産業革命によって科学技術が発達し、( )を高めた欧米諸国は、武力を背景にアジア諸地域へ進出していった。軍事力
18世紀半ばにイギリスで始まった( )は、19世紀末までには西ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国にもおよんだ。産業革命
イギリスの進出したムガル帝国では1857年に( )がおこった。インド大反乱
アヘン戦争後、社会不安が大きくなっていた清では、( )の独自の理解に基づいて建てられた( )が蜂起して、1853年に( )を占領した。キリスト教、太平天国、南京
イギリスは南京条約後も中国貿易の利益が思ったほど上がらなかったため、1856年にフランスとともに( )をおこした。第二次アヘン戦争
イギリスとフランスは1860年に北京を占領して、清との間に( )条約を結んだ。北京
北京条約で( )の北京駐在、キリスト教布教の自由などを清に認めさせた。外国公使
第二次アヘン戦争後、列強は( )を組織して清に協力し、太平天国と戦った。常勝軍
1864年に太平天国が滅びた後、清は西洋の学問や技術を導入し、富国強兵を目指すようになった。洋務運動
アメリカは第二次アヘン戦争を理由として、日本に( )の調印をせまった。修好通商条約
18世紀以来、ロシアは冬でも凍らない港を求めて( )を進めていた。南下政策
イギリスは、ロシアの南下政策でインド支配がおびやかされることを警戒し、フランスとともにオスマン帝国を支援してロシアの南下を阻止した。クリミア戦争
アメリカでは、( )などをめぐって、北部の州と南部の州の対立が続いていた。奴隷制度の拡大
1860年に奴隷制度の拡大に反対する( )党の( )が大統領に当選した。共和、リンカン
リンカンが大統領に当選した翌年、南部の州がアメリカ合衆国から離脱したため、( )が勃発した。南北戦争
南北戦争は北部の勝利で終わり、戦後は国内の統一と整備が最重要課題となったため、アメリカのアジア進出は、一時( )になった。消極的
クリミア戦争でイギリス軍に従軍し、負傷した兵士の看護にあたった人物。ナイティンゲール
リンカンがゲティスバーグ演説で訴えた一文。人民の人民による人民のための政治
清は西洋の学問や技術を導入し、( )を目指すようになった。富国強兵
日本と欧米諸国との貿易は( 、 、 )の三港で始まった。横浜、長崎、箱館
日本と欧米諸国との貿易は( )が最大の貿易相手国となった。イギリス
輸出品では( )が8割近くを占め、輸入品では( )や毛織物が多かった。生糸、綿織物
安い綿製品が輸入されたため、日本国内の( )栽培や綿織物業は経営が厳しくなった。綿花
外国では日本より( )の価値が高かったため、多額の( )貨が海外に流出した。金
江戸幕府は金貨に含まれる金の量を減らしたが、金貨の価値が下がったことにより、さらに物価は( )した。上昇
14代将軍の候補に( )と( )があがっていた。徳川慶喜、徳川慶福
大老に就任した( )は、徳川慶福を後継者として定めた。井伊直弼
井伊直弼は、日米修好通商条約を結んだことや14代将軍を決めたことに反対する人々を厳しく罰した。安政の大獄
井伊直弼に反対する武士たちは井伊直弼を暗殺した。桜田門外の変
幕府は天皇の権威を利用して威信の回復をはかるため、朝廷と幕府が協力することを考え、( )の政策を進めた。公武合体
開港し、貿易が始まると、天皇を崇拝する尊王論と外国人を打ち払おうとする攘夷論が結びついた( )運動が盛んとなった。尊王攘夷
尊王攘夷を藩の考えとする( )は、下関を通過する外国船を砲撃したが、のちにその報復として外国の攻撃を受けて敗北した。長州藩
公武合体の立場をとり、幕府に協力していた( )も、イギリス人殺傷事件の報復にきたイギリス戦隊に敗れた。薩摩藩
尊王攘夷運動が盛んとなる中で、イギリス公使館が襲われる事件が発生した。イギリス人殺傷事件
井伊直弼は日米修好通商条約に( )で調印した。無勅許
公武合体政策で、天皇の妹和宮を徳川家茂に嫁がせた。和宮降嫁
長州藩と薩摩藩はともに攘夷が不可能であることを知り、( )の立場をとるようになった。倒幕
