6世紀末、( )が南北に分かれてきた中国を統一した随
随の第2代皇帝( )は、黄河と長江を結ぶ大運河の建設や高句麗への遠征を行った煬帝
7世紀はじめに中国を統一した唐は、律令を整えるとともに、農民に等しく土地をあたえる( )を実施した均田制
唐の都( )は、人口100万をこえる国際的大都市として栄えた。長安
( )は唐と結んで百済・高句麗をほろほし、やがて唐の軍隊を追い出して朝鮮半島を統一した新羅
6世紀後半、物部氏をほろぼすなどして、朝廷の実権をにぎった貴族は何氏か。蘇我氏
蘇我馬子と協力して天皇中心の政治をめざした人物はだれか。聖徳太子
聖徳太子は、593年に推古天皇を補佐する役職についた。その役職を何というか。摂政
聖徳太子が、有能な人物を採用するために設けた制度を何というか。冠位十二階
聖徳太子が中国と外交関係を結び、進んだ制度や文化を取り入れるために派遣した使節を何というか。遣隋使
遣隋使の正使として、対等外交を求める国書を持参したのはだれか。小野妹子
6世紀末から7世紀はじめにかけて、朝廷のあった地方を中心におこった仏教文化を何というか。飛鳥文化
645年,中大兄皇子は蘇我氏をたおし、( )とよばれる政治の改革を始めた。大化の改新
( )は,中大兄皇子に協力して大化の改新をおし進め、のちに「藤原」の姓を与えられた。中臣鎌足
大化の改新の目的は、皇族や豪族が私有していた土地と人民を国家が直接支配する( )の原則を打ち立てることなどであった。公地公民
663年、日本は( )の救援のために朝鮮半島へ軍隊を送ったが、唐・新羅の連合軍に敗れ、兵を引きあげた百済
663年、日本は百済の救援のために朝鮮半島へ軍隊を送ったが、唐・新羅の連合軍に敗れ、兵を引きあげた戦いを?白村江の戦い
中大兄皇子は大津で即位して( )天皇となり、全国規模の戸籍を作成した。天智
天智天皇の死後、天皇の位をめぐって( )の乱がおこった。壬申
壬申の乱に勝利して即位した( )天皇は、新しい政治のしくみを強力につくりあげていった。天武
701年、唐の律令にならって( )が制定された。大宝律令
大宝律令にもとづき、中央には神祇官と( )の役所が置かれた太政官
北九州には( )が置かれ、外交や軍事にあたった。大宰府
地方の国には、中央の貴族が( )として派遣された。国司
710年、唐の都長安をモデルとして、奈良に( )が造営され、新しい都とされた。平城京
部の市では、さまざまな産物が取り引きされ、朝廷が発行した( )という貨幣も使用された。和同開珎
戸籍にもとづいて、6歳以上の男女に分けあたえた田を何というか口分田
口分田を分けあたえ、死ねば返させる制度を何というか。班田収授法
農民が口分田の面積に応じて稲を納めた税を何というか。租
農民が地方の特産物を都まで運んで納めた税を何というか。調
農民が労役の代わりの布を都まで運んで納めた税を何というか庸
農民が国司のもとで、年間60日以内の労働に従事した労役を何というか雑徭
北九州の警備のために送られた兵士を何というか。防人
723年、開重を奨励するため。新しい開地は三代。従来のかんがい設備を利用した開製地は一代に限り私を認めたが、効果が見られず。失敗に終わった法令を何というか三世一身法
開墾を奨励するため、743年に聖武天皇が出した。新しく開した土地を永久に私有することを認めた法令
何というか。墾田永年私財法
墾田永年私財法が出されたことにより、貴族や寺社がさかんに開製を進めて拡大した私有地は、のちに何とよばれたか荘園
朝廷は遣隋使に続いて( )をたびたび派遣し、中国の進んだ制度や文化を摂取しようとした。遣唐使
( )天皇は、仏教の力で国家の安全をはかろうと考えた。聖武
聖武天皇は国ごとに( )と国分尼寺、都に東大寺を建て、東大寺には金銅の大仏をつくった。国分寺
大仏作りに協力した( )は、民衆の間に仏教を広め、橋や用水路作りに取り組んだ。行基
聖武天皇のころ、唐の文化と仏教の影響を強く受けた( )文化が栄えた天平
8世紀には、神話・伝承・記録などを皇室中心にまとめた歴史書の「( )」と「日本書紀」が完成した古事記
朝廷は、地方の国ごとに、産物・伝統などを記した地理書の「( )」をつくらせた風土記
