問題一覧
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◾︎フランスの内乱 A) 前史 ①百年戦争(1339~1453年):多くの諸侯・騎士が没落し、王権(「 ? 」)が伸長。 ②イタリア戦争(1449~1559年):フランスが劣勢のうちに終結。
ヴァロワ朝
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◾︎フランスの内乱 B) 「 ? 」戦争 (1562~1598年) (1) 戦争の勃発:王位をめぐる国王・貴族間の対立に、宗教対立が絡んだ大内乱。 ○諸勢力 ①国王:「 ? 」(旧教徒)、母:「 ? 」 ②反国王派の貴族:旧教←スペイン(国王フェリペ2世)の支援 ③ユグノー(カルヴァン派):商工業者、一部の貴族。 ◎「 ? 」の虐殺(1572) ⇒概要:伸長したユグノーをカトリック教徒が大虐殺した事件。内乱が悪化。
ユグノー、*シャルル9世、カトリーヌ=ド=メディシス、サンバルテルミ
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◾︎フランスの内乱 B) 「 ? 」戦争 (1562~1598年) (2) *_____戦争の終結 ①「 ? 」朝の成立(1589年):アンリ3世の暗殺により、ヴァロワ朝が断絶。 ②ユグノーの「 ? 」の即位:シャルル9世の婿娘でブルボン家の出身。 ③アンリ4世のカトリック改宗(1593):カトリック勢力を懐柔するため。 ◎「 ? 」(1598年):ユグノーに大幅な信仰の自由を認めた。*個人の自由も認めた。 (3) アンリ4世の内政:中小貴族を官僚に登用し、大貴族を抑えたうえ、地方に役人を派遣して監視した。
ユグノー、*ユグノー、ブルボン、*アンリ4世、ナントの勅令
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◾︎フランスの内乱 C) 「 ? 」(位 1610~1643年) ◎「 ? 」:*_____(の母后)が招集(1614) ➩対立で紛糾し、以後未招集(~1789)。 ○宰相「 ? 」:枢機卿も務め、貴族・ユグノー勢力を挫く。 ➩「 ? 」の創設:文法の確立。辞書の編纂。*国力の増加 ○三十年戦争に介入:ハプスブルク家と対決。(1635~1648年)
ルイ13世、*三部会停止、*ルイ13世、リシュリュー、*フランス学士院(アカデミー=フランセーズ)
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◾︎フランスの内乱 D) 「 ? 」(太陽王、位 1643~1715 "朕は国家なり") (1) 「 ? 」の乱(1648~1653年):伸長する王権に対する諸勢力の抵抗がパリで起こる。 ①反乱勢力:高等法院に結集する法服貴族の反抗➩地方に波及。 ②宰相「 ? 」:反乱を鎮圧したが、1661年に死去。 (2) 親政の時代(1661~1715年) ①「 ? 」宮殿:豪壮・華麗なバロック式。 ②「 ? 」の「 ? 」政策:東インド会社の再建(1664年)。 ➩財務総監(任 1665~1683年):毛織物・ガラスなど輸出向け手工業の奨励。 ③「 ? 」の廃止(1685年)➩「 ? 」・「 ? 」が国外へ流出
ルイ14世、フロンド、マザラン、ヴェルサイユ、コルベール、*重商主義、ナントの勅令、商工業者、ユダヤ教徒
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◾︎フランスの内乱 E) ルイ14世の外征 ◎論拠:「 ? 」、大河・山脈を国境とするもの。(ライン川などを国境に) (1) 南ネーデルラント継承戦争(フランドル戦争、1667~1668年) ○ベルギー侵略、オランダ・イギリスが反発。 *「 ? 」 (2) オランダ戦争(オランダ侵略戦争、1672~1678年) ①結果:オランダは英からも攻撃(第3次英蘭戦争を受けて衰退) ②転換:1674年以後、フランスに対抗するため英・蘭は友好関係に転じる。 ③終結:戦争途中から英やスペイン・神聖ローマ皇帝がオランダの支援に回り、終結した。 (3) 「 ? 」(*_____、1668~1697年) ①英・蘭・ハプスブルク家が「 ? 」同盟を結成して対抗。 ②100年に及ぶ英仏間の新大陸植民地抗争の始まり(第2次百年戦争)
