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世界史 第二次世界大戦
20問 • 8ヶ月前
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  • 1

    空所補充。 第二次世界大戦は1939年9月1日、ドイツ軍の(①)侵攻で始まり、イギリス・フランスもただちにドイツに対して宣戦布告をおこなった。とろが、ドイツ軍の①攻撃が続く間、イギリス・フランスは①を救援する軍事行動をとらず、ドイツの西側の防御線で静観を続けた。このような、依然として(②)政策を引きずっているようなイギリス・フランスの姿勢から、西部戦線は当初、奇妙な戦争といわれた。  ドイツ軍は1940年4月にデンマーク・(③)侵攻、さらに5月10日に(④)・ベルギーに侵攻し、両国を降服させた。イギリス・フランスの連合軍は後退し、5月から6月にかけて、ドーヴァー海峡に面したダンケルクからからくも撤退した。  6月5日にはついにフランスに向けて進撃を開始した。兵力的にはフランスがまさり、ドイツ国境に「(⑤)線」という防衛ラインを敷いていたが、ドイツ軍はそれを迂回してベルギーを通過したため、フランス軍は側面を破られ壊滅的な打撃を受けた。6月10日にはイタリアが英仏に対して宣戦布告し、南仏に侵入を開始した。早くも6月14日にはドイツ軍が(⑥)を占領、ついに6月22日に独仏休戦協定を締結しフランスは降伏した。  以後5年間、フランスは北部をドイツ軍に占領され、(⑦)に移った政府がドイツ軍と講和交渉を行い、抵抗を主張する(⑧)はロンドンに亡命し、(⑨)運動を支援することとなった。8月からドイツ軍はイギリスへの空爆を強化し、上陸作戦の実施を探ったが、イギリス空軍の反撃を受けて9月15日に上陸作戦を延期した。大西洋の海上では、ドイツ海軍は装備においてイギリスより数段劣勢だったので、多数の潜水艦((⑩通称))を建造して対抗し、イギリスの輸送船団に大きな損害を与えた。

    ①ポーランド ②宥和 ③ノルウェー ④オランダ ⑤マジノ ⑥パリ ⑦ヴィシー ⑧ド=ゴール ⑨レジスタンス ⑩Uボート

  • 2

    東欧、アジアでの戦争について、空所補充。 1939年8月にドイツのヒトラーは、スターリンのソ連との間で(①)条約を締結した上で、1939年9月1日、ポーランドに侵入、「電撃戦」を展開した。ほぼ同時の1939年9月17日にはソ連もポーランドに侵攻して東半分を制圧し、さらに(②北欧)・バルト三国などを併合した。イギリス・フランスは同盟関係にあるポーランドにドイツが侵攻したことから宣戦布告したが、すぐに援軍を派遣することなく、西ヨーロッパでは「(③)」といわれるにらみ合いが続いた。1939年12月には国際連盟はソ連=②戦争を理由に、ソ連を除名処分にした。この段階ではイギリス・フランスはドイツの動きだけでなくソ連の動きを強く警戒していたと思われる。  アジアでは日中戦争が継続しており、日本軍は満州国の防衛と広大な中国戦線の維持が困難になっていた。状況を打開するきっかけとして満州とモンゴルの国境で1939年5月に日中両軍が衝突して(④)事件が起こった。この実態としては戦争である衝突は、双方に大きな犠牲が生じたが、関東軍はソ連軍の機械化部隊に対する恐怖心が植え付けられた。④の衝突が休戦となったとほぼ同時の9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が開戦となり、ソ連軍もポーランドを東側から侵略する行動を起こした。ノモンハンでの日ソ戦争は第一次世界大戦直前のことで、その範疇には入らないが、日ソ両軍とも戦車や飛行機による大規模な機械化部隊による戦闘を経験したことにより、第二次世界大戦の前哨戦の意味があった

    ①独ソ不可侵 ②フィンランド ③奇妙な戦争 ④ノモンハン

  • 3

    西欧での戦争について、空所補充。 1940年、ドイツは西部方面でも侵攻を開始、(①)侵攻についでオランダ・ベルギーに侵攻し、フランスに迫った。この段階でムッソリーニ政権下のイタリアがドイツ側に参戦した。ドイツ軍は6月にパリに到達して1940年6月、フランスを降伏させ、フランスは(②)に親独政権が成立した。  イギリスでは5月に(③)首相に代わり積極的にドイツ軍と戦う姿勢を示したが、すでにフランスの北部のドイツ軍におさえられていたため1940年6月4日、(④)から撤退し、本土防衛に全力をあげることになった。ヒトラーは大陸を抑押さえたものの、ドーバーを越えることは困難とみて、イギリス本土への激しい空爆(バトルオブブリテン)を開始した。イギリスはチャーチルのもと激しい空爆に耐えてドイツ軍の上陸を許さなかった。  日中戦争では、日本軍は(⑤)の蔣介石政権を動揺させるため、1940年3月、蔣介石と対立していた(⑥)をに南京「国民政府」を樹立させて有利な講和を図り、⑤に対しては1940年5月から激しい⑤爆撃を加えた。しかし、援蔣ルートによって維持された蔣介石を屈服させることは出来なかった。  長期化する日中戦争を打開するため、日本軍はヨーロッパ戦線でのフランスの降伏に乗じ、1940年9月、(⑦)進駐を実行し、イギリス、アメリカとの対立が深まった。同1940年9月27日、日独伊三国同盟が結成され、日本はアメリカを仮想敵国とすることを明確にした。

