問題一覧
1
3代将軍徳川家光が死去したのは何年何月か
1651年4月
2
家光が死去した後、11歳で4代将軍となった人物
徳川家綱
3
明が滅亡したのは何年か
1662年
4
満州人が建国した国。明に代わって中国を支配。
清
5
日本では①を最後に戦乱は終止していた
島原の乱
6
会津藩主として藩政を整え、4代家綱を補佐して幕政を安定させた名君。家綱の叔父
保科正之
7
主家を離れ俸禄を失った武士のこと特に江戸時代初期に大量に発生した
牢人
8
江戸初期の異様な振る舞いや風体をした無頼の徒
かぶき者
9
平和が続く中で重要な政治課題となった人々
牢人, かぶき者
10
1651年7月に兵学者が起こした乱
由井正雪の乱, 慶安の変
11
跡継ぎのいない武家が死に臨んで急に養子を願い出ることを認めないこと
末期養子の禁止
12
幕府が牢人の増加を防ぐために緩和したもの
末期養子の禁止
13
1657年の江戸の大火。本妙寺で焼いた振袖が火元ともいわれ、振袖火事ともいう
明暦の大火
14
家綱が1663年に出した武家諸法度
寛文令
15
家綱がだした、主人の死後は跡継ぎの新しい主人に奉公することを義務付けた令
殉死の禁止
16
家綱が1664年に将軍の権威を確認するため発給したもの
領知宛行状
17
1641〜42年に起こった西日本の干ばつと東日本の長雨、冷害による江戸時代最初の大飢饉
寛永の飢饉
18
諸藩で藩政の安定と領内経済の発展がはかられる契機となった出来事は何か
寛永の飢饉
19
岡山藩主で①を登用し、儒教主義による藩政改革を実施した人物。②を開き、治水新田開発などの殖産興業を推進
熊沢蕃山, 閑谷学校, 池田光政
20
熊沢蕃山が設けたもの
花畠教場
21
水戸藩主で初代頼房の子。明から亡命した儒学者朱舜水を招き、教えを受けた
徳川光圀
22
水戸藩編纂の紀伝体の歴史書。徳川光圀が編纂を開始し明治年間に完成
大日本史
23
徳川光圀が設けたもの
彰考館
24
加賀藩主。保科正之の後見で藩政を固めた人物。①らを招いて学問を振興させた。
木下順庵, 前田綱紀
25
三大大火と称された1657年、1682年、1772年の火事
明暦の大火, お七火事, 目黒行人坂の大火
26
5代将軍となった人物
徳川綱吉
27
17世紀末〜18世紀初めの5代将軍徳川綱吉治世の後半期のこと
元禄時代
28
綱吉の政治を補佐していたが、江戸城殿中で若年寄稲葉正休に刺殺された大老
堀田正俊
29
大老堀田正俊が刺殺された後権勢を振るった側用人
柳沢吉保
30
1683年に出された綱吉の代替わりの武家諸法度
天和令
31
儒教的徳治主義で治める政治。武士は主君に対する忠と父祖に対する考、それに礼儀による秩序を第一に要求された
文治主義
32
4代将軍家綱〜7代家継の治世をいう、儀礼法制の整備や人心の教化などにより秩序安定を図ろうとした政治のこと
文治主義
33
綱吉は木下順庵に学び、①を立てるとともに②(③)を大学頭に任じて儒教を重視した
湯島聖堂, 林鳳岡, 信篤
34
綱吉はそれまでの朝廷に対する政策を改めて、①天皇の悲願だった大嘗会の再興など朝廷儀式のいくつかを復興させたり、②を増やし朝幕の協力関係を築いた
霊元, 禁裏御料
35
江戸湯島の孔子廟のこと。弘文館を湯島昌平坂に移し、孔子をまつる
湯島聖堂
36
湯島聖堂の大学頭となり、儒仏分離を推進した人物
林鳳岡, 信篤
37
