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世界史 中間定期考査用対策問題 No.16
  • 和田創大

  • 問題数 47 • 5/15/2024

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    問題一覧

  • 1

    バルト海沿岸部を故郷とするのは何人か。

    ゲルマン人

  • 2

    ゲルマン人が、戦士階層による最高の意思決定機関としたものは何か。

    民会

  • 3

    ゲルマン人は何人の領域へ移動したか。

    ケルト人

  • 4

    家内奴隷、兵士、商人などとしてある帝国と接触したがそれは何か。

    ローマ帝国

  • 5

    基本的に、ローマ人とゲルマン人はどういった関係だったか。選択肢の中から適するものを選べ。

    友好的

  • 6

    ローマ人とゲルマン人は基本的に友好的であったが、唯一の対立点があった。それは何か。

    宗教

  • 7

    ふたつの民族間での対立点は宗教であったが、その内、ローマ人は何派で、ゲルマン人は何派だったか。 ①ローマ人 ②ゲルマン人

    アタナシウス派, アリウス派

  • 8

    4世紀半ば、中央アジアからヨーロッパへ移動した遊牧民族を何人というか。

    フン人

  • 9

    フン人は、黒海北岸にいたゲルマン人の一派であるある民族を服属したが、それは何人か。

    東ゴート人

  • 10

    フン人は、ドナウ川沿いのある民族も支配下に置こうとしたが、それは何人か。

    西ゴート人

  • 11

    フン人からの圧迫をうけた西ゴート人は、庇護を求めてローマ帝国へ流入したが、その事柄をなんというか。

    ゲルマン人の大移動

  • 12

    フン人の王であり、パンノニア平原を拠点として西方進出を進めたのは誰か。

    アッティラ王

  • 13

    アッティラ王の進出で、イタリア侵入、ローマの一時占領、イベリア半島に移動し王国を建設したのは何人か。

    西ゴート人

  • 14

    ある民族の王がイタリアに侵入し、西ローマ帝国を滅亡させたオドアケルを倒し、王国を建てたのは何人か。

    東ゴート人

  • 15

    東ゴート人の王であり、オドアケル殺害、王国建設などを進めたのは誰か。

    テオドリック王

  • 16

    5世紀頃にガリアからイベリア半島に入り、西ゴート人に押されて北アフリカに建国したのは何人か。

    ヴァンダル人

  • 17

    西ゴート人、東ゴート人、ヴァンダル人を総じて何人というか。

    ゲルマン人

  • 18

    ユトランド半島周辺にいたアングル人とサクソン人は何人であるか。

    ゲルマン人

  • 19

    ガリア北部に拡大したのは何人か。

    フランク人

  • 20

    フランク人は、メロヴィング朝のある人物によって統一され、アタナシウス派への改宗を進めた。その人物は誰か。

    クローヴィス

  • 21

    クローヴィスがアタナシウス派へと改宗した理由を選択肢の中から適するものを選べ。

    ローマ教会との結びつきを強め、先住のローマ系貴族を支配者層に取り込むため。

  • 22

    カロリング家の宮宰であったある人物は、イスラーム勢力の侵入をある戦いで破った。 その人物名と、戦闘の俗称を答えよ。 ①人物名 ②戦闘名 ※どちらも全角の・で

    カール・マルテル, トゥール・ポワティエ間の戦い

  • 23

    カール・マルテルの子であり、カロリング朝の創始、ランゴバルド王国の討伐で得た土地をローマ教皇へ寄進などをした人物は誰か。

    ピピン

  • 24

    ピピンがローマ教皇へ寄進した土地は、ある起源となった。それは何か。また、それは現在何になっているか。

    ローマ教皇領, バチカン市国

  • 25

    ローマ教会は、教義の統一と組織の整備を進め、ある教会の確立をすすめた。それは何か。

    ローマ=カトリック教会

  • 26

    ローマ教会は、イエスの弟子を創建者とし、全キリスト教会の首位の座を主張した。そのイエスの弟子とは誰か。

    ペテロ

  • 27

    ローマ教会は全キリスト教会の首位の座を主張したが、その中での司教は何と称するようになったか。

    教皇

  • 28

    修道院運動の一環として、イタリアのモンテ・カッシーノに修道院を建設したのは誰か。

    ベネディクトゥス

  • 29

    ローマ教皇であり、フランク王国に接近しカトリックの拡大を図り、各地に教会と修道院建設を進めた人物は誰か。

    グレゴリウス1世

  • 30

    グレゴリウス一世によるヨーロッパ各地の教会、修道院建設によりどんな影響があったかを選択肢の中から適するものを選べ。

    西方におけるローマ=カトリック教会と教皇の指導力が強まった。

  • 31

    次の説明文に対し、適する語句を漢字での名称、カタカナでの名称どちらも答えよ。 ①漢字名 ②カタカナ名 偶像崇拝を禁じるイスラーム圏に近いコンスタンティノープルでは、それを禁止していた。 一方西方では、ゲルマン人教化のためにそれを必要としていた。 その例としては、聖母マリアや、キリストを描いている。

    聖画像, イコン

  • 32

    ビザンツ帝国の皇帝であり、726年のある政策により東西教会での対立を決定的にしたのは誰か。 人物名と、政策名どちらも答えよ。 ①人物名 (半角数字で答えてください) ②政策名

    レオン3世, 聖画像禁止令

  • 33

    1054年に東西教会が破門となったが、ヨーロッパは何と何に別れたか。 (=は半角でお願いします)

    ラテン=カトリック圏, ギリシア正教圏

  • 34

    ピピンの子であり、カロリング家であった人物は誰か。

    カール大帝

  • 35

    カール大帝は、中央アジアから侵入してきたアジア系のある民族を撃退した。それは何人か。

    アヴァール人

  • 36

    カール大帝の統治策として全国を州に分け、在地の貴族をある職務に任命し、法や行政を委任した。 また、その職務は巡察使と呼ばれる人により監督された。 その職務は何か。漢字一文字で答えよ。

  • 37

    カール大帝は、ブリタニアの修道士などを招き、学芸復興に務めた。それはなんと呼ばれているか、俗称を答えよ。

    カロリング=ルネサンス

  • 38

    800年、カール大帝はローマ皇帝の冠を授かった(戴冠)が、それは誰によるものか。

    レオ3世

  • 39

    カール大帝は、レオ3世により戴冠を受けたが、その目的とは何か。選択肢から適するものを選べ。

    ビザンツ帝国との対立の対応策で、政治上の保護者(後ろ盾)の役割を求めた。

  • 40

    カール大帝が戴冠されたのはいつか。

    800年12月25日

  • 41

    フランク王国は3つに分裂したが、それは何故か。選択肢から適するものを選べ。

    3人の子供に等分したから。

  • 42

    カール大帝の死後、フランク王国はなんの条約で分裂したか。

    ヴェルダン条約, メルセン条約

  • 43

    東フランクの王で、ザクセン家の人物である。また、マジャール人の侵入を退けた。その人物は誰か。

    オットー1世

  • 44

    オットー1世はイタリアに進出し、962年に教皇からローマ皇帝として戴冠を受け、結果として、それがある帝国の起源となった。その帝国とはなにか。

    神聖ローマ帝国

  • 45

    神聖ローマ帝国は現在のある国の先祖である。その国とは何か。

    ドイツ

  • 46

    西フランクでは、あるパリの伯が987年にある朝を開いた。 人物名と朝名どちらも答えよ。 ①人物名 (=は半角で) ②朝名

    ユーグ=カペー, カペー朝

  • 47

    カペー朝は、現在のある国の先祖であるが、その国は何か。

    フランス