土佐藩出身の( )と( )の仲介で薩長同盟を結んだ。坂本龍馬、中岡慎太郎
物価の上昇や政治の混乱から、人々の「世直し」への期待が高まり、農民による( )や庶民による( )がおこったり、世直しを期待した( )の乱舞が流行したりした。世直し一揆、打ちこわし、ええじゃないか
「ええじゃないか」の乱舞では( )神宮のお札が舞った。伊勢
長州藩が外国船を砲撃したことに対する報復四国艦隊下関砲撃事件
ヨーロッパでは17世紀に、国家や社会のあり方についての考察が進み、( )の思想が生まれた。近代自然法
近代自然法の思想から、国家の起源を自由で平等な個人どうしが自発的に取り結ぶ契約に求めるという( )が生まれた。社会契約説
社会契約説は身分制社会や君主の圧政に対する抵抗の根拠となり、18世紀後半から19世紀半ばにかけて、いわゆる( )と呼ばれるできごとが各地でおこった。市民革命
アメリカ大陸北部では、( )と( )が植民地の拡大をめぐって争いを繰り広げていた。イギリス、フランス
イギリスは戦争の費用を植民地に重税を課すことなどによっておぎなおうとしたが、これに対し、イギリスの本国の議会に代表を送っていない植民地側は「 」ととなえて強く反発した。代表なくして課税なし
1773年、茶法によるイギリス東インド会社の茶の独占販売に反対した植民地の人々は、ボストン港に停泊中の東インド会社の舟をおそった。ボストン茶会事件
1783年に独立を達成したアメリカ合衆国は、( )・( )・連邦主義などを柱とした憲法を制定し国作りを進めた。三権分立、人民主権
独立を達成したアメリカ合衆国では、( )やアフリカ人奴隷は国家の構成員とはみなされなかった。先住民
フランスでは厳しい身分制度があり、人口の9割以上を占める( )別名( )平民、第三身分
国王( )は、財政危機を解決するために特権身分への課税を試みたが、反発を受けた。ルイ16世
特権身分と第三身分の不満があわさって1789年に起こったできごとフランス革命
革命の中で、人間の自由・平等などを主張した( )が開拓された人権宣言
内外の混乱をおさえて国民の絶大な支持を得た( )は、周辺諸国の征服にも乗り出し、1804年に皇帝となったナポレオン=ボナパルト
ナポレオンに征服された地域では、フランス革命の理念が伝えられたことで改革がうながされた一方、外国の支配に反対する( )を成長させることにもなった国民意識
アメリカ独立宣言と人権宣言に共通する2つのキーワード自由、平等
第一身分の聖職者と第二身分の貴族は( )を持つ免税特権
憲法が制定されるまで国民議会は絶対に解散しない球戯場の誓い
大政奉還後も徳川慶喜は政治の中心的存在にとどまろうとしたため、徳川氏の排除をめざす薩長両藩や公家の一部は( )を出して、天皇を中心とする新政府を発足させた。クーデタ
いったん朝廷に政権を返すことを幕府に提案し、徳川慶喜はこれを受け入れ、朝廷に( )を提出した。大政奉還の上表
( )を出して天皇を中心とする新政府を発足させた。王政復古の大号令
新政府の会議で徳川慶喜がもつ領地の返上などが決定されると、徳川慶喜は( )に入り、新政府と対決することになった。大坂城
旧幕府勢力と新政府の交渉で、江戸幕府は( )された。無血開城
戊辰戦争は、(地名)で旧幕府勢力が敗れたことで終結し、日本国内は新政府により統一された。箱館
戊辰戦争のさなか、新政府は( )を出して広く意見を取り入れる政治を宣言した。五箇条の誓文
新政府は五箇条の誓文を出す一方で( )を発表したが、その方針は江戸時代の統治と変わらなかった。五榜の掲示
新政府は、政治権力を中央政府である( )に集中させた。太政官
江戸時代末期からの、天皇を中心に全国をおさめる一連の改革明治維新
戊辰戦争が終わると、新政府は大名に領地と領民を天皇に返上させる( )の命令を出した。版籍奉還
大名は( )として地方長官となり、今まで通り藩の政治を継続させた。知藩事
1871年、新政府は徴税権と軍事力を吸収するため、すべての藩を廃止して府県とし、新政府が任命する府知事と県令に地方行政を担わせる( )をおこなった。廃藩置県
地方に納められていた税を国に納めさせ、財源を確保する。徴税権
