO

  • 13

    NATOの成立について、空所補充。 アメリカの「封じ込め政策」が始まり、東西冷戦が深刻化する中、1948年2月、チェコスロヴァキアでクーデタが発生し、共産党政権が成立すると、それに衝撃を受けたイギリス(アトリー)は同1948年3月、フランスおよびベネルクス三国と(①)条約を結び、共同防衛をとることとした。6月にはアメリカ、イギリス、フランスの西側が占領地域である西ドイツの経済統合をめざして通貨改革を実行すると、ソ連はただちに(②)を強行し、対立は頂点に達した。  1949年1月には東側諸国は(③)を結成、ソ連の核開発が進み、またアジアでは国共内戦で共産党の優位が明らかになっていた。そのような情勢の中で、①条約加盟国は西側の防衛力強化に迫られ、アメリカに働きかけて、北大西洋でソ連圏を包囲する軍事同盟網を結成する構想が生まれた。1949年4月、西欧同盟諸国にアメリカ合衆国、カナダ、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、イタリア、ポルトガルが加わり、12ヵ国によって(④)条約を締結した。  1950年、アジアで朝鮮戦争が始まったことは、④条約加盟国に不安感を与え、より包括的かつ現実的な軍事同盟機構を設立しようという動きとなり、1952年に初代の事務局長が就任して条約に基づく④条約機構(NATO)が発足した。

    ①ブリュッセル(西ヨーロッパ連合) ②ベルリン封鎖 ③コメコン ④北大西洋

  • 14

    空所補充。 アメリカ・イギリス・フランスと西ドイツの西側諸国が締結した(①)に基づき、1955年5月5日に西ドイツが(②)を認められ、翌日、加盟すると、ソ連は強く反発して1955年5月14日、NATOに対抗する軍事機構として(③)を結成した。こうして冷戦期間中、NATO軍はソ連=③軍と対峙する抑止力として機能していく。

    ①パリ協定 ②再軍備 ③ワルシャワ条約機構

  • 15

    ★戦後から1960年代のユーゴスラビアについて、ソ連との関係や国際社会での立場に着目して、300字程度で説明せよ。 指定語句〔ティトー、スターリン、第三世界、フルシチョフ、ブレジネフ=ドクトリン〕

    第二次大戦後、ユーゴスラビアはパルチザンを率いたティトーのもと、社会主義国でありながらソ連とは一線を画した独自路線を進んだ。スターリン体制下のソ連と対立し、1948年にはコミンフォルムを追放された。スターリン死後、フルシチョフによる「平和共存」政策のもとでソ連との関係は一時的に改善されたが、ユーゴスラビアは依然として自立性を維持。1961年にはインドのネルーらと共に非同盟運動を提唱し、米ソいずれの陣営にも属さない第三世界のリーダーとして国際社会で独自の地位を確立した。1968年のチェコ事件に対するソ連のブレジネフ=ドクトリンにも強く反発し、その独立性が改めて示された。(287字)

  • 16

    ★マーシャル=プランは対象の欧諸国だけではなく、世界情勢や米経済に大きな影響をもたらした。その経過や結果について、220字程度で説明せよ。ただし、国名や地域名は漢字1文字で表記して良い。(アメリカ➡️米、ヨーロッパ➡️欧、等) 指定語句〔孤立主義外交、OEEC、「奇跡の復興」、東西陣営の対立、還流〕

    第二次大戦で疲弊した欧の復興のため、米は孤立主義外交を転換し、1947年にマーシャル=プランを発表。ソ側諸国は拒否したが、西側諸国はOEECを設立し受入。これにより西独などの「奇跡の復興」が実現した。援助は米製品購入に限定され、資金が米経済に還流する仕組みでもあった。この計画は、米の対ソ封じ込め政策の一環であり、結果として東西陣営の対立を決定的にし、冷戦構造を固定化した。欧州復興支援は米の経済安定にも寄与したが、世界を分断する結果となった。(222字)

  • 17

    ★2017年筑波大学改 第二次世界大戦後,世界はアメリカとソ連という二つの超大国を軸に,西側の資本主義陣営と東側の社会主義陣営に分断され,相互に激しく対立した。このいわゆる冷戦構造の成立期におけるヨーロッパの動向について,以下の語句を用いて350字以上400字以内で説明しなさい。 指定語句〔NATO、コメコン、ドイツ民主共和国、トルーマン=ドクトリン、マーシャル=プラン〕

    ヤルタ会談にしたがい戦後独とベルリンは東西に分断された。ソ連に解放された東南欧諸国と東独はソ連の衛星国となり社会主義政権が成立した。このような中、米は47年トルーマン=ドクトリンで封じ込め政策を展開し、土・ギリシアの共産化を防いだ。また47年マーシャル・プランの受け入れを表明したチェコでクーデタが発生し社会主義化した。その波及を嫌い48年米主導で西独が単独で通貨改革を実施した。反発したソ連は西ベルリンを封鎖した。このベルリン封鎖は49年に終了したが、49年東独はドイツ民主共和国、西独はドイツ連邦共和国として独立し、ドイツの分断が確定した。49年西側諸国は米の核の傘の下NATOを結成したのに対し、東南欧諸国はソ連とコメコンを結成し、55年にはワルシャワ条約機構によりソ連への依存を強めた。そして55年西独がNATOに加盟した結果、ヨーロッパはWTOとNATOの軍事同盟による分断がした。(396字)