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歴史 古田 記述
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    問題一覧

  • 1

    江戸時代の幕藩体制はなぜ主権国家では無かった?例も交えて説明してね

    主権が幕府や将軍、諸藩や大名にあったため、国民は、自分を日本人だという意識を持っておらず、例として、藩士は藩の幕臣だという意識はあっても、日本人だとは意識していなかった。

  • 2

    幕府が蝦夷地を直轄地にした流れは?国境についても

    幕末にロシアが蝦夷地に接近したことに対し、幕府が危機感を抱き、蝦夷地を直轄地にした。しかし、それだけだと幕府の認識のみで、国際的には認められていないため、日露和親条約を結び、択捉島以南を日本、樺太を日露共有として国境を画定、その後に樺太・千島交換条約を結んで千島までを日本とした。

  • 3

    なぜ日本は島津氏の侵攻後に琉球王国を形式的に独立王国として残していた?

    琉球王国は清との冊封関係にあり、朝貢貿易をしていたため、形式的に独立王国として残すことで清との貿易による利潤を得ようとしていたから。

  • 4

    冊封関係とは?

    東アジアにおける、中国を中心とした伝統的な国際関係。

  • 5

    冊封とは?

    中国皇帝が周辺諸国の王を任じること。

  • 6

    朝貢とは?

    貢物を持って使者を送り、中国の皇帝に臣従していることを示すこと。

  • 7

    冊封関係における藩属国のメリットは?

    政治において、自分が王であると示すことができる。 宗主国からの安全保障がある。 莫大な返礼が貰えるため、経済が潤う。

  • 8

    君臣関係とはどのようなものか?3つ

    支配、被支配の関係ではない, 内政、外交には原則不干渉, 独立を尊重、保障する

  • 9

    琉球王国の日本領内への取り込みの流れを説明せよ

    島津氏の侵攻により、形式的には独立王国だが、実質的には薩摩藩が支配していた。その後、1871年の廃藩置県により薩摩藩は鹿児島県となり、鹿児島県の管轄下に置かれた。 そして、1872年には王国の呼称を廃止し、琉球藩へ改称して政府の外務省の管轄になった。 さらに、1874年に内務省へ移管されたことで、日本の領土だという認識を公表し、外交や内政の権限を大幅に縮小させた。 1875年には冊封関係を廃止させ、1876年には警察権、裁判権を接収した。 1879年に琉球藩は廃止され、沖縄県を設置した。

  • 10

    日清修好条規が平等条約であることには、ある強い意味がある。それは何か

    朝鮮は清との冊封関係があるため、清と平等な日本も朝鮮より上の立場となることが出来る。

  • 11

    台湾出兵の流れは?

    琉球の漁民が台湾に漂着するが、台湾の現地住民により殺害された。その翌年、日本にその事件が報告され、日本政府が清朝と外交交渉をして、責任追及をした。それに対し清朝は、「現地住民は化外民であり、政教の及ばざる所である」と言い、責任を回避したことで、日本は出兵し、制圧。その後の外交交渉で日清互換条款を結び、清朝は日本の出兵を承認し、日本は撤兵した。

  • 12

    大院君政権樹立の流れを説明せよ

    第25代国王が死亡した後、後継がいなかったため、慣習により、王位関係者の指名となった。それにより代26代国王の高尚が即位したが、12歳だったため、その父が摂政として政治をすることとなった。また、大院君はその称号である。

  • 13

    大院君政権樹立後の対外関係について説明せよ。

    大前提として、清朝との冊封関係がある。 また、鎖国維持のために欧米の開国通商要求を拒絶したため、武力衝突になる。 1866年にはフランス艦隊、1871年にはアメリカ艦隊が来航、江華島への攻撃をしたがこれを撃退したことで、大院君政権はより強硬姿勢になり、これを日本にも向けることとなる。

  • 14

    日本において、新政府の成立から征韓論が唱えられるまでの流れを説明せよ

    新政府が成立した後、初めに幕末に停止してしまった交隣関係を復活させ、国交の回復を目指し、2度も使者に国書を送らせるものの、受け取りを拒否された。その後、廃藩置県により、対馬藩の対朝鮮通商権は外務省に移行され、日本は釜山の倭館を一方的に接収した。それに対し、朝鮮は「日本は無法の国」と表明し、交易を中止、退去要求をした。これを受けた日本は征観決議を行い、戦争のきっかけのための使節派遣が太政官の閣議決定がなされた。

  • 15

    なぜ朝鮮は日本からの国書の受け取りを拒否した?

