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歴史 古代〜
  • 鈴木詩乃

  • 問題数 77 • 4/23/2025

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    問題一覧

  • 1

    北方からはAやBが南下 南方からはCやDが北上 これらを追いかけ、新人たちが日本列島に到達。

    マンモス, ヘラジカ, ナウマン象, オオツノシカ

  • 2

    猿人と呼ばれるA(100万 年以上前) 「南アフリカ」で発見された。 ジャワ原人、北京原人(50~25万年前) 直立猿人(B)がジャワで発見される。 北京原人が北京郊外の周口店で発見される。 後者は火を使ったことが判明している 旧人のC(10万年前) ドイツで発見される。彼らは葬送儀礼を行っていた。 新人のD(3万年前)=現世人類の祖先で、ホモ=サピエンスの一種。旧人とともに生存。 南フランスで発見される。洞窟に住み高度な石器を使用していた。

    アウストラロピテクス, ホモ=エレクトゥス, ネアンデルタール人, クロマニヨン人

  • 3

    更新世の化石人骨の発見は静岡県のAや沖縄県のB・山下町洞人・全身骨としては石垣島のCが最古でごくわずか

    浜北人, 港川人, 白保竿根田原洞人

  • 4

    A・・ 人類が日本列島へ移住してきた時 地質学的には氷河時代と言われる第四紀のBまで。まだCを持たずDやE(ナイフ形石器や尖頭器)を使い大型動物を捕らえるようなFで生活→Gはせず獲物や木の実等を求めてたえず移動 シベリアから伝来した細石器も広まった 当時は氷河期であり、また火山活動も活発で火山灰が降り注ぐ環境下での暮らし →Hによって赤土中に石片を発見(群馬県のI) ナウマンゾウ・オオツノジカなどの骨と石器が出土した(長野県のJ)

    旧石器時代, 更新世の終末から完新世初頭, 土器, 打製石器, 骨角器, 狩猟採集活動, 定住, 相沢忠洋, 岩宿遺跡, 野尻湖遺跡

  • 5

    A・・ 時代的には1万3千年前から2500年を指し、完新世の温暖化にともなう環境の変化に対応して日本列島の旧石器人が生み出した文化 東日本・・B 西日本・・C 大型ほ乳類の絶滅→シカやイノシシなどの中小動物の誕生 新たな文化(縄文文化)の成立 特徴としてはDの使用、Eの発達などがある。使われた土器の特徴から6つの時代に区分される。

    縄文時代, ナラやブナの落葉広葉樹林, シイの照葉樹林, 弓矢や土器, 磨製石器

  • 6

    Aは、木や竹の軸の先端に要着する。 Bは中・小動物を射止めるために作られた Cも狩のパートナー DはEのために作られた 研磨技術が発達し、全面をみがいた製石斧のほか、石棒・石剣など磨製の石製祭祀具も多くつくられた。 丸木舟の製造も盛んになる。

    石鏃, 弓矢, 狩猟犬, 縄文土器, 煮る

  • 7

    A:世界最古  土器・石鏃の誕生 竪穴住居が出現 B:尖底土器  温暖化 水産資源の利用 貝塚 集落遺跡出現 C:平底の深鉢  定型的・拠点的集落の出現 土器の増加  D(青森) E:多様化  土器造形の発達 大規模集落 石斧増加 祭祀関連物 F:注口土器  用途に応じた土器 墓地が集落から独立  G(東京) H:亀ヶ岡式土器  抜歯風習の隆盛 稲作伝来 竪穴住居のない集落出現  I(福岡) J(青森)

    草創期, 早期, 前期, 三内丸山遺跡, 中期, 後期, 大森貝塚, 晩期, 板付遺跡, 亀ヶ岡遺跡

  • 8

    欧米流考古学の生みの親とされる。 1877年6月に来日し、19日にAに向かう汽車に乗った時、大森駅付近の切り通しで貝殻の堆積を発見、貝塚であると確信してすぐに発掘した。 これがBの発見とされる。 しかし貝塚の存在は古い時代の日本人も知って いた。奈良時代の「C」では、海から遠く離れたところに大量の貝殻が堆積している不思議なところがあると記載(大串貝塚)