*自然国境説、*アーヘンの和約、*ファルツ戦争、*ファルツ継承戦争、*アウクスブルク
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◾︎フランスの内乱 E) ルイ14世の外征 (4) 「 ? 」戦争(1701~1714年) ①契機:スペイン国王カルロス2世が、世継ぎを残さずに死去。 ②ブルボン朝スペインの誕生:ルイ14世の孫がスペイン王位を継承。➩国王「 ? 」 ③開戦:英・蘭・ハプスブルク家が反発して開戦。 ➩英・仏は新大陸で植民地抗争(「 ? 」、1702~1713年) ◎「 ? 」条約(1713年)英・蘭との講和条約。 ➩仏・スペインが国家として合併しないことを条件にフェリペ5世の即位を承認。 ➩イギリスは新大陸の広大な領土をフランスから獲得。 *「 ? 」:南ネーデルラント・ナポリ・サルデーニャを神聖ローマ帝国に割譲。
スペイン継承、フェリペ5世、*アン女王戦争、ユトレヒト、ラシュタット条約
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◾︎三十年戦争 (1) 戦争の開始 ①概観:ドイツを舞台とする宗教対立を原因とする宗教戦争。*(ハvsブ) ②ドイツの概況:16世紀の宗教改革や宗教戦争(「 ? 」)を通じて、皇帝権力は弱体化し、諸侯が支配する両方や都市が分立。 ③戦争の契機:「 ? 」の反乱(現チェコ) ⇒ハプスブルク家の新ベーメン国王フェルディナントが新教徒を弾圧。 ⇒ベーメン新教徒の反発が高まり、「 ? 」が起きる。 (2) 諸勢力の介入 デンマーク国王:「 ? 」 スウェーデン国王:「 ? 」 フランス宰相:「 ? 」 VS 傭兵隊長「 ? 」 ◎戦いの様相の変化:旧教徒の「 ? 」が「 ? 」新教徒を支援し、同じ旧教徒勢力の「 ? 」と戦ったことで「 ? 」としての性格は希薄化し、国家間の「 ? 」となる。
*シュマルカルデン戦争、ベーメン、*プラハ王宮窓外放出事件、クリスチャン4世、グスタフ=アドルフ、リシュリュー、ヴァレンシュタイン、*フランス、*ドイツ、*ハプスブルク家、*宗教戦争、*政治戦争
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◾︎三十年戦争 (3) 結果:「 ? 」条約の締結 ①フランス:「 ? 」、メッス、トゥール、ヴェルダンの司教領を獲得。 ②スウェーデン:「 ? 」などを獲得。 ③神聖ローマ帝国:領邦・都市の主権が承認される⇒ドイツの分裂状態が固定化される。 ④「 ? 」・「 ? 」の独立が国際的に承認される。 ⑤帝国内のカルヴァン派を公認。*個人の自由は認められず。 (4) 三十年戦争の意義・影響 ①欧州における主権国家体制が確立⇒国家主権の不可侵性が確認されたため、教皇・皇帝権が衰退。 ②欧州の覇権:ハプスブルク家に代わって「 ? 」家の優位が確立される。 ③ドイツ情勢:ドイツの徹底的破壊⇒傭兵の略奪や暴行が横行するようになる。
ウェストファリア、アルザス、*西ポンメルン、スイス、*オランダ、ブルボン
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 A) プロイセン王国の成立 (1) 王国の起源 ①「 ? 」(東方植民活動で支配した領土に建国された) ⇒プロイセン公国(1525~):ルター派を受容(「 ? 」に臣従) ②「 ? 」辺境伯領:12世紀前半以来、スラブ人に対抗しつつ建設される。 ⇒選帝侯になる(1356~):「 ? 」家が領有する(1415~) *「 ? 」(「 ? 」):農民に賦役労働させ、西欧向け穀物を生産。 ☆二領の合併(1618):「 ? 」の成立。
*ドイツ騎士団プロイセン、*リトアニア=ポーランド王国、ブランデンブルク、ホーエンツォレルン、*農場領主制、、グーツヘルシャフト、*ブランデンブルク=プロイセン公国
