イル=ハン国のガザン=ハンはイラン人の宰相( )に命じてモンゴル史を中心とした世界史である『 』を編纂させたラシード=アッディーン、集史
洪武帝は、1368年に( )(場所名)で即位し明朝を建てた。南京
16世紀半ばに貿易の拡大を求めて、しばしば明の北辺へ侵攻したタタールの族長の名前を答えよアルタン=ハン
洪武帝は、税制を厳格に実施するために農村部を( )という連帯責任制度のもとに編成し、当番制によって( )と呼ばれる租税台帳の整備を行わせた。里甲制、賦役黄冊
明では、兵役を負担する農民は( )とされ、( )によって管理された。軍戸、衛所制
洪武帝は支配機関の整備に力を注ぎ、元の時代に政治の中枢にあった( )とその長官の( )を廃止した。中書省、宰相
明の時代、大きな都市には同じ出身地の者や同業者の互助などを目的とした( )や( )が作られた。会館、会所
15世紀の半ばには、西北モンゴルのオイラトがエセンの指揮のもと明との交易を求めて侵攻し、( )帝を捕えるという土木の変が起こった。正統
太宗ホンタイジは内モンゴルのタタール系の部族である( )を従え、1636年に国号を清と定めた。チャハル
清朝は中国統治にあたって、明の制度をほぼ踏襲した。一方で、軍制では満州族国有の社会組織をもとにした軍事組織を採用したが、これを補うため漢人で組織する( )を設置した。緑営
洪武帝は大義名分論を重視する( )学を重視した。朱子
カーネギー鉄鋼を買収しUSスティールを設立したのは誰ですか?モルガン
1880年代に対独強硬派の元陸軍大将が起こしたクーデタ事件を何というか答えよブーランジェ事件
義和団戦争の結果結ばれたものを何というか答えよ北京議定書
四川暴動を鎮圧するために派遣された鎮圧軍が清に反抗したことを何というか答えよ武昌挙兵
ファーティマ朝はシーア派の中での( )派を信仰。イスマーイール
ブワイフ朝はシーア派の中でも( )派を信仰十二イマーム
サファビー朝はシーア派のなかでも( )派を信仰十二イマーム
10世紀半ば、トルコ系ムスリムは、中央アジアで( )朝を、アフガニスタンで( )朝をひらいた。カラハン、ガズナ
正統カリフの( )が、642年のニハーヴァンドの戦いでササン朝を破り、事実上崩壊させた。ウマル
征服地に建設されたアラブ人の軍営都市を( )と言うミスル
後ウマイヤ朝の都( )には大モスクが造営され、西方イスラーム世界の中心となった。コルドバ
イラン系シーア派のブワイフ朝はアッバース朝カリフから( )の称号を獲得した大アミール
セルジューク朝の創始者の名前を答えよトゥグリル=ベク
『医学典範』で有名な( )は、( )と同じくアリストテレス哲学の研究者であった。イブン=シーナー、イブン=ルシュド
イスラムの法学者ウラマーを養成するための高等教育機関である( )が各地に設置されたマドラサ
古代ギリシャ哲学者プラトンは( )と呼ばれる学術機関を創建した。アカデメイア
16世紀ごろにカイロで完成したアラビア語の大説話集を何というか答えよ千夜一夜物語
( )は『ジャラリー暦』(正確な太陽暦)と『ルバイヤート(四行詩集)』で有名ウマル=ハイヤーム
( )はセルジューク朝に仕えたイラン人の宰相で、( )学院を各地に建設したことで知られるニザーム=アルムルク、ニザーミーヤ
イスラーム教における断食の月を何というか答えよラマダン
ファーティマ朝がカイロに建設したマドラサを( )といい、セルジューク朝がバグダードなどに建設したマドラサを( )というアズハル学院、ニザーミーヤ学院
「電光」と呼ばれた( )は第4代スルタンであるが、( )王ジギスムントを中心とするバルカン諸国、ドイツ、フランスなどの連合十字軍を1369年、( )の戦いで撃破した。バヤジット1世、ハンガリー、ニコポリス
