平氏は、一ノ谷や屋島の戦いで敗れ、1185年、( )でほろほされた。壇ノ浦
源頼朝の弟の( )は、壇ノ浦の戦いで平氏を減したが、のちに頼朝と対立し、逃亡の後に自害した源義経
1185年、頼朝は国ごとに(①),荘園や公領ごとに(②)を置くことを朝廷に認めさせた。守護、地頭
源頼朝は、本格的な武士の政権である( )を開いた。鎌倉幕府
将軍と、将軍の配下の武士である( )は、土地を仲立ちとした主従関係によって結ばれていた。御家人
将軍が、御家人の先祖伝来の領地を保護することを( )という。御恩
御家人は将軍に忠誠をちかい、命がけで戦いに参加する( )を行った。奉公
幕府は開かれたが、朝廷は地方の( )を任命し続けた。国司
源氏の将軍が3代で絶えたのち、執権の地位を独占して勢力をのばしたのは何氏か。北条氏
1221年、朝廷の勢力の回復をはかって挙兵したのはだれか。後鳥羽上皇
後鳥羽上皇の呼びかけによって主に西国の武士が挙兵したものの、幕府方に敗れたできごとを何というか。承久の乱
承久の乱の戦乱の際、頼朝の恩を説くことで幕府の結束力を高めた「尼軍」とも呼ばれる人物はだれか北条政子
承久の乱ののち、幕府が京都に設置し、朝廷の監視や西国の武士の統制にあたらせた役所を何というか。六波羅探題
武士社会の慣習や裁判例などをもとに、1232年に成敗式目を制定した執権はだれか北条泰時
武士の一族は,( )が中心となって子や兄弟を統率し、強く団結した。惣領
武士は、戦いに備えて、馬や( )などの訓練にはげんだ弓矢
( )は土地や農民を勝手に支配しようとしたので、荘園領主との紛争が度々おこった。地頭
地頭は荘園の土地の半分をあたえられたり、( )の納入を請け負うようになったりした。年貢
農業では、耕作に牛馬が利用され、草や木の灰が( )として使用されるようになった。肥料
米の裏作に麦をつくる( )が西日本で広まった二毛作
寺社の門前や交通の要地では、月に3回( )が開かれるようになった。定期市
法然は( )を開き、一心に念仏を唱えれば、だれでも極楽浄土に往生できると説いた。浄土宗
法然の弟子の( )は、教えをさらに進めて、悪人こそ救われると説き、浄土真宗を開いた。親鸞
日蓮は、題目を唱えれば人も国家も救われると説いて、( )を開いた。日蓮宗
宋にわたった栄西や道元によって、座禅によって自分の力でさとりを開くことを重視する( )が伝えられた。禅宗
藤原定家らが編集した「( )」には、定家や西行の歌がおさめられている新古今和歌集
吉田兼好は、随筆「( )」で、素朴でいきいきとした民楽の姿を描き出した。徒然草
( )は、人間社会のむなしさを説いた随筆「方丈記」を書いた。鴨長明
力強い文章で平氏の繁栄から没落までをえがいた軍記物の「( )」は、琵琶法師によって語り伝えられた。平家物語
13世紀はじめ、モンゴル民族を統一して国家を建てた人物はだれかチンギス・ハン
チンギス・ハンの子孫が築いた、ユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国を何というか。モンゴル帝国
首都を大都(今のペキン)に移し、国号を元と定めた皇帝はだれかフビライ・ハン
大都を訪れてフビライ・ハンに仕え、帰国後に日本を黄金の島ジパングとしてヨーロッパに紹介したイタリア人はだれか。マルコ・ポーロ
フビライ・ハンの朝貢要求を退けた。当時の鎌倉幕府教権はだれか。北条時宗
元の軍勢が二度にわたって襲来したできごとを何というか。元寇
元寇のうち、死の軍勢が博多湾に上陸して御家人たちと戦った一度目の襲来を特に何というか。文永の役
文永の役で家人たちが元軍に苦しめられたのは、「てつはう」と呼ばれる火器と何という戦法か集団戦法
二度目の襲来に備えて,幕府が博多湾に建設したものは何か防塁
防塁によって上陸できなかった元軍が暴風雨によって大きな被害を受けた二度目の来を特に何というか。弘安の役
御家人は( )の土地をもらえなかったので、幕府に対する不満を高めた。恩賞
全国的に交通が活発になるとともに、幕府に従わず、荘園の年をうばう( )とよばれる新しい武士も登場した。悪党
生活の苦しくなった御家人を救うため、1297年、幕府は( )を出して、質入れしたり売ったりした領地をただで取りもどさせようとした。徳政令
