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世界史 戦後亜
16問 • 8ヶ月前
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  • 1

    中華人民共和国について、空所補充。 国共内戦(第2次)に勝利した中国共産党は、1949年6月、新たな国家を建設するため、国民党系を除く全国各界の重要人物を集めた新政治協商会議準備会議を開催して建国の基本方針を討議し、9月には正式に人民政治協商会議を招集、ここで国号を中華人民共和国、首都を(①)と改名(それまでは北平といわれた)とした。これ以降は中華人民共和国を略称で中国と言うようになった。なお、中共とは中国共産党の略称として用いられている。  1949年10月1日、①の天安門広場に面した壇上に上った(②)が中華人民共和国の建国を宣言、新中国の新しい一歩が開始された。この10月1日は現在も国慶節として建国記念日とされている。  中央の人民政府の基本的な構成として政府主席②、副主席には朱徳、劉少奇の他、共産党以外から3名が選ばれた。政務院総理には(③)が就任した。同時に、それまでの北平を①と改めて首都とし、国旗として五星紅旗、国歌として「義勇兵行進曲」を制定した。

    ①北京 ②毛沢東 ③周恩来

  • 2

    ★第二次国境内戦が行われているときの国際社会情勢について、120字程度で説明せよ。 指定語句〔マーシャル=プラン、封じ込め政策、コミンフォルムとコメコン〕

    戦後国際社会は米とソ連の対立軸とした東西冷戦に突入していた。米は1947年のトルーマン=ドクトリンで共産圏に対する封じ込め政策を明確にしてマーシャル=プランを実行した。それに対してスターリン体制下のソ連はコミンフォルムとコメコンを結成した。(120字)

  • 3

    ★第二次大戦後から1950年頃までの、中国の国内外の動きについて、200字以内で説明せよ。 指定語句〔国民党、共産党、台湾、人民政治協商会議、中華人民共和国、モスクワ〕

    第二次大戦後、中国では国民党と共産党による内戦が再燃した。当初は国民党が優勢だったが、共産党は農民の支持を得て優位に立ち、1949年に毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した。敗れた国民党の蒋介石は台湾へ逃れ中華民国を存続した。建国前には人民政治協商会議が開催され、国号などが決定された。1950年には、新国家はモスクワでソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、社会主義陣営に加わった。(192字)

  • 4

    朝鮮戦争について、空所補充。 朝鮮は1945年8月15日、日本の植民地支配から解放されたが、東西冷戦が進行する中で、ほぼ北緯(①)度線に沿った戦で南北に分断されてしまった。1948年に北には(②)、南には(③)という別個の国家が成立し、北は(④)の率いる朝鮮労働党のもとで社会主義体制をとり、南は(⑤)大統領の親米政権のもとで資本主義体制をとるという二陣営が直接対立する場となった朝鮮半島で、1950年6月25日についに戦争が勃発した。南北いずれが先に仕掛けたが、議論があったが、現在は②の④が、中国革命に続いて朝鮮半島でも社会主義による統一国家の建設を目指し、武力統一をはかったものと考えられている。北朝鮮軍の侵攻に対して、韓国軍を「国連軍」の軍旗を掲げたアメリカ軍が直接支援し、さらには後半には中華人民共和国から義勇兵が北側に参戦し、内戦にとどまらない国際的な戦争となった。両軍は、第二次世界大戦後のもっとも深刻な戦闘を繰り返したが勝敗がつかず、1953年に北緯①度線で両軍が対峙したまま休戦協定が成立した。現在に至るまで完全な和平には至っていないのであり、東アジア情勢の最大の不安定要因となっている。