ソグディアナのオアシス都市( )はティムール朝の都として栄えることになるサマルカンド
再興したオスマン帝国は、第7代スルタン( )の指揮の元、1453年にコンスタンティノープルを占拠し、これを新しい都とした。メフメト2世
第9代スルタン( )はイランの( )朝と戦い、1514年にはその首都タブリーズを陥落させている。彼はさらに1517年、( )朝を滅ぼして聖地メッカ、メディナの保護権を手に入れたセリム1世、サファビー、マムルーク
( )朝はオスマン帝国に敗北したが、回復し1587年に即位したアッバース1世の時代に最盛期を迎える。新都(@)は「(@)は世界の半分」と言われるほどの繁栄を見せた。サファビー、イスファハーン
ティムール朝では、学芸を保護した( )の時代に都サマルカンドに天文台が設置されたウルグ=ベク
セリム1世に敗れたサファビー朝のシャーは( )。イスマーイール1世
ティムール朝はシャイパニが率いる中央アジアの( )族の攻撃によって滅びたウズベク
ティムール朝のシャー=ルフの時代に中国の( )に影響を受けた( )と呼ばれる綿密画などの文化が栄えた院体画、ミニアチュール
サファビー朝のアッバース1世はポルトガルから( )島を奪回し、ペルシア湾の出入り口を確保してアラビア海に進出したホルムズ
第二次ウィーン包囲の失敗の結果結ばれた( )条約で、オスマン帝国は( )をオーストリアに割譲したカルロヴィッツ、ハンガリー
オスマン帝国で非イスラーム教徒に対して、従来の社会制度や信仰を認め自治を許す代わりに貢納を貸す、非イスラーム教徒の宗教別自治組織の名称を何というか答えよミッレト
オスマン帝国で強制徴用する制度の名前は?デヴシルメ制
トルコ人騎士(シパーヒー)に徴税権付きの土地を与える制度を何というか答えよティマール制
東ゴート王国は、東ゴート人の( )大王が( )を倒しイタリア半島に建国したものテオドリック、オドアケル
( )は、9世紀後半にロシアの起源となる( )国を建てたルーシ(ノルマン人の一派)の首長リューリク、ノヴゴロド
( )は北フランスにノルマンディー公国を建てたロロ
( )は、9世紀後半にデーン人を撃退したアングロ=サクソンのイングランド王アルフレッド大王
9世紀前半にアングロ=サクソン人の7王国を統一してイングランド王国を成立させた人物の名前を答えよエグバート
有力な貴族が平民を従えるゲルマン古来の( )は、有力者が従者にその奉仕の見返りとして土地を恩恵的に貸与するローマ帝国末期の( )とともに、西ヨーロッパ封建制度の起源となった。従士制、恩貸地制度
ヴァンダル人がアフリカに建てた王国はどこによって滅ぼされたか答えよピザンツ帝国
( )人は東フランクの( )にレヒフェルトの戦いで敗れると、パンノニアを拠点に( )王国を建設したマジャール、オットー1世、ハンガリー
第( )回十字軍はヴェネツィアの主導でピザンツ帝国を攻撃し、コンスタンティノープルを占領して( )帝国を建設した4、ラテン
第3回十字軍の時代に結成された宗教騎士団である( )はエルベ川以東のバルト海沿岸に騎士団領を形成し、16世紀に( )公国に発展したドイツ騎士団、プロイセン
神聖ローマ帝国では、1356年に帝国の国政の基本となる( )を定め、皇帝位の安泰を試みたが、それを定めた( )は、チェコの王位も兼ねた人物であり、東欧と帝国との関係は一段と深いものとなっていった。金印勅書、カール4世
神聖ローマ帝国ではシュタフェン朝滅亡後の「( )」に大諸侯の自立が進み、1356年の( )では聖俗7名の大諸侯に皇帝の選挙権を与えて選帝侯とした。大空位時代、金印勅書
