インドから中国にかけての地域は、綿織物・茶・陶磁器などの( )を生産していた世界商品
18世紀のアジアでは、西から順に3国オスマン帝国、ムガル帝国、清
世界商品のインド産の綿織物はヨーロッパで使われるだけでなく、アフリカで( )の対価としても用いられる重要な商品であった奴隷貿易
ヨーロッパ諸国は( )という特許会社を設立するなどして、アジアへ進出したが、東南アジア島嶼部やインド沿岸部を除くと、植民地にするのは容易ではなかった東インド会社
清は、17世紀後半に即位した( )以来、繁栄の時代にあり、ここに渡った宣教師らの報告した中国の政治体制や文化は、ヨーロッパの思想家に大きな影響を与えた康熙帝
ヨーロッパ諸国は、16世紀頃から海外へ進出し始め、18世紀頃までに( )を植民地化した南北アメリカ大陸
南北アメリカ大陸が植民地化され、アフリカ西海岸に拠点を設けた奴隷貿易も行われ、( )という体勢が成立した大西洋三角貿易
ヨーロッパ諸国間の植民地獲得競争は、18世紀後半にイギリスの勝利で終わったが、( )やラテンアメリカ諸地域の独立により、ヨーロッパ諸国は新たな進出先を求めるようになったイギリス
江戸幕府が行ったキリスト教の禁止、貿易や日本人の海外渡航などの規制鎖国
鎖国中、幕府は( )を通じて海外との交流を続け、同時代の国際情勢も把握した四つの窓口
江戸幕府が貿易を統制すると、それまで( )であった綿織物・茶・陶磁器・砂糖などが日本国内で生産されるようになった輸入品
四つの窓口で長崎はどこと貿易していたかオランダ、中国
輸入品の国産化や新田開発などによる農業生産の伸びにより、江戸・京都・大坂の三都を中心に( )が形成された全国市場
琉球王国は明・清の( )としての立場をとっていた冊封国
イギリスでは( )のほかに様々な製造業や商業が発達し国内には豊かな資本がたくわえられた毛織物業
18世紀に入ると、農村では大地主がおこなった( )によって農民の多くは土地を失い、工場などの労働者となった農地囲い込み
豊富な資本と労働力にたくわえられたイギリスは、( )や鉄などの天然資源にもめぐまれており、これらを工業生産に役立てることができた石炭
華やかや染色も可能なインドの( )は、イギリスで人気が高まり、これを自国でつくろうとする動きがおこった綿織物
産業革命とは、生産の中心が( )工業から( )工業へ移行したことによる社会変化。18世紀後半のイギリスから始まる手、機械
( )が改良した蒸気機関が動力に利用され、綿織物の生産が飛躍的に進んだワット
イギリスの( )が蒸気機関車を実用化スティーヴンソン
産業革命を最初に達成したイギリスは、良質で安い製品を大量に生産して世界に輸出できたので、( )と呼ばれた世界の工場
産業革命により、機械を使用して商品を生産する( )が成立した機械制工場生産
機械制工場生産により、( )と( )という2つの社会階層があらわれた産業資本家、賃金労働者
工場や鉱山で女性や( )に長時間、低賃金の条件で働くことを強制した子ども
新たな社会問題・労働問題の発生に対し、労働者たちが団結し、労働条件や生活環境の改善を訴えることもあった労働運動
18世紀後半に独立を達成したアメリカ合衆国は( )や貿易における航海上の寄港地として、また蒸気船の( )を補給する地として日本の開国を求めた捕鯨、石炭
18世紀前半の日本では、( )が取り入れられ、海外情勢や江戸幕府の対外政策などへの関心が高まった蘭学
日本近海にヨーロッパやアメリカ合衆国の船がたびたびあらわれるようになると、幕府は1825年に( )を出して、外国船を排除する政策をとった異国船打払令
外国船のなかには、日本に( )を求めるだけでなく、日本人漂流民の変換を試みるものもあった開国
幕府は、ロシアから帰還した( )をはじめとする帰還漂流民からも海外の情報を収集した大黒屋光太夫
清は、ヨーロッパ諸国との貿易を( )のみに限る政策をとっていた広州
18世紀になると、ヨーロッパやアメリカでは( )の消費が急増し、中国から大量に買いつけた茶
イギリスは、茶の対価として望んだ自国の工業製品が期待通りに売れなかったため、( )を始めて中国にアヘンを持ち込んだ三角貿易
イギリスへの( )の流出やアヘンの毒素が大きな社会問題となった銀
三角貿易で様々な問題が起きたため、中国は広州に( )を派遣してアヘンの没収など強硬な対策をとった林則徐
林則徐がアヘンを没収したことを好機ととらえて1840年、イギリスは清に兵を送ったアヘン戦争
アヘン戦争で清はイギリスに敗れて1842年に( )条約を結んだ南京
