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世界史 冷戦展開・雪どけ
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    問題一覧

  • 1

    空所補充。 第二次世界大戦の前後の時期に、ラテンアメリカの各国にアメリカと結んだ軍事政権が誕生した。キューバのバティスタ、ニカラグアのソモサなどがそれにあたる。また市民層が成長した地域では民族主義と経済発展を掲げて国民の人気を集め、独裁的な政治を執るポピュリズムと言われる形態が出現した。メキシコのカルデナス政権、ブラジルのヴァルガズ政権、アルゼンチンのペロン政権がそれにあたる。  東西冷戦期にはアメリカは共産主義勢力がラテンアメリカ地域に浸透することを警戒し、経済協力と集団安全保障体制を強めるとともに反米、反政府運動には軍隊を派遣して鎮圧に当たった。これらの戦後アメリカの(①)主義の路線によって、1947年9月にリオデジャネイロで締結された(②)(米州共同防衛条約)が成立、48年には米州機構((③))を発足させた。1947年には反米活動を妨害する大統領直属の諜報機関として中央情報局(CIA)を設置し、1954年にはグアテマラでアメリカ資本のユナイテッド=フルーツ社を接収したアルベンス政権をその謀略によって倒している。

    ①パン=アメリカ ②リオ協定 ③OAS

  • 2

    OASについて、空所補充。 参加国が侵略に対して共同防衛をはかる組織であるが、アメリカ合衆国がラテンアメリカ地域に大きな力を発揮する基盤となった。グアテマラ、(①)などの社会主義政権には除名などの措置を執った。1961年には、アメリカの(②)政権は、米州機構加盟国に対して進歩のための同盟を提唱、経済援助と民主化を支援するとしながら①の孤立化を図った。

    ①キューバ ②ケネディ

  • 3

    空所補充。 臨時政府首相を辞任した(①)は政界から引退したが、共産党の勢力拡大を恐れ、右派の結集を図って「フランス人民連合」(RPF)を結成し、その党首となって政界に復帰し、第四共和政に反対して大統領権限の強化を実現し、強いフランスの再生を主張して、支持を集めた。  この間、1950年に外相の(②)が提唱したヨーロッパ石炭鉄鋼共同体((③))が発足し、ヨーロッパの統合への動きではフランスは主導的な役割を担った。  しかし、内政での不安定に加え、フランス植民地の遺産であるインドシナと(④)で、戦後の民族意識の高まりとともに独立運動が開始された。インドシナ戦争と④戦争に対しては、国内の共産党、社会党などの独立容認の意見と、軍部や保守派など海外領土維持の主張がするどく対立し混乱が続いた。

    ①ド=ゴール ②シューマン ③ECSC ④アルジェリア

  • 4

    ★第二次世界大戦後の欧州統合の歩みについて、以下の語句を用いて120字以内で説明せよ。 指定語句〔シューマン ギリシア ユーロ〕

    仏独和解で戦争を防止するため、シューマン=プランに基づき6カ国がECSCを結成。のちECに発展して市場統合を実現した。70年代に英など3カ国、80年代にギリシアなど3カ国が加盟し、12カ国がマーストリヒト条約を結んでEUを結成し、統一通貨ユーロを導入した。(120字)

  • 5

    ★米国アイゼンハワー政権の外交政策とソ連の対応について、以下の語句を用いて120字以内で説明せよ。 パリ協定 ビキニ 雪どけ ICBM

    パリ協定で西独の再軍備、NATO加盟を認め、ビキニ水爆実験を実施。ソ連のフルシチョフ政権は、ワルシャワ条約機構の結成と東独の再軍備で西独に対抗した。(120字)

