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    問題一覧

  • 1

    1792年に誰がどこに何を求めに来たか。上から答えよ

    ラクスマン, 根室, 通商

  • 2

    1804年に誰がどこに何を求めに来たか。上から答えよ

    レザノフ, 長崎, 通商

  • 3

    ラスクマンは、何年に通商を求めて日本へ来たか。

    1792年

  • 4

    レザノフは、何年に通商を求めて日本へ来たか。

    1804年

  • 5

    幕末になると、どの国の船が接近してきたか。3カ国あいうえお順に答えよ

    アメリカ, イギリス, ロシア

  • 6

    ロシア、アメリカ、イギリス船が接近してきたことで、(①)が高まり、1825年に(②)を出した。

    海防の必要性, 異国船打払令

  • 7

    異国船打払令は、(①)年に出された。

    1825

  • 8

    幕末に国内の危機が相次いで起こった。それを3つ答えよ。また、大坂(現:大阪)で起こった乱の名前も答えよ。

    財政悪化, 天保の飢饉, 一揆の頻発, 大塩平八郎の乱

  • 9

    幕末に幕府に衝撃を与えた乱の名と起こった場所を答えよ。

    大塩平八郎の乱, 大坂

  • 10

    老中水野忠邦は、なんという改革を実施したか。

    天保の改革

  • 11

    天保の改革は、誰によって実施されたか。

    水野忠邦

  • 12

    天保の改革では、(①)をし、(②)の劇場を江戸の中心から遠ざけたり、(③)の撤回、また、幕領を増やすために(④)を出した。

    娯楽の抑制, 歌舞伎, 異国船打払令, 上知令

  • 13

    上知令はなんのために出されたか。

    幕領を増やすため。

  • 14

    幕末の諸藩の改革として、(①)は、(②)の引き伸ばし、(③)との(④)、(⑤)の(⑥)を行った。

    薩摩藩, 借金返済, 琉球藩, 密貿易, 特産品, 専売

  • 15

    幕末に、諸藩の改革として、(①)は、(②)を通る(③)を利用した(④)を行った。

    長州藩, 下関, 荷物, 金融活動

  • 16

    (①)は、(②)で、(③)を増やし、幕府の(④)の増加を狙い、(⑤)や(⑥)からの反対を受け、(⑦)した。

    水野忠邦, 天保の改革, 幕領, 収入, 大名, 旗本, 失脚

  • 17

    17世紀後半に、清と(①)は、(②)を定めて、(③)を行った。

    ロシア, 国境, 貿易

  • 18

    ロシア以外の交易に関しては、18世紀半ばに、(②)一港に限定して行うようになった。

    広州

  • 19

    幕末の頃の(①)は、中国に大して国家間(②)を求めたが、清は従来の(③)の維持を望んだ。

    イギリス, 対等な貿易, 冊封体制

  • 20

    17世紀後半に、清と(①)は、(②)を定めて、(③)を行った。

    ロシア, 国境, 貿易

  • 21

    中国は、ロシア以外の交易に関しては、18世紀半ばに、(①)一港に限定して行うようになった。

    広州

  • 22

    幕末の頃の(①)は、中国に大して国家間(②)を求めたが、清は従来の(③)の維持を望んだ。

    イギリス, 対等な貿易, 冊封体制

  • 23

    幕末に、清は、ロシアに(①)を(②)し、ロシアは、清に、(③)を大量に(②)した。

    茶, 輸出, 毛皮

  • 24

    (①)は、(②)年に、最後の(③)を、日本の将軍の代代わりに派遣した。

    朝鮮, 1811, 通信使

  • 25

    (①)年に(②)が(③)に就くと、父の(④)が(⑤)を行い、欧米の(⑥)を退けた。

    1863, 高宗, 王位, 大院君, 政治, 艦隊

  • 26

    ヨーロッパにおける中国趣味のことをなんというか。

    シノワズリ

  • 27

    シノワズリとはどのような趣味か。簡潔に説明せよ。

    ヨーロッパにおける中国趣味

  • 28

    Bの絵では乾隆帝が(①)に描かれている。一方、Aの絵では、マカートニーが膝をついて乾隆帝に敬意を払っているが、乾隆帝は(②)に描かれている。イギリスのマッカートニーは(①)に描かれていることから、イギリスは中国のことを内心(③)と思っていると考えられる。

