問題一覧
1
縄文時代に形成された青森市南郊外右岸にある大集落跡 竪穴住居群・高床建物群・大型竪穴住居・大型掘立柱建物・広場・成人墓などが高度な計画性を持って配置それた 古代の都市的な存在であった
三内丸山遺跡
2
自らを守るために、集落全体を濠で囲む弥生時代の集落の形
環濠集落
3
佐賀県東部・筑紫平野中央部の丘陵上にある、弥生時代の環濠集落跡
吉野ヶ里遺跡
4
地面に穴掘って床を作り、柱を掘り立てた上に屋根を置いた建物。日常的に寝起きする住まい。
竪穴住居
5
根元を直接土の中に埋めて自立させる柱。元来日本ではこの構法が用いられており、当初の宮殿建築もこの用法であった。
掘立柱
6
飛鳥時代の寺院建築の特徴 ( ):柱は円柱形でなく、中央部に膨らみを持ち力強さを感じさせる
エンタシス
7
飛鳥時代の寺院建築の特徴 ( ):通常院建築は、柱上は斗と肘木が組まれて上部の桁等を受ける。
雲斗雲肘木
8
( ) ・7世紀中頃 ・法隆寺よりも古い大陸風の形式 ・理学していた専口座(23間、全長で87m)は、木造寺院建築の現存する最古の実例
山田寺回廊
9
法隆寺境内から発見さらた寺跡。創建時の法隆寺であると考えられることから創建法隆寺とも呼ばれる
若草伽藍
10
( ) ・本仏殿の北西500mに位置する。 ・創建当初の東大寺 ・伽藍唯一の生き残り。 ・南大門より小規模。
転害門
11
( ) ・大仏殿東方の若草山中腹に位置する。 ・元来、正堂と礼堂という双掌形式の二つの建物を1棟にしたもの。 ・正倉院宝庫も当時の建築である。
法華堂
12
( ) ・法隆寺東院夢殿、山寺八角堂など、八角形の平面をもつ建物が現れた。 木造で完全な円形平面を造るのは困難であるため、八角形は円を意味している。 ・八角円堂は、故人の霊を祀り供養するための塔のような性格を持って発願された。 ・新薬師寺本堂、当麻東塔など
円堂
13
( ) 一般には円形塔身の上に方形(宝形)造の屋根をのせ、相輪を置く形式
宝塔
14
( ) ・後醍醐天皇が建て始めた下醍醐の伽藍の中でも最後にできたもの ・創建伽藍期伽藍では唯一遺るもので、京都に現存する中でも最古の部類に入るもの •半安中期の建築の優美さと豪快さを良く表した建築 ・深い軒の出を支える三手先組物も本太く、六枝掛になっていない季本との関係が、まだ枝割が完備されていない完数制の設
後醍寺五重塔
15
( ) ・山中の斜面に建てられるものも多く、腹と呼ばれる曲線状の基壇を築いている。 ・崖造ともいう。崖や池などの上に建物を長い柱と貫で固定し、床下を支える建築方法。さらに急になると建物がに持たせかけているようなつく 三仏寺投入堂、清水寺本堂、室生寺金堂
懸造
16
( ) 方五聞・方形造の堂で、中央の阿弥陀仏の周囲を念仏を唱えながら回る修行を行う空間
常行堂
17
( ) →個人が阿弥陀仏に対座して念仏を唱え、極楽往を願うための私的な堂である。 内部は一室となっている。 堂内には極楽浄土の世界を再現するため、極彩色の壁画、装飾文様などで華麗に荘厳されたものが多い。
阿弥陀堂
18
( ) →浄土教寺院では、極楽浄土世界の具現を目的とした庭園。堂の前に池を配し、中島を築き、伽藍全体を浄土世界に見立てる形式
浄土庭園
19
( ) ・一定の期間ごとに社殿をつくり替えること ・現在も行われているため、仏教建築との大きな相違点である。 ・この制度によって、成立当初の形式があまり変化することなく今日まで伝えられた。
式年遷宮
20
( ) 天皇が日常居住し政務を執る場所
内裏
21
( ) 儀式・行事を行う場、その正殿が大極殿
朝堂院
22
( ) 平安時代に完成された貴族住宅の形式 現在は残っていない 1町を基本単位として成立している
寝殿造
23
