問題一覧
1
清は諸外国との外交関係を皇帝への朝貢として貰えていたが、施設を派遣しない国からの貿易線の来航と恩恵的に認めており、ヨーロッパの船の来航は( )に限って認めていた。
広州
2
18世紀の欧米では茶の消費が拡大し、中国からの茶の輸入が拡大していた。イギリスはこの代価として銀が中国に輸出することを防ぐため、( )を、その吸飲を禁止していた中国に密輸した。
インド産アヘン
3
インドはイギリス製( )の輸出先であり、インドの購買力を保つためにもこの ( )が丁度よかった。
綿織物, 三角貿易
4
清朝がアヘンの吸飲と輸入の厳禁をはかるために広州に派遣した( )がイギリス商人のアヘンを没収すると、イギリスは 1840年に損害賠償と自由貿易の原則による通商条約の締結とをもとめて( )を起こし、実用化されたばかりの気走軍艦を含む艦隊で中国の沿岸各地を攻撃した。
林則徐, アヘン戦争
5
イギリス艦隊が長江を遡って南京に迫ると清は降伏し、( )年に( )が結ばされた。
1842, 南京条約
6
南京条約により清は( )や( )など、東南部沿岸の5港を貿易港として、開港し、イギリスに( )を割譲し、賠償金を払った。
広州, 上海, 香港島
7
翌年には外国人に対する領事裁判権「治外法権」や( )を認め、関税自主権がない不平等条約が結ばれ、ついでアメリカ合衆国・フランスとも同様な条約を結んだ。
一方的な最恵国待遇
8
貿易港には外国人の住居が認められ、上海などでは( )が形成された。
租界
9
アヘン戦争後・・・ イギリスは中国へと工業製品の輸出が期待したほど拡大しなかったため、1856年にフランスと共に( )戦争、別名( )戦争を起こした。
第二次アヘン, アロー
10
1860には、北京まで侵略して( )を結び、( )、( )など、11港を新たに開港させて、北京への公使の駐在やキリスト教の布教の自由、そして( )を認めさせた。
北京条約, 天津, 漢口, アヘン貿易の合法化
11
すでに清と国境を画定する条約を結んでいたロシアは、アロー戦争中にアームル川以北をロシア領とする( )を結び、1860年にはアロー戦争における清とイギリス・フランスとの調和を仲介する代償として( )を獲得した。
アイグン条約, 沿海州
12
キリスト教の影響を受けて、上帝会を組織した( )は、江西省で挙兵して、1851年に( )を建て53年には南京を占領して首都とした。
洪秀全, 太平天国
13
清の正規軍は弱体化しており、( )や ( )などの漢人官僚が自らの故郷で組織した( )が、上海租界防衛を目的に外国人が創設した常勝軍などと協力して、太平天国を滅ぼした。
曽国藩, 李鴻章, 郷勇
14
これらの漢人官僚は、清朝側の中で勢力を強め、( )と呼ばれる近代化運動を始めた。
洋務運動
15
政治制度などで統治の本体に関わるところでは中国の方が優れているという考えを ( )という。
中体西用
16
朝貢にない国との外交や技術導入を担当する ( )を置いた。
総理各国事務衙門
17
朝鮮では、18世紀末からキリスト教が始めましたが、1863年に政権を握った( )はフランス人宣教師や信徒を処刑したため、フランス艦隊の攻撃も受けた。
大院君
18
( )年に室根に来航したロシア使節は( )である。
1792, ラクスマン
19
( )年に長崎に来航したのは( )である。
1804, レザノフ
20
中国・朝鮮・琉球・オランダ以外の船が接近したら撃退するよう命じた令は、( )である。
異国船打払令
21
アヘン戦争の戦状が日本に伝わると、流石に異国船打払令をやったらやばいと思った日本は必要があれば薪や水、食料を与えるよう指示する( )を出した。
天保の薪水給与令
22
朱子学を基礎に「大日本史」を編纂しながら自国の国家観を打ち立てた水戸藩では、打払令を契機に( )が提唱された。
尊王攘夷論