    ①ノルウェー・デンマーク ②ヴィシー ③チャーチル ④ダンケルク ⑤重慶 ⑥汪兆銘 ⑦仏領インドシナ

  • 4

    独ソ戦と太平洋戦争について、空所補充。 アメリカは中立を維持していたがファシズムの強大化に危機感を抱き、1941年3月には(①)法を成立させ、イギリス支援を明確にした。同年4月、ヒトラーは方向を転じて、(②)侵攻を開始、さらに1941年6月22日に独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)して独ソ戦が始まった。  1941年8月9日、F=ローズヴェルトとチャーチルは(③)を発表して、ファシズム国家に対する戦いという戦争目的で一致し、戦後の国際平和機構の再建で合意した。アメリカは正式には参戦はしていなかったが、武器や軍需物資をイギリスだけでなくソ連にも供給し、事実上の参戦状態となっていた。  一方のアジアでは、日本は日中戦争の打開のため、(④)構想を打ち出し、1941年4月に日ソ中立条約を締結した上で、6月の独ソ戦勃発を受け、1941年7月、南部仏印進駐を実行、アメリカ・イギリスとの利害の対立は決定的になった。  4月から断続的に続けられた日米交渉も行きづまり、日本は対英米開戦を決定し、1941年12月8日に真珠湾攻撃を実行して太平洋戦争が始まった。同時に(⑤)占領を敢行した。これによってアメリカ合衆国の参戦の大義名分が与えられ、F=ルーズヴェルトは直ちに議会に参戦の提案を行い、可決された。ここに連合国陣営と枢軸国陣営による世界大戦に拡大した。  日本軍は東南アジアに急速に戦果を拡大、香港、マレー半島、マニラ、シンガポールを占領、さらにインドネシア・ビルマに侵攻し、占領地に軍政を敷いていった。

    ①武器貸与 ②バルカン ③大西洋憲章 ④大東亜共栄圏 ⑤イギリス領マレー半島

  • 5

    連合国の反撃について、空所補充。 1942年1月1日、連合国26ヵ国は連合国共同宣言を発表して、ヨーロッパにおけるドイツ・イタリアなど、アジアにおける日本のファシズム国家の枢軸国に対するこの戦争での、個別の講和を禁止するなど、態勢を整えた。ヨーロッパではドイツ軍がソ連の中枢、(①)・レニングラードに向かって進軍、太平洋では日本軍が広範囲に戦線を拡大していったが、次第の戦況は転換点を迎えつつあった。1942年6月、太平洋では(②)海戦でアメリカ海軍が勝利、日本海軍は太平洋での主導権を失い、戦局は大きく転換した。  ヨーロッパでは連合軍によるドイツ空爆が始まり、11月には連合軍がアフリカに上陸して反撃が開始された。ドイツ軍は1942年9月から(③)の戦いを開始したが、1943年2月2日、ついに包囲戦に失敗して降伏したことを期に東部戦線でも後退を始め、連合国側の態勢が整うに伴って不利な戦いを強いられることとなった。その前日の1943年2月1日には太平洋戦争で日本軍が(④)撤退を開始しており、ここが転換点となった。  反撃に転換した連合軍は、同年7月にイタリアの(⑤)島に上陸、イタリア国内ではムッソリーニ政権が倒れ1943年9月、バドリオ内閣が降伏を表明した。ドイツ軍はイタリアに進駐して9月にイタリア半島に上陸した連合軍を迎え撃ち、イタリアを南北に二分する激戦が続いたが、連合国側の勝利が濃厚になっていった。  1943年11月、連合国はチャーチル・フランクリン=ローズヴェルト・蔣介石の首脳部は(⑥)会談を行って対日戦争の戦後処理について協議し、さらに引き続いて蔣介石の代わりにスターリンが参加して(⑦)会談を開催してヨーロッパ戦線の終結をどう進めるか花知った。