大嘗会などの儀式の復活に意欲的に取り組んだ天皇
霊元天皇
38
綱吉が①年以降に出した、生類全ての殺生を禁じ、捨て子の保護などを命じた法令
1685, 生類憐みの令
39
綱吉の生類憐みの令で極端に保護されたもの
犬
40
①年に出された父母親族が死んだ際の忌引などの日数を定めた法令
1684, 服忌令
41
服忌令で吉宗による改訂で確定した服喪期間。父母は①日、夫は①日
50, 30
42
1682年に設置された勘定奉行を助け、貢租、出納を監査したもの
勘定吟味役
43
勘定吟味役で、財政難打開のため初の貨幣改鋳を実施し、悪質な貨幣を発行した人物
荻原重秀
44
①年、勘定吟味役の荻原重秀の意見で慶長小判を改鋳して発行した小判。幕府は多大な収益を上げたが貨幣価値下落は物価の②を引き起こした
1695, 騰貴, 元禄小判
45
富士山が大噴火した年
1707年
46
1707年の富士山大噴火で降灰により大きな被害が発生した場所
駿河, 相模
47
綱吉の死後、6代将軍となり生類憐みの令を廃止した人物
徳川家宣
48
徳川家宣は①を退け、朱子学者の②と側用人の③を信任して政治刷新を図った
柳沢吉保, 新井白石, 間部詮房
49
木下順庵に朱子学を学び、家宣の将軍就任で幕閣に入り正徳の政治を行なった人物
新井白石
50
6代将軍家宣、7代家継の側用人
間部詮房
51
6代将軍家宣、7代家継治世下で新井白石が進めた文治政治のこと。元禄期の幕政を修正し、良貨の発行や貿易制限などを行った
正徳の政治
52
家宣が在任3年余りで死去したため、5歳の頃に就任することとなった7代将軍
徳川家継
53
単名幼児の将軍が続く中で白石は将軍個人よりも将軍職の地位とその権威を高めるために、新たな①を創設した
閑院宮家
54
朝鮮通信使の待遇が手厚すぎるとし、簡素化したのは何年か
1711年
55
白石は朝鮮から日本宛の国書にそれまで将軍のことを日本国①と記していたのを②と改めさせた
大君殿下, 日本国王
56
新井白石の建議で1714年に改鋳発行された小判
正徳小判
57
白石が発行した正徳小判は以前の何小判の金の含有量と同じか
慶長小判
58
長崎貿易での金銀流出を防ぐために1715年に出された制限令
海舶互市新例, 長崎新令, 正徳新令
59
海舶互市新例では貿易額を年間で清船①隻、銀②貫 オランダ船③隻、銀④貫に制限した
30, 6000, 2, 3000
60
田の荒おこし、深耕用の鍬
備中鍬
61
元禄頃に考案された脱穀具
千歯扱
62
江戸時代の選別用の農具
唐箕, 千石どおし
63
灌漑用の揚水車
踏車
64
肥料では、耕地開発が進み①が不足する中で都市周辺部では②が、また綿などの③生産が発達したところでは遠隔地からの干鰯、〆粕などが④として普及した
刈敷, 下肥, 商品作物, 金肥
65
金銭を支払って手に入れる肥料のこと。商品作物栽培に用いられた
金肥
66
農業技術を教える農書も普及し17世紀前半に新しい栽培技術や知識を説く①が記され、末には日本における最初の体系的農書として宮崎安貞の②が著された
清良記, 農業全書
67
19世紀に入ると大蔵永常の①②が刊行されるなど地域の実情に応じ、農書が多数作られた
農具便利論, 広益国産孝
68
伊予宇和郡の武将土居をめぐる軍物語。その第7巻が農書に相当する
清良記
69
農学者。自らの経験見聞をもとに、日本で最初の体系的農学書である農業全書を著した人物