    ①38 ②朝鮮民主主義人民共和国 ③大韓民国 ④金日成 ⑤李承晩

  • 5

    空所補充。 1950年6月25日、金日成の率いる北朝鮮軍が軍事行動を開始し、北緯38度線を越えて韓国に侵攻した。国際連合の(①)は緊急会議を開催し、即時停戦と北朝鮮の撤退勧告を決議した。この時、常任理事国のソ連は中国代表権問題で他の4常任理事国と対立して①をボイコットし欠席していたので、ソ連抜きの①決議となった。アメリカの(②)大統領は緊急を要すると判断してアメリカ軍を単独で派遣することを決意、日本駐留のアメリカ軍に出動を命じた。 北朝鮮軍は28日、(③)を占領したが金日成の期待した南朝鮮の人民蜂起は起きなかった。その後も北朝鮮軍の進撃は続き、大田で米軍を破り、半島南端の(④)に迫った。7月7日、国連①は国連軍の派遣をソ連欠席のまま決定、米軍のマッカーサー元帥を統一司令部に任命した。国連軍とはいえ、その9割はアメリカ軍によって構成されているというのが実態だった。 1950年9月15日、マッカーサーは北朝鮮軍の背後を突くべく、仁川上陸作戦を展開し、形勢を逆転させ、③を奪回した。さらに国連軍(実態はアメリカ軍)は38度線を越えて北上したため、10月20日には(⑤)を陥落させた。それに対して毛沢東の中華人民共和国政府は北朝鮮支援を決意し、大量の(⑥)を送った。1950年10月19日に中国軍が鴨緑江を越えて参戦、それによってアメリカ軍は後退し、⑤を放棄した。さらに追撃する北朝鮮軍・中国軍は一時③も制圧した。マッカーサーは総力戦で反撃し、ソウルを奪還、38度線まで押し返したが、そこで戦線は膠着し、互いにその線の南北に押さえこまれた。 マッカーサー司令官は戦線の膠着を打開するため、中国本土への爆撃と(⑦)の使用を主張したが、②大統領はそれを拒否し、休戦を決意した。1951年4月、原爆の使用を主張するマッカーサー司令官を解任、休戦交渉に入った。長い交渉の結果、1953年7月27日、南北朝鮮代表、米中代表などが(⑧)で朝鮮休戦協定に調印した。朝鮮戦争の休戦成立には、同年1月のアメリカの(⑨)大統領就任、3月のソ連のスターリンの死去という米ソの政権交代が大きく作用していた。

    ①安全保障理事会 ②トルーマン ③ソウル ④釜山 ⑤平壌 ⑥人民義勇軍 ⑦原爆 ⑧板門店 ⑨アイゼンハウワー

  • 6

    ★朝鮮戦争により、アメリカや中国、日本の世界的な立場が変化した。どのような変化が起きたのか、200字以内で説明せよ。 指定語句〔「まき返し政策」、マーシャル=プラン、毛沢東、第一次五ヵ年計画、再軍備、警察予備隊〕

    朝鮮戦争は冷戦下でアメリカ、中国、日本の立場を大きく変えた。アメリカは「封じ込め政策」を強化し、「まき返し政策」へと転換。中国は義勇軍を派遣し、毛沢東指導下で第一次五ヵ年計画による工業化を推進し、国際社会での影響力を高めた。日本は国連軍の後方支援基地となり、「朝鮮特需」で経済復興が進む一方、警察予備隊の創設(後の再軍備)を求められ、アメリカの対ソ戦略に組み込まれた。(184字)

  • 7

    ★サンフランシスコ平和条約の意義について、100字程度で述べよ。 指定語句〔サンフランシスコ体制、北方領土、米軍駐留〕

    サンフランシスコ平和条約は日本の主権回復と国際社会復帰を促した。一方で、北方領土問題が未解決のまま残り、日米安保条約で米軍駐留が継続。これにより、冷戦下におけるサンフランシスコ体制という日本の国際的枠組みが確立された。(109字)

  • 8

    ★朝鮮戦争時の中国国内の産業変化について、100字程度で説明せよ。 指定語句〔地主、集団化、重化学工業、社会主義経済〕

    朝鮮戦争中、中国は地主層を打倒する土地改革を全国的に推進し、農地の集団化を進めた。これにより、農業生産を国家管理下に置き、その剰余を重化学工業の発展に充てることで、ソ連型社会主義経済への移行を加速させた。(102字)

