問題一覧
1
コメニウス ・チェコの教育者。著書である「 」の中で、「 」を教授することを主張し、一斉指導の原理を教授法として確立する基礎を固めた。 ・世界初の絵入り教科書である「 」を出版した。
大教授学, すべての人にすべての事, 世界図絵
2
ペスタロッチ ・スイスの教育者で、その教授法は、一般的には「 」と呼ばれる。 ・主な著書に「 」がある。「玉座の上にあっても、木の葉の屋根の陰に住まっていても同じ人間」という言葉から始まり、人間はすべて平等の人間性を有するという信念を貫いた。 ・数・形・語を基礎とする教授法「 」の必要性を説いた。
直観教授, 隠者の夕暮, メトーデ
3
モンテッソーリ ・イタリアの医学博士、幼児教育者。精神遅滞児の教育に関心があり、感覚訓練のための教具を開発した。 ・健常児にも適応できる教育方法も実践した。( )の開設者である。
子どもの家
4
フレーベル ・ドイツの教育者で、( )の創始者。 ・( )と呼ばれる子供向けのおもちゃを開発した。 ・主要な著書に「 」がある。
幼稚園, 恩物, 人間の教育
5
ブルーナー ・アメリカの認知心理学者で、教育課程を( )中心教育課程として構成することを提言した。 ・主な著書に「 」がある。 ・学習者が仮説を立ててそれを検証しながら法則や概念を発見していく( )を提唱した。
学問, 教育の過程, 発見学習
6
イエナ・プランの提唱者 一人ひとりを尊重しながら自律と共生を学ぶオープンモデルの教育。個性の尊重や対話を重視した指導が行われている。
ペーターゼン
7
パーカースト ( )を考案した。( )を廃止し、生徒が自主的に設定した学習プランに基づき( )学習をする。
ドルトン・プラン, 学級, 個別
8
ヘルバルト ・ドイツの哲学者・教育学者で、体系的な教授理論をはじめて構築したといわれている。 ・主要な著書に「 」がある。教育の目的は「道徳的品性の陶冶」であるとした。 ・教育の目的を( )かた、方法を( )からそれぞれ導出した。 ・( )法(明瞭、連合、系統、方法)の提唱者。
一般教育学, 倫理学, 心理学, 4段階教授
9
アメリカの公教育の父。コモン・スクール構想を主張。教育の無償制、就学の義務、政治的・宗教的中立性が重要であるとした。
ホーレス・マン
10
デューイ ・アメリカの哲学である( )に立脚した進歩主義を発展させた第一人者で、生活経験を重視する( )主義の教育論を提唱した。 ・主な著書に「 」(1916)がある。 ・1896年、シカゴに( )をつくり、「教育は生活の必然から生じる人間の経験の再構成である。」という考えを実践・検証した。その実験報告をまとめたのが「 」(1899)である。 ・教育を「経験の絶えざる再構成」と定義し、( )学習を提唱した。
プラグマティズム, 経験, 民主主義と教育, 実験学校, 学校と社会, 問題解決
11
ナトルプ ・ドイツの哲学者。「 」を著し、人は社会を通してのみ人となるのであり、家庭・学校・社会の各段階を経て社会の一員にまで形成される必要があると説いた。自律的個人の自由な結合による共同体を構想し、個人の陶冶と共同体の相互関係を前提にした国民意識の統合をめざして( )学校と( )学校の設立を主張した。 ・「人間はただ人間的な社会においてのみ人間となる」
社会的教育学, 統一, 作業
12
著書に「生涯教育入門」がある。生涯教育の理念を提唱した。
ラングラン
13
「知育・徳育・体育論」の著者。
スペンサー
14
キルパトリック ・アメリカの教育学者。学習者の自発的な経験学習の方法として、「目的設定」「計画」「実行」「結果の判断」という段階的なプロセスを組織した( )を確立した。
プロジェクト・メソッド
15