( ) →平安時代の代表的な大邸宅 9世紀に創建され、再興、造替を経て摂政家原氏の公的儀式を行う施設。復元された建物は11世紀半ばの頼道時代のもので、南北2町の敷地をもつ。 東対のみで西対は設けられず、前時代からの簡素化がみられる。
東三条殿
24
( )(奈良市,1199) ・重源の再建にかかる東大寺藍の建築様式を今に伝える貴重な遺構である。 ・二重屋根の上重まで通し柱として、下重の屋根は腰屋根とする。 ・二重の屋根を支えるのは段にも重ねられた六手先の挿木で、通し木が横につないでいる。 ・背の高い柱をつなぐ貫が縦横に幾重にも交錯する。 ・戦国時代に焼失した金堂(大仏殿)も通し柱と腰屋根をもった南大門に共通した形式。
東大寺南門
25
( )兵庫県小野市、1190
浄土寺浄土堂
26
( )(鎌倉) ・宋から僧・蘭渓道隆をむかえて開創。 ・日本で初めての本格的な禅宗様寺院。 ・谷間の谷口から奥に向かって三門・仏殿・法堂がほぼ一直線状に並び、両脇に座禅をする僧堂や寺務所にあたる庫気、あるいは至や四浄(使所)などが建ち並んでいたことがわかる。 ・伽藍の形式も純粋な風であることが求められた。
建長寺指図
27
( )(神奈川県鎌倉市,室町中期) ・中国の高僧・無学祖元を開祖とし、鎌倉五山の第二位に列した古刹である。 ・舎利殿は、無学祖元の開山堂の前に建って仏事などをおこなう堂の役割をもつ建物。外観・内部ともに禅宗様建築の典型的な特徴をみることができる。 ・鎌倉時代に建てられた建物は焼失していて、現在は15世紀前半の建物。
円覚寺舎利殿
28
( )(岐阜県多治見市,室町期) ・開山である夢窓疎石(夢窓国師)の頂相(木像)などが安置された祠堂の前方に祭祀を行う昭堂(礼堂)が建ち、両堂を相の間がつなぐ。 ・一重入母屋造で皮の急勾配の屋根が軒先 で強く反りあがる姿が印象的である。 ・三手先の詰組で組物の肘木の木口を円弧状に繰り、尾垂木の先を細めて上端に(シノギ)をとる手法ほか、扇垂木、上部に花狭間と呼ばれる繊細な透かしのはいった桟唐戸、柱下部の礎盤など
永保寺開山堂
29
( ) ・新和様の出現に続いて、大仏様のほか禅宗様も含めた多様な要素を積極的に和様の中に取り込んだ建築。 ・和様の伝統の規範を打ち破って構造的な性能を向上させ、新しい意匠感覚をもった建築。 ・和様をもとにしながら、個々の場面において創意工夫された個性的な建築。 净土寺本堂(広島県尾道市,1327) 明王院本堂(広島県福山市,1321) 観心寺金堂(大阪府河内長野市,14世紀中期) 鶴林寺本堂(兵庫県加古川市,1397)
折衷様
30
( )(広島県尾道市、1327) ・前面二間通りを外陣とし、うしろを内陣とする密教式平車である。・和様を基調としているが、桟唐戸、花木、二などを用いた折衷様式。
浄土寺本堂
31
( )(岡山市,1425) ・中世建築の傑作 ・仏教建築の影響も大きい ・現在の社殿は15世紀初めに再建されたものであるが12世紀末まで遡る形式
吉備津神社
32
( )(宇治市・1425) ・神社建築として平安期に遡る最古の遺構。 ・本殿は小規模な1間社流造の内殿3棟が並立し、全体に覆屋を掛けた形式。 ・正面股など細部に平安時代の特徴が現れている。
宇治上神社
33
・室町幕府:南北朝の動乱を経たのち、足利尊氏によって開幕 ・室町時代前期(14世紀後半):( )文化 ・室町時代後期(15世紀後半):( )文化
北山, 東山
34
( ) →農家・漁家・町家などの総称した庶民の住まい ・古代:竪穴住居 ・中世:掘立柱の建物 ・中世に遡る民家の遺構(室町時代に健立) →箱本家住宅、古井家住宅 ・低く葺き降ろされた軒や閉鎖的な内部空間 材全面に施された手斧仕上 ・屋根を支える上屋部分の周囲に下屋とよばれる空間を取り込む構造形式 礎石建(石場建)、前座敷三間取り
民家