    日本の近代化は欧米化であるから。, 国書中の字句(皇や勅)は宗主国から藩属国に対して使われる言葉だから。

  • 16

    なぜ朝鮮への施設派遣は中止になった?

    岩倉使節団が帰国後、征韓はまだ早く、内治優先にすべきと主張した。しかし、征韓はが優勢で、天皇に上奏することとなった。当時の2人の大臣の内、三条実美が倒れてしまったため、岩倉具視が上奏することとなり、岩倉は上奏の際に、自分は反対であると述べた。そのため、天皇はもう一度閣議をしろと命じ、使節派遣は延期になった。これは、天皇からの不審にんであるため、太政官は辞任し、参議のうち、内治派は残留、征韓派は追放となった。そして、再閣議で使節派遣は中止になった。

  • 17

    1874年の台湾出兵で、なぜ日本は朝鮮ではなく、台湾に出兵した?

    使節派遣の中止に対して、世論では政府への不満がでてきた。しかし、朝鮮に攻めると全面戦争になってしまうため、不満を和らげるために台湾へ出兵した。

  • 18

    閔妃政権になってから、江華島事件後までの流れを説明せよ

    閔妃政権は、それまでの強硬路線を緩和したが、国交再開交渉で日本との上下関係を認められないとして決裂。それに対し日本国内では征韓論が再熱し、政府への不満へと繋がった。それの解消のため、日本は軍艦を江華島付近へと不法侵入させて挑発し、江華島砲台と交戦の後、勝利した。その後の外交交渉では、江華島に軍艦を泊めたまま交渉することで軍事的威圧をして有利に進め、不平等条約を結ばせた。

  • 19

    朝鮮が開国したことで、経済面、社会面ではどのような問題が発生したか。

    朝鮮には安価なイギリス製の綿製品が大量に流入し、国内の手工業生産が圧迫、倒産が多発した。また、穀物が大量に流出することで国内の米価が高騰し、物価騰貴となり、生活を圧迫した。これらにより、民衆における不満は増大、反日感情へと繋がっていく。

  • 20

    朝鮮が開国したことで、政治面ではどのような影響があったか。

    開化派が勢力を拡大し、日本をモデルに近代化を推進していく。清は近代化に失敗していたため、日本に視察団を派遣して、軍制改革を行い、日本の軍事顧問による洋式軍隊ができた。

  • 21

    壬午事変の流れを説明せよ

    壬午事変は漢城から始まり、朝鮮の旧式軍の兵士に民衆も合流、参加をしたことで反日、反政府暴動へ変化。大院君の扇動などによりさらにエスカレートし、政権打倒の政変になった。クーデターは一時的に成功し、大院君政権となるが、日清両国の出兵、軍事介入により、大院君は清朝軍によって天津に拉致され、閔妃政権が復活した。

  • 22

    壬午事変において、なぜ日清両国は出兵したのか説明せよ

    日本は日本公使館が襲撃され、公使が帰国することとなったため。, 清は朝鮮の政権安定が宗主権の安定に繋がるため。

  • 23

    壬午事変における清朝は、何を狙っていた?

    宗主権の強化、拡大を狙っていた。

  • 24

    甲申事変の流れを説明せよ

    清仏戦争により、朝鮮駐留の清朝軍1500名が移動したことで、日本が独立党に武力援助をして、王宮を占拠、閔妃政権を打倒して独立党政権を成立させた。しかし、事大党の生き残りが清朝軍に出動要請をしたため、王宮は奪回され、閔妃政権が復活し、親清的かつ反日化した。

  • 25

    日本は甲申事変での責任を回避するために何をした?

    日本公使館を消失させ、日朝間での和議交渉にて、関与をうやむやにして、公使館消失の責任追及を行った。

  • 26

    日本が清朝の朝鮮での勢力拡大を抑えるためにとった行動は?

    日清関係の調整として伊藤博文と李鴻章により天津条約を結び、日清両軍の朝鮮からの撤退、朝鮮出兵の際は相互に事前通告することを決めた。これにより、日清関係は表面的には一時的に安定した。

  • 27

    天津条約後に清はどのように朝鮮での勢力拡大を行った?

