問題一覧
1
大分府内城、福井城、高松城、和歌山城の4つの城で共通するのはどれか。
廊下橋を復元
2
萩城、宇和島城、高松城の3つの城で共通するのはどれか。
海城
3
鯱は天守に使われる以前(室町時代)は、どこで使われていたか。
寺院にある厨子(ずし)の屋根
4
松前城天守が失われた原因はどれか。
役場の火災の飛び火で焼失
5
戦国大名「佐竹氏」が水戸城に移る前に本拠としていた城はどこか。
太田城
6
天守台が野面積(のづらづみ)の城は。
松坂城
7
板状に割れやすく、青石とも呼ばれる緑色片岩(緑泥片岩)を石垣に使用している城は。
和歌山城
8
高知城の天守高欄(こうらん)の特徴は。
擬宝珠(ぎぼし)
9
彦根城には、武者が5人くらいは入れる隠し部屋「破風の間」がある。それはどの破風(はふ)か。
入母屋破風
10
二の丸から本丸に向かう右側に御成、左側に小銃櫓があったお城は。
犬山城
11
平成29年(2017年)2月、徳川家康が築城したころの最古級絵図が松江市で発見された。その絵図はどの城か。
江戸城
12
2020年の完成予定の「2階建ての大手門」「二の丸角櫓」「450mの土塀」の復元作業中の城は。
水戸城
13
石垣を築いた際に各大名が石に刻んだ文字や記号を「刻印」と呼び、江戸城や大阪城などに見られる。次の城の中で刻印のある石垣が存在しない城はどれか。
佐倉城
14
鹿児島城の「御楼門」は2020年の復元完成予定に向け工事が進んでいる。国内最大級の楼門だったといわれているが、失われた理由はどれか。
火災
15
戦国時代の城門が復元され話題となり、平成28年(2016) 11月から見学できるようになった「郭馬出西虎口門」(かくうまだしにしこぐちもん)のある城は次のどれか。
箕輪城
16
戊辰戦争の際、東北の諸藩が集まって列藩会議を開き、これが後の奥羽越列藩同盟に繋がった。列藩会議が行われた城はどれか。
白石城
17
土塁技術を駆使して築城された久保田城だが、現在の建物は一つしかない。それはどれか。
御物頭御番所
18
櫓門では櫓が両袖の石垣の上にあるのが一般的だが、次の中で石垣を使っていない櫓門はどれか。
高知城黒鉄門
19
第二次長州征伐の際、長州藩の石州口参謀として浜田城を攻略したのは誰か。
大村益次郎
20
今日の城下町岡崎を築いた戦国大名・田中吉政は、関ヶ原の戦いの戦功で築後32万5千石に封じられた。 吉政の居城はどれか。
柳川城
21
「出し」と呼ばれる唐破風のついた出窓のある城はどれか。
金沢城
22
幕末、老中・安藤信正が水戸浪士に襲撃された事件は「坂下門外の変」として知られているが、この正の居城はどれか。
磐城平城
23
江戸城の門の中で、不浄門とされた門はどれか。
平川門
24
徳川四天王の一人である榊原安正が改修し居城としたが、一時廃城になり、その後再興されて幕末まで残った城はどれか。
館林城
25
廃藩置県で個人に二百数十両で売却された天守を、新聞で保存を訴えた町の副戸長が中心となり、博覧会の会場として使用して、観覧料や募金などで買い戻しに成功したのはどの城か。
松本城
26
「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎はある藩の家老を務めた家柄だが、それはどの藩か。
日出藩
27
小田原北条氏の北関東の支配拠点である鉢形城の三の曲輪虎口に復元されている門はどれか。
四脚門
28
元和の一国一城令で廃城となったが、前田利常の隠居城として再建され、明治まで存続した城はどれか。
小松城
29
加賀前田家2代目の前田利長築城した高岡城は、曲輪を土橋で結び、ある城と縄張の共通性が指摘されている。ある城とはどれか。
富山城
30
彦根城には国宝1件、重要文化財5件の遺構があるが、他の城郭にはない重要文化財がある。それはどれか。
馬屋
31
小田原北条氏の山中城には障子掘が復元されているが、平成15年(2003)にある城の発掘調査によって障子堀の遺構が発見された。それはどの城か。
豊臣大坂城
32
天守に使われる装飾的な華頭窓は最上階に使われる例が多いが、最上階とその下の階に使用されている城はどれか。
彦根城
33
戦国大名の本拠の山城で比高が一番高いのはどの城か。
七尾城
34
滋賀県の次の4城の中で琵琶湖に面していないのはどれか。