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 A) プロイセン王国の成立 (2) 大選帝侯「 ? 」(位 1640~1688) ①常備軍を創設、貴族との妥協(官僚・軍隊の要職に付ける) ②フランスからの亡命「 ? 」受け入れ:「 ? 」を契機に仏から亡命してきた人々を歓迎。 ⇒プロイセンの経済発展につながる。 (3) プロイセン王国の成立・発展 ①王国昇格:スペイン継承戦争時に神聖ローマ帝国を支援。⇒王号を承認(初代国王「 ? 」) ②地主貴族「 ? 」の勢力大きい:軍隊(特に将校団)や官僚の中核をなす。 ③第2代「 ? 」(軍隊王)
フリードリヒ=ヴィルヘルム、ユグノー、*ナントの勅令、フリードリヒ1世、ユンカー、*フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 B) 「 ? 」(位 1740~1786) (1) 「 ? 」(1740~1748年) ①ハプスブルク家の家督を女性の「 ? 」が継承↔男子相続の慣例に違反する。 ②「 ? 」の和約(1748):「 ? 」地方をプロイセンが獲得。 ◎「 ? 」(1756~1763年):マリア=テレジアの復讐戦。 ○「 ? 」:ハプスブルク家とブルボン家の歴史的和解。 ○動機:墺(ハプスブルク家)➩主敵はプロイセン ○結果:プロイセンの逆転勝利←ロシア(ピョートル3世)が裏切る。 *「 ? 」(シュレジエンはプロイセン領のまま) ○英仏植民地抗争:「 ? 」でもイギリスが勝利する。 ○国内改革:宗教寛容令、非カトリック教徒の信仰の自由を認める。
フリードリヒ2世、オーストリア継承戦争、マリア=テレジア、アーヘン、シュレジエン、七年戦争、*外交革命、*フベルトゥス条約、*フレンチ=インディアン戦争
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 B) 「 ? 」(位 1740~1786) (2) 「 ? 」宮殿:「 ? 」、ベルリン郊外ポツダムに建設された。 ◎啓蒙思想家「 ? 」(哲学書簡の著者)の来訪。 ☆「 ? 」:啓蒙思想を論拠にしながら君主県の強化を目指す君主。そのために貴族支配下にある農奴(農民)の解放をはかり、市民(商工業者)の成長も図る。 *「 ? 」(「 ? 」)、「 ? 」(「 ? 」)
フリードリヒ2世、サンスーシ、*ロココ建築、ヴォルテール、*啓蒙専制君主、*ヨーゼフ2世、*墺、*エカチェリーナ2世、*露
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 A) オーストリア公国(976~1804年帝政へ移行~1918年共和政へ移行) (1) 起源:神聖ローマ帝国を防衛するためにつくった砦のような領土。 ○13世紀からハプスブルク家が皇帝の位につき、オーストリアを支配するようになる。 (2) 領土拡大 ①1683年:オスマン帝国による「 ? 」を撃退することに成功。 ②1699年:オスマン帝国とオーストリアで「 ? 」条約が結ばれる。 ⇒「 ? 」やトランシルヴァニア・クロアチアを獲得する。
第二次ウィーン包囲、カルロヴィッツ、ハンガリー
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 B) 「 ? 」(位 1740~1780) (1) 「 ? 」 ①結果:「 ? 」に「 ? 」を奪われる。 ⇒*_____奪還のために、フランスと手を組む(「 ? 」) (2) 「 ? 」(1756~1763)(同時期に英仏はフレンチ=インディアン戦争) ①英・普VS仏・墺・露(「 ? 」) ⇒序盤は墺が優勢であったが、ロシアが裏切ったためプロイセンが優勢となる。 ②フベルトゥス条約:シュレジエンの奪還は果たせず。 ③七年戦争で失敗した墺は仏との同盟を強固にすべく政略結婚を行う。 ⇒マリア=テレジアの末娘「 ? 」と仏の皇太子「 ? 」が婚姻関係となる。
*マリア=テレジア、*オーストリア継承戦争、*フリードリヒ2世、*シュレジエン、外交革命、*七年戦争、*外交革命、*シュレジエン、マリ=アントワネット、ルイ16世