ウォッシュバーン ・アメリカの教育学者。教育課程を共通基本教科と集団的・創造的活動の2領域に分け、( )に応じた指導と( )による人間形成を一つの教育的組織体制の中に位置づけた( )を創始した。
個人差, 集団, ウィネトカ・プラン
16
カント ・ドイツの哲学者。その著書「 」の中で、「 」と述べている。「人間は教育されなければならない唯一の被造物である。」という一節から始まる。真の道徳性を追求した。
教育学講義, 人間は教育によってのみ人間となる
17
デュルケム ・フランスの社会学者。「教育とは、社会生活において成熟した世代によって、まだ成熟していない世代によって、まだ成熟していない世代に対して行われる作用である」と「 」の中で述べている。
教育と社会学
18
ブルーム ・アメリカの教育心理学者。( )を提唱した。目標を明確にし、それに基づいて評価を実施し、適切な指導を行うならば、90%以上の学習者は時間的な差はあっても同一の程度まで学習の到達が可能であるという教授システムである。 ・3評価( )的評価、( )的評価、( )的評価 ・ハーバード大学で動物心理学を学び、欲求や動機付けが近くに影響を及ぼすことを示す研究を行い、ニュールック心理学を主張。( )の生みの親。
完全習得学習, 診断, 形成, 総括, 認知心理学
19
エレン・ケイ ・「 」において、児童は「子どもの親を選ぶ権利」などをもつとみなされ、自由恋愛と優生学がその権利を実現すると説いた。「教育の最大の秘訣は、教育しないことにある」と述べた。
児童の世紀
20
ロック ・イギリスの哲学者。著書「 」において、精神は( )であるとする考えを打ち出し、人間の碁聖は白紙のようなものであってそこにい刺激を与えて、望ましい観念を形成してく営みが教育であると考えた。 ・著書「 」は、( )教育論の集大成である。
人間悟性論, タブラ・ラサ, 教育に関する考察, 紳士
21
ルソー ・フランスの教育思想家。社会と個人、人間と公的市民という現実社会の中での対立的・矛盾的要素をもつ両社の統一的把握と、それの新しい形成を目指すことを目的とし、その方法を小説「 」によって示した。 ・子どもが本来持っているものを大切にし、それを損なわないように教育すべきという( )教育を提唱した。
エミール, 消極
22
この運動は具体的には1889年イギリスの( )によって設立された学校、アボッツホルム・スクールに始まるといわれる。この学校はフランスの( )、ドイツの( )らに影響を与え、それぞれロッシュの学校、田園教育塾を発展させた。そしてこの運動からグスタフ・ヴィネケンやパウル・ゲヘープらによって生徒の自治活動を尊重する自由学校共同体の運動が現れた。別の起源ではイギリスのパブリック・スクールの革新から始まりともされる。1900年スウェーデンのスウェーデンのジャーナリストで、女性運動家だった( )が自著のタイトルを『児童の世紀』と名づけ、この新しい動向に一般的なタイトルを与えたことから、全世界的にこの言葉があまねく伝わるようになった。この運動全体を( )と呼ぶ。
セシル・レディ, ドモラン, リーツ, エレン・ケイ, 新教育運動
23
セシル・レディ イギリスで最初の田園教育塾( )を創立した。新教育運動の実践者。
アボッツホルム
24
ドモラン 1898年、フランスに( )を開設した。
ロッシュの学校
25
リーツ 1899年、イルゼンブルクに( )を開設した。
田園教育舎
26
クルプスカヤ 旧ソ連の政治家で教育学者。レーニンの妻で「 」を著した。
国民教育と民主主義
27
教育段階を予備―提示―比較―概括ー応用とした。
ヴィルヘム・ライン
28
ディルタイに指示して、パウルゼンに刺激され、文化教育学を樹立した。
シュプランガー
29
マカレンコ ロシアの教育家。( )を行った。
集団主義教育
30