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( )(神戸市,室町時代後期) ・江戸時代より既に千年家と称された ・工法の古さから室町時代後期と推定されている。 ・間取りは前面に「オモテ」をもつ前座敷三間取りという形式
箱木家住宅
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・「町家」 →都市において街路に面して並び立つ庶民住居 中世まで遡る町家の遺構は残らない ・平安時代末期に成立した『 』 :祭礼見物の桟敷となった平安京内の町家 ・中世の京都『 』 :平屋で小規模、一部2階建、卯建をもつもの
年中行事絵巻, 洛中洛外図屏風
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( ) 戦国時代に大名たちが建てた城。地の利のよい適当な高さの山を選び、そこに居館を構え土塁や堀を幾重にも巡らして戦いに備えた
山城
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( ) 城が戦闘のためだけでなく、支配者の権威の象徴や政治の拠点としての性格を持つ、近世の城の形。平地の中の丘陵地や全くの平地(平城)に築いた。城の周囲に城下町を形成している。
平山城
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( )(1601) ・『匠明』の記す「昔」の建築がどのようなものかを教えてくれる遺構 ・園城寺子院の一つ ・桁行7間、梁行6間の規模 ・庭に面した南側に広縁、落縁が取りつく。東南隅に設けられた中門や正面車寄部分の妻戸と部に寝殿造の名残をとどめる外観 ・16世紀半ばの上杉家本『洛中洛外図屏風』に描かれた細川管領邸と類似 ・園城寺の子院である勧学院客殿と類似
光浄院客殿
40
( )(1600) :園城寺子院の一つ ・『匠明』の記す「代広間ノ図」の平面に類似 ・3列9室の間取り、部屋数の増加
勧学院客殿
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数寄屋風書院 ( )(京都市,第1期造営1615~) ・江戸時代初期、上公家らの別荘あるいは遊興の場として建てられた数寄屋風書院の代表作 ・八条宮家初代智仁(としひと)・智忠(としただ) 親王親子が京都の西郊に造営した別荘 ・書院群ほか茶屋、持仏堂といった庭園施設が広大な回遊式庭園の中に配置され、庭園と建築が融和した見事な空間構成 ・桂棚とはじめ、釘際、襖の引手に至るまで洗練された酒脱な造形
桂離宮
42
( ) 珠光、紹鴎と続く流れを受け、彼らの指向した茶室の草体化させた人物。 妙喜庵待庵は現存する唯一の遺構。
千利休
43
天下の三棚(三大名棚) 1) 修学院離宮の「 」 2)桂離宮新御殿の「 」 3)醍醐寺三宝院の「 」
霞棚, 桂棚, 醍醐棚
44
( ):民衆支配の未端機構 全国の寺院と民衆を統制するシステム ・全国の寺院を本寺一末寺という支配体系に組み込むもの。 ・寺社奉行の支配下におかれた本寺は、地方に散在する未寺に対して一定の権限を有する。 ・未寺を経由して一般の家を支配する。 ・檀家制度の定着と寺請制度の普及
本末制度
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・( ) →一般的に祖先の霊・実在した人物の霊を祀るとこ
霊廟
46
( )(栃木県日光市,1636) 1617年造営したものを3代家光が、1636年に全面的に建替えたものが現在に残る。 ・これらの建築群は、深山を切り開いて本規模かつ計画的に営まれ、幕府の威信をかけた事業 ・権現造の本殿をはじめほとんどの殿舎に彩色や彫刻などあらゆる装飾技法が施されている ・3代家光の大猷院霊廟(1653)など7代までは、権現造の社殿が造営された