  • 9

    インドシナ戦争について、空所補充。 当初フランスはベトナムの首都ハノイを押さえ優位であったが、(①)軍のゲリラ攻撃に悩まされ農村部を支配できず、戦闘の長期化に国内にも厭戦気運がたかまってきた。1949年にフランスは(②)帝を擁立してベトナム国を樹立した。アメリカ(トルーマン政権)は当初、フランスの植民地主義を批判し、援助に積極的でなかったが、1949年10月、中華人民共和国が成立するとアジアの共産主義化を恐れ((③)理論)、ベトナムのフランス軍を全面支援することとなり、インドシナ戦争は一挙に国際的な問題と化した。  ようやく1954年、停戦交渉が(④)会議として始まり、その最中の1954年5月7日にフランス軍が(⑤)の戦いで大敗北を喫し、1954年7月21日に④休戦協定が成立して和平が実現した。  これによってフランスはインドシナから完全に撤退することとなったが、替わってアメリカがその空白を埋めるべく、進出してきた。アメリカは和平に反対して④休戦協定に参加せず、むしろ1955年には南ベトナムに傀儡政権(⑥)(南ベトナム)を樹立して介入し、ホー=チ=ミンのベトナム民主共和国(北ベトナム)と敵対させ、和平協定で約束された統一選挙の実施を拒んだ。  このアメリカの介入は、1965年2月7日のアメリカ軍による北ベトナム空爆から本格的なベトナム戦争へとエスカレートしていく。そしてその戦火は70年代にカンボジアやラオスに拡大していったので、ベトナム戦争を第2次インドシナ戦争と言う場合もある。

    ①ベトミン ②バオダイ ③ドミノ ④ジュネーヴ ⑤ディエンビエンフー ⑥ベトナム共和国

  • 10

    ★ジュネーヴ休戦協定について、80字程度で説明せよ。 指定語句〔ベトナム・ラオス・カンボジアの独立、北緯17°、総選挙〕

    フランス領インドシナ戦争を終結させ、ベトナム・ラオス・カンボジアの独立を承認した。ベトナムは北緯17°線で南北に分断され、総選挙による統一が予定されたが、実現しなかった。(85字)

  • 11

    南ベトナムについて、空所補充。 ベトナムでのインドシナ戦争が(①)が成立して、フランスが撤退した後、アメリカはその休戦協定を承認せず、新たに南ベトナムを支配して、北の共産主義勢力の南への進出を阻止しようとした。1955年10月、アメリカはフランスの傀儡国家であったベトナム国の(②)を追放し、親米派の(③)を大統領としてベトナム共和国を成立させた。これはあらたなアメリカの傀儡政権であった。

