問題一覧
1
【浄瑠璃】1 浄瑠璃は語りと1、人形の所作の三者一体 「2」が語り口だった 流派は、江戸では3節、京都では4節で 大阪の5によって統合され、6節になった
三味線
2
【浄瑠璃】2 浄瑠璃は語りと1、人形の所作の三者一体 「2」が語り口だった 流派は、江戸では3節、京都では4節で 大阪の5によって統合され、6節になった
浄瑠璃物語
3
【浄瑠璃】3 浄瑠璃は語りと1、人形の所作の三者一体 「2」が語り口だった 流派は、江戸では3節、京都では4節で 大阪の5によって統合され、6節になった
金平
4
【浄瑠璃】4 浄瑠璃は語りと1、人形の所作の三者一体 「2」が語り口だった 流派は、江戸では3節、京都では4節で 大阪の5によって統合され、6節になった
宇治加賀掾の嘉太夫
5
【浄瑠璃】5 浄瑠璃は語りと1、人形の所作の三者一体 「2」が語り口だった 流派は、江戸では3節、京都では4節で 大阪の5によって統合され、6節になった
竹本義太夫
6
【浄瑠璃】6 浄瑠璃は語りと1、人形の所作の三者一体 「2」が語り口だった 流派は、江戸では3節、京都では4節で 大阪の5によって統合され、6節になった
義太夫
7
【2】1 竹本義太夫は竹本座を創設、 1や宇治加賀掾のために 浄瑠璃作品を書いてた2は 「3」を書いて前途を祝った 以来2は時代物や4物を書いた 松尾芭蕉、5をあわせて 「元禄の三文人」という
坂田藤十郎
8
【2】2 竹本義太夫は竹本座を創設、 1や宇治加賀掾のために 浄瑠璃作品を書いてた2は 「3」を書いて前途を祝った 以来2は時代物や4物を書いた 松尾芭蕉、5をあわせて 「元禄の三文人」という
近松門左衛門
9
【2】3 竹本義太夫は竹本座を創設、 1や宇治加賀掾のために 浄瑠璃作品を書いてた2は 「3」を書いて前途を祝った 以来2は時代物や4物を書いた 松尾芭蕉、5をあわせて 「元禄の三文人」という
出世景清
10
【2】4 竹本義太夫は竹本座を創設、 1や宇治加賀掾のために 浄瑠璃作品を書いてた2は 「3」を書いて前途を祝った 以来2は時代物や4物を書いた 松尾芭蕉、5をあわせて 「元禄の三文人」という
世話
11
【2】5 竹本義太夫は竹本座を創設、 1や宇治加賀掾のために 浄瑠璃作品を書いてた2は 「3」を書いて前途を祝った 以来2は時代物や4物を書いた 松尾芭蕉、5をあわせて 「元禄の三文人」という
井原西鶴
12
近松門左衛門が書いた浄瑠璃作品 時代物1 世話物2、3、4
国性爺合戦, 曽根崎心中, 冥土の飛脚, 心中天の網島
13
近松門左衛門の没後 敬愛する1は近松の演劇観を「2」にまとめた その中の3の論は興味深いものであった
穂積以貫, 難波土産, 虚実皮膜
14
【近松以後】 竹本座と別に生まれた 1を作者とする2座が生まれた 竹本座の3と2座の4が三大名作を合作する しかし、「5」を書いた6の時、 歌舞伎により衰退し始める
紀海音, 豊竹座, 竹田出雲, 並木宗輔, 妹背山婦女庭訓, 近松半二
15
【歌舞伎】 歌舞伎は「1」という言葉から来て 2で3が「かぶき踊り」をしたのが始まりである 最初4が盛んになったが風俗を乱すと禁じられ 5が流行するがそれも禁じられ、6が認められた
傾く, 京都, 阿国, 女歌舞伎, 若衆歌舞伎, 野郎歌舞伎
16
【元禄歌舞伎】 上方では1事の2、江戸では3事の4が人気の名優 浄瑠璃が衰退すると 浄瑠璃から歌舞伎に転じた5が有名になる また門下の6は上方から江戸に移った
和事, 坂田藤十郎, 荒事, 市川団十郎, 並木正三, 並木五瓶
17
【江戸歌舞伎】 1物を得意とする2が「3」を書いた 幕末には4物を得意とする5が 「6」や「白波五人男」を書いた 7調と言われる七五調のセリフを使った 明治期には8物、9物も手がけた 著作数は260点にのぼる
生世話物, 鶴屋南北, 東海道四谷怪談, 白浪物, 河竹黙阿弥, 三人吉三廓初買, 黙阿弥調, 散切物, 活歴物
18
【歌謡】 堺の僧1の1小歌が流行する その後2と結びつき上方では3で、江戸では4で発展 上方小歌は5歌から6歌に 7は三味線歌謡を編集し「8」を刊行
隆達, 三味線, 遊里, 劇場, 組歌, 長歌, 秀松軒, 松の葉
19
【国学】 官学として奨励された1にたいして国学があった 契沖の「2」は古典研究の基礎を固め 荷田春満から3に精神が継承された その門下の4は「5」、「6」を書き 源氏物語を「もののあはれ」と見た その後研究的な面は7、精神的な面は8が受け継ぐ
儒学, 万葉代匠記, 賀茂真淵, 本居宣長, 源氏物語玉の小櫛, 古事記伝, 伴信友, 平田篤胤
20
【和歌】1 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
細川幽斎
21
【和歌】2 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
木下長嘯子
22
【和歌】3 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
戸田茂睡
23
【和歌】4 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
県居歌集
24
【和歌】5 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
県居派
25
【和歌】6 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
桂園派
26
【和歌】7 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
ただごと歌
27
【和歌】8 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
香川景樹
28
【和歌】9 1の門下の2は清新な歌を詠んで 3は堂上和歌を批判した 万葉調の「ますらをぶり」の 歌を詠んだ賀茂真淵は「4」を出した 真淵の門人は5派と言われる それに対して6派がいた 小沢蘆庵は「7」を主張し 8は「しらべの説」を説いた歌集は「9」
桂園一枝
29
県居派4人
田安宗武, 楫取魚彦, 加藤千蔭, 村田春海
30
桂園派2人
熊谷直好, 木下幸文
31
【随筆】 本居宣長は「1」 儒学者新井白石は「2」 松平定信は「3」
玉勝間, 折りたく柴の記, 花月草紙
32
【儒学】 朱子学派2人
林羅山, 室鳩巣
33
陽明学派2人
中江藤樹, 熊沢蕃山
34
古学派1人
伊藤仁斎
35
古文辞学1人
荻生徂徠
36
漢詩文4人
菅茶山, 梁川星巌, 頼山陽, 広瀬淡窓