    立派, ごうまん, 野蛮な国

  • 29

    上の資料は(①)を取るために捕鯨船が訪れた場所である。 (①)の油は、(②)の燃料となり、日本ではすいでんの害虫駆除に使用された。その他、肝臓は薬品になり、肉は食用としても重宝された。

    クジラ, ランプ用

  • 30

    ヨーロッパは、日本や朝鮮に対しては(①)を用いながら、通商を要求していったが、中国に対しては、貿易で(②)を出せるようなシステムを作り出した。

    武力, 利益

  • 31

    18世紀後半、イギリスで(①)がおこった。

    産業革命

  • 32

    イギリスで産業革命が起こった主な理由には(①)や(②)を提供する(③)を持っていたことや、(④)を中心とした(⑤)が整備されたことで、(⑥)の戦争を行う(⑧)が確立されたこと、(⑦)の改良などにより、多くの(⑧)をささえることが可能になり、広大な(⑨)が形成されたことなどが挙げられる。

    原料, 市場, 海外植民地, 議会, 国家機構, 海外市場獲得, 経済的基盤, 農業技術, 人口, 国内市場

  • 33

    最初の(①)は、(②)の分野で、初めに(③)が1733年頃に(④)を発明した。この発明により、(⑤)の速度が高まったが、(⑥)が不足したため、ハーグリーヴスが1764年頃に(⑦)を発明したり、1769年には、アークライトによって(⑧)が発明された。さらに、その年に(⑩)が(⑪)を発明・改良した。またさらに、1779年クロンプトンが(⑫)を発明した。これは(⑧)と(⑩)を組み合わせたものだった。しかし、(⑬)の能力不足で、1785年、カートライトが(⑫)を用いた(A)を発明した。

    技術革新, 綿工業, ジョン=ケイ, 飛び杼, 織布, 綿糸, ジェニー紡績機, 水力紡績機, ワット, 蒸気機関, ミュール紡績機, 織機, 力織機

  • 34

    綿花から綿糸を作る工程をなんというか

    紡績

  • 35

    綿糸から綿布を作ることをなんというか

    織布

  • 36

    (①)機関の発明によって、工場の(②)、(①)船や(①)機関車の(②)としても使用されるようになった。それによって、(③)の立地を(④)部の(⑤)から(⑥)へ、また、(⑦)の山地へと移動した。

    蒸気, 動力, 産業, 農村, 河川流域, 都市, 石炭

  • 37

    イギリスは(①)に恵まれているので、(②)として用いることで、(③)が起こった。

    石炭, エネルギー源, エネルギー革命

  • 38

    工場に(①)が導入され、(②)と(③)階級からなる(④)社会が本格的に形成された。また、都市への(⑥)で、振興の(⑦)が急激な(⑧)を遂げ、(⑤)で(⑨)や(⑩)が形成され、(⑪)が発生し、安い(③)として(⑫)や(⑬)などを(⑭)した。

    機械, 産業資本家, 労働者, 資本主義, 都市, 人口集中, 工業都市, 発展, 公害, スラム, 都市問題, 児童, 女性, 酷使

  • 39

    イギリスは17世紀から北米東海岸に植民地を建設した。北部では、(①)による(②)や(③)が発展し、南部では、(④)を使って(⑤)や(⑥)を生産する(⑦)(大農園)が形成された。