北ドイツの都市としては、ハンザ同盟の盟主となった( )、フランドル地方では、ハンザ同盟都市で毛織物工業や商業の中心地として繁栄したが、15世紀以降アントウェルペンにフランドル経済の中心の座を奪われた( )があげられる。リューベック、ブリュージュ
南ドイツの都市では15〜16世紀に、鉱業や金融業で巨富を得たフッガー家の商業活動により、ヨーロッパの商業・金融業の中心都市として発展した( )が有名であるアウグスブルク
神聖ローマ帝国のイタリア政策に対抗するために生まれた北イタリアの都市同盟を何というか答えよロンバルディア同盟
大憲章(マグナ=カルタ)を無視したことで、シモン=ド=モンフォールが反乱を起こしたことで知られるイギリスの国王を答えよヘンリ3世
模範議会を招集したことで知られる( )は、大ブリテン島の掌握にも傾注し、ケルト系の国( )を征服した。エドワード1世、ウェールズ
ポーランド王国は14世紀後半、ある勢力に対抗するためにリトアニアと合併してヤゲウォ朝を形成した。そのある勢力の名前を答えよドイツ騎士団
14世紀後半、( )王国ではドイツ騎士団の勢力が拡大したことを受けて、( )と合併して( )朝を形成してそれに対抗したポーランド、リトアニア、ヤゲウォ
ゲルマン人が大挙してヨーロッパの南西方向へ移動していったのち、その故地にスラヴ系諸民族が進出していった。西スラブ系のポーランド人と、のちに( )王国を建てることになるチェック人がそれである。ベーメン
10世紀末にキエフ公国の( )がピザンツ皇帝と姻戚関係を気づいてギリシア正教に改宗したウラディミル1世
ピザンツ帝国で、やがて軍管区制度に変わって、11世紀ころから皇帝が貴族に軍役奉仕と引き換えに土地の管理を委ねる制度が設けられた。この制度を何と呼ばれているか答えよプロノイア制
スラブ人布教のためにギリシア文字を元に作られ、やがて広く用いられるようになり、現代のスラヴ系諸語の文字のもとになった文字は何と呼ばれているか答えよキリル文字
10世紀末から11世紀初頭にキエフ公国の君主として在位し、キリスト教化を進め、ピザンツ帝国との交流を深めた人物の名を答えよウラディミル1世
イタリア半島におけるピザンツ帝国の拠点で、ユスティニアヌス帝のモザイク像が描かれたサン=ヴィターレ聖堂があり、やがてフランク王ピピンによって教皇に寄進された場所の名を答えよラヴェンナ
オスマン帝国のバルカン半島進出によってその首都とされ、コンスタンティノープルに遷都した後も拠点の一つとして栄えた都市の名前を答えよアドリアノープル
イヴァン4世の時にシベリアに遠征し、領土拡大に貢献したコサック首長の名を答えよイェルマーク
養蚕技術を導入し、絹織物産業を振興したピザンツ帝国の皇帝は誰か答えよユスティニアヌス帝
第3回十字軍でサラーフ=アッディーンに戦いに行った神聖ローマ皇帝は( )で、協会改革運動でグリゴリウス7世に破門された神聖ローマ皇帝は( )。フリードリヒ1世、ハインリヒ4世
( )は十二使徒の筆頭で、ローマの教会の初代教皇。( )はユダヤ教のパリサイ派から改宗した異邦人伝導の使徒。ペテロ、パウロ
ローマ教会は西ヨーロッパ世界に普遍的な権威を及ぼしたが、世俗権力の影響を受けたことなどによる弊害が生じたため、10世紀より、改革が進められた。この過程で、ある皇帝と争いが生じた。その皇帝の名を答えよハインリヒ4世
11世紀末にフランス中部に建てられた修道会で、三圃制や重量有輪棃など、新たな農業技術の普及に貢献した修道会の名前を答えよシトー修道会
イタリアのアッシジに設立した托鉢修道会の名前は?フランチェスコ修道会
異端審問や魔女狩りなどを通じてアルビジョワ派への対抗伝道を展開した、南フランスで結成した托鉢修道会の名前を答えよドミニコ修道会