日光東照宮
47
( )(仙台市,1607) →近世の権現造社殿の最古の遺構として重要
大崎八幡宮
48
・立川流大工:( ) →甲信地方や南関東・東海地方を中心に活躍した彫物大工の職能をもった大工集団 初代和四郎富棟,二代目和四郎富昌,三代目和四郎富種
立川和四郎
49
江戸幕府は、旗本・御家人の子弟を教育する施設として( )(湯島聖堂、1797)を設けた。
昌平坂学問所
50
( ) →多くの御茶屋が集まっている特定の地域 世俗的建築の一つの極み ・秀吉・家康の時代に都市周辺部の一画に集中 京都の島原、大阪の新町、江戸の吉原
遊郭
51
1779年に英国で世界初の鋳鉄製アーチ橋を完成させた人物。
アブラハム・ダービー3世
52
( ) 1851年に開催された万国博覧会で登場した、ジョセフ・パクストンとチャールズ・フォックスにより造られた巨大な展示館。
水晶宮
53
( ):1925年様式 →ガラスや金属といった均質感のある材質が重用され、都会的な華やかさをもった20世紀の産業つまり工場で大量生産されることが予測される造形。建築、家具、ファッシン、装身具など
アール・デコ様式
54
( ) フランス革命100周年を記念して、パリ万国博覧会において建てられたエッフェル塔の設計者
ギュスターヴ・エッフェル
55
( ) W.モリスの中世を理想としたものづくりの出発点となった作品。外壁も赤煉瓦のままであったことから名付けられた アーツ・アンド・クラフト運動の原点である。
赤い家
56
( ) 中世ヨーロッパにおける商工業に携わる同業者仲間。
ギルド
57
( )(19Cから20C初頭) 優美で官能的な装飾芸術であった ・ヨーロッパ大陸における最初の近代運動 ・造形的特徴 →本質は線であり、植物の茎や葉、長い髪など自然な動きをもったしなやかな非対称形の曲線や曲面による装飾
アール・ヌーヴォー
58
( ) V.オルタによって造られた、アール・ヌーヴォーの代表的な建築物
タッセル邸
59
( ) 曲線の使用や華やかな装飾性などアール・ヌーボーの特徴を持つことからカタルーニャ版アール・ヌーボーと呼ばれる。
モデルニスモ
60
( )(A・ガウディ・イ・コルネ) モダニズム建築の最も良く知られた作品であり、A・ガウディの未完作品である。バルセロナ市のシンボルであるこの建物は、綿密に構成されたシンボロジーときに、放物線状の構造アーチや、鐘楼に据えられた自然主装と抽象主義の混在する刻などで、大胆な建築様式を誇っている。2026年完成予定。
サグラダファミリア
61
( ) 近代建築の父と呼ばれる 著書「近代建築」
O.ヴァーグナー
62
( ) →ドイツに限らず1900年初頭から20年代に興った人間の内面に表出しようとする芸術思想の総称 特にドイツでの芸術動向をドイツ表現主義という ・B・タウト →( ):ドイツ工作連盟ケルン博覧会 ドーム内側の色ガラスを透過する光が醸す幻想的
表現主義, ガラスの家
63
20C初頭、ヨーロッパ各地で芸術上の「革命」が相次いで起こる。このような芸術運動は、既存の制度や伝統との闘争でもあったが、軍事用語を起源とする「 」といわれる。
前衛
64
E・リシツキー:計画案「 」 →一切の装飾を剥ぎ取った純化された形態による巨大な キャンティレバーの水平なスカイクレーパーとして構想
雲の鐙
65
( ) ・アール・デコによる摩天楼の最高傑作の一つ ・ステンレス鋼を最初に大量使用した建築物
クレイスラー・ビル
66
( ) ル・コルビュジエやミースファン・デル・ローエとともに近代建築の巨匠の1人として数えられる人物 住宅建築の分野で独自性を発揮した