産業革命によって科学技術が発達し、( )を高めた欧米諸国は、武力を背景にアジア諸地域へ進出していった。軍事力
18世紀半ばにイギリスで始まった( )は、19世紀末までには西ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国にもおよんだ。産業革命
イギリスの進出したムガル帝国では1857年に( )がおこった。インド大反乱
アヘン戦争後、社会不安が大きくなっていた清では、( )の独自の理解に基づいて建てられた( )が蜂起して、1853年に( )を占領した。キリスト教、太平天国、南京
イギリスは南京条約後も中国貿易の利益が思ったほど上がらなかったため、1856年にフランスとともに( )をおこした。第二次アヘン戦争
イギリスとフランスは1860年に北京を占領して、清との間に( )条約を結んだ。北京
北京条約で( )の北京駐在、キリスト教布教の自由などを清に認めさせた。外国公使
第二次アヘン戦争後、列強は( )を組織して清に協力し、太平天国と戦った。常勝軍
1864年に太平天国が滅びた後、清は西洋の学問や技術を導入し、富国強兵を目指すようになった。洋務運動
アメリカは第二次アヘン戦争を理由として、日本に( )の調印をせまった。修好通商条約
18世紀以来、ロシアは冬でも凍らない港を求めて( )を進めていた。南下政策
イギリスは、ロシアの南下政策でインド支配がおびやかされることを警戒し、フランスとともにオスマン帝国を支援してロシアの南下を阻止した。クリミア戦争
アメリカでは、( )などをめぐって、北部の州と南部の州の対立が続いていた。奴隷制度の拡大
1860年に奴隷制度の拡大に反対する( )党の( )が大統領に当選した。共和、リンカン
リンカンが大統領に当選した翌年、南部の州がアメリカ合衆国から離脱したため、( )が勃発した。南北戦争
南北戦争は北部の勝利で終わり、戦後は国内の統一と整備が最重要課題となったため、アメリカのアジア進出は、一時( )になった。消極的
クリミア戦争でイギリス軍に従軍し、負傷した兵士の看護にあたった人物。ナイティンゲール
リンカンがゲティスバーグ演説で訴えた一文。人民の人民による人民のための政治
清は西洋の学問や技術を導入し、( )を目指すようになった。富国強兵
日本と欧米諸国との貿易は( 、 、 )の三港で始まった。横浜、長崎、箱館
日本と欧米諸国との貿易は( )が最大の貿易相手国となった。イギリス
輸出品では( )が8割近くを占め、輸入品では( )や毛織物が多かった。生糸、綿織物
安い綿製品が輸入されたため、日本国内の( )栽培や綿織物業は経営が厳しくなった。綿花
外国では日本より( )の価値が高かったため、多額の( )貨が海外に流出した。金
江戸幕府は金貨に含まれる金の量を減らしたが、金貨の価値が下がったことにより、さらに物価は( )した。上昇
14代将軍の候補に( )と( )があがっていた。徳川慶喜、徳川慶福
大老に就任した( )は、徳川慶福を後継者として定めた。井伊直弼
井伊直弼は、日米修好通商条約を結んだことや14代将軍を決めたことに反対する人々を厳しく罰した。安政の大獄
井伊直弼に反対する武士たちは井伊直弼を暗殺した。桜田門外の変
幕府は天皇の権威を利用して威信の回復をはかるため、朝廷と幕府が協力することを考え、( )の政策を進めた。公武合体
開港し、貿易が始まると、天皇を崇拝する尊王論と外国人を打ち払おうとする攘夷論が結びついた( )運動が盛んとなった。尊王攘夷
尊王攘夷を藩の考えとする( )は、下関を通過する外国船を砲撃したが、のちにその報復として外国の攻撃を受けて敗北した。長州藩
公武合体の立場をとり、幕府に協力していた( )も、イギリス人殺傷事件の報復にきたイギリス戦隊に敗れた。薩摩藩
尊王攘夷運動が盛んとなる中で、イギリス公使館が襲われる事件が発生した。イギリス人殺傷事件
井伊直弼は日米修好通商条約に( )で調印した。無勅許
公武合体政策で、天皇の妹和宮を徳川家茂に嫁がせた。和宮降嫁
長州藩と薩摩藩はともに攘夷が不可能であることを知り、( )の立場をとるようになった。倒幕