    ①ジュネーヴ休戦協定 ②バオダイ ③ゴ=ディン=ジェム

  • 12

    空所補充。  1947年7月18日、イギリス議会が(①)法を可決して、インドとパキスタンの分離独立が最終的に確定した。それを受けて8月15日に独立することになったが、パキスタンは前日の1947年8月14日に独立式典を開催し、(②)が初代総督に就任した。インドは翌年8月15日、(③)として独立した。  こうしてイギリス植民地はヒンドゥー教徒を主体とした国である③(1950年1月26日にインド共和国となる)と、イスラーム教徒の国であるパキスタン(インドの東西の二地域、現在のパキスタンとバングラデシュから成り立っていた)に分離独立という形となった。ただし、インドもパキスタンも戦後の国際協力機構の一つとしてのイギリス連邦(コモンウェルス)には加盟している。  こうして200年に及ぶ植民地支配が終わり、独立を達成した。ガンディーは分離独立に強く反対したが、両派(政治的には国民会議派と全インド=ムスリム連盟)の対立は修復できず、分離独立となってしまった。そのため、インドにいたイスラーム教徒はパキスタンへ、パキスタンに含まれることになったヒンドゥー教徒やシク教徒はインドへ、それぞれ迫害を逃れて大移動することとなり、その過程で各地で衝突と殺戮がくりかえされた。そのために発生した難民は数百万人に及んだ。  イギリス領インド(インド帝国)には、560に及ぶ藩王国があり、イギリス統治の「協力者」として自治が許されていたが、インド・パキスタンの分離独立によってそのいずれかに併合された。その際も次の三藩王国で紛争が起こった。ジュナガル藩王国はインド領に含まれていたがムスリムが多く、パキスタンへの併合を宣言したため、インド軍が侵攻して武力併合した。デカン高原中央のハイダラーバード藩王国はムスリムが多かったため、独立を求めたが1948年9月にインド軍の武力介入によって併合された。インド・パキスタン国境地帯のカシミールでは人口の約4分の3がムスリムでありながら藩王がヒンドゥーであったのでインドへの編入に傾いたためカシミール帰属問題が起り、早くも1947年にインド・パキスタンが武力衝突、インド=パキスタン戦争となった。その後も戦争は三次まで続き、現在も解決がついておらず、互いに核開発を競うなど憎しみを深めていることは憂うべきことであろう。  1950年1月26日、インド連邦はインド共和国となって新憲法を施行したが、何台は言語州問題だった。インドではわずか1票の差でヒンディー語を国語とすることが決まった。一方のパキスタンではイスラーム的要素の残るウルドゥー語が公用語とされ、言語の上でもその違いを明らかにした。

  • 13

    ★20世紀半ば(ただし第二次大戦後)の東南アジアで見られた諸国独立の動きについて、旧宗主国の動きにも着目して200字程度で述べよ。 指定語句〔フィリピン、インドネシア、シハヌーク、ディエンビエンフー、ビルマ〕

    アメリカはフィリピンを1946年に独立させ、影響力を維持した。一方、オランダはインドネシアの独立を武力で阻止しようとしたが、国際社会の圧力もあり1949年に承認。イギリスは、植民地再建を放棄し、1948年にビルマなどを独立させた。フランスはインドシナ三国で抵抗に遭い、ディエンビエンフーの戦いを経て1954年に撤退。これにより、ラオスは独立、シハヌーク国王が率いるカンボジアも独立を達成した。(196字)

  • 14

    ★第二次大戦後の南アジアでは、宗教ごとに独立の動きがあった。これについて200字程度で説明せよ。 指定語句〔インド独立法、ジンナー、ガンディー、スリランカ〕

    戦後、イスラム国家パキスタンの建国を主張するジンナーと、ヒンドゥー教徒との融和を唱えるガンディーが対立。イギリスはインド独立法により、ヒンドゥー教徒主体のインド連邦とパキスタンを分離独立させたが、対立は収まらず、ガンディーは急進的ヒンドゥー教徒に暗殺された。1950年にはインド連邦は近代化を目指す憲法を発布し、ネルーのもとで共和国になった。また、仏教徒が多いスリランカもイギリスから独立し72年には共和国となった。(208字)

  • 15

    ★パレスティナ戦争の背景について、以下の語句を用いて 90 字以内で説明しなさい。 指定語句〔バルフォア宣言 パレスティナ分割案〕

    バルフォア宣言に基づき英委任統治領パレスティナにユダヤ難民が流入。国連総会でパレスティナ分割案が採択され、ユダヤ人はイスラエルを建国。これを認めないアラブ諸国と開戦した。(85 字)

  • 16

    ★第二次大戦後のイランにおける、石油国有化政策の経過と結果について、100字程度で説明せよ。

    モサッデグはイギリスのアングロ・イラニアン石油会社を国有化したが、英米の圧力と経済封鎖でイラン経済は混乱、1953年にパフレヴィー2世を復権させるクーデターでモサッデグは失脚、石油国有化は挫折した。(99字)