    ①モスクワ ②ミッドウェー ③レニングラード ④ガダルカナル ⑤シチリア ⑥カイロ ⑦テヘラン

  • 6

    大戦終結について、空所補充。 1944年6月6日に連合国軍が(①)作戦を敢行、ドイツ軍は次第に追いつめられる。太平洋戦争では同1944年6月15日、(②)が陥落。アメリカ軍による日本本土爆撃が本格化した。ヨーロッパでは、連合軍は1944年8月25日に(③)を解放し、戦局は大きく転換した。  この間、連合国側では、(④)会議・ダンバートン=オークス会議が立て続けに開催され、戦後の国際社会の平和維持や経済協力についての態勢づくりが進んだ。それらを受けて1945年2月4日、連合国軍首脳は(⑤)会談でソ連の対日戦での参戦を決め、戦後処理で合意した。ドイツでは西から迫ったアメリカ・イギリス軍と東から迫ったソ連軍が4月25日には(⑥)川で邂逅し、米兵とソ連兵が握手し「⑥の誓い」と言われる不戦の誓いをした。  (⑦)はソ連軍が先着して包囲し、首相官邸地下壕にこもって抵抗を続けたが、1945年4月30日にヒトラーが自殺し、⑦は陥落して1945年5月8日に正式にドイツが無条件降伏してヨーロッパの戦争は終わった。  アジアでは日本軍の抵抗が続いたが、4~6月は沖縄戦、5月の東京大空襲と焦土化が進み、1945年7月、連合国は(⑧)会談で日本に無条件降伏を勧告。8月に広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦が続き、ついに1945年8月14日に日本は昭和天皇との御前会議で日本の無条件降伏(国民への発表は8月15日)して大戦は終結した。正式には1945年9月2日に、東京湾の戦艦ミズーリの艦上で、日本政府が連合国代表に対する降伏文書に署名したので、国際的にはその日が戦争の終結日とされている

    ①ノルマンディー上陸 ②サイパン ③パリ ④ブレトン=ウッズ ⑤ヤルタ ⑥エルベ ⑦ベルリン ⑧ポツダム

  • 7

    空所補充。 ヒトラーのドイツは同じくファシズム体制をとるイタリア・日本と接近、1936年7月にスペイン戦争が始まるとイタリアと共に(①)将軍を支援して介入を強め、1936年10月25日に(②)を形成した。さらに(③)協定を締結し、翌1937年11月にはイタリアが加わり日独伊防共協定となり、枢軸国の陣営を形成した。  ヒトラーは1938年3月についにオーストリア併合を成功させ、ドイツ民族の統一という当初の目標を達成し自信を深めた。さらにチェコスロヴァキアの(④)地方の割譲を要求したがチェコスロヴァキアの抵抗に遭い、イギリス・フランスのドイツ非難が強まっため、一時強硬策を収めて1938年9月、(⑤)会談に応じた。⑤会談でイギリス・フランスは宥和政策をとってドイツの要求を容認した。自信を深めたヒトラーは翌月④を併合、さらに(⑥)を解体した。

    ①フランコ ②ベルリン=ローマ枢軸 ③日独防共 ④ズデーテン ⑤ミュンヘン ⑥チェコスロバキア

  • 8

    空所補充。 ヒトラーは、このような英仏の動きに不信感をもったスターリンとの間に1939年8月、(①)を締結した上で、1939年9月1日にドイツ軍を(②)に侵攻させ、ついに第二次世界大戦が開始された。ナチス軍は電撃戦を成功させ、ワルシャワを制圧して①の西部を占領、ソ連は同時にポーランドの東部を占領して、両国で①を分割した。東部で大成功を収めたヒトラーは西部に矛先を向け、40年5月、デンマーク・ノルウェー侵攻を行い、さらにオランダ・ベルギー侵攻に続き、パリに入城してフランスを降伏させた。残るイギリスに対しては上陸作戦に踏み切らず、激しい空爆を続けたが、イギリスは(③)が首相となって抵抗を呼びかけ、屈服しなかった。一方、1940年9月に日独伊三国同盟を結成し、枢軸国の連携を強めた。

    ①独ソ不可侵条約 ②ポーランド ③チャーチル

  • 9

    ★1930 年代のドイツを中心とする国際関係について、以下の語句を用いて 150 字以内で説明しなさい。 指定語句〔スペイン内乱、ズデーテン、宥和政策、独ソ不可侵条約〕

    スペイン人民戦線政府にフランコが反乱。これを支援するヒトラーは、ベルリン・ローマ枢軸、日独防共協定でソ連に対抗し、ズデーテン地方の割譲をチェコに要求した。対独宥和政策を続ける英仏は、ミュンヘン会談でこれを認めた。チェコを解体したヒトラーは独ソ不可侵条約を結び、ポーランドに侵攻してこれを解体した。 (148 字)