この建物の名前と様式を答えよケルン大聖堂、ゴシック様式
この建物の名前と様式を答えよシャルトル大聖堂、ゴシック様式
この建物の名前と様式を答えよノートルダム大聖堂、ゴシック様式
この建物の名前と様式を答えよアミアン大聖堂、ゴシック様式
羅貫中と施耐庵が作者とされる作品の名前を答えよ水滸伝
ネストリウス派が異端とした公会議の名前を答えよエフェソス公会議
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と叙任権闘争を繰り広げたローマ教皇の名前を答えよグレゴリウス7世
モンテ=カシノ修道院では、「祈り、かつ働け」をモットーに日々の日課を定めた( )に従って修道院生活が営まれた聖ベネディクトゥスの戒律
交易拡大と十字軍に伴う移動の拡大はさまざまな領域で変化をもたらし、学問や思想では「12世紀のルネサンス」と呼ばれる革新が進んだ。この革新運動には、ギリシアの古典を、アラビア語やギリシア語からラテン語に翻訳する面があったが、その翻訳運動の中心地の一つはトレドであった。トレドは6世紀半ばにはこの地に存在した国の首都であった街である。その国の名を答えよ。西ゴート王国
「航海王子」( )の海外事業推進により、ポルトガルは1415年に( )を攻略し、その後アフリカ最西端の( )に到着したエンリケ、セウタ、ヴェルデ岬
1500年にポルトガルの( )がブラジルに漂着した。このことによってブラジルはポルトガル領となった。カブラル
女王イサベルはカスティリャの女王であるが、彼女と結婚し、後にスペイン王国の共同統治者となった人物は誰か答えよフェルナンド5世
ジョアン2世は、スペイン王国との間で1494年に( )条約を結び、海外領土を分割することを内容とした協定を締結した。トルデシリャス
イル=ハン国のガザン=ハンはイラン人の宰相( )に命じてモンゴル史を中心とした世界史である『 』を編纂させたラシード=アッディーン、集史
洪武帝は、1368年に( )(場所名)で即位し明朝を建てた。南京
16世紀半ばに貿易の拡大を求めて、しばしば明の北辺へ侵攻したタタールの族長の名前を答えよアルタン=ハン
洪武帝は、税制を厳格に実施するために農村部を( )という連帯責任制度のもとに編成し、当番制によって( )と呼ばれる租税台帳の整備を行わせた。里甲制、賦役黄冊
明では、兵役を負担する農民は( )とされ、( )によって管理された。軍戸、衛所制
洪武帝は支配機関の整備に力を注ぎ、元の時代に政治の中枢にあった( )とその長官の( )を廃止した。中書省、宰相
明の時代、大きな都市には同じ出身地の者や同業者の互助などを目的とした( )や( )が作られた。会館、会所
15世紀の半ばには、西北モンゴルのオイラトがエセンの指揮のもと明との交易を求めて侵攻し、( )帝を捕えるという土木の変が起こった。正統
太宗ホンタイジは内モンゴルのタタール系の部族である( )を従え、1636年に国号を清と定めた。チャハル
清朝は中国統治にあたって、明の制度をほぼ踏襲した。一方で、軍制では満州族国有の社会組織をもとにした軍事組織を採用したが、これを補うため漢人で組織する( )を設置した。緑営
洪武帝は大義名分論を重視する( )学を重視した。朱子
カーネギー鉄鋼を買収しUSスティールを設立したのは誰ですか?モルガン
1880年代に対独強硬派の元陸軍大将が起こしたクーデタ事件を何というか答えよブーランジェ事件
義和団戦争の結果結ばれたものを何というか答えよ北京議定書
四川暴動を鎮圧するために派遣された鎮圧軍が清に反抗したことを何というか答えよ武昌挙兵
ファーティマ朝はシーア派の中での( )派を信仰。イスマーイール