    自営業, 農業, 商工業, 奴隷, タバコ, 綿, プランテーション

  • 40

    イギリスは(①)との(②)に勝利したが、(③)という問題があった。その解消をめざして、(④)の支配を(⑤)した。

    フランス, 植民地戦争, 財政難, 植民地, 強化

  • 41

    (①)年にイギリスが(②)を制定した。それに対して植民地側は、「(④)」と唱えて(⑤)を迫った。

    1765, 印紙法, 代表なくして課税無し, 撤回

  • 42

    (①)年に茶法で(②)が(③)の(④)を得たことで、後に(⑤)に扮した人々が積み荷を(⑥)した(⑦)事件が発生した。

    1773, 東インド会社, 茶, 独占販売権, 先住民, 投棄, ボストン茶会

  • 43

    茶法が原因で起きた(①)事件の後、(②)側は(③)を開き本国に(④)をした。そこから、(⑤)が起こり、最終的に(⑥)にまで発展した。

    ボストン茶会, 植民地, 大陸会議, 抗議, 武力衝突, アメリカ=イギリス戦争

  • 44

    (①)が始まると、初期のうちは(②)が率いる(③)が苦戦したが、(④)著『(⑤)』が(⑥)を高揚させた。

    アメリカ独立戦争, ワシントン, 独立軍, トマス=ペイン, コモン・センス, 独立気運

  • 45

    (①)著の『(②)』で独立気運が高揚されて、(③)をうたい、それを(④)する(⑤)に対する(⑥)の主張を内容とする、(⑦)を(⑧)年に発表した。

    トマス=ペイン, コモン=センス, 人間の平等, 侵害, 政府, 抵抗権, 独立宣言, 1776

  • 46

    (①)年(②)月(③)日に(④)が出てから、イギリスを牽制したい(⑤)やスペインの協力で植民地側は次第に優勢になった。

    1776, 7, 14, 独立宣言, フランス

  • 47

    (①)で優勢になった植民地側が勝ち、(②)条約でイギリスはアメリカの独立を(③)年に承認した

    アメリカ独立戦争, パリ, 1787

  • 48

    (①)年に(②)が制定された。ここでは、(③)で(④)な(⑤)が主権をもつことや、(⑥)・(⑦)・(⑧)の(⑨)が定められる。

    1787, 合衆国憲法, 自由, 平等, 市民, 立法, 行政, 司法, 三権分立

  • 49

    イギリスの思想家(①)の影響を受けて独立宣言では、(②)を主張した。

    ロック, 抵抗権

  • 50

    アメリカは独立当初、(①)州からなる(②)であった。(③)を経て(④)政府の強化をはかった。

    13, 連合体, 憲法改正, 連邦

  • 51

    この図では、子どもが(①)で働いている。それは、(②)にとって(③)が(④)からである。

    鉱山, 雇用者, 賃金, 低い

  • 52

    A~Gを答えよ。(解答欄はアルファベット順)

    炭田, 鉄, 運河, バーミンガム, マンチェスター

  • 53

    イギリス産業革命は、現代の(①)社会につながる社会の仕組みや、(②)問題や労働問題など、現在につながる多くの問題を生み出した。アメリカ独立戦争中に発表された(③)には、人間の(④)などのちの民主主義の基本となる主張がある。

    資本主義, 都市, 独立宣言, 平等

  • 54

    (①)年にフランス国王(②)が(③)克服で特権身分へ(④)するため(⑤)が開催され、旧体制((⑥))の(⑦)は(⑧)をめざして(⑨)を発足させた。

    1789, ルイ16世, 財政難, 課税, 三部会, アンシャン・レジーム, 第三身分, 憲法制定, 国民議会

  • 55

    旧体制((①))の第一身分は(②)、第二身分は(③)、第三身分は(④)である。

    アンシャン・レジーム, 聖職者, 貴族, 平民

  • 56

    (①)の支配階級は、被支配階級に対して(②)身分で、(②)を独占し、(③)の特権がある。

    アンシャン・レジーム, 支配, 富, 免税

  • 57

    (①)議会を発足したフランスでは、(②)月(③)日、(④)の民衆が(⑤)を襲撃し、(⑥)が勃発した。((⑦)年)

    国民, 7, 14, パリ, バスティーユ牢獄, フランス革命, 1789

  • 58

    国民議会は、(①)革命中に、『(②)』を発表して全ての人間の(③)と(④)を宣言した。

    フランス, 人権宣言, 自由, 平等

  • 59

    (①)年の(②)で(③)が発足し、翌年に、(④)を恐れる隣国と戦争が勃発した。

    1794, 憲法制定, 立法会議, 革命拡大

  • 60

    1792年に隣国と戦争をしている混乱のなかで成立した(①)で(②)(第一(②))が宣言され、(③)年に(④)が処刑された。それにより、山岳((⑤))派が(⑥)を解散し、(⑦)と呼ばれる(⑧)をきずいた。

    国民公会, 共和制, 1793, ルイ16世, ジャコバン, 議会, 恐怖政治, 独裁体制

  • 61

    フランスで恐怖政治が始まった翌(①)年、(②)の9日のクーデターで恐怖政治の指導者(③)らが逮捕、処刑された。そして、(④)年に新たに(⑤)が発足したが、政局は不安定で、混乱はおさまらなかった。

