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古代オリエント・ギリシア・ヘレニズム
  • 元田刻弥

  • 問題数 24 • 5/30/2024

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  • 1

    エーゲ文明は、(1)文明と(2)文明に代表されて、()文明である。(1)文明は(1)島の()を中心とし、()により発見された。(2)文明はギリシア本土の(2)や()の遺跡に代表され、小アジアの()遺跡と同じく()により発見された。(2)文明では王が農作物や手工業製品を農民から取り立てる()王政が行われ、使用された線文字Bは()により解読された。

    クレタ, ミケーネ, 青銅器, クノッソス, エヴァンズ, ティリンス, トロイア, シュリーマン, 貢納, ヴェントリス

  • 2

    エーゲ文明の滅亡後、ギリシアでは()時代という混乱時代に入り、線文字も消滅した。しかし一方で()が普及し、()人の文字が伝わり、ギリシア文字(アルファベットが成立した。

    暗黒, 鉄器, フェニキア

  • 3

    前8世紀には()(シノイキスモス)によりポリス成立し、中心の()(城山)には神殿が築かれ、()(広場)には公共施設が置かれた。多くのポリスでは小麦の自給が困難であったため、海外に多くの()が建設された。また同一民族意識が強まり自分達を()、異民族を()と読んで区別した。

    集住, アクロポリス, アゴラ, 植民市, ヘレネス, バルバロイ

  • 4

    小アジアの()で使用された()が伝わると、貨幣の使用が盛んとなり、()が発展した。安価になった武具を購入した富裕な平民は()として活躍し、政治を独占していた貴族に対して参政権を要求した。

    リディア, 鋳造貨幣, 商工業, 重装歩兵

  • 5

    前7世紀後半に()が従来の慣習法を成文化し、前6世紀には()が()の禁止や()政治を断行した。改革が不調に終わると、不満を持つ平民の指示で()が(1)となった。しかし、その子は暴君化したため、(1)の出現を防ぐために()が()(オストラキスモス)を実施して、民主政治の基礎を作った。

    ドラコン, ソロン, 債務奴隷, 財産, ペイシストラトス, 僭主, クレイステネス, 陶片追放

  • 6

    ()を中心とする()植民市が()に対し、反乱を起こしたことが契機となり()戦争が起こったが、ギリシアが勝利を収めペルシアの撃退に成功した。また、その再攻撃に備えアテネを中心にポリス間で()が結成された。

    ミレトス, イオニア, アケメネス朝, ペルシア, デロス同盟

  • 7

    前5世紀後半のアテネでは()の漕ぎ手として活躍した()の発言権が増し、()の指導のもと()を中心とする民主制が完成した。主な官職が()で選ばれたこと、()を基盤とした()であること、()のみに参政権が限られたことなどが現在と違う。

    三段櫂船, 無産市民, ペリクレス, 民会, 抽選, 奴隷制度, 直接民主制, 成人男性市民

  • 8

    ペルシア戦争では、()植民市の反乱、(1)の戦い、(2)の海戦、(3)の戦いの順に戦いが起こった。(1)の戦いでは()がペルシアを撃退、(2)では()の指導でアテネ海軍勝利、(3)の戦いではアテネ・()連合軍がペルシアに勝利した。この後、再攻撃に備え()が成立した。

    イオニア, マラトン, サラミス, ブラタイア, アテネ, テミストクレス, スパルタ, デロス同盟

  • 9

    デルフォイ, ミケーネ, ティリンス, スパルタ, テーベ, アテネ, クノッソス, トロイア, ビザンティオン, ミレトス

  • 10

    前5世紀後半の、ギリシアでは()を率いたアテネと(1)同盟を率いたスパルタが対立し、(1)戦争が起こった。アテネでは()(煽動政治家)が台頭し、民主政治は腐敗して()に陥り、スパルタに敗北した。しかし前4世紀前半には()がスパルタに勝利し、その後もギリシアの覇権をめぐる争いが続いたため、市民の多くは没落し、不足した兵力は()で補われた。

    デロス同盟, ペロポネソス, デマゴーゴス, 衆愚政治, テーベ, 傭兵

  • 11

    前4世紀後半、マケドニア王の()は()の戦いでアテネ・テーベの連合軍を破り、ギリシアを制圧した。()を結成して諸ポリスの掌握に努めたが、暗殺された。子の()は東方遠征を行い()を滅ぼして、ギリシアから()川の流域に至る大帝国を建設した。大王は東西文明の融合に努め、各地に王名に由来する()を建設した。しかし大王が亡くなると、()(後継者)戦争が起こり結果エジプトには()が、西アジアには()が、マケドニアには()が分立した。東方遠征開始から諸王朝滅亡までの約()年をヘレニズム時代と呼ぶ。

    フィリッポス2世, カイロネイア, コリントス同盟, アレクサンドロス大王, アケメネス朝, インダス, アレクサンドリア, ディアドコイ, プトレマイオス朝エジプト, セレウコス朝シリア, アンティゴノス朝マケドニア, 300

  • 12

    ギリシア文学の叙事詩では()が()・()を、()が()を残した。叙事詩には女性詩人の()がいる。演劇は三大悲劇詩人の()・()・()、喜劇の()に代表される。

    ホメロス, イリアス, オデュッセイア, ヘシオドス, 労働と日々, サッフォー, アイスキュロス, ソフォクレス, エウリピデス, アリストファネス

  • 13

    小アジアの()植民市から()が起こり、()を祖とした。民主政治の最盛期には職業教師である()が現れ、()らは()を主張した。彼らを批判した()は()の存在を説いた。また弟子の()は()を説き、その弟子の()は()と呼ばれ、後のイスラーム哲学や中世のスコラ学に影響を与えた

    イオニア, 自然哲学, タレス, ソフィスト, プロタゴラス, 相対主義, ソクラテス, 客観的真理, プラトン, イデア論, アリストテレス, 万学の祖

  • 14

    医学者では()が、歴史家ではペルシア戦争を記した()や、()を記した()がいる。

    ヒッポクラテス, ヘロドトス, ペロポネソス戦争, トゥキディデス

  • 15

    ヘレニズム時代には、()(コスモポリタニズム)の風潮が起こり、()の創始した()派や、()を重視した()派などの哲学が起こった。また、エジプトの()に置かれた()を中止に自然科学が盛んとなり、平面幾何学を大成した()、地動説を唱えた()、浮体の原理の()、地球の周囲の長さを計測した()らが活躍した。

    世界市民主義, ゼノン, ストア, 精神的快楽, エピクロス, アレクサンドリア, ムセイオン, エウクレイデス, アリスタルコス, アルキメデス, エラトステネス

  • 16

    ギリシア文化では、自然哲学において、万物の根源を水とする()別名()、万物の根源を数とする()、万物の根源を火とする()、万物の根源を原子とする()が台頭した。

    タレス, 哲学の父, ピタゴラス, ヘラクレイトス, デモクリトス

  • 17

    北メソポタミアに建国したセム語系の()は()などを次々と滅ぼし、()にオリエントの統一に初めて成功して、()王が最大版図を実現した。()以降、都を()に置き、全国を州に分け、各州に()を派遣した。しかし強制移住などの過酷な支配を行なったために各地で反乱が起こり、滅亡した。

    アッシリア, イスラエル王国, 前7世紀, アッシュル=バニパル, 前8世紀, ニネヴェ, 総督

  • 18

    ()の滅亡後、オリエントには()・()・(1)・()の4王国が分立した。このうち(1)は()を滅ぼし、住民を都の()に連行する()を行なった。

    アッシリア, メディア, リディア, 新バビロニア, エジプト, ユダ王国, バビロン, バビロン捕囚

  • 19

    インド=ヨーロッパ語系の()人(ペルシア人)は()中頃に()を建国し、4王国を継いで滅ぼしてオリエントを再び統一した。建国者の()は()を滅ぼした際に()人を解放し、彼らはパレスチナへの帰国を果たして、()を唯一神とする()を成立させた。

    イラン, 前6世紀, アケメネス朝, キュロス2世, 新バビロニア, ヘブライ, ヤハウェ, ユダヤ教

  • 20

    ()は第3代の()の時に全盛期を迎え、全国を約20の州に分け、各州に()と呼ばれる知事を配置して、().()と呼ばれた監察官を巡察させた。また、()をしき、()に代表される国道を整備するなど中央集権的な支配を進め、新たな都として()を建設した。

    アケメネス朝, ダレイオス一世, サトラップ, 王の目, 王の耳, 駅伝制, 王の道, ペルセポリス

  • 21

    ()が()の東方遠征で滅亡した後、オリエントにはヘレニズム諸国が成立した。その一つの()から()中頃に自立したイラン系の(1)は東西交通路を掌握して繁栄した。(1)は建国者の()に由来して、中国では()と呼ばれた。

    アケメネス朝, アレクサンドロス大王, セレウコス朝, 前3世紀, パルティア, アルサケス, 安息

  • 22

    ()前半、ローマとの抗争で衰退した()は同じイラン系の()の建てた()により滅ぼされた。第2代の()はローマ帝国の軍人皇帝()を捕まえ、また東方の()を破った。()半ばの()はビザンツ皇帝の()と争い、また中央アジアの騎馬遊牧民()を突厥と組んで滅ぼし、ササン朝の全盛期を築いた。しかし()にアラビア半島から進出した()勢力に()の戦いで敗れて、滅亡した。

    3世紀, パルティア, アルダシール一世, ササン朝, シャープール一世, ウァレリアヌス, クシャーナ朝, 6世紀, ホスロー一世, ユスティニアヌス, エフタル, 7世紀, イスラーム, ニハーヴァンド

  • 23

    ササン朝の国教である(1)は()でひろまり、()を善神、()を悪神とし、()を神聖視し、経典()がある。また、ササン朝で弾圧された()教は(1)、()、()の融合宗教である。

    ゾロアスター教, アケメネス朝, アフラ=マズダ, アーリマン, 火, アヴェスター, マニ, 仏教, キリスト教

  • 24