    横浜から新橋, 大森貝塚, 常陸国風土記

  • 9

    AやBなどの出土状況から、縄文人は遠方の集団とも交易をおこなっていたことが知られている。 A・・C(長野!!)・白滝・神津島 B・・D(新潟) サヌカイト・・E(奈良)

    黒曜石, ヒスイ, 和田峠, 姫川, 二上山

  • 10

    A・・生殖や収穫を祈るための土製品で女性をかたどっている。多くは、壊された状態で出土する。 B・・呪術・祭祀に使用した棒状の石器 縄文人はあらゆる自然現象や自然物に霊魂がやどると信じていた(C)

    土偶, 石棒, アニミズム

  • 11

    たくさんの人を収容できる大型の竪穴建物をともなう青森県の縄文時代前期~中期の約1500年にわたって営まれた500人以上の大集落

    三内丸山遺跡

  • 12

    A・・ 日本で食糧生産が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代。採集経済の縄文時代の後、Bを主とした生産経済の時代。後に青銅器が発見されCを伴う文化とも判明。弥生時代後期の1世紀頃、西日本各地で広域地域勢力が形成され、2世紀末Dが成立。 北海道(E)と沖縄(F)には伝わっていない

    弥生時代, 水稲農耕, 金属器, 畿内に倭国, 続縄文文化, 貝塚文化

  • 13

    漢は衛氏朝鮮を滅ぼし朝鮮半島北部にAを設置 →同郡を通じて移民(B)が流入

    楽浪郡, 渡来人

  • 14

    水稲農耕は縄文時代の終わり頃にAで始まり、東日本にも広がった。 B:縄文時代晩期で最古の水田跡を検出(佐賀) C:縄文時代晩期後半の水稲耕作が判明。環濠集落を形成(福岡) D:(奈良) E:(静岡) 収穫は石包丁で穂首刈りし高床倉庫で保管した 湿田・・・弥生時代前期までにみられ、土に直接籾を播くFが一般的。川に近い低湿地で日当たりが悪く生産性の低い水田。 乾田‥弥生時代後期になりGが普及し、Hを作ることが可能。

    北九州, 菜畑遺跡, 板付遺跡, 唐古・鍵遺跡, 登呂遺跡, 直播, 鉄製農具, 灌漑施設

  • 15

    竪穴住居が一般的で、掘立柱の高床倉庫や平地式建物も多くなった。 九州から関東に形成。周囲を掘りや溝で囲む(A)やBから近畿の山頂や丘陵に形成(C)も出現した [稲作の普及と生産力向上→余剰生産物の発生 生産力の個人差→貧富の差と身分階級発生 身分が高いもの・・支配者として支配地域を支配Cの出現] →貧富の差と支配者出現による領域防衛の必要性 Dが形成される

    環濠集落, 瀬戸内, 高地性集落, 首長, 小国分立

  • 16

    〈一般的な墓〉 Aが代表的、縄文以来の伝統を持ち、穴を掘って埋めるもの。発展したのがBやCである。 〈支配者の墓〉 D(北九州) 二つの甕を合わせたEの上に。大石を乗せたもの。これは朝鮮半島南部と共通している。 F(近畿) 盛土をして墓域を区画したもので、近畿で発生して東西に伝わっている。一人のものではなく合葬されているため、有力者の家族墓。この中から、特定個人の墓として古墳が登場してくる G(東京) H(岡山) I(鳥取)