  • 10

    ★1930 年代後半から日米開戦直前までの日米関係の展開について、以下の語句を用いて 120 字以内で説明しなさい。 指定語句〔盧溝橋事件、日独伊三国同盟、経済制裁、ハル=ノート〕

    盧溝橋事件を機に日中が全面戦争に突入すると、米は援蔣ルートを通じて蔣介石の国民政府を支援した。日本は仏領インドシナに進駐し、日独伊三国同盟を締結。米は石油の禁輸など対日経済制裁を発動、ハル=ノートで中国からの日本軍の全面撤退を求めた。 (117字)

  • 11

    ★太平洋戦争の開戦について、諸外国や日本の動きに注意して180字程度で説明せよ。 指定語句〔仏領インドシナ、日ソ中立条約、ABCD包囲陣、真珠湾〕

    1937年の日中戦争泥沼化を受け、日本は資源確保のため、1940年9月、北部仏領インドシナへ進駐。米国等はABCD包囲陣と呼ばれる在米日本資産凍結や石油禁輸などの経済制裁を強化し、日米関係は悪化した。日本は1941年4月に日ソ中立条約を締結し、北の脅威を排除して南進に備えたが、米国との外交交渉は難航。同年12月8日、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。(185字)

  • 12

    日本軍はバターン半島とマニラ湾入り口のコレヒドール島に立てこもった米軍とフィリピン軍を攻撃して降服させた。この時生じた多数の捕虜を、日本軍は炎天下、100kmにわたって移動させ多数の犠牲者を出した。この行軍これはなんと呼ばれるか。

    バターン死の行進

  • 13

    ★フランス国内で起きたレジスタンス運動について90字以内で説明せよ。

    ナチス=ドイツ占領下で抵抗運動が展開。フランス共産党が連合国の支援を受けながらド=ゴール将軍率いる自由仏と連携し、サボタージュやゲリラ活動で独軍に対抗、パリ解放にも貢献した。(87字)

  • 14

    1943年、アメリカ・イギリス・ソ連の三国外相会談で戦後の国際平和機構樹立に合意した。これはなんと呼ばれるか。

    モスクワ宣言

  • 15

    ★日本軍は、第二次世界大戦で、開戦から半年で東アジア全域勢力を拡大した。その勢力範囲や各地での政策について、220字程度で説明しなさい。 指定語句〔「大東亜共栄圏」、皇民化政策〕

    開戦後半年間で、日本は香港・マレー半島・シンガポール・オランダ領東インド・フィリピン・ビルマを支配した。また「大東亜共栄圏」をとなえ、各地に親日的な体制を設立させた。国内では開戦後、軍部の権力が強大になり、言論や報道がきびしく統制された。一方、すでに1930年代末から「創氏改名」などの皇民化政策が進められた朝鮮では、多数の労働者が強制的に日本本土に送られ、1943年には徴兵制も施行された。台湾でも皇民化政策が進められ、徴兵制もおこなわれた。(222字)

  • 16

    第二次世界大戦の末期、連合国の戦後処理構想の一環として、1944年8月から10月にかけて、アメリカのワシントン郊外、ダンバートン=オークスで開催された国際会議。首脳会談ではなく、大西洋憲章での英米首脳の合意、モスクワ宣言での三国外相の合意を受けた、国際連合憲章草案作成のための、国際法の専門の法律家による実務者会議である。この会議の名称を答えよ。

    ダンバートン=オークス会議

  • 17

    空所補充。 サンフランシスコ会議の会期は1945年4月25日から6月26日までの2ヶ月。この会議開催中の1945年5月7日に(①)は降伏したが、日本は日中戦争および太平洋戦争を継続しており、連合国と交戦中であった。サンフランシスコ会議最終日の1945年6月26日に加盟国が国際連合憲章に調印して国際連合の設立が決定された後、1945年7月に(②)会談を開催、そこで日本の無条件降伏の勧告がだされ、8月15日(正式な降伏文書調印は9月2日)に日本は受諾を国民に発表した。教科書ではサンフランシスコ会議は、戦後世界秩序の形成として説明されるので、日本の敗戦=大戦の終結の後に開かれたような錯覚をもってしまうが、開催されたのは1945年4月で、5月のドイツ降伏はその開催中、6月に国際連合憲章採択、7月の②宣言、8月の日本の敗戦よりも前であることに注意しよう。

    ①ドイツ ②ポツダム

  • 18

    ★国際連合憲章草案の作成について、関連する会議やその時の戦況に触れながら80字以内で説明せよ。

    連合国軍のノルマンディー上陸、サイパン島占領などにより戦局が連合国優位が明確になる中、ダンバートン=オークス会議で国際連合憲章草案が作成された。(72字)