  • 6

    キューバ革命について、空所補充。 (①)は民族主義的な社会改革を目指し、まず農地改革法を制定、小作人の解放をはかった。多くのサトウキビ農園はアメリカ人地主のものだったので、アメリカは激しく反発、キューバ産の砂糖の輸入を制限するなど対抗策をとった。キューバはソ連に接近し、1960年2月に貿易援助協定を締結、社会主義路線への転換を明らかにし、アメリカ企業を接収して国有化を断行、1961年に1月には両国は外交関係を断絶した。  アメリカは1961年1月20日に(②)大統領が就任した直後の4月17日に中央情報局(CIA)が亡命キューバ人を扇動してキューバに上陸させ、反革命軍事行動をとらせたが、失敗した(ピッグス湾事件)。アメリカに不信感を強めた①はソ連に接近し、1961年5月1日に(③)を発表し、社会主義路線を採ることを明確にした。

    ①カストロ ②ケネディ ③キューバ社会主義宣言

  • 7

    空所補充。 冷戦下において、アジアにおいては1949年の(①)の成立に伴って緊張が高まり、翌1950年6月、朝鮮戦争が勃発、アメリカは国連軍という形を取りながら出動した。アメリカは共産主義の脅威に対しては武力行使も辞さない姿勢をとり続けたが、実際には中国に対する直接介入は避け、共産党の大陸支配を許し、朝鮮戦争では介入したがようやく共産勢力を北緯38度線で食い止めることで停戦した。これはトルーマン政権が東西冷戦下でヨーロッパにおけるソ連とにらみ合い続いていたために余裕がなかったためであるが、アジアでの共産勢力の台頭を危険視する反共主義者が民主党政権への批判を強める口実となった。1952年2月、共和党の(②)議員がアメリカのアジア外交の弱腰の原因は、国務省の中に共産党員がいるためだと告発したとき、アメリカ中が大騒ぎになり、マッカーシズムといわれる「(③)」の嵐が吹きまくることになった。②の告発は根拠のないものであったが、政府内部だけでなく、学会、芸能界でも次々と共産党員、あるいはそのシンパだと疑われるものが告発され、追放された。

    ①中華人民共和国 ②マッカーシー ③赤狩り

  • 8

    ★1940年代末から50年代にかけて、アメリカは軍事機構の結成や2ヶ国条約の締結で社会主義陣営を包囲した。これについて、100字程度で説明せよ。

    1940年代末から50年代、NATOで西欧を防衛。OASで米州を固め、中東ではバグダッド条約機構、アジアでは日米安全保障条約など2ヶ国条約やANZUS条約、SEATOを結び、地球規模の軍事封じ込め網を構築した。(105字)

  • 9

    空所補充。 マッカーシズムが猛威をふるう中で行われた大統領選挙で民主党は敗れ、共和党の(①)大統領が1953年1月に就任した。20年ぶりに復活した共和党政権は、まき返し政策として対ソ強硬策を打ち出したが、ソ連で(②)が死去するという変化が生じた。そのため、1953年7月27日には板門店での朝鮮休戦協定が成立した。アメリカ国内でもマッカーシーの根拠のない追究が批判されて1954年12月に上院がマッカーシー非難決議を可決して、ようやく沈静化した。  1956年には②批判が始まったことから平和共存の気運が出てきた。しかし、それは軍事力での対等と言うことを前提としていたため、米ソ両国はきわどい核兵器開発競争を展開した。この時期の平和共存とは、核戦力のバランスを取ることで平和を維持しようという、本質的平和とは程遠い「平和」であった。  平和共存時代のアメリカに大きな衝撃となったのが1957年8月のソ連の(③)実験成功、さらに同年10月のソ連の(④)打上成功であった。特に後者は、宇宙開発でソ連に後れを取ったことで“スプートニク・ショック”といわれる衝撃であった。  この軍拡競争は軍と産業界が結びついて巨大な利権を生むことが懸念されるようになり、(⑤)に大統領の座を譲ることになった①大統領が1961年に軍産複合体の巨大化に警告を発するほどになった。

    ①アイゼンハワー ②スターリン ③大陸間弾道ミサイル ④人工衛星 ⑤ケネディ

  • 10

    ★1950年代の、アメリカの共産主義あるいはその同調者に対する取り締まり運動について、40字程度で説明せよ。

    「赤狩り」として知られるマッカーシズムにより、共産主義者やその同調者を社会から排除した。(44字)