    土壙墓, 木棺墓, 箱式石棺, 支石墓, 甕棺墓, 墳丘墓, 方形周溝墓、宇津木向原遺跡, 楯築墳丘墓、楯築遺跡, 四隅突出型墳丘墓、妻木晩田遺跡

  • 17

    Aの日本への伝播はB伝播とほぼ同じ

    鉄器, 青銅器

  • 18

    Aは近畿地方、Bは瀬戸内内中部、Cは九州北部

    銅鐸, 平形銅剣, 銅矛・銅戈

  • 19

    弥生初期・・A(福岡) B(山口) 砂沢遺跡(青森) 弥生中期・・C(福岡) 垂柳遺跡(青森) 弥生後期・・弥生町遺跡(東京) D(静岡) E(奈良) 早期~後期・・F(奈良) G(佐賀)

    板付遺跡, 土井ヶ浜遺跡, 須玖岡本遺跡, 登呂遺跡, 纏向遺跡, 唐古・鍵遺跡, 吉野ヶ里遺跡

  • 20

    A・・・後漢のB(32~92)が記したもの。 「C」の名前で日本が登場した最古の日本記事 Cの小国は楽浪郡を通じて前漢の首都Dへ到達したと考えられる 【夫れE海中に倭人あり、分かれてF余国となる。歳時を以て来たり献見すと云ふ。

    「漢書」地理志, 班固, 倭, 長安, 楽浪, 百

  • 21

    Aによると倭の奴国の王の使者が後漢(後の光武帝が新を滅ぼし、漢を再興)の都洛陽におもむいて光武帝から印綬を受けた 【建武中元二年(B)・・・C、賜ふに印綬を以てす。】 (光武帝より、「D」の印綬を賜った) 【永初元年(E)、倭の国王F等、G百六十人を献じ・・・】 金印はH(福岡)出土 奴国王に授けられたのはI

    「後漢書」東夷伝, 57年, 光武, 漢委奴国王, 107年, 帥升, 生口, 志賀島, 金印紫綬

  • 22

    「魏志」倭人伝による邪馬台国の記述 ・Aの海の向こうに倭人は存在 ・漢の時代は100余国に分かれ朝貢する国もあったが現在魏に遣いを送る国は30国である ・B(高身分)とC(低身分)があり、尊卑の別がある ・租税倉庫があり、Dという役人が監督している ・女王国より北にはEという役人が諸国を監視し、伊都国に常駐している ・男子は顔や体にFを入れている ・女子は髪を後ろ手結い、Gを着用 邪馬台国は以前は男王が支配していたが内乱が続いたので女王をたてた。名は卑弥呼という。彼女は巧みに呪術(鬼道)を駆使し、民衆をひきつけることできた。 ・239年にH等を帯方郡に派遣し、魏の明帝に謁見。同皇帝からIの称号と金印紫綬を受ける。 ・卑弥呼死後再び男王がたてられたが内乱が続いた。そこで一族の女性である13歳のJをたてると争いは収まった。

    帯方郡, 大人, 下戸, 大倭, 一大率, 入れ墨, 貫頭衣, 難升米, 親魏倭王, 壱与

  • 23

    倭人は(A )の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす。旧百余国。漢の時朝見する者あり。今、使訳通ずる所(B )国。 その国、本また( C)を以て王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼といふ。(D )に事へ、能く衆を惑はす。 景初二年六月、倭の女王、大夫(E )等をはし、郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。・・・倭の女王に報じて曰く、「・・・今汝を以て親魏倭王となし、金印(F )を仮し・・・

    帯方, 三十, 男子, 鬼道, 難升米, 紫綬

  • 24

    「A」 唐の2代皇帝太宗が房玄齢らに命じ編纂させた歴史書。 内容時期は西晋・東晋にかけてのもの。「武帝紀」では倭の女王の遣使(壱与)、「安帝紀(東晋)」では413年に貢物を献上する記載あり