政治の実権を朝廷に取りもどそうと、( )天皇が幕府を倒そうとした。後醍醐
( )や新田義貞ら有力御家人も後醍醐天皇の呼びかけに応じ、1333年、幕府は滅んだ。足利尊氏
後醍醐天皇が始めた天皇中心の政治を何というか。建武の新政
建武の新政で重んじられたのは、どのような階級か。公家
建武の新政に対する武士の不満が高まるなか、1336年、武家政治の再興をよびかけて挙兵した人物はだれか。足利尊氏
足利尊氏が京都に天皇をたてると、後醍醐天皇はどこにのがれたか。吉野
2つの朝廷が生まれたことから、約60年間も続く動乱の時代が始まった。この時代を何というか。南北朝時代
自分の領地を拡大し、国内の地頭や新興の武士を家来として従えるなどして、強大化した守護を何というか。守護大名
集団で貿易を強要したり、海賊行為をはたらいたりする者があらわれ、朝鮮や中国の人々はこれを( )とよんでおそれた。倭寇
14世紀後半。漢民族がモンゴル民族を北に追い払い。( )を建国した。明
明では、「満記」などの小説がつくられ、学では、朱子学のほかに実行を重んじる( )がおこった陽明学
足利義満が始めた明との貿易では、銅・刀・まき絵などが輸出され、( )・絹織物・生糸・書画などが輸入された。銅銭
15世紀後半には、との貿易の実権は( )商人と手を組んだ細川氏や、博多商人と手を組んだ大内氏らに移った。堺
1392年、( )が高麗をほろほして、朝鮮国を建てた。李成桂
朝鮮では、朱子学が発達し、( )とよばれる独自の文字がつくられた。ハングル
琉球王国は、日本や朝鮮・中国、東南アジアへも船を出し、( )貿易で栄えた中継
蝦夷地〔北海道〕では、古くから先住民族の( )民族が狩猟・漁業や交易を行っていたが、和人の進出によって圧迫された。アイヌ
1392年に北朝と南朝を統一するとともに、幕府をただ一つの中央政権とすることに成功した3代将軍はだれか足利義満
室町に建てられた足利氏の邸宅で政治が行われた。この邸宅は何と呼ばれたか花の御所
関東の地域を支配し、独立した勢いを示した地方機関を何というか鎌倉府
室町時代には、米の裏作に麦をつくる()が各地に広まり、かんがいに水車が利用されるようになった。二毛作
( )が月3回から6回に増え、取り引きには朱銭・明銭などの貨幣が使われた。定期市
商人や手工業者は( )とよばれる同業者の組合をつくり、貴族や寺社の保護を受けて、営業の安定をは
かった。座
有力な農民の指導のもとでつくられた、新しい自治的な組織を何というか。惣
惣で用水路や林野の管理などについて話し合いを行う場を何というか寄合
京都で、町の自治を行った裕福な商工業者を何というか。町衆
1428年、近江の馬借などが幕府に借金帳消しの徳政令を出すことを要求した行動を何というか。正長の土一揆
細川氏と山名氏の対立に、将軍のあとつぎ問題がからんでおこった、11年におよぶ戦乱を何というか。応仁の乱
応仁の乱で,あとつぎ問題を起こした将軍はだれか。足利義政
下の者が上の者に実力でうちかつ風潮を何というか下剋上
下剋上の風潮が広がって各地に登場し、新しい政策をおし進めた大名を何というか戦国大名
戦国大名が自分の領国を統治するために、それぞれに定めた法を何という分国法
1485年に武士と農民が協力して、守護大名を追放し、8年間の自治を行った一揆を何というか。山城国一揆
( )同じ信仰で結ばれた武士と農民が協力して、守護大名を倒し、およそ100年間にわたって自治を行った一揆を何というか。加賀の一向一揆
民衆の間で行われていた猿楽や田楽が、高い芸術性のある舞台芸術の( )として大成された。能
能を大成したのは、足利義満の保護を受けた( )父子である。観阿弥世阿弥
足利義政は,京都の東山に別荘の( )を建てた。銀閣
畳をしき、床の間を設けた( )とよばれる建築の様式がおこった書院造
禅宗の僧が中国からもたらした、墨一で自然を描く( )がさかんになった。水墨画
( )は明に渡ってさまざまな技法を学び、日本の水墨画を大成した。雪舟
「浦島太郎」などの絵入りの物語の( )が、民衆に喜ばれた。お伽草子
能の合間には、こっけいな劇の( )が演じられた。狂言
和歌の上の旬と下の旬を次々に別の人がよむ( )が、地方に広まっていった。連歌
