問題一覧
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第1節 菓子の定義 菓子とは、(①)と定義されている。元来(②)を示す言葉で、多くは(③)があり、古くから(④)を期待するものであった。
①食事以外に食べるし好本意の食べ物②果物③甘味④元気を回復させる効果
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菓子類には(①五代原材料)(菓子の基本的条件)をはじめとし、各種の(② や )に至るまで、あらゆる食品材料が自由に使用され、見事に調和した菓子という姿で、目を楽しませてくれる。
①穀類、糖類、卵、油脂類(バター)、乳製品 ②風味材料や添加物
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現代の菓子には、ありとあらゆる種類のものがあり、その(① や )のバラエティ、さらに(②)の(③ や )で、私たちを(④)だけでなく(⑤)で楽しませてくれる。
①材料や製法②見た目③楽しさや華やかさ④味覚⑤五感
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この(①)とは(② 、 、 、 、 、)の5つの感覚のことである。 季節の行事とも密接に結びついており、文化的な要素も非常に強い。
①五感②視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
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製造方法も製作者の工夫の元(① 、 、 、 、)等が行われ、(② 、 、 )をはじめ、あらゆる(③ 、 )が行われる。
①材料処理、成形、組み合わせ、熱冷加工仕上げ②甘味、塩味、辛味③風味付け、調味付け
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食生活の多様化に伴い、(①)であったかしが食事の場に登場することもしばしばである。 そのため現代においては、菓子を(②)にするなど、菓子の定義付けも難しくなっているのが現状である。 ・食育基本法
①嗜好品②食事代わり
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第2節 菓子の役割 菓子は生活に(①)を与え、(②)に役立つものとして、なくてはならない食品である。 特に(③)には、必要なエネルギーを3度の食事だけでとるのは難しいため、食事と食事の間に(④)として菓子を与えることによって不足分を補う必要がある。
①うるおい②栄養補給③幼児期④間食
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また、幼児にとって菓子は、栄養の補給という面だけでなく、(①)を与え、(②)させる面でも大きな働きがある。
①楽しみ②情緒の安定
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洋の東西を問わず、食事の最後には甘いものを食べる習慣がある。 日本では(①)、西洋では(②)、中国では(③)が供される。食事の後に甘いものをとることによって、血糖値の上昇を促し、(④ を助ける)働きがある。
①水菓子(果物)②デザート③甜点心④消化吸収
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また、労働や運動中の甘い物は、(①)(カタカナでもなんという?)の役目を果たす。 菓子は、単に嗜好を満足させるだけでなく、生理的な面からも非常に重要な役割を担っている。
①疲労回復 (リフレッシュメント)
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第3節 菓子の歴史(大意) 我が国の菓子の歴史をたどると、古来伝わる独自の菓子に加え、海外から伝来した菓子の影響、あるいは宗教上の儀式や(①)などの文化と共に、様々な歴史の足跡を知ることが出来る。 また、近代になると、明治時代に始まる(②)の文化や(③)を目指した菓子など、新しい文化が花開く。 そして現代では、卓越した技術とその種類の豊富さにより、我が国の菓子文化は世界に誇ることがだきるほどの水準にまで達している。
①茶の湯②洋菓子③大量生産
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第2章 和菓子について 和菓子は、私たちの日常生活の中に思ったより大きな場所を占めているようである。 毎日の家庭や職場における(①)、あるいは人の誕生から死、たとえば(②)に至る、(③)(人生儀礼)の中でも度々登場している。
①おやつ②葬式饅頭③通過儀礼
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また、(①)にとっても欠くことの出来ない存在である。 さらに(②ひな祭りの )、(③ の の や )など、年中行事の中でも重要な役割を与えられている。
①茶の湯②ひし餅③端午の節句の柏餅やちまき
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では、その和菓子とはなにか。 日頃何気なく私たちが使っている(①)という言葉はそれほど古いものでは無い。 (②)によって江戸時代の(③)体制を脱して、外国との交流を深めた日本には、欧米の新しい技術や文化がもたらされた。 その結果、(④ → )、(⑤ → ) のように和と洋を使って在来のものと区別する習慣が生まれた。
①和菓子②明治維新③鎖国④和服→洋服⑤和食→洋食
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菓子も同様(① → )(1910年まで和菓子)とが生まれるのであるが、はじめは和菓子とともに(②)、(③)など色々な呼び名が混在していた。 和菓子という言葉が定着するのは、随分時代が下がり、国語辞典などで一般的に登場するのは、(④)のことであるから、(⑤)は単に(⑥)と呼ばれていた。
①和菓子→洋菓子②日本菓子③本邦菓子④第二次世界大戦後⑤江戸時代以前⑥菓子
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その菓子の内容は、時代によって一様ではない。 味覚においても(①)だけでなく(②)のものもあり、ひとつとは言えない。 ただ、(③)の面から見ると(④)を使うことが原則と言えよう。
①甘味②塩味③原材料④植物性食材
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菓子は食生活の中で考えると、あくまでも(①)であり、日常生活を過ごす上で別段食べなくとも困らないものである。 しかし、嗜好品であるからこそ、菓子は私たちの生活に(②)を与えてくれる。 なおかつその存在は、日本の(③ 、 、 、)の上で成り立っている。