  • 11

    ★1930年~1950年頃におけるアメリカ国内の労働者の権利の変化について、60字以内で説明せよ。

    ワグナー法で団結権を保障、労働組合が強大化したが、戦後にストライキが頻発し、タフト・ハートレー法で組合活動を制限した。(59字)

  • 12

    ★冷戦下でのアメリカ経済や宇宙開発について、90字以内で説明せよ。 指定語句〔アイゼンハワー、NASA〕

    冷戦下で軍事費が増大、軍産複合体によりアメリカ経済は成長したが、軍事依存が高まりアイゼンハワーはその肥大化を警戒した。他方では宇宙開発競争からNASAを設立、宇宙産業も活性化した。(90字)

  • 13

    ★20世紀半ばのアメリカ大衆消費社会の発展について、60字以内で説明せよ。

    ホワイトカラー層の増加と郊外化が進展。スーパーマーケットの普及は大量消費を促し、メディアと広告が消費文化を形成した。(58字)

  • 14

    ケネディについて、空所補充。 1960年の大統領選挙で共和党(①)候補を破って民主党のケネディが当選、1961年1月20日に就任した。彼は史上最年少の43歳、(②)政策を掲げ、経済繁栄にかげりの見え始めたアメリカに活力を与えようとした。外交では(③)の構築や1962年10月22日のキューバ危機に直面したが、冷静に対処して乗り切り、国民の信望を勝ち得た。国内では黒人の(④)運動がキング牧師に指導されたワシントン大行進に見られるように高揚し、ケネディ政権も③法の制定準備を開始した。しかし、ケネディ時代にインドシナ情勢が悪化し、(⑤)戦争への危機が始まった。強硬姿勢を取り始めていたケネディであったが、1963年、南部を遊説中に暗殺され悲劇の大統領となった。

    ①ニクソン ②ニューフロンティア ③ベルリンの壁 ④公民権 ⑤ベトナム

  • 15

    「雪どけ」について空所補充。 1953年に(①)が死去すると、ソ連では外交政策の見直しが始ま った。ソ連は同年中に朝鮮戦争の休戦にこぎつけ、55年には(②)と和解した。56年2月、ソ連共産党第20回大会で(③)第一書記は、①時代の個人崇拝を批判し、旧反対派への大規模 な弾圧を暴露し、自由化の方向を打ち出した(①批判)。さらに、西側との平和共存を掲げ、(④)も解散した。この転換は「雪ど け」と呼ばれ、東欧諸国に衝撃を与えた。 1956年6月、ポーランドの(⑤)では、生活改善と民主化を要求する市民が軍と衝突した。同国の共産党は、党内改革派の(⑥)を指導 者に選出して経済改革により事態を収拾し、ソ連の軍事介入を防いだ。

    ①スターリン ②ユーゴスラヴィア ③フルシチョフ ④コミンフォルム ⑤ポズナニ ⑥ゴムウカ

  • 16

    「雪どけ」について、空所補充。 しかし、ハンガリーでは、同年10月に民主化とソ連圏からの離脱を求める大衆運動がおこり、首相の(①)もこれを支持すると、ソ連は軍事介入によってこの動きを鎮圧し、のちに①を処刑した。東欧諸国の自立化をおさえこむ一方で、フルシチョフは西側諸国との関係改善に力を注いだ。1955年に(②)と国交を結び、56年には(③)を出して、日本と国交を回復した。さらに59年に訪米し、(④)大統領と会談した。しかし、翌60年にソ連上空で合衆国の偵察機が撃墜される10 事件がおこると、東西関係は再び冷えこんだ。61年、東ドイツ政府が、市民の②側の離脱を阻止するため西ベルリンを囲むように築いた「(⑤)」は、東西対立の象徴となった。フルシチョフは、国内では経済改革を進め、言論統制を緩和したほか、社会主義の優位を示すため宇宙開発に力を入れた。1957年にソ連は15 大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発に成功し、その技術をもとに世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、61年には世界初の有人宇宙飛行にも成功した。

