イギリスでノーフォーク農法(4年輪作)が始まり、第二次囲い込みとあいまって、農業革命が進む。
失地農は大都市に流入し、産業革命を支えるブラック労働へ。1730
イギリスのジョン=ケイ、飛び杼(とびひ)を発明。織物生産の効率がアップ1733
フランスのヴォルテールが『哲学書簡』を発表。
イギリスの宗教的寛容や議会政治を賛美1733
神聖ローマ皇帝位を受け継ぐハプスブルク家の直轄領(オーストリア)をマリア=テレジアが継いだことにユンカーの農奴支配による穀物輸出などで富国強兵策をとり、台頭したプロインセンで同年即位したフリードリヒ2世が異議を唱え、オーストリア継承戦争が始まる(~48)勝ったプロイセンはシュレジエン地方を獲得1740
オーストラリア継承戦争(17○○〜17○○)1740〜1748
イギリス首相ウォルポール(在1721~)議会多数の支持を失い辞任(=議院内閣制の確立)1742
カーナティック戦争。[第一次]
(インド東南部での英仏の民地戦争)1744〜1748
フリードリヒ2世により、ベルリン郊外のポツダムにロココ様式のサンスーシ宮殿完成。
シノワズリ(中国趣味)も見られる。1747
バッハが『音楽の捧げもの』という曲を献呈 。1747
乾隆帝(在位1735~95)のもとでカスティリオーネが円明園の西洋式庭園を設計。1747
フランスのモンテスキュー「法の精神」を発表。
三権分立による権力分散を唱える1748
数学者オイラーが「オイラーの等式」の証明を出版1748
ディドロ、ダランベールら「百科全書」の刊行を開1751
ルイ15世の愛妻ポンパドゥール夫人主導で外交革命が成就し、フランスとオーストリアが同盟。1756
7年戦争(プロイセンvsオーストリア)1756〜1763
北米でイギリス、フランスが
フレンチ=インディアン戦争で争う。1754〜1763
乾隆帝、ヨーロッパ人との貿易港を広州1港に限定1757
フランスの重農主義者ケネーが『経済表』を発表「レッセ・フェール」(自由放任)を主張1758
東トルキスタンを「新○」として藩部に入れる。1759
イギリスで陶磁器メーカー、ウェッジウッド社設立。1759
フランス人ルソーが『社会契約論』を発表
「自由を平等に分配」する人民主権政府を構想。1762
ドイツ系のロシア帝妃が、夫に対しクーデターを起こし、ロシア皇帝・エカチェリーナ2世として即位。1762
パリ条約で七年戦争終結。
カナダ、ミシシッピ以東の、ルイジアナなどがフランスからイギリスになった。
【⚠️1783年のパリ条約とは別の条約】1763
清中期の上流階級の暮らしぶりを描いた『紅楼夢』の作者・曹雪芹が死去。1763
ハーグリーヴズ(イギリス)、多軸紡績機(ジェニー紡績機)を発明。1764
イギリス、アメリカの植民地に印紙法制定。
(「代表なくして課税なし」の非難に翌年無効)1765
イギリス東インド会社が、インドのベンガル・ビハール地方の徴税権を獲得。1765
神聖ローマ皇帝フランツ1世(マリア=テレジアの夫)が死去。
ヨーゼフ2世が皇帝に即位。啓蒙専制主義をとる。1765
イギリスの、インド南部でのマイソール戦争
(南部のマイソール王国vs英東インド会社)1767〜1799
イギリス人のワットが蒸気機関の特許をとる。1769
イギリス人のアークライトが水力紡績機を発明。1769
イギリス人のクックが、オーストラリア東岸を探検。イギリス領と宣言。1770
乾隆帝、『四庫全』の編集を命じる(1781完成) 言論弾圧である「文字(もんじ)の獄」も起きる。1772
第1回ポーランド分割。
プロイセン、オーストリア、ロシアがポーランドの領土を奪う。
農奴制に立脚した物輸出を強化し、イギリス産業革命に従用する方向。1772
東インド会社に植民地での茶の独占販売権を与える茶法が制定される。
ボストン茶会事件が起きる。1773
ヴォルガ川流域でプガチョフの農民反乱始まる。
エカチェリーナ2世は鎮圧後、農奴制を強化。1773
杉田玄白らが西洋医学書をオランダ語から『解体新書』として訳す。
「蘭学」が隆盛へ。1774
エカチェリーナ2世、オスマン帝国に勝利し、クリミア半島を支配下に(1783併合)1774
重農主義者のテュルゴーがフランスの財務総監に就任。
物取引の自由化でイギリス産業革命に従属する形での財政再建をめざす。1774