    1794, テルミドール, ロベスピエール, 1795, 総裁政府

  • 62

    (①)年、(②)が(③)のクーデターで権力奪取し、周辺諸国との戦争を集結させ、(④)年に(③)が皇帝となり、第一(⑤)が始まった。同年、(⑥)が制定され、(⑦)の理念を引き継いだ。(⑧)の廃止、(⑨)の自由、(⑩)の(⑪)などを制定した。

    1799, ナポレオン=ボナパルト, リュメール, 1804, 帝政, ナポレオン法典, フランス革命, 封建制度, 契約, 所有権, 不可侵

  • 63

    (①)は、近代社会生活において、人間関係の(②)となった。

    ナポレオン法典, 常識

  • 64

    (①)は、ヨーロッパ大陸諸国に勝利し、(②)を発し、(③)に対抗した。そして(④)年、皇帝が(⑤)に失敗したことで、フランスの支配に不満を高める(⑥)が反抗しはじめ、皇帝が(⑦)し、(⑧)した。

    ナポレオン=ボナパルト, 大陸封鎖令, イギリス, 1812, ロシア遠征, 諸国民, 敗退, 退位

  • 65

    (①)年から(②)年まで、オーストリアの(③)が主催する(④)が開催された。これの目的は、(⑤)戦争の(⑥)と新たなヨーロッパの(⑦)を 作ることにあった。そのため、(⑧)とよばれる(⑨)が成立し、(⑩)と(⑪)がささえた。(後の五国同盟)

    1814, 1815, メッテルニヒ, ウィーン会議, ナポレオン戦争, 後始末, 秩序, ウィーン体制, 国際秩序, 神聖同盟, 四国同盟

  • 66

    (①)は、(②)前に戻す(③)にたつことをめざし、大国の(④)が優先された。(①)は(⑤)や(⑥)(国民主義、民族主義)などの考えにたつ人々に激しく反発され、各地で(⑦)・(⑧)・(⑨)を求める運動が相次ぎ、その動きは(⑩)された。

    ウィーン体制, フランス革命, 正統主義, 勢力均衡, 自由主義, ナショナリズム, 自由, 独立, 統一, 鎮圧

  • 67

    ヨーロッパ以外の海外では、(①)諸国が、(②)や(③)から独立し、地中海東部の(④)が、(⑤)に対する(⑥)を経て独立した。これらの事柄により、(⑦)は、大きく動揺した。

    ラテンアメリカ, スペイン, ポルトガル, ギリシア, オスマン帝国, 独立戦争, ウィーン体制

  • 68

    フランスでは(①)年に(②)が勃発し、(③)から(④)が独立した。また、その結果成立した王政を(⑤)といい、(⑥)がささえた。

    1830, 七月革命, オランダ, ベルギー, 七月王政, 産業資本家

  • 69

    (①)年にパリ民衆が再び蜂起して、(②)が勃発し、(③)が誕生した。この動きはヨーロッパに広がり、諸国民が各地で運動し、ウィーンでは(④)が亡命し、(⑤)が崩壊した。

    1848, 二月革命, 第二共和政, メッテルニヒ, ウィーン体制

  • 70

    テルミドールのクーデタの後に発足した政府をなんというか。

    総裁政府

  • 71

    この絵のタイトルは、『(①),(②)年5月3日』であり、(③)軍に対するスペインの首都(①)市民の抵抗を描いている。中央の人物の両手には拡大図で示した穴が空いている。これは、この人物を十字架にかけられた(④)に模しているからである。

    マドリード, 1808, ナポレオン, 殉教者

  • 72

    E,F(漢字に文字)G(漢字3文字)で答えよ。また、この資料は何か。

    自由, 平等, 所有権, フランス人権宣言

  • 73

    独立後の(①)合衆国では、国内の(②)と(③)の充実がなされ、(④)では中立であった。そのため、(⑤)との(⑥)を続けた。またそのあとイギリスの(⑦)と衝突し、(⑧)から(⑨)まで(⑩)があり、(①)で(⑪)が起こった。

    アメリカ, 整備, 国力, ナポレオン戦争, フランス, 通商, 海上封鎖策, 1812, 1814, アメリカ=イギリス戦争, 産業革命

  • 74

    (①)年アメリカ大統領(②)が南北アメリカとヨーロッパの(③)を主張し、(①)宣言を出した。また、アメリカは、西へ領土拡大をし、(④)から(⑤)を購入し、(⑥)から(⑦)や(⑧)を獲得した。領土拡大は、(⑨)の開拓であり、神からの「(⑩)」とされ、それは裏では、(⑪)と結びついていた。