水口城
35
「はつり」「すだれ」という用語に関連のあるものはどれか。
石垣
36
「胴木」という用語に関連のあるものはどれか。
石垣
37
城門に櫓をのせた櫓門は、多くの場合両袖に石垣がある厳重な構えである。次の中で櫓門でないのはどれか。
姫路城水の一門
38
重要文化財の「正保城絵図」は3点で一組となっている。「城絵図」と「郷帳」ともう一つはどれか。
国絵図
39
小田原北条氏の最盛期を築いた北条氏康が、古河公方や山内上杉氏らを破った戦いはどれか。
河越夜戦
40
秀吉の正室である北政所の甥・木下利房は、豊臣家が滅びた後も2万5千石を与えられ、木下家は陣屋大名として明治まで存続した。それはどの藩か。
足守藩
41
信長と秀吉に仕え、安土城や大坂城築城にも参加した戦国武将・日根野高吉が築城したのはどの城か。
高島城
42
城下に入る東海道を、防御のために曲げてつくり、「二十七曲り」の碑がある城下町はどれか。
岡崎
43
幕府の陸軍総裁などを務めた田野口藩主・松平乗高(のりたか)が、フランスの建築家・ヴォーパンの理論を参考にして、築いた城はどれか。
龍岡城
44
江戸城は日本で最大の惣構(総構)の城だが、外郭の城門ではないのはどれか。
坂下門
45
室町時代から戦国時代にかけて関東の中心的な城の一つであり、江戸時代は将軍の日光社参のときの宿城の一つであったのはどれか。
古賀城
46
小田原北条氏の属城となり、笠原信為が城代となって3代続いたが、小田原城とともに廃城となった城はどれか。
小机城
47
中世の山城で、言濃東北部で最大の勢力を誇り、武田信玄と争った村上氏の居城はどれか。
葛尾城
48
黒船の来航後、沿岸防が急務となり、大砲を備えた砲台「台場」が盛んに築造された。江戸湾の台場担当の三つの譜代藩だが、江戸湾海防の任ではない藩はどれか。
佐倉藩
49
戊辰戦争で落城したが、天守は破壊されずに残された。昭和になって天守が焼失、その後天守を再建した城はどれか。
松前城
50
本丸と二の丸が直線的に並ぶ「連郭式」の縄張の城はどれか。
水戸城
51
太鼓櫓門が現存する平城で、関東に移封された徳川家康が次男・結城秀康に与えた城はどれか。
土浦城
52
姫路城の門で一番小さな門はどれか。
ほの門
53
ヤマト政権が東北開拓の拠点として築いた城柵は、初「出羽の柵」と呼ばれた。それはどれか。
秋田城
54
名古屋城には本丸と二の丸に御殿があった。この丸御殿の用途はどれか。
藩主の住居及び藩の政庁
55
櫓は城防衛に欠かせないのが、二重櫓、平櫓、多門櫓などの合計が76にのぼった城はどれか。
広島城
56
明石城の本丸にはかって4基の櫓があった。そのうち2基が現存するが、伏見城から移築されたという櫓はどれか。
坤櫓 (ひつじさるやぐら)
57
戦国大名・立花宗茂は関ヶ原の戦いで西軍につき、敗れて領地を失ったが、その後家康に認められて旧領の藩主に返り咲いた。その居城はどれか。
柳川城
58
毛利輝元が郡山城を出て広島城を築城したように、戦国末期には山城から平(山)城への移行が見られる。七尾城に入った前田利家が麓の海際に築城したのはどれか。
小丸山城
59
信長が安土城築城の総責任者の惣奉行に任命したのは誰か。
丹羽長秀
60
武田四天王の一人で、築城の達人といわれた馬場言房が改修したのはどれか。
深志城
61
二条城へ行幸された後水尾天皇の中宮和子は、ときの将軍・徳川家光とはどんな間柄であったか。
妹
62
尼子氏の旧臣・亀井茲矩(しげのり)は秀吉のもとで小大名になっていたが、領内の干拓、用水路開設、銀山開発など領国経営に積極的な異色の領主だった。その居城はどれか。
因幡鹿野城
63
太鼓槽はどの城にもあったが現存例は少ない。現存の太鼓櫓のある城はどれか。
掛川城
64
ヤマト政権の東北地方の軍事・行政の拠点だった多賀城は、巨大地震で大きな被害を受けた後に復興した。巨大地震とは次のどれか。
貞観地震
65
幕末、ときのイギリス公使・パークスが徳川慶喜を表敬訪問した際の様子がイギリスの週刊誌に掲載されたが、その場所はどこか。
大坂城
66
石垣で石材を一段ずつ横に並べて横目地を通す積み方をなんというか。
布積
67
「言長公記」の中で、ある城の築城にあたって「蛇石」の記述がある城はどれか。
安土城