土佐藩出身の( )と( )の仲介で薩長同盟を結んだ。坂本龍馬、中岡慎太郎
物価の上昇や政治の混乱から、人々の「世直し」への期待が高まり、農民による( )や庶民による( )がおこったり、世直しを期待した( )の乱舞が流行したりした。世直し一揆、打ちこわし、ええじゃないか
「ええじゃないか」の乱舞では( )神宮のお札が舞った。伊勢
長州藩が外国船を砲撃したことに対する報復四国艦隊下関砲撃事件
ヨーロッパでは17世紀に、国家や社会のあり方についての考察が進み、( )の思想が生まれた。近代自然法
近代自然法の思想から、国家の起源を自由で平等な個人どうしが自発的に取り結ぶ契約に求めるという( )が生まれた。社会契約説
社会契約説は身分制社会や君主の圧政に対する抵抗の根拠となり、18世紀後半から19世紀半ばにかけて、いわゆる( )と呼ばれるできごとが各地でおこった。市民革命
アメリカ大陸北部では、( )と( )が植民地の拡大をめぐって争いを繰り広げていた。イギリス、フランス
イギリスは戦争の費用を植民地に重税を課すことなどによっておぎなおうとしたが、これに対し、イギリスの本国の議会に代表を送っていない植民地側は「 」ととなえて強く反発した。代表なくして課税なし
1773年、茶法によるイギリス東インド会社の茶の独占販売に反対した植民地の人々は、ボストン港に停泊中の東インド会社の舟をおそった。ボストン茶会事件
1783年に独立を達成したアメリカ合衆国は、( )・( )・連邦主義などを柱とした憲法を制定し国作りを進めた。三権分立、人民主権
独立を達成したアメリカ合衆国では、( )やアフリカ人奴隷は国家の構成員とはみなされなかった。先住民
フランスでは厳しい身分制度があり、人口の9割以上を占める( )別名( )平民、第三身分
国王( )は、財政危機を解決するために特権身分への課税を試みたが、反発を受けた。ルイ16世
特権身分と第三身分の不満があわさって1789年に起こったできごとフランス革命
革命の中で、人間の自由・平等などを主張した( )が開拓された人権宣言
内外の混乱をおさえて国民の絶大な支持を得た( )は、周辺諸国の征服にも乗り出し、1804年に皇帝となったナポレオン=ボナパルト
ナポレオンに征服された地域では、フランス革命の理念が伝えられたことで改革がうながされた一方、外国の支配に反対する( )を成長させることにもなった国民意識
アメリカ独立宣言と人権宣言に共通する2つのキーワード自由、平等
第一身分の聖職者と第二身分の貴族は( )を持つ免税特権
憲法が制定されるまで国民議会は絶対に解散しない球戯場の誓い
大政奉還後も徳川慶喜は政治の中心的存在にとどまろうとしたため、徳川氏の排除をめざす薩長両藩や公家の一部は( )を出して、天皇を中心とする新政府を発足させた。クーデタ
いったん朝廷に政権を返すことを幕府に提案し、徳川慶喜はこれを受け入れ、朝廷に( )を提出した。大政奉還の上表
( )を出して天皇を中心とする新政府を発足させた。王政復古の大号令
新政府の会議で徳川慶喜がもつ領地の返上などが決定されると、徳川慶喜は( )に入り、新政府と対決することになった。大坂城
旧幕府勢力と新政府の交渉で、江戸幕府は( )された。無血開城
戊辰戦争は、(地名)で旧幕府勢力が敗れたことで終結し、日本国内は新政府により統一された。箱館
戊辰戦争のさなか、新政府は( )を出して広く意見を取り入れる政治を宣言した。五箇条の誓文
新政府は五箇条の誓文を出す一方で( )を発表したが、その方針は江戸時代の統治と変わらなかった。五榜の掲示
新政府は、政治権力を中央政府である( )に集中させた。太政官
江戸時代末期からの、天皇を中心に全国をおさめる一連の改革明治維新
戊辰戦争が終わると、新政府は大名に領地と領民を天皇に返上させる( )の命令を出した。版籍奉還
大名は( )として地方長官となり、今まで通り藩の政治を継続させた。知藩事
1871年、新政府は徴税権と軍事力を吸収するため、すべての藩を廃止して府県とし、新政府が任命する府知事と県令に地方行政を担わせる( )をおこなった。廃藩置県
地方に納められていた税を国に納めさせ、財源を確保する。徴税権