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  • 1

    中華人民共和国について、空所補充。 国共内戦(第2次)に勝利した中国共産党は、1949年6月、新たな国家を建設するため、国民党系を除く全国各界の重要人物を集めた新政治協商会議準備会議を開催して建国の基本方針を討議し、9月には正式に人民政治協商会議を招集、ここで国号を中華人民共和国、首都を(①)と改名(それまでは北平といわれた)とした。これ以降は中華人民共和国を略称で中国と言うようになった。なお、中共とは中国共産党の略称として用いられている。  1949年10月1日、①の天安門広場に面した壇上に上った(②)が中華人民共和国の建国を宣言、新中国の新しい一歩が開始された。この10月1日は現在も国慶節として建国記念日とされている。  中央の人民政府の基本的な構成として政府主席②、副主席には朱徳、劉少奇の他、共産党以外から3名が選ばれた。政務院総理には(③)が就任した。同時に、それまでの北平を①と改めて首都とし、国旗として五星紅旗、国歌として「義勇兵行進曲」を制定した。

    ①北京 ②毛沢東 ③周恩来

  • 2

    ★第二次国境内戦が行われているときの国際社会情勢について、120字程度で説明せよ。 指定語句〔マーシャル=プラン、封じ込め政策、コミンフォルムとコメコン〕

    戦後国際社会は米とソ連の対立軸とした東西冷戦に突入していた。米は1947年のトルーマン=ドクトリンで共産圏に対する封じ込め政策を明確にしてマーシャル=プランを実行した。それに対してスターリン体制下のソ連はコミンフォルムとコメコンを結成した。(120字)

  • 3

    ★第二次大戦後から1950年頃までの、中国の国内外の動きについて、200字以内で説明せよ。 指定語句〔国民党、共産党、台湾、人民政治協商会議、中華人民共和国、モスクワ〕

    第二次大戦後、中国では国民党と共産党による内戦が再燃した。当初は国民党が優勢だったが、共産党は農民の支持を得て優位に立ち、1949年に毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した。敗れた国民党の蒋介石は台湾へ逃れ中華民国を存続した。建国前には人民政治協商会議が開催され、国号などが決定された。1950年には、新国家はモスクワでソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、社会主義陣営に加わった。(192字)

  • 4

    朝鮮戦争について、空所補充。 朝鮮は1945年8月15日、日本の植民地支配から解放されたが、東西冷戦が進行する中で、ほぼ北緯(①)度線に沿った戦で南北に分断されてしまった。1948年に北には(②)、南には(③)という別個の国家が成立し、北は(④)の率いる朝鮮労働党のもとで社会主義体制をとり、南は(⑤)大統領の親米政権のもとで資本主義体制をとるという二陣営が直接対立する場となった朝鮮半島で、1950年6月25日についに戦争が勃発した。南北いずれが先に仕掛けたが、議論があったが、現在は②の④が、中国革命に続いて朝鮮半島でも社会主義による統一国家の建設を目指し、武力統一をはかったものと考えられている。北朝鮮軍の侵攻に対して、韓国軍を「国連軍」の軍旗を掲げたアメリカ軍が直接支援し、さらには後半には中華人民共和国から義勇兵が北側に参戦し、内戦にとどまらない国際的な戦争となった。両軍は、第二次世界大戦後のもっとも深刻な戦闘を繰り返したが勝敗がつかず、1953年に北緯①度線で両軍が対峙したまま休戦協定が成立した。現在に至るまで完全な和平には至っていないのであり、東アジア情勢の最大の不安定要因となっている。