ボストン港の封鎖に対し、13植民地の代表がフィラデルフィアに集まり第1回大陸会議を開催。1774
イギリス、マラーター戦争開始。
インドの支配地拡大をめざす。
(17○○〜18○○)1775〜1818
レキシントンの衝突からアメリカ独立戦争開始
(17○○〜17○○)
のちにポーランド分割に反対して蜂起するコシューシコも司令官ワシントンの副官として参加した。1775〜1783
トマス=ペインの「コモン・センス』がベストセラーに。
フィラデルフィアでトマス=ジェファソンら起草の「独立宣言」採択。1776
イギリスのアダム=スミス『諸国民の富』(『国富論』)発表。
重商主義から自由主義へ(古典派経済学)
この論によると、アメリカは独立しても経済的にイギリスに従属することになるらしい。1776
フランスのラヴォアジェが、「焼」が「空気の一成分」と物質の結合であることを解明し、その「空気の一成分」を「酸素」と名づける1777
イギリスのクロンプトンが、ジェニー紡績機と水力紡績機のいいとこどりでミュール紡績機を発明。1779
プロイセンのカントが『純粋理性批判』を発刊
「人間の理性の正しさ」の根拠を探究へ1781
パリ条的でアメリカが正式に独立。
カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナなどが
イギリスからアメリカに変わった。
【1763年のパリ条約とは別の条約】1783
モーツァルトが「フィガロの結婚』をウィーンで初演。古典派音楽を代表する存在。1786
アメリカ合国憲法制定、ルソーの人民主権とモンテスキューの三権分立が入る。
「連邦主義」で中央集権強化。1787
シェイエス著『第三身分とは何か」が出版される。1789
ネッケルが財務長官再就任の条件としたことをきっかけに175年ぶりに三部会開催1789
三部会の議決方法に不満な議員たちが独自に形成した国民議会が、「フランスに憲法ができるまで解散しない」ことを誓う(球戯場の誓い)1789
パリ民衆がバスティーユ牢獄を襲撃。
国民議会権力学掘へ1789
濃民蜂起への対応を含め、ラファイエットら起草の人権宜言が採択される。1789
イギリスでノーフォーク農法(4年輪作)が始まり、第二次囲い込みとあいまって、農業革命が進む。
失地農は大都市に流入し、産業革命を支えるブラック労働へ。1730
イギリスのジョン=ケイ、飛び杼(とびひ)を発明。織物生産の効率がアップ1733
フランスのヴォルテールが『哲学書簡』を発表。
イギリスの宗教的寛容や議会政治を賛美1733
神聖ローマ皇帝位を受け継ぐハプスブルク家の直轄領(オーストリア)をマリア=テレジアが継いだことにユンカーの農奴支配による穀物輸出などで富国強兵策をとり、台頭したプロインセンで同年即位したフリードリヒ2世が異議を唱え、オーストリア継承戦争が始まる(~48)勝ったプロイセンはシュレジエン地方を獲得1740
オーストラリア継承戦争(17○○〜17○○)1740〜1748
イギリス首相ウォルポール(在1721~)議会多数の支持を失い辞任(=議院内閣制の確立)1742
カーナティック戦争。[第一次]
(インド東南部での英仏の民地戦争)1744〜1748
フリードリヒ2世により、ベルリン郊外のポツダムにロココ様式のサンスーシ宮殿完成。
シノワズリ(中国趣味)も見られる。1747
バッハが『音楽の捧げもの』という曲を献呈 。1747
乾隆帝(在位1735~95)のもとでカスティリオーネが円明園の西洋式庭園を設計。1747
フランスのモンテスキュー「法の精神」を発表。
三権分立による権力分散を唱える1748
数学者オイラーが「オイラーの等式」の証明を出版1748
ディドロ、ダランベールら「百科全書」の刊行を開1751
ルイ15世の愛妻ポンパドゥール夫人主導で外交革命が成就し、フランスとオーストリアが同盟。1756
7年戦争(プロイセンvsオーストリア)1756〜1763
北米でイギリス、フランスが
フレンチ=インディアン戦争で争う。1754〜1763
乾隆帝、ヨーロッパ人との貿易港を広州1港に限定1757
フランスの重農主義者ケネーが『経済表』を発表「レッセ・フェール」(自由放任)を主張1758
東トルキスタンを「新○」として藩部に入れる。1759
イギリスで陶磁器メーカー、ウェッジウッド社設立。1759