ブワイフ朝はシーア派の中でも( )派を信仰十二イマーム
サファビー朝はシーア派のなかでも( )派を信仰十二イマーム
10世紀半ば、トルコ系ムスリムは、中央アジアで( )朝を、アフガニスタンで( )朝をひらいた。カラハン、ガズナ
正統カリフの( )が、642年のニハーヴァンドの戦いでササン朝を破り、事実上崩壊させた。ウマル
征服地に建設されたアラブ人の軍営都市を( )と言うミスル
後ウマイヤ朝の都( )には大モスクが造営され、西方イスラーム世界の中心となった。コルドバ
イラン系シーア派のブワイフ朝はアッバース朝カリフから( )の称号を獲得した大アミール
セルジューク朝の創始者の名前を答えよトゥグリル=ベク
『医学典範』で有名な( )は、( )と同じくアリストテレス哲学の研究者であった。イブン=シーナー、イブン=ルシュド
イスラムの法学者ウラマーを養成するための高等教育機関である( )が各地に設置されたマドラサ
古代ギリシャ哲学者プラトンは( )と呼ばれる学術機関を創建した。アカデメイア
16世紀ごろにカイロで完成したアラビア語の大説話集を何というか答えよ千夜一夜物語
( )は『ジャラリー暦』(正確な太陽暦)と『ルバイヤート(四行詩集)』で有名ウマル=ハイヤーム
( )はセルジューク朝に仕えたイラン人の宰相で、( )学院を各地に建設したことで知られるニザーム=アルムルク、ニザーミーヤ
イスラーム教における断食の月を何というか答えよラマダン
ファーティマ朝がカイロに建設したマドラサを( )といい、セルジューク朝がバグダードなどに建設したマドラサを( )というアズハル学院、ニザーミーヤ学院
「電光」と呼ばれた( )は第4代スルタンであるが、( )王ジギスムントを中心とするバルカン諸国、ドイツ、フランスなどの連合十字軍を1369年、( )の戦いで撃破した。バヤジット1世、ハンガリー、ニコポリス
ソグディアナのオアシス都市( )はティムール朝の都として栄えることになるサマルカンド
再興したオスマン帝国は、第7代スルタン( )の指揮の元、1453年にコンスタンティノープルを占拠し、これを新しい都とした。メフメト2世
第9代スルタン( )はイランの( )朝と戦い、1514年にはその首都タブリーズを陥落させている。彼はさらに1517年、( )朝を滅ぼして聖地メッカ、メディナの保護権を手に入れたセリム1世、サファビー、マムルーク
( )朝はオスマン帝国に敗北したが、回復し1587年に即位したアッバース1世の時代に最盛期を迎える。新都(@)は「(@)は世界の半分」と言われるほどの繁栄を見せた。サファビー、イスファハーン
ティムール朝では、学芸を保護した( )の時代に都サマルカンドに天文台が設置されたウルグ=ベク
セリム1世に敗れたサファビー朝のシャーは( )。イスマーイール1世
ティムール朝はシャイパニが率いる中央アジアの( )族の攻撃によって滅びたウズベク
ティムール朝のシャー=ルフの時代に中国の( )に影響を受けた( )と呼ばれる綿密画などの文化が栄えた院体画、ミニアチュール
サファビー朝のアッバース1世はポルトガルから( )島を奪回し、ペルシア湾の出入り口を確保してアラビア海に進出したホルムズ
第二次ウィーン包囲の失敗の結果結ばれた( )条約で、オスマン帝国は( )をオーストリアに割譲したカルロヴィッツ、ハンガリー
オスマン帝国で非イスラーム教徒に対して、従来の社会制度や信仰を認め自治を許す代わりに貢納を貸す、非イスラーム教徒の宗教別自治組織の名称を何というか答えよミッレト
オスマン帝国で強制徴用する制度の名前は?デヴシルメ制
トルコ人騎士(シパーヒー)に徴税権付きの土地を与える制度を何というか答えよティマール制