平氏は、一ノ谷や屋島の戦いで敗れ、1185年、( )でほろほされた。壇ノ浦
源頼朝の弟の( )は、壇ノ浦の戦いで平氏を減したが、のちに頼朝と対立し、逃亡の後に自害した源義経
1185年、頼朝は国ごとに(①),荘園や公領ごとに(②)を置くことを朝廷に認めさせた。守護、地頭
源頼朝は、本格的な武士の政権である( )を開いた。鎌倉幕府
将軍と、将軍の配下の武士である( )は、土地を仲立ちとした主従関係によって結ばれていた。御家人
将軍が、御家人の先祖伝来の領地を保護することを( )という。御恩
御家人は将軍に忠誠をちかい、命がけで戦いに参加する( )を行った。奉公
幕府は開かれたが、朝廷は地方の( )を任命し続けた。国司
源氏の将軍が3代で絶えたのち、執権の地位を独占して勢力をのばしたのは何氏か。北条氏
1221年、朝廷の勢力の回復をはかって挙兵したのはだれか。後鳥羽上皇
後鳥羽上皇の呼びかけによって主に西国の武士が挙兵したものの、幕府方に敗れたできごとを何というか。承久の乱
承久の乱の戦乱の際、頼朝の恩を説くことで幕府の結束力を高めた「尼軍」とも呼ばれる人物はだれか北条政子
承久の乱ののち、幕府が京都に設置し、朝廷の監視や西国の武士の統制にあたらせた役所を何というか。六波羅探題
武士社会の慣習や裁判例などをもとに、1232年に成敗式目を制定した執権はだれか北条泰時
武士の一族は,( )が中心となって子や兄弟を統率し、強く団結した。惣領
武士は、戦いに備えて、馬や( )などの訓練にはげんだ弓矢
( )は土地や農民を勝手に支配しようとしたので、荘園領主との紛争が度々おこった。地頭
地頭は荘園の土地の半分をあたえられたり、( )の納入を請け負うようになったりした。年貢
農業では、耕作に牛馬が利用され、草や木の灰が( )として使用されるようになった。肥料
米の裏作に麦をつくる( )が西日本で広まった二毛作
寺社の門前や交通の要地では、月に3回( )が開かれるようになった。定期市
法然は( )を開き、一心に念仏を唱えれば、だれでも極楽浄土に往生できると説いた。浄土宗
法然の弟子の( )は、教えをさらに進めて、悪人こそ救われると説き、浄土真宗を開いた。親鸞
日蓮は、題目を唱えれば人も国家も救われると説いて、( )を開いた。日蓮宗
宋にわたった栄西や道元によって、座禅によって自分の力でさとりを開くことを重視する( )が伝えられた。禅宗
藤原定家らが編集した「( )」には、定家や西行の歌がおさめられている新古今和歌集
吉田兼好は、随筆「( )」で、素朴でいきいきとした民楽の姿を描き出した。徒然草
( )は、人間社会のむなしさを説いた随筆「方丈記」を書いた。鴨長明
力強い文章で平氏の繁栄から没落までをえがいた軍記物の「( )」は、琵琶法師によって語り伝えられた。平家物語
13世紀はじめ、モンゴル民族を統一して国家を建てた人物はだれかチンギス・ハン
チンギス・ハンの子孫が築いた、ユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国を何というか。モンゴル帝国
首都を大都(今のペキン)に移し、国号を元と定めた皇帝はだれかフビライ・ハン
大都を訪れてフビライ・ハンに仕え、帰国後に日本を黄金の島ジパングとしてヨーロッパに紹介したイタリア人はだれか。マルコ・ポーロ
フビライ・ハンの朝貢要求を退けた。当時の鎌倉幕府教権はだれか。北条時宗
元の軍勢が二度にわたって襲来したできごとを何というか。元寇
元寇のうち、死の軍勢が博多湾に上陸して御家人たちと戦った一度目の襲来を特に何というか。文永の役
文永の役で家人たちが元軍に苦しめられたのは、「てつはう」と呼ばれる火器と何という戦法か集団戦法
二度目の襲来に備えて,幕府が博多湾に建設したものは何か防塁
防塁によって上陸できなかった元軍が暴風雨によって大きな被害を受けた二度目の来を特に何というか。弘安の役
御家人は( )の土地をもらえなかったので、幕府に対する不満を高めた。恩賞
全国的に交通が活発になるとともに、幕府に従わず、荘園の年をうばう( )とよばれる新しい武士も登場した。悪党
生活の苦しくなった御家人を救うため、1297年、幕府は( )を出して、質入れしたり売ったりした領地をただで取りもどさせようとした。徳政令