    ①ナジ ②西ドイツ ③日ソ共同宣言 ④アイゼンハワー ⑤ベルリンの壁

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  • 1

    空所補充。 第二次世界大戦の前後の時期に、ラテンアメリカの各国にアメリカと結んだ軍事政権が誕生した。キューバのバティスタ、ニカラグアのソモサなどがそれにあたる。また市民層が成長した地域では民族主義と経済発展を掲げて国民の人気を集め、独裁的な政治を執るポピュリズムと言われる形態が出現した。メキシコのカルデナス政権、ブラジルのヴァルガズ政権、アルゼンチンのペロン政権がそれにあたる。  東西冷戦期にはアメリカは共産主義勢力がラテンアメリカ地域に浸透することを警戒し、経済協力と集団安全保障体制を強めるとともに反米、反政府運動には軍隊を派遣して鎮圧に当たった。これらの戦後アメリカの(①)主義の路線によって、1947年9月にリオデジャネイロで締結された(②)(米州共同防衛条約)が成立、48年には米州機構((③))を発足させた。1947年には反米活動を妨害する大統領直属の諜報機関として中央情報局(CIA)を設置し、1954年にはグアテマラでアメリカ資本のユナイテッド=フルーツ社を接収したアルベンス政権をその謀略によって倒している。

    ①パン=アメリカ ②リオ協定 ③OAS

  • 2

    OASについて、空所補充。 参加国が侵略に対して共同防衛をはかる組織であるが、アメリカ合衆国がラテンアメリカ地域に大きな力を発揮する基盤となった。グアテマラ、(①)などの社会主義政権には除名などの措置を執った。1961年には、アメリカの(②)政権は、米州機構加盟国に対して進歩のための同盟を提唱、経済援助と民主化を支援するとしながら①の孤立化を図った。

    ①キューバ ②ケネディ

  • 3

    空所補充。 臨時政府首相を辞任した(①)は政界から引退したが、共産党の勢力拡大を恐れ、右派の結集を図って「フランス人民連合」(RPF)を結成し、その党首となって政界に復帰し、第四共和政に反対して大統領権限の強化を実現し、強いフランスの再生を主張して、支持を集めた。  この間、1950年に外相の(②)が提唱したヨーロッパ石炭鉄鋼共同体((③))が発足し、ヨーロッパの統合への動きではフランスは主導的な役割を担った。  しかし、内政での不安定に加え、フランス植民地の遺産であるインドシナと(④)で、戦後の民族意識の高まりとともに独立運動が開始された。インドシナ戦争と④戦争に対しては、国内の共産党、社会党などの独立容認の意見と、軍部や保守派など海外領土維持の主張がするどく対立し混乱が続いた。

    ①ド=ゴール ②シューマン ③ECSC ④アルジェリア

  • 4

    ★第二次世界大戦後の欧州統合の歩みについて、以下の語句を用いて120字以内で説明せよ。 指定語句〔シューマン ギリシア ユーロ〕

    仏独和解で戦争を防止するため、シューマン=プランに基づき6カ国がECSCを結成。のちECに発展して市場統合を実現した。70年代に英など3カ国、80年代にギリシアなど3カ国が加盟し、12カ国がマーストリヒト条約を結んでEUを結成し、統一通貨ユーロを導入した。(120字)

  • 5

    ★米国アイゼンハワー政権の外交政策とソ連の対応について、以下の語句を用いて120字以内で説明せよ。 パリ協定 ビキニ 雪どけ ICBM

    パリ協定で西独の再軍備、NATO加盟を認め、ビキニ水爆実験を実施。ソ連のフルシチョフ政権は、ワルシャワ条約機構の結成と東独の再軍備で西独に対抗した。(120字)