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◾︎プロイセンとオーストリアの近代化 C) 啓蒙専制君主 (1) 啓蒙専制君主:理性によって不合理な社会を変革するという考えではなく、君主権の強化を目指していた。 ⇒農奴の解放を行うことで貴族の弱体化を狙う。 *「 ? 」(「 ? 」)、「 ? 」 (2) 「 ? 」:マリア=テレジアの子。 ①修道院の解散:中央集権化のため。 ②「 ? 」:貴族の弱体化を狙う。 ③宗教寛容令(信教の自由) ⇒あまりに急激な改革のため反対も多く、成功しなかった。 ➩多民族国家というのもあり、マジャール人などの反発。 ◎1772年にはロシアのエカチェリーナ2世の誘いに乗り、プロイセンとともに「 ? 」を行った。
*フリードリヒ2世、*君主は国家第一の下僕、*エカチェリーナ2世、ヨーゼフ2世、*農奴解放、(第一次)ポーランド分割
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◾︎ロシアの台頭と東方進出 A) ロシアの前史:起源・・・13世紀からキプチャク=ハン国の支配下に入る(「 ? 」)
タタールのくびき
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◾︎ロシアの台頭と東方進出 B) モスクワ大公国 (1) 「 ? 」(位 1462~1505) ①自立(1480年):キプチャク=ハン国の支配を脱する。 ②「 ? 」:滅亡したビザンツ皇帝の姪ソフィアと結婚したことで後継者と名乗るようになる。 ③「モスクワは第3のローマ」:皇帝理念を継承したことの象徴的表現。 (2) 「 ? 」(「雷帝」、位 1533~84) ①ツァーリの称号を正式使用し、中央集権化を推進した。(帰属を虐殺) ②ロシア正教(ギリシア正教から派生)の首長にもなる。 ③ガザン=ハン国を征服:ヴォルガ川流域のモンゴル系国家。 ④シベリア進出:コサックの首長「 ? 」⇒ウラル山脈を越えて遠征。シビル=ハン国を滅ぼす。 ⑤コサック:南ロシアの草原地帯に逃亡した人々を起源とし、騎馬戦士集団を形成し、辺境警備につく。
イヴァン3世、ツァーリ、イヴァン4世、イェルマーク
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◾︎ロシアの台頭と東方進出 C) ロマノフ朝ロシア(1613~1917) (1) 王朝成立 ①初代皇帝「 ? 」:小領主・商人の支持。 ②「 ? 」の反乱(1670~71):農奴制の強化に反発したコサックの反乱。 (2) 「 ? 」(位 1682~1725) ①西欧視察:近代化のモデルを探すためにオランダやイギリスを視察。 ②シベリア探検:デンマーク生まれの「 ? 」を派遣。 ③「 ? 」条約(1689):清との国境線条約。 (3) 北方戦争(1700~21):北欧のスウェーデン(君主カール12世)との戦争。 ①目的:バルト海の制海権を掌握して、西欧への連絡路を確保。 ②結果:ロシアが勝利し、バルト海の制海権を獲得。*新首都:「 ? 」を建設。
ミハイル=ロマノフ、ステンカ=ラージン、ピョートル1世、ベーリング、ネルチンスク、ペテルブルク
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◾︎ロシアの台頭と東方進出 C) ロマノフ朝ロシア(1613~1917) (4) 「 ? 」(位 1762~96) ①啓蒙専制君主 ⇒啓蒙思想家ディドロ(百科全書の著者)を招く。ヴォルテールとは文通をしていた。 ②「 ? 」の乱(1773~75) ⇒結果:反乱の鎮圧後、皇帝の中央集権化を認めることを条件に貴族に農奴制の強化を認める。 ⇒文学:ロマン主義文学者プーシキン『大尉の娘』 ③南下政策 ○ロシア=トルコ戦争(露土戦争、1768~74):オスマン帝国との戦争。 ⇒キュチュク=カイナルジャ条約:モンゴル系クリム=ハン国の宗主権をトルコから奪う。 ⇒その後、黒海北岸の「 ? 」半島を領有(1783)。 ④「 ? 」の結成(1780):アメリカ独立を側面的に支持。 ⑤日本に使節を派遣:交易の拡大を求めて「 ? 」を根室に派遣(1792)。