東ゴート王国は、東ゴート人の( )大王が( )を倒しイタリア半島に建国したものテオドリック、オドアケル
( )は、9世紀後半にロシアの起源となる( )国を建てたルーシ(ノルマン人の一派)の首長リューリク、ノヴゴロド
( )は北フランスにノルマンディー公国を建てたロロ
( )は、9世紀後半にデーン人を撃退したアングロ=サクソンのイングランド王アルフレッド大王
9世紀前半にアングロ=サクソン人の7王国を統一してイングランド王国を成立させた人物の名前を答えよエグバート
有力な貴族が平民を従えるゲルマン古来の( )は、有力者が従者にその奉仕の見返りとして土地を恩恵的に貸与するローマ帝国末期の( )とともに、西ヨーロッパ封建制度の起源となった。従士制、恩貸地制度
ヴァンダル人がアフリカに建てた王国はどこによって滅ぼされたか答えよピザンツ帝国
( )人は東フランクの( )にレヒフェルトの戦いで敗れると、パンノニアを拠点に( )王国を建設したマジャール、オットー1世、ハンガリー
第( )回十字軍はヴェネツィアの主導でピザンツ帝国を攻撃し、コンスタンティノープルを占領して( )帝国を建設した4、ラテン
第3回十字軍の時代に結成された宗教騎士団である( )はエルベ川以東のバルト海沿岸に騎士団領を形成し、16世紀に( )公国に発展したドイツ騎士団、プロイセン
神聖ローマ帝国では、1356年に帝国の国政の基本となる( )を定め、皇帝位の安泰を試みたが、それを定めた( )は、チェコの王位も兼ねた人物であり、東欧と帝国との関係は一段と深いものとなっていった。金印勅書、カール4世
神聖ローマ帝国ではシュタフェン朝滅亡後の「( )」に大諸侯の自立が進み、1356年の( )では聖俗7名の大諸侯に皇帝の選挙権を与えて選帝侯とした。大空位時代、金印勅書
北ドイツの都市としては、ハンザ同盟の盟主となった( )、フランドル地方では、ハンザ同盟都市で毛織物工業や商業の中心地として繁栄したが、15世紀以降アントウェルペンにフランドル経済の中心の座を奪われた( )があげられる。リューベック、ブリュージュ
南ドイツの都市では15〜16世紀に、鉱業や金融業で巨富を得たフッガー家の商業活動により、ヨーロッパの商業・金融業の中心都市として発展した( )が有名であるアウグスブルク
神聖ローマ帝国のイタリア政策に対抗するために生まれた北イタリアの都市同盟を何というか答えよロンバルディア同盟
大憲章(マグナ=カルタ)を無視したことで、シモン=ド=モンフォールが反乱を起こしたことで知られるイギリスの国王を答えよヘンリ3世
模範議会を招集したことで知られる( )は、大ブリテン島の掌握にも傾注し、ケルト系の国( )を征服した。エドワード1世、ウェールズ
ポーランド王国は14世紀後半、ある勢力に対抗するためにリトアニアと合併してヤゲウォ朝を形成した。そのある勢力の名前を答えよドイツ騎士団
14世紀後半、( )王国ではドイツ騎士団の勢力が拡大したことを受けて、( )と合併して( )朝を形成してそれに対抗したポーランド、リトアニア、ヤゲウォ
ゲルマン人が大挙してヨーロッパの南西方向へ移動していったのち、その故地にスラヴ系諸民族が進出していった。西スラブ系のポーランド人と、のちに( )王国を建てることになるチェック人がそれである。ベーメン
10世紀末にキエフ公国の( )がピザンツ皇帝と姻戚関係を気づいてギリシア正教に改宗したウラディミル1世
ピザンツ帝国で、やがて軍管区制度に変わって、11世紀ころから皇帝が貴族に軍役奉仕と引き換えに土地の管理を委ねる制度が設けられた。この制度を何と呼ばれているか答えよプロノイア制