ライト
67
( ) 草原住宅ともいう 軒を深く出して水平線を強調し、地を這うようにして自然と一体になる建築 ライトの発想
プレーリー・ハウス
68
「 」 近代の機能主義者たちとは一線を画するもの→敷地、建築、家具調度すべてが一体となって建築の品性をつくるものであり、装飾や自然環境が建築の質を向上されるという主張 工業技術と構造的合理性を積極的に取り入れながら、自然との融合と豊かな装飾による効果を目指した主張
有機的建築
69
( ) (ビーター・ベーレンス、ベルリン、1909) 柱間・端部の壁面などに巨大なガラス窓を配し、鉄とガラスを用いて組み上げられた工場建築
AEGタービン工場
70
( ) 1920年 雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』の創刊に携わる 1923年『建築をめざして』 「住宅は住むための機械である」→「機械の美学」 サヴォア邸
ル・コルビュジエ
71
( ) (フランス,1928〜1931) 幾何学的純粋性とピロティによって大地と伝統から解放され、空中に浮かぶかのように見える。屋上庭園は斜路によって結ばれている。
サヴォア邸
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( ) ル・コルジュジエが考えた都市計画。 巨大な集合住宅であり、マルセイユに建設された 「垂直の田園都市」
ユニテ・ダビタシオン
73
( )(長崎市,1863) →木造洋館建築では日本最古の遺構 異人館(阿蘭陀屋敷) 外観の特徴:三方にめぐらしたベランダ →18Cにポルトガル人がインド建築の形式を取り入れ、南方の植民地の地域において建て始めたもの。高温多湿な土地において快適な空間をつくり出している。 コロニアル様式
旧グラバー邸
74
( )(長崎市,1865) 極めて古い建築で、居留地に建つ教会堂建築として唯一の完全な姿で残っているもの。 残存する日本最古のカトリック教会堂である。
大浦天主堂
75
( ) 日本近代建築の父 日本文化の研究を行なった人物でもある
ジョサイア・コンドル
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( ) 西洋建築特有の要素を日本的な建楽デザインと混在させて西洋風になぞらえる。見ようみまねでなぞらえてつくりあげた建築。
擬洋風建築
77
( ) 明治建築界の重鎮 日本銀行本店や東京駅などをてがけた設計家
辰野金吾
78
( ) 日本の近代化を象徴する構造材
煉瓦
79
( ) 昭和初期ナショナリズムの台頭において主張された建築様式。 構造は鉄筋コンクリート造か鉄骨造で、日本の伝統的な屋根をのせていた 日本・東洋・中華風のイメージが強い外観
帝冠様式
80
( ) ・土地の固有性や風土性を指す言葉 ・日常生活のなかで築き上げるパターンのようなもの ・文化の多様性や固有性に着目し、画一化された近代建築への批判を表明する動き
ヴァナキュラー
81
( ) モダニズム建築を超える動きの中で、最も印象的な作品を残した人物。 ペンシルヴァニア大学のリチャーズ研究所やキンベル美術館などを手掛けた
ルイス・カーン
82
( ) 1970年代に台頭してきた若い建築家たち これまで当たり前とされてきた建築のあり方を徹底的に批判した
野武士
83
( ) →人間が生活する場には、空間の機能性だけでなく、場所としての個性が存在する。 ある土地から感覚的に受ける印象や連想性、あるいは土地が醸し出す潜在的な可能性といった概念をもつ言葉 その土地に根付いてきた文化や歴史、社会といった背景を読み解く要素も含まれている。 ・日本において一般化させたのが建築中家鈴木博之による研究
ゲニウス・ロキ