    駐朝鮮総理として遠征外を派遣し、冊封関係関係では原則不干渉にも関わらず、内政、外交について強力に干渉した。

  • 28

    天津条約後、日本は朝鮮での勢力回復のために何を行った?

    日本国内で対清戦争準備として軍備を拡張し、第一回帝国議会で、首相の山県有朋の施政方針演説で、国民に今後の方針として「国家独立自衛の道」を発表。朝鮮を軍事力で確保することを表明した。

  • 29

    甲午農民戦争の背景は? 経済面、政治面の

    日本商人による経済活動の活発化。, 清朝への隷属化が進行していること。, 地方官吏による悪政。

  • 30

    甲午農民戦争の背景は? 商業面の

    開港場が内陸部へと拡大し、貿易量が増大したことで、穀物の輸出、衣料品の輸入も増大。それにより物価が高騰し、農民生活を圧迫したから。

  • 31

    甲午農民戦争〜甲午政変の流れは?

    当初は内政改革を要求する百姓一揆的なものだったが、閔妃政権が弾圧したことで革命運動化してしまう。自力で鎮圧が不可能となり、清朝に救援要請をしたことで、清朝は日本に通告して出兵。それに対し、日本も居留日本人の保護を名目に出兵した。農民軍は軍事介入を回避するために政府との間に全州和約を締結して鎮静化した。その後、閔妃政権は両国に撤兵要求をしたものの、清は日本も撤兵するなら撤兵すると言い、日本は内覧の再発防止を名目に撤兵を拒否した。そして日本は内政改革案を提示したものの、朝鮮は拒否し、改めて撤兵要求をした。対して日本はクーデターを起こし、王宮を占拠し閔妃政権を打倒、大院君をトップとした親日派政権を樹立した。

  • 32

    甲午政変後の親日派政権樹立から日清戦争開始までの流れを説明せよ 戦争の目的

    日本軍は清朝軍の軍事介入を阻止するために、親日派政権から清朝軍駆逐の依頼を獲得し、武力行使を正当化、先制奇襲攻撃を仕掛けたことで日清戦争が始まった。開戦は豊島沖海戦で、これは宣戦布告よりも前だった。宣戦布告での戦争目的は朝鮮の治安維持、独立擁護だと語ったが、本音は朝鮮の確保である。

  • 33

    日清戦争開戦後から戦争終結までの流れや戦況について説明せよ

    朝鮮政府は親日派政権であるため、大日本大朝鮮両国盟約を結んで、朝鮮と日本軍は全面的に協力することとなったが、朝鮮の民衆は元農民軍であり、反日的なため、日清戦争は日本の侵略であるとして、全州和約を破棄、日本軍との内乱が発生した。これを日本軍は弾圧した。 戦況は日本が優勢で、朝鮮半島では清朝軍を駆逐して、講和条約を有利にするために侵攻していた、遼東半島と山東半島、台湾と澎湖諸島では日本軍が上陸した。 日本の勝利で戦争終結し、駐日、駐清アメリカ大使の仲介で講和会議が行われ、下関条約を締結した。

  • 34

    下関条約の内容を説明せよ

    清朝は朝鮮の独立を承認する。, 台湾、澎湖諸島、遼東半島の割譲をする。, 賠償金を支払う。

  • 35

    日清戦争の賠償金は何に使われた?

    対露戦争準備の軍備拡張に使われた。

  • 36

    三国干渉によって遼東半島を変換したことで、国内ではどのような反応になった?

    対露感情が増大した。

  • 37

    藩属国が無くなったことで、何がもたらされた?

    冊封体制の消滅, 東アジア全体が主権国家体制に取り込まれる

  • 38

    日清戦争で清が敗北したことで、どうなった? また、それがもたらした影響は?