宮崎安貞
70
①年の宮崎安貞による農書。全国に広く普及し、農業の必読書といわれた
1697, 農業全書
71
江戸後期〜幕末にかけての農学者。諸国をめぐり見聞に基づき多くの農書を著した。三河田原、浜松藩の農政にも参画。
大蔵永常
72
①年永常の農書、数十種類の農具を図示し、用法を記した
1822, 農具便利論
73
①年脱稿の永常の大著。約60種の作物の栽培法を述べ、商品作物の栽培加工による農家の利益と国益を論じる
1844, 広益国産孝
74
新田開発などにより農業生産高は増大し、田畑面積は江戸時代初めの①町歩から18世紀初めには②町歩は激増し、幕府藩の収入も増えた
164万, 297万
75
村々では地主たちが①を商品として販売し、百姓たちもタバコ、茶などを②として生産し貨幣を得る機会が増大した
余剰米, 商品作物
76
出羽村山(最上)地方の特産品
紅花
77
薩摩(琉球王国)の特産品
黒砂糖
78
越前の特産品
奉書紙
79
甲斐の特産品
葡萄
80
紀伊の特産品
蜜柑
81
楮製の上質な和紙、越前が名産。
奉書紙
82
三都や城下町で大量に販売された高級な炭を作った場所
紀伊熊野, 伊豆, 下総
83
鰯や鰊は①②などに加工され③などの商品作物生産に欠かせない肥料として④をはじめ各地に出荷された
干鰯, 〆粕, 綿作, 上方
84
江戸時代に肥料としての需要が増え最も盛んだった漁業のこと。①の②浜の地曳網漁、③④の八手網漁、⑤の船曳網漁が盛大
房総, 九十九里, 房総, 肥前, 伊予, 鰯漁
85
瀬戸内海の釣漁でとられたもの
鯛
86
土佐で行われた釣漁でとられたもの。江戸中期に発達。
鰹
87
古代より行われていたが、戦国時代に網や銛を使用する突取法が行われ、近世では勢子船で鯨を網に追い込み、最後に銛で仕留めたもの
捕鯨
88
網や銛を駆使する捕鯨がみられた場所
紀伊, 土佐, 肥前, 長門
89
17世紀末以降、銅にかわる清への輸出品として①や②の需要が高まり蝦夷地、陸奥で漁業が盛んになった
俵物, 昆布
90
製塩業では高度な土木技術を要する①が発達し②の沿岸部をはじめとして各地で塩の生産が行われた
入浜塩田, 瀬戸内海
91
織物では河内の①、②の麻、奈良の③などの名産が生まれた
木綿, 近江, 晒
92
絹や紬は農村でも多く生産されたが、高度な技術を要する①②などの高級品は京都の③で高機を用いて独占的におられた
金襴, 緞子, 西陣
93
18世紀中頃には、上野の①をはじめ各地で高級な絹織物が生産された
桐生
94
陶磁器は秀吉の朝鮮侵略の中で連れてきた陶工と共に伝わった技術の普及によってまず①②地方で盛んになった
九州, 中国
95
肥前①では②の保護のもとで17世紀前半から陶器が生産され長崎貿易の主要な輸出品となった
有田, 佐賀藩
96
尾張の①美濃の②などで陶磁器生産が活発になった
瀬戸, 多治見
97
城下町の近郊では、安価な①や②が大量に生産された
素焼, 瓦
98
醸造業では①や②で銘酒が生まれ、各地に③が発達した
伏見, 灘, 造り酒造
99
西日本で早くから作られた①はその後、関東の②や③をはじめ全国で鰹節と共に日本の食文化の形成に大きな役割を果たした
醤油, 野田, 銚子
100
潮の干満を利用し海水を導入して水分を蒸発させ、塩分の濃度を高める塩田。室町後期に伊勢地方などで始まり近世には瀬戸内海地方で発達
入浜塩田