エカチェリーナ2世、プガチョフ、クリミア、武装中立同盟、ラクスマン
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◾︎ロシアの台頭と東方進出 D) ポーランドの情勢 ◎ヤゲウォ朝断絶(1572):選挙王制始まる・・・貴族の対立が激化し、国家の混乱を招く。*ポーランド分割 ◾︎ピューリタン革命の前史 A) 前史:議会と王権の対立・・・王権(中央勢力)とジェントリ(議会に結集する地方勢力) ◎王権と一部の特権的な商工業者が癒着↔一般の商工業者の反発。 ⇒テューダー朝期(~1603)には、対立は表面化せず。(スペインの脅威)
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◾︎ピューリタン革命の前史 B) *_____期の対立 (1) 「 ? 」(位 1603~25、スコットランドとイングランドとは同君連合) ①「 ? 」(1603~1714):スコットランド国王ジェームズ6世が英国王ジェームズ1世を兼ねる。 ②国王専制:「 ? 」説を主唱。 ⇒議会の同意なき課税、一部商工業者への特権の付与。非国教徒を弾圧→「 ? 」。
*ステュアート朝、ジェームズ1世、*ステュアート朝、王権神授、*ピルグリム=ファーザーズの移住
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◾︎ピューリタン革命の前史 B) ステュアート朝期の対立 (2) 「 ? 」(位 1625~49):重税、ピューリタンに対する弾圧。 ②議会解散(1629)の措置:以後1640年まで議会を召集せず。 ③スコットランドの反乱(1639):国教強制が原因・・・カルヴァン派(「 ? 」)が優勢。 ○議会開催:反乱の鎮定費用捻出のため(1640)。←議会は国王の課税要求を拒否。 ○3週間足らずで議会を解散(いわゆる「 ? 」) ④スコットランド軍の侵入⇒再度議会を招集(1640年~1653年 「 ? 」)。 ⑤大諫奏を国王に提出(1641):国王批判の文書。その後、反王派の逮捕⇒内戦が始まる(1642)
チャールズ1世、権利の請願、*プレスビテリアン、*短期議会、長期議会
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◾︎ピューリタン革命の党派と経過 (1) 王党派と議会派:ピューリタン革命の対立構造 ①「 ? 」:絶対王政とイギリス国教会を支持する、国王や貴族のグループ。 ②「 ? 」:王政を維持しつつ議会中心の政治を行おうとする大商人やスコットランド人のグループ。 ③「 ? 」:王政を廃し、議会中心の共和政を行おうとするジェントリやヨーマンなどのグループ。 ④「 ? 」:王政を廃し、普通選挙の議会による共和政を行おうとする、貧農や小市民のグループ。 (2) 王党派の衰退 ①1644年:マーストンムーアの戦い⇒「 ? 」が率いた「 ? 」が活躍した。 ②1645年:「 ? 」⇒この戦争後、国王を捕虜にし、議会派の勝利に終わる。
王党派、長老派、独立派、水平派、クロムウェル、*鉄騎隊、*ネーズビーの戦い
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◾︎ピューリタン革命の党派と経過 (3) ピューリタン革命のその後 ①1649年:「 ? 」の処刑 ⇒イギリス史上唯一の「 ? 」(「 ? 」)が約10年間続く。 ②水平派の弾圧 ③スコットランドと「 ? 」の征服 ➩アイルランドでは100万人以上が殺害される。(「 ? 」の誕生) ④「 ? 」の成立(1651年) ⇒中継貿易で繁栄していたオランダを排除する目的。 ⇒3度にわたる「 ? 」が勃発し、最終的にイギリスが勝利。 ⑤「 ? 」就任(1653年):クロムウェルが実質的な独裁者となる。 ⇒国民的反発:議会無視の独裁やピューリタン的禁欲生活の強制への不満高まる。 ⇒クロムウェルの死(1658):後継者リチャードも無能。 ⑥「 ? 」(1660):長老派と旧王党派が妥協し、「 ? 」を王位に。