    清朝の国際的評価の急落, 清朝が欧米による侵略の対象になった

  • 39

    清朝の半植民地化の流れについて説明せよ

    清朝が日清戦費、賠償金によって財政的に破綻し、関税を担保に列強からの借款をした。そうすることで財政的に従属することとなり、領土面では、列強が要地を租借し、勢力範囲を設定することで、事実上中国が分割されることとなった。

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  • 1

    江戸時代の幕藩体制はなぜ主権国家では無かった?例も交えて説明してね

    主権が幕府や将軍、諸藩や大名にあったため、国民は、自分を日本人だという意識を持っておらず、例として、藩士は藩の幕臣だという意識はあっても、日本人だとは意識していなかった。

  • 2

    幕府が蝦夷地を直轄地にした流れは?国境についても

    幕末にロシアが蝦夷地に接近したことに対し、幕府が危機感を抱き、蝦夷地を直轄地にした。しかし、それだけだと幕府の認識のみで、国際的には認められていないため、日露和親条約を結び、択捉島以南を日本、樺太を日露共有として国境を画定、その後に樺太・千島交換条約を結んで千島までを日本とした。

  • 3

    なぜ日本は島津氏の侵攻後に琉球王国を形式的に独立王国として残していた?

    琉球王国は清との冊封関係にあり、朝貢貿易をしていたため、形式的に独立王国として残すことで清との貿易による利潤を得ようとしていたから。

  • 4

    冊封関係とは?

    東アジアにおける、中国を中心とした伝統的な国際関係。

  • 5

    冊封とは?

    中国皇帝が周辺諸国の王を任じること。

  • 6

    朝貢とは?

    貢物を持って使者を送り、中国の皇帝に臣従していることを示すこと。

  • 7

    冊封関係における藩属国のメリットは?

    政治において、自分が王であると示すことができる。 宗主国からの安全保障がある。 莫大な返礼が貰えるため、経済が潤う。

  • 8

    君臣関係とはどのようなものか?3つ

    支配、被支配の関係ではない, 内政、外交には原則不干渉, 独立を尊重、保障する

  • 9

    琉球王国の日本領内への取り込みの流れを説明せよ

    島津氏の侵攻により、形式的には独立王国だが、実質的には薩摩藩が支配していた。その後、1871年の廃藩置県により薩摩藩は鹿児島県となり、鹿児島県の管轄下に置かれた。 そして、1872年には王国の呼称を廃止し、琉球藩へ改称して政府の外務省の管轄になった。 さらに、1874年に内務省へ移管されたことで、日本の領土だという認識を公表し、外交や内政の権限を大幅に縮小させた。 1875年には冊封関係を廃止させ、1876年には警察権、裁判権を接収した。 1879年に琉球藩は廃止され、沖縄県を設置した。

  • 10

    日清修好条規が平等条約であることには、ある強い意味がある。それは何か

    朝鮮は清との冊封関係があるため、清と平等な日本も朝鮮より上の立場となることが出来る。

  • 11

    台湾出兵の流れは?

    琉球の漁民が台湾に漂着するが、台湾の現地住民により殺害された。その翌年、日本にその事件が報告され、日本政府が清朝と外交交渉をして、責任追及をした。それに対し清朝は、「現地住民は化外民であり、政教の及ばざる所である」と言い、責任を回避したことで、日本は出兵し、制圧。その後の外交交渉で日清互換条款を結び、清朝は日本の出兵を承認し、日本は撤兵した。

  • 12

    大院君政権樹立の流れを説明せよ

    第25代国王が死亡した後、後継がいなかったため、慣習により、王位関係者の指名となった。それにより代26代国王の高尚が即位したが、12歳だったため、その父が摂政として政治をすることとなった。また、大院君はその称号である。

  • 13

    大院君政権樹立後の対外関係について説明せよ。

    大前提として、清朝との冊封関係がある。 また、鎖国維持のために欧米の開国通商要求を拒絶したため、武力衝突になる。 1866年にはフランス艦隊、1871年にはアメリカ艦隊が来航、江華島への攻撃をしたがこれを撃退したことで、大院君政権はより強硬姿勢になり、これを日本にも向けることとなる。

  • 14

    日本において、新政府の成立から征韓論が唱えられるまでの流れを説明せよ

    新政府が成立した後、初めに幕末に停止してしまった交隣関係を復活させ、国交の回復を目指し、2度も使者に国書を送らせるものの、受け取りを拒否された。その後、廃藩置県により、対馬藩の対朝鮮通商権は外務省に移行され、日本は釜山の倭館を一方的に接収した。それに対し、朝鮮は「日本は無法の国」と表明し、交易を中止、退去要求をした。これを受けた日本は征観決議を行い、戦争のきっかけのための使節派遣が太政官の閣議決定がなされた。

  • 15

    なぜ朝鮮は日本からの国書の受け取りを拒否した?