  • 19

    ティトーについて、空所補充。  ティトーはチトーと表記されることも多い。Josip Broz Tito 1892-1980 本名をブローズといい、父はクロアティア人、母はスロヴァニア人を両親とするたたき上げの労働者で、ユーゴスラヴィア(①)党の指導者となり、第二次世界大戦では(②)を率いてドイツ軍や国内のファシスト勢力と戦い、勝利に導いた

    ①共産 ②パルチザン

  • 20

    空所補充。 第二次世界大戦が起きると、イギリスはインドを自動的に連合国側に参戦させ兵力の供給地とするために、戦後の独立を認めたが、ガンディーら(①)派は、帝国主義との戦いよりも、まず即時独立を認めよと迫った。ガンディーらはイギリスが即時独立を認めないならば、イギリスには協力できないとして1942年8月8日、「インドを立ち去れ」(クィット=インディア)運動を開始したが、イギリスはガンディーらを逮捕し、運動を弾圧した。なお、インドの一部には(②)のように、日本軍に協力してイギリスを追い出す戦いに立ち上がり、日本軍とともにイギリス軍と戦った人々もいた。

    ①国民議会 ②チャンドラ=ボース

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    ①ポーランド ②宥和 ③ノルウェー ④オランダ ⑤マジノ ⑥パリ ⑦ヴィシー ⑧ド=ゴール ⑨レジスタンス ⑩Uボート

  • 2

    東欧、アジアでの戦争について、空所補充。 1939年8月にドイツのヒトラーは、スターリンのソ連との間で(①)条約を締結した上で、1939年9月1日、ポーランドに侵入、「電撃戦」を展開した。ほぼ同時の1939年9月17日にはソ連もポーランドに侵攻して東半分を制圧し、さらに(②北欧)・バルト三国などを併合した。イギリス・フランスは同盟関係にあるポーランドにドイツが侵攻したことから宣戦布告したが、すぐに援軍を派遣することなく、西ヨーロッパでは「(③)」といわれるにらみ合いが続いた。1939年12月には国際連盟はソ連=②戦争を理由に、ソ連を除名処分にした。この段階ではイギリス・フランスはドイツの動きだけでなくソ連の動きを強く警戒していたと思われる。  アジアでは日中戦争が継続しており、日本軍は満州国の防衛と広大な中国戦線の維持が困難になっていた。状況を打開するきっかけとして満州とモンゴルの国境で1939年5月に日中両軍が衝突して(④)事件が起こった。この実態としては戦争である衝突は、双方に大きな犠牲が生じたが、関東軍はソ連軍の機械化部隊に対する恐怖心が植え付けられた。④の衝突が休戦となったとほぼ同時の9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が開戦となり、ソ連軍もポーランドを東側から侵略する行動を起こした。ノモンハンでの日ソ戦争は第一次世界大戦直前のことで、その範疇には入らないが、日ソ両軍とも戦車や飛行機による大規模な機械化部隊による戦闘を経験したことにより、第二次世界大戦の前哨戦の意味があった

    ①独ソ不可侵 ②フィンランド ③奇妙な戦争 ④ノモンハン

  • 3

    西欧での戦争について、空所補充。 1940年、ドイツは西部方面でも侵攻を開始、(①)侵攻についでオランダ・ベルギーに侵攻し、フランスに迫った。この段階でムッソリーニ政権下のイタリアがドイツ側に参戦した。ドイツ軍は6月にパリに到達して1940年6月、フランスを降伏させ、フランスは(②)に親独政権が成立した。  イギリスでは5月に(③)首相に代わり積極的にドイツ軍と戦う姿勢を示したが、すでにフランスの北部のドイツ軍におさえられていたため1940年6月4日、(④)から撤退し、本土防衛に全力をあげることになった。ヒトラーは大陸を抑押さえたものの、ドーバーを越えることは困難とみて、イギリス本土への激しい空爆(バトルオブブリテン)を開始した。イギリスはチャーチルのもと激しい空爆に耐えてドイツ軍の上陸を許さなかった。  日中戦争では、日本軍は(⑤)の蔣介石政権を動揺させるため、1940年3月、蔣介石と対立していた(⑥)をに南京「国民政府」を樹立させて有利な講和を図り、⑤に対しては1940年5月から激しい⑤爆撃を加えた。しかし、援蔣ルートによって維持された蔣介石を屈服させることは出来なかった。  長期化する日中戦争を打開するため、日本軍はヨーロッパ戦線でのフランスの降伏に乗じ、1940年9月、(⑦)進駐を実行し、イギリス、アメリカとの対立が深まった。同1940年9月27日、日独伊三国同盟が結成され、日本はアメリカを仮想敵国とすることを明確にした。