*チャールズ1世、*共和政、*コモンウェルス、アイルランド、*不在地主、航海法、英蘭戦争、護国卿、*王政復古、*チャールズ1世の息子
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◾︎王政復古と名誉革命 (1) 「 ? 」(位 1660~85):亡命先のフランスから帰国。 ①王政復古の実態:伝統的な地方自治と議会による王権の制限を主張。 ②国王の姿勢:専制政治の復活とカトリックの擁護・復活を試みる。 (2) 議会の対応 ①議会の2派閥:貴族・ジェントリが支持基盤。ともに国教徒。 ○「 ? 」党:地主が中心、親王的(後の「 ? 」)。 ○「 ? 」党:商工業者が中心、反王的(後の「 ? 」)。 ②「 ? 」(1673):国教徒以外は公職に就けないとし、カトリックの排除を目指す。 ③「 ? 」(1679):法律に拠らない逮捕・拘禁を禁止。国王から議会を守る。
チャールズ2世、トーリ、*保守党、ホイッグ、*自由党、審査法、人身保護法
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◾︎王政復古と*_____ (3) 「 ? 」(1688~1689) ①「 ? 」(位 1685~1688):カトリックの復活・強制を公言。(審査法の廃止も企図) ○議会による国王の廃位:ジェームズ2世はフランスに亡命。 ○新国王:ジェームズ2世の娘「 ? 」とその夫オランダ総督「 ? 」を王として迎え入れる。 ⇒「 ? 」・「 ? 」、2王の「 ? 」。 ②「 ? 」(1689):議会や国民の伝統的な権利や国王に対する優位を宣言。これをウィリアムとメアリが承認することを条件に、国王に即位。 ③「 ? 」(1689):議会が王に提出した権利の宣言を国王の名で発布したもの。 ○内容:国民の生命・財産の保護、言論の自由の確認。立法・財政における議会の国王大権に対する優越。 ○結果:議会主権と立憲体制の確立。*『統治二論(市民政府二論)』:「 ? 」著
*名誉革命、*名誉革命、ジェームズ2世、*メアリ、(オラニエ公)ウィレム3世、メアリ2世、ウィリアム3世、*共同統治、権利の宣言、権利の章典、*ロック
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◾︎イギリス議会政治の発展 (1) 政党政治の開始:ウィリアム3世の時代に下院(庶民院)の多数派が内閣を組織して行政を担当する慣行が生まれる。 ①寛容法制定(1689):国教徒以外のプロテスタントの信仰の自由を保障。⇒「 ? 」を受け入れる。 ②イングランド銀行の設立(1694):イギリスの中央銀行・・・政府直属の金融機関。 (2) 「 ? 」の時代(位 1702~14) ①「 ? 」(1707):イングランド王国とスコットランド王国が合併。 ②アン女王戦争(1702~13:スペイン継承戦争に呼応した新大陸の植民地抗争。 (3) 「 ? 」朝の成立:ステュアート朝断絶⇒ハノーヴァー選帝侯が即位。 ①ジョージ1世(位 1714~27)の即位:英語も解さず。 ②現在のイギリス王室「 ? 」朝の前身。
*ユグノーの亡命、アン女王、*大(グレート=)ブリテン王国、ハノーヴァー、ウィンザー
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◾︎イギリス議会政治の発展 (4) 議会政治の発達 ①「 ? 」制:ハノーヴァー朝の時代に始まる議会制民主主義の柱の1つ。 ○概要:内閣(行政)が議会との信頼関係の下、君主に対してだけでなく、(国民の代表機関たる)議会に対して責任を負いながら行政権を行使する体制。 ○画期:ホイッグ党の首相「 ? 」の下で確立。国王ジョージ2世。 ②象徴的存在の国王:「 ? 」 ③イギリス立憲政治の特色:「 ? 」しない。*「 ? 」、「 ? 」、「 ? 」などが「 ? 」。 ◎議会制度の限界:参政権は土地所有に限定されており、秘密投票制でもなかったため有力者に左右された。 ④「世論」の形成:新聞・雑誌の発刊:コーヒーハウス・・・市民の社交場で政治と文化が語られる。