    日本の近代化は欧米化であるから。, 国書中の字句(皇や勅)は宗主国から藩属国に対して使われる言葉だから。

  • 16

    なぜ朝鮮への施設派遣は中止になった?

    岩倉使節団が帰国後、征韓はまだ早く、内治優先にすべきと主張した。しかし、征韓はが優勢で、天皇に上奏することとなった。当時の2人の大臣の内、三条実美が倒れてしまったため、岩倉具視が上奏することとなり、岩倉は上奏の際に、自分は反対であると述べた。そのため、天皇はもう一度閣議をしろと命じ、使節派遣は延期になった。これは、天皇からの不審にんであるため、太政官は辞任し、参議のうち、内治派は残留、征韓派は追放となった。そして、再閣議で使節派遣は中止になった。

  • 17

    1874年の台湾出兵で、なぜ日本は朝鮮ではなく、台湾に出兵した?

    使節派遣の中止に対して、世論では政府への不満がでてきた。しかし、朝鮮に攻めると全面戦争になってしまうため、不満を和らげるために台湾へ出兵した。

  • 18

    閔妃政権になってから、江華島事件後までの流れを説明せよ

    閔妃政権は、それまでの強硬路線を緩和したが、国交再開交渉で日本との上下関係を認められないとして決裂。それに対し日本国内では征韓論が再熱し、政府への不満へと繋がった。それの解消のため、日本は軍艦を江華島付近へと不法侵入させて挑発し、江華島砲台と交戦の後、勝利した。その後の外交交渉では、江華島に軍艦を泊めたまま交渉することで軍事的威圧をして有利に進め、不平等条約を結ばせた。

  • 19

    朝鮮が開国したことで、経済面、社会面ではどのような問題が発生したか。

    朝鮮には安価なイギリス製の綿製品が大量に流入し、国内の手工業生産が圧迫、倒産が多発した。また、穀物が大量に流出することで国内の米価が高騰し、物価騰貴となり、生活を圧迫した。これらにより、民衆における不満は増大、反日感情へと繋がっていく。

  • 20

    朝鮮が開国したことで、政治面ではどのような影響があったか。

    開化派が勢力を拡大し、日本をモデルに近代化を推進していく。清は近代化に失敗していたため、日本に視察団を派遣して、軍制改革を行い、日本の軍事顧問による洋式軍隊ができた。

  • 21

    壬午事変の流れを説明せよ

    壬午事変は漢城から始まり、朝鮮の旧式軍の兵士に民衆も合流、参加をしたことで反日、反政府暴動へ変化。大院君の扇動などによりさらにエスカレートし、政権打倒の政変になった。クーデターは一時的に成功し、大院君政権となるが、日清両国の出兵、軍事介入により、大院君は清朝軍によって天津に拉致され、閔妃政権が復活した。

  • 22

    壬午事変において、なぜ日清両国は出兵したのか説明せよ

    日本は日本公使館が襲撃され、公使が帰国することとなったため。, 清は朝鮮の政権安定が宗主権の安定に繋がるため。

  • 23

    壬午事変における清朝は、何を狙っていた?

    宗主権の強化、拡大を狙っていた。

  • 24

    甲申事変の流れを説明せよ

    清仏戦争により、朝鮮駐留の清朝軍1500名が移動したことで、日本が独立党に武力援助をして、王宮を占拠、閔妃政権を打倒して独立党政権を成立させた。しかし、事大党の生き残りが清朝軍に出動要請をしたため、王宮は奪回され、閔妃政権が復活し、親清的かつ反日化した。

  • 25

    日本は甲申事変での責任を回避するために何をした?

    日本公使館を消失させ、日朝間での和議交渉にて、関与をうやむやにして、公使館消失の責任追及を行った。

  • 26

    日本が清朝の朝鮮での勢力拡大を抑えるためにとった行動は?

    日清関係の調整として伊藤博文と李鴻章により天津条約を結び、日清両軍の朝鮮からの撤退、朝鮮出兵の際は相互に事前通告することを決めた。これにより、日清関係は表面的には一時的に安定した。

  • 27

    天津条約後に清はどのように朝鮮での勢力拡大を行った?