  • 6

    キューバ革命について、空所補充。 (①)は民族主義的な社会改革を目指し、まず農地改革法を制定、小作人の解放をはかった。多くのサトウキビ農園はアメリカ人地主のものだったので、アメリカは激しく反発、キューバ産の砂糖の輸入を制限するなど対抗策をとった。キューバはソ連に接近し、1960年2月に貿易援助協定を締結、社会主義路線への転換を明らかにし、アメリカ企業を接収して国有化を断行、1961年に1月には両国は外交関係を断絶した。  アメリカは1961年1月20日に(②)大統領が就任した直後の4月17日に中央情報局(CIA)が亡命キューバ人を扇動してキューバに上陸させ、反革命軍事行動をとらせたが、失敗した(ピッグス湾事件)。アメリカに不信感を強めた①はソ連に接近し、1961年5月1日に(③)を発表し、社会主義路線を採ることを明確にした。

    ①カストロ ②ケネディ ③キューバ社会主義宣言

  • 7

    空所補充。 冷戦下において、アジアにおいては1949年の(①)の成立に伴って緊張が高まり、翌1950年6月、朝鮮戦争が勃発、アメリカは国連軍という形を取りながら出動した。アメリカは共産主義の脅威に対しては武力行使も辞さない姿勢をとり続けたが、実際には中国に対する直接介入は避け、共産党の大陸支配を許し、朝鮮戦争では介入したがようやく共産勢力を北緯38度線で食い止めることで停戦した。これはトルーマン政権が東西冷戦下でヨーロッパにおけるソ連とにらみ合い続いていたために余裕がなかったためであるが、アジアでの共産勢力の台頭を危険視する反共主義者が民主党政権への批判を強める口実となった。1952年2月、共和党の(②)議員がアメリカのアジア外交の弱腰の原因は、国務省の中に共産党員がいるためだと告発したとき、アメリカ中が大騒ぎになり、マッカーシズムといわれる「(③)」の嵐が吹きまくることになった。②の告発は根拠のないものであったが、政府内部だけでなく、学会、芸能界でも次々と共産党員、あるいはそのシンパだと疑われるものが告発され、追放された。

    ①中華人民共和国 ②マッカーシー ③赤狩り

  • 8

    ★1940年代末から50年代にかけて、アメリカは軍事機構の結成や2ヶ国条約の締結で社会主義陣営を包囲した。これについて、100字程度で説明せよ。

    1940年代末から50年代、NATOで西欧を防衛。OASで米州を固め、中東ではバグダッド条約機構、アジアでは日米安全保障条約など2ヶ国条約やANZUS条約、SEATOを結び、地球規模の軍事封じ込め網を構築した。(105字)

  • 9

    空所補充。 マッカーシズムが猛威をふるう中で行われた大統領選挙で民主党は敗れ、共和党の(①)大統領が1953年1月に就任した。20年ぶりに復活した共和党政権は、まき返し政策として対ソ強硬策を打ち出したが、ソ連で(②)が死去するという変化が生じた。そのため、1953年7月27日には板門店での朝鮮休戦協定が成立した。アメリカ国内でもマッカーシーの根拠のない追究が批判されて1954年12月に上院がマッカーシー非難決議を可決して、ようやく沈静化した。  1956年には②批判が始まったことから平和共存の気運が出てきた。しかし、それは軍事力での対等と言うことを前提としていたため、米ソ両国はきわどい核兵器開発競争を展開した。この時期の平和共存とは、核戦力のバランスを取ることで平和を維持しようという、本質的平和とは程遠い「平和」であった。  平和共存時代のアメリカに大きな衝撃となったのが1957年8月のソ連の(③)実験成功、さらに同年10月のソ連の(④)打上成功であった。特に後者は、宇宙開発でソ連に後れを取ったことで“スプートニク・ショック”といわれる衝撃であった。  この軍拡競争は軍と産業界が結びついて巨大な利権を生むことが懸念されるようになり、(⑤)に大統領の座を譲ることになった①大統領が1961年に軍産複合体の巨大化に警告を発するほどになった。

    ①アイゼンハワー ②スターリン ③大陸間弾道ミサイル ④人工衛星 ⑤ケネディ

  • 10

    ★1950年代の、アメリカの共産主義あるいはその同調者に対する取り締まり運動について、40字程度で説明せよ。

    「赤狩り」として知られるマッカーシズムにより、共産主義者やその同調者を社会から排除した。(44字)