責任内閣、ウォルポール、国王は君臨すれど統治せず、*成文法が存在、*マグナ=カルタ、*権利の請願、*権利の章典、*憲法的役割
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◾︎オランダの覇権 (1) 対アジア ①オランダ東インド会社の設立(1602) ②ジャワの「 ? 」占領(現ジャカルタ、1619):対アジア貿易の拠点。 ③「 ? 」事件(1623):「 ? 」(「 ? 」)の支配権をめぐって、イギリスなどを放逐。 ⇒影響:敗れたイギリスはインド本土へ方向転換。 ④台湾:拠点として台南に「 ? 」を築き、東シナ海貿易に参入←「 ? 」が放逐(1661) (2) 太平洋地域・新大陸・アフリカ ①航海者「 ? 」の探検:タスマニア島、「 ? 」に到達。 ②北米大陸:西インドが、北米東岸に「 ? 」を建設。 ③「 ? 」植民地(1652):アフリカ南端に建設・・・東インドとオランダの中継地。 ④「 ? 」人(ボーア人):本国からの移民・・・農業に従事。
バタヴィア、アンボイナ、*モルッカ諸島、*香辛料諸島、*ゼーランディア城、鄭成功、タスマン、*ニューファンドランド、*ニューネーデルラント植民地、ケープ、ブール
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◾︎オランダの覇権 (3) オランダの経済発展(「 ? 」) ①オランダは史上初の「覇権国家」 ②産業:造船業、製陶業、毛織物産業 ③バルト海、北海の中継貿易:東欧産の穀物・木材、西欧産の毛織物、奢侈品。 ④金融業:スペインから流入した銀を信用基盤として発展⇒豊富な資金力。 (4) イギリス=オランダ(英蘭)戦争(1652~74) ①契機:「 ? 」の発布(1651)が戦争の契機。 ⇒法令の内容:イギリスに入港する船をイギリス船が貿易当事国の船舶に限定。 ②目的:中継貿易で繁栄していたオランダを排除⇒英蘭戦争の勃発。*第一次(1652~54) 第二次(65~67) ③第三次英蘭戦争(1672~74):ルイ14世のオランダ戦争(1672~78)に呼応。 ⇒オランダの敗因:連邦制をとり、強力な中央集権体制に欠ける国家体制。経済的には中継貿易に頼る。 ⇒イギリスの勝因:国家による経済活動の保護。国民産業である毛織物産業などの発展に伴う経済力。 ④イギリスとオランダの関係改善 ◎「 ? 」に対抗する。 ◎「 ? 」・「 ? 」⇒「 ? 」
航海法、仏の脅威、ウィレム3世、メアリ2世、同君連合
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◾︎英仏の植民地抗争 ◎「 ? 」:17世紀末のウィリアム王戦争から19世紀初頭のナポレオン戦争までの抗争。 (1) 「 ? 」(1689~97):ファルツ継承戦争と並行して展開。*ライスワイク条約。 (2) 「 ? 」(1702~13):「 ? 」戦争と並行して展開。 ①「 ? 」条約(1713) ○フランス⇒英・・・「 ? 」、「 ? 」、「 ? 」 ○スペイン⇒英・・・スペイン南端の「 ? 」、「 ? 」。スペイン植民地への「 ? 」。 ②ポルトガルとメシュエン条約(1703):英・ポ間の通商条約。英に対する経済的従属。
*第二次英仏百年戦争、*ウィリアム王戦争、*アン女王戦争、スペイン継承、ユトレヒト、ニューファンドランド、*ハドソン湾地方、*アカディア、ジブラルタル、*ミノルカ諸島、アシエント
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◾︎英仏の植民地抗争 ◎「 ? 」:17世紀末のウィリアム王戦争から19世紀初頭のナポレオン戦争までの抗争。 (3) 「 ? 」(1744~48):「 ? 」と並行して展開。アーヘンの和約。 (4) 「 ? 」(1755~63):「 ? 」と並行。 ①パリ条約(1763) ○フランス⇒英:カナダ、「 ? 」の「 ? 」、ドミニカ、セネガル。 ○スペイン⇒英:北米大陸東岸の南部に位置する「 ? 」。 ○フランス⇒スペイン:「 ? 」の「 ? 」。 (5) イギリスの勝因:「 ? 」により「 ? 」が可能になったから。 ⇒「 ? 」を「 ? 」から売買。 ⇒「 ? 」などからも支援