南京条約を結び、( )の割譲、広州・上海など5港の開港、賠償金の支払いなどを認めた香港島
イギリスは1843年、清に駐留するイギリス人はイギリスの法を適用する権利を清に認めさせた領事裁判権
幕府は( )と呼ばれる報告書から戦争の情報を分析した風説書
1842年に異国船打払令を( )に改めて、外国との戦争を避ける方針をとった薪水給与令
( )は、1844年に開国を勧告する新書を幕府に送ったが、幕府は「鎖国」を理由として開国を拒絶したオランダ
1853年、アメリカ使節ペリーは、日本の開国を求めて大統領の国書を持参したが、江戸幕府は回答を翌年に引きのばす一方、( )に報告したり、諸大名に意見を求めたりした朝廷
( )の権威は高まり、諸大名は幕府に政治の意見を述べるようになった朝廷
ペリーの来航後、ロシア使節( )も長崎に来航し、幕府に開国を求めたプチャーチン
ペリーは4隻の黒船を率いて( )沖にあらわれた浦賀
1854年、ペリーが再来航し、( )を結んだ日米和親条約
日米和親条約では、下田と函館を開港することなどが定められたが、日本側だけに( )が義務づけられるなど不平等な内容も含まれていた最恵国待遇
日露和親条約で( )島と( )島のあいだに国境を定め、のちに樺太は従来通りに両国人の雑居地とした択捉、得撫
日米和親条約を結んだアメリカは( )を日本に駐在させ、幕府に通商条約の締結を求めたハリス
幕府は通商条約調印について朝廷に意見を求めたが、外国人を打ち払おうという( )の意見が強く、許可を得られなかった攘夷
1858年に大老に就任した井伊直弼は、朝廷の許可が得られないまま( )に調印した日米修好通商条約
日米修好通商条約は、日本に滞在する自国民への( )を認め、日本が輸入する税率は協議して決定するなど、不平等なものであった領事裁判権
日本が輸入する税率は協議して決定する不平等な条約関税自主権
幕府はアメリカについで、イギリス・オランダ・ロシア・フランスとも通商条約を結んだ安政の五カ国条約
日本では欧米諸国から学び、それらの国に対抗しようとする動きが広まり、幕府は洋書を翻訳したり、洋楽を教えたりする( )を設けた蕃書調所
日米修好通商条約で開港した5つ長崎、新潟、函館、神奈川、兵庫
日米和親条約後、幕府は三カ国とも類似の条約を結んだイギリス、オランダ、ロシア
インドから中国にかけての地域は、綿織物・茶・陶磁器などの( )を生産していた世界商品
18世紀のアジアでは、西から順に3国オスマン帝国、ムガル帝国、清
世界商品のインド産の綿織物はヨーロッパで使われるだけでなく、アフリカで( )の対価としても用いられる重要な商品であった奴隷貿易
ヨーロッパ諸国は( )という特許会社を設立するなどして、アジアへ進出したが、東南アジア島嶼部やインド沿岸部を除くと、植民地にするのは容易ではなかった東インド会社
清は、17世紀後半に即位した( )以来、繁栄の時代にあり、ここに渡った宣教師らの報告した中国の政治体制や文化は、ヨーロッパの思想家に大きな影響を与えた康熙帝
ヨーロッパ諸国は、16世紀頃から海外へ進出し始め、18世紀頃までに( )を植民地化した南北アメリカ大陸
南北アメリカ大陸が植民地化され、アフリカ西海岸に拠点を設けた奴隷貿易も行われ、( )という体勢が成立した大西洋三角貿易
ヨーロッパ諸国間の植民地獲得競争は、18世紀後半にイギリスの勝利で終わったが、( )やラテンアメリカ諸地域の独立により、ヨーロッパ諸国は新たな進出先を求めるようになったイギリス
江戸幕府が行ったキリスト教の禁止、貿易や日本人の海外渡航などの規制鎖国
鎖国中、幕府は( )を通じて海外との交流を続け、同時代の国際情勢も把握した四つの窓口
江戸幕府が貿易を統制すると、それまで( )であった綿織物・茶・陶磁器・砂糖などが日本国内で生産されるようになった輸入品
四つの窓口で長崎はどこと貿易していたかオランダ、中国
輸入品の国産化や新田開発などによる農業生産の伸びにより、江戸・京都・大坂の三都を中心に( )が形成された全国市場
琉球王国は明・清の( )としての立場をとっていた冊封国
イギリスでは( )のほかに様々な製造業や商業が発達し国内には豊かな資本がたくわえられた毛織物業
18世紀に入ると、農村では大地主がおこなった( )によって農民の多くは土地を失い、工場などの労働者となった農地囲い込み
豊富な資本と労働力にたくわえられたイギリスは、( )や鉄などの天然資源にもめぐまれており、これらを工業生産に役立てることができた石炭
華やかや染色も可能なインドの( )は、イギリスで人気が高まり、これを自国でつくろうとする動きがおこった綿織物