    晋書

  • 25

    A 巻数は30巻+系図1巻。歌は128首。 編纂期間は39年。Bらが編纂。形式は編年体・漢文。天武皇后のCまで記載。国外に向けての主張色が強い。国家の正式な歴史を記す。完成時期はD。

    日本書紀, 舎人親王, 持統天皇, 元正天皇

  • 26

    A 巻数は3巻。歌は112首。編纂期間は4か月。Bが編纂。形式は物語調。神話の時代は1巻。Cまで記載。国内に向けて天皇家の正当性を主張。天皇家の歴史を記す。 完成時期はD

    古事記, 稗田阿礼・太安万侶, 推古天皇, 元明天皇

  • 27

    古墳時代:前期 AがBを中心に出現 大規模なものは奈良大和地方に集中 →近畿地方の有力首長の連合政権(C)成立 山麓や丘陵の上に造られ、Dに棺が納め られる・・埋葬者は1人 EやFが墳丘に並べられる 副葬品は主に銅鏡(G)や玉類が多数 首長はH的性格 代表的古墳として纒向遺跡の中にあるI(奈良県桜井市)←卑弥呼の墓かも

    前方後円墳, 西日本, ヤマト政権, 竪穴式石室, 家型埴輪, 円筒埴輪, 三角縁神獣鏡, 司祭者, 箸墓古墳

  • 28

    古墳時代:中期 Aが近畿地方を中心に巨大化 分布が九州東北に拡大 →ヤマト政権が強大化して支配が地方へと拡大 Bが出現 副葬品は馬具や武具に変化 →首長が司祭者からC支配者へと変化 代表的古墳としてD古墳(堺市 伝仁徳天皇陵) E古墳(羽曳野市 伝応神天皇陵) F古墳(岡山市) 江田船山古墳(熊本県和水町) 稲荷山古墳(行田市

    前方後円墳, 形象埴輪, 武力的, 大仙陵, 誉田御廟山, 造山

  • 29

    古墳時代:後期 Aの普及による有力農民の台頭と地方豪族の没落、また大和政権が更なる勢力の拡大で有力農民に対する古墳建造の許可 →Bと呼ばれる小型古墳の増加 石室がCへと変化し副葬品がD(朝鮮系)日用品と変化 墓室をE、Eと外部を結ぶ通路をFという 代表的古墳群としてG(斑鳩町) H(明日香村 終末期とも) I(福岡県八女市)

    鉄製農具, 群集墳, 横穴式石室, 須恵器, 玄室, 羨道, 藤ノ木古墳, 高松塚古墳, 岩戸山古墳

  • 30

    古墳時代:終末期 前方後円墳の造営が終わる(隋による勢力拡大を危惧した倭が中央集権的な国家形成を目指したため) Aが造営される(統一国家形成から律令国家への動きに対応するため)

    八角墳

  • 31

    晋の後の中国は A:華北に侵略した異民族が勢力争いをする中で華南では晋が再建された時代 華北→五胡 華南→東晋 B:五胡の1つ鮮卑族が華北を統一し「北魏」を建国 華南では東晋が滅び「宋」が建国された後、華北華南で短命政権が繰り返し誕生した時代

    五胡十六国時代, 南北朝時代

  • 32

    朝鮮情勢 北部:Aが中国東北部におこり南下 → 313年に楽浪郡を滅ぼす 南部 :馬韓→Bが統一 辰韓→Cが統一    弁韓→D諸国

    高句麗, 百済, 新羅, 加耶

  • 33

    豊富なAを求めてヤマト政権の朝鮮半島進出 高句麗 VS 百済=伽耶諸国=ヤマト政権     ↓ 高句麗 VS ヤマト政権 高句麗は18歳で即位したてのB(別名C)が百済・大和政権と応戦 ※高句麗のDが後に日本に伝播する C碑:E北岸にある。 高句麗のFが父・Bの事績を顕彰するために首都Gに建立した。 (辛卯の年=H)