*ジョージ王戦争、オーストリア継承戦争、*フレンチ=インディアン戦争、七年戦争、*ミシシッピ川以東、ルイジアナ、フロリダ、*ミシシッピ川以西、*ルイジアナ、財政革命、豊富な戦費の調達、国債、イングランド銀行、オランダ
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◾︎大西洋三角貿易 (1) 17・18世紀の大西洋三角貿易と対アジア貿易 (2) 世界貿易発展の結果 ①ヨーロッパ ○貿易港の繁栄:イギリス西岸・・・「 ? 」、ブリストル。フランス西岸・・・ボルドー、ナント ○「生活革命」:コーヒー・砂糖(西インド諸島・ブラジル・インドネシア)、タバコ(北米大陸の南部)、中国産の茶、インド産の綿布の流入などがあいまって、ヨーロッパ人のライフスタイルを変化させる。 ②「イギリスの商業革命」(17~18C) ○概要:ヨーロッパ内を中心としていたイギリスの交易が17世紀になって北米植民地やカリブ海域の植民地、及びアジア諸地域との間に急速に発展したこと。 ○結果:資本の蓄積を促進し、18世紀に始まる産業革命を資本的に準備。 ⇒インドから輸入した綿布の再輸出:西アフリカ・カリブ海域向けに再輸出。
リヴァプール
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◾︎大西洋三角貿易 (3) アフリカ ①概要:奴隷狩りにより多数の労働力を収奪され、社会的荒廃がもたらされる。黒人間の対立も激化。 ②奴隷狩りで繁栄した黒人王国 ⇒アシャンティ王国:ギニア湾沿岸にあった、奴隷狩りで富を蓄積した黒人王国。 ⇒ダホメ王国、ベニン王国:同様の黒人王国 (4) 北米大陸、西インド諸島、南アメリカ ①人種差別問題:流入した黒人に対する差別。 ②「 ? 」化の進行:単一商品生産化。 ⇒結果:ヨーロッパ向けの商品作物のプランテーションや鉱業が発達。
モノカルチャー
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◾︎哲学思想 (1) 大陸合理論(フランス合理論) ◎概要:数学的な論証法を使い、認識の根拠を「理性」に置き、演繹法によって正しい認識に至る。 ①「 ? 」(仏):近代認識論を確立した人物。『 ? 』『哲学原理』:「 ? 」。 ②「 ? 」(仏):『 ? 』「 ? 」 ③「 ? 」(蘭):ユダヤ人哲学者『エチカ』 ④「 ? 」(独):『 ? 』キリスト教と自然科学の調和
デカルト、*方法序説、*我思うゆえに我あり、パスカル、*瞑想録(パンセ)、*人間は考える葦である、スピノザ、*ライプニッツ、*単子論
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◾︎哲学思想 (2) イギリス経験論 ◎概要:事実の観察や経験を重んじ、帰納法によって一般的法則を導き出す。 ①「 ? 」(16~17C):エリザベス1世、ジェームズ1世に仕える。 ⇒『学問の進歩』:「知は力なり」・・・正確な知識の獲得による自然の征服。 ⇒『新機関論』:万学の研究の方法として帰納法を提唱。 ②「 ? 」:『人間悟性論』では「魂の白紙(タブラ・ラサ)説」を唱える。 ③ヒューム:「イギリス経験論の完成者」『人性論』・・・すべての認識は感覚器官によって得られる。
フランシス=ベーコン、*ロック
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◾︎哲学思想 (3) ドイツ観念論 ◎概要:イギリス経験論と大陸合理論を総合 ①「 ? 」:人間の認識能力に根本的な疑問を投げかける。 ⇒『 ? 』『判断力批判』『実践理性批判』→「批判哲学」という呼称。 ②「 ? 」:講演「 ? 」でドイツ民族意識を高揚。ベルリン大学初代総長。 ③ヘーゲル:「ドイツ観念論の大成者」『精神現象学』 ○弁証法:矛盾と対立の中で、世界は発展していくという考え方。
カント、*純粋理性批判、*フィヒテ、*ドイツ国民に告ぐ