    1823, モンロー, 相互不干渉, フランス, ルイジアナ, メキシコ, テキサス, カリフォルニア, フロンティア, 明白な天命, 先住民排除

  • 75

    アメリカ西部のカリフォルニアでは、(①)が発見され、太平洋岸への移住者が増加し、(②)や(③)との通商など太平洋への進出をした。

    金鉱, 捕鯨, アジア

  • 76

    アメリカ西部は、(①)し、州に昇格した。また、そのとき、南部と北部の争いが起こった。北部は(②)中心の(③)貿易を望み、(④)には批判的だった。また、南部では、生産した(⑤)をイギリスへ輸出することから、(④)の存続と(⑥)貿易を求めた。

    人口増加, 工業, 保護, 奴隷制, 綿花, 自由

  • 77

    大統領選では(①)拡大反対派の(②)が勝利し、南部諸州は(③)を離脱し、翌(④)年、(⑤)を樹立した。だが、(①)はこれを認めず、(⑥)が勃発した。最初は苦戦していた北部だったが、(⑦)の定住者に(⑧)で土地を与える政策を実施し、(⑦)の指支持を獲得した。また、(⑨)宣言で(⑩)を味方につけ、北部は(⑥)に勝利した。

    奴隷制度, リンカン, 連邦, 1861, アメリカ連合国, 南北戦争, 西部, 無償, 奴隷解放, 国際世論

  • 78

    南北戦争後の合衆国では、南部で(①)が廃止され、旧奴隷が(②)を持つようになった。しかし彼らには(③)の基盤はなかったため、(④)が台頭した。

    奴隷制, 参政権, 経済的自立, 人種主義

  • 79

    (①)年に(②)が開通し、19世紀末には合衆国は世界最大の(③)になった。

    1869, 大陸横断鉄道, 工業国

  • 80

    (①)が起こると、フランス領であった(②)でアフリカ系の奴隷たちが蜂起し、(③)年に独立し、最初の黒人共和国である(②)共和国を樹立した。

    フランス革命, ハイチ, 1804

  • 81

    (①)は、スペインとポルトガルの植民地であった。19世紀初め、(②)による本国占領をきっかけに植民地支配が揺らぎ、地主層の(③)を中心に(④)が起こった。(⑤)への脅威とみなした(⑥)がこれに干渉した。また、アメリカ合衆国が(⑦)宣言で牽制し、(⑧)も(⑨)のため、干渉に反対した。

    ラテンアメリカ, ナポレオン, クリオーリョ, 独立運動, ウィーン体制, メッテルニヒ, モンロー, イギリス, 市場確保

  • 82

    ベネズエラ、コロンビア、(①)、チリ、ペルー、メキシコなどが(②)から独立し、(③)は(④)から(⑤)として独立した。独立後のラテンアメリカ諸国では、旧本国系白人、先住民、アフリカ系住民で(⑥)が進み、複雑な住民構成となった。しかし、(⑦)の優位と大土地所有は存続された。

    アルゼンチン, スペイン, ブラジル, ポルトガル, 帝国, 混血, クリオーリョ

  • 83

    ラテンアメリカ諸国は、(①)が中心となった独立運動に白人と先住民との混血である(②)をはじめとする先住民が協力したこと、また、アメリカ合衆国が(③)を発してヨーロッパ諸国の独立運動への干渉を牽制し、(④)の確保を狙うイギリスも独立運動への干渉に反対したため、独立を達成することが出来た。

    クリオーリョ, メスティーソ, モンロー宣言, 市場

  • 84

    18世紀末にイランで成立した(①)朝を(②)と(③)が侵略した。これにより、(①)朝は両国への(④)を深めた。また、1891年には(③)がにぎる(⑤)への反発により(⑥)運動が起こった。

    カージャール, ロシア, イギリス, 従属, タバコ専売権, タバコ=ボイコット

  • 85

    (①)戦争で敗北したことで(②)の必要性を認識した(③)の(④)は、改革に着手し、(⑤)をつくりあげ、(⑥)をし、(⑦)を導入した。また、1861年、(⑧)を発したりた。このとき(⑨)や(⑩)の改革を行ったが、これらは、(⑪)に終わった。