    ①38 ②朝鮮民主主義人民共和国 ③大韓民国 ④金日成 ⑤李承晩

  • 5

    空所補充。 1950年6月25日、金日成の率いる北朝鮮軍が軍事行動を開始し、北緯38度線を越えて韓国に侵攻した。国際連合の(①)は緊急会議を開催し、即時停戦と北朝鮮の撤退勧告を決議した。この時、常任理事国のソ連は中国代表権問題で他の4常任理事国と対立して①をボイコットし欠席していたので、ソ連抜きの①決議となった。アメリカの(②)大統領は緊急を要すると判断してアメリカ軍を単独で派遣することを決意、日本駐留のアメリカ軍に出動を命じた。 北朝鮮軍は28日、(③)を占領したが金日成の期待した南朝鮮の人民蜂起は起きなかった。その後も北朝鮮軍の進撃は続き、大田で米軍を破り、半島南端の(④)に迫った。7月7日、国連①は国連軍の派遣をソ連欠席のまま決定、米軍のマッカーサー元帥を統一司令部に任命した。国連軍とはいえ、その9割はアメリカ軍によって構成されているというのが実態だった。 1950年9月15日、マッカーサーは北朝鮮軍の背後を突くべく、仁川上陸作戦を展開し、形勢を逆転させ、③を奪回した。さらに国連軍(実態はアメリカ軍)は38度線を越えて北上したため、10月20日には(⑤)を陥落させた。それに対して毛沢東の中華人民共和国政府は北朝鮮支援を決意し、大量の(⑥)を送った。1950年10月19日に中国軍が鴨緑江を越えて参戦、それによってアメリカ軍は後退し、⑤を放棄した。さらに追撃する北朝鮮軍・中国軍は一時③も制圧した。マッカーサーは総力戦で反撃し、ソウルを奪還、38度線まで押し返したが、そこで戦線は膠着し、互いにその線の南北に押さえこまれた。 マッカーサー司令官は戦線の膠着を打開するため、中国本土への爆撃と(⑦)の使用を主張したが、②大統領はそれを拒否し、休戦を決意した。1951年4月、原爆の使用を主張するマッカーサー司令官を解任、休戦交渉に入った。長い交渉の結果、1953年7月27日、南北朝鮮代表、米中代表などが(⑧)で朝鮮休戦協定に調印した。朝鮮戦争の休戦成立には、同年1月のアメリカの(⑨)大統領就任、3月のソ連のスターリンの死去という米ソの政権交代が大きく作用していた。

    ①安全保障理事会 ②トルーマン ③ソウル ④釜山 ⑤平壌 ⑥人民義勇軍 ⑦原爆 ⑧板門店 ⑨アイゼンハウワー

  • 6

    ★朝鮮戦争により、アメリカや中国、日本の世界的な立場が変化した。どのような変化が起きたのか、200字以内で説明せよ。 指定語句〔「まき返し政策」、マーシャル=プラン、毛沢東、第一次五ヵ年計画、再軍備、警察予備隊〕

    朝鮮戦争は冷戦下でアメリカ、中国、日本の立場を大きく変えた。アメリカは「封じ込め政策」を強化し、「まき返し政策」へと転換。中国は義勇軍を派遣し、毛沢東指導下で第一次五ヵ年計画による工業化を推進し、国際社会での影響力を高めた。日本は国連軍の後方支援基地となり、「朝鮮特需」で経済復興が進む一方、警察予備隊の創設(後の再軍備)を求められ、アメリカの対ソ戦略に組み込まれた。(184字)

  • 7

    ★サンフランシスコ平和条約の意義について、100字程度で述べよ。 指定語句〔サンフランシスコ体制、北方領土、米軍駐留〕

    サンフランシスコ平和条約は日本の主権回復と国際社会復帰を促した。一方で、北方領土問題が未解決のまま残り、日米安保条約で米軍駐留が継続。これにより、冷戦下におけるサンフランシスコ体制という日本の国際的枠組みが確立された。(109字)

  • 8

    ★朝鮮戦争時の中国国内の産業変化について、100字程度で説明せよ。 指定語句〔地主、集団化、重化学工業、社会主義経済〕

    朝鮮戦争中、中国は地主層を打倒する土地改革を全国的に推進し、農地の集団化を進めた。これにより、農業生産を国家管理下に置き、その剰余を重化学工業の発展に充てることで、ソ連型社会主義経済への移行を加速させた。(102字)