    ①ノルウェー・デンマーク ②ヴィシー ③チャーチル ④ダンケルク ⑤重慶 ⑥汪兆銘 ⑦仏領インドシナ

  • 4

    独ソ戦と太平洋戦争について、空所補充。 アメリカは中立を維持していたがファシズムの強大化に危機感を抱き、1941年3月には(①)法を成立させ、イギリス支援を明確にした。同年4月、ヒトラーは方向を転じて、(②)侵攻を開始、さらに1941年6月22日に独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)して独ソ戦が始まった。  1941年8月9日、F=ローズヴェルトとチャーチルは(③)を発表して、ファシズム国家に対する戦いという戦争目的で一致し、戦後の国際平和機構の再建で合意した。アメリカは正式には参戦はしていなかったが、武器や軍需物資をイギリスだけでなくソ連にも供給し、事実上の参戦状態となっていた。  一方のアジアでは、日本は日中戦争の打開のため、(④)構想を打ち出し、1941年4月に日ソ中立条約を締結した上で、6月の独ソ戦勃発を受け、1941年7月、南部仏印進駐を実行、アメリカ・イギリスとの利害の対立は決定的になった。  4月から断続的に続けられた日米交渉も行きづまり、日本は対英米開戦を決定し、1941年12月8日に真珠湾攻撃を実行して太平洋戦争が始まった。同時に(⑤)占領を敢行した。これによってアメリカ合衆国の参戦の大義名分が与えられ、F=ルーズヴェルトは直ちに議会に参戦の提案を行い、可決された。ここに連合国陣営と枢軸国陣営による世界大戦に拡大した。  日本軍は東南アジアに急速に戦果を拡大、香港、マレー半島、マニラ、シンガポールを占領、さらにインドネシア・ビルマに侵攻し、占領地に軍政を敷いていった。

    ①武器貸与 ②バルカン ③大西洋憲章 ④大東亜共栄圏 ⑤イギリス領マレー半島

  • 5

    連合国の反撃について、空所補充。 1942年1月1日、連合国26ヵ国は連合国共同宣言を発表して、ヨーロッパにおけるドイツ・イタリアなど、アジアにおける日本のファシズム国家の枢軸国に対するこの戦争での、個別の講和を禁止するなど、態勢を整えた。ヨーロッパではドイツ軍がソ連の中枢、(①)・レニングラードに向かって進軍、太平洋では日本軍が広範囲に戦線を拡大していったが、次第の戦況は転換点を迎えつつあった。1942年6月、太平洋では(②)海戦でアメリカ海軍が勝利、日本海軍は太平洋での主導権を失い、戦局は大きく転換した。  ヨーロッパでは連合軍によるドイツ空爆が始まり、11月には連合軍がアフリカに上陸して反撃が開始された。ドイツ軍は1942年9月から(③)の戦いを開始したが、1943年2月2日、ついに包囲戦に失敗して降伏したことを期に東部戦線でも後退を始め、連合国側の態勢が整うに伴って不利な戦いを強いられることとなった。その前日の1943年2月1日には太平洋戦争で日本軍が(④)撤退を開始しており、ここが転換点となった。  反撃に転換した連合軍は、同年7月にイタリアの(⑤)島に上陸、イタリア国内ではムッソリーニ政権が倒れ1943年9月、バドリオ内閣が降伏を表明した。ドイツ軍はイタリアに進駐して9月にイタリア半島に上陸した連合軍を迎え撃ち、イタリアを南北に二分する激戦が続いたが、連合国側の勝利が濃厚になっていった。  1943年11月、連合国はチャーチル・フランクリン=ローズヴェルト・蔣介石の首脳部は(⑥)会談を行って対日戦争の戦後処理について協議し、さらに引き続いて蔣介石の代わりにスターリンが参加して(⑦)会談を開催してヨーロッパ戦線の終結をどう進めるか花知った。

    ①モスクワ ②ミッドウェー ③レニングラード ④ガダルカナル ⑤シチリア ⑥カイロ ⑦テヘラン

  • 6

    大戦終結について、空所補充。 1944年6月6日に連合国軍が(①)作戦を敢行、ドイツ軍は次第に追いつめられる。太平洋戦争では同1944年6月15日、(②)が陥落。アメリカ軍による日本本土爆撃が本格化した。ヨーロッパでは、連合軍は1944年8月25日に(③)を解放し、戦局は大きく転換した。  この間、連合国側では、(④)会議・ダンバートン=オークス会議が立て続けに開催され、戦後の国際社会の平和維持や経済協力についての態勢づくりが進んだ。それらを受けて1945年2月4日、連合国軍首脳は(⑤)会談でソ連の対日戦での参戦を決め、戦後処理で合意した。ドイツでは西から迫ったアメリカ・イギリス軍と東から迫ったソ連軍が4月25日には(⑥)川で邂逅し、米兵とソ連兵が握手し「⑥の誓い」と言われる不戦の誓いをした。  (⑦)はソ連軍が先着して包囲し、首相官邸地下壕にこもって抵抗を続けたが、1945年4月30日にヒトラーが自殺し、⑦は陥落して1945年5月8日に正式にドイツが無条件降伏してヨーロッパの戦争は終わった。  アジアでは日本軍の抵抗が続いたが、4~6月は沖縄戦、5月の東京大空襲と焦土化が進み、1945年7月、連合国は(⑧)会談で日本に無条件降伏を勧告。8月に広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦が続き、ついに1945年8月14日に日本は昭和天皇との御前会議で日本の無条件降伏(国民への発表は8月15日)して大戦は終結した。正式には1945年9月2日に、東京湾の戦艦ミズーリの艦上で、日本政府が連合国代表に対する降伏文書に署名したので、国際的にはその日が戦争の終結日とされている