約4500首の作品を集めた和歌集の「( )」には、天皇や貴族だけでなく農民の歌もおさめられている。万葉集
万葉集に収められている、農民の生活の苦しさを詠んだ「貧窮問答歌」を詠んだ( )は貴族である山上憶良
万葉集は、漢字の音訓を組み合わせて日本語を記す( )を用いて書き表されている万葉がな
784年、平城京から長岡京に都が移されたが、さらにその10年後、今の京都に造営された新しい都を何というか。平安京
桓武天皇が地方の政治を立て直すために、きびしく監督した役職をなんと言うか国司
桓武天皇に命じられ、東北地方の蝦夷を攻撃して胆沢城を築くなど、東北地方の支配を固めたのはだれか坂上田村麻呂
桓武天皇が坂上田村麻呂に対し、任命した役職を何というか。征夷大将軍
唐から帰国した最澄が広めた仏教の宗派を何というか天台宗
天台宗は山奥でのきびしい修行を重視した。最澄が比叡山に建てた院を何というか。延暦寺
最澄とともに唐に渡り、密教を学んだ僧はだれか。空海
空海が高野山に金剛峯寺を建て、新たに開いた仏教の宗派を何というか。真言宗
10世紀以降、貴族や社などの私有地である( )はしだいに増えていった荘園
荘園の持ち主は、税を免除される( )を手に入れようとし、藤原氏などの大貴族や大寺社に形だけの所有者になってもらうために荘園を寄進した。不輸の権
国司は、荘園以外の土地を( )として支配するようになった。公領
藤原氏は、天皇が幼少の時は摂政、成人した後は( )として政治の実権をにぎった。関白
藤原氏が、娘を天皇のきさきにし、その子を天皇につけることで、摂政や関白として政治の実権をにぎったことを( )という。摂関政治
摂関政治が全盛となったのは、11世紀前半の( )・頼通父子のときである。藤原道長
11世紀中ごろに即位し、藤原氏と関係がうすいことを利用して荘園の整理を進めた天皇はだれ後三条天皇
天皇の位をゆずった上皇が、上皇の御所で始めた政治を何というか。院政
多くの荘園が上星のもとに集まったが、上皇が認めた権利のうち、荘園に国司の役人が立ち入ることを拒むる権利を何というか。不入の権
894年に遣唐使の派遣の停止を進言した( )は、藤原氏の陰謀で失脚した。菅原道真
10世紀はじめに唐が滅亡したのち、国々の興亡を経て、979年に中国を統一した王朝を何という宋
新羅が滅んだ後に建国された朝鮮の王朝を何というか。高麗
武士団のなかで特に有力だったのは、天皇の子孫とされる平氏と( )だった源氏
10世紀前半、関東で( )が反乱をおこした。平将門
平将門と同じころ、瀬戸内海で( )が海賊を率いて反乱をおこした。藤原純友
11世紀後半に東北地方で戦乱が二度起こったが、( )がこれをしずめ、東国に努力を築いた。源義家
東北地方では( )が北方との交易や金・馬の産出によって富を手にした。奥州藤原氏
1156年、上皇と天皇の対立から( )の乱がおこり、源義朝と平清盛が活躍した。保元
源義朝と平清盛が対立するようになり、藤原氏内部の対立をきっかけに、1159年、( )の乱がおこった平治
平清盛は、朝廷の最高の役職である( )になり、政治の実権をにぎった。太政大臣
清盛は瀬戸内海の航路を整え、( )貿易を行った日宋
日宋貿易を行うにあたって、( )の港を修築した。兵庫
清盛は( )の社殿を造営し、お経を納めるなどして、平家の守り神として深く信仰した。厳島神社
平安時代には、それまでの中国風の文化にかわって、日本の風土と生活感情に合った( )文化が生まれた国風
和歌がさかんになり、紀貫之らは「( )」を編さんした。古今和歌集
はなやかな貴族の生活をえがいた、世界初の長編小説である「( )」が生まれた。源氏物語
源氏物語を著したのは、藤原道長の娘彰子に仕えた( )である。紫式部
宮廷に仕える女官の( )は、随筆「枕草子」を書いた。清少納言
貴族の住居では、築山や池をもつ( )とよばれる建築の様式がおこった。寝殿造
優美な線で日本の風景や風俗をえがく( )がおこり、絵巻物も生まれた。大和絵
念仏を唱えて阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に生まれ変わることを願う( )が起こった。浄土真宗
平氏に対する反感が高まり、( )が伊豆で、源義仲が木曽で兵を挙げた。源頼朝