  • 9

    インドシナ戦争について、空所補充。 当初フランスはベトナムの首都ハノイを押さえ優位であったが、(①)軍のゲリラ攻撃に悩まされ農村部を支配できず、戦闘の長期化に国内にも厭戦気運がたかまってきた。1949年にフランスは(②)帝を擁立してベトナム国を樹立した。アメリカ(トルーマン政権)は当初、フランスの植民地主義を批判し、援助に積極的でなかったが、1949年10月、中華人民共和国が成立するとアジアの共産主義化を恐れ((③)理論)、ベトナムのフランス軍を全面支援することとなり、インドシナ戦争は一挙に国際的な問題と化した。  ようやく1954年、停戦交渉が(④)会議として始まり、その最中の1954年5月7日にフランス軍が(⑤)の戦いで大敗北を喫し、1954年7月21日に④休戦協定が成立して和平が実現した。  これによってフランスはインドシナから完全に撤退することとなったが、替わってアメリカがその空白を埋めるべく、進出してきた。アメリカは和平に反対して④休戦協定に参加せず、むしろ1955年には南ベトナムに傀儡政権(⑥)(南ベトナム)を樹立して介入し、ホー=チ=ミンのベトナム民主共和国(北ベトナム)と敵対させ、和平協定で約束された統一選挙の実施を拒んだ。  このアメリカの介入は、1965年2月7日のアメリカ軍による北ベトナム空爆から本格的なベトナム戦争へとエスカレートしていく。そしてその戦火は70年代にカンボジアやラオスに拡大していったので、ベトナム戦争を第2次インドシナ戦争と言う場合もある。

    ①ベトミン ②バオダイ ③ドミノ ④ジュネーヴ ⑤ディエンビエンフー ⑥ベトナム共和国

  • 10

    ★ジュネーヴ休戦協定について、80字程度で説明せよ。 指定語句〔ベトナム・ラオス・カンボジアの独立、北緯17°、総選挙〕

    フランス領インドシナ戦争を終結させ、ベトナム・ラオス・カンボジアの独立を承認した。ベトナムは北緯17°線で南北に分断され、総選挙による統一が予定されたが、実現しなかった。(85字)

  • 11

    南ベトナムについて、空所補充。 ベトナムでのインドシナ戦争が(①)が成立して、フランスが撤退した後、アメリカはその休戦協定を承認せず、新たに南ベトナムを支配して、北の共産主義勢力の南への進出を阻止しようとした。1955年10月、アメリカはフランスの傀儡国家であったベトナム国の(②)を追放し、親米派の(③)を大統領としてベトナム共和国を成立させた。これはあらたなアメリカの傀儡政権であった。