  • 11

    ★1930年~1950年頃におけるアメリカ国内の労働者の権利の変化について、60字以内で説明せよ。

    ワグナー法で団結権を保障、労働組合が強大化したが、戦後にストライキが頻発し、タフト・ハートレー法で組合活動を制限した。(59字)

  • 12

    ★冷戦下でのアメリカ経済や宇宙開発について、90字以内で説明せよ。 指定語句〔アイゼンハワー、NASA〕

    冷戦下で軍事費が増大、軍産複合体によりアメリカ経済は成長したが、軍事依存が高まりアイゼンハワーはその肥大化を警戒した。他方では宇宙開発競争からNASAを設立、宇宙産業も活性化した。(90字)

  • 13

    ★20世紀半ばのアメリカ大衆消費社会の発展について、60字以内で説明せよ。

    ホワイトカラー層の増加と郊外化が進展。スーパーマーケットの普及は大量消費を促し、メディアと広告が消費文化を形成した。(58字)

  • 14

    ケネディについて、空所補充。 1960年の大統領選挙で共和党(①)候補を破って民主党のケネディが当選、1961年1月20日に就任した。彼は史上最年少の43歳、(②)政策を掲げ、経済繁栄にかげりの見え始めたアメリカに活力を与えようとした。外交では(③)の構築や1962年10月22日のキューバ危機に直面したが、冷静に対処して乗り切り、国民の信望を勝ち得た。国内では黒人の(④)運動がキング牧師に指導されたワシントン大行進に見られるように高揚し、ケネディ政権も③法の制定準備を開始した。しかし、ケネディ時代にインドシナ情勢が悪化し、(⑤)戦争への危機が始まった。強硬姿勢を取り始めていたケネディであったが、1963年、南部を遊説中に暗殺され悲劇の大統領となった。

    ①ニクソン ②ニューフロンティア ③ベルリンの壁 ④公民権 ⑤ベトナム

  • 15

    「雪どけ」について空所補充。 1953年に(①)が死去すると、ソ連では外交政策の見直しが始ま った。ソ連は同年中に朝鮮戦争の休戦にこぎつけ、55年には(②)と和解した。56年2月、ソ連共産党第20回大会で(③)第一書記は、①時代の個人崇拝を批判し、旧反対派への大規模 な弾圧を暴露し、自由化の方向を打ち出した(①批判)。さらに、西側との平和共存を掲げ、(④)も解散した。この転換は「雪ど け」と呼ばれ、東欧諸国に衝撃を与えた。 1956年6月、ポーランドの(⑤)では、生活改善と民主化を要求する市民が軍と衝突した。同国の共産党は、党内改革派の(⑥)を指導 者に選出して経済改革により事態を収拾し、ソ連の軍事介入を防いだ。

    ①スターリン ②ユーゴスラヴィア ③フルシチョフ ④コミンフォルム ⑤ポズナニ ⑥ゴムウカ

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    「雪どけ」について、空所補充。 しかし、ハンガリーでは、同年10月に民主化とソ連圏からの離脱を求める大衆運動がおこり、首相の(①)もこれを支持すると、ソ連は軍事介入によってこの動きを鎮圧し、のちに①を処刑した。東欧諸国の自立化をおさえこむ一方で、フルシチョフは西側諸国との関係改善に力を注いだ。1955年に(②)と国交を結び、56年には(③)を出して、日本と国交を回復した。さらに59年に訪米し、(④)大統領と会談した。しかし、翌60年にソ連上空で合衆国の偵察機が撃墜される10 事件がおこると、東西関係は再び冷えこんだ。61年、東ドイツ政府が、市民の②側の離脱を阻止するため西ベルリンを囲むように築いた「(⑤)」は、東西対立の象徴となった。フルシチョフは、国内では経済改革を進め、言論統制を緩和したほか、社会主義の優位を示すため宇宙開発に力を入れた。1957年にソ連は15 大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発に成功し、その技術をもとに世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、61年には世界初の有人宇宙飛行にも成功した。

    ①ナジ ②西ドイツ ③日ソ共同宣言 ④アイゼンハワー ⑤ベルリンの壁