①嗜好品②うるおい③歴史、文化、伝統
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それは、小さな和菓子の中には日本の文化が凝縮されているとも言えよう。 その小さな日本文化たる和菓子の成り立ちを考えるとき、大きく5つの段階から考えていこうと思う。 それは (① や 、 や 、 、 、 、) の5つでこの段階を経て17世紀後半の(②)で和菓子は一応の大成を見たのである。 そして和菓子を単に食文化の中でのみとらてるのではなく、儀礼・行事や民族、あるいは茶の湯など伝統芸術との関わりの中でも考えてみたいと思う。
①果実や木の実、餅や団子、唐菓子(とうがらし、からくだもの)、点心、南蛮菓子②京都
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第3章 砂糖について 第1節 序章 全世界でどこでも好まれる商品、それを(①)という。 その商品を独り占め出来れば巨大な利益を得られる。16世紀以来の世界の歴史はその時々の(① 一緒 )をどこの国が握るか、という(②)として展開してきた。その最も初期の例が(③)である。
①世界商品②競争の歴史③砂糖
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第2節 ヨーロッパの砂糖の起源 ヨーロッパの砂糖は一体どこから来たのか。 (①)の栽培には、適度の(② と )が必要であり、また土壌も消耗するため、新鮮な耕地を求めて移動しなければならない。 その上(③)には奴隷労働のような(④)を必要としていた。 そのためさとうきびは広がった地域全てに本格的な(⑤)をもたらし、生活習慣を一変させた。
①さとうきび②雨量と温度③精糖④規則正しい集団労働⑤奴隷制度
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ヨーロッパ人が初めてサトウキビの精糖と栽培の技術を知ったのは(①)を通じてであった。 その中でも(②)によって(③ 、 )で奴隷による砂糖プランテーションがはじまった。 ・プランテーションとは熱帯・亜熱帯地域で( )の栽培を行う( )農園経営
①イスラム教徒②ポルトガル人③アフリカ、大西洋の島 単一作物 大規模
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その後、(①)などのヨーロッパ人によって砂糖きびが(②)に持ち込まれたり、新大陸の有用な動植物がヨーロッパに持ち帰られて研究された。 こうしたヨーロッパとアジアや新大陸の間を動植物が行きかうことを(③)と呼ぶ。
①コロンブス②新大陸③コロンブスの交換
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ポルトガルはさらに(①)から(②)を連れてきて砂糖プランテーションを(③)に持ち込み大規模にサトウキビを栽培した。 16世紀の世界の砂糖生産の中心はブラジルだった。
①アフリカ②黒人奴隷③ブラジル
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第3節 17世紀の砂糖生産 17世紀になると世界の砂糖生産の中心は(①)に移っていった。 ヨーロッパ人は(②)のとなった砂糖が目的で、大金を投じてカリブ海に(③)を作り、そこで働かせる労働力として(④)を猛烈な勢いで導入した。この急激な変化を(⑤)と呼ぶ。
①カリブ海②世界商品③プランテーション④アフリカ人奴隷⑤砂糖革命
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また、アフリカ人をカリブ海へ連れて行き、そのアフリカ人奴隷によって作った砂糖をヨーロッパに輸出し、ヨーロッパで作ったものをアフリカで交換する( )は、ヨーロッパに寛大な利益をもたらした。
三角貿易
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第4節 砂糖と茶の遭遇 砂糖はかつて(①)としての役割より、(②)や(③)といった貴重品としての意味を持っていた。ところが17世紀にカリブ海の島々で砂糖革命が始まると事態は一変した。
①甘味料②薬品③装飾品
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徐々に安く大量に出回るようになったのである。 さらに砂糖の需要を刺激したのは、(① や ) を飲む習慣が広まったためであった。 特に(②)では(③)の間で高価な紅茶に高価な砂糖を入れて飲むのが流行りとなり、それが一般庶民にも急速に広まった。
①紅茶やコーヒー②イギリス③貴族
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第2節 和菓子の歴史 第1期・・・上古時代 縄文式文化時代は①や②等を含めた③ であったと想像される。 この時代の末期から弥生式文化時代にかけて、農耕技術が伝えられ穀物の生産が増してくるに従い加工するようになった
①木の実②草の実③果物
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もみのまま焼いた①炊いたご飯を天日に乾し②や少し進んだ③、④等が作られるようになった。又⑤も古くから有り、これらが現在の⑥と見られている
①焼き米②糒(ほしいい)③団子④餅⑤あん⑥和菓子発生の起源
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(大和時代)田道間守命(たじまもりのこと)ーが常世の国(とこよのくに=現在の中国南部からインドにかけて)に不老不死の果物があるのでそれを持ち帰って来るように派遣された。
菓祖神
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田道間守命(菓祖神)は10年間大変な苦労をして非時香菓を持ち帰った。この功績 を称え田道間守命を菓祖神として奉った。田道間守命をご祭神とする中嶋神社は故郷の地、兵庫県豊岡市三宅に造営された。毎年4月第3日曜日に菓子祭が盛大に行われ、全国の菓子屋が参拝に訪れるという。中嶋神社は、明治45年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財になっている。 非時香菓=ー
橘(たちばな)
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第2期・・・唐菓子時代 奈良時代になると中国大陸との往来が盛んとなり、大陸の文化が伝えられ、糖から菓子とその製法が伝えられた。この菓子は、米粉、小麦粉等を原料として、水飴、蜜、葛(あまずら)などの甘味や塩味を付け揚げたもので往来
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