産業革命とは、生産の中心が( )工業から( )工業へ移行したことによる社会変化。18世紀後半のイギリスから始まる手、機械
( )が改良した蒸気機関が動力に利用され、綿織物の生産が飛躍的に進んだワット
イギリスの( )が蒸気機関車を実用化スティーヴンソン
産業革命を最初に達成したイギリスは、良質で安い製品を大量に生産して世界に輸出できたので、( )と呼ばれた世界の工場
産業革命により、機械を使用して商品を生産する( )が成立した機械制工場生産
機械制工場生産により、( )と( )という2つの社会階層があらわれた産業資本家、賃金労働者
工場や鉱山で女性や( )に長時間、低賃金の条件で働くことを強制した子ども
新たな社会問題・労働問題の発生に対し、労働者たちが団結し、労働条件や生活環境の改善を訴えることもあった労働運動
18世紀後半に独立を達成したアメリカ合衆国は( )や貿易における航海上の寄港地として、また蒸気船の( )を補給する地として日本の開国を求めた捕鯨、石炭
18世紀前半の日本では、( )が取り入れられ、海外情勢や江戸幕府の対外政策などへの関心が高まった蘭学
日本近海にヨーロッパやアメリカ合衆国の船がたびたびあらわれるようになると、幕府は1825年に( )を出して、外国船を排除する政策をとった異国船打払令
外国船のなかには、日本に( )を求めるだけでなく、日本人漂流民の変換を試みるものもあった開国
幕府は、ロシアから帰還した( )をはじめとする帰還漂流民からも海外の情報を収集した大黒屋光太夫
清は、ヨーロッパ諸国との貿易を( )のみに限る政策をとっていた広州
18世紀になると、ヨーロッパやアメリカでは( )の消費が急増し、中国から大量に買いつけた茶
イギリスは、茶の対価として望んだ自国の工業製品が期待通りに売れなかったため、( )を始めて中国にアヘンを持ち込んだ三角貿易
イギリスへの( )の流出やアヘンの毒素が大きな社会問題となった銀
三角貿易で様々な問題が起きたため、中国は広州に( )を派遣してアヘンの没収など強硬な対策をとった林則徐
林則徐がアヘンを没収したことを好機ととらえて1840年、イギリスは清に兵を送ったアヘン戦争
アヘン戦争で清はイギリスに敗れて1842年に( )条約を結んだ南京
南京条約を結び、( )の割譲、広州・上海など5港の開港、賠償金の支払いなどを認めた香港島
イギリスは1843年、清に駐留するイギリス人はイギリスの法を適用する権利を清に認めさせた領事裁判権
幕府は( )と呼ばれる報告書から戦争の情報を分析した風説書
1842年に異国船打払令を( )に改めて、外国との戦争を避ける方針をとった薪水給与令
( )は、1844年に開国を勧告する新書を幕府に送ったが、幕府は「鎖国」を理由として開国を拒絶したオランダ
1853年、アメリカ使節ペリーは、日本の開国を求めて大統領の国書を持参したが、江戸幕府は回答を翌年に引きのばす一方、( )に報告したり、諸大名に意見を求めたりした朝廷
( )の権威は高まり、諸大名は幕府に政治の意見を述べるようになった朝廷
ペリーの来航後、ロシア使節( )も長崎に来航し、幕府に開国を求めたプチャーチン
ペリーは4隻の黒船を率いて( )沖にあらわれた浦賀
1854年、ペリーが再来航し、( )を結んだ日米和親条約
日米和親条約では、下田と函館を開港することなどが定められたが、日本側だけに( )が義務づけられるなど不平等な内容も含まれていた最恵国待遇
日露和親条約で( )島と( )島のあいだに国境を定め、のちに樺太は従来通りに両国人の雑居地とした択捉、得撫
日米和親条約を結んだアメリカは( )を日本に駐在させ、幕府に通商条約の締結を求めたハリス
幕府は通商条約調印について朝廷に意見を求めたが、外国人を打ち払おうという( )の意見が強く、許可を得られなかった攘夷
1858年に大老に就任した井伊直弼は、朝廷の許可が得られないまま( )に調印した日米修好通商条約
日米修好通商条約は、日本に滞在する自国民への( )を認め、日本が輸入する税率は協議して決定するなど、不平等なものであった領事裁判権
日本が輸入する税率は協議して決定する不平等な条約関税自主権
幕府はアメリカについで、イギリス・オランダ・ロシア・フランスとも通商条約を結んだ安政の五カ国条約
日本では欧米諸国から学び、それらの国に対抗しようとする動きが広まり、幕府は洋書を翻訳したり、洋楽を教えたりする( )を設けた蕃書調所
日米修好通商条約で開港した5つ長崎、新潟、函館、神奈川、兵庫
日米和親条約後、幕府は三カ国とも類似の条約を結んだイギリス、オランダ、ロシア