    ①ノルマンディー上陸 ②サイパン ③パリ ④ブレトン=ウッズ ⑤ヤルタ ⑥エルベ ⑦ベルリン ⑧ポツダム

  • 7

    空所補充。 ヒトラーのドイツは同じくファシズム体制をとるイタリア・日本と接近、1936年7月にスペイン戦争が始まるとイタリアと共に(①)将軍を支援して介入を強め、1936年10月25日に(②)を形成した。さらに(③)協定を締結し、翌1937年11月にはイタリアが加わり日独伊防共協定となり、枢軸国の陣営を形成した。  ヒトラーは1938年3月についにオーストリア併合を成功させ、ドイツ民族の統一という当初の目標を達成し自信を深めた。さらにチェコスロヴァキアの(④)地方の割譲を要求したがチェコスロヴァキアの抵抗に遭い、イギリス・フランスのドイツ非難が強まっため、一時強硬策を収めて1938年9月、(⑤)会談に応じた。⑤会談でイギリス・フランスは宥和政策をとってドイツの要求を容認した。自信を深めたヒトラーは翌月④を併合、さらに(⑥)を解体した。

    ①フランコ ②ベルリン=ローマ枢軸 ③日独防共 ④ズデーテン ⑤ミュンヘン ⑥チェコスロバキア

  • 8

    空所補充。 ヒトラーは、このような英仏の動きに不信感をもったスターリンとの間に1939年8月、(①)を締結した上で、1939年9月1日にドイツ軍を(②)に侵攻させ、ついに第二次世界大戦が開始された。ナチス軍は電撃戦を成功させ、ワルシャワを制圧して①の西部を占領、ソ連は同時にポーランドの東部を占領して、両国で①を分割した。東部で大成功を収めたヒトラーは西部に矛先を向け、40年5月、デンマーク・ノルウェー侵攻を行い、さらにオランダ・ベルギー侵攻に続き、パリに入城してフランスを降伏させた。残るイギリスに対しては上陸作戦に踏み切らず、激しい空爆を続けたが、イギリスは(③)が首相となって抵抗を呼びかけ、屈服しなかった。一方、1940年9月に日独伊三国同盟を結成し、枢軸国の連携を強めた。

    ①独ソ不可侵条約 ②ポーランド ③チャーチル

  • 9

    ★1930 年代のドイツを中心とする国際関係について、以下の語句を用いて 150 字以内で説明しなさい。 指定語句〔スペイン内乱、ズデーテン、宥和政策、独ソ不可侵条約〕

    スペイン人民戦線政府にフランコが反乱。これを支援するヒトラーは、ベルリン・ローマ枢軸、日独防共協定でソ連に対抗し、ズデーテン地方の割譲をチェコに要求した。対独宥和政策を続ける英仏は、ミュンヘン会談でこれを認めた。チェコを解体したヒトラーは独ソ不可侵条約を結び、ポーランドに侵攻してこれを解体した。 (148 字)

  • 10

    ★1930 年代後半から日米開戦直前までの日米関係の展開について、以下の語句を用いて 120 字以内で説明しなさい。 指定語句〔盧溝橋事件、日独伊三国同盟、経済制裁、ハル=ノート〕

    盧溝橋事件を機に日中が全面戦争に突入すると、米は援蔣ルートを通じて蔣介石の国民政府を支援した。日本は仏領インドシナに進駐し、日独伊三国同盟を締結。米は石油の禁輸など対日経済制裁を発動、ハル=ノートで中国からの日本軍の全面撤退を求めた。 (117字)

  • 11

    ★太平洋戦争の開戦について、諸外国や日本の動きに注意して180字程度で説明せよ。 指定語句〔仏領インドシナ、日ソ中立条約、ABCD包囲陣、真珠湾〕

    1937年の日中戦争泥沼化を受け、日本は資源確保のため、1940年9月、北部仏領インドシナへ進駐。米国等はABCD包囲陣と呼ばれる在米日本資産凍結や石油禁輸などの経済制裁を強化し、日米関係は悪化した。日本は1941年4月に日ソ中立条約を締結し、北の脅威を排除して南進に備えたが、米国との外交交渉は難航。同年12月8日、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。(185字)