政治の実権を朝廷に取りもどそうと、( )天皇が幕府を倒そうとした。後醍醐
( )や新田義貞ら有力御家人も後醍醐天皇の呼びかけに応じ、1333年、幕府は滅んだ。足利尊氏
後醍醐天皇が始めた天皇中心の政治を何というか。建武の新政
建武の新政で重んじられたのは、どのような階級か。公家
建武の新政に対する武士の不満が高まるなか、1336年、武家政治の再興をよびかけて挙兵した人物はだれか。足利尊氏
足利尊氏が京都に天皇をたてると、後醍醐天皇はどこにのがれたか。吉野
2つの朝廷が生まれたことから、約60年間も続く動乱の時代が始まった。この時代を何というか。南北朝時代
自分の領地を拡大し、国内の地頭や新興の武士を家来として従えるなどして、強大化した守護を何というか。守護大名
集団で貿易を強要したり、海賊行為をはたらいたりする者があらわれ、朝鮮や中国の人々はこれを( )とよんでおそれた。倭寇
14世紀後半。漢民族がモンゴル民族を北に追い払い。( )を建国した。明
明では、「満記」などの小説がつくられ、学では、朱子学のほかに実行を重んじる( )がおこった陽明学
足利義満が始めた明との貿易では、銅・刀・まき絵などが輸出され、( )・絹織物・生糸・書画などが輸入された。銅銭
15世紀後半には、との貿易の実権は( )商人と手を組んだ細川氏や、博多商人と手を組んだ大内氏らに移った。堺
1392年、( )が高麗をほろほして、朝鮮国を建てた。李成桂
朝鮮では、朱子学が発達し、( )とよばれる独自の文字がつくられた。ハングル
琉球王国は、日本や朝鮮・中国、東南アジアへも船を出し、( )貿易で栄えた中継
蝦夷地〔北海道〕では、古くから先住民族の( )民族が狩猟・漁業や交易を行っていたが、和人の進出によって圧迫された。アイヌ
1392年に北朝と南朝を統一するとともに、幕府をただ一つの中央政権とすることに成功した3代将軍はだれか足利義満
室町に建てられた足利氏の邸宅で政治が行われた。この邸宅は何と呼ばれたか花の御所
関東の地域を支配し、独立した勢いを示した地方機関を何というか鎌倉府
室町時代には、米の裏作に麦をつくる()が各地に広まり、かんがいに水車が利用されるようになった。二毛作
( )が月3回から6回に増え、取り引きには朱銭・明銭などの貨幣が使われた。定期市
商人や手工業者は( )とよばれる同業者の組合をつくり、貴族や寺社の保護を受けて、営業の安定をは
かった。座
有力な農民の指導のもとでつくられた、新しい自治的な組織を何というか。惣
惣で用水路や林野の管理などについて話し合いを行う場を何というか寄合
京都で、町の自治を行った裕福な商工業者を何というか。町衆
1428年、近江の馬借などが幕府に借金帳消しの徳政令を出すことを要求した行動を何というか。正長の土一揆
細川氏と山名氏の対立に、将軍のあとつぎ問題がからんでおこった、11年におよぶ戦乱を何というか。応仁の乱
応仁の乱で,あとつぎ問題を起こした将軍はだれか。足利義政
下の者が上の者に実力でうちかつ風潮を何というか下剋上
下剋上の風潮が広がって各地に登場し、新しい政策をおし進めた大名を何というか戦国大名
戦国大名が自分の領国を統治するために、それぞれに定めた法を何という分国法
1485年に武士と農民が協力して、守護大名を追放し、8年間の自治を行った一揆を何というか。山城国一揆
( )同じ信仰で結ばれた武士と農民が協力して、守護大名を倒し、およそ100年間にわたって自治を行った一揆を何というか。加賀の一向一揆
民衆の間で行われていた猿楽や田楽が、高い芸術性のある舞台芸術の( )として大成された。能
能を大成したのは、足利義満の保護を受けた( )父子である。観阿弥世阿弥
足利義政は,京都の東山に別荘の( )を建てた。銀閣
畳をしき、床の間を設けた( )とよばれる建築の様式がおこった書院造
禅宗の僧が中国からもたらした、墨一で自然を描く( )がさかんになった。水墨画
( )は明に渡ってさまざまな技法を学び、日本の水墨画を大成した。雪舟
「浦島太郎」などの絵入りの物語の( )が、民衆に喜ばれた。お伽草子
能の合間には、こっけいな劇の( )が演じられた。狂言
和歌の上の旬と下の旬を次々に別の人がよむ( )が、地方に広まっていった。連歌