フランス人ルソーが『社会契約論』を発表
「自由を平等に分配」する人民主権政府を構想。1762
ドイツ系のロシア帝妃が、夫に対しクーデターを起こし、ロシア皇帝・エカチェリーナ2世として即位。1762
パリ条約で七年戦争終結。
カナダ、ミシシッピ以東の、ルイジアナなどがフランスからイギリスになった。
【⚠️1783年のパリ条約とは別の条約】1763
清中期の上流階級の暮らしぶりを描いた『紅楼夢』の作者・曹雪芹が死去。1763
ハーグリーヴズ(イギリス)、多軸紡績機(ジェニー紡績機)を発明。1764
イギリス、アメリカの植民地に印紙法制定。
(「代表なくして課税なし」の非難に翌年無効)1765
イギリス東インド会社が、インドのベンガル・ビハール地方の徴税権を獲得。1765
神聖ローマ皇帝フランツ1世(マリア=テレジアの夫)が死去。
ヨーゼフ2世が皇帝に即位。啓蒙専制主義をとる。1765
イギリスの、インド南部でのマイソール戦争
(南部のマイソール王国vs英東インド会社)1767〜1799
イギリス人のワットが蒸気機関の特許をとる。1769
イギリス人のアークライトが水力紡績機を発明。1769
イギリス人のクックが、オーストラリア東岸を探検。イギリス領と宣言。1770
乾隆帝、『四庫全』の編集を命じる(1781完成) 言論弾圧である「文字(もんじ)の獄」も起きる。1772
第1回ポーランド分割。
プロイセン、オーストリア、ロシアがポーランドの領土を奪う。
農奴制に立脚した物輸出を強化し、イギリス産業革命に従用する方向。1772
東インド会社に植民地での茶の独占販売権を与える茶法が制定される。
ボストン茶会事件が起きる。1773
ヴォルガ川流域でプガチョフの農民反乱始まる。
エカチェリーナ2世は鎮圧後、農奴制を強化。1773
杉田玄白らが西洋医学書をオランダ語から『解体新書』として訳す。
「蘭学」が隆盛へ。1774
エカチェリーナ2世、オスマン帝国に勝利し、クリミア半島を支配下に(1783併合)1774
重農主義者のテュルゴーがフランスの財務総監に就任。
物取引の自由化でイギリス産業革命に従属する形での財政再建をめざす。1774
ボストン港の封鎖に対し、13植民地の代表がフィラデルフィアに集まり第1回大陸会議を開催。1774
イギリス、マラーター戦争開始。
インドの支配地拡大をめざす。
(17○○〜18○○)1775〜1818
レキシントンの衝突からアメリカ独立戦争開始
(17○○〜17○○)
のちにポーランド分割に反対して蜂起するコシューシコも司令官ワシントンの副官として参加した。1775〜1783
トマス=ペインの「コモン・センス』がベストセラーに。
フィラデルフィアでトマス=ジェファソンら起草の「独立宣言」採択。1776
イギリスのアダム=スミス『諸国民の富』(『国富論』)発表。
重商主義から自由主義へ(古典派経済学)
この論によると、アメリカは独立しても経済的にイギリスに従属することになるらしい。1776
フランスのラヴォアジェが、「焼」が「空気の一成分」と物質の結合であることを解明し、その「空気の一成分」を「酸素」と名づける1777
イギリスのクロンプトンが、ジェニー紡績機と水力紡績機のいいとこどりでミュール紡績機を発明。1779
プロイセンのカントが『純粋理性批判』を発刊
「人間の理性の正しさ」の根拠を探究へ1781
パリ条的でアメリカが正式に独立。
カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナなどが
イギリスからアメリカに変わった。
【1763年のパリ条約とは別の条約】1783
モーツァルトが「フィガロの結婚』をウィーンで初演。古典派音楽を代表する存在。1786
アメリカ合国憲法制定、ルソーの人民主権とモンテスキューの三権分立が入る。
「連邦主義」で中央集権強化。1787
シェイエス著『第三身分とは何か」が出版される。1789
ネッケルが財務長官再就任の条件としたことをきっかけに175年ぶりに三部会開催1789
三部会の議決方法に不満な議員たちが独自に形成した国民議会が、「フランスに憲法ができるまで解散しない」ことを誓う(球戯場の誓い)1789
パリ民衆がバスティーユ牢獄を襲撃。
国民議会権力学掘へ1789
濃民蜂起への対応を含め、ラファイエットら起草の人権宜言が採択される。1789