スラブ人布教のためにギリシア文字を元に作られ、やがて広く用いられるようになり、現代のスラヴ系諸語の文字のもとになった文字は何と呼ばれているか答えよキリル文字
10世紀末から11世紀初頭にキエフ公国の君主として在位し、キリスト教化を進め、ピザンツ帝国との交流を深めた人物の名を答えよウラディミル1世
イタリア半島におけるピザンツ帝国の拠点で、ユスティニアヌス帝のモザイク像が描かれたサン=ヴィターレ聖堂があり、やがてフランク王ピピンによって教皇に寄進された場所の名を答えよラヴェンナ
オスマン帝国のバルカン半島進出によってその首都とされ、コンスタンティノープルに遷都した後も拠点の一つとして栄えた都市の名前を答えよアドリアノープル
イヴァン4世の時にシベリアに遠征し、領土拡大に貢献したコサック首長の名を答えよイェルマーク
養蚕技術を導入し、絹織物産業を振興したピザンツ帝国の皇帝は誰か答えよユスティニアヌス帝
第3回十字軍でサラーフ=アッディーンに戦いに行った神聖ローマ皇帝は( )で、協会改革運動でグリゴリウス7世に破門された神聖ローマ皇帝は( )。フリードリヒ1世、ハインリヒ4世
( )は十二使徒の筆頭で、ローマの教会の初代教皇。( )はユダヤ教のパリサイ派から改宗した異邦人伝導の使徒。ペテロ、パウロ
ローマ教会は西ヨーロッパ世界に普遍的な権威を及ぼしたが、世俗権力の影響を受けたことなどによる弊害が生じたため、10世紀より、改革が進められた。この過程で、ある皇帝と争いが生じた。その皇帝の名を答えよハインリヒ4世
11世紀末にフランス中部に建てられた修道会で、三圃制や重量有輪棃など、新たな農業技術の普及に貢献した修道会の名前を答えよシトー修道会
イタリアのアッシジに設立した托鉢修道会の名前は?フランチェスコ修道会
異端審問や魔女狩りなどを通じてアルビジョワ派への対抗伝道を展開した、南フランスで結成した托鉢修道会の名前を答えよドミニコ修道会
この建物の名前と様式を答えよケルン大聖堂、ゴシック様式
この建物の名前と様式を答えよシャルトル大聖堂、ゴシック様式
この建物の名前と様式を答えよノートルダム大聖堂、ゴシック様式
この建物の名前と様式を答えよアミアン大聖堂、ゴシック様式
羅貫中と施耐庵が作者とされる作品の名前を答えよ水滸伝
ネストリウス派が異端とした公会議の名前を答えよエフェソス公会議
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と叙任権闘争を繰り広げたローマ教皇の名前を答えよグレゴリウス7世
モンテ=カシノ修道院では、「祈り、かつ働け」をモットーに日々の日課を定めた( )に従って修道院生活が営まれた聖ベネディクトゥスの戒律
交易拡大と十字軍に伴う移動の拡大はさまざまな領域で変化をもたらし、学問や思想では「12世紀のルネサンス」と呼ばれる革新が進んだ。この革新運動には、ギリシアの古典を、アラビア語やギリシア語からラテン語に翻訳する面があったが、その翻訳運動の中心地の一つはトレドであった。トレドは6世紀半ばにはこの地に存在した国の首都であった街である。その国の名を答えよ。西ゴート王国
「航海王子」( )の海外事業推進により、ポルトガルは1415年に( )を攻略し、その後アフリカ最西端の( )に到着したエンリケ、セウタ、ヴェルデ岬
1500年にポルトガルの( )がブラジルに漂着した。このことによってブラジルはポルトガル領となった。カブラル
女王イサベルはカスティリャの女王であるが、彼女と結婚し、後にスペイン王国の共同統治者となった人物は誰か答えよフェルナンド5世
ジョアン2世は、スペイン王国との間で1494年に( )条約を結び、海外領土を分割することを内容とした協定を締結した。トルデシリャス