  • 12

    日本軍はバターン半島とマニラ湾入り口のコレヒドール島に立てこもった米軍とフィリピン軍を攻撃して降服させた。この時生じた多数の捕虜を、日本軍は炎天下、100kmにわたって移動させ多数の犠牲者を出した。この行軍これはなんと呼ばれるか。

    バターン死の行進

  • 13

    ★フランス国内で起きたレジスタンス運動について90字以内で説明せよ。

    ナチス=ドイツ占領下で抵抗運動が展開。フランス共産党が連合国の支援を受けながらド=ゴール将軍率いる自由仏と連携し、サボタージュやゲリラ活動で独軍に対抗、パリ解放にも貢献した。(87字)

  • 14

    1943年、アメリカ・イギリス・ソ連の三国外相会談で戦後の国際平和機構樹立に合意した。これはなんと呼ばれるか。

    モスクワ宣言

  • 15

    ★日本軍は、第二次世界大戦で、開戦から半年で東アジア全域勢力を拡大した。その勢力範囲や各地での政策について、220字程度で説明しなさい。 指定語句〔「大東亜共栄圏」、皇民化政策〕

    開戦後半年間で、日本は香港・マレー半島・シンガポール・オランダ領東インド・フィリピン・ビルマを支配した。また「大東亜共栄圏」をとなえ、各地に親日的な体制を設立させた。国内では開戦後、軍部の権力が強大になり、言論や報道がきびしく統制された。一方、すでに1930年代末から「創氏改名」などの皇民化政策が進められた朝鮮では、多数の労働者が強制的に日本本土に送られ、1943年には徴兵制も施行された。台湾でも皇民化政策が進められ、徴兵制もおこなわれた。(222字)

  • 16

    第二次世界大戦の末期、連合国の戦後処理構想の一環として、1944年8月から10月にかけて、アメリカのワシントン郊外、ダンバートン=オークスで開催された国際会議。首脳会談ではなく、大西洋憲章での英米首脳の合意、モスクワ宣言での三国外相の合意を受けた、国際連合憲章草案作成のための、国際法の専門の法律家による実務者会議である。この会議の名称を答えよ。

    ダンバートン=オークス会議

  • 17

    空所補充。 サンフランシスコ会議の会期は1945年4月25日から6月26日までの2ヶ月。この会議開催中の1945年5月7日に(①)は降伏したが、日本は日中戦争および太平洋戦争を継続しており、連合国と交戦中であった。サンフランシスコ会議最終日の1945年6月26日に加盟国が国際連合憲章に調印して国際連合の設立が決定された後、1945年7月に(②)会談を開催、そこで日本の無条件降伏の勧告がだされ、8月15日(正式な降伏文書調印は9月2日)に日本は受諾を国民に発表した。教科書ではサンフランシスコ会議は、戦後世界秩序の形成として説明されるので、日本の敗戦=大戦の終結の後に開かれたような錯覚をもってしまうが、開催されたのは1945年4月で、5月のドイツ降伏はその開催中、6月に国際連合憲章採択、7月の②宣言、8月の日本の敗戦よりも前であることに注意しよう。

    ①ドイツ ②ポツダム

  • 18

    ★国際連合憲章草案の作成について、関連する会議やその時の戦況に触れながら80字以内で説明せよ。

    連合国軍のノルマンディー上陸、サイパン島占領などにより戦局が連合国優位が明確になる中、ダンバートン=オークス会議で国際連合憲章草案が作成された。(72字)

  • 19

    ティトーについて、空所補充。  ティトーはチトーと表記されることも多い。Josip Broz Tito 1892-1980 本名をブローズといい、父はクロアティア人、母はスロヴァニア人を両親とするたたき上げの労働者で、ユーゴスラヴィア(①)党の指導者となり、第二次世界大戦では(②)を率いてドイツ軍や国内のファシスト勢力と戦い、勝利に導いた

    ①共産 ②パルチザン

  • 20

    空所補充。 第二次世界大戦が起きると、イギリスはインドを自動的に連合国側に参戦させ兵力の供給地とするために、戦後の独立を認めたが、ガンディーら(①)派は、帝国主義との戦いよりも、まず即時独立を認めよと迫った。ガンディーらはイギリスが即時独立を認めないならば、イギリスには協力できないとして1942年8月8日、「インドを立ち去れ」(クィット=インディア)運動を開始したが、イギリスはガンディーらを逮捕し、運動を弾圧した。なお、インドの一部には(②)のように、日本軍に協力してイギリスを追い出す戦いに立ち上がり、日本軍とともにイギリス軍と戦った人々もいた。

    ①国民議会 ②チャンドラ=ボース