68
「絶頂の城たのもしき若葉かな」と詠んだ、江戸時代中期の俳人で文人画の大家でもあったのは誰か。
与謝蕪村
69
播磨、備前、美作の三国の守護として勢力を誇った赤松正則が築城、以後5代にわたって赤松氏の居城となり、秀吉の播磨攻めで軍門に下り廃城とされた城はどれか。
置塩城
70
鳥取城の説明で間違いはどれか。
天守はなかった
71
本能寺の変後の武田氏の遺領を巡る徳川氏と小田原北条氏の争いで、徳川軍の本陣が置かれたのはどの城か。
新府城
72
一乗谷城の朝倉館跡の北には、朝倉義景が後の将軍をもてなしたという南陽寺跡庭園がある。この将軍とは誰か。
足利義昭
73
松平忠輝の居城として天下普請で築城され、湿地帯対策として現代でも評価される暗渠(あんきよ)が張り巡らされていた城はどれか。
高田城
74
関ヶ原の戦いで戦功をあげた結城秀康は、越前68万石を与えられ、旧城を大改修して新城を築城した。旧城とはどれか。
北庄城
75
仙台城本丸にある伊達政宗公銅像の台座の4枚のレリーフには、それぞれ正宗の元服、朝鮮出陣、従三位叙任が描かれている、残りの1枚にはなにが描かれているか。
支倉常長ら遣欧使節派遣
76
犬山城は別名「白帝城」というが、命名者は誰か。
荻生徂徠
77
高田城は天下普請として慶長19年(1614)に完成したが、建設期間ははどれくらいか。
4ヶ月
78
元和8年(1622)に竣工した五重五階地下一階の層塔型天守で、築城初四重目屋根を檜皮葺(ひわだぶき) または柿葺(こけらぶき)とすることで、裳階(もこし)と見なし、四重天守と称したと伝わる城はどれか。
福山城
79
次の現存12天守のうち高欄のない天守を持つのはどの城か。
宇和島城
80
近世城郭の土塁の底辺の名称はどれか。
敷
81
現存最古といわれる噴水があり、松平定信が命名した大名庭園を持つ城はどれか。
金沢城
82
現存天守で一番新しい天守は次のうちどれか。
松山城
83
16世紀後半に日本を訪れた宣教師が、本国への報 告で「町の守りは堅固で、西は海、三方は深い堀で満々と水をたたえている。ベニスのようだ」と記した町はどれか。
堺
84
次の松山城で平城はどれか。
出羽松山城
85
初期の天守の屋根には、耐火と耐久性のある平瓦と丸瓦を組み合わせた葺き方が使われていた。それをなんというか。
本瓦葺
86
松江城天守の付櫓内に、その入口を狙う仕掛けが施されているが、それはなにか。
狭間
87
城門の種類の一つに埋門があるが、次の城で門がない城はどれか。
弘前城
88
真田昌幸の父で武田信玄の家臣だった真田幸隆(幸綱)の居城はどれか。
真田本城
89
戦国期には伊達氏、蒲生氏などと城主が代わり、江戸時代の絵図「松岬城堞図」三階櫓が描かれている輪郭式平城はどれか。
米沢城
90
戦国時代に四国を統一した長宗我部元親の居城であり、現在国指定史跡となっている連郭式山城はどれか。
岡豊城
91
戦国武将・佐々成政が大改修した城だが、秀吉に攻められ降伏、破壊された。その後、前田利長の隠居城として復興されたのはどれか。
富山城
92
創築は文治元年(1185)と伝わる平山城で、現在も残る高石垣を多用した近世城郭に改築したのは戦国武将・中川秀成だが、その城はどれか。
岡城
93
戦国時代の山城としては最大級の規模を持ち、本丸や平井丸虎口の高石垣ははじめての本格的な石垣とされる城はどれか。
観音寺城
94
天保の改革を行った老中・水野忠邦は、出世城といわれる城の城主時代に、幕府の重臣になり頭角を現した。その城はどれか。
浜松城
95
徳川四天王の一人で彦根藩主の初代藩主・井伊直政が、はじめて城主として入った城は次のうちどれか。
箕輪城
96
藩主の屋敷門が「古城の門」と呼ばれ、地元高等学校の正門として現在も使用されているのはどの町か。
上田
97
姫路城は松本城と共に現存では二つしかない五重の天守だが、内部は何階か。
七階
98
伏見城から移築されたとされる伏見櫓のある城は各地にあるが、伏見櫓がないのはどれか。
名古屋城
99
文禄・慶長の役の際、名護屋城周辺には全国から集まった武将の陣屋が多数置かれた。おおよそどれくらいの数か。
約130
100
明治時代、解体寸前の姫路城を救ったとしてその人物の顕彰碑が姫路城内にあるが、その人物は誰か。
中村重遠陸軍大佐