    ①ジュネーヴ休戦協定 ②バオダイ ③ゴ=ディン=ジェム

  • 12

    空所補充。  1947年7月18日、イギリス議会が(①)法を可決して、インドとパキスタンの分離独立が最終的に確定した。それを受けて8月15日に独立することになったが、パキスタンは前日の1947年8月14日に独立式典を開催し、(②)が初代総督に就任した。インドは翌年8月15日、(③)として独立した。  こうしてイギリス植民地はヒンドゥー教徒を主体とした国である③(1950年1月26日にインド共和国となる)と、イスラーム教徒の国であるパキスタン(インドの東西の二地域、現在のパキスタンとバングラデシュから成り立っていた)に分離独立という形となった。ただし、インドもパキスタンも戦後の国際協力機構の一つとしてのイギリス連邦(コモンウェルス)には加盟している。  こうして200年に及ぶ植民地支配が終わり、独立を達成した。ガンディーは分離独立に強く反対したが、両派(政治的には国民会議派と全インド=ムスリム連盟)の対立は修復できず、分離独立となってしまった。そのため、インドにいたイスラーム教徒はパキスタンへ、パキスタンに含まれることになったヒンドゥー教徒やシク教徒はインドへ、それぞれ迫害を逃れて大移動することとなり、その過程で各地で衝突と殺戮がくりかえされた。そのために発生した難民は数百万人に及んだ。  イギリス領インド(インド帝国)には、560に及ぶ藩王国があり、イギリス統治の「協力者」として自治が許されていたが、インド・パキスタンの分離独立によってそのいずれかに併合された。その際も次の三藩王国で紛争が起こった。ジュナガル藩王国はインド領に含まれていたがムスリムが多く、パキスタンへの併合を宣言したため、インド軍が侵攻して武力併合した。デカン高原中央のハイダラーバード藩王国はムスリムが多かったため、独立を求めたが1948年9月にインド軍の武力介入によって併合された。インド・パキスタン国境地帯のカシミールでは人口の約4分の3がムスリムでありながら藩王がヒンドゥーであったのでインドへの編入に傾いたためカシミール帰属問題が起り、早くも1947年にインド・パキスタンが武力衝突、インド=パキスタン戦争となった。その後も戦争は三次まで続き、現在も解決がついておらず、互いに核開発を競うなど憎しみを深めていることは憂うべきことであろう。  1950年1月26日、インド連邦はインド共和国となって新憲法を施行したが、何台は言語州問題だった。インドではわずか1票の差でヒンディー語を国語とすることが決まった。一方のパキスタンではイスラーム的要素の残るウルドゥー語が公用語とされ、言語の上でもその違いを明らかにした。

  • 13

    ★20世紀半ば(ただし第二次大戦後)の東南アジアで見られた諸国独立の動きについて、旧宗主国の動きにも着目して200字程度で述べよ。 指定語句〔フィリピン、インドネシア、シハヌーク、ディエンビエンフー、ビルマ〕

    アメリカはフィリピンを1946年に独立させ、影響力を維持した。一方、オランダはインドネシアの独立を武力で阻止しようとしたが、国際社会の圧力もあり1949年に承認。イギリスは、植民地再建を放棄し、1948年にビルマなどを独立させた。フランスはインドシナ三国で抵抗に遭い、ディエンビエンフーの戦いを経て1954年に撤退。これにより、ラオスは独立、シハヌーク国王が率いるカンボジアも独立を達成した。(196字)

  • 14

    ★第二次大戦後の南アジアでは、宗教ごとに独立の動きがあった。これについて200字程度で説明せよ。 指定語句〔インド独立法、ジンナー、ガンディー、スリランカ〕

    戦後、イスラム国家パキスタンの建国を主張するジンナーと、ヒンドゥー教徒との融和を唱えるガンディーが対立。イギリスはインド独立法により、ヒンドゥー教徒主体のインド連邦とパキスタンを分離独立させたが、対立は収まらず、ガンディーは急進的ヒンドゥー教徒に暗殺された。1950年にはインド連邦は近代化を目指す憲法を発布し、ネルーのもとで共和国になった。また、仏教徒が多いスリランカもイギリスから独立し72年には共和国となった。(208字)

  • 15

    ★パレスティナ戦争の背景について、以下の語句を用いて 90 字以内で説明しなさい。 指定語句〔バルフォア宣言 パレスティナ分割案〕

    バルフォア宣言に基づき英委任統治領パレスティナにユダヤ難民が流入。国連総会でパレスティナ分割案が採択され、ユダヤ人はイスラエルを建国。これを認めないアラブ諸国と開戦した。(85 字)

  • 16

    ★第二次大戦後のイランにおける、石油国有化政策の経過と結果について、100字程度で説明せよ。

    モサッデグはイギリスのアングロ・イラニアン石油会社を国有化したが、英米の圧力と経済封鎖でイラン経済は混乱、1953年にパフレヴィー2世を復権させるクーデターでモサッデグは失脚、石油国有化は挫折した。(99字)