ドイツの教育学者。労作教育(職業教育)と公民教育を結合し、国民学校と実業補習学校を人間陶冶の場にすることを学校改革の理念とした。今日のドイツの「職業学校」の基礎を築き、「職業学校の父」と称されている。
ケルシェンシュタイナー
31
アメリカの哲学者。プラグマティズムの考えを受け継いで広めた。ある考え方が心理であるかどうかは、それが人生において問題を解決するために有用か否かによって決まると考え、実生活において有用性をもつものが心理であると説いた。
ジェームズ
32
( ) ・生活や経験を尊重し、児童中心の立場をとる教育( )を行う。デゥーイの影響を受け、経験主義哲学を背景としている。 ・アメリカの進歩主義的養育改革家でマサチューセッツ州クインシーの教育長となる。児童中心的・活動主義的な教育実践を行い、クインシー運動として世界的な注目を浴びた。
パーカー, 進歩主義教育
33
1930年代に生活綴方運動を展開した人物の一人。児童文学者。教育実践家。
国分一太郎
34
東京女子高等師範学校教授などを歴任。形式化した明治以降のフレーベル主義を改革して、幼児教育の発展に寄与した。
倉橋惣三
35
東京帝国大学教授、日本医科大学教授などを歴任した。日本の肢体不自由児の父と言われ、日本で初めて肢体不自由児調査を実施し、それを根拠に施設の必要性を説いた。
高木憲次
36
「学校教師論」の著書。エドモンド・デ・アミーチスの「クオレ」を邦訳し、「( )」として出版した。
三浦修吾, 愛の学校
37
前週の僧侶で教育者。「生活綴方運動」に取り組むとともに、「全国子ども電話相談室」の回答者を務める。「( )」を著してベストセラーになる。
無着成恭, 山びこ学校
38
ドイツのシュトゥットガルトに設立されたヴァルドルフ学校は、( )の人間観に基づく教育理念を実践する私立学校で、子どもの成長に応じて適切な時期に、思考・感情・意思のすべてに働きかけ、それらの調和のとれた全人教育を目指した。
シュタイナー
39
田中不二麻呂
40
森有礼
41
元田永孚
42
井上毅
43
ハウスクネヒト
44
昌平坂学問所に学び、英国留学後、明六社の設立に参加し、啓蒙思想の普及につとめた。 訳著「西国立志編」「自由之理」。
中村正直
45
津田梅子
46
岡田良平
47
成城小学校(成城学園)を創立し,「ドルトン・プラン」の導入など大正期の自由教育運動に貢献した。 『実際的教育学』
48
教育者、大正自由教育の実践者。主著『分団式動的教育法(1912)』,『分団式動的各科教育法(1915)』は,それまでの画一的な詰込み教授を批判し,児童中心主義の理論にもとづく教育のあり方を実践的に示したもので,当時の教育界に大きな影響力をおよぼした。また,1921年の夏に開催されたいわゆる[八大教育主張講演会]でも「動的教育論」を講じた。
及川平治
49
羽仁もと子
50
木下竹次
51
下中弥三郎
52
小原國芳
53
赤井米吉
54
西村伊作
55
桜井祐男
56
上田庄三郎
57
稲毛金七
58
片山伸
59
河野精丸
60
千葉命吉
61
手塚岸衛
62
樋口長市
63
山本鼎
64
鈴木三重吉
65
野村芳兵衛
66
野口援太郎
67
小砂丘忠義
68
芦田恵之助
69
山下徳治
70
家永三郎
71
新島襄
72
米国に留学後、唱歌などを作曲して日本の音楽教育を確立。晩年は楽石社をつくり、吃音(きつおん)矯正事業に尽くした。 『小学唱歌集』
伊沢修二
73
高嶺秀夫
74
樋口勘次郎
75
ヘルバルト派教育学の紹介・普及に貢献した教育学者。 『実用教育学及教授法』
谷本富
76
篠原助市
77
倉橋惣三
78
広い文化史的立場から「日本教育史」を著し、その後長く日本の教育史のよりどころとされた。
佐藤誠実
79
ベルリン大学、ライプヒッチ大学、パリ大学等に学び、「教育学」「欧州教育史」などを著し、我が国における西洋教育史研究の業績を残した。
大瀬甚太郎