問題一覧
1
古墳時代 前期=☆3C中頃〜4C後半 ○3C中頃〜後半にかけて[①]をはじめとする古墳が西日本を中心に出現=出現期 →この時期最大の古墳は奈良の[②] ○[③]石室※呪術的な副葬品あり ○墳丘上には[④],斜面には[⑤]
前方後円墳, 箸墓古墳, 竪穴式, 埴輪, 葺石
2
古墳時代 後期=6C〜7C ○[①]石室=墓室の[②]や通路の[③]あり →追葬可能! ○人物や動物をかたどった[④]もさかんに ○壁画をもつ[⑤]古墳がつくられるところも
横穴式, 玄室, 羨道, 形象埴輪, 装飾
3
古墳時代の副葬品 ○前・中期(3C〜5C末) →副葬品は[①]をはじめとする多量の銅鏡 →被葬者は[②]的性格であった ○後期(6C〜7C) →副葬品は鉄製の武具など →被葬者は[③]的性格であった
三角縁神獣鏡, 司祭者, 武人
4
最大規模をもつ古墳は中期に造営されたとされる大阪府の[①] →5Cのヤマト政権の[②]の墓とされる
大仙陵古墳, 大王
5
〖〜参考〜〗 その頃中国では… 三国時代終わり→晋が国内統一! →分裂→南北朝時代に→中国の支配力:弱 →☆東アジアの諸地域の国家形成始まる
OK
6
東アジアの国家形成 ○中国東北部に[①]起こる→北部に拡大 ○朝鮮半島南部=[②]・[③]・[④]の小国
高句麗, 馬韓, 弁韓, 辰韓
7
4Cになると 馬韓→[①] 辰韓→[②] が起こり国家形成
百済, 新羅
8
倭国(ヤマト政権)は[①]と密接な関係 (鉄資源確保のため) →4C後半には高句麗が南下策始める ☆倭国&[②]&[①]VS高句麗 →この様子は高句麗の[③]に記載 ※この交戦で倭国は騎馬技術を学ぶ →5Cには副葬品に馬具が…
加耶, 百済, 好太王碑の碑文
9
高句麗との交戦の間、百済や加耶から多くの技術を学び多くの[①]が海を渡り来日
渡来人
10
5C〜6Cの間に[①]に讃・珍・済・興・武と記された倭の五王が相次いで中国南朝に朝貢 ※武=[②]天皇 ☆朝鮮半島南部における外交・軍事上立場を有利にするため
『宋書』倭国伝, 雄略
11
「記紀」に渡来の説話が伝わる人物 西文氏の祖先→[①] 東漢氏の祖先→[②] 秦氏の祖先→[③]
王仁, 阿知使主, 弓月君
12
朝鮮半島や中国との盛んな交渉の中で、漢字の使用が始まった ○鉄剣=埼玉県[①] ○鉄刀=熊本県[②] →刻まれた大王の名=[③]=倭王武=雄略天皇
稲荷山古墳, 江田船山古墳, ワカタケル大王
13
漢字が刻まれた朝鮮の百済王から贈られたとされる奈良県の刀=[①]
石上神宮七支刀
14
東アジアから色々なものが伝来! ○百済から渡来した[①]が[②]伝える(6C) ○百済の[③]が[④]天皇期[⑤]伝える(6C)
五教博士, 儒教, 聖明王, 欽明天皇, 仏教
15
8C初めにできた歴史書である『古事記』『日本書紀』のもとになった ○[①]=大王の系譜を中心 ○[②]=朝廷の系譜を中心 これらは6Cにまとめられ始めたとされる
帝紀, 旧辞
16
〖〜参考〜〗 5C〜6Cの間に古墳のあり方が変化… ○近畿中央部→依然として巨大な古墳 ○他の地方→巨大な古墳が減少… ☆各地の豪族が連合して政権つくる形 →大王中心のヤマト政権に服属する形に
OK
17
〖〜参考〜〗 群集墓とよばれる小古墳が数多く営まれるようになる =古墳の造営など考えられなかった有力農民層までが古墳を作るようになった現れ
OK
18
古墳時代の生活 ○豪族は集落から離れた場所に[①]を営む ○土器→古墳時代前・中期=[②] →5Cには硬質で灰色の[③] ○豊作を祈る春の[④] 収穫を感謝する秋の[⑤] ○鹿の骨を焼いて吉凶占う=[⑥] ○熱湯で真偽を判断=[⑦]
居館, 土師器, 須恵器, 祈年の祭, 新嘗の祭, 太占の法, 盟神探湯
19
古墳時代 終末期 ○6C〜7Cになると前方後円墳の造営終了 →ヤマト政権の強力な規制が原因…? ○地方では[①]に任じられた首長らが大型の方墳や円墳を営んだとされる ○7C中頃になると近畿の大王の墓が[②]に →大王が超越した存在であると豪族に示す ○7Cの終わり頃には古墳はほぼ消える…
国造, 八角墳
20
ヤマト政権=[①]制度 ○地名が氏の名前=[②](葛城・平群・蘇我) ○職掌が氏の名前=[③](大伴・物部) ○有力地方豪族=[④] ○地方豪族=[⑤]
氏姓, 臣, 連, 君, 直
21
ヤマト政権の政治 ○臣姓・連姓から[①]・[②]が任じられ 中枢を担う ○その下に[③]が職務に奉仕する[④]を 率いてあらゆる職掌を分担※渡来人含む ○渡来人は[⑤]の集団が支えた
大臣, 大連, 伴造, 伴, 品部
22
☆豪族 ○私有地=[①] ○私有民=[②] ○家内奴隷=[③]
田荘, 部曲, ヤツコ
23
☆ヤマト政権の大王 ○直轄領=[①] ○直轄民=[②] ○6Cには地方豪族は[③]に任じられる →その子女は[④]・[⑤]として大王に出仕
屯倉, 名代・子代の部, 国造, 舎人, 采女
24
大王権力に対する地方豪族の抵抗 ○6C初め→新羅と結んだ[①]が戦乱起こす →大王軍[②]が鎮圧→九州北部に屯倉設ける この戦乱を[③]という
筑紫国造磐井, 物部麁鹿火, 磐井の乱