    鉄資源, 好太王, 広開土王, 騎馬戦術, 鴨緑江, 長寿王, 丸都, 391年

  • 34

    倭王武の上表文 【興死して弟A立つ。自ら使持節都督倭・百済・新羅・B・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事C大将軍倭国王と称す。 順帝の昇明二年,使を遣して上表をして曰 く、「封国は偏遠にして,藩を外に作す。 (中略)東はDを征すること五十五国、西はEを服すること六十六国,渡りて海北を平ぐること九十五国。(中略)」と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に除す。】

    武, 任那, 安東, 毛人, 衆夷

  • 35

    5世紀初めから約1世紀近く、讃・珍・済・興・武の倭の五王があいついで中国の南朝に朝貢→Aため Bには五王の朝貢の様子が記載 倭王興の弟Cは朝鮮半島南部に対する軍事指揮権および「安東大将軍・倭国王」の称号を宋の皇帝に求める

    中国の権威を借りて朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にする, 「宋書」倭国伝, 武

  • 36

    古墳時代の生活として土器は前期から中期の初めまでは赤焼きのAが使用され、5世紀には朝鮮半島から灰色のBが伝えられた。

    土師器, 須恵器

  • 37

    農耕祭祀としてA(豊作を祈願)B(収穫を感謝)が重要視される。 禁忌除去儀礼としてはC(入水でケガレを除く)D(禊ぎ以外でケガレを除く) 呪術的風習としてE(鹿の肩胛骨を焼いてひび割れによって判断する)F(熱湯に手を入れ、ただれるかで真偽を判断) G・・沖ノ島を神体とする H・・天皇の祖先神天照大神を祀る I・・大国主神を祀

    祈年祭, 新嘗祭, 禊, 祓, 太占, 盟神探湯, 宗像大社, 伊勢神宮, 出雲大社

  • 38

    豪族は血縁や政治的関係をもとに構成されたAに編成され、Aを単位に職務を分担し、大王は彼らにBを与えた。これをCという。 A・・親戚集団のこと(豪族)。職業名を冠したものと地域名を冠したものがあるリーダーがD。Dに近い人たちをEと呼ぶ。 B・・各Aの政権内の地位を示す称

    氏, 姓, 氏姓制度, 氏上, 氏人

  • 39

    [中央政治] A・・大王家から分かれた皇別氏族でかつて大王と覇を競った集団。地域名を冠した氏が主体大王をAの代表のB(平群、葛城、蘇我氏) C・・特定の職業集団に与えられた姓。専門職業の氏を名乗る。Cの代表のD(大伴、物部、中臣氏)が補佐 [地方豪族] E・・地方の有力豪族に与えられた姓 F・・一般の豪族に与えられた姓 地方豪族はG・Hなどの役職に任じられ地方支配を認めてもらう代わりに屯倉を管理し、一族の女性を舎人・采女として提供

    臣, 大臣, 連, 大連, 君, 直, 国造, 県主

  • 40

    ヤマト政権(大君)の直轄地はAと呼び私有民のB・C(国造の民の一部を割いて大王家に奉仕させる集団)が物資生産運搬を担う。 豪族の直轄地はDと呼び私有民のEが物資生産運搬を担う

    屯倉, 名代, 子代, 田荘, 部曲

  • 41

    政権内において中央有力豪族・地方豪族の中にはAという役職として実務を担当するものが存在。 連のような上位の姓を持つ者もいるが、ほとんどが中位以下の姓で構成。Bや技術集団のC(Aに従い専門的職能で奉仕した集団)を率いる

    伴造, 伴, 品部

  • 42

    A・Bは越前から一族の男大迹王を次期大王に擁立→Cとして即位 大王権力拡大に対して不満を持ち、新羅とも関係があった筑紫国造DがDの乱を起こすがBにより反乱を鎮圧

    大伴金村, 物部麁鹿火, 継体天皇, 磐井

  • 43

    加耶西部に対する百済の支配権が確立したことが失政として大伴金村失脚 →伽耶諸国滅亡・・朝鮮半島の拠点失う AとBの仏教受容をめぐる対立がおきる (仏教は仏像と経典を百済CがDに贈ったとされる) A(財政担当) VS B(軍事担当)

    蘇我氏, 物部氏, 聖明王, 欽明天皇

  • 44

    蘇我稲目VS物部尾輿 → AVSB C死後、後継をめぐる争い激化 結果 A が勝ち、A側についたDはEを建立 蘇我氏もFを建立 馬子によるG殺害とH擁立・・蘇我氏独裁

    蘇我馬子, 物部守屋, 用明天皇, 厩戸王, 四天王寺, 飛鳥寺, 崇峻天皇, 推古天皇

  • 45

    冠位十二階 低い順に

    智, 義, 信, 礼, 仁, 徳

  • 46

    十七条の憲法 【一に曰く、Aを以て貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ。 二に曰く、篤くB(C・D・E)を敬へ 十二に曰く、国司・F、百姓に斂めとることなかれ。国に二の君なく、民に両の主なし。率土の兆民、Gを以て主となす。】

    和, 三宝, 仏, 法, 僧, 国造, 王

  • 47

    津軽半島の西南部に位置するA遺跡で出土した土器は形象性に富んだ縄文晩期のものでA式土器と呼ばれ、土偶も出土している

    亀ヶ岡

  • 48

    島根県のAでは、6点の銅鐸と16本の銅矛が1つの穴に埋納され、すぐ近くに358本もの銅剣が埋納されていた

    荒神谷遺跡

  • 49

    農耕社会が成立すると身分や階級が生まれる理由

    稲作に伴う共同労働によって指揮するリーダーが現れ身分差が出現するから

  • 50

    様々な種類の青銅器が弥生時代の遺跡から出土している。どのようなことがいえるか

    銅矛、銅剣、銅鐸が出土する地域に偏りがあることから共通の祭器を用いる地域圏が成立していたこと

  • 51

    邪馬台国の位置が近畿説の場合どのようなことがいえるか

    3世紀にすでに九州北部から畿内に及ぶ政治連合が成立しのちのヤマト政権につながるということ

  • 52

    Aの派遣により中国との外交も再開され、Bが中国に渡った。隋への国書は、中国皇帝に臣 属しない形式をとったため、Cから無礼とされた。 無礼としながらも598年にCの父(楊堅)が30万の大軍でEを攻めたが敗れたためCはその復讐として攻撃を計画したので翌年にはDを日本へ派遣 裴世清の帰国に際してF・G・HがBに同行

    遣隋使, 小野妹子, 煬帝, 高句麗, 裴世清, 高向玄理, 旻, 南淵請安

  • 53

    隋滅亡すると唐が建国され、建国直後から強力なA体制を確立 ②朝鮮情勢 高句麗=百済 VS 新羅←唐が支援 ③日本情勢 留学生が次々帰国、遣唐使Bを派遣(C天皇) 蘇我氏の専横・・D・Eによる C天皇死去→F天皇即位 EによるG殺害 身の危険を感じたHとIらが結託し、唐を手本とした国づくりと蘇我氏打倒を目指す

    中央集権, 犬上御田鍬, 舒明, 蘇我蝦夷, 蘇我入鹿, 皇極, 山背大兄王, 中大兄皇子, 中臣鎌足

  • 54

    A(645) Bにおいて皇極天皇と朝鮮使節との儀礼中に起こした入鹿殺害事件。蝦夷は屋敷にこもったが、抵抗できないと見て自害している (結果) 皇極天皇退位→C(皇極弟)即位 飛鳥板葺宮→Dへの遷都 Eが出され公地公民制への移行を目指す政策方針が示された

    乙巳の変, 飛鳥板葺宮, 孝徳天皇, 難波長柄豊碕宮, 改新の詔

  • 55

    孝徳天皇、中大兄皇子 左大臣ー阿倍内麻呂 右大臣A(山田寺を創設 内臣ーB 国博士ーC・D

    蘇我倉山田石川麻呂, 中臣鎌足, 旻, 高向玄理

  • 56

    唐のAにならった班田制は一段(B歩)につきCの稲を田租として納めた

    均田制, 360, 二束二把

  • 57

    [改新の詔] 其の一に曰く、昔在の天皇等の立てたまへるAの民、処々の屯倉、及び別にはB・C・伴造・D・村首の所有てるEの民 、処々のFを罷めよ。仍りてGを大夫以上に賜ふこと、各差あらむ。……【公地公民制】 其の二に曰く、初めてをHを修め、畿内国の司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬を置き、及び鈴契を造り、山河を定めよ。……【中央手ます】 其の三に曰く、初めてI・J・Kを造れ。凡そL戸を里とし、里毎に長一人を置け。…… 凡そ田は長さ三十歩、広さ十二歩を段とせよ。十段を町とせよ。段ごとに租の稲二束二把、町ごとに租の稲ニ十二束とせよ

    子代, 臣, 連, 国造, 部曲, 田荘, 食封, 京師, 戸籍, 計帳, 班田収授の法, 五十

  • 58

    孝徳天皇の没後、飛鳥で即位したA(皇極天皇のB)は百済復興を支援するため大軍を派遣したがCで唐・新羅連合軍に大敗した。 中大兄皇子は都を近江Dに移し、Eを経て即位してFとなった。

    斉明天皇, 重祚, 白村江の戦い, 大津宮, 称制, 天智天皇

  • 59

    白村江の敗戦を受けて防衛政策が強化 A、B、Cに兵隊配置(D) A・BにEを設置 F防衛のためGを建設 Hの建設

    対馬, 壱岐, 筑紫, 防人, 烽, 大宰府, 水城, 朝鮮式山城

  • 60

    初の全国的戸籍であるAを作成し、天智天皇の時律令制へつながる個別の法令を指したとされるBを作成した

    庚午年籍, 近江令

  • 61

    A(672)B(天智子)とC(天智弟)との間で起きた争い。 勝利したCはDにおいてEとして即位

    壬申の乱, 大友皇子, 大海人皇子, 飛鳥浄御原宮, 天武天皇

  • 62

    天武天皇は AでBを制定し、豪族たちを天皇を中心とした新しい身分秩序に編成した

    皇親政治, 八色の姓

  • 63

    AはBを施行し、これに基づいてCをつくり戸籍は6年ごとに編成する制度が確立した またD(持統→文武→元明天皇16年間の都)に遷都して、日本初の中央に宮が配置されたEになった Fkm四方に碁盤目状に街路を配置され、 宮の南北を縦断して真ん中にGが存在し、京内にはH・Iが存在する

    持統天皇, 飛鳥浄御原令, 庚寅年籍, 藤原京, 条坊制, 5.3, 朱雀大路, 薬師寺, 大宮大寺

  • 64

    Aの時、BがCやDらによってつくられ、DによってEをつくり藤原仲麻呂が施行した。 遣唐使派遣の航路が変更され、新羅との関係悪化により派遣ルートがF→Gへと切り替わる

    文武天皇, 大宝律令, 刑部親王, 藤原不比等, 養老律令, 北路, 南路

  • 65

    律令国家の身分制度は官人と公民からなるAと 陵戸、官戸、家人、公奴婢、私奴婢の5種類Bと呼ばれるCがあった

    良民, 五色の賎, 賎民

  • 66

    中央行政組織には神々の祭祀をつかさどるAと行政全般を管轄するBの二官があり、 BのもとでCが政務を分担した 行政の運営はD・E・FなどのBのGによる合議によって進められた その他にも官吏の監察をしたHや警備にあたったIにわけられる

    神祇官, 太政官, 八省, 左大臣, 右大臣, 大納言, 公卿, 弾正台, 五衛府

  • 67

    A・・B C D E F G・・北陸 東山 東海 山陰 山陽 南海 西海 ※七道には直線的なHを建設 16㎞ごとに駅家を置き、東国への逃亡阻止するため三関(鈴鹿、愛発、不破)が設置 各国にはI・Jを設置

    五畿, 摂津, 河内, 山城, 大和, 和泉, 七道, 官道, 国府, 郡家

  • 68

    A・B・Cがおかれ、国司には中央から貴族が配置され、郡司には地方皇族が任じられた そのほか朱雀大路を東西で分担し、都の司法・行政・警察を司るDや摂津の国司であるE、遠の朝廷と呼ばれる、外交の窓口業務や西海道統括を担当したFがおかれた

    国, 郡, 里, 京職, 摂津職, 大宰府

  • 69

    官人は位階を与えられて位階に対応する官職に任じられる制度A 五位以上の貴族はBにより世襲が認められる

    官位相当制, 蔭位の制

  • 70

    かみ、すけ、じょう、さかんが各役所に設けられ部署の区分とその名称Aが定められた 部署により表記は違うが読み方は同じ。

    四等官制

  • 71

    律令国家での徴税制度では、班田や徴兵に用いる台帳で6年ごとに作成されるAと調・庸を徴収するための台帳で毎年作成するBに登録され、Cに基づき、6歳以上の男女にDの班給と課税がなされた 1段=360歩 男性は2段(720歩) 女性は1段120歩(480歩) 賤民男性は240歩 賤民女性は160歩

    戸籍, 計帳, 班田収授法, 口分田

  • 72

    租の負担義務がある土地をA、負担義務がない土地をB(官田・神田・寺田)

    輸租田, 不輸租田

  • 73

    文武天皇は死去し、7歳の息子の首皇子の代理としてA(天智娘 文武母)即位 710年に藤原京から唐の都長安を模した都城のBに遷都 右に出た部分をC、北に出た部分をDといい、 Eが平城宮の右下にある

    元明天皇, 平城京, 外京, 北辺坊, 長屋王邸宅

  • 74

    Aでは藤原四子【B C D E】の光明子立后計画を立てたが、長屋王は皇后は天皇になる可能性があり、臣下で皇后は前例がないとして反対 天然痘により藤原四子すべて死去ため、その後Fが聖武・光明子を補佐

    長屋王の変, 武智麻呂、南家, 房前、北家, 宇合、式家, 麻呂、京家, 橘諸兄

  • 75

    橘諸兄政権ではA・Bの重用 C(740 宇合の子)・・ A・Bの排除を求め左遷先の九州(大宰府官職は太宰少弐)で挙兵→捕縛処刑 D(恭仁京 741) 紫香楽宮でE発令(743) 墾田永年私財法(743) 難波宮→紫香楽宮遷都宣言→平城京

    玄昉, 吉備真備, 藤原広嗣の乱, 国分寺建立の詔, 大仏造立の詔

  • 76

    ①A:道具等を支給し10日間の開墾を計画→成果なし ②B:新しい灌漑施設を造り開墾したらC代にわたり私有を認める。また従来の灌漑施設を利用したら1代に限り私有を認める。 ③D:「墾田はEによりて限満つるの後、例に依りて収受す‥」

    百万町歩開墾計画, 三世一身法, 3, 墾田永年私財法, 養老七年の格

  • 77

    Aが即位し、道鏡の影響による仏教勢力の政治介入を阻止するためBへ遷都した 藤原種継の暗殺に大伴家持が動いたとされ、彼が仕えていた早良親王を逮捕した(無実潔白証明の為に餓死) その後相次いで死去や疫病も蔓延により、和気清麻呂の建議によるC遷都 蝦夷征討

    桓武天皇, 長岡京, 平安京