    駐朝鮮総理として遠征外を派遣し、冊封関係関係では原則不干渉にも関わらず、内政、外交について強力に干渉した。

  • 28

    天津条約後、日本は朝鮮での勢力回復のために何を行った?

    日本国内で対清戦争準備として軍備を拡張し、第一回帝国議会で、首相の山県有朋の施政方針演説で、国民に今後の方針として「国家独立自衛の道」を発表。朝鮮を軍事力で確保することを表明した。

  • 29

    甲午農民戦争の背景は? 経済面、政治面の

    日本商人による経済活動の活発化。, 清朝への隷属化が進行していること。, 地方官吏による悪政。

  • 30

    甲午農民戦争の背景は? 商業面の

    開港場が内陸部へと拡大し、貿易量が増大したことで、穀物の輸出、衣料品の輸入も増大。それにより物価が高騰し、農民生活を圧迫したから。

  • 31

    甲午農民戦争〜甲午政変の流れは?

    当初は内政改革を要求する百姓一揆的なものだったが、閔妃政権が弾圧したことで革命運動化してしまう。自力で鎮圧が不可能となり、清朝に救援要請をしたことで、清朝は日本に通告して出兵。それに対し、日本も居留日本人の保護を名目に出兵した。農民軍は軍事介入を回避するために政府との間に全州和約を締結して鎮静化した。その後、閔妃政権は両国に撤兵要求をしたものの、清は日本も撤兵するなら撤兵すると言い、日本は内覧の再発防止を名目に撤兵を拒否した。そして日本は内政改革案を提示したものの、朝鮮は拒否し、改めて撤兵要求をした。対して日本はクーデターを起こし、王宮を占拠し閔妃政権を打倒、大院君をトップとした親日派政権を樹立した。

  • 32

    甲午政変後の親日派政権樹立から日清戦争開始までの流れを説明せよ 戦争の目的

    日本軍は清朝軍の軍事介入を阻止するために、親日派政権から清朝軍駆逐の依頼を獲得し、武力行使を正当化、先制奇襲攻撃を仕掛けたことで日清戦争が始まった。開戦は豊島沖海戦で、これは宣戦布告よりも前だった。宣戦布告での戦争目的は朝鮮の治安維持、独立擁護だと語ったが、本音は朝鮮の確保である。

  • 33

    日清戦争開戦後から戦争終結までの流れや戦況について説明せよ

    朝鮮政府は親日派政権であるため、大日本大朝鮮両国盟約を結んで、朝鮮と日本軍は全面的に協力することとなったが、朝鮮の民衆は元農民軍であり、反日的なため、日清戦争は日本の侵略であるとして、全州和約を破棄、日本軍との内乱が発生した。これを日本軍は弾圧した。 戦況は日本が優勢で、朝鮮半島では清朝軍を駆逐して、講和条約を有利にするために侵攻していた、遼東半島と山東半島、台湾と澎湖諸島では日本軍が上陸した。 日本の勝利で戦争終結し、駐日、駐清アメリカ大使の仲介で講和会議が行われ、下関条約を締結した。

  • 34

    下関条約の内容を説明せよ

    清朝は朝鮮の独立を承認する。, 台湾、澎湖諸島、遼東半島の割譲をする。, 賠償金を支払う。

  • 35

    日清戦争の賠償金は何に使われた?

    対露戦争準備の軍備拡張に使われた。

  • 36

    三国干渉によって遼東半島を変換したことで、国内ではどのような反応になった?

    対露感情が増大した。

  • 37

    藩属国が無くなったことで、何がもたらされた?

    冊封体制の消滅, 東アジア全体が主権国家体制に取り込まれる

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    日清戦争で清が敗北したことで、どうなった? また、それがもたらした影響は?

    清朝の国際的評価の急落, 清朝が欧米による侵略の対象になった

  • 39

    清朝の半植民地化の流れについて説明せよ

    清朝が日清戦費、賠償金によって財政的に破綻し、関税を担保に列強からの借款をした。そうすることで財政的に従属することとなり、領土面では、列強が要地を租借し、勢力範囲を設定することで、事実上中国が分割されることとなった。