6世紀末、( )が南北に分かれてきた中国を統一した随
随の第2代皇帝( )は、黄河と長江を結ぶ大運河の建設や高句麗への遠征を行った煬帝
7世紀はじめに中国を統一した唐は、律令を整えるとともに、農民に等しく土地をあたえる( )を実施した均田制
唐の都( )は、人口100万をこえる国際的大都市として栄えた。長安
( )は唐と結んで百済・高句麗をほろほし、やがて唐の軍隊を追い出して朝鮮半島を統一した新羅
6世紀後半、物部氏をほろぼすなどして、朝廷の実権をにぎった貴族は何氏か。蘇我氏
蘇我馬子と協力して天皇中心の政治をめざした人物はだれか。聖徳太子
聖徳太子は、593年に推古天皇を補佐する役職についた。その役職を何というか。摂政
聖徳太子が、有能な人物を採用するために設けた制度を何というか。冠位十二階
聖徳太子が中国と外交関係を結び、進んだ制度や文化を取り入れるために派遣した使節を何というか。遣隋使
遣隋使の正使として、対等外交を求める国書を持参したのはだれか。小野妹子
6世紀末から7世紀はじめにかけて、朝廷のあった地方を中心におこった仏教文化を何というか。飛鳥文化
645年,中大兄皇子は蘇我氏をたおし、( )とよばれる政治の改革を始めた。大化の改新
( )は,中大兄皇子に協力して大化の改新をおし進め、のちに「藤原」の姓を与えられた。中臣鎌足
大化の改新の目的は、皇族や豪族が私有していた土地と人民を国家が直接支配する( )の原則を打ち立てることなどであった。公地公民
663年、日本は( )の救援のために朝鮮半島へ軍隊を送ったが、唐・新羅の連合軍に敗れ、兵を引きあげた百済
663年、日本は百済の救援のために朝鮮半島へ軍隊を送ったが、唐・新羅の連合軍に敗れ、兵を引きあげた戦いを?白村江の戦い
中大兄皇子は大津で即位して( )天皇となり、全国規模の戸籍を作成した。天智
天智天皇の死後、天皇の位をめぐって( )の乱がおこった。壬申
壬申の乱に勝利して即位した( )天皇は、新しい政治のしくみを強力につくりあげていった。天武
701年、唐の律令にならって( )が制定された。大宝律令
大宝律令にもとづき、中央には神祇官と( )の役所が置かれた太政官
北九州には( )が置かれ、外交や軍事にあたった。大宰府
地方の国には、中央の貴族が( )として派遣された。国司
710年、唐の都長安をモデルとして、奈良に( )が造営され、新しい都とされた。平城京
部の市では、さまざまな産物が取り引きされ、朝廷が発行した( )という貨幣も使用された。和同開珎
戸籍にもとづいて、6歳以上の男女に分けあたえた田を何というか口分田
口分田を分けあたえ、死ねば返させる制度を何というか。班田収授法
農民が口分田の面積に応じて稲を納めた税を何というか。租
農民が地方の特産物を都まで運んで納めた税を何というか。調
農民が労役の代わりの布を都まで運んで納めた税を何というか庸
農民が国司のもとで、年間60日以内の労働に従事した労役を何というか雑徭
北九州の警備のために送られた兵士を何というか。防人
723年、開重を奨励するため。新しい開地は三代。従来のかんがい設備を利用した開製地は一代に限り私を認めたが、効果が見られず。失敗に終わった法令を何というか三世一身法
開墾を奨励するため、743年に聖武天皇が出した。新しく開した土地を永久に私有することを認めた法令
何というか。墾田永年私財法
墾田永年私財法が出されたことにより、貴族や寺社がさかんに開製を進めて拡大した私有地は、のちに何とよばれたか荘園
朝廷は遣隋使に続いて( )をたびたび派遣し、中国の進んだ制度や文化を摂取しようとした。遣唐使
( )天皇は、仏教の力で国家の安全をはかろうと考えた。聖武
聖武天皇は国ごとに( )と国分尼寺、都に東大寺を建て、東大寺には金銅の大仏をつくった。国分寺
大仏作りに協力した( )は、民衆の間に仏教を広め、橋や用水路作りに取り組んだ。行基
聖武天皇のころ、唐の文化と仏教の影響を強く受けた( )文化が栄えた天平
8世紀には、神話・伝承・記録などを皇室中心にまとめた歴史書の「( )」と「日本書紀」が完成した古事記
朝廷は、地方の国ごとに、産物・伝統などを記した地理書の「( )」をつくらせた風土記
約4500首の作品を集めた和歌集の「( )」には、天皇や貴族だけでなく農民の歌もおさめられている。万葉集
万葉集に収められている、農民の生活の苦しさを詠んだ「貧窮問答歌」を詠んだ( )は貴族である山上憶良
万葉集は、漢字の音訓を組み合わせて日本語を記す( )を用いて書き表されている万葉がな
784年、平城京から長岡京に都が移されたが、さらにその10年後、今の京都に造営された新しい都を何というか。平安京
桓武天皇が地方の政治を立て直すために、きびしく監督した役職をなんと言うか国司
桓武天皇に命じられ、東北地方の蝦夷を攻撃して胆沢城を築くなど、東北地方の支配を固めたのはだれか坂上田村麻呂
桓武天皇が坂上田村麻呂に対し、任命した役職を何というか。征夷大将軍
唐から帰国した最澄が広めた仏教の宗派を何というか天台宗
天台宗は山奥でのきびしい修行を重視した。最澄が比叡山に建てた院を何というか。延暦寺
最澄とともに唐に渡り、密教を学んだ僧はだれか。空海
空海が高野山に金剛峯寺を建て、新たに開いた仏教の宗派を何というか。真言宗
10世紀以降、貴族や社などの私有地である( )はしだいに増えていった荘園
荘園の持ち主は、税を免除される( )を手に入れようとし、藤原氏などの大貴族や大寺社に形だけの所有者になってもらうために荘園を寄進した。不輸の権
国司は、荘園以外の土地を( )として支配するようになった。公領
藤原氏は、天皇が幼少の時は摂政、成人した後は( )として政治の実権をにぎった。関白
藤原氏が、娘を天皇のきさきにし、その子を天皇につけることで、摂政や関白として政治の実権をにぎったことを( )という。摂関政治
摂関政治が全盛となったのは、11世紀前半の( )・頼通父子のときである。藤原道長
11世紀中ごろに即位し、藤原氏と関係がうすいことを利用して荘園の整理を進めた天皇はだれ後三条天皇
天皇の位をゆずった上皇が、上皇の御所で始めた政治を何というか。院政
多くの荘園が上星のもとに集まったが、上皇が認めた権利のうち、荘園に国司の役人が立ち入ることを拒むる権利を何というか。不入の権
894年に遣唐使の派遣の停止を進言した( )は、藤原氏の陰謀で失脚した。菅原道真
10世紀はじめに唐が滅亡したのち、国々の興亡を経て、979年に中国を統一した王朝を何という宋
新羅が滅んだ後に建国された朝鮮の王朝を何というか。高麗
武士団のなかで特に有力だったのは、天皇の子孫とされる平氏と( )だった源氏
10世紀前半、関東で( )が反乱をおこした。平将門
平将門と同じころ、瀬戸内海で( )が海賊を率いて反乱をおこした。藤原純友
11世紀後半に東北地方で戦乱が二度起こったが、( )がこれをしずめ、東国に努力を築いた。源義家
東北地方では( )が北方との交易や金・馬の産出によって富を手にした。奥州藤原氏
1156年、上皇と天皇の対立から( )の乱がおこり、源義朝と平清盛が活躍した。保元
源義朝と平清盛が対立するようになり、藤原氏内部の対立をきっかけに、1159年、( )の乱がおこった平治
平清盛は、朝廷の最高の役職である( )になり、政治の実権をにぎった。太政大臣
清盛は瀬戸内海の航路を整え、( )貿易を行った日宋
日宋貿易を行うにあたって、( )の港を修築した。兵庫
清盛は( )の社殿を造営し、お経を納めるなどして、平家の守り神として深く信仰した。厳島神社
平安時代には、それまでの中国風の文化にかわって、日本の風土と生活感情に合った( )文化が生まれた国風
和歌がさかんになり、紀貫之らは「( )」を編さんした。古今和歌集
はなやかな貴族の生活をえがいた、世界初の長編小説である「( )」が生まれた。源氏物語
源氏物語を著したのは、藤原道長の娘彰子に仕えた( )である。紫式部
宮廷に仕える女官の( )は、随筆「枕草子」を書いた。清少納言
貴族の住居では、築山や池をもつ( )とよばれる建築の様式がおこった。寝殿造
優美な線で日本の風景や風俗をえがく( )がおこり、絵巻物も生まれた。大和絵
念仏を唱えて阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に生まれ変わることを願う( )が起こった。浄土真宗
平氏に対する反感が高まり、( )が伊豆で、源義仲が木曽で兵を挙げた。源頼朝