    クリミア, 近代化, ロシア, アレクサンドロス2世, 国民国家, 産業革命, 工場制機械, 農奴解放令, 大学, 司法制度, 不徹底

  • 86

    (①)の改革が(②)に終わり、(③)や(④)が「(⑤)」をスローガンに(⑥)運動を展開した。しかし(⑦)の支持を得られず、絶望した人々によって(①)は暗殺された。

    アレクサンドロス2世, 不徹底, 知識人, 学生, 人民のなかへ, ナロードニキ, 農民

  • 87

    1877年に(①)戦争が起こり、ロシアが勝利し、(②)地域の大部分を勢力下に置いた。この行動は、(③)・(④)に反対され、(⑤)(ドイツ人)の仲介で1878年に(⑥)会議が開催された。これにより、ロシアの(⑦)は失敗に終わった。

    ロシア=トルコ, バルカン, イギリス, オーストリア, ビスマルク, ベルリン, 南下政策

  • 88

    1839年に(①)が(②)と呼ばれる(③)が実施された。これは、(④)進出下で行われた。この改革で(⑤)が、(⑥)・(⑦)を問わず(⑧)が保障された。これにより(⑨)が成立した。また、(⑩)戦争による帝国の(⑪)により、(⑫)・(⑬)の(⑭)が強まった。

    オスマン帝国, タンジマート, 近代化改革, 列強, 帝国臣民, 宗教, 民族, 法の下の平等, オスマン人, クリミア, 財政難, イギリス, フランス, 干渉

  • 89

    1876年に(①)で(②)が公布され、(③)の開設、(④)・(⑤)の自由が保障された。だが、翌年、(⑥)が勃発し、(⑤)が停止された。それにより、(⑦)・(⑧)による(⑨)が強化された。

    オスマン帝国, ミドハト憲法, 議会, 言論, 信仰, ロシア=トルコ戦争, イギリス, フランス, 経済支配

  • 90

    近代のヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントが(①)であったが、(②)教徒と(③)教徒・(④)教徒との関係は(⑤)であった。そして、かつて(③)と(④)は(⑥)と呼ばれる(⑦)を取られていた。その(⑤)をなくすため、(⑦)では、オスマン主義というものを唱えた。

    平等, イスラム, キリスト, ユダヤ, 不平等, ジズヤ, 不信仰税, ミドハト憲法

  • 91

    オスマン帝国のエジプト総督(①)は、(②)・(③)を推進した。エジプトは、(④)と共同で開通させた(⑤)の建設費用で財政難となり、(⑤)会社の株を(⑥)へ売却した。そのため、(⑦)は(⑥)・(④)の管理下に入った。この事態を受けて1881年(⑧)が「エジプト人のためのエジプト」を唱え、(⑨)を設立する要求を掲げて蜂起したが、翌年、(⑥)に鎮圧された。この(⑧)の考え方が、(②)策を推進して列強に対抗する方法を摸索していた東海散士と一致していたため、興味・関心を持たれた。

    ムハンマド=アリー, 富国強兵, 殖産興業, フランス, スエズ運河, イギリス, 国家財政, ウラービー, 国会

  • 92

    (①)は(②)の中心に位置し、18世紀末から(③)諸国に対する(④)となり始めた。帝国の(⑤)をめぐり、(⑥)が進出し、(⑦)と呼ばれる国際紛争となった。

    オスマン帝国, イスラーム世界, ヨーロッパ, 分割, 列強, 東方問題

  • 93

    (①)は(②)に積極的に関わった。18世紀以降、(③)を進めた。(①)は、(②)内の(③)保護を口実に(④)を起こした。(①)の南下をきらう(⑤)、(⑥)が(⑦)軍を支援して参戦し、(①)が敗北した。そして1856年、(⑧)が結ばれ、それにより(⑨)が中立化され、(①)の南下を阻止したり、大国の(⑩)・(⑪)により、(⑫)が(⑬)崩壊した。

    ロシア, 東方問題, 南下政策, オスマン帝国, ギリシア正教徒, クリミア戦争, イギリス, フランス, オスマン, パリ条約, 黒海, 平和, 強調, ウィーン体制, 国際秩序

  • 94

    (①)が(②)に南下した理由は、(③)沿岸の(④)から(⑤)へ抜ける(⑥)への(⑦)を確保するためである。

    ロシア, オスマン帝国, 黒